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  • 高杉晋作

harukaze_lab @ ウィキ

高杉晋作

最終更新:2019年10月23日 18:07

harukaze_lab

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管理者のみ編集可
高杉晋作
山本周五郎

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)熟《よ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)名|春風《しゅんぷう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]
-------------------------------------------------------

[#8字下げ]一[#「一」は中見出し]

 高杉晋作は偉人ではなかった。彼のえらいところは、あの混沌たる時勢にあって熟《よ》くおのれの器を識り、あるだけの情熱を一途に燃やしきった点にある。晋作は我らの身近にいる、我らと同様の疑いや、迷い悩みをもっていた。しかし彼は自分の能力を善《よ》く認識して、平凡な『時代の壮士』からほとんど頂点にまでおのれをのしあげたのである。彼の伝記を繙《ひもと》く者は、彼がであった数々のできごとに際していつでも彼が無くてはならぬ人物[#「無くてはならぬ人物」に傍点]であったということを知るであろう。

[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]

 晋作はその名|春風《しゅんぷう》、字は暢夫《やすお》、東行《とうこう》と号し山口藩士であった。
 年少にして松下村塾《しょうかそんじゅく》に学んだが、当時|松陰吉田寅次郎《しょういんよしだとらじろう》の門下には久阪通武《くざかみちたけ》があり、おおいにその俊敏を称されていたので、気鋭の晋作は快からず思い、常に通武を凌ごうとする風がある。
「久阪ごときがなんだ」ことごとにそういう態度がみえる。松陰は晋作を愛していたのでどうかしてこれを撓《たしな》めようと思い、ことさらに晋作を抑えて通武を推すようにした。晋作の不満がつのったのはいうまでもない、塾生を語って反通武の気勢を起そうとさえし始めた。
(彼はじつに平凡な一書生に過ぎなかったのである)
 ある日、松陰が晋作を呼んで、
「こんな話を知っているか」
 と軽い調子で話しだした、「寛永の頃、江戸の俳優で市川団十郎《いちかわだんじゅうろう》というのがいた。荒事という一種の型をつくりあげて江戸芝居の元祖とまでいわれた男だ。この団十郎の一座に上方くだりの杉山半六《すぎやまはんろく》という俳優がいた。評判記によると技はすばらしかったそうだ」
「芝居のお話でしたら、また改めて……」
「まあ聞け」
 不平そうな晋作の言葉を制して松陰は続けた、
「半六は名人と呼ばれてもよいだけの技をもっていた、それにもかかわらず一般の世評は悪くなるばかりでついには舞台から退いてしまった。ふしぎなことだ、そこである評判記作者が団十郎にこれを糺《ただ》した、すると団十郎が答えて云うのに」
 松陰はここで言葉を正したのである、「半六の技倆は、なかなか自分ごときの及ぶところでない、しかし彼は根本的に誤っているところがある、それは、どうかしてこの団十郎に勝とうと思っていることだ、舞台にのぼって芝居をするにも、彼の頭からこの考えが去ったことがない。団十郎に勝とう、団十郎の評判を奪ってやろう……、そのために本来の芝居がお留守になっているのを知らなかったのだ、と」
 晋作は愕然としてそこへ平伏した、松陰の言葉の意味がはっきり分ったのである。平伏した彼の眼から涙の落るのをみながら、松陰は静かに笑って云った。
「つまらぬ話をした、忘れてくれ」
 晋作の態度はがらりと変った。それ以来学業めざましく進み、松陰の彼を遇することもまた篤くなった。

[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]

 晋作は文久元年、二十三歳にして幕吏とともに上海《シャンハイ》へ行った、この国際都市における半歳の見聞は彼の認識を鋭く広めた。
 上海市街を我物顔に濶歩する西洋人、石造洋館、馬車、そこにはもはや支那帝国の俤はない。鞭をもって西洋人に使役さるる支那人のみじめな姿から晋作が何を感じたかということは改めてここに記すまでもあるまい。
「文明を受容れるだけの準備のできぬうちに、みだりにそれを取容れることは国を危くするの基である、支那は文明の仮面をかむった外夷のために国土を蹂躪された」
 晋作はまざまざとそれを看《み》たのである。
 彼は翌年八月帰国すると、江戸詰めになって出府した。当時幕府は開国していたので、街上には西洋人の姿がしきりに散見する、若い晋作の眼には上海市街の情景がそのままそこへ写しだされるように思われたのである。
「前車の轍《てつ》、危し!」
 と感じ、私かに久阪通武、大和直利《やまとなおとし》らと計って品川御殿山にある洋人の館に焼打ちをかけようと策謀した。しかしことは未然に暴れて捕吏の追求するところとなり、晋作は京都に※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]《のが》れて身を隠した。
 しかし長藩はかねて攘夷論を持していたから、晋作はべつに咎めにも及ばず、帰藩のうえ謹慎していると幾干もなくして馬関戦争が勃発した。これは文久三年五月十日、米商船ベンブローグの砲撃に端を発したもので、六月には仏艦ミセラセス、同じくタンクレット、米艦ワイオミング等々が海峡に入って激戦となった。
 ここでは戦史を精くしている暇はないが、米、仏軍は一度ひきあげ八月さらに戦備を新たにして来襲、武装商船を入れて十七隻の聯合艦隊が猛撃を開始した。晋作が有名な奇兵隊長に抜擢されたのはこのときであった。
 奇兵隊士は門閥の弊を廃し、有能の者とあれば身分を問わず重用し秩禄もまたこれにしたがったので士気もっとも昂《あが》り、強悍よく転戦したが一藩の力到底、英、蘭、米、仏の聯合軍に敵するあたわず、ついに八月八日に及んで和議を請うのやむなきに至った。
 この一戦によって晋作はおおいに認められ、世子奥番頭に擢《ぬきん》でられた。しかしこのとき、馬関戦争の失敗によって藩内の情勢に反動的分子の策動が起り、にわかに佐幕派の勢力が挽回しはじめたので、晋作憤然と起ち、「矮藩に蟄伏《ちっぷく》して些々たる議論の成敗を賭するときではない。起つべし拳をもって大義の存するところを鮮明すべきだ」
 とひそかに脱藩、京都へ潜入した。
(彼が史上に伝えらるる偉人と相違している点はここにもある、御殿山夷人館焼打ちの計画にしろまた奥番頭の要職をなげうって脱藩したことにしろ、情熱の赴くところ奔流のごとく、勁行ただちに事実へと邁進するこの気魄とそ晋作を平凡なる一壮士たらしめなかった原因であったので、事実へ邁進する[#「事実へ邁進する」に傍点]、これこそ有ゆる時代の青年にとって忘るべからざる教訓である)
 京都に入った晋作は、各地から集っている志士と交って勤王倒幕のことを謀った。しかし一途不乱の彼に比して、当時京阪に蝟集《いしゅう》していた志士の多くは、口に大義を唱しつつ心に権力を愉むの徒で、ともに大事を計るに足る人物は暁天の星よりも少なかった。
「駄目だ」
 と晋作は久阪通武に云った。
「彼らは王政復古に名を藉り、おのが幕府に代って政権を掌握する夢を見ている、薩藩士藩の逡巡するところも同様だ、語るに足るやつはいない」
 晋作がしばしば酒席に興をやったのはこの時期である。そして彼と島原の歌妓との悲しい恋がはじまった。

[#8字下げ]四[#「四」は中見出し]

 元治元年三月、晋作は藩主|元徳《もとのり》の使旨を蒙って帰藩し、野山の獄に幽囚の身となった。
 当時、脱藩はその罪死に価したので、彼は斬られるものと覚悟していた。すると同年八月に至って、ふたたび馬関に夷艦との紛争が起った。藩主は前年の殊功があるので、獄中より晋作を起して軍を督せしめた。
(彼はそのときすでに、なくてはならぬ人物になっていたのである)
 紛争はことなく終った。
 しかし藩内の情勢は依然として混沌、佐幕、勤王の両党に分れて、日々騒然と相争っているというありさまであったが、佐幕派の巧みなる罠にかかって勤王党の国老|益田右衛門《ますだうえもん》、福原越後《ふくはらえちご》、国司信濃《くにつかさしなの》の三名は老職罷免のうえ幽閉され、しかも卒如として斬られた。
 晋作はこのとき筑前に使いしていたが、かくと聞くより死を決して急拠馬関に帰り、
「時機|到《いた》れり」
 と叱呼した、「三国老は王道の人柱となったのだ。袖手《しゅうしゅ》慷慨《こうがい》のときにあらず、剣をとって奸党を屠《ほふ》れ」
 檄を伝えて同士を糾合した。
 諸所に隠れていた奇兵隊士のは続々と旗下に集ってきた。同志のうちには山県狂介《やまがたきょうすけ》(後の有朋《ありとも》)もいたのである。――晋作は兵勢を察して蹶起し、急に藩庁を襲撃して弾薬武器を奪取した。
 このとき同志の一人は「猥りに藩庁を襲うは名聞を失う基であろう」
 と注意したが、晋作は笑って答えた。
「大義の兵、なんぞ区々《くく》たる名聞を按ぜんや」
 この一挙は佐幕派(俗論党と目す)を驚愕せしめた。晋作は迅速に兵を動かして伊崎の廠舎を攻め、これを撃破して巨魁|財満新三郎《ざいみつしんざぶろう》らを斬り主将|蔵田豊後之助《くらたぶんごのすけ》をおった。
(俗論党との戦いは慶応元年正月から二月まで続いた。この間、晋作は奇兵隊士百余騎をもって善戦、とくに栗谷隼人《くりやはやと》の兵三千を暴風雨の夜襲に潰滅せしめた一戦こそ、上総介信長《かすざのすけのぶなが》が桶狭間に東海の勇将|今川義元《いまがわよしもと》を屠った奇勝に似てさらに壮絶なるものであろう)
 晋作はさらに山口へ入り、井上聞多《いのうえもんた》らとあい計り、新たに鴻城軍を組織して佐幕派と佐々並駅に最後の会戦をした結果、これを破ってついに俗論党を一掃することに成功した。
 藩論は勤王に帰一したのである。
 この事情が幕府に伝わった。探索が遣わされた、しかし今や一藩の与論覆すべくもない。九月に入ると将軍|家茂《いえもち》から藩主|元徳《もとのり》に、
「大阪へ出頭すべし」という命があった。
「二十六日までに出阪せざれば問罪使を差し立てるであろう」
 と添書のある厳命であった。
 幕府は言外に重大決意を示している、一方すでに諸国へ長藩征討の密令が発せられてあったのだ。藩論は動揺し始めた。

[#8字下げ]五[#「五」は中見出し]

 元徳臨席の会議幾度。
 時勢の遷移は分明であるが、天下諸侯の去就はいまだ確然としていない、万一幕命を拒絶して天下諸侯が幕師に参加したとせよ、藩運の絶望はただ見るべきのみである。
「この際、いちおう幕命にしたがって藩公の上阪策をとるがよかろう」
 伝統三百年の垢、人々の心に拭いきれぬ因循の気はふたたび怯惰の影を呼び覚そうとした。晋作は事態を察知すると奮然声をはげまして、
「天下諸侯の去就なにものぞ」
と叫んだ、
「長藩の運命なにものぞ。我らはさきに三国老を人柱として上下勤王の大義に殉ずべしと決した。今に到って幕府の沓《くつ》を舐《な》め、一小三十余万石の瓦全を計って臭を千載に遺すの愚を嗤《わら》わるるなかれ」
 諸士の顔色は甦った。
「王道の曙光、まさに燦《さん》として到らんとす」
 晋作は膝を打って云った。「我藩まず第一砲を発って倒幕の狼火《のろし》とすべし。這って首を乞わんより、進んで王政復古の人柱たれ!」
 烈々たる舌鋒は衆を撃った。因循の設はまったく覆り、幕命の拒絶は一挙にして決定した。
(勤王の大義一途、千万人といえども吾往かんという晋作の情熱。いかなる情勢をも押切ってまっしぐらに事実を追求する意気。――怯惰なる藩論を再度奮起せしめたのはじつに晋作が一途不乱のこの情熱の然らしめたものである)
 幕府に対する復命は遷延した。
 しかし征長のことは荏苒《じんぜん》として決しない、年を越して二年五月、幕府は小笠原長行《おがさわらながゆき》を使いとして命を伝えさせた。旨に曰く、
「封禄十万石を削る、敬親《たかちか》(元徳の養父)父子に終身の禁錮を命ず、三家老職を斬りその家を断つ!」
 三ヶ条の厳命であった。藩論忿激して戦に決したことはいうまでもない。幕府は三十日待ってついに征長の軍を起し、将軍家茂みずから進発、徳川|茂承《もしょう》を総督として海陸より長州に攻め入った。
 晋作は当時馬関の軍を監していたが、幕府の海軍到ると聞くや、藩艦『庚申《こうしん》』に乗じて待ち、六月十二日夜ひそかに発して幕艦の列中へ突進し全速汽煙を激して中央を突破しつつ、突如として砲撃を開始した。
(ことに当るや疑惧逡巡せず、断乎として行動する彼の姿を見よ)
 幕艦の狼狽は極度に達した。馴れざる海峡の夜襲。夢にだも思わなかった不意の砲撃に艦列は崩れ、たちまち混乱に陥って舷側あい触れ、砲撃あい傷ついて叫喚ただなすを知らなかった。ようやくにして統制を正し、
「長艦を※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]すな」
 と陣形を改めたとき、すでに『庚申』は汽煙もうもうと遠く闇中に逸走した後であった。疾風のごとき襲撃にすっかりのぼせ上った幕軍はそれが長藩の一艦であったと信ぜられなかったのであろう。
「薩摩の艦旗を掲げていた」
「薩藩の海軍が援助に来たのだ」
 と疑心暗鬼を生じておおいに士気を挫かれた。
 晋作の奇計は続いて行われた。同じく十六日未明、彼は『庚申』、『癸亥《きがい》』、『壬戌《じんじゅ》』の三艦を豊前小笠原藩の田ノ浦に進め、砲口を揃えて急に砲台へ猛撃を加えた。
 砲台の主将|島村志津麻呂《しまむらしずまろ》はただちに衆を督して応戦、刻余にして一艦を撃沈し、
「してやったり」
 と雀躍、さらに砲撃を続けていると、晋作は決死の兵四百余を動かして自らこれを指揮し、敵前上陸を敢行して砲台へ殺到した。小笠原の兵千余、これに幕軍二百を加えた守兵は、にわかに起って迎戦したが寄手の猛威凄じく、三倍の兵力をもちながらみるみる斬立てられて惨憺たる白兵戦が展開した。合戦は辰《たつ》の刻より申《さる》の刻に及び、長兵は進撃また進撃、ついに田ノ浦砲台の営舎に火を放って焼き兵糧を奪取して退いた。
(一艦を撃沈されてなお寡兵よく敵地を侵し、三倍の軍と戦ってかくのごとき成功をみたるは、ただ晋作の豪胆と奇計と意気とが渾然一軍の士気を一致した結果である)。

[#8字下げ]六[#「六」は中見出し]

 晋作はさらに兵を進め、田ノ浦より門司に入ってその砲台に迫り、これを撃破して主将|小山左近《こやまさこん》を斬った。
 阿修羅の勢い、休む間もなく小笠原長行が守備する大里の軍営に肉薄した。このとき晋作は藩艦二艘をして海上より砲撃せしめ、また兵三百をもって背面の山より不意を衝いた。この奇襲に小笠原軍の崩れたつ折しも、門司に挺進してきた長兵が側面より攻寄せたので、長行の軍はさんざんに敗戦し、主将長行は危く虜《とりこ》にならんとして逃げた。
 大里の役に一※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]話がある。この激戦に当って、晋作は終始|戎衣《じゅうい》を着ず、烏帽子大紋《えぼしだいもん》の姿で軍を指揮した、ある人が、
「なぜに物具《もののぐ》を着けられぬか」
 と問う。晋作にっこと微笑して曰く、「鼠輩を逐うに物具するの要あらんや」と。
 彼にはすでに勝算があったのである。
 長軍は勝に乗じて小倉を囲んだ。同年七月のことである、晋作はまず市街に火を放って城下に迫った。しかし城兵は善く防戦して容易に陥落しない、晋作は一旦陣を払って退き、八月二日秘策を按じて、細川氏の旗を作り援軍のごとく装い、百余人をして死傷者を担がしめ城中へ入って火を放けさせた。
 城より火を発したから城兵の混乱は云うまでもない。その虚を衝いて晋作は猛然城へとりつめた。内外の敵にさすがの城主|小笠原忠軒《おがさわらただのき》も支えることあたわず、ついに開城して※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]れ、城将|小川弾正《おがわだんじょう》は自殺して果てた。
 かかるあいだに、将軍家茂が病を得て大阪に薨《こう》じたので、幕軍の士気頓に挫け、陸戦また連敗であったから、ついに征長の囲を解いて退陣した。
(征長の失敗が幕府の致命的な打撃であったことは人のよく知るところだ。そして長軍の捷《しょう》を致した第一の功は、じつに高杉晋作にありというべきであろう)
 翌慶応三年四月、晋作は肺を病んで馬関に死んだ。
 晋作の病篤しと聞くや、藩主元徳は日々使いを遣って病状を問い、また藩民の全快を祈念するもの幾万であったと伝えられる。晩春、散る花とともに二十九歳をもって彼は逝った。
 この短い伝記では、多端な彼の生涯を詳くすることはできなかったが、維新の大変革に際して全身の熱意を残るところなく発し、いかなる困難に当面しても遅疑躊躇せず、絶えず運命を打開して人間力の最高峰にまでおのれの才幹を伸張せしめた、その片鱗だけは掬《く》みとってもらえると思う。
 彼が奇兵隊を糾合して転戦、俗論党を破って藩論を勤王に帰一せしめたのは二十七歳の春であった、晋作は、じつに二十七歳にして長防二州の兵権を掌握したのである。しかも彼は偉人ではなく、我らが身近に発見することのできる一壮士に過ぎなかったのだ、しかしここまで自己を生かしきれば、もはや偉人傑士の論には及ばないであろう。人格完成とは道徳堅固の君子人となることばかりではない、おのれを『無くてはならぬ人物』にまで錬えあげることもまた重要なことなのだ、そして現代青年にもっとも望むべきはこの一点であろう。



底本:「抵抗小説集」実業之日本社
   1979(昭和54)年2月10日 初版発行
   1979(昭和54)年3月1日 二版発行
底本の親本:「青年太陽」
   1935(昭和10)年10月号
初出:「青年太陽」
   1935(昭和10)年10月号
※表題は底本では、「高杉晋作《たかすぎしんさく》」となっています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ

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