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  • 生きている源八

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生きている源八

最終更新:2020年01月10日 18:48

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生きている源八
山本周五郎


【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)元亀《げんき》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)井|忠次《ただつぐ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定]
(例)[#4字下げ]


[#4字下げ]一[#「一」は中見出し]

 元亀《げんき》、天正《てんしょう》のころ、徳川家康旗下の酒井|忠次《ただつぐ》に属する徒士《かち》で兵庫《ひょうご》源八郎という者がいた。五尺そこそこの小男でもあり、色の黒い眼尻《めじり》のさがった、しかんだような顔つきで、どうひいき眼にみても豪勇の風格とはいえない、またじっさい幾たびとなく合戦に出ているが、これといってめざましい功名をたてたことがなかった。それにも拘《かか》わらずだんだんと存在を認められて、二十五歳の年には徒士組の三十人がしらに取立てられた。どうして認められだしたかというはっきりした理由はないが、ただ一つ源八郎はどんな激しい合戦にも必らず生きて還《かえ》る、その属している隊が殆《ほと》んど全滅するような場合にも、かれだけはふしぎに生きて還るのだ、――あいつ籔《やぶ》にでも潜りこんでいたのだろう、はじめよくそんな悪口を云《い》う者があった、殊《こと》に同輩のひとりで小林大六という者は、面と向ってさえつけつけとそう云った。たいていの者なら喧嘩《けんか》になるところであるが、源八郎はそういうときいかにも尤《もっと》もだと云いたげに頷《うな》ずく、「……殊によるとそんなことではなかったかと、自分でも疑わしくなることがあるよ」そう云って溜息《ためいき》をつくのだった、「まったくあの迫合《せりあい》はすさまじかったからな」
 もちろん戦場から生きて還るのは源八郎に限ったことではない。特にかれの場合にそれが眼立つのは、かれがしばしば苦戦ちゅうの苦戦という持場にまわるからで、その属する隊が全滅に瀕《ひん》した例も二度や三度ではなかった、――こんどこそ一兵も残らず全滅だろう、そう思えたこともたびたびである、けれども源八郎は生きていた。屍山《しざん》血河《けつが》ともいうべき惨澹《さんたん》たる戦場の中から、かれだけはいつものっそりと起《た》ちあがって来るのだ。少しもめげ[#「めげ」に傍点]ない、どうかすると自分でもふしぎだという顔つきで、ひき千切れた草摺《くさずり》をぶらさげ、血刀を握ってのっそりと起ちあがって来るのだ。……はじめは逃げ隠れているのではないかと悪口を云った者も、そうでないことがわかってくるとだんだん注目しだした。どんな激戦にも必らず生きて還る。戦場ではこういう人物は評判になるものだ。ときには伝説的な存在にさえなり兼ねない。左衛門尉《さえもんのじょう》忠次もいつかその噂《うわさ》を耳にしたので、徒士組の旗がしら太田助三郎にかれのことを訊《たず》ねた。そのとき助三郎は「……兵庫はかくべつぬきんでた侍ではございません、またこれまでついぞ一番乗り兜首《かぶとくび》の功名をたてたこともございませんが、武運めでたく生れついたとでも申しましょうか、これまで幾たびとなく必死の激戦に遭いながら、ふしぎとかれいちにんは生き還っております、じつはわたくしも前後両度かれと戦場を共に致しました、そのとき始終のようすを見たのですが、これと取り立てて云うべき戦いぶりがあるわけでもなく、ごくらくらく[#「らくらく」に傍点]とやっておりますし、矢だま[#「だま」に傍点]の雨あられと飛んで来るなかでも、決して物蔭《ものかげ》へ隠れるとか、身を跼《かが》めるということを致しません、突っ込むときなどは好んで敵の銃口、槍尖《やりさき》へからだをぶっつけてゆくような、明けっ放しな、まるで無謀な態度でございます、……或《ある》ときわたくしはなぜ好んでそんな戦いぶりをするのかと訊ねました、するとかれはこう申すのです、鉄砲というものは、平常おちついてよくよく覘《ねら》って射《う》っても、なかなか的には当らぬものです、まして戦場では気があがっていますから、幾ら覘っても当る弾丸は百に一か二でございましょう、ですから自分はまっすぐにゆきます、除《よ》けたり隠れたりすると却《かえ》って命中しますから」「にくいことを云う……」忠次は思わず苦笑した。助三郎は続けて、「また槍も同じように、ふだん藁束《わらたば》を立てて試みても、突っ込んでいって付ける槍はたいてい外れるものです。合戦のなかではなおさら、第一槍は必らず外れるとみて誤りはございません、それゆえ自分は安心して敵に第一槍をつけさせ、それへかぶせて相手を斬《き》り伏せます、これがなによりたしかな戦法だと存じます、……かように申しました。幾たびも激戦の塵《ちり》を浴び、槍かたなをうち折った者の言葉として、味わい深いものがあると存じましたが、それよりもさらに強く感じましたことは、かれがおりますと、その隊ぜんたいが見違えるほど明るく活気だつことでございました」「…………」「矢だま[#「だま」に傍点]は除けるほうが危ないというかれの確信が、そのままほかの者にもうつるためか、らくらく[#「らくらく」に傍点]とした戦いぶりの影響か、それともかれの人柄の徳であるかわかりませんけれども、兵庫源八郎がいるといないとでは、はっきり区別のつくほど隊のようすが違っております。わたくしは両度とも誤りなくそれを痛感いたしました」
 助三郎のはなしは忠次の注意をよびさましたとみえ、それから間もなく源八郎は徒士組の十人がしらにあげられ、続いて二十人がしらから三十人がしらへと抜擢《ばってき》されたのである。

[#4字下げ]二[#「二」は中見出し]

 十人がしらから三十人がしらへと出世するあいだに、かれは五たび合戦に出たが、自分ではやはり一番乗りの手柄も兜首の功名もなかった、しかもそのうち三度は殆んど部下を全滅させていた。……そのころの戦場では、どの城を乗っとったとか誰それを討ったとかいう事実が、多くその者の価値を決めることになりがちだったので、いっかなめざましい手柄をたてようとしない源八郎のことが、しだいに周囲の軽視の的になりはじめた、殊に五たびのうち三どまで隊士を全滅させて、些《いさ》さかも忸怩《じくじ》たる風のないことが――おのれ独りのめのめと生きている、という反感さえ人々に与えだしたのである。
 いちど評判が悪くなるとなにもかもそっちへ傾いてゆくものだ。三十人がしらに取立てられて一年も経《た》たぬうちに、――源八郎はまだその任ではない、という評が酒井旗下ぜんたいに弘《ひろ》まった。そこで左衛門尉忠次は再び太田助三郎を呼び、本当にかれがその任でないかどうかと意見を糾《ただ》した、「……わたくしはさようには思いません」助三郎は躊躇《ちゅうちょ》なくそう答えた、「なるほど源八郎はかくベつ功名手柄をたててはおりませんが、三十人がしらとしては類のない人物だと存じます、かれの指揮する隊はいつもぴったりと一つになって戦います、一人ひとりの功名手柄はない代りに、一隊ぜんぶが手足の如《ごと》く緊密につながり、進退攻防とも三十人が一人のように戦います、したがって損害の出るような場合にも、隊ぜんたいがひどくやられることになるのは歇《や》むを得ません、……しかしお考え下さい」と助三郎は指を折りながら云った。「かれがその、隊士を殆んど全滅させた第一は二連木城《にれんぎじょう》(現豊橋市内)のいくさでございました、第二は一宮の合戦、第三は三方ヶ原《みかたがはら》の退口《のきぐち》でございます、お考え下さればおわかりかと存じますが、二連木城では四郎|勝頼《かつより》の先鋒《せんぽう》をくいとめて味方の攻撃の緒《いとぐち》をつくり、一宮では松山の柵《さく》を死守しております。そして三方ヶ原では全士が敵の矢おもてに楯《たて》となって、みごとに退口を確保いたしました、たとえ全員討死に瀕《ひん》しましても、命ぜられた事は必らずやりとげておる、これが兵庫の戦いぶりです、わたくしは三十人がしらとしてかれこそ類のない人物だと存じます……」ここでは詳述する紙数がないけれど、二連木城ほか三どの戦いぶりは忠次の記憶を新らしくよびおこし、改めて源八郎をみなおしたようであった、そして非難の声が高かったにも拘わらず、兵庫源八郎はひきつづき三十人がしらを勤めていたのであった。
 長篠城《ながしのじょう》の合戦がおこったのは天正三年五月のことであった。……長篠は三河《みかわ》のくに設楽郡《したらごおり》にあって鳳来寺山《ほうらいじさん》の麓《ふもと》に位置し、乗本川と滝沢川との合流点に北臨した要害の地を占めている。城は永禄《えいろく》年中に菅沼伊豆守《すがぬまいずのかみ》の築いたものであるが、元亀に至って武田氏に属したのを、天正元年に徳川氏が攻略して松平|外記《げき》を此《ここ》に置いた。しかし同じ三年になると、武田氏の侵攻が必至にみえてきたので、塁壕《るいごう》を修理し櫓《やぐら》を増して防備を固め、なお奥平九八郎|貞昌《さだまさ》(信昌とも伝う)を城将としてこれを堅守せしめた。これは天正三年二月のことである、そしてその五月には果して武田勝頼が二万余の大軍を以《もっ》て攻め来《きた》った。甲斐《かい》軍は城北の医王山に本営と主軍を置き、乗本川を隔てた鳶巣山《とびのすやま》に塁を築いて千余騎、滝沢川を隔てた有海原に千騎、城の大手に八千騎を配し、まったく包囲陣を作って烈《はげ》しく攻めたが、城兵の好防に遭ってついに永陣となった。
 これよりさき元亀三年十二月、三方ヶ原の合戦に敗れた徳川軍にとって、長篠はまさにその報復戦ともいうべきものだった。家康は織田信長の協力のもとに進発し、設楽原に到《いた》って弾正山に陣を布《し》き、ここに四年ぶりで武田本軍との会戦を断行したのである。……弾正山の東側に進駐した酒井忠次は、まず武田軍の配備を偵察する必要を感じた、しかし敵の哨戒《しょうかい》は厳重である、これを突破して、偵察を果して来るということはきわめて困難だ、(それは城兵|鳥居強右衛門《とりいすねえもん》の事蹟《じせき》がよく証明している)誰をやるべきかと考えるうちに、忠次はふと兵庫源八郎の名を思いだした、――そうだ、あれをやってみよう、そしてすぐに源八郎を呼びよせた。かれは旨《むね》を聴くとちょっと首を捻《ひね》った、いつもしかんだような顔をいっそうしかめ、暫《しば》らく自分の爪尖《つまさき》あたりを見おろしていた、「……なにを考えておる、そのほうにはできぬと思うのか」「さようではございません」源八郎はびっくりしたように眼《め》をあげた、「……ただわたくし一人では少々むつかしいかと存じますので」「心あたりの者があらばつれてまいれ」「小林大六に仰《おお》せつけて頂けましょうか……」「大六を」忠次は源八郎の顔を覓《みつ》めた。小林大六はかれの同輩だが、つねづね源八郎を白い眼で見、とかく悪評をふりまきたがる男だった、かれのほうでは馬耳東風と聞きながして相手にはならないけれど、不仲だということは忠次の耳にもはいっていたのだ、――しかしなにか思案があるのであろう、忠次はそう思ったので大六を呼び、源八郎と共に偵察にゆくべき旨を命じた。

[#4字下げ]三[#「三」は中見出し]

 夜になるのを待って出立した二人は、青石というところに渡渉点をみつけて川を渉《わた》り、折からの五月闇《さつきやみ》を利して、鳶巣山の敵陣へ潜入すべく船着山にと取りついた。……まさに鼻をつままれてるわからぬほどの闇だった。敵陣の遠い篝火《かがりび》をめあてに、叢林《そうりん》をわけて暫らく進んだが、そろそろ哨戒線に近づいたと思われる頃《ころ》、ふと源八郎が足をとめた、「……どうしたんだ」「少し休もう」源八郎はそう云ってそこへ腰をおろした、「冗談じゃない」大六はせきこんだ、「ここまで来て休むということがあるか、まず敵陣へもぐり込むのがさきだ、機会を逃がすと取返しがつかんぞ」「そう焦《あせ》ってもしようがないさ、とにかくひと息いれてからにしよう……まあ掛けろ」といって源八郎は動くけしきがなかった。大六は舌打ちをしたが、自分は添役なので強《し》いてとも云えず、しかたなしにかれのそばへ腰をおろした。
 刻《とき》はずんずん経《た》っていった、源八郎はいつか草の上に身を横たえ、さも心地よげに寝息をたてて眠りだした。大六は気が気ではない。幾たびも呼び起してみたが、かれは「なに本当に寝はしないから大丈夫だ」となま返辞をするだけで相手にならなかった、そのうちに草臥《くたび》れが出たのだろう、大六もいつか知らずうとうとしたとみえ、頬《ほお》を打つ葉末の露にびっくりして眼をさますと、あたりは濛々《もうもう》たる濃霧に包まれ、空にはすでに明け前の仄白《ほのじろ》い光がうごきだしていた。「……しまった」大六は愕然《がくぜん》とはね起きた、ふり返ってみると源八郎がいない。それが鉄槌《てっつい》で殴られたように大六をくらくらとさせた、――あいつおれを置き去りにした、――いや敵に捕えられたのだ。二つの考えが脳裡《のうり》で火花を散らした。どうしよう、叫ぶわけにはいかない、かれは刀の柄《つか》へ手をかけながら、暁闇《ぎょうあん》の霧の中へそろそろと歩きだした。するとうしろから源八郎の声がした、「……どこへゆくのかね」大六はとびあがった。
 後日かれみずから告白したところによると、そのときかれは胸の中でぱちんと大きな音を立ててなにかの臓腑《ぞうふ》の一つが破裂したそうである、なんの臓腑かわからないが、たしかに大きな音を立てて破裂するのを聞いた、――胆《きも》を潰《つぶ》すということは形容ではなく事実あるものだ、大六はまじめにそう云い云いした、それほどそのときの仰天は大きかったのである。……源八郎は椎木《しいのき》の幹に凭《もた》かかってこちらを見ていた、「……顔を洗わないか」とかれは大六が戻って来るのを見て云った、おどろきと忿《いか》りとで震えていた大六は、なにか痛烈な罵倒《ばとう》をあびせてやりたいと思った、けれども舌が動かなかった。「しずかに」源八郎は知らぬ顔でそう云った。「……敵の前哨はついそこにいる、早く顔を洗うがいい」「顔だって」「眼やに[#「やに」に傍点]の付いた首は耻《はじ》だからな……」そこに水が涌《わ》いているよと指さしをした。大六は手早く兜をぬいだ、叢林のなかに涌き水の溜《たま》りがあり、葭《よし》の茂みを縫って水はささやかな流れをなしている、大六は身を跼《かが》めてやおら両手で水を掬《すく》った。するとうしろから、源八郎がいきなりかれの腰を突きのめした、大六は頭から先に水溜りの中へつんのめ[#「つんのめ」に傍点]った。水溜りといっても底は泥《どろ》のごく浅いものである。大六は半身まるで泥水まみれになった、そしてばたばたもがきながらようやく起きあがると、その面上へ源八郎の拳《こぶし》がはっし[#「はっし」に傍点]と来た、「な、なにをする」「だまれ」もうひとつ拳骨《げんこつ》である、「きさまふだんおれに憎い口をきくぞ、おぼえたか」「それを今ここで……」大六は火のたま[#「たま」に傍点]のようになった、二人はひっ組み、押し揉《も》んでだっと倒れた、互いにところ嫌《きら》わず殴り、蹴《け》った、そのあいだ源八郎は「誰かおらぬか」とおそろしい高声で絶叫した、「……誰かまいれ、曲者《くせもの》だ」葭を押し倒し、水溜りへのめり、二人とも泥まみれになって上に下に転げまわった。そのあいだじゅう源八郎は声をかぎりに「誰か来い、曲者だ、曲者だ」と叫びつづけた。
 藪《やぶ》を踏みわけて五六人の兵があらわれた、火縄をかけた銃を持ち、槍《やり》を構えて、おそるおそるそこへ出て来た。そのとき源八郎は強引に大六を捻《ね》じ伏せていたが、かれらの来たのを見るといきなり、「……なにをぐずぐずしておるか、縄を出せ」と怒鳴りつけた、「こいつ徳川方のしのび[#「しのび」に傍点]だ、縄はないか」続けさまにどなりつけられて甲州兵は慌《あわ》てた、「縄だ縄だ」と二人ばかりとんでいったが、間もなくひと筋の縄を持って戻って来た、「……こいつが広瀬川上を渉《わた》るときからあとを跟《つ》けて来たんだ、はじめは味方かと思ったが、ここに身をひそめて鳶巣山の陣配りを偵察しているようすが徳川方の者だと思い、誰何《すいか》するといきなりとびかかって来た」源八郎は大六を犇々《ひしひし》と縛りあげながら饒舌《しゃべ》った、「貴公たち前哨にいながら、こんな近くまで敵のしのびに近寄られて気付かぬというのは迂闊《うかつ》だぞ……」「はあそれが、つい今しがた交代したものですから」敵兵はすっかり度胆をぬかれていた、「いったいここは誰の組だ」「三枝《さえぐさ》守友どのの持場さきでございます」「……さあ立て」源八郎はあらあらしく大六をひき起こした。そして敵兵たちをねめつけながら云った、「これからすぐ鳶巣の本塁へゆく、ひとり案内者《あないしゃ》を出せ」

[#4字下げ]四[#「四」は中見出し]

 源八郎のやり方は敵の意表をついた。時刻といい方法といい、あたまから疑惧《ぎぐ》を挿《さし》はさむ余地を与えないものだった。間もなく前哨兵《ぜんしょうへい》のなかから二人の者が案内に立ち、かれらは山伝いに鳶巣へと向って歩きだした。……鳶巣は船着山の峰つづきである。松や雑木林の間を細い杣道《そまみち》がつづら折に、尾根へ登り谷へ下って北へ伸びている。源八郎は歩きながら巧みに、案内の兵から本塁の布陣の模様をさぐりだした。それはかれの人柄のためかも知れないが、いかにもしぜんで無技巧だった。鳶巣には武田|信実《のぶざね》、三枝守友、名和《なわ》無理之助らを旗がしらに、約千余人の兵がいること、防備は本塁のほかに久間中山、姥ヶ洞、君ヶ伏床の三砦《さんとりで》があり、矢だまの貯《たくわ》えも充分なこと、……案内の兵は自分がなにを語っているかに気づかず、しまいには寧《むし》ろすすんで、問われぬことまで話しだすのだった。
「少し休もうか……」道が断崖《だんがい》に臨んだところへ来たとき、源八郎がそう云って立ち止まった、「ここは見晴しがよさそうだな」「霧がはれますと長篠城が見えるのですが……」「どの辺に当るか」「もっと右でございます、向うの松の」と手を伸ばしたとき、源八郎がその横腹を両手で突いた。あっという声を尾に曳《ひ》いて、その兵はつぶて[#「つぶて」に傍点]の如《ごと》く断崖を墜《お》ちていった、もう一人は本能的に身を飜《ひる》がえし、なにか叫びながらもと来たほうへ駈《か》けだしたが、源八郎は刀を抜きざま、ひっしと櫟林《くぬぎばやし》の中へ追いつめていった。……大六はにたりと笑いながら見ていた、泥の乾いた顔は紫色に腫《は》れあがり、片眼は殆《ほとん》んど塞《ふさ》がっているし、唇の片方は腫れてひき歪《ゆが》んでいたから、その笑い顔はなんとも奇妙なものにみえた。源八郎はすぐ戻って来た、「……ひどいぞ兵庫」大六は不平そうに呼びかけた、「拵《こしら》え喧嘩《げんか》ならはじめにそうと断わるがいい、なにも云わずにいきなり殴るという法があるか」「そうしたから敵が欺《あざむ》けたのさ」源八郎は刀を拭きながら答えた、「はじめから拵えた喧嘩ではとても欺けはしない、まず味方を謀《たばか》れというのはこのことだ、まあ怒るな大六」「それにしてもさ……」「そうだ、それにしてもだ」と源八郎は相手の言葉に押しかぶせて云った。かれは刀を鞘《さや》へおさめ、しずかに相手の眼を覓《みつ》めながら、「……いい折だから云っておくが、そこもとは日頃よくおれに憎い口をきく、たいていはつまらぬ事だから痛くも痒《かゆ》くもないが、一つだけ聞き遁《のが》すことのできないものがある。それはおれがたびたび部下を全滅させながら、少しも恥じないで一人のめのめ生きているという評だ」かれがそんな調子でものを云うのは初めてだった。大六はさすがに顔をひきしめたが、なにしろまえに云ったとおりの顔だから余りひきしめがいはなかった、「……なるほど世間には、部下を多く討死させて済まぬとか申訳ないとかいって、肩腰を竦《すく》めてみせる者がよくある、いちおう奥ゆかしくみえるかも知れぬが、おれにはみれん至極だとしか思えない。考えてみろ合戦だぞ」「…………」「さむらいとして戦場へ出る者は、はじめから討死は覚悟のうえだ、御馬前に討死することが武士の面目であるとは、言葉の綾《あや》でなく心の叫びだ、戦は勝つか負けるかの一途しかない、……たとえ僅《わず》かでも、部下を死なせては申訳ないなどという考えがあって戦ができると思うか、全軍無傷で還っても負けてはそれでおしまいだぞ」源八郎はふとそこで声を低くした、「……おれ自身が生き残っている事実はどうしようもない、その事ならなんとでも悪口を云え、だが断っておく、おれは今後も部下を全滅させることがあるかも知れない、しかし決して相済まぬとか申訳ないなどとは思わないぞ、少なくともそんな態度はみせたくはない、おれは戦うんだ、戦は勝つのが目的だ」大六は眼を下へおとしていた。いつか霧がはれだし、東天の雲間を割って朝日が輝やきはじめた、源八郎は黙って鎧《よろい》どおしを抜き、大六に近づいて縄を切りはなした、「ゆこう、鳶巣はもうそこだ……」
 源八郎は二日めに酒井の陣へ帰った。復命は思いのほかに精《くわ》しく明確なもので、忠次はひそかに舌を巻いた。……五月二十日、極楽寺山の信長の本営でいくさ評定《ひょうじょう》がひらかれた、どこに攻め口をとるかという点でいろいろ議論が出るうち、左衛門尉忠次が鳶巣山の攻略を提議した、「……かの砦は側面が断崖になっております、夜陰に乗じてその断崖を攀《よ》じ、ふいを衝《つ》いて攻めれば必らず落せると信じますが」「ばかな思案だ」間髪をいれず、信長がそう極《き》めつけた、「そんな小策は岡崎あたりの小迫合《こぜりあい》には向くかも知れぬが、武田軍の精兵と戦うには問題にならぬぞ」そして冷笑しながらあちらへ向いてしまった。忠次はむっとしたが、家康に眼で制止され、拳をにぎってがまんした。

[#4字下げ]五[#「五」は中見出し]

 その夜である。信長は酒井忠次をまねいて昼の過言を詫《わ》びた、「……そのほうの策は最上のものだ、されば万一漏れてはならぬと思って笑殺したのだが、ぜひ今宵《こよい》のうちに鳶巣へかかって呉《く》れ、余の手からも鉄砲五百|挺《ちょう》を添えるであろう」なお当座のこころざしだといって轡《くつわ》を引出物にし、壮行を祝った。
 柏崎物語《かしわざきものがたり》に「左衛門尉は鳶巣山へ廻らんとして、云々《うんぬん》、松山観音堂まで参り菅沼山へ登る。甚《はなは》だ難所にて二人並んでは登られず、山下にて甲冑《かっちゅう》をぬぎて面々に荷《にな》いて登る、数千丈の岩石にて辷《すべ》る下は谷深し。左衛門尉|下知《げじ》して案内者を出し、木の根に縄を結び付、それに取付き段々に登る云々」とあるが、川を渉《わた》り山谷を越えての挺進は困難を極めたが、夜明け前には全軍断崖を登り尽し、手早く戦備をととのえると、兵を四手に分けて怒濤《どとう》の如《ごと》く敵塁へ攻めかかった。……兵庫源八郎は敵の最左翼にある久間中山の砦を奪取すべき命をうけ、特に五十騎を授けられて突進したが、敵兵はいったん退却して砦を乗らせ、兵庫隊が占拠するのを待って猛然と逆襲に出た。これは思い設けぬことであった。「慌《あわ》てるな、おちつけおちつけ」源八郎は叱呼しながら兵たちを砦の要所へ配り、自ら刀を取って陣頭に奮戦した。敵の逆襲は巧妙なものだった、矢だまを思うさま射《う》ち込んでのち、息もつかせず突っ込んで来る、これを撃退するとまた矢だまを存分に射ちかける、押しつ返しつつ砦の内と外とでまさに鎬《しのぎ》を削る激戦が続いた。しかし悲しいかな兵庫隊には銃がないので、敵に思うような打撃が与えられないばかりか、味方の損害は刻々に増してゆくばかりだった、「……斬り込ませて下さい」部下の兵たちは堪《たま》りかねて叫んだ。「もうだめです。砦の中では死ねません、斬り込ませて下さい、あの甲州勢のまん中へ突っ込ませて下さい」「なにをうろたえるんだ、黙れ」源八郎はみんなをぐるっとねめつけて叫んだ、「なにがもうだめだ、ばかなことを云うな、おれの隊が本領を発揮するのはいつもこれからだぞ、がんばれ」この言葉は兵たちを絶望から救った、――兵庫隊が真の実力をあらわすのはこれからだ、そうだ、全滅に瀕《ひん》するとき兵庫隊は本当のちからをあらわす、そうだこれからだ、兵たちは眼を輝やかしどっと鬨《とき》をあげた。その闘志をひと束の烈火とするように、源八郎は大きく刀をふりかざして叫んだ、「かかれ、死に場所はここだ」
 鳶巣山の攻略は思ったほど容易ではなかった、酒井軍はいちど塁を奪取したが、間もなく逆襲をうけて奪回され、再びこれを乗取るという激しい迫合が行なわれた。しかし甲州勢は守将の武田信実、三枝守友、名和無理之助らの討死によって敗走し、堡塁《ほうるい》はついに酒井軍の占領するところとなった。……戦が終るとすぐ、忠次は三つの支砦《しさい》を見にいった、姥ヶ洞でも、君ヶ伏床でも苦戦の跡がなまなましかったけれど、久間中山の砦はさらに凄絶《せいぜつ》を極めたものだった、砦の外からどこもかしこも死者で埋まっていた。踏みくだかれた草、うち折られた木々、裂けた矢狭間《やはざま》、崩れた土石、そして眼を向けるところ足の踏むところ、すべてこれ敵と味方の死傷者だった。……忠次の扈従者《こしょうしゃ》のなかに小林大六がいた、かれは今にも兵庫源八郎がどこからかとびだして来るに違いないと思い、おちつかぬ眼であたりを眺めまわしながら歩いていた、しかし源八郎は出て来なかった。砦の中をすっかり検《あら》ため、一行が中央の高台へ戻って来ても、かれのあらわれるようすはない、――もしや、大六はふと息苦しくなり、思わず兜《かぶと》の緒《お》へ指を入れてゆるめた。
「……源八郎はおらぬな」忠次もおなじ思いだったとみえ、誰にともなくそう云いながら立ち止まった。すぐうしろにいた太田助三郎は暗い顔をして黙っていたが、そのとき運ばれて来た負傷者をみつけ、そばへ近寄っていって声をかけた、「……そのほう兵庫を見かけなかったか、兵庫源八郎も討死か」「存じません」負傷者は白くなった唇を震わせながら云った、「たださいごに、敵兵の中へ斬り込んでゆくのをちら[#「ちら」に傍点]と見ました。それがさいごでした」「……そうか」助三郎は手を振って忠次のそばへ戻った、「あの男も」と忠次は溜息《ためいき》をつくように云った。「……あの男も」やっぱり不死身ではなかった、そう云いたかったらしいが言葉を切った。そして心残りらしくもういちど堡塁の内を見まわし、やがてしずかに石段をおりた。しかしかれらが砦の大手を出ようとしたとき、叢林を押し分ける物音がして、やがてひょいと広場へ一人の武者があらわれた。……すさまじくひき裂けた鎧を着け、返り血をあびて、切尖《きっさき》の折れた太刀を右手に、兜を左の小脇《こわき》に抱えている、「おお兵庫……」助三郎が思わずおどろきの声をあげた、「生きていたのか兵庫……」
 源八郎はそこに左衛門尉のいるのをみつけ、びっくりした様子で膝《ひざ》をついた、「どうした源八」忠次は感動を押えつけた声でそう呼びかけた、「そのほうなにをしていたのだ」「はあ」源八郎は低頭した面《おもて》をしずかにあげた、「まことにお恥かしい次第でございますが、じつは兜を取り返しにいっておりました」「なに兜を」忠次は眼をみはった、源八郎はひどく具合の悪そうなようすで、身を縮めるようにしながら云った、「ここから斬って出まして、究竟《くっきょう》の敵と組打ちになりました、そのうちに、かなわぬと思ったものでしょうか、敵はふり切って逃げだしたのでございます、するとそやつの鎧の袖《そで》にわたくしの兜の留金がひっかかり、忍緒《しのびのお》が切ってあったものですから、やつめ強引にひき千切って、わたくしの兜を鎧の袖にぶらさげたまま逃げだしてしまいました」扈従の者のあいだにくすくすと笑いごえが弘《ひろ》がった、忠次の唇もゆるんだ、しかしかれは生《き》まじめな顔で続けた、「わたくしはその兜を返せとどなったのです、けれどもやつは聞えぬものかむやみに逃げてゆきますので、……しかたがございませんから谷の下まで追っかけて、取戻してまいりました、まことにお恥しゅうございます」取戻してまいりましたというところでどっと笑い声が揺れあがった。けれどもそのとき、哄笑《こうしょう》する人々のなかで一人だけ、よく帰った、よく生きて帰って呉れた、と呟《つぶ》やいている者があった、それはまだ眼のまわりを紫色に腫らしている小林大六だった。



底本:「風雪 山本周五郎テーマ・コレクション」新潮社
   1994(平成6)年4月5日発行
底本の親本:「新武道」
   1944(昭和19)年12月号
初出:「新武道」
   1944(昭和19)年12月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ

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