atwiki-logo
  • 新規作成
    • 新規ページ作成
    • 新規ページ作成(その他)
      • このページをコピーして新規ページ作成
      • このウィキ内の別ページをコピーして新規ページ作成
      • このページの子ページを作成
    • 新規ウィキ作成
  • 編集
    • ページ編集
    • ページ編集(簡易版)
    • ページ名変更
    • メニュー非表示でページ編集
    • ページの閲覧/編集権限変更
    • ページの編集モード変更
    • このページにファイルをアップロード
    • メニューを編集
    • 右メニューを編集
  • バージョン管理
    • 最新版変更点(差分)
    • 編集履歴(バックアップ)
    • アップロードファイル履歴
    • ページ操作履歴
  • ページ一覧
    • ページ一覧
    • このウィキのタグ一覧
    • このウィキのタグ(更新順)
    • このページの全コメント一覧
    • このウィキの全コメント一覧
    • おまかせページ移動
  • RSS
    • このウィキの更新情報RSS
    • このウィキ新着ページRSS
  • ヘルプ
    • ご利用ガイド
    • Wiki初心者向けガイド(基本操作)
    • このウィキの管理者に連絡
    • 運営会社に連絡(不具合、障害など)
ページ検索 メニュー
harukaze_lab @ ウィキ
  • ウィキ募集バナー
  • 目安箱バナー
  • 操作ガイド
  • 新規作成
  • 編集する
  • 全ページ一覧
  • 登録/ログイン
ページ一覧
harukaze_lab @ ウィキ
  • ウィキ募集バナー
  • 目安箱バナー
  • 操作ガイド
  • 新規作成
  • 編集する
  • 全ページ一覧
  • 登録/ログイン
ページ一覧
harukaze_lab @ ウィキ
ページ検索 メニュー
  • 新規作成
  • 編集する
  • 登録/ログイン
  • 管理メニュー
管理メニュー
  • 新規作成
    • 新規ページ作成
    • 新規ページ作成(その他)
      • このページをコピーして新規ページ作成
      • このウィキ内の別ページをコピーして新規ページ作成
      • このページの子ページを作成
    • 新規ウィキ作成
  • 編集
    • ページ編集
    • ページ編集(簡易版)
    • ページ名変更
    • メニュー非表示でページ編集
    • ページの閲覧/編集権限変更
    • ページの編集モード変更
    • このページにファイルをアップロード
    • メニューを編集
    • 右メニューを編集
  • バージョン管理
    • 最新版変更点(差分)
    • 編集履歴(バックアップ)
    • アップロードファイル履歴
    • ページ操作履歴
  • ページ一覧
    • このウィキの全ページ一覧
    • このウィキのタグ一覧
    • このウィキのタグ一覧(更新順)
    • このページの全コメント一覧
    • このウィキの全コメント一覧
    • おまかせページ移動
  • RSS
    • このwikiの更新情報RSS
    • このwikiの新着ページRSS
  • ヘルプ
    • ご利用ガイド
    • Wiki初心者向けガイド(基本操作)
    • このウィキの管理者に連絡
    • 運営会社に連絡する(不具合、障害など)
  • atwiki
  • harukaze_lab @ ウィキ
  • よじょう

harukaze_lab @ ウィキ

よじょう

最終更新:2019年10月29日 05:57

harukaze_lab

- view
管理者のみ編集可
よじょう
山本周五郎

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)隈本城《くまもとじょう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#6字下げ]
-------------------------------------------------------

[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]

 肥後のくに隈本城《くまもとじょう》の、大御殿の廊下で、宮本武蔵という剣術の達人が、なにがしとかいう庖丁《ほうちょう》人を、斬った。さしたることではない。庖丁人は宮本武蔵の腕前をためそうとした。名人上手といえども暗夜の飛礫《つぶて》は避けがたし、そんなことはない。論より証拠ということで、ちょうど宵のことだったが、暗い長廊下を宮本武蔵がさがって来ると、その庖丁人が待伏せていて、襲いかかった。すると宮本武蔵のほうでは、声もあげずに、ただ一刀でこれを斬り倒した。さしたる仔細《しさい》はない、それだけのことであった。

[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]

 同じ日の、その出来ごとより二時間ばかりまえだったが、城下の京町にある、伊吹屋という旅館の女中部屋で、女中おきた[#「きた」に傍点]と、訪ねて来た岩太という若者が、話をしていた。
 料理場のほうから、魚菜を焼いたり煮たりする美味《うま》そうな匂いがながれて来る。また、膳《ぜん》や皿小鉢の音、忙しげな人の足音や呼び声などが、いかにも旅館のじぶん[#「じぶん」に傍点]どきらしく、賑《にぎ》やかに聞えて来た。この部屋へもときどき女中たちが出入りした、なにかを取っていったり置いていったりするのだが、こちらの二人には決して眼を向けない。おきた[#「きた」に傍点]はにらみが利くのである、おきた[#「きた」に傍点]にはいい客が付いていたし、また伊吹屋の女中がしらであった。
 年は岩太より三つ上の二十六歳、眼鼻だちのきりっとした、かなりいい縹緻《きりょう》である。ばかに黒子《ほくろ》が多いし、たっぷりした顎《あご》と鼻の頭が、ちょっとしゃくれているが、却《かえ》って顔つきに愛嬌《あいきょう》を添えていた。
「そんなことまっぴらよ」
 おきた[#「きた」に傍点]が云った。すんなりした白い手を反らせて、結い終った髪のあちらこちらを直す、前髪と鬢《びん》のところが気にいらないらしい、鏡架から鏡を取って、いろいろな角度から写してみる。岩太は濡縁《ぬれえん》に掛けていた。横向きに、片方の膝《ひざ》を曲げて、その膝で貧乏ゆすりをしながら、哀願するようにおきた[#「きた」に傍点]を見た。
「薄情なことを云うなよ、頼んでるんじゃねえか、おらあ頼むと云ってるんだぜ」
「まっぴらですよ、そんなこと」
「呉《く》れってんじゃねえぜ、儲《もう》けたら返すんだ、今夜は儲かるって勘があるんだ、こんなにはっきり儲かるって、勘のはたらいたこたあねえんだ」
「まっぴらだって云ってるじゃないの」
 おきた[#「きた」に傍点]は鬢を撫《な》でる。
「……儲けたら返すって、儲けたらってのは儲けたことのある人が云うものよ、わる遊びを始めてからあんた一遍でも勝ったためしがあって、いつでもみんなのいい鴨《かも》じゃないの」
「知りもしねえでえらそうなことを云うない」
「いい鴨じゃないの、いつでも」念を押すように云った、「――角さんが云ってるわ、あんたはしん[#「しん」に傍点]から性に合わないって、勝負事が性に合わないからだめなんだって」
「角さんたあどの角さんだ」
「あんたは好きでもないって云ったわ、勝負をしながら頭はそっぽを向いてるし、夢中になるってこともないって、まるでお金を捨てにいくようなもんだって云ってるわ」
「角さんたあどの角さんだ」
 おきた[#「きた」に傍点]は答えない。岩太は悄気《しょげ》て、それからむっとして、立ちあがる。
「じゃあ、どうしてもだめなんだな」
「淀屋へでもゆくつもりなら、よしたほうがいいわよ」
 おきた[#「きた」に傍点]は鏡を覗《のぞ》きこむ。
「――橋本のお米さんも、花畑のひともよ」
 岩太は少なからずぎくりとした。
「なにが、どうしたって」
「あんたいつか笄《こうがい》を買って呉れたわね、それから釵《かんざし》を貸して呉れって持ってったわね、着物を買って呉れた代りに、帯を持ってったこともあるわね」
「そりゃあおめえ遊びの元手に」
「嘘おつきな」おきた[#「きた」に傍点]はふり向いた、「――買って呉れたという笄は淀屋のお半さんのものじゃないの、お半さんのどこから持って来た笄をあたしに呉れて、あたしんとこから持ってった釵をお半さんに遣《や》ったんじゃないの、着物だって帯だって、お半さんでなければ橋本のお米さんか花畑のひとか、四人順繰りにこっちの物をあっちへ遣り、あっちの物をこっちへ遣り、……あまりばかにしないでよ」
「そんなおめえ、こっちはおめえ」
「帰ってちょうだい、すっかり底が知れたんだから、もう来ないでちょうだいよ」
「勝手にしゃあがれ」
 脈は切れた。疑う余地はなかった、岩太は肩をすぼめて、木戸から外へ出た。
「――へ、ざまあねえや」
 表通りは人の往来が多かった。彼は路地を裏へぬけて、坪井川のほうへ、しょんぼりと歩いていった。めくら縞の布子に三尺帯、すり切れた藁草履《わらぞうり》をはいて、ふところ手をして、前跼《まえかが》みに歩いている恰好は、羽の抜けた寒鴉といったふうである。月代《さかやき》も髭《ひげ》も伸びているが、おもながで色が白く、眼や口もとに子供っぽい感じがあって、いかにも年増《としま》に好かれそうな顔だちにみえる。
「――ひでえことになりやがった」泣きそうな表情で呟《つぶや》いた、「――まったくの八方ふさがりだ」
 黄昏《たそがれ》のいやな時刻だった。夕やけの色もすっかりさびたし、本妙寺山も霊樹山《れいじゅざん》も暗くなっていた。靄《もや》のたつ畠《はたけ》で、まだ鍬《くわ》を振っている農夫がいるが、それは夕ざれた景色をいっそうもの哀しくみせるようだ。
「八方ふさがり、ぺしゃんこだ」
 彼は坪井川のふちへ来て立停った。川の水は光っていた、流れながら光っていた。もう三月のことで、水はぬるんでいる筈であった。しかし、ひどく冷たそうにみえた、流れの条《すじ》なりに光る鋼色《はがねいろ》の光りは、身にしみるほど冷たそうであった。……彼はそれを眺めていた。しょんぼりと立って、ながいこと眺めていた。足のほうから寒さがしみ上ってきて、しぜんと胴ぶるいが起こった。そこで彼は勇気をつけようと思った、彼は明るい燈火と熱い酒の香を想像した。温かな明るい燈火と、熱くて咽《む》せるような濃い酒の香。咽喉《のど》を下がってゆく時の、やけるような舌ざわりを……効果はてきめん[#「てきめん」に傍点]であった。腹の中でくうくうという音がした、彼はにやりと笑った。
「へ、なにょう云やあがる」
 せせら笑って、彼は歩きだした。
「こっちの物をあっちへ、あっちの物をこっちへか、四人順繰りにときやがった……どうして知れやがったか」
 彼は赤くなった。
「――もう来て呉れるなってやがる、あの黒子づらめ、誰がいってやるもんか、こっちあ岩さんのあにい[#「あにい」に傍点]だ、舐《な》めるなってんだ」
 しかし八方ふさがりだということに変りはなかった。岩太はやくざ[#「やくざ」に傍点]のつもりだった。世間でもそう見ていた。借金だらけ、不義理だらけ、それがどうしたと思うのだが、ふしぎなことには、やくざ[#「やくざ」に傍点]なかまでも借金や不義理は通用しないのであった。彼は好きでやくざ[#「やくざ」に傍点]になったのではなかった。今でも好きではなかった。ほかにどうしようもなく半分はやけくそでぐれ[#「ぐれ」に傍点]たのだが、一年と経たないうちにゆき詰り、借金や不義理が通用しないとなると、やくざ[#「やくざ」に傍点]もばかげたつまらないようなものであった。
「いっそ乞食《こじき》にでもなってくれようか」
 岩太は、こう呟いた。そのとき白川のふちへ出たので、彼は千段畑のほうへ曲った。

[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]

 うす汚ないうどん屋の隅で、岩太は酔っていた。もう九時ごろであった。そこは千段畑の町はずれで、馬子や駕籠《かご》かきや、行商人などが、ひとくち飲んで弁当を使うくらいの、ごくざっとした店であった。だが夜になると奥の部屋が博奕《ばくち》場になり、そういうなかまが毎晩のように集まった。
 今も奥では勝負が始まっていた。勝負している物音や笑い声が聞えて来る。この店は角さんの息がかかっているので、博奕場としては安全であった。角さんは長岡佐渡さまの槍持ちだったし、佐渡さまは藩の老臣であった。
 奥は賑やかであるが、店はうす暗くひっそりしていた。岩太のうしろの柱に、煤《すす》けた掛行燈が一つ、ぼんやりと、うしろから岩太を照らしくいた。
「女の三人や五人なんでえ」彼は呻《うめ》く、「――女なんて、へ、掃いて捨てるくれえあらあ、知らねえな、やろう」
 彼はすっかり酔っていた。飯台へ頬杖《ほおづえ》をついて、片方の手で酒を注いだり、飲んだりするが、注ぐにも飲むにも、酒をだらしなくこぼした。顔は蒼《あお》くなり、眼がくぼんで、口の端から涎《よだれ》が垂れていた。
「おう、角さんのあにきを呼んで呉れ」
 岩太はとつぜん喚いた。誰も答えなかったが、閉めた雨戸のくぐり[#「くぐり」に傍点]をあけて、六尺棒を持った男が入って来た。見廻りの下役人である。店に続いた釜場《かまば》から、この家の女房がとびだして来た。
「これは旦那、御苦労さまでございます」
「なにも変りはないな」
 下役人は奥のほうを見た。
「はい、もう、このとおり閉めたところでございます、どうぞちょっとお街け下さいまし、お茶をひとくち」
「そうしてもおられぬが」
 下役人は上り框《がまち》へ腰を掛けた。女房は釜場へ戻った。下役人は六尺棒を脇へ置きながら、そこに岩太のいるのをみつけ、渋い顔をしてそっぽを向いたがすぐ吃驚《びっくり》したようにふり返った。
「おまえ鈴木殿の岩太じゃないか」
 岩太は眼をあげた。
「こんな処でなにをしている」
 下役人はせきこんで云った。
「――家ではおまえを捜しているじゃないか、こんな処でのんだくれているばあいじゃない、すぐ家へ帰れ」
「なにょう云やがる、おめえは誰だ」
「すぐ帰れ」
 下役人は云った。
「――作間武平に聞いたと云うんだ、見廻りの作間武平だ、こんな処でのんだくれていて、家はたいへんな騒ぎだというのに、世間の鼻つまみじゃないか、さあ早く帰れ」
 女房が大きな湯呑を盆にのせて来て、あいそをいいながら差出した。下役人は湯呑だけ取って、ひとくち飲んで、咽せた。
「頼むから角さんのあにきを呼んで呉れ」
 岩太がまた喚いた。作間武平はちょっと考えて、ひとくち飲んで、首を捻《ひね》った。
「そうだ、しょぴいてゆこうじゃないか」
 武平は湯呑のものをすっかりあおった。すると待っていたように女房がもう一つ湯呑を持って来た。春だけれどもこの寒さはどうだとか、さりげなく云って、盆のままそこへ置いていった。武平は横眼で見て、湯呑のほかに小皿ひとつないので、渋い顔をした。
「よしそうしてやろう」
 武平は呟いた。
「――ひとつしょぴいていってやろう、まんざらむだ骨にもなるまいじゃないか」
 部屋のほうで人の声がした。障子をあけて、三十四五になる男が店へ出て来た。
「おう作間さんかい」
 下役人はふり返って、ばつの悪いようなあいそ笑いをし、なにか云いそうにしたが、男はもう岩太のほうへ近よっていた。
「どうした岩さん、やってるのか」
「おう、あにき」
 岩太は手を伸ばした。
「――来て呉れたか、角さんのあにき、おらあおめえを待ってたんだぜ」
「いま来たところだ」
「おめえを待ってたんだ、おらあもう、済まねえがちょいとつきあって呉んねえ、あにき、おらあもう死んじまいたくなってるんだ」
「まあ待ちぬえ、おめえ家へ帰らなくちゃあいけねえんだ。しかしこいつは、ひどく酔ってやがるな」
 角さんは独り言を呟き、それから「おかね[#「かね」に傍点]さん」と釜場のほうへどなった。
「おれの草履が裏にあるからまわして呉れ」
 こうどなると、作間武平が脇から云った。
「私もいま云っていたんだが、この男に家へ帰れと云っていたんだが、それは見廻り組へ鈴木殿から人がみえてみつかったら知らせて呉れということだったので」
「こう酔ってちゃあしようがねえ」
 角さんは独り言を云った。骨の太そうな逞《たくま》しい躯《からだ》つきである。肩も腰もがっちりしていた。色の黒い、顎の張ったいかつい顔だが、額にかなり大きなかたな[#「かたな」に傍点]傷の痕《あと》があるので、いかついうえ凄《すご》みかあった。槍持ちは下郎にすぎないが、この向う傷のために、彼は主人の長岡佐渡に愛されていたし、またなかまのあいだにも人望があった。角さんは弱い人間にはやさしかった。作間武平のような下役人は嫌いだったが、岩太のような者には特にやさしかった。こんな若僧のなっていない彼をさん[#「さん」に傍点]付けで呼ぶのは、今では角さんだけであった。
「さあ立つんだ岩さん」
 女房の持って来た草履をはいて、角さんは岩太の側へいって肩を叩いた。岩太はぐずって、飯台へかじりついた。角さんは岩太の耳へ口を当てて、なにか囁《ささや》いた。岩太は唸《うな》って、首をぐらぐらさせた。角さんはもういちど囁いた。するとこんどは、岩太はだらんと唇を垂れ、眼をしかめて角さんを見あげた。
「さあ送ってやる、しっかりしねえ」
 角さんは腕を出した。岩太は立った。外へ出るとあたりはまっ暗であった。陽気が変って、雨にでもなるのだろう、なまぬるい南風が吹いていた。角さんは片手に提灯《ちょうちん》を持ち、片手で岩太を支えながら歩いた。
「おらあ屋敷の伊能てえ人に聞いたんだ」角さんが云った、「――伊能てえ人はお城で現場を見たというから間違えはねえだろう」
「おれにゃほんとたあ思えねえが」
 岩太は首を振った。
「――いったいどうしてそんなことになったろう」
「それがさ。詳しいこたあ知らねえが、千葉ノ城の人をおめえのおやじさんがためそうとしたらしい、千葉ノ城の人の腕前をためそうとして、長廊下に待伏せていて、暗がりからとびだしたんだそうだ」
「冗談じゃねえ、そんなばかなことを」
「相手はおめえ名人だ、ものも云わずに、……わかってらあな、おやじさんは待とはいいじょう台所の人だ、もともと庖丁で扶持《ふち》を貰ってる人なんだから、まるで金剛力士が赤ん坊を踏み潰《つぶ》すようなものさ」
「ほんとたあ思えねえ、そんなばかなことがあろうたあとても考えられねえ」
「よしゃあよかったんだ、千葉ノ城の人にはちょっかいを出しちゃいけねえんだ」
 角さんは云った。
「――あの人が小倉からこっちへ来た当座のことだ、屋敷の旦那(長岡佐渡)の話なんだが、或るときお城の広間で酒宴があった、殿さまの御前だったかどうか、そのうちに重役の一人が巌流島の話をもちだした、例の佐々木小次郎との決闘だろう、……自分が聞いたところによると、その重役が云った、あのとき小次郎の太刀が、貴方の頭を僅かに斬ったそうだが、事実であるかどうか、……ほんの座興で訊《き》いたんだろうが、千葉ノ城の人は凄い形相になった、凄い形相になって、側にあった燭台《しょくだい》を持って、その重役の前へいった、そうして、自分は幼少のころ頭に腫物《はれもの》ができて、このとおり今でも総髪にしている、だから頭に腫物の痕はあるが、かたな[#「かたな」に傍点]傷というものは兎《う》の毛ほどの痕もない筈だ、よくしらべて貰いたいと云ってあの総髪を自分の手で掻き分けて、重役の前へつき出した、その形相の凄いのなんの、……重役は蒼《あお》くなって、よくわかった、自分の聞いた話は間違いであろう、と云ったが、あの人は承知しない、燭台を取って面をつきだして、よく見もせずにわかる筈がない、さあ篤《とく》と見て呉れ、よくよくしらべて呉れ、こう云って詰寄った、そのようすのもの凄さは人間とは思えないくらいで、みんなぞっと震えあがったそうだ」
「ほんとたあ思えねえ」
 岩太はまた首を振った。
「――だがほんとかもしれねえ、おやじとくるとすぐむき[#「むき」に傍点]になりやがるからな、つまらねえことにすぐかっ[#「かっ」に傍点]となりやがるから」
「千葉ノ城の人はそういう人なんだ、あの人にちょっかいを出しちゃいけねえんだ、おめえのおやじさんはよしゃよかったんだ」
 角さんはふと空を見た。額へ雨が当ったのである、額のかたな[#「かたな」に傍点]傷のところへ、ぽつっと雨の粒が当ったのだ、雨が降りだしたのであった。

[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]

 部屋の上座に遺骸が寝かせてあった。
 香の煙がもうもうとして、燭台の火がぼうとかすんでいた。部屋の中はすっかり片づけられて、遺骸の頭の処にある経机のほかには道具らしい物はなにもなかった。経机の上にはひと枝の樒《しきみ》と、煙をあげている番炉が載っていた。香炉は大きすぎるようだし、焚《た》く香も多すぎた。部屋の中は息詰るほどけぶっていた。それは遺骸の血の匂いを消すためのようであった。
 岩太は父の遺骸を見まもっていた。それは新しい蓆《むしろ》の上に寝かせ、紋付の着物が掛けてあった。枕がないので頭が反り、尖《とが》った顎がつき出てみえた。顔は眠っているようで、苦悶《くもん》の色などは少しもなかった。鼻のわきや額に紫斑ができ、唇の間から歯が覗いていた。皮膚は乾いていやな色をしているが、苦しんだような傷はどこにもなかった。……岩太の右に兄の数馬がいた。紋付の小袖に袴《はかま》をはいて、その袴をきちんとさばいて、坐っていた。
 数馬は二十五歳だった。顔だちは父に似て、色が浅黒く顎が尖っていた。眉が寄って、そこに深い皺《しわ》があった。父親と同じように、癇《かん》の強い直情な気性が、その眉間《みけん》の皺とするどい眼つきによく表われていた。
「ひどいことをしやあがる」岩太が云った、「――なにも斬ることはないだろう、向うは仮にも名人とか上手とかいわれてる人だ、こっちはたかが庖丁人じゃないか」
「剣の道はきびしいものだ」
「あの人は仮にも名人とかなんとかいわれてるんだ、弓や鉄砲で囲んだわけじゃあなし、たかが一人の庖丁人が腕だめしをしようとしただけで、躯を躱《かわ》して済むことだし、投げとばしていったっていい筈だ、いきなり斬り殺すという法はないだろう」
「宮本殿の気持がおまえなどにわかるか」数馬が冷たく云った、「――剣の道はきびしく、おごそかなものだ、父上はその尊厳を犯した」
「あの人の気持がおれにわからねえって」
「宮本殿は剣聖といわれる方だ」
「おれにあの人の気持がわからねえって」
 岩太が云った。
「――冗談いうない、名人だか剣聖だか知らねえがおれに云わせりゃあただの見栄っぱりだ、かんかちの見栄っぱりで、見栄で固まったきちげえ[#「きちげえ」に傍点]だ」
 岩太は角さんから聞いた話をした。頭にかたな傷があるかないか、しらべてみろといった話である。うわのそらで聞いたから多少は違うかもしれないが、凄い形相で詰寄ったという印象は、鮮明に残っていた。
「この話もそうだ、それは間違いだと云って済むところを、見栄っぱりだから、それじゃ済まねえ、燭台を持って頭をつきつけてしらべろという、そうしなくちゃあ見栄が承知しねえんだ、おやじを斬ったのもその為よ、尊厳もくそもありゃしねえ、おやじなんぞにとびかかられてかっとなったんだ、かっとなって、名人とかなんとかいわれる見栄が承知しねえから斬ったんだ、あいつは刃物を持った見栄っぱりのきちげえ[#「きちげえ」に傍点]だ」
「下司の知恵は下司なものだ」数馬は冷笑した、「――父上は粗忽《そこつ》なことをなすったが、さすがに剣の精神は知っておられた、きさまなどにはわかるまい、父上は斬られたとき、駆けつけた人に向って、自分はこれで満足だと云われたそうだ」
「これで満足だって、おやじが」
「父上は同僚の人たちと、宮本殿の技倆《ぎりょう》について論をされた、いかに宮本殿でも不意打ちは避けられまい、避けられるという者が多かった、それで父上がためすために出られた、そうして宮本殿の真の技倆がわかったのだ、それがわかれば、たとえ身は斬られても父上には御満足だったにちがいない」
「ほんとにそう云ったのかい、満足だって」
 岩太は父の遺骸に向って、鼻に詰るような声でそう云った。
「ほんとうに満足だったのかい、おやじ、……可哀そうな人だなおめえは、たかが剣術の上手下手のことでそんなふうに斬られて口惜しくもねえ、満足だと云って死ぬなんて、おめえそんな可哀そうなお人好しだったのか」
「もう立て」数馬が云った、「――きさまの下司な口は父上を汚す、お別れを申上げて帰れ」
「まだ誰にも逢ってねえぜ」
「きさまを呼んだのは御遺骸の前で勘当を申し渡すためだ、勘当を申し渡したからにはもう用はない」
「おっ母さんにも逢えねえのか」
「母上はもちろん小藤にも逢わせぬ」
「おっ母さんが逢わねえというのか、おめえが逢わせねえのか」
「理由はきさま自身に訊け」
 数馬はするどい眼で睨《にら》んだ。
「――鈴木の家には、乞食にも劣る人間の親やきょうだいはおらん」
「乞食、……乞食にも劣るって」
 岩太はけしきばんだ。拳を握ったが、よしと云って、頷《うなず》いて笑った。
「そこまで云われりゃさっぱりする、ちょうど乞食にでもなろうかと思ってたところだ、ほんとだぜ、暮れ方に坪井川のふちを歩いていて、ほんとに乞食にでもなろうかと思ったんだ、ひとつさっぱりと乞食になるか」
「むだ口は外でたたくがいい、帰れ」
「そうだ、ひとつさっぱりと乞食になってやろう」
 岩太は立って、もういちど父の遺骸を見た。そして遺骸に向って、云った。
「おやじ、気の毒だがこんどはおめえも、おれの邪魔をするわけにゃいかねえぜ、ここにいる兄貴もよ、縁が切れれば他人だからな、へ、あばよ」

[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]

「おらあ料理人になりたかったんだ」
「おれんとこへ来るがいい」と角さんが云った、「――おめえ一人くれえどうにでもなるぜ」
「おらあ板前で働くのが好きなんだ」
 岩太は割り竹を取る、長さ七尺ばかりの青竹を、八つ割りくらいにしたもので、その一端を地面に突き立て、山形に曲げて、他の一端を地面に突き立て、順々に、五寸ほどの間隔をおいて立ててゆく。
「おやじはおれを侍にしたかった」岩太は割り竹を立てながら云う、「――おやじは庖丁人だ、おらあおやじに似たんだ、魚や鳥を裂いたり、切ったりそいつをうまく焼いたり煮たりするのが好きだ、庖丁を使ったり、煮物の味をみたりすることができれば、ほかになんの欲もねえし、誰にも負けねえ仕事をしてみせる……、ところがおやじは云うんだ、ひとの食う物を拵《こし》れえるなんて下司な仕事だ、そんな仕事は自分一代でたくさんだ、どうでも侍になれってよ」
「おめえそんな話はしなかったぜ」
「どうでも侍になれって云うんだ」岩太は云った、「――ごたごたしたあげく、おらあ家をとびだして、淀屋の勝手へ住みこんだ、淀屋へはがき[#「がき」に傍点]のじぶんからよくいって、料理場で好きなことをしたもんだ、あの家はおやじの顔が利くから、坊ちゃんなどと云って好きなことをさせて呉れた、ずいぶんいろんなことを覚えたし、おやじの二条流の庖丁も、見たり聞いたりして少しは真似ができる、淀屋でもまんざらじゃなかった、辛抱する気があるなら面倒をみようと云って呉れた」
「家のほうはないしょでか」
「家にはないしょでよ」岩太はまた割り竹を取った、「――けれども半年そこそこでばれちまった、おやじが怒って、淀屋の亭主をさんざんにどなりつけた、知れたこと、おらあ淀屋をとびだして、花畑の島田屋へ住みこんだ、そこで一年もいたろうか、やっぱりおやじがやって来た、細川さまの庖丁人に睨まれちゃ歯が立たねえ、それで花畑もおじゃんさ」
 竹の輪形が出来た。高さ四尺、幅三尺、長さ六尺ばかりの、蒲鉾《かまぼこ》なりの骨組である。岩太はまわりをしらべてみる、地面にしっかり突立っているかどうか。高さに不揃《ふぞろ》いがないかどうか、それから蓆《むしろ》を取って、その骨組の上へ掛け、それを端のほうから、繩で割り竹へ縫いつけてゆく、蓆へ指で穴をあけ、繩を通して竹へ絡む。これを繰り返しながら、岩太は云った。
「花畑の次は橋本、それから京町の伊吹屋、もう諦《あきら》めるだろうと思ったが諦めねえ、やっぱりおやじがどなり込んで来るんだ、伊吹屋がだめになったときは、おれのほうで降参した、勝手にしやあがれ」
「おめえはそんな話はしなかった」角さんが云った、「――おらあおめえがしくじるのは女のためだと思ってた、花畑でも淀屋でも、伊吹屋のおきた[#「きた」に傍点]もそうだろう、おらあそれでしくじるんだとばかり思ってたぜ」
「今じゃあその女たちのほうもしくじっちまった、庖丁を持たねえおれは人間の屑《くず》だ、なんの能もありゃしねえやくざ[#「やくざ」に傍点]にもなれやしねえ、そうだろうあにき」と岩太は云った、「――おきた[#「きた」に傍点]から聞いたが、あにきが云ったんだと思うが、おらあしん[#「しん」に傍点]から勝負ごとに性が合わねえって、そのとおりなんだ、勝負ごともそうだしほかのどんなことにも夢中になれねえ、板前で庖丁を使うほかにはなにをする精も出ねえんだ」
「そんならこんどはいいだろう、もうどなり込む人もねえんだから」
「それがだめなんだ、当ってみたが亡くなった旦那に済まねえというんだ、よしゃあがれ、血肉を分けた兄貴まで、乞食に劣ると云やあがった、女たちにゃあけじめをくわされるし、どこへいっても鼻つまみだ、わかるだろう、角さんのあにい、おれだってこのくれえのやけ[#「やけ」に傍点]は起こしたくなるぜ」
「おれんとこへ来るがいい」角さんはまた云った、「――岩さんの一人ぐれえなんとでもならあ」
「折角だが好きにさして呉れ、おらあ世間にも人間にもあいそをつかしたんだ」
 岩太はさらに蓆を掛ける。
「――おやじのばか野郎、斬られて死んで満足だってやがる、剣の道がおごそかで、斬ったやつは名人の剣聖だ、誰もふしぎにゃあ思わねえ、侍はえらくって料理人は下司だとよ、なにもかも気にいらねえ、なにもかにもあいそがつきたんだ、おらあ乞食になって、この蒲鉾小屋の中から世間のやつらを笑ってやるんだ」
「そんなことを云っておめえ、続きゃしねえぜ」
「おらあ笑ってやるんだ」蓆に繩を通しながら岩太は云った、「――こんどはおれの笑う番だ」
 角さんは頭を振った。すると、額の向う傷が鈍く光ってみえた。蒲鉾小屋はしだいに、それらしい形になっていった。

[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]

 城下町を東に出はずれると、水前寺のほうへと白川を渡る橋があった。水前寺には成趣園《せいしゅえん》という藩侯の別邸があり、そこへゆく途中には、重臣たちの控え家も少なくない。しぜんその道はいつも往来が多かった。
 橋を渡って十間ばかりいった右側の、道から三尺ばかり低い草地に、新しく蒲鉾小屋が出来、乞食が住んでいるのを、見廻り組の下役人がみつけた。水前寺道は藩侯も通るし、重臣たちの往来も多い、その道は清潔にしておかなければならなかった。乞食などはもってのほかであった。見廻り組の下役人は怒った。うっかりすると役目の落度になる。下役人は道をとび下りて、蒲鉾小屋の前へいって六尺棒で地面を叩いた。
「これ、出てまいれ」下役人は喚いた、「――かような場所へかような物を作って、不埒《ふらち》なやつだ、出てまいれ不埒者」
 中から岩太が出て来た。不精髭も伸び月代も伸び、櫛を入れない髪は蓬々《ぼうぼう》であった。顔や手足はもう垢《あか》づいていたし、布子も汚れて膏《あぶら》じみて、よれよれになっていた。
「おまえはどこから来た乞食だ」
「私はこの土地の者です」
 岩太はふてたように答えた。
「父は死にましたが、庖丁人の鈴木長太夫、私はその二男で岩太という者です」
「鈴木長太夫……鈴木殿の二男」
 下役人は眼をみはった、仰天したような眼で、やや暫《しばら》く岩太の顔を見まもった。ついで下唇が垂れて、茶色に汚れた歯がみえた。
「見覚えがある、鈴木殿の御二男だ」
 下役人は云った、自分で自分に云ったのであった。急に神妙な顔になり、そして頷いた。
「いかさま、そうであったか」
 下役人の眼に感動の色がうかんだ。
「――あの方は国分に控え家を持っておられる、なるほど、なるほど」
 岩太はふてた顔つきで、黙っていた。
「いや御無礼をつかまつった」と下役人は目礼をした、「――さようなわけなら構いません、私としても上役に申しひらきができます、そういうことなら堂々たるものです、ひとつどうか、私はこれで引取ります、まことに御無礼」
 下役人はおじぎをして、六尺棒を慎しく持って、去っていった。
「なんでえ」岩太は睡を吐いた、「――妙な野郎じゃあねえか、どうしたってんだ、いったいどうしろってんだ」
 見ていると、下役人は橋のところで振返って、こちらに向っておじぎをした。岩太もつられておじぎをし、気がついて、癪《しゃく》に障ってまた唾をはいた。
 ――どうなるだろう。
 下役人の喚くのを聞いて、岩太は初めて、此処《ここ》が水前寺道だということに気づいた。これは追っ払われるだろうと思った。追っ払われても文句の云えない場所であった。だが下役人はおかしなことも云った。そういうわけなら構わないとか、堂々たるものだとか、そしてあやまって、おじぎまでしてみせた。
「どういうつもりなんだ」
 岩太は頭を掻《か》いた。それから欠伸《あくび》をして、小屋の中へもぐり込んだ。
「――へ、わけがわからねえ」
 わけのわからないことが、続いて起こった。明くる日の朝、八時ごろだったが、淀屋という旅館の隠居が、下男に重詰を持たせてやって来た。隠居はもう七十幾つかで腰も曲っているし耳も遠かった。むかし肥えていたために、顎や頬の皮がたるみ、顎のところでぶらぶらした。足もとも不安定であった。杖を突きながら拾うように歩いた。
「やっぱりそうでしたかい」
 隠居は岩太を見て云った、しゃがれ声で、かなり舌がもつれた。
「――やっぱり本当でしたかい、人の口はあてにならねえとは思ったがね、そうでねえお侍の子だとも思ってね、いざとなれば血は争えねえと思って、……伝助、それをこっちへよこせ」
 隠居は下男にどなった。岩太は黙って見ていた、隠居には人の云うことは聞えなかった、もうずっとまえから人と話すばあいに独りで饒舌《しゃべ》った。岩太とは古い馴染で彼が小さいじぶん、淀屋の勝手へ遊びにいった当時からお互いに気の合う仲であった。岩太の父が淀屋へどなり込むまでは、親しいつきあいが続いていた。
「それを坊ちゃんにあげろ」
 隠居は下男に云った、そしてしょぼしょぼした眼で、舐《な》めるように岩太を見た。
「――そうですかい、やっぱりなあ、鈴木さまの旦那の子だ、やっぱり血は争えねえ、お侍てえものはそこへゆくときりっとしたもんだ、おまえさんには小さいときから人と違ったところがあった、なにをまごまごしているんだ、伝助、それを坊ちゃんにあげねえか」
 岩太は重詰を受取った。すると隠居はふところから紙に包んだ物を出して、片方では饒舌り続けながら、岩太の手に渡し、なお饒舌り続けながら、杖を突き突き、のろくさと去っていった。道へあがって橋の近くへいっても、そうですかい本当ですかい、と云うのが聞えて来た。
「さあわからねえ、どういう理屈だろう」
 紙包の中には小粒で一両あった。お重には焼きむすび[#「むすび」に傍点]と煮しめが、ぎっしり詰っていた。
「血筋は争えねえ、いざとなればきりっとしたもんだ」
 岩太は首を捻った。
「きりっと、思い切って乞食になったってわけか、本当ですかいと云やあがったからな、……しかし、そんな理屈があるだろうか」
 一両という金は当時たいまいであった。さっそく重詰の物を喰《た》べながら、岩太はその金の遣いみちを考えた。楽しく考えまわしているところへ、また人が来た。出てみると、昨日の下役人で、うしろに年配の侍がいた。躯の小さな痩《や》せた男で、髭を立てた顔は骨張って陰気そうにみえた。身装《みなり》の立派なのと、どこかに威厳のあるところから察すると、たぶん見廻り組のえらい人だろう、いよいよ追っ払われるのか、岩太はこう思った。
「昨日は御無礼」と下役人が云った、「――見廻り組の御支配、木下主膳殿です」
 主膳が前へ出て来た。陰気な顔で、ちょっと口礼し、低い声で云った。
「鈴木長太夫殿の御二男ですな」
 岩太は黙って頷いた。すると主膳も頷いて、口髭を片方へ歪《ゆが》めた。なにか云おうとして、云い渋って、それから咳《せき》をした。
「よろしい」と主膳は云った、「――私が責任を負いましょう、もしも、そんなことはあるまいと思うが、もしも誰かやかましいことを云うようだったら、見廻り組の支配が承知であると云って下さい、……うん、そう云って下さい、責任は私が負います」
 そこで声をひそめた。
「――どうか心おきなく、存分にひとつ、どうか」
 そして、これは自分の寸志であると云って、小さな紙包を渡し、陰気な顔つきで、下役人を伴《つ》れて去っていった。紙包の中には一分あった、岩太は空を見あげた。
「追っ払われやしねえんだ」茫然と彼は呟いた、「――あの人が責任を引受けるんだ、誰がなんと云おうと、……おまけに一分、おらあ化かされてるんじゃねえかしら」
 岩太は考えこんだ。借金と不義理だらけで、八方ふさがりで、角さんのほかには誰も相手にして呉れる者がなくなっていた。彼は世間の鼻つまみだった。兄の数馬には乞食にも劣ると罵《ののし》られた。つい昨日までそんなだった、つい昨日まで――。

[#6字下げ]七[#「七」は中見出し]

「それが急に変ってきやがった」
 岩太は眉をしかめた。どうして変ったか、まさか乞食になったからではあるまいが、現実にはそうとしか思えない。慥《たし》かに、と岩太は思った、乞食になるということも、簡単ではない、誰にでもおいそれとなれるものではなかった。乞食になるには、それだけの踏ん切りがなければならなかった。勇気がなければならなかった。乞食になるということは、きりっとした勇気のある証拠かもしれなかった。
「そうかもしれねえ、そうでねえかもしれねえ」岩太は頭を掻いた、「――それも腑《ふ》におちねえが、どうもしようがねえ、こっちにとっちゃあ結構なんだ、うっちゃっとけ」
 疑問は解けなかった。そこへ橋本という旅館の主人が来た。これも重詰と金を二分、それから敷いて寝るようにと云って、古いけれども毛氈《もうせん》を一枚呉れた。
「いやなにもお云いなさるな、よくわかっております」橋本の主人は云った、「――わかっておりますから、てまえもなにも申上げません、どうか御不自由な物があったら遠慮なくそう仰《おっ》しゃって下さい、てまえではなんですから誰かよこします、毎日よこしますから」
 そして声をひそめて云った。
「――どうかしっかりおやんなすって、どうかしっかり」
 岩太は呉れるものを黙って受取った。黙っているほうがいいようであった。橋本の主人は独りでのみこんで帰っていった。
 それから五日間、次から次と訪問客があった。知っている者もあり、知らない者もあった。知らない者のほうが多かったし、待のほうが多かった。みんな鄭重《ていちょう》に挨拶し、なにかかにか置いていった。金とか物とか、なにかしら置いていった。手ぶらの者は済まなそうな顔をし、岩太も損をしたような気持になった。
「こいつはいけねえ、小屋を拡張しなくちゃならねえ」岩太は身のまわりを眺めて云った、「こう貰い物が多くっちゃはみ出しちまう、これからは雑な物は断わるとしよう」
 五日目の夕方、貰った金を数えてみた。すると七両三分と二朱幾らかあった。そんな金を持ったのは、生れて初めてだった。いちどきに八両ちかい金を持とうなどとは、これまでは考えたこともなかった。
「乞食を三日するとやめられねえと云うのはこのことだな」岩太は溜息をついた、「――なるほど昔の人の云うことに嘘はねえ、こいつはまったくやめられねえや」
 そのとき小屋の外で声がした。
「岩さん」女の声であった、「――いらっしゃって、岩さん」
 岩太は金を隠してゆっくりと外へ出た。伊吹屋のおきた[#「きた」に傍点]が立っていた。風呂敷包を抱えて、もじもじしながら。黒子の多い顔が赤くなっていた。岩太は黙っていた、黙っていることが習慣になって、それが身につき始めていた。おきた[#「きた」に傍点]は抱えている包の、結び目を指で捻りながら、うわ眼でそっと岩太を見た。
「こないだはごめんなさいね」おきた[#「きた」に傍点]は眼を伏せた、「――あたし嫉《や》いていたのよ、やきもちで、つい心にもないことを云っちまったのよ、堪忍してちょうだい、岩さん」
 岩太はなにも云わなかった。このばあいは特に、黙っているほうがいいようであった。おきた[#「きた」に傍点]は悄気《しょげ》て、泣きそうになったが、そこへ跼《しゃが》んで風呂敷包を解いた。髪の毛に白い花びらが付いていた、俯向《うつむ》いた頸筋《くひすじ》が思いのほか長く、しなやかそうに見えた。白粉《おしろい》をつけているのだろうが、黄昏《たそがれ》のさびた光りのなかで、その頸筋が鮮やかにすんなりと白かった。
「着替えの着物と肌の物を持って来たのよ」おきた[#「きた」に傍点]はあまい声で云った、「――汚れたのを脱いでちょうだい、持っていって洗濯するわ、帯はこんなのでいいかしら」
 それから足袋、草履、鼻紙、剃刀《かみそり》、爪を切るための鋏《はさみ》、そんなこまごました品を出してみせた。さすがに女であった、みんなすぐに要るものであった。
「さあ着替えてちょうだい」
 おきた[#「きた」に傍点]は持って来た着物を取って、岩太のうしろへまわった。岩太は黙って三尺をほどいた、おきた[#「きた」に傍点]はうしろから着せかけながら、衝動的に、とつぜん両手で抱きついた。
「あんた大丈夫だわね、岩さん」
 抱きついた手は震えた。声はおののき、岩太のぼんのくぼに触れる息は、熱かった。肌の匂いと香料がむっと岩太を包んだ。
「大丈夫だわね、立派にやれるわね」おきた[#「きた」に傍点]は云った、「――相手だって鬼でも魔でもありゃしない、人間ですもの、立派に仇が討てるわね、岩さん」
「なんだって」岩太は吃驚《びっくり》した、「――仇を討つたあ、なんのこった」
「ごめんなさい、悪かったわ」
「なんのごったそれは」
「堪忍してちょうだい」
 おきた[#「きた」に傍点]は岩太の背中へ頬を押付けた。
「――あたしあがっちゃってるの、ぼうっとしてるのよ、なにを云ったか自分でもわからないの、もう二度といわないし、ひとにも決して話しゃしないわ、ね、ごめんなさいね、そして早く着替えて下さいね」
 初めてわかってきた。すぐにではなかったが、おきた[#「きた」に傍点]が帰ったあと、小屋のうしろの、伸び始めた草の上に腰をおろして、暗くなる荒地の向うを眺めていると、すべてのことが一つところへ集まり、固まって、しだいにはっきりと「事実」がうきあがった。
 ――仇を討つ。
 そのことである。人々は岩太が仇討をするものと信じた。岩太は乞食になった。仇討をするために乞食になった、という話はよくある。話によると乞食になるほうが多い、仇討と乞食は付いたもののようだった。初めに見廻り組の下役人がそう思った。
 ――あの方は国分に控え家がある。
 下役人はそう云った。ここから水前寺へゆく途中に国分という処があり、そこに宮本武蔵の控え家がある。ふだんは市内の本邸に住んでいた。そこは千葉ノ城という処で、だから「千葉ノ城殿」などとも呼ばれるが、控え家のほうで暮すことも珍しくない。それが下役人の誤解をつよめた、彼は信じこんだ。さもなくて乞食などになるわけがなかった。
「これだこれだ、理由はこいつだ」
 岩太は可笑《おか》しくなった。五日以来の訪問客、その慇懃《いんぎん》な態度や口ぶり、贈り物や激励。かれらは信じていた、岩太が斬られた父の仇を討つ、宮本武蔵を討つものと信じている。討とうとしていることを信じているのだ。
「こいつあ大笑いだ」岩太は笑いだした、「――ばかなやつらだ、みんな底抜けだ」
 彼はげらげら笑った。笑えば笑うほど可笑しくなって、しまいには腹の皮が痛くなった。が、とつぜんその笑いが止った。彼はじっと前方をみつめた。笑いの筋運動はまだあとをひいているが、もう笑いにはならなかった。岩太はとびあがった。
「こいつは大変なこった、笑うどころじゃねえ、とんでもねえこった」岩太は身ぶるいをした、「――あの見栄っぱりのきちげえ[#「きちげえ」に傍点]がやって来たらどうする、あの凄え眼だまをぎらぎらさせて、勝負だなんて来たらどうする、とんでもねえ、まっぴらだ、こいつは逃げだしだ」
 岩太は震えながら小屋の中へとび込んだ。なにかを掻き集めながら、ぶつぶつ独り言を云うのが、聞えた。
「こんなこったろうと思った、なにしろあんまりうま過ぎた、うま過ぎて夢みてえだった、ええ畜生、あの見栄っぱりのきちげえめ、折角のところをがっかりさせやがる」
 岩太は小屋から出て来た。小さな包を持って、尻端折をしていた。彼はすっかり暗くなったあたりを眺めまわし、やがてすばやく、水前寺道を東へ向って去っていった。

[#6字下げ]八[#「八」は中見出し]

「あらましのことは聞いたよ」角さんが云った、「――おらあ旦那の供をして、小倉までいって来た、旦那がひきとめられて、半月も逗留《とうりゅう》しちまって、昨日おそく帰って来たんだ」
「なあに、まだ終っちゃいねえ、面白えのはこれからだよ」
「それでおめえ、逃げなかったんだな」
「逃げなかった」岩太が云った、「――逃げだしたけれども、途中から引返して来た、おらあ考えたんだ、角さんのあにきのめえだが、こんなうめえ夢みてえな暮しはありゃしねえ、こいつを捨ててゆくのはもってえねえ、どうかして逃げずに済むくふうはねえかってよ」
 蒲鉾小屋のうしろは、若草がすっかり伸びていた。岩太と角さんの腰をおろしている処は、殊に草がよく伸びていて、坐りよかった。
「おらあひょいと気がついた、あいつがおそろしい見栄っぱりだということによ」岩太が云った、「――あいつは来やあしねえ、あの見栄っぱりが自分から押しかけて来るわけはねえ、あいつは待ってる、おれのほうからかかってゆくのを待ってるにちげえねえ」
「慥かに、そりゃあそうだ」
「おまけにいいのは、あいつが名人といわれてることだ、稀代《きたい》の名人だそうだ」岩太はにっと笑った、「ということは、おいそれと討てる相手じゃあねえ、ってことにならあ、曽我兄弟の十八年はとにかく、一年や二年は世間でもせっつくめえ、一年や二年は応援して呉れるだろう、そう思わねえかあにき」
「そりゃあそうだ、慥かにそりゃあそうだろう」
「そうなんだ」岩太は首をすくめた、「――おれの考げえたとおりなんだ、第一に、あの爺さんが控え家へ移って来た」
「千葉ノ城の人がか」
「あの宮本武蔵、見栄っぱりの二天爺さんがよ、おれが逃げ出して戻ったあくる日だったが、たぶん噂《うわさ》を聞いたんだろう、控え家へ移って、それから毎日この道を通るんだ、朝は登城、夕方には帰宅、日に二度ずつこの道を通るんだ」
「それで、どうということもねえのか」
「どうということもねえさ、おらあ小屋の中から見ているんだ、するとおめえ」岩太はくすくす笑いだす、「――するとおめえ、爺さんがやって来らあ、朝はこっちから、夕方はあっちから、供は七八人いるんだが、小屋の前へかかると爺さんがずっと先になる、供の侍たちは二三十間も離れさせて、独りでずっと先に立って、やって来たと思うと、小屋の前のところでぴたっと停るんだ、こっちへは向かねえ、前のほうを睨んでじっと停ってるんだ、ものの十拍子ばかりも、そうやってしゃっちょこばっ[#「しゃっちょこばっ」に傍点]て立ってるんだ」
「かかるならかかれというわけか」
「かかるならかかれというわけさ、面白えのなんの、そうやってる恰好はまるで見栄の固まりよ、わざわざ控え家へ移ったのも、きっかけを呉れてやろうという見栄だろう、へっへ」岩太は手を擦った、「――間違えはねえ、思ったとおりだ、あいつは自分から手出しはしねえ、どんなことがあったって、そんなまねは決してしやあしねえ、大丈夫ときまった」
「もう一方のほうはどうだ」
「それもお誂《あつら》えむきさ、せいてはなりませんぞって云うんだ、みんな自分がうしろ楯だってな顔をして、宮本殿は天下の名人、決しておせきなさるな、せいては事を仕損じますそってわけよ、あにきのめえだが、どうやら思う壺にはまってゆくらしい」岩太は笑って、ふと膝《ひざ》を叩いた、「――おっと、いい物がある、淀屋から鯛が届いたんだ、酒もあるから一杯やって呉んねえ」
「だっておめえ、まだ日があるぜ」
 角さんは渋った。
「やってるうちに昏《く》れらあな、もうすぐ爺さんが通るしよ、あの恰好は見るだけの値打があるし、暗くなれば誰か酌をしにやって来るぜ」
「あんまりおどかすな」
「驚くほどの代物じゃあねえ」岩太は立って小屋の中へ入った、「――みんなあにきの知っている玉だ、おきた[#「きた」に傍点]にお半に、花畑のに、お米、いちどあいそつかしをした連中がこの頃はてんでもう奪い合いよ、へ、細川さまがお気の毒って云いてえくれえのもんだ」
 角さんは草の葉を摘んだ。いぬ[#「いぬ」に傍点]萱《かや》の葉であった。角さんはその葉を噛《か》みながら、眼をすぼめて空を見た。そして低く呟いた。
「まったく世間なんてものはへんなもんだ、なにがどうなるかわかったもんじゃねえ」それから大きな声で云った、「――まったくのところ、おめえの笑う番らしいな」

[#6字下げ]九[#「九」は中見出し]

 岩太は幸福であった。その幸福は慥かなものであった。あらゆる条件が彼の幸福を支えていた。
 彼は父の仇を討つ。相手は天下の名人。並ぶ者なき剣術の達者であった。彼は庖丁人の伜《せがれ》であり、勘当され、孤立無援だった。相手は藩主越中守の賓師《ひんし》であり、多勢の門下に囲まれていた。にも拘《かかわ》らず彼は仇討をするのである。世間は彼に同情し、尊敬した。世間は「そのとき」を期待し、「そのとき」のために彼の保護者になった。人々は最上の試合を観るためにいつも競技者を保護する。試合のときが来るまで競技者は必ず保護されるものだ、彼は保護される立場にあった。
 かの人が控え家に移ってから、岩太のにんき[#「にんき」に傍点]はぐっと昂《たか》まった。「そのとき」は近づいたのであった。覘《ねら》う者と覘われる者とは、毎日二度ずつ顔を合わせる。およそ二十尺の間隔をおいて、毎日二度ずつ、討つ者と討たれる者とが相会うのである。試合はすでに始まったのであった。しかも世間はいそがなかった。試合に対する期待が大きければ大きいほど、人々はその試合が長く続くことを望むものだ。
 ――せいてはいけませんぞ、せいては。
 ――ずんとおちついておやりなされ。
 世間はそう云った。逃げる相手ではないし、名だたる強剛である。世間がうしろ楯、決してあせることはない、と云うのであった。また、かれらはひそかに物資を運び、いつもすばやく去っていった。相手が藩侯の賓師であるため、公然と保護するわけにはいかなかった。かれらはひそかに来、物や金を置いて、いつもすばやく去っていった。決してなが居はしないし、うるさがらせもしなかった。
 朝夕二度の僅かな時間を除いて、岩太はまったく自由であった。なにをしてもよかった。小言を云う者もなし、看視者もなかった。金も物も余るほどあるし、なお殖えてゆくばかりだった。こてえられねえ、……だが彼は愚か者ではなかった。初めのうちはちょっといい気だなったが、角さんという助言者がいたし、角さんの助言を肯《き》くあたま[#「あたま」に傍点]もあった、彼は浪費しなかった、ひき緊めた。金はぜんぶ溜めたし、余る物資があれば売って、その金も溜めた。
 ――せえぜえ半年と思いねえ。
 角さんは云った。それ以上は続かない、危ないとみたら逃げだせ、そのとき役に立つのは金だけだ、というのであった。岩太はその助言にも従った。そうして今、秋の初めにかかって、その金は百両ちかいたか[#「たか」に傍点]になっていた。
「こてえられねえ」と岩太は手を擦る、「――もういつ逃げだしても大丈夫だ、これだけあればどこへでもゆける、北でも南でも、好きなところへ行って、そうだ、売りに出ている宿屋でもあったらそいつを買って、おれの板前の腕をみせてやる、へ、おれの庖丁の冴《さ》えたところをな、おいらあいつも板前にいて、客のほうはかみ[#「かみ」に傍点]さん任せだ、うん、……かみ[#「かみ」に傍点]さんとくると、やっぱりおきた[#「きた」に傍点]だろうな」
 女たちは辛抱づよく来る。花畑のは諦めたが、お半とおきた[#「きた」に傍点]とお米はやって来る。いちばん熱心に来るのはおきた[#「きた」に傍点]であった。ほかの誰かが来ていそうなときは、おきた[#「きた」に傍点]は夜なかにもやって来て、しんけんに嫉妬《しっと》したり泣いたりする。縹緻《きりょう》も三人のなかでは一番だし、客扱いにかけては伊吹屋の貫禄《かんろく》があった。
「まあおきた[#「きた」に傍点]だろうな」と岩太は呟く、「――あれなら客はのがさねえ、しょうばいのこつ[#「こつ」に傍点]ものみこんでるし、年も若すぎず老けすぎずだ、ひとつ、……おっ、おいでなすったぞ」
 岩太は小屋から出た。
 八月はもう秋であった。日はまだ長く、暑さもきびしいが、朝な夕な、殊に暮れがたは、空の色にも風にも秋のけはいが感じられる、今は暮れがたであった。岩太は小屋の脇に坐る、いつかそれが習慣になっていた。道に向って小屋の左側、そこに蓆が敷いてある。岩太はそこへ坐る、左手で刀を持ち、右手は膝に置く。岩太はかなり肥えてきた。色の白い頬がふっくりして、いつも剃刀《かみそり》を当てるために、人品もずっとあがった。以前の彼とは見違えるようであった。
 その人は城下町のほうから来る。もう橋を渡って、日蔭にはいっていた。道のこっちは低い草原であるが、向う側は高くなって、雑木林がまばらに並び、午後になると道の上は日蔭になる。その人は日蔭をこっちへ来る。
「相変らず肩の凝る歩きっぷりだな」岩太は可笑しそうに呟く、「――ねんじゅうあんなふうに歩くのかな、人が見ているからかな、あれで疲れねえのかな」
 その人はもうそこへ来た。一人であった、供は七人、十五六間もうしろにいた。その人はもう六十幾歳かであった。痩せているが筋肉質で、骨張った精悍《せいかん》な躰躯《たいく》である、色は黒く、眉と眼が迫って、眉毛が眼へかぶさるようにみえる。眼は切れ長でするどい、その眼は眉毛の下で猛鳥のように光る、いつも正しく正面を見ているが、しかも眼界のいかなるものをも見のがすことはない。唇を堅くむすんでいるため、額に深い皺がよっている、その皺はときどきくっ[#「くっ」に傍点]とひき緊る、それは内心の緊張を示すものであった。
 総髪の頭には白いものが見える、口髭は黒かった。艶《つや》はないが黒く、しかしまばらであった。水浅黄に染めた生麻の帷子《かたびら》の着ながしで、裾は長く、殆んど足の甲を隠すほどだった。歩きぶりはごく静かで、その長い裾が少しも翻らなかった、裾はつねに足の甲を撫《な》でていた。それほど静かに、その人は歩いて来た、もう小屋の直前であった。
 ――そらつっぱらかるぞ。
 岩太は心のなかで思った。
 その人は立停った。脇差だけ差している腰がきまり、柔らかく拳にした手が、躯の両側へふんわりと垂れた。眼は正しく前方を見ていた。全身が緊張した神経のかたまりであった、しかも全身は柔軟であった、飽くまでも柔軟で、そしてゆるみなく緊張していた。
 ――一つ、二つ、……七つ、九つ……。
 岩太は心のなかで数を読んだ。
 その人は微動もしない。岩太にはそれは楽しいみもの[#「みもの」に傍点]であった。その人は危険に備えている、生命の危険の前に立っている。その姿勢には、いかなる襲撃にも応ずる変化の含みがある。それは無双の達人のみごとな構えであった。こちらはなにもしないのである、しようとも思わない、とんでもないことであった。だがその人は危険に備えていた、神秘的な構えで生命の危険と対立していた。
 ――十二、十三、……十九。
 岩太は数を読みながら思った。
 ――角さんが見たらどう云うだろう。
 その人は歩きだした。その人はもう歩きだしてもいい、と思ったのである、静かな歩きぶりで、前方をみつめたまま、その人はゆっくりと歩きだした。その人はその人で、やはり幾らか満足そうであった。
「へ、みせ物になってるとも知らねえで」と岩太は呟いた、「――あの恰好を見て呉れ、いい気なもんだ」

[#6字下げ]十[#「十」は中見出し]

「鈴木うじ、鈴木うじに御意を得たい」
 岩太はとび起きた。とび起きて眼を擦った、夜があけて、小屋の中も明るくなっていた。
「唯今」と彼は答えた、「――唯今出ます」
 岩太は帯を締め直した。躯が震えた、すでに朝は寒い季節だった。が、震えるのは寒さのためばかりではなかった。こんな早朝にこの小屋へ来て、公然と呼び起こすような者は、これまでにかつてないことだった。なにか異常なことが起こった、逃げださなければならないようなことが起こったと思ったのであった。彼は髪を撫でつけ、衿《えり》を念入りに正して、小屋の中から出た。
 外には裃《かみしも》を着けた侍がいた。そのうしろに下僕が挾箱《はさみばこ》を置いて控えていた。侍は蒼《あお》ざめた血の気のない顔で、唇も白っぽく乾いていた。
「鈴木うじですな」と侍は云った、「――私は宮本家の者で太田蔵人と申す者です」
「いかにも、私が鈴木岩太です」
「御承知でもあろう、主人は病臥《びょうが》ちゅうでございましたが、昨夜半ついに死去いたしました」
 岩太は口をあいた。このところ暫く、その人の通るのを見なかった、病気かもしれないとは思ったが、まさか死ぬほどの病気とは想像もしなかった。
「ついては、主人からそこもとへ、贈り物があるのです」
 侍はふり返って、挾箱をあけ、中から一枚の帷子を取出した。水浅黄に染めた生麻の帷子であった。それはいつもあの人が着ていた、あの裾の長い帷子であった。
「主人が臨終に申しますには」と侍は云った、「――この二天を父の仇とつけ覘う心底あっぱれであった、討てるものなら討たれてやるつもりだったが、その折もなく自分は病死する、さぞそこもとには無念であろう、しかし今やいかんともなし難い、身につけた着物を遣わすゆえ、晋《しん》の予譲《よじょう》の故事にならって恨みをはらすよう、とのことでございました」
「はあ、それは」
 岩太はもじもじした。
「それで御得心もまいるまいが、主人の胸中を察して、お受取り下さるまいか」
「はあ、それはもちろん、もちろん」
 岩太は帷子を受取った。わけはわからないが、受取っておじぎをした。太田蔵人という侍もおじぎをした。
「すると」岩太は眩《まぶ》しそうな眼をした、「――つまり、あの人は死んだんですな」
「まことに御胸中、お察し申す」
「病気で亡くなった、というわけですか」
「まことに御胸中お察し申す」
 侍はもういちど鄭重《ていちょう》におじぎをし、寸時も早くこの傷心の人を独りにしてやろう、とでもいうように、供を伴れて去っていった。
「ふん、死んじまったのか」岩太は帷子を眺めまわした、「死んじまって、そりゃまあしようがねえが、なんでえこりゃあ、へんなまねをするじゃねえか、これをどうしろってんだ、形見に呉れるとでもいうのかい」
 彼は頭を掻いた。
「――待てよ、いま妙なことを云やあがったぞ、よじょう[#「よじょう」に傍点]の故事にならってどうとか、……そうだ、よじょう[#「よじょう」に傍点]の故事にならって、恨みをはらせってやがった、慥かにそう云やあがったが、……よじょう[#「よじょう」に傍点]たあなんでえ、よじょう[#「よじょう」に傍点]たあ、わけのわからねえいかさま[#「いかさま」に傍点]みてえなことを云やあがって、これをどうしろと、……おっ」
 岩太は眼をあげた。道からこっちへ、(いつかの)見廻り組支配が下りて来た。木下主膳というあの支配であった。支配は変事を知っていた。宮本家で変事を聞いて役所へ戻る途中であった。主膳は岩太の側へ来て、頭を下げた。
「なにも申上げません、ただ御心中をお察し申す」主膳は云った、「――垢付きのことも聞いてまいった。さすがは二天殿、予譲の故事とはゆき届いた志、どうぞそこもとにも、それで恨みをおはらし下さい」
「私はいま頭がいっぱいで」
 岩太はすばやく知恵をまわした。
「――その故事を思いだすこともできません、なにを考えることもできないのです」
「そうでしょう、いかにもそうでしょう」主膳は頷いた、「――故事とは予譲の斬衣、かの晋の予譲が、知伯という旧主の仇を討つことができず、ついにかたき襄子《じょうし》の着物を斬って、その恨みをはらしたという、かの高名な出来ごとをさすのです」
「ああ」岩太は顔を歪めた、「――ああ、どうか私を独りにして下さい、お願いです、どうかもういって下さいどうか」
 主膳は同情のため涙ぐみ、なにか云おうとして、云い渋って、それから黙って目礼し、いそぎ足に去っていった。岩太は小屋の中へとび込んだ。とび込んで、帷子を放りだし、ひっくり返って笑いだした。
「あのじじいめ、あの見栄っぱりのじじいめ、死ぬまで見栄を張りやがった、死ぬまで」彼は笑って咳《せ》きこんだ、「――よじょう[#「よじょう」に傍点]の故事、死ぬにも唯は死ねねえ、こんな気取った見栄を張りやがって、あのしゃっちょこばった恰好で……こいつあ堪らねえ、苦しい、助けて呉れ」
 岩太は悲鳴をあげた。それでも笑いは止らなかった、彼は小屋の中を転げまわった。

[#6字下げ]十一[#「十一」は中見出し]

 隈本城下の京町に「よじょう」という旅館が出来た。その家には宮本武蔵の帷子があって、望みの客には展観させた。帷子は水浅黄に染めた生麻で、三ところ刀で裂かれていた。それは旅館の主人が刀で裂いたものであった。旅館の主人は予譲の故事にならって、父の仇を報ゆるために、その帷子を三太刀刺したのであった。旅館の名は「岩北」というのが正しかった、それは主人夫婦の名を重ねたものであったが、その帷子のために、人々は「よじょう」と呼ぶようになった。さしたる仔細《しさい》はない、そのために旅館は繁昌していった。



底本:「山本周五郎全集第二十四巻 よじょう・わたくしです物語」新潮社
   1983(昭和58)年9月25日 発行
底本の親本:「週刊朝日陽春読物号」
   1952(昭和27)年4月
初出:「週刊朝日陽春読物号」
   1952(昭和27)年4月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ

タグ:

山本周五郎
「よじょう」をウィキ内検索
LINE
シェア
Tweet
harukaze_lab @ ウィキ
記事メニュー

メニュー

  • トップページ
  • プラグイン紹介
  • メニュー
  • 右メニュー
  • 徳田秋声
  • 山本周五郎



リンク

  • @wiki
  • @wikiご利用ガイド




ここを編集
記事メニュー2

更新履歴

取得中です。


ここを編集
人気記事ランキング
  1. 一代恋娘
  2. 討九郎馳走
  3. つゆのひぬま
  4. 曽我平九郎
  5. 大将首
  6. 与之助の花
もっと見る
最近更新されたページ
  • 2011日前

    白魚橋の仇討(工事中)
  • 2011日前

    新三郎母子(工事中)
  • 2011日前

    湖畔の人々(工事中)
  • 2011日前

    鏡(工事中)
  • 2011日前

    間諜Q一号(工事中)
  • 2011日前

    臆病一番首(工事中)
  • 2011日前

    決死仏艦乗込み(工事中)
  • 2011日前

    鹿島灘乗切り(工事中)
  • 2011日前

    怪少年鵯十郎(工事中)
  • 2011日前

    輝く武士道(工事中)
もっと見る
「山本周五郎」関連ページ
  • 祖国の為に
  • 藤次郎の恋
  • 永久砲事件
  • 奇縁無双
  • 評釈勘忍記
人気記事ランキング
  1. 一代恋娘
  2. 討九郎馳走
  3. つゆのひぬま
  4. 曽我平九郎
  5. 大将首
  6. 与之助の花
もっと見る
最近更新されたページ
  • 2011日前

    白魚橋の仇討(工事中)
  • 2011日前

    新三郎母子(工事中)
  • 2011日前

    湖畔の人々(工事中)
  • 2011日前

    鏡(工事中)
  • 2011日前

    間諜Q一号(工事中)
  • 2011日前

    臆病一番首(工事中)
  • 2011日前

    決死仏艦乗込み(工事中)
  • 2011日前

    鹿島灘乗切り(工事中)
  • 2011日前

    怪少年鵯十郎(工事中)
  • 2011日前

    輝く武士道(工事中)
もっと見る
ウィキ募集バナー
新規Wikiランキング

最近作成されたWikiのアクセスランキングです。見るだけでなく加筆してみよう!

  1. 鹿乃つの氏 周辺注意喚起@ウィキ
  2. 機動戦士ガンダム EXTREME VS.2 INFINITEBOOST wiki
  3. MadTown GTA (Beta) まとめウィキ
  4. R.E.P.O. 日本語解説Wiki
  5. シュガードール情報まとめウィキ
  6. ソードランページ @ 非公式wiki
  7. AviUtl2のWiki
  8. Dark War Survival攻略
  9. シミュグラ2Wiki(Simulation Of Grand2)GTARP
  10. 星飼いの詩@ ウィキ
もっと見る
人気Wikiランキング

atwikiでよく見られているWikiのランキングです。新しい情報を発見してみよう!

  1. アニヲタWiki(仮)
  2. ストグラ まとめ @ウィキ
  3. ゲームカタログ@Wiki ~名作からクソゲーまで~
  4. 初音ミク Wiki
  5. 発車メロディーwiki
  6. 検索してはいけない言葉 @ ウィキ
  7. モンスター烈伝オレカバトル2@wiki
  8. 機動戦士ガンダム バトルオペレーション2攻略Wiki 3rd Season
  9. Grand Theft Auto V(グランドセフトオート5)GTA5 & GTAオンライン 情報・攻略wiki
  10. パタポン2 ドンチャカ♪@うぃき
もっと見る
全体ページランキング

最近アクセスの多かったページランキングです。話題のページを見に行こう!

  1. 参加者一覧 - ストグラ まとめ @ウィキ
  2. Trickster - ストグラ まとめ @ウィキ
  3. 暦家 - ストグラ まとめ @ウィキ
  4. 魔獣トゲイラ - バトルロイヤルR+α ファンフィクション(二次創作など)総合wiki
  5. hantasma - ストグラ まとめ @ウィキ
  6. ギャング - ストグラ まとめ @ウィキ
  7. スーパーマン(2025年の映画) - アニヲタWiki(仮)
  8. RqteL - ストグラ まとめ @ウィキ
  9. 機体一覧 - 機動戦士ガンダム EXTREME VS.2 INFINITEBOOST wiki
  10. 過去の行動&発言まとめ - 鹿乃つの氏 周辺注意喚起@ウィキ
もっと見る

  • このWikiのTOPへ
  • 全ページ一覧
  • アットウィキTOP
  • 利用規約
  • プライバシーポリシー

2019 AtWiki, Inc.