harukaze_lab @ ウィキ
間違い権五郎
最終更新:
harukaze_lab
-
view
間違い権五郎
山本周五郎
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)一時《かずとき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)郎|一時《かずとき》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「ちぐはぐ」に傍点]
-------------------------------------------------------
「われこそは福島左衛門大夫の家来、森権五郎|一時《かずとき》、すいさんなり、すいさんなり」
しゃがれているがよく徹《とお》る声でそう名乗るのが聞えた。槍《やり》をとって敵中へ突っ込もうとしていた上原大蔵は、これを耳にしてわれ知らずふり返った。――すいさんなりとはなんだ、ちょっと不審だったが、すぐに「見参《けんざん》」の間違いだということがわかった。……敵も味方もその興廃を賭《と》した関ヶ原合戦の左翼、福島軍の先鋒《せんぽう》が今しも敵、宇喜多秀家の陣へと斬《き》り込んでいるときだ。両軍の戦気が烈火の如《ごと》く地を巻きあげているなかで、ふだんからよく言葉違いをする権五郎がありったけの声で「見参」と「推参」の間違いをやってのけたのである。
「おれは可笑《おか》しくって」合戦が終ったあと、新しい陣営で上原大蔵はそういった。「……どうにも可笑しくって、突っ込むのを暫《しばら》く待たなくてはならなかった。たしかに兜首《くび》ひとつは損をしたよ」
その傍《かたわ》らで森権五郎は太腿《ふともも》をむきだしにし、大きく肉のはぜた銃瘡《じゅうそう》の手当てをしていた。水をざぶざぶ打ち掛け、藁《わら》でごしごしとこすり、塩を瘡口《きずぐち》へすり込むという、見ている方で寒くなるような荒療治である。
「やるなあ、権五郎……」大蔵が覗《のぞ》きこんでいった。
「きさま、それで痛くはないか」
権五郎は顔をあげた。蒼《あお》くなった額に膏汗《あぶらあせ》がとうとうと流れている。かれは大蔵をねめつけると、いきなり拳《こぶし》をかためて覗き込んでいる相手の高頬を殴りつけた。
「痛い、……なにをする森」
「痛いか、大蔵」権五郎はにっと微笑した。「きさまが殴られて痛いなら、おれのことは訊《き》くまでもないだろう」
そして再び塩をすり込みながら、
「雉《きじ》も鳴かずばうたれはすまい」
といった。自分ではみごとにいい当てたつもりらしい。その「仕すましたり」という顔つきと、どこかしらちぐはぐ[#「ちぐはぐ」に傍点]な言葉が可笑しくて、みんないっぺんにふきだしてしまった。
[#地から2字上げ](「写真週報」昭和十九年八月二日号)
底本:「怒らぬ慶之助」新潮社
1999(平成11)年9月1日発行
2006(平成18)年4月10日八刷
底本の親本:「写真週報」
1944(昭和19)年8月2日号
初出:「写真週報」
1944(昭和19)年8月2日号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)一時《かずとき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)郎|一時《かずとき》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「ちぐはぐ」に傍点]
-------------------------------------------------------
「われこそは福島左衛門大夫の家来、森権五郎|一時《かずとき》、すいさんなり、すいさんなり」
しゃがれているがよく徹《とお》る声でそう名乗るのが聞えた。槍《やり》をとって敵中へ突っ込もうとしていた上原大蔵は、これを耳にしてわれ知らずふり返った。――すいさんなりとはなんだ、ちょっと不審だったが、すぐに「見参《けんざん》」の間違いだということがわかった。……敵も味方もその興廃を賭《と》した関ヶ原合戦の左翼、福島軍の先鋒《せんぽう》が今しも敵、宇喜多秀家の陣へと斬《き》り込んでいるときだ。両軍の戦気が烈火の如《ごと》く地を巻きあげているなかで、ふだんからよく言葉違いをする権五郎がありったけの声で「見参」と「推参」の間違いをやってのけたのである。
「おれは可笑《おか》しくって」合戦が終ったあと、新しい陣営で上原大蔵はそういった。「……どうにも可笑しくって、突っ込むのを暫《しばら》く待たなくてはならなかった。たしかに兜首《くび》ひとつは損をしたよ」
その傍《かたわ》らで森権五郎は太腿《ふともも》をむきだしにし、大きく肉のはぜた銃瘡《じゅうそう》の手当てをしていた。水をざぶざぶ打ち掛け、藁《わら》でごしごしとこすり、塩を瘡口《きずぐち》へすり込むという、見ている方で寒くなるような荒療治である。
「やるなあ、権五郎……」大蔵が覗《のぞ》きこんでいった。
「きさま、それで痛くはないか」
権五郎は顔をあげた。蒼《あお》くなった額に膏汗《あぶらあせ》がとうとうと流れている。かれは大蔵をねめつけると、いきなり拳《こぶし》をかためて覗き込んでいる相手の高頬を殴りつけた。
「痛い、……なにをする森」
「痛いか、大蔵」権五郎はにっと微笑した。「きさまが殴られて痛いなら、おれのことは訊《き》くまでもないだろう」
そして再び塩をすり込みながら、
「雉《きじ》も鳴かずばうたれはすまい」
といった。自分ではみごとにいい当てたつもりらしい。その「仕すましたり」という顔つきと、どこかしらちぐはぐ[#「ちぐはぐ」に傍点]な言葉が可笑しくて、みんないっぺんにふきだしてしまった。
[#地から2字上げ](「写真週報」昭和十九年八月二日号)
底本:「怒らぬ慶之助」新潮社
1999(平成11)年9月1日発行
2006(平成18)年4月10日八刷
底本の親本:「写真週報」
1944(昭和19)年8月2日号
初出:「写真週報」
1944(昭和19)年8月2日号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ