1988年9月13日生まれ。東京都出身。
本名は「木村文和(きむら ふみかず)」
2006年にドラフト1巡目で高校を経て西武に指名される。
小学よりソフトボールを始めて1番ピッチャーとしてエースであった。
高校は埼玉栄に進学、1年時は外野手だったが、2年生から投手でエースとして活躍も高校時代は甲子園に出場経験はなく県大会決勝止まりであった。
ドラフトでは
増渕の外れ1位で指名されて入団に至る。
ルーキーイヤーの」07年は8月31日に対楽天で中継ぎ投手でデビューもこの1試合に留まる。2軍では優秀選手賞を受賞し、この年の冬ではウィンターリーグの派遣選手となる。
翌年も2軍中心で登板、先発ローテーションを守ったものの結果は残せず。2年連続でウィンターリーグで経験を積む。
09年はWBC強化試合にも選出されたり期待されていたものの1軍定着に至らず、オフに「文紀」に改名。その後は怪我などに苦しめられた事もあり、12年9月に外野手へコンバートが発表。
13年は転向後1軍キャンプメンバーに選抜も開幕は2軍で迎える。同年5月20日にけがで戦線離脱した選手に替わり1軍昇格、同年5月28日の対DeNAでプロ初安打が初ホームランとなり初打点を記録、以降は1軍の試合にも出場も持病の腰痛に悩まされてきた。
21年は開幕スタメンも同年4月13日に腰痛で登録を抹消。後に再昇格も出場機会に恵まれず、更に新型コロナでの濃厚接触者と判定して再び抹消の憂き目に。以降2軍の試合でホームランを量産も1軍の出場機会に恵まれず、同年8月12日に
佐藤龍世⇔
公文克彦・
平沼翔太との交換トレードでハム入りが発表された。イースタンでの出場を経て同年8月24日に1軍昇格、その日の対ロッテで8回に代走として出場、そのままライトの守備についた。翌日の25日の対ロッテではスタメン出場、犠牲フライを放った。22年シーズンより背番号が36に変更となる事が発表された。
23年シーズンは故障が多く2軍暮らしが長くなった。同年9月18日に現役引退を表明してエスコンで会見。同年9月20日の対西武にて4番ライトでスタメン出場(後述)、4回にツーベースを放ち有終の美を飾った。
エピソード
- 愛称は「キム」、「カルロス」。テーマカラーは赤だった。
- お父様は白老町出身との事で幼少期に訪れたことがあるとの事。
- 23年9月20日の引退試合での4番ライトは予告スタメン、3回の西武側レフトへの守備交替はいずれも監督の粋な計らいであった。試合終了後の引退セレモニーでは両軍選手による胴上げも実施された。
最終更新:2023年09月21日 16:34