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茶摘は八十八夜から始まる
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茶摘は八十八夜から始まる
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)呟《つぶや》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)館|旅籠《はたご》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#6字下げ]
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[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
水野平三郎は江戸から呼び戻されるとき、その理由を察して、心外に思った。
「ばかなはなしだ」と彼は口に出して呟《つぶや》いた、「おやじにはおれがわかっていないんだ、このおれが酒や遊蕩《ゆうとう》に溺《おぼ》れるような人間だと思うのかな」
彼は帰国したが、父の五郎左衛門はなにも云わなかった。
水野五郎左衛門は九百七十石ばかりの老職で、そのときちょうど、矢矧川《やはぎがわ》の堤防工事の総奉行をしており、平三郎に自分の助役を命じた。矢矧川は一昨年の八月と去年の七月と、二年続けて暴風洪水にやられた。一昨年は堤防が五百間欠壊、田地三万三千石を流され、去年は六百五十間に及ぶ堤と、九千三百石余の田を流されたのである。普請現場の詰所は光円寺にあり、支配は鈴江主馬という男で、平三郎は午前九時から午後四時まで、毎日その光円寺の詰所へ通勤した。
総奉行の助役はほかに二人いたし、彼にはかくべつな事務はなく、詰所の一日は退屈なものであった。自分も退屈であるし、ほかにも退屈そうにみえる者がいる。そこで彼は、勤めが終ったあと、そういう連中の中から好ましそうな者をさそって、町へ飲みにでかけ、夜になってから家へ帰った。平三郎は友人なかまにもにんきがあり、女にもよくもてた。この城下町は海道でも随一といわれる繁昌な土地で、当時のことだからむろん料理茶屋などはなかったが、二軒の本陣と、三十軒ちかい旅館|旅籠《はたご》に、「岡崎女郎衆」なる女がいて、客の相手をした。触書などでは「食売女」といい、俗には「めしもり」ともいう。規則では一軒に二人しか置けないし、着物は木綿、髪道具はしかじかと、きびしい定めがあったけれども、大きな旅館などでは人数も多く、きらびやかに髪化粧し、着飾って座敷にはべったものらしい。平三郎は腕が立って男まえで、金遣いがきれいだったから、友達なかまに好かれる以上に、女たちに騒がれた。
――殿町の若旦那がみえた。
といえば、ほかの座敷に出ている女たちまで、そっとぬけだして来るというふうであった。だが、そんなことでやにさがるほど、彼は甘い男ではなかった。彼は意志が強く、友情にも、女にも、酒にも溺れなかった。
――おれは三河武士だ。
という爽やかな自尊心が、かなり美男である彼の顔に、いつもしっかりと据っていた。友人たちはまえから、殿町の水野は老成している、といっていたし、女たちの中には、若旦那とならいつでも心中する、などと云う者が幾らでもいた。
「酒や遊びなんぞつまらない」と彼は鼻で笑う、「やめようと思えばいつだってやめるさ、今日からだってやめてみせるよ」
父の五郎左衛門はめったに小言を云わなかった。ひとり息子で可愛かったばかりではなく、放っておいてもものになるやつはなる、という考えだったらしい。ただ一度、平三郎が酒を飲み始めたじぶん、こういうことを云った。
――酒も遊びも、そのものは決して悪くはない、それが習慣になることが悪いのだ。酒や遊びが習慣になり、やめられなくなると身を誤る、というのである。そのとき云っただけで、それ以来その話には決して触れないが、彼を江戸から呼び戻したのは、彼を信用しなくなったからに相違ない。もちろん、彼は江戸でも飲んだり遊んだりした。江戸へいったのは学問をするためであったが、平三郎は柳生の道場へ入門した。もともと剣術や柔が好きで、その道なら家中《かちゅう》でも群を抜いていたから、みるみるうちに腕をあげ、古参の者にさえ「一本願おう」などと云われるようになった。しぜん気の合うなかまができ、かれらを伴《つ》れて遊びにでかけるが、そこでも金ばなれはいいし、さっぱりした性分で、なかまの人望はもとより、女たちにも騒がれた。
彼は江戸で満足し、充実した生活をしていた。なにも不足のない、充実した生活に満足していたのである。それを二年そこそこで呼び返され、普請場の詰所などへやらされるというのは、明らかに酒と遊蕩に対する無言の懲戒にちがいない。そう思うと彼は愉快でないばかりか、自尊心を傷つけられるようにも思うのであった。
十月中旬の或る夜、十時をまわった時刻に、平三郎は時雨《しぐれ》に濡れながら、殿町筋の家へ帰って来た。彼はひどく酔って、そうして、しぼんでいた。彼はこの二三日、ずっとしぼんでいるのだ。十日ばかりまえに、詰所から帰ろうとすると、支配の鈴江主馬が「そう飲んでばかりいていいんですか」と云った。――なにを、と彼は主馬を見た。主馬は穏やかに微笑しており、彼は黙って詰所を出た。なにを小役人の分際で、と思ったのであるが、主馬の穏やかに微笑した顔と、懸念そうなその言葉とが、まるで針でも突刺さったように、頭の芯《しん》からはなれなくなった。
――そう飲んでばかりいていいのか。
という言葉が、しつっこく頭の中で聞えるのである。そう飲んでばかりいていいのか、また飲むのか、いいのか、まだ飲むのか、それでいいのか、いいのか、いいのか。といったふうで、頭の中に虻でもうなっているかと思われるほど、絶えまなしに聞えるのであった。
「よし」と彼は云った、「そんなら今日からやめてやる」
彼は決心した。今日こそ飲まないぞ、と決心したが、退勤するちょっとまえに、梶川伊八郎が来て、にやにやしながら、大林寺の門前でおこの[#「この」に傍点]に会った、と囁《ささや》いた。
「久しく来て下さらないと云って、うらんでいましたよ、考えてみると半月以上もいっていませんからね、今日あたりひとつ、どうですか」
彼は伊八郎と松尾忠之助を伴れて、おこの[#「この」に傍点]という女のいる浜屋へゆき、かなり更けるまで飲んで帰った。その翌日も浜屋へゆき、酔って帰る途中、「そうむきになるな」と自分に云った。
「酒をやめるぐらいぞうさのないことだ」と彼は云った、「しかしやめる理由もないのにやめることはないじゃないか」
頭の中では「いいのか、いいのか」と呟くのが聞えていた。いいのか、飲んでばかりいていいのか、また飲むのか、それでいいのか、いいのか、いいのか。――平三郎は二三日まえから自分が疑わしくなり、これはどういうことなのかと、まじめに考え始めた。まじめに考えてみると、どうやら捉《つか》まったらしい、ということを認めなければならなくなり、すっかりしぼんでしまったのであった。
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
こうなると自信などというやつは脆《もろ》いものだ。その夜、なかまと別れたあと、彼は伝馬町の通りで道掃除を見た。そんな時刻で雨も降っているのに、明日どこかの太守でも通るのだろうか、蓑笠《みのかさ》をつけた人夫たちが四五人ずつ組になって、濡れながら道の掃除をしていた。いつもなら眼にもつかないのだが、平三郎はいきなり殴られでもしたような顔になり、慌てて眼をそむけながら横丁へ曲った。
「いまのを見たか」と彼は自分に云った、「きさまなんぞ、まぐそ拾いも満足にできやしないんだぞ」
殿町筋の屋敷へ着くと、土塀について裏へまわった。屋敷の裏に当る西側だけ、柴垣になっており、木戸が付いている。夜おそく帰ったときはそこからはいり、親たちに気づかれないように庭をぬけて、自分の寝間へ、窓から忍び入るのである。――だが、その夜は客間にまだ灯がついてい、人の話し声が聞えるので、平三郎はどきっとして足を停めた。自分のことで集まっているのではないか、と直感したからだ。彼はそっと近よっていった。飛石が濡れているので、滑りそうになり、枯れた芝生の上をぬき足で歩いていった。
「詰腹を切らぬとすれば」
という言葉がまず聞えた。平三郎は急に耳が鳴りだすのを感じ、もっと近く、土庇の下へはいっていった。そのとき庇から衿首《えりくび》へ雨だれが落ち、彼は危うくとびあがりそうになった。
客は二人、城代家老でありここの本家に当る水野三郎右衛門と、江戸家老の分家で老職の、拝郷内蔵助であった。話はもう終りかかっているらしく、問題がよくわからなかったが、「詰腹を切らせる」という言葉が幾たびも聞えた。誰かに切腹させようということらしい。そのうちに父の声で、やむを得なければ毒害しよう、と云いだした。平三郎は息が詰りそうになった。
「うん」と本家が云った、「そのほうがいいかもしれぬ」
「それがいい、それにきめよう」と拝郷の云うのが聞えた。
「当人に知らせずに命を縮めるというのは、侍の道に外れた仕方ではありますが」と父が云った、「この場合はむしろ、そうするほうが慈悲かとも思うのです」
平三郎はそこをはなれた。
「おれのことではないな」と彼は歩きながら呟いた、「まさか酒と遊蕩ぐらいのことで、詰腹を切らされる筈はない、まして毒害しようなどというんだから、おれのことでないのは慥《たし》かだ」
庭をまわってゆき、自分の寝間の外へ近よった。音のしないように、雨戸と障子の敷居には蝋《ろう》が塗ってある。馴れているから巧みに中へはいり、すっかり濡れているので、まず寝衣《ねまき》に着替えたうえ、脱いだ物をひとまとめにして、そっと風呂舎へ持っていった。しかし刀はそのままにはしておけないので、忍び足で居間へゆき、手入れ道具の箱を持って出るとたん、廊下の向うから父に呼びかけられた。客を送りだして戻るところらしい、こっちへ近よって来ながら、「いまじぶんなにをするのだ」と訝《いぶか》しそうに訊《き》いた。
平三郎は抱えている箱を父に見せた、「刀の手入れです」
「ふむ」と五郎左衛門は彼の寝衣姿を眺めた、「寝てから思い出したのか」
「いやその、ちょっと、眠れそうもないものですから」そう云って彼は急に向き直った、「じつは話したいことがあるんですが」
「もうおそい、おまえ刀の手入れをするんだろう」
「暇はかかりません、どうしても聞いて頂きたいことがあるんです」
五郎左衛門は彼の顔をさぐるように見た、「おまえまた酔っているな」
「飲んではいますが酔ってはいません」と彼はいそいで云った、「まじめな話なんです、すぐに着替えてお居間のほうへ伺います」
そして自分の寝間へ戻った。
出してあった常着に着替えながら、平三郎は口の中で、なにかぶつぶつと自問自答した。彼は父に告白し、詫《わ》びを言おうと決心したのである。さっき耳にした三人の話から、強い自責の念に駆られ、まさか自分のことではあるまいと思う一方、このへんが締括りをつけるべきときだ、とも考えたのであった。
「そうか、――」突然、彼は帯をしめかけていた手を停め、顔をあげて呟いた、「あれは本多侯のことだ、そうに違いない、それならわかるのに、どうして気がつかなかったのかな」
平三郎の顔に安堵《あんど》の色があらわれた。よほどほっとしたらしい、ゆっくり帯をしめながら、彼は微笑し頭を振った。しかしすぐに、彼はまた表情をひき緊め、つよく唇を噛《か》んだまま、ながいことそこへ棒立ちになっていた。やがて襖《ふすま》の向うで、そっと彼を呼ぶ声がした。彼には聞えないようで、黙って立っており、すると静かに襖をあけて、母親のみや[#「みや」に傍点]が覗《のぞ》いた。
「どうなすったの平三郎さん、父上がお待ちかねですよ」
平三郎は身ぶるいをして振返った、「いまゆきます、すぐにゆきます」
母親は彼を心配そうに見まもったが、なにも云わずに去った。――五郎左衛門は居間で、茶をのんでいた。平三郎は火桶《ひおけ》からはなれて、きちんと坐り、まっすぐに父を見て口を切った。五郎左衛門は聞き終ってから、「そうだ」と頷《うなず》いた。
「だが、――どこで聞いた」
「どこで聞いたかは云えませんが、それがもし事実ならお願いがあるのです」彼は父の眼をみつめたまま云った、「どうか私に本多侯の相伴役をさせて下さい」
五郎左衛門は彼を見返した、「それはどういう意味だ」
「言葉どおりです」
「なにか仔細《しさい》があるのか」
「いたわしいと思うのです、このままでお命をちぢめるのはあまりにいたわしい、私が相伴役にあがれば、なんとか御行状を改めることができるかと思うのです」
五郎左衛門は火桶へゆっくりと手をかざしながら、感情を抑えた声で静かに云った。
「おまえは他人のことよりも、自分の行状を改めるほうが先ではないのか」
「そのこともあるのです」と彼は眼を伏せて云った、「それでお願いする気になったのです」
五郎左衛門は彼を見まもった。平三郎は眼を伏せたまま、じっと動かずにいるが、その姿ぜんたいが、悔恨と或る決意をあらわしているように思われた。
「なにか成算があるのか」
「ありません」と彼は答えた、「ただ、自分ならできるように思うのです」
「考えておこう」と五郎左衛門は冷やかに云った。
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
本多|出雲守《いずものかみ》政利が岡崎藩に預けられてからまる二年になる。政利はもと明石城六万石の領主だったが、家政紊乱《びんらん》の咎《とが》で領地を削られ、陸奥《むつ》のくに岩瀬郡のうち一万石を与えられたが、なお不行跡が改まらないため、その一万石も没収のうえ、酒井忠真に預けられた。酒井家には十年いたのだが、このあいだに酒乱の癖が昂《こう》じ、酒井家で預かることを断わったため、岡崎の水野家へ預け替えになったものであった。――初めは侍臣五人と三人の侍女が付いていた。けれども岡崎へ来たときには、萩尾という若い侍女が一人しかいなかった。他の七人は政利のために手打にされたり、そうでない者は政利の乱暴に耐えかねて逃げてしまったのだという。
すでに五十歳を越していたが、政利は躯《からだ》も大きく、力があって敏捷《びんしょう》で、いちど暴れだしたら手がつけられない。この岡崎へ来てからでも、相伴役の者が三人も斬られ、一人は重傷で、死にはしなかったが、片足を腿《もも》から切断しなければならなかった。朝から酒を飲み、喰《た》べもの、衣服、住居について贅沢《ぜいたく》を云い、それがとおらないと暴れだす。しかもすぐに刀を抜くので、しぜんとおさまるまでは近よることもできないのであった。
五郎左衛門はこれらの事情を平三郎に詳しく話した。平三郎もおよそのことは噂《うわさ》で聞いていたから、父の話でそれほど驚きはしなかったし、相伴役を勤めたいという希望も、飽くまで撤回しなかった。
「合議のうえ許してもよかろうということになった」と五郎左衛門が云った、「しかし、扱いかねるからといって、途中であやまるわけにはゆかぬぞ」
平三郎は黙っていた。自分から願い出る以上、念には及ばないという顔つきであった。
彼は村松義兵衛という前任者に会い、役目の手順を聞き、警護の侍や小者たちとも会った。そして、拝郷内蔵助に伴れられて北ノ丸へゆき、本多政利と対面して「相伴役交代」の挨拶をした。――政利は長い配所ぐらしの人にも似ず、骨太のひき緊った躯つきで、浅黒く酒焼けのした顔に、太く濃い眉と、まなじりの切れあがったするどい眼つきをしてい、下唇の厚い口許《くちもと》には、あらゆる事物に対する侮蔑《ぶべつ》と冷笑の色が感じられた。
萩尾という侍女は二十一歳になる。小柄で柔軟な躯つきが、ひよわそうにみえるし、おもながで皮膚の薄い顔だちや、長い睫毛《まつげ》に蔽《おお》われた、少し大きすぎるほどの眼や、やわらかに波打っている唇なども、ひよわそうで、いたいたしいような印象を与えた。
北ノ丸にあるその屋形は、現藩主(忠之)の祖父に当る監物忠善の建てたもので、隠居所にでもするつもりだったのか、間数は五つ、厨《くりや》が付いており、柱も床板も頑丈造りだが、ただ住むに足るというだけで、飾りらしい物はなにもなく、いかにもよく武張った忠善の好みをあらわしていた。――政利を預かるに当って、相伴役や警護の者のために、その側へ新しく長屋を建て、また、その周囲に柵《さく》を設けたが、屋形そのものは手入れをしただけで、造作は少しも変えなかった。もう一般に畳を用いるようになっていたが、そこは板敷のままで、昼は円座を用い、夜は敷畳を一枚置いた上に、夜具をのべ、枕許に屏風《びょうぶ》をまわして寝るのであった。
政利にはそれがまず気にいらなかったらしい。初めから「畳を敷け」と要求し、いまでも同じ要求を繰り返していた。平三郎に向って、第一に云ったのもそのことであった。
「酒井家ではこんなことはなかった、これは不当な扱いである、武家の作法を知らぬやりかただ、すぐに畳を入れてもらおう」
「岡崎ではこれが代々の家法です」と平三郎は答えた、「家中の侍はもちろん、藩主も日常は畳を用いてはおりません、これで御辛抱を願います」
次いで食事が粗末すぎること、火が乏しいから、もっと部屋|焙《あぶ》りや火桶を増し、囲炉裡《いろり》を作ること、また衣類や調度が不足なこと、外出運動をさせること、などというぐあいに、それも悪罵《あくば》に近い表現で云いつのるのであった。――平三郎は当らず触らずに受けながして、五日のあいだようすを見ていた。どんなに面罵されても相手にならず、それまでどおり酒も飲ませた。だだっ子のように不平不満を並べ、酔うと物を投げたり暴れだすようすが、平三郎には反感や軽侮を感ずるよりも、深い憐《あわ》れみの情をそそられるようであった。
そういう気持が通じたのであろうか、侍女の萩尾は平三郎に対して、しだいに感謝と信頼の色をみせはじめた。政利が暴れるだけ暴れ、疲れはてて寝てしまうと、長屋へさがる平三郎を送りだしながら、萩尾は囁くように詫びを云い、これからのことを頼むのであった。
「さぞお肚《はら》の立つことでしょうけれど、ふしあわせな者だとおぼしめして、どうぞ堪忍してあげて下さいまし」と萩尾は云った、「こんなことを申しては不躾《ぶしつけ》ですけれど、水野さまに代って頂いてから、乱暴も少なくなるようにみえますの、御迷惑でしょうけれど、どうぞお頼み申します」
平三郎は脇を見たまま頷《うなず》いた。
萩尾の言葉つきや、韻の深い声や、平三郎を見るまなざしには、自分で意識しないあらわな感情がこもっていた。それは殆んど平三郎を狼狽《ろうばい》させたくらいであるが、彼はけんめいに自分を抑え、無感動をよそおった。――五日間、政利のようすを見ているうちに、平三郎の思案もきまった。六日めになると、彼は父をその役部屋に訪ねて、政利を城外に移してくれるようにと頼んだ。幕府から預けられた者を、無断で城外に住まわせるのは違法である。しかし極秘でそうはからってもらいたい、自分が一命に賭けて責任を負う、と強調した。
老職の合議があり、平三郎の願いは許された。すでに幕府からは、「手に余るなら詰腹を切らせろ」という内達が来ている。それをよく覚えていて、万一のとき仕損じのないように気をつけろ、と五郎左衛門は注意した。
政利は大林寺へ移された。そこは城の北にあり、広い境内の一方は外堀に面しているが、西と北とに深い樹立があって、寺と墓地とを隔てていた。政利の移された建物は、その樹立の中にあった。住職の隠居所で、部屋は三つ、厨が付いており、外に井戸もあった。
「いよいよやるか」と大林寺へ移ったとき、政利が云った、「やるならやれ、おれは断じて自決しないし、手を束ねて斬られもせぬぞ、やってみろ平三郎」
平三郎は相手にしなかった。
「貴女《あなた》に働いてもらわなければならない」と彼は萩尾に云った、「ここへ移ったことは極秘なので、人を雇うことができないのです、私もできることは手伝いますが、炊事も洗濯も掃除も、みなやってもらわなければならない、承知してくれますか」
萩尾は頷いて答えた、「はい、仰《おっ》しゃるように致します」
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
「また、これから少し手荒なことをします」と彼は付け加えた、「見ていて辛い場合もあるでしょうが、ほかに手段がないのですから、どうか貴女は眼をつむっていて下さい」
萩尾の大きな眼に、不安そうな色があらわれるのを、平三郎は認めた。だが、不安そうな色はすぐに消え去り、彼女は「はい」とはっきり頷いた。
大林寺へ移った日から酒を禁じた。平三郎はそれを政利に告げ、今後も決して酒は出さないと云った。政利は黙っていたが、夕餉《ゆうげ》の膳部《ぜんぶ》に酒がないのを見ると、怒った。
「酒の付かぬ食事をしたことはない、おれは酒なしで食事はしない、さげろ」
「お断わり申しますが」と平三郎が云った、「これからは定刻以外には御膳を差上げません、もし御空腹になられても明朝まで差上げませんが、それでよろしゅうございますか」
「さげろ」と政利が云った。
平三郎は萩尾にめくばせをし、そのまま膳部をさげさせた。
その日の夕餉を喰べたのは平三郎だけであった。萩尾も欲しくないと云って、箸《はし》を取らず、平三郎は独りで喰べたが、彼も食欲はなく、また、気分がひどく悪かった。酒を断ってから六日になり、そろそろがまんが切れてきたのだろう。飲みたいという意識はないが、躯のほうが絶えずなにかを求め、喉《のど》の奥から胃のあたりにかけて、灼《や》けるような渇きと饑餓《きが》が感じられた。しんじつ灼けるような感じで、それをしずめるには一つの方法しかないことが、六日めのいまになってはっきりわかった。
「相伴役にあがったことはよかった」と、その夜寝てから彼は呟いた、「もし本多侯という人がいなかったら、おれはこの誘惑に勝てなかったろう、おそらく口実をみつけて飲みだしたことだろう、こいつは簡単なことじゃないぞ」
政利は翌日の朝食もとらなかった。
当時はまだ朝夕の二食が一般の習慣で、百姓とか、激しい労働をする者以外は、午飯《ひるめし》というものは喰べなかった。政利は酒を断たれたのと、食事を二度とらなかったのとで、午すぎになると激しい饑餓におそわれたらしく、全身をがたがたとふるわせながら、酒だ、酒だ、と喚きはじめた。――平三郎は横庭で薪を割っていた。彼は伝馬町まで用たしにゆき、帰って来てから薪を割りはじめたのだが、萩尾の叫び声を聞くと、斧《おの》を投げて駆けつけた。
政利は座敷のまん中に立っていた。顔は死者のように蒼白《あおじろ》く、眼がつりあがって、躯ぜんたいが瘡《おこり》にかかったようにふるえていた。
「水野さま」と萩尾が云った、「お願いでございます、ほんの少しでようございますから、どうぞいまだけお酒をあげて下さいまし」
平三郎は答えなかった。
「酒だ、酒をもて平三郎」と政利が叫んだ、砂で貝殻でも擦るような、乾いたざらざらした声であった、「たとえ預けられた身でも酒まで禁じられるいわれはない、命じたのは誰だ、云え平三郎、酒を禁じたのは誰だ」
「私です」と平三郎は答えた。
「相伴役にそんな権限があるのか」
「それは侯御自身がご存じでしょう」
政利は床間へゆき、刀を取って抜くと、鞘《さや》を投げた。萩尾が「水野さま」と叫んだ。平三郎は萩尾に手を振り、「来てはいけない」と云った。そこへ政利が斬りかかった。刀を上段から叩きつけるように、非常なすばやさで斬り込んだ。平三郎は左右の手を振り、躰を捻《ひね》った。政利は半円を描いて転倒したが、刀は手から放さず、はね起きるなり、また斬りつけた。平三郎は政利の腕を掴《つか》み、刀を奪い取ると、大きく叫びながら、腰ぐるまにかけて政利を投げた。
「水野さま」と萩尾が悲鳴をあげた、「どうぞそんな乱暴をなさらないで、水野さま」
そして政利の側へ走りより、起きあがろうとする政利を、泣きながら抱きとめた。
「もうおやめ下さいまし、お願いでございます」と萩尾はひっしに縋《すが》りついた。
「お放しなさい」と平三郎が云った、「とめてはいけない、好きなようにおさせなさい」
政利は萩尾を突きのけ、よろめきながら立って刀を拾った。萩尾はまた悲鳴をあげ、政利は平三郎に襲いかかった。平三郎はこんどもたやすく刀を奪い、肩にかけて政利を投げた。少しも容赦のない、力いっぱいの投げかたで、政利は烈しく背中を打ち、「う」というなりそこへのびてしまった。
萩尾が泣きながら、政利のほうへ走りよるのを、平三郎は見向きもせずに刀を拾い、ぬぐいをかけて鞘におさめると、床間の刀架へ戻しておいて、薪割りをするために、横庭へ出ていった。
まもなく、井戸のほうで釣瓶《つるべ》の音がした。振向いて見ると、萩尾が水を汲《く》もうとしていた。その井戸は深く、また釣瓶が大きいうえに重いので、水を汲むのは萩尾にはむりであった。平三郎は斧を置いてそっちへゆき、萩尾の手から釣瓶繩を取った。
「ひどい熱で、ふるえていますの」と萩尾は泣きじゃくりながら云った、「こんなこと、初めてでございますわ」
その声に非難の調子があるのを、平三郎は聞きとめた。
「病気ではない」と彼は云った、「酒を断ったのと食事をしないためです」
「お酒はどうしてもいけないのですか」
「そのことで話があります」と彼は水を汲みながら云った、「手があいたら来て下さい、ここで待っていますから」
萩尾はそっと頷いた。
半分ほど水を汲み入れた手桶をさげて、萩尾は厨へはいってゆき、平三郎は元のところへ戻って、薪割りを続けた。萩尾が出て来たのは、割り終った薪を、彼が薪小屋へ運んでいるときであった。
「いま眠っておりますの」と萩尾は近づいて来て云った、「お手伝い致しますわ」
「そのまえに話しましょう」と彼は云った。
着物に付いている木屑《きくず》をはたきながら、平三郎は林の中へと、萩尾をみちびいていった。松と葉の落ちた楢《なら》の林へはいってゆくと、枯草に掩《おお》われた狭い空地があり、そこに樹の切株が二つあった。向うは樒《しきみ》の生垣で、生垣の中は墓地になっている。平三郎は切株の一つを手ではらって、萩尾をかけさせた。
平三郎は立ったまま、どう話しだしたらいいか思案するように、暫く黙っていてから、やがて低い声で「本多侯に詰腹を切らせるようにと、幕府から内達があったのを知っているか」と訊いた。萩尾は「はい」と頷いた。
「私が相伴役を自分から買って出たのも、そのことを聞いたからです」と彼は云った、「侯は自決することを拒まれた、それで毒害という相談まで出たのです、わかりますか、やむを得なければ毒害するというのですよ」
[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]
おどろいたことに、萩尾は殆んど無感動に云った、「いっそ、そのほうがお仕合せかもしれませんわ」
「なんですって」彼は自分の耳を疑った。
「十年以上もこんな不自由なお暮しをなすったうえ、それだけが楽しみのお酒さえあがれなくなるくらいなら、いっそのこと死んでおしまいになるほうがいいと思いますの」
「聞いて下さい」と彼が云った、「うちあけて云いますが、私が相伴役を買って出たのは、もう一つ理由があるのです」
そして平三郎は、自分の酒と遊蕩のことを語った。父に訓戒されたが、自分がそんなものに溺れるとは思わなかった。いつでもやめられると信じ、だが、いつのまにかやめられなくなっていることに気づいた。そう気づいてから、その誘惑がどんなに強く、どんなに抵抗しがたいかということを知った。と平三郎は少しも飾らずに云った。
「私自身がそうだったので、本多さまの苦しさが身にしみてわかるのです」と彼は続けた、「詰腹か毒害か、という相談を聞いたとき、私は正直のところ自分のことかと思いました、それから、自分を本多さまの立場において考えてみたのです、このまま切腹することができるか、――いや」と彼は首を振った、「それはできない、このままでは死ねない、これでは生れてきた甲斐《かい》がない、死ぬ決心なら行状を改めるくらいのことはできる、私はそう思いました、あの方の立場に立ってみてそう思ったのです」
「でもそれには殿さまは、もうお年をとりすぎていますわ」
「まったく年をとっていないともいえるでしょう」と彼は云った、「あの方は六万石の世子に生れ、六万石の領主の生活と、十余年にわたる配所ぐらしのほかは御存じがない、世間へ出したら、失礼な云いかたですが、おそらく二十歳の青年ほども年はとっていないと思う、貴女にはそう思えませんか」
萩尾は黙って、ごくかすかに頷き、それから眼をあげて平三郎を見た。
「もしかして」と萩尾はおそるおそる訊いた、「――殿さまの御行跡が直るとしましたら、公儀のおぼしめしも変りますでしょうか」
「わかりません、それは答えられませんが、このまま死を待つよりはいいと思います」彼はそこでひそめた声に力をいれて云った、「――見ているのは辛いでしょうが辛抱して下さい、いまあの方に必要なのは同情や憐れみではなく、立ち直らせる鞭《むち》、立ち直る力となる鞭です、わかりますか」
萩尾は腰かけている膝《ひざ》へ肘《ひじ》をつき、両手で顔を押えながら云った、「母が同じようなことを申しておりました、殿さまがこうなったのはお側衆の罪だ、もっときびしくお育て申し、身に代えて直諫《ちょっかん》する人がいたら、たとえ生れつきわがままな御性分でも、これほどすさびはなさらなかったろう、お側に人のいなかったことが殿さまの御不幸だったと、よく申しておりました」
「すると、お母さまもお側に仕えておられたのですね」
「はい」と萩尾は頷いた、「萩尾というのは母の呼び名でしたの、わたくしは里子にやられまして、十二の年に母の側へよばれ、母が亡くなりましてから、母に代ってお世話をしてまいりました」
自分の本名はうた[#「うた」に傍点]。母は四年まえ、政利が酒井家に預けられていたときに死んだ、と萩尾は云った。平三郎は下唇を噛みながら、包むようなまなざしで萩尾を見まもった。
「お父さまはどうなすったのです」
萩尾は躯を固くし、それから立ちあがって云った、「わたくしもう戻ります、お眼ざめになるといけませんから」
平三郎は脇へよけた。
「どうぞ、――」と萩尾は俯向《うつむ》いたまま、囁くように云った、「殿さまのことをお願い申します」
平三郎は自分の質問が、彼女にとって辛いものだったということを悟り、どう辛いかという理由はわからないが、自分に対して舌打ちをした。
夕餉のときにも同じ騒ぎがあった。政利は酒を要求して暴れだし、刀を抜いて平三郎に斬りつけた。萩尾は隅のほうで顔を掩《おお》って泣き、平三郎は政利を投げとばし、組伏せ、また投げとばした。そして、政利が動けなくなると、介抱を萩尾に任せて、庭へ出ていった。
その夜十時ころ、――平三郎は布子|半纏《はんてん》に股引《ももひき》という姿で、寝ている政利を起こし、同じような布子半纏と股引を出して、政利に「これを着て下さい」と云った。洗ってはあるが着古した品で、紺の色も褪《さ》めているし、肩や膝には大きな継が当ててあった。政利は黙ってそれを眺めていた。
「どうぞ着て下さい」と彼は云った。
「なんだ」と政利が云い返した、「こんな物を着てどうするのだ」
「町へ出るのです、着て下さい」
政利は眼をそばめた、「町へ出る、――」
「着て下さい」と彼はするどく云った。
政利は横になろうとした。平三郎は歩みよって、政利の腕を掴み、乱暴に立ちあがらせた。平三郎の手にはうむをいわさぬ力がこもってい、政利は痛さのあまり顔をしかめた。
「さあ、股引からはいて下さい」
「手を放せ」と政利は呻《うめ》いた。
襖をあけて、萩尾がこっちへ来ようとした。平三郎は屹《きっ》と振返り、「来るな」というふうに首を振った。萩尾は顔をそむけながら、襖を閉めた。――政利は着替えた。それはまるで、平三郎に掴まれた痛みに操られてでもいるような、意志のともなわない動作であった。
「結構です、でかけましょう」
彼は玄関で政利に足袋と草鞋《わらじ》をはかせ手拭で頬かむりをした上から、筍笠《たけのこがさ》をかぶらせた。彼自身も同じように身拵《みごしら》えをしたが、足は素草鞋であった。彼は人足問屋の印のある提灯《ちょうちん》に火をいれ、「まいりましょう」と云って、寺の庫裡《くり》のほうへ歩きだした。――曇った夜で、空には星ひとつ見えず、風はなかったが、気温はひどく低かった。裏門を出た二人は、肴《さかな》町の通りを東へゆき、籠田の惣門《そうもん》を通って、伝馬町の人足問屋へいった。まえに通じてあったから、町木戸も門も黙って通したし、問屋では平三郎の来るのを待っていた。老人の手代が出て来て、二人を店の横へ案内をし、そこにある箱車を「これです」とさし示した。
「中に塵取《ちりとり》も箒もはいっています」と手代は云った、「町筋にはすっかり話してありますが、なにかあったらこの問屋へ掛合うように仰しゃって下さい」
平三郎は礼を述べてから訊いた、「――身分のことは内密になっているだろうな」
「知っているのは主人と私だけでございます」
「よし、いってくれ」と平三郎は頷いた。
手代は店のほうへ戻った。
「さあ、この提灯を持って下さい」と平三郎が云った、「車は私が曳《ひ》きます」
「なにをするんだ」
「提灯を持って下さい」と彼は云った、「なにをするかは歩きながら話します」
[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]
伝馬町から東へ、両町も通りぬけて、畷道《なわてみち》のかかりへ来ると、平三郎は車を道の端へ停め、梶棒のあいだから出て、車の箱の中から、箒と、竹で編んだ大きな塵取を二組取り出し、一組を政利に渡した。だが、政利は取るより早くそれを放りだした。
「おれは平八郎忠勝の曽孫だ」と政利はふるえながら云った、「たとえ改易、配流となっても、平八郎忠勝の正統であることに変りはない、そのおれに道掃除をしろというのか」
平三郎は近よって、両手で政利の腕の付根を掴んだ。彼の手には、満身の力がこもっており、政利は腕が痺《しび》れるのを感じた。
「貴方《あなた》が忠勝公の曽孫なら、私は岡崎の老職、水野五郎左衛門の嫡男です」と彼はひそめた声で云った、「わかりますか」と彼は掴んだ手にもっと力をいれた、「家柄や血統はその人間の価値には関係がありません、貴方は忠勝公の正統であることを、誇るよりもむしろ恥じるべきでしょう、六万石の家を潰《つぶ》し、家臣を離散させた、そのことを考えて下さい、旧御家臣の中には路頭に迷っている者があるかもしれない、それをよく考えて下さい」
彼は政利をぐいと揺りたてた。政利は呻き声をあげ、ついで「手を放せ」と云った。
「道掃除をなさいますか」
政利は黙ったまま弱よわしく頷いた。
「貴方おひとりにさせはしません、私もやります」と云って彼は手を放した、「こんなことは私も初めてですが、ベつにむずかしい仕事でもないでしょう、では始めるとしましょう」
平三郎は提灯を取って腰に差し、政利に塵取と箒を渡したうえ、自分のを持って歩きだした。
岡崎は東海道でも繁昌第一といわれる土地で、早打や急飛脚などが夜でも往来するし、それらのために、夜明しの建場茶屋や旅籠なども幾軒かあった。また、参覲《さんきん》で上り下りする諸侯にも、ここでは「馳走触」をするので、町筋はつねに掃除を怠らないよう、きびしい規則があり、大藩諸侯が宿泊するときなどは、夜間でも火の用心や掃除のために人が出た。平常はむろん日暮れまでであるが、人馬の往来は終夜――疎らにしても――絶えないから、道筋は牛馬の落した不浄や、切れた草鞋や紙屑《かみくず》などで、かなりよごれていた。
「これではだめですね」少しやってから平三郎が云った、「これでは手許が暗くなる、提灯を持って下さい、交代でやりましょう」
彼は提灯を政利に渡した。
一人が提灯で照らし、一人が掃除をする。車の箱は四つに仕切ってあり、牛馬の不浄や紙屑などを、それぞれの仕切りに分けて入れるのだが、馴れない動作をするので、政利はいうまでもなく、平三郎もたちまち疲れてきた。
畷のかかりは欠村という、そこから投町、両町と続いて、伝馬にはいるのだが、十王堂の前まで来たとき、平三郎はひと休みした。政利は昨日から食事をしていなかったし、働くなどということは生れて初めての経験だから、疲れもいっそうひどかったらしく、凍てた地面へじかに腰をおろし、両足を投げだして呻き声をあげた。――空は曇ったままで、寒気は骨にしみとおるほど強く、少し休んでいると躯がふるえだし、手足の爪先が痺れるように感じられた。暗い道の上を西から東へ、荷馬が二頭ゆき、東から飛脚が走って来て通りすぎた。一人が提灯をかかげて先を走り、状箱を担いだ一人がそのうしろを走っていた。腰きりの半纏にから脛《ずね》で、しっしっ、しっしっというような掛声が、こちらの前を通りすぎ、遠ざかってゆき、やがて聞えなくなった。
「始めましょう」と平三郎が云った。
政利は動かなかった。
「立って下さい」と彼は云った、「動いているほうが温かいですよ」
「いやだ」と政利が云った。
平三郎は側へより、両手で政利の肩を掴み、力任せにひき起こした。政利はまた呻き声をあげ、平三郎は掴んだ手に力をこめて、ぐいぐいと政利を揺りたてた。
「放せ」と政利は苦しそうに云った、「やるから放せ」
「いま通った馬子や飛脚をごらんになったでしょう」と彼は手をゆるめずに云った、「生計をたて妻子を養うために、かれらはこの寒夜を眠らずに働いているのですよ、かれらには限らない、世の中には食うだけのためにけんめいな人間が、数えきれないほどたくさんいるのです、考えてみて下さい、貴方はこれまでにいちどでもそういう苦労をなさいましたか、配所ぐらしをなさるようになってからも、衣食住に不自由はなさらなかったでしょう、そこをよく考えてみて下さい、わかりますか」
そして彼は手を放した。彼はひどく顔をしかめ、政利に提灯を渡すと、まるでなにかから逃げだそうとでもするような、おちつかない動作で掃除を始めた。彼はいま自分の口から出た言葉で、自分が恥ずかしくなり、良心にするどい痛みを感じたのである。
――それは他人に云うより、自分に云うべきことではないか。
平三郎はそういう囁きを聞いたように思った。慥かに、すぐ側に誰かいて、彼の耳に口をよせ、冷笑しながらそう囁きかけたように感じられた。
「いまに思い知らせてやるぞ」と政利はふるえながら呟いた、「このままでは済まさぬ、いまにきっと思い知らせてくれるぞ」
平三郎は振返ったが、なにも云わずに掃除を続けた。
伝馬町へかかると、障子に灯の見える家が多くなった。旅館、旅籠を合わせると百軒を越し、妓《おんな》を置く宿だけで三十軒ほどあった。これらの宿のうち、店先の一方にある蔀際《しとみぎわ》が、板縁になっているのと、竹縁になっているのとがあって、後者は「竹」と呼ばれ、格が一段下であった。平三郎はそのことを政利に話そうとし、口まで出かかったが、ぎゅっと唇をひき緊めてそっぽを向いた。
――饒舌《しゃべ》りすぎる、きさま饒舌りすぎるぞ。
彼はそう自分を叱りつけた。
伝馬町から曲って、六地蔵町を済ませると、車はほぼいっぱいになった。時刻も午前四時にちかいらしい、政利は空腹と疲労とで、立っているのがようやくというふうに見えた。平三郎は二人の道具をしまい、「今夜はこれで終りにしましょう」と云って、自分で車を曳き、伝馬町の問屋へ帰った。
問屋の店は閉っていた。平三郎は店の横を裏へまわり、そこで箱の中の物をおろした。その空地に低く板囲いをして、牛馬の汚物、紙屑、襤褸《ぼろ》、古草鞋や繩切など、それぞれ別に積んである。彼はその仕切りどおりに始末しながら、地面に霜のおりているのと、自分の息が白く凍るのとに、初めて気づいた。
[#6字下げ]七[#「七」は中見出し]
車を片づけ、井戸端で手を洗うと、にわかに、明け方の寒さが感じられた。
「温まるものを喰べて帰りましょう」
平三郎はそう云って、両町のほうへとあと戻りをし、政利はそのあとから、ただ惰性で歩くような足どりでついていった。
両町の中ほどに、「あわ雪」と障子に書いた夜明しの茶店があった。馬子、駕籠屋《かごや》、飛脚、近在から来る農夫などがおもな客で、また、遊び帰りの若侍たちも、「飲み直し」と称して、面白半分にたち寄ることがしばしばある。泡雪豆腐はこの土地の名物として古くから知られているが、その茶店では、つけ揚げを入れた饂飩《うどん》が評判であった。
平三郎はその饂飩を喰べた。つけ揚げというのは魚か海老を油で揚げたもので、そのこってりした味が熱い饂飩にしみて、なかなかの珍味だといわれていたが、政利は喰べなかった。
「食わぬ」と政利は強く首を振った、「こんな下賤なものが食えるか、無用だ」
意地になっているばかりではない、過度の空腹と、激しい疲れと怒りとで、たべものなどはうけつけない状態のようであった。
明くる夜もその次の夜も、そして、それ以来ずっと休まずに、毎晩でかけて道掃除をした。十日めぐらいまでは力ずくで伴れださなければならなかった。平三郎自身、初めは躯の節ぶしが痛み、立ち居に不自由を感じるほどであった。武芸で鍛えた若い筋骨も、違った使いかたをするとまいるらしい。政利は年も年だし、かつて労作らしいことをしたためしがないから、どんなにこたえるかはおよそ察しがついた。しかし平三郎は見て見ぬふりをし、一晩も休ませようとはしなかった。
「だめです、休めば却《かえ》って苦しくなります」と彼は云った、「馴れるまでの辛抱ですからがまんして下さい、でかけましょう」
彼は萩尾に、眼をつむっていてくれ、と云ったが、いまは自分が眼をつむる気持で、むりやりに政利を伴れだした。萩尾にはなにも云わなかった。政利も話さないらしく、萩尾はおちつかない不安そうなようすをしていたが、それでもなにも訊こうとはしなかった。
十日めを過ぎるころから、政利はようやくおとなしくなった。半月ちかく経った或る日など、夕方から雨になったので、「今夜は休もう」と云うつもりだったが、時刻が来ると、政利は黙ってでかける身支度をした。平三郎はふと眼のうちが熱くなるように思い、寺の庫裡へいって蓑《みの》を借りて来た。
「弱気になるな」と彼は自分に云った、「息を抜かずにやりとおせ、息を抜くと元の杢阿弥になるぞ」
その夜の仕事が終ったあと、政利は初めて饂飩を喰べた。そんなに熱いものには馴れていないのだろう、初め一と口入れると「あ」と云って吐きだし、唇をすぼめてふうふうと息を吸った。もちろん蓑笠はぬいでいるが、手拭の頬かぶりはしたままなので、唇をすぼめて息を吸う政利の顔は殆んど道化てみえ、平三郎は危なく笑いだしそうになった。
「ばかげて熱い」と政利はふきげんに呟いた、「舌を焦がしてしまった」
平三郎は黙って喰べ続けた。
次のときには用心して喰べ、茶店を出ると、怒ったような声で「うまかった」と云った。
「うまいものだな」と惣門のところでまた政利は云った、「あんなうまいものは初めてだ」
「お口に合えば結構です」
平三郎の口ぶりが冷淡なので、政利はなおなにか云いかけたが、思い返したようすで眼をそむけた。
政利の態度がしだいに変ってきた。道掃除に馴れるのとともに、周囲の見聞にも興味をもち始め、馬子や駕籠屋、人足、百姓たちのすることや話すことを、熱心に見たり聞きいったりした。或る夜、――霜月中旬のことであったが、京へのぼる老中の行列がはいることになり、作法触が出た。掃除も常よりは入念にやり、町筋では盛り砂三カ所、家の前には水手桶、箒などを出す。投町、材木町、下肴町などの茶屋の店は、簾《すだれ》をまわして囲い、どの家でも不浄場には蓋をする。また道に沿った田畑は一日まえから肥を止め、見苦しい物はすっかり片づける。などということが厳重に行われた。
町役の指図で、住民や助郷、人足たちが走りまわるのを眺め、「作法触」の仔細を聞くと、政利は事のおおげさなのに驚いたらしい。折も折、十王堂の前で、台提灯の支度をしていた男たちが、高声でしきりに不平をならべているのを聞いた。特に悪意をこめたわけではない、ありふれた不平にすぎないが、政利には相当つよくひびいたようであった。
「おれはそう思うんだが」と男の一人が云った、「一生のうちに一度でもいいから殿さまになって、こういうけしきを駕籠の中から暢《のん》びり眺めたいもんだ」
「そうかな」とべつの男が云った、「おれがもし殿さまになったら、こんなばか騒ぎはやめにするがな」
「どっちも間違ってら」と老人らしい声が云った、「お大名なんて者は、こんな作法触の苦労なんぞ知りゃあしねえ、知らねえから、眺めたってべつにいいこころもちでもなんでもねえさ、また、こんな騒ぎをやめるのなんのというような、ちっぽけな気持じゃあ大名などは勤まらねえもんさ」
「じいさんは大名に詳しいな」と一人が云い、すると他の一人が云った、「ちっぽけな気持で済まなかったよ」
政利は箒を使いながら耳をすましていた。箒を使うのがうわのそらで、その話にすっかり気を取られていることが、平三郎にはよくわかった。
そのじぶんにはもう、茶店へ寄ることが楽しみになったようで、饂飩もお代りをするし、他の客たちの話を聞いて、くすくす笑うようなこともあった。またしばしば、かれらの話にひきつけられて、喰べ終ってからもあとを聞きたそうに、立ちしぶることがあったし、話の中でわからないことがあると、外へ出てから平三郎に訊き糺《ただ》すようになった。
「ようなびとはなんだ、あのねいはとんてきだがようなびをする、と話していたが、どういうことだ」
「ようなびは夜稼ぐことです、ねいとは娘のことで、あの娘は夜も稼ぐというわけです」
「とんてきとはなんだ」
平三郎は首をかしげた、「存じません、いずれ岡崎|訛《なま》りでしょうが、訊いておきます」
訊いてみたら「おてんば」という意味であったが、政利にうまく説明できないのに困った、などということもあった。――十一月下旬になって、平三郎は父から呼ばれ、久方ぶりに殿町筋の家へ帰った。
[#6字下げ]八[#「八」は中見出し]
五郎左衛門はむろん道掃除のことを知っていた。詳しい理由は云わなかったが、平三郎があまり熱心に頼んだので、とにかく手続きをとり、その手配をしてやった。だが、夜半を選んで道掃除をする、などということは桁《けた》外れであるし、特にそれを政利にやらせるとなると、まず不可能とみるほかはなかった。
――やるにしても、どうせ長続きはしないだろう。
そう思っていた。それで、平三郎の報告を聞いても、すぐには信じられないようすで、いちいち念を押して訊き返した。平三郎はできるだけ控えめに話し、飾ったり誇張したりしないように注意した。
「では、――」と五郎左衛門は疑わしそうに訊いた、「本多侯は行状が改まったというのか」
「いや、そうは申しません、ただ、このように変って来たという、事実を申上げただけです」
五郎左衛門は暫く黙っていて、ふと眼をそばめて平三郎を見た。
「いったいどうして、道掃除などということを思いついたのだ」
平三郎は頭を垂れた。彼の頸《くび》から耳のあたりが赤くなり、膝の上の手が固くにぎり緊められた。
「すっかり申上げてしまいます」と彼は頭を垂れたまま云った、「そもそも始めは、相伴役を願って出たときのことですが、あのころ私は自分で自分にあいそをつかしていたのです」
平三郎は正直に告白した。いつでもやめられると信じていた酒や遊蕩が、事実は、いつのまにかやめられなくなっていたこと。――酒や遊蕩そのものが悪いのではなく、習慣になることが恐ろしいのだ、という父の訓戒を思いだし、そこからぬけ出ようと努力したが、どんなに困難であるかがわかり、殆んど絶望しかけたこと。そうしてあの夜、客間で本家の三郎右衛門や拝郷や父の話しているのを聞き、「詰腹」とか「毒害」とかいう言葉を耳にして、自分のことではないかと思ってぞっとしたこと、などを語った。
「それが本多侯の問題だということはすぐにわかりました」と彼は続けた、「そのとき私は、同じ病気を病んでいる者同志、というような気持を感じたのです、自分の酒や遊蕩も、本多侯の御乱行もべつのものではない、自分なら本多侯の弱さや、苦しさや、心の痛みがわかるだろう、そう思って相伴役を願い出たのです」
同じ夜のことだが、酔って帰る途中で、道掃除をしている人夫たちを見た。夜の十時すぎで、小雨が降っていた。そんな時刻に、濡れながら道掃除をしている人夫たちの姿を見たとき、自分はかつて経験したことのない、するどい良心の痛みを感じた。
「きさまにはまぐそ拾いもできないじゃないか、――とそのとき私は自分に云いました」と彼は頭をいっそう低く垂れた、「まったくそういう気持でしたし、それが道掃除をするきっかけになったのです」
五郎左衛門が訊いた、「どういう効果があると思ったのか」
「なにも考えませんでした」
「これからも続けるつもりか」
「そのつもりです」と平三郎は答えた。
五郎左衛門は片手で火桶のふちを撫《な》で、その眼を壁のほうへ向けながら、「じつは公儀からその後のようすを知らせろと云って来た」と低い声で云った。おまえも承知のとおり、あまりに行跡がひどいので、公儀へうかがいをたてた結果、やむを得なければ詰腹を切らせろという沙汰があった。それに対して、「ようすを知らせろ」というのだから、なんとかはっきり返事をしなければならぬ、どう返事をしたらいいか、と五郎左衛門が訊いた。
平三郎は当惑したように云った、「もう少し待つことはできないのですか」
その言葉は五郎左衛門にとって意外だったらしい。明らかに、彼はわが子からべつの答えを期待していたとみえ、顔には不満の色があらわれたし、その眼はするどい光りを帯びた。
「おまえは」と五郎左衛門が云った、「自分で責任が負えないのか」
平三郎は父の表情を見、その言葉の意味を考えた。そして、急に眠りからさめたように、明るく微笑しながら云った。
「私に責任を負わせてもらえるのですか」
「むだなことを云わなくともいい、公儀へはどう答えるのだ」
「御乱行はおさまるものと信じます、その責任は私が負います」
五郎左衛門は「よし」と頷き、それから少し機嫌を直したように云った、「芯まで腐った木にも芽の出ることがある、だが、その芽は必ずしも腐った幹のよみがえった証拠にはならない、饂飩をよろこんで喰べるくらいのことで気をゆるすと、後悔するぞ」
平三郎は「はい」としっかり頷いた。
五郎左衛門が声をかけると、それを待っていたように、母が茶と菓子を持ってはいって来た。菓子は母の手作りで、無花果《いちじく》の実を乾して砂糖で煮たものであった。平三郎は茶だけ啜《すす》り、菓子は包んでもらって立ちあがった。
大林寺へ帰ったのは午後三時ごろであった。裏門からはいり、いつものように庫裡の横をぬけてゆくと、その裏にある植込のところで、萩尾が寺の下男と立ち話をしていた。彼は呼びかけようとしたが、急に口をつぐみ、二歩ばかりうしろへさがった。――萩尾がその下男から、酒の徳利を受取るのを認めたのである。平三郎はつよく唇を噛んだ。萩尾はこちらには気づかず、しかしいそぎ足で離屋のほうへ去ってゆき、平三郎はそのあとからゆっくりと歩いていった。
「いや、まさか」と彼は口の中で呟いた、「まさかそんなことはあるまい」
彼は急に疲れを感じた。足が石にでもなったように重く、そうして、耳の奥で父の笑う声が聞えるように思った。彼はもっとつよく唇を噛み、立停って空を見あげた。空はしらじらと晴れており、墓地のほうから線香の匂いが漂って来た。
平三郎が厨へはいってゆくと、暗い板の間でなにかしていた萩尾が、「あ」と声をあげ、なにかをとり落して、それが高い音をたてた。平三郎は大股《おおまた》にそっちへ歩みより、萩尾は板の間に膝をついたまま、大きくみはった眼でこちらを見まもっていた。――彼女の前に酒の徳利があり、燗鍋《かんなべ》があった。燗鍋は横にころげていて、うちまけられた酒が強く匂った。平三郎はそれらを眺め、それから萩尾を見た。萩尾は大きくみはった眼で、平三郎をまっすぐに見あげていたが、やがて、その眼が涙でいっぱいになり、まるで草の葉から露でもこぼれるように、涙が膝の上へこぼれ落ちた。
「いつからです」とやがて平三郎が低い声で訊いた、「いつから飲ませていたんです」
萩尾は口をあいたが、舌でも痺れたように、なにも云うことができなかった。
平三郎は高い声で云った、「お云いなさい、いつからこんなことをしていたんです、こんなことをして、貴女は恥ずかしくないんですか」
彼は板の間へあがり、片膝をついて、いきなり萩尾の衿を掴んだ。怒りとも憎悪ともわからない、激しく暴あらしい感情で胸がいっぱいになり、彼は乱暴に萩尾を小突いた。
[#6字下げ]九[#「九」は中見出し]
「貴女は恥ずかしくないのか」と平三郎は叫んだ。
「かんにんして下さい」と萩尾がおろおろと云った。涙のこぼれ落ちる眼で、平三郎をひたと見あげたまま、萩尾はおろおろと云った、「じっと辛抱していらっしゃる、殿さまのごようすが、あんまりおいたわしくて、どうしても差上げずにはいられなかったのです」
「いつからだ」と彼はもっと強く衿を掴みあげた、「いつから飲ませていたのだ」
「これで三度めです」と萩尾が云った、「わたくしの差上げるだけしかめしあがりませんし、めしあがっても乱暴はなさいません、もう少しくらいならいいと思ったものですから」
そのとき、「放せ」と叫ぶ声がした。
あけてある杉戸のところに、政利が立っていた。拳をにぎった左手は腿《もも》にそってさげ、右手はうしろに隠していた。平三郎は萩尾の衿を掴んだまま、上躰《じょうたい》を捻って振返った。
「その手を放せ」と政利が云った、「萩尾に手を触れるな」
平三郎は手を放した。すると政利は「無礼者」と絶叫しながら踏み込んだ。その右手でぎらっと白刃が光り、萩尾は悲鳴をあげた。平三郎は躯をあおってとびこみ、政利の右手を逆に取ると、力に任せて押しつけ、緊めあげながら、ぐいぐいと奥の座敷まで押し戻した。政利は大喝し、取られた腕を振放した。政利は躰力を恢復《かいふく》していた。腕を振放して立ち直ったようすには、躰力を恢復したことがよくあらわれていた。平三郎はうしろへとびさがった。
「今日こそ」と政利が歯をみせて云った、「今日こそ思い知らせてくれるぞ、動くな」
平三郎はとび込んだ。うしろで萩尾が叫び声をあげた。
政利は刀を振ったが、平三郎はつぶてのようにとびこみ、政利を肩にかけて投げた。重おもしい響きと共に家が震動し、はね起きようとする政利を、がっしりと平三郎が押えこんだ。政利の手から刀がとび、なおはね起きようとして、両足で畳を打った。――平三郎は上からしっかりと押え、右手を政利の首にあてて、ぐっぐと絞めつけた。政利の喉でかすれた喘鳴《ぜいめい》が起こり、萩尾がうしろから平三郎の背にすがりついた。
「おゆるし下さい、堪忍して下さい」と萩尾が泣きながら叫んだ、「殿さまに罪はございません、わたくしが悪かったのです、どうぞ堪忍して、放してあげて下さいまし」
「聞えますか、いまの言葉が聞えますか」と平三郎は政利に云った、「萩尾どのは二十幾歳になる今日まで、殆んど世間へも出ず、娘らしいよろこびも楽しみも知らず、ゆくすえになんの希望もないのに、流人同様のこなたさま一人を頼みにし、こなたさまがいたわしいというだけで仕えて来たのですよ、他の侍者がみな去ってゆくなかで、直接にはなんの恩顧もない萩尾どの一人は残っていた、なんのためだと思うのです、私は男だからいい、私には将来もある、だが娘ざかりをこんなふうにくらし、ゆくすえの望みもない萩尾どののことを、考えてみようとは思わないのですか、それでもこなたさまは、平八郎忠勝公の嫡孫だといえるのですか」
「これに構うな」と政利がしゃがれた声で云い返した、「これがおれと生涯を共にするのは当然だ、きさまになにがわかる、こまち[#「こまち」に傍点]はおれの娘だ」
平三郎は聞き違えたかと思った。だが、彼の背にとりすがっていた萩尾が、彼の背からすべって泣き伏したとき、政利がなにを云ったかということを理解した。政利のほうでは、自分が云ってはならないことを云ったのに狼狽したらしく、「いや違う」と首を振り、全身の力をぬいて、両腕をばたっと畳の上へ投げだした。
「いま云ったことは誤りだ」と政利は喘《あえ》ぎながら云った、「おれにとっては、娘も同様だと云いたかったのだ」
平三郎はこくっと唾をのみ、吃《ども》りながら云った、「もしもそうお考えなら、二度と萩尾どのを悲しませないようにして下さい、そうして下さいますか」
「する」と政利は顎《あご》で頷いた、「そうすると約束しよう」
平三郎は政利をたすけ起こしてやった。萩尾がすぐに、乱れた衣紋を直しにかかり、平三郎は刀を片づけた。それから、もういちど政利の前に坐り、「無礼おゆるし下さい」とお辞儀をした。
「いいおりですから申上げておきます」と平三郎は穏やかな調子で云った、「明日、――老職から公儀へ答申書が出されますが、それには、侯の御行状が改まり、謹慎のごようすがあらわれた、と述べられる筈です、どうかそれをお忘れにならないで下さい」
そして立ちあがって、廊下へ出た。
平三郎が自分の部屋へさがろうとすると、萩尾が追って来て呼びかけた。萩尾はまだ泣きじゃくっており、眼のまわりが赤く腫《は》れたようになっていた。
「わたくしが悪うございました」と萩尾は低く頭を垂れた、「これからは決して致しません、どうぞこんどだけおめるし下さいまし」
平三郎は萩尾の顔を見ることができなかった。けれども、その頼りなげな、うちしおれた声を聞くと、突然、抱きしめて慰めてやりたいという、激しい衝動にかられ、われ知らず向き直った。廊下のうす暗がりの中で深くうなだれた萩尾の、鮮やかに白い頸筋が、殆んど彼の眼の下にあった。――平三郎はどきっとし、それからふと気づいて、ふところをさぐり、袂《たもと》をさぐったうえ、袂の中から潰《つぶ》れた紙包を取り出した。包んだ物が潰れて、紙が茶色くべとべとによごれていた。
「母が自慢で作った物です」と彼はぶきようにそれを差出した、「無花果を砂糖で煮たものなんですが、……いまのあれで潰れて、こんなになってしまいましたけれども、よかったら喰べて下さい」
彼は逃げるように自分の部屋へ去った。
――あの人は本多侯の娘だ。
と平三郎は思った。いつか彼女に「父親はどうしているか」と訊いたとき、彼女は答えなかったし、今日まで、唯一人だけ側をはなれなかったことも、それで合点がゆく。政利は自分の言葉をすぐに否定したが、いかにも弁解がましかったし、却って事実であることを証明するように聞えた。
「おそらく、亡くなった萩尾という人と、侯のあいだに生れたのだろう」と彼は仕事着に着替えながら呟いた、「本来なら六万石の大名の姫君として、多くの侍女にかしずかれて育ち、しかるべき大名の奥方となられたことだろうに」
だが彼は急に頭を振り、「そんなことは返らぬぐちだ」と自分に云った。
「あの人にはまだ望みが残されている、侯がしんじつ悔悟し、謹慎の実を示すようになれば、――」と彼は厨口から出ながら呟《つぶや》いた、「それが第一だ、侯にしんじつ悔悟の実を示してもらうことが、そうすれば……」
[#6字下げ]十[#「十」は中見出し]
平三郎は暗くなるまで薪割りをした。
彼は食事は自分の部屋でするのだが、その日は政利から「いっしょにするように」と云われ、政利の座敷で夕食を共にした。萩尾の膳もそこにあったが、彼女は箸を取らなかった。給仕が終ってから喰べるのだろう、と平三郎は思っていたが、茶を出してからも食事をするようすはなく、政利が「ちょっと待っていてくれ」と云って立つと、いっしょについて出ていった。――二人はまもなく戻って来たが、政利は着替えをし、継ぎ裃《かみしも》をつけ、小刀を差していた。政利が座につくと、萩尾は膳部を片づけ、自分は脇にさがって坐った。
――どうしたのだ。
平三郎は腑《ふ》におちない顔で見ていた。なにか予期しない事が起こる、ということは感じたが、なにごとが起こるかは見当もつかなかった。そして政利が話し始めたとき、彼は自分の周囲にある物がすべて、くるくると廻りだすような錯覚におそわれた。
「明日の公儀への答申は待つようにと、老職に伝えてもらいたい」と政利は云った、「おれは自決をする」
そこで口をつぐみ、両手を膝に置いて、政利は眼をつむった。平三郎は半ば口をあけたまま、息もつけないといったような顔をしており、政利が再び口をひらこうとする直前に、ようやく、「なにを仰しゃるのか」と吃りながら云った。
「どうなすったのですか」と彼は声を励まして云った、「自決などという問題はもう消えています、それはもう過ぎ去ったことです、私のやりかたに御不満があるのですか」
政利は眼をつむったまま極めてゆっくりと首を振った。
「おれの云うことを聞いてくれ」
「いや私は聞きません、さようなことはうかがいたくありません」
政利が静かに、けれども反対を許さない調子で遮《さえぎ》った、「おれの云うことを聞いてもらいたい」
平三郎は唇をひきむすんで黙った。
「この四十日ほどのあいだに、おれはずいぶん多くのことを学んだ」と政利は云った、「道掃除をするあいだにも、茶店で饂飩を喰べるあいだにも、これまでかつて経験したことのない経験をし、経験をしたこと以上に多くのことを学んだ、――こういう云いかたは芝居がかっているかもしれない、もっとべつの云いかたがあるかもしれないが、いまはこんなふうにしか云えない、この四十日ほどのあいだに見聞したことは、おれ自身の過去、おれがどんな人間だったかということを、はっきりとあぶりだしてみせたのだ」
「平三郎は気がつかなかったろう」と政利は続けた、「或る朝、夫婦と幼い子供二人の家族が食事をしていた、話を聞くと、暮しが立たなくなったので、よその土地へゆくらしい、五歳くらいとみえる男の子が、これからゆくところのことをしきりに訊いていた」
政利はちょっと言葉を切り、やはり眼をつむったままで、記憶を辿《たど》るようにゆっくりと続けた。
――そこにはお家があるの、とその子供が訊いた。
――あるとも、と父親が答えた。
――御飯たべられるんだね。
――ああ、おなかいっぱいたべられるよ。
――嘘じゃないね。
――嘘じゃないとも。
――いいな、お家があって、御飯がいっぱい喰べられて、ほんとだね。
――本当だよ、もっと饂飩をたべな。
政利はそこで暫く黙った。
「その次の朝、いや」と政利はやがて話し継いだ、「次の次の朝かもしれない、その家族四人が、矢矧川へ身投げをし、いちばん下の子だけ助けられた、ということを茶店で話していた、まるで冗談ごとのように、……みんな死ねればまだしも、いちばん小さいのを助けられるなどとは、あの夫婦もへまなものだ、そう云って笑った、それだけだ、あの夫婦もへまなものだと云って、笑って、すぐにほかの話を始めた。
かれらには珍しいことではなかった、おそらく、そんな例は絶えずあることで、いまさら同情したり悲しんだりすることではなかったのだ、そのことが、――四人家族の死んだということより、それを冗談のように、へまなものだと笑って済まされたことのほうが、おれには耐えがたかった、そうだ、耐えがたいことだったし、事実そうなのだ、茶店で話されることの大部分が同じようなものであった、年貢の滞ったために、店賃の払えないために、仕事が無くなったために、嵩《かさ》んだ借銭のために、……一家が離散し、夜逃げをし、盗みに入って捕われ、自殺をする、そうして、それを話す者は、殆んどが面白半分で、悲しんだり心を痛めたりするようすがなかった。
どうしてだ、これはどういうことだ、とおれは不審に思った、だが、やがてわかってきた、かれらが同情したり悲しんだりしないのは、そういう悲惨な出来事に馴れているだけではない、いつかは自分の身にも同じようなことがめぐってくる、いつかは自分もそうなるだろう、そして、そのときにはきりぬけるみちはないのだ、ということをみとおしているためであった」
政利は静かに眼をあいた。外はすっかり昏《く》れて、障子が明るく灯をうつしていた。午後から少し風立っていたのが、やや強くなり、裏にある竹藪《たけやぶ》がしきりに葉ずれの音をたてていた。
「おれが早くこういうことを知っていたら、領主としてなにかしたかもしれない」と政利は云った、「政治ということを知らぬから、領主の意志だけではなにもできなかったかもしれないが、少なくともなにかしようとはしたと思う、だが事実は、――現におれがなにをして来たかということは、多くの者の知っているとおりだ、領主としてはもちろん、単に人間としてもおれは屑に劣る」
「お言葉ではございますが、そこに御合点のいったいまこそ、これまでの償いをなさるときではございませんか」
「今生ではできない」と政利は首を左右に振った、「償うことがあまりに多すぎるし、おれにはもうその力はない、平三郎にもわかっている筈だ、それは今生では不可能なことだ」
「私は、安穏な御余生が送れるようにと、それだけを念じて相伴役にあがったのです」と平三郎が云った、「そのためにこそ力ずくで御意にさからい、道掃除などという下賤なことまで強いました、それはただ、御余生が平安であるようにと願ったためなのです」
「いや、自決するときめたいまほど、平安な気持はおれにはなかった」と政利はおちついた口ぶりで遮った、「過ぎ去った五十年よりも、この四十余日のあいだに、おれは人間の生きかたを知った、それで充分だ、老職から公儀へ答申するということを聞いたとき、おれは肚がきまったのだ、そうあってはならない、これ以上生き延びてはならない、五十余年にわたる罪の償いはできなくとも、死にどきだけは誤りたくない、この気持は平三郎にもわかる筈だ」
平三郎は頭を垂れた。かすかに、萩尾の嗚咽《おえつ》がごくかすかに聞えていた。
「今宵のうちに老職へ伝えてくれ、公儀への答申はやめること、次に明日、検視と介錯人をよこしてくれること、これはおれの見知らぬ者に命じてもらいたいこと、以上だ」政利はそこで声をゆるめた、「――平三郎には世話になった、礼は云わぬ、礼を云わぬうえにもう一つ頼みがある」
平三郎が云った、「わかっています」
「こまち[#「こまち」に傍点]のことだ」
「わかっています」と平三郎が云った、彼は頭を垂れたまま、くいしばった歯のあいだから云った、「萩尾どののことで御心配はいりません、私が慥《たし》かにお引受け申します」
「それで心残りはない」と云って政利は振向いた、「こまち[#「こまち」に傍点]、盃《さかずき》を持ってまいれ」
萩尾が立って、膳部を持って来た。萩尾の食膳だと思ったのが、そうではなく、このときのために用意してあったらしい。政利が盃を取り、萩尾が銚子を持った。そのとき、ひときわ強く風がわたって、裏の竹藪が潮騒のように鳴り立った。
銚子を持つ萩尾の手は、しっかりとおちついていた。
底本:「山本周五郎全集第二十七巻 将監さまの細みち・並木河岸」新潮社
1982(昭和57)年8月25日 発行
底本の親本:「講談倶楽部」
1957(昭和32)年5月号
初出:「講談倶楽部」
1957(昭和32)年5月号
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山本周五郎
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[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
水野平三郎は江戸から呼び戻されるとき、その理由を察して、心外に思った。
「ばかなはなしだ」と彼は口に出して呟《つぶや》いた、「おやじにはおれがわかっていないんだ、このおれが酒や遊蕩《ゆうとう》に溺《おぼ》れるような人間だと思うのかな」
彼は帰国したが、父の五郎左衛門はなにも云わなかった。
水野五郎左衛門は九百七十石ばかりの老職で、そのときちょうど、矢矧川《やはぎがわ》の堤防工事の総奉行をしており、平三郎に自分の助役を命じた。矢矧川は一昨年の八月と去年の七月と、二年続けて暴風洪水にやられた。一昨年は堤防が五百間欠壊、田地三万三千石を流され、去年は六百五十間に及ぶ堤と、九千三百石余の田を流されたのである。普請現場の詰所は光円寺にあり、支配は鈴江主馬という男で、平三郎は午前九時から午後四時まで、毎日その光円寺の詰所へ通勤した。
総奉行の助役はほかに二人いたし、彼にはかくべつな事務はなく、詰所の一日は退屈なものであった。自分も退屈であるし、ほかにも退屈そうにみえる者がいる。そこで彼は、勤めが終ったあと、そういう連中の中から好ましそうな者をさそって、町へ飲みにでかけ、夜になってから家へ帰った。平三郎は友人なかまにもにんきがあり、女にもよくもてた。この城下町は海道でも随一といわれる繁昌な土地で、当時のことだからむろん料理茶屋などはなかったが、二軒の本陣と、三十軒ちかい旅館|旅籠《はたご》に、「岡崎女郎衆」なる女がいて、客の相手をした。触書などでは「食売女」といい、俗には「めしもり」ともいう。規則では一軒に二人しか置けないし、着物は木綿、髪道具はしかじかと、きびしい定めがあったけれども、大きな旅館などでは人数も多く、きらびやかに髪化粧し、着飾って座敷にはべったものらしい。平三郎は腕が立って男まえで、金遣いがきれいだったから、友達なかまに好かれる以上に、女たちに騒がれた。
――殿町の若旦那がみえた。
といえば、ほかの座敷に出ている女たちまで、そっとぬけだして来るというふうであった。だが、そんなことでやにさがるほど、彼は甘い男ではなかった。彼は意志が強く、友情にも、女にも、酒にも溺れなかった。
――おれは三河武士だ。
という爽やかな自尊心が、かなり美男である彼の顔に、いつもしっかりと据っていた。友人たちはまえから、殿町の水野は老成している、といっていたし、女たちの中には、若旦那とならいつでも心中する、などと云う者が幾らでもいた。
「酒や遊びなんぞつまらない」と彼は鼻で笑う、「やめようと思えばいつだってやめるさ、今日からだってやめてみせるよ」
父の五郎左衛門はめったに小言を云わなかった。ひとり息子で可愛かったばかりではなく、放っておいてもものになるやつはなる、という考えだったらしい。ただ一度、平三郎が酒を飲み始めたじぶん、こういうことを云った。
――酒も遊びも、そのものは決して悪くはない、それが習慣になることが悪いのだ。酒や遊びが習慣になり、やめられなくなると身を誤る、というのである。そのとき云っただけで、それ以来その話には決して触れないが、彼を江戸から呼び戻したのは、彼を信用しなくなったからに相違ない。もちろん、彼は江戸でも飲んだり遊んだりした。江戸へいったのは学問をするためであったが、平三郎は柳生の道場へ入門した。もともと剣術や柔が好きで、その道なら家中《かちゅう》でも群を抜いていたから、みるみるうちに腕をあげ、古参の者にさえ「一本願おう」などと云われるようになった。しぜん気の合うなかまができ、かれらを伴《つ》れて遊びにでかけるが、そこでも金ばなれはいいし、さっぱりした性分で、なかまの人望はもとより、女たちにも騒がれた。
彼は江戸で満足し、充実した生活をしていた。なにも不足のない、充実した生活に満足していたのである。それを二年そこそこで呼び返され、普請場の詰所などへやらされるというのは、明らかに酒と遊蕩に対する無言の懲戒にちがいない。そう思うと彼は愉快でないばかりか、自尊心を傷つけられるようにも思うのであった。
十月中旬の或る夜、十時をまわった時刻に、平三郎は時雨《しぐれ》に濡れながら、殿町筋の家へ帰って来た。彼はひどく酔って、そうして、しぼんでいた。彼はこの二三日、ずっとしぼんでいるのだ。十日ばかりまえに、詰所から帰ろうとすると、支配の鈴江主馬が「そう飲んでばかりいていいんですか」と云った。――なにを、と彼は主馬を見た。主馬は穏やかに微笑しており、彼は黙って詰所を出た。なにを小役人の分際で、と思ったのであるが、主馬の穏やかに微笑した顔と、懸念そうなその言葉とが、まるで針でも突刺さったように、頭の芯《しん》からはなれなくなった。
――そう飲んでばかりいていいのか。
という言葉が、しつっこく頭の中で聞えるのである。そう飲んでばかりいていいのか、また飲むのか、いいのか、まだ飲むのか、それでいいのか、いいのか、いいのか。といったふうで、頭の中に虻でもうなっているかと思われるほど、絶えまなしに聞えるのであった。
「よし」と彼は云った、「そんなら今日からやめてやる」
彼は決心した。今日こそ飲まないぞ、と決心したが、退勤するちょっとまえに、梶川伊八郎が来て、にやにやしながら、大林寺の門前でおこの[#「この」に傍点]に会った、と囁《ささや》いた。
「久しく来て下さらないと云って、うらんでいましたよ、考えてみると半月以上もいっていませんからね、今日あたりひとつ、どうですか」
彼は伊八郎と松尾忠之助を伴れて、おこの[#「この」に傍点]という女のいる浜屋へゆき、かなり更けるまで飲んで帰った。その翌日も浜屋へゆき、酔って帰る途中、「そうむきになるな」と自分に云った。
「酒をやめるぐらいぞうさのないことだ」と彼は云った、「しかしやめる理由もないのにやめることはないじゃないか」
頭の中では「いいのか、いいのか」と呟くのが聞えていた。いいのか、飲んでばかりいていいのか、また飲むのか、それでいいのか、いいのか、いいのか。――平三郎は二三日まえから自分が疑わしくなり、これはどういうことなのかと、まじめに考え始めた。まじめに考えてみると、どうやら捉《つか》まったらしい、ということを認めなければならなくなり、すっかりしぼんでしまったのであった。
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
こうなると自信などというやつは脆《もろ》いものだ。その夜、なかまと別れたあと、彼は伝馬町の通りで道掃除を見た。そんな時刻で雨も降っているのに、明日どこかの太守でも通るのだろうか、蓑笠《みのかさ》をつけた人夫たちが四五人ずつ組になって、濡れながら道の掃除をしていた。いつもなら眼にもつかないのだが、平三郎はいきなり殴られでもしたような顔になり、慌てて眼をそむけながら横丁へ曲った。
「いまのを見たか」と彼は自分に云った、「きさまなんぞ、まぐそ拾いも満足にできやしないんだぞ」
殿町筋の屋敷へ着くと、土塀について裏へまわった。屋敷の裏に当る西側だけ、柴垣になっており、木戸が付いている。夜おそく帰ったときはそこからはいり、親たちに気づかれないように庭をぬけて、自分の寝間へ、窓から忍び入るのである。――だが、その夜は客間にまだ灯がついてい、人の話し声が聞えるので、平三郎はどきっとして足を停めた。自分のことで集まっているのではないか、と直感したからだ。彼はそっと近よっていった。飛石が濡れているので、滑りそうになり、枯れた芝生の上をぬき足で歩いていった。
「詰腹を切らぬとすれば」
という言葉がまず聞えた。平三郎は急に耳が鳴りだすのを感じ、もっと近く、土庇の下へはいっていった。そのとき庇から衿首《えりくび》へ雨だれが落ち、彼は危うくとびあがりそうになった。
客は二人、城代家老でありここの本家に当る水野三郎右衛門と、江戸家老の分家で老職の、拝郷内蔵助であった。話はもう終りかかっているらしく、問題がよくわからなかったが、「詰腹を切らせる」という言葉が幾たびも聞えた。誰かに切腹させようということらしい。そのうちに父の声で、やむを得なければ毒害しよう、と云いだした。平三郎は息が詰りそうになった。
「うん」と本家が云った、「そのほうがいいかもしれぬ」
「それがいい、それにきめよう」と拝郷の云うのが聞えた。
「当人に知らせずに命を縮めるというのは、侍の道に外れた仕方ではありますが」と父が云った、「この場合はむしろ、そうするほうが慈悲かとも思うのです」
平三郎はそこをはなれた。
「おれのことではないな」と彼は歩きながら呟いた、「まさか酒と遊蕩ぐらいのことで、詰腹を切らされる筈はない、まして毒害しようなどというんだから、おれのことでないのは慥《たし》かだ」
庭をまわってゆき、自分の寝間の外へ近よった。音のしないように、雨戸と障子の敷居には蝋《ろう》が塗ってある。馴れているから巧みに中へはいり、すっかり濡れているので、まず寝衣《ねまき》に着替えたうえ、脱いだ物をひとまとめにして、そっと風呂舎へ持っていった。しかし刀はそのままにはしておけないので、忍び足で居間へゆき、手入れ道具の箱を持って出るとたん、廊下の向うから父に呼びかけられた。客を送りだして戻るところらしい、こっちへ近よって来ながら、「いまじぶんなにをするのだ」と訝《いぶか》しそうに訊《き》いた。
平三郎は抱えている箱を父に見せた、「刀の手入れです」
「ふむ」と五郎左衛門は彼の寝衣姿を眺めた、「寝てから思い出したのか」
「いやその、ちょっと、眠れそうもないものですから」そう云って彼は急に向き直った、「じつは話したいことがあるんですが」
「もうおそい、おまえ刀の手入れをするんだろう」
「暇はかかりません、どうしても聞いて頂きたいことがあるんです」
五郎左衛門は彼の顔をさぐるように見た、「おまえまた酔っているな」
「飲んではいますが酔ってはいません」と彼はいそいで云った、「まじめな話なんです、すぐに着替えてお居間のほうへ伺います」
そして自分の寝間へ戻った。
出してあった常着に着替えながら、平三郎は口の中で、なにかぶつぶつと自問自答した。彼は父に告白し、詫《わ》びを言おうと決心したのである。さっき耳にした三人の話から、強い自責の念に駆られ、まさか自分のことではあるまいと思う一方、このへんが締括りをつけるべきときだ、とも考えたのであった。
「そうか、――」突然、彼は帯をしめかけていた手を停め、顔をあげて呟いた、「あれは本多侯のことだ、そうに違いない、それならわかるのに、どうして気がつかなかったのかな」
平三郎の顔に安堵《あんど》の色があらわれた。よほどほっとしたらしい、ゆっくり帯をしめながら、彼は微笑し頭を振った。しかしすぐに、彼はまた表情をひき緊め、つよく唇を噛《か》んだまま、ながいことそこへ棒立ちになっていた。やがて襖《ふすま》の向うで、そっと彼を呼ぶ声がした。彼には聞えないようで、黙って立っており、すると静かに襖をあけて、母親のみや[#「みや」に傍点]が覗《のぞ》いた。
「どうなすったの平三郎さん、父上がお待ちかねですよ」
平三郎は身ぶるいをして振返った、「いまゆきます、すぐにゆきます」
母親は彼を心配そうに見まもったが、なにも云わずに去った。――五郎左衛門は居間で、茶をのんでいた。平三郎は火桶《ひおけ》からはなれて、きちんと坐り、まっすぐに父を見て口を切った。五郎左衛門は聞き終ってから、「そうだ」と頷《うなず》いた。
「だが、――どこで聞いた」
「どこで聞いたかは云えませんが、それがもし事実ならお願いがあるのです」彼は父の眼をみつめたまま云った、「どうか私に本多侯の相伴役をさせて下さい」
五郎左衛門は彼を見返した、「それはどういう意味だ」
「言葉どおりです」
「なにか仔細《しさい》があるのか」
「いたわしいと思うのです、このままでお命をちぢめるのはあまりにいたわしい、私が相伴役にあがれば、なんとか御行状を改めることができるかと思うのです」
五郎左衛門は火桶へゆっくりと手をかざしながら、感情を抑えた声で静かに云った。
「おまえは他人のことよりも、自分の行状を改めるほうが先ではないのか」
「そのこともあるのです」と彼は眼を伏せて云った、「それでお願いする気になったのです」
五郎左衛門は彼を見まもった。平三郎は眼を伏せたまま、じっと動かずにいるが、その姿ぜんたいが、悔恨と或る決意をあらわしているように思われた。
「なにか成算があるのか」
「ありません」と彼は答えた、「ただ、自分ならできるように思うのです」
「考えておこう」と五郎左衛門は冷やかに云った。
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
本多|出雲守《いずものかみ》政利が岡崎藩に預けられてからまる二年になる。政利はもと明石城六万石の領主だったが、家政紊乱《びんらん》の咎《とが》で領地を削られ、陸奥《むつ》のくに岩瀬郡のうち一万石を与えられたが、なお不行跡が改まらないため、その一万石も没収のうえ、酒井忠真に預けられた。酒井家には十年いたのだが、このあいだに酒乱の癖が昂《こう》じ、酒井家で預かることを断わったため、岡崎の水野家へ預け替えになったものであった。――初めは侍臣五人と三人の侍女が付いていた。けれども岡崎へ来たときには、萩尾という若い侍女が一人しかいなかった。他の七人は政利のために手打にされたり、そうでない者は政利の乱暴に耐えかねて逃げてしまったのだという。
すでに五十歳を越していたが、政利は躯《からだ》も大きく、力があって敏捷《びんしょう》で、いちど暴れだしたら手がつけられない。この岡崎へ来てからでも、相伴役の者が三人も斬られ、一人は重傷で、死にはしなかったが、片足を腿《もも》から切断しなければならなかった。朝から酒を飲み、喰《た》べもの、衣服、住居について贅沢《ぜいたく》を云い、それがとおらないと暴れだす。しかもすぐに刀を抜くので、しぜんとおさまるまでは近よることもできないのであった。
五郎左衛門はこれらの事情を平三郎に詳しく話した。平三郎もおよそのことは噂《うわさ》で聞いていたから、父の話でそれほど驚きはしなかったし、相伴役を勤めたいという希望も、飽くまで撤回しなかった。
「合議のうえ許してもよかろうということになった」と五郎左衛門が云った、「しかし、扱いかねるからといって、途中であやまるわけにはゆかぬぞ」
平三郎は黙っていた。自分から願い出る以上、念には及ばないという顔つきであった。
彼は村松義兵衛という前任者に会い、役目の手順を聞き、警護の侍や小者たちとも会った。そして、拝郷内蔵助に伴れられて北ノ丸へゆき、本多政利と対面して「相伴役交代」の挨拶をした。――政利は長い配所ぐらしの人にも似ず、骨太のひき緊った躯つきで、浅黒く酒焼けのした顔に、太く濃い眉と、まなじりの切れあがったするどい眼つきをしてい、下唇の厚い口許《くちもと》には、あらゆる事物に対する侮蔑《ぶべつ》と冷笑の色が感じられた。
萩尾という侍女は二十一歳になる。小柄で柔軟な躯つきが、ひよわそうにみえるし、おもながで皮膚の薄い顔だちや、長い睫毛《まつげ》に蔽《おお》われた、少し大きすぎるほどの眼や、やわらかに波打っている唇なども、ひよわそうで、いたいたしいような印象を与えた。
北ノ丸にあるその屋形は、現藩主(忠之)の祖父に当る監物忠善の建てたもので、隠居所にでもするつもりだったのか、間数は五つ、厨《くりや》が付いており、柱も床板も頑丈造りだが、ただ住むに足るというだけで、飾りらしい物はなにもなく、いかにもよく武張った忠善の好みをあらわしていた。――政利を預かるに当って、相伴役や警護の者のために、その側へ新しく長屋を建て、また、その周囲に柵《さく》を設けたが、屋形そのものは手入れをしただけで、造作は少しも変えなかった。もう一般に畳を用いるようになっていたが、そこは板敷のままで、昼は円座を用い、夜は敷畳を一枚置いた上に、夜具をのべ、枕許に屏風《びょうぶ》をまわして寝るのであった。
政利にはそれがまず気にいらなかったらしい。初めから「畳を敷け」と要求し、いまでも同じ要求を繰り返していた。平三郎に向って、第一に云ったのもそのことであった。
「酒井家ではこんなことはなかった、これは不当な扱いである、武家の作法を知らぬやりかただ、すぐに畳を入れてもらおう」
「岡崎ではこれが代々の家法です」と平三郎は答えた、「家中の侍はもちろん、藩主も日常は畳を用いてはおりません、これで御辛抱を願います」
次いで食事が粗末すぎること、火が乏しいから、もっと部屋|焙《あぶ》りや火桶を増し、囲炉裡《いろり》を作ること、また衣類や調度が不足なこと、外出運動をさせること、などというぐあいに、それも悪罵《あくば》に近い表現で云いつのるのであった。――平三郎は当らず触らずに受けながして、五日のあいだようすを見ていた。どんなに面罵されても相手にならず、それまでどおり酒も飲ませた。だだっ子のように不平不満を並べ、酔うと物を投げたり暴れだすようすが、平三郎には反感や軽侮を感ずるよりも、深い憐《あわ》れみの情をそそられるようであった。
そういう気持が通じたのであろうか、侍女の萩尾は平三郎に対して、しだいに感謝と信頼の色をみせはじめた。政利が暴れるだけ暴れ、疲れはてて寝てしまうと、長屋へさがる平三郎を送りだしながら、萩尾は囁くように詫びを云い、これからのことを頼むのであった。
「さぞお肚《はら》の立つことでしょうけれど、ふしあわせな者だとおぼしめして、どうぞ堪忍してあげて下さいまし」と萩尾は云った、「こんなことを申しては不躾《ぶしつけ》ですけれど、水野さまに代って頂いてから、乱暴も少なくなるようにみえますの、御迷惑でしょうけれど、どうぞお頼み申します」
平三郎は脇を見たまま頷《うなず》いた。
萩尾の言葉つきや、韻の深い声や、平三郎を見るまなざしには、自分で意識しないあらわな感情がこもっていた。それは殆んど平三郎を狼狽《ろうばい》させたくらいであるが、彼はけんめいに自分を抑え、無感動をよそおった。――五日間、政利のようすを見ているうちに、平三郎の思案もきまった。六日めになると、彼は父をその役部屋に訪ねて、政利を城外に移してくれるようにと頼んだ。幕府から預けられた者を、無断で城外に住まわせるのは違法である。しかし極秘でそうはからってもらいたい、自分が一命に賭けて責任を負う、と強調した。
老職の合議があり、平三郎の願いは許された。すでに幕府からは、「手に余るなら詰腹を切らせろ」という内達が来ている。それをよく覚えていて、万一のとき仕損じのないように気をつけろ、と五郎左衛門は注意した。
政利は大林寺へ移された。そこは城の北にあり、広い境内の一方は外堀に面しているが、西と北とに深い樹立があって、寺と墓地とを隔てていた。政利の移された建物は、その樹立の中にあった。住職の隠居所で、部屋は三つ、厨が付いており、外に井戸もあった。
「いよいよやるか」と大林寺へ移ったとき、政利が云った、「やるならやれ、おれは断じて自決しないし、手を束ねて斬られもせぬぞ、やってみろ平三郎」
平三郎は相手にしなかった。
「貴女《あなた》に働いてもらわなければならない」と彼は萩尾に云った、「ここへ移ったことは極秘なので、人を雇うことができないのです、私もできることは手伝いますが、炊事も洗濯も掃除も、みなやってもらわなければならない、承知してくれますか」
萩尾は頷いて答えた、「はい、仰《おっ》しゃるように致します」
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
「また、これから少し手荒なことをします」と彼は付け加えた、「見ていて辛い場合もあるでしょうが、ほかに手段がないのですから、どうか貴女は眼をつむっていて下さい」
萩尾の大きな眼に、不安そうな色があらわれるのを、平三郎は認めた。だが、不安そうな色はすぐに消え去り、彼女は「はい」とはっきり頷いた。
大林寺へ移った日から酒を禁じた。平三郎はそれを政利に告げ、今後も決して酒は出さないと云った。政利は黙っていたが、夕餉《ゆうげ》の膳部《ぜんぶ》に酒がないのを見ると、怒った。
「酒の付かぬ食事をしたことはない、おれは酒なしで食事はしない、さげろ」
「お断わり申しますが」と平三郎が云った、「これからは定刻以外には御膳を差上げません、もし御空腹になられても明朝まで差上げませんが、それでよろしゅうございますか」
「さげろ」と政利が云った。
平三郎は萩尾にめくばせをし、そのまま膳部をさげさせた。
その日の夕餉を喰べたのは平三郎だけであった。萩尾も欲しくないと云って、箸《はし》を取らず、平三郎は独りで喰べたが、彼も食欲はなく、また、気分がひどく悪かった。酒を断ってから六日になり、そろそろがまんが切れてきたのだろう。飲みたいという意識はないが、躯のほうが絶えずなにかを求め、喉《のど》の奥から胃のあたりにかけて、灼《や》けるような渇きと饑餓《きが》が感じられた。しんじつ灼けるような感じで、それをしずめるには一つの方法しかないことが、六日めのいまになってはっきりわかった。
「相伴役にあがったことはよかった」と、その夜寝てから彼は呟いた、「もし本多侯という人がいなかったら、おれはこの誘惑に勝てなかったろう、おそらく口実をみつけて飲みだしたことだろう、こいつは簡単なことじゃないぞ」
政利は翌日の朝食もとらなかった。
当時はまだ朝夕の二食が一般の習慣で、百姓とか、激しい労働をする者以外は、午飯《ひるめし》というものは喰べなかった。政利は酒を断たれたのと、食事を二度とらなかったのとで、午すぎになると激しい饑餓におそわれたらしく、全身をがたがたとふるわせながら、酒だ、酒だ、と喚きはじめた。――平三郎は横庭で薪を割っていた。彼は伝馬町まで用たしにゆき、帰って来てから薪を割りはじめたのだが、萩尾の叫び声を聞くと、斧《おの》を投げて駆けつけた。
政利は座敷のまん中に立っていた。顔は死者のように蒼白《あおじろ》く、眼がつりあがって、躯ぜんたいが瘡《おこり》にかかったようにふるえていた。
「水野さま」と萩尾が云った、「お願いでございます、ほんの少しでようございますから、どうぞいまだけお酒をあげて下さいまし」
平三郎は答えなかった。
「酒だ、酒をもて平三郎」と政利が叫んだ、砂で貝殻でも擦るような、乾いたざらざらした声であった、「たとえ預けられた身でも酒まで禁じられるいわれはない、命じたのは誰だ、云え平三郎、酒を禁じたのは誰だ」
「私です」と平三郎は答えた。
「相伴役にそんな権限があるのか」
「それは侯御自身がご存じでしょう」
政利は床間へゆき、刀を取って抜くと、鞘《さや》を投げた。萩尾が「水野さま」と叫んだ。平三郎は萩尾に手を振り、「来てはいけない」と云った。そこへ政利が斬りかかった。刀を上段から叩きつけるように、非常なすばやさで斬り込んだ。平三郎は左右の手を振り、躰を捻《ひね》った。政利は半円を描いて転倒したが、刀は手から放さず、はね起きるなり、また斬りつけた。平三郎は政利の腕を掴《つか》み、刀を奪い取ると、大きく叫びながら、腰ぐるまにかけて政利を投げた。
「水野さま」と萩尾が悲鳴をあげた、「どうぞそんな乱暴をなさらないで、水野さま」
そして政利の側へ走りより、起きあがろうとする政利を、泣きながら抱きとめた。
「もうおやめ下さいまし、お願いでございます」と萩尾はひっしに縋《すが》りついた。
「お放しなさい」と平三郎が云った、「とめてはいけない、好きなようにおさせなさい」
政利は萩尾を突きのけ、よろめきながら立って刀を拾った。萩尾はまた悲鳴をあげ、政利は平三郎に襲いかかった。平三郎はこんどもたやすく刀を奪い、肩にかけて政利を投げた。少しも容赦のない、力いっぱいの投げかたで、政利は烈しく背中を打ち、「う」というなりそこへのびてしまった。
萩尾が泣きながら、政利のほうへ走りよるのを、平三郎は見向きもせずに刀を拾い、ぬぐいをかけて鞘におさめると、床間の刀架へ戻しておいて、薪割りをするために、横庭へ出ていった。
まもなく、井戸のほうで釣瓶《つるべ》の音がした。振向いて見ると、萩尾が水を汲《く》もうとしていた。その井戸は深く、また釣瓶が大きいうえに重いので、水を汲むのは萩尾にはむりであった。平三郎は斧を置いてそっちへゆき、萩尾の手から釣瓶繩を取った。
「ひどい熱で、ふるえていますの」と萩尾は泣きじゃくりながら云った、「こんなこと、初めてでございますわ」
その声に非難の調子があるのを、平三郎は聞きとめた。
「病気ではない」と彼は云った、「酒を断ったのと食事をしないためです」
「お酒はどうしてもいけないのですか」
「そのことで話があります」と彼は水を汲みながら云った、「手があいたら来て下さい、ここで待っていますから」
萩尾はそっと頷いた。
半分ほど水を汲み入れた手桶をさげて、萩尾は厨へはいってゆき、平三郎は元のところへ戻って、薪割りを続けた。萩尾が出て来たのは、割り終った薪を、彼が薪小屋へ運んでいるときであった。
「いま眠っておりますの」と萩尾は近づいて来て云った、「お手伝い致しますわ」
「そのまえに話しましょう」と彼は云った。
着物に付いている木屑《きくず》をはたきながら、平三郎は林の中へと、萩尾をみちびいていった。松と葉の落ちた楢《なら》の林へはいってゆくと、枯草に掩《おお》われた狭い空地があり、そこに樹の切株が二つあった。向うは樒《しきみ》の生垣で、生垣の中は墓地になっている。平三郎は切株の一つを手ではらって、萩尾をかけさせた。
平三郎は立ったまま、どう話しだしたらいいか思案するように、暫く黙っていてから、やがて低い声で「本多侯に詰腹を切らせるようにと、幕府から内達があったのを知っているか」と訊いた。萩尾は「はい」と頷いた。
「私が相伴役を自分から買って出たのも、そのことを聞いたからです」と彼は云った、「侯は自決することを拒まれた、それで毒害という相談まで出たのです、わかりますか、やむを得なければ毒害するというのですよ」
[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]
おどろいたことに、萩尾は殆んど無感動に云った、「いっそ、そのほうがお仕合せかもしれませんわ」
「なんですって」彼は自分の耳を疑った。
「十年以上もこんな不自由なお暮しをなすったうえ、それだけが楽しみのお酒さえあがれなくなるくらいなら、いっそのこと死んでおしまいになるほうがいいと思いますの」
「聞いて下さい」と彼が云った、「うちあけて云いますが、私が相伴役を買って出たのは、もう一つ理由があるのです」
そして平三郎は、自分の酒と遊蕩のことを語った。父に訓戒されたが、自分がそんなものに溺れるとは思わなかった。いつでもやめられると信じ、だが、いつのまにかやめられなくなっていることに気づいた。そう気づいてから、その誘惑がどんなに強く、どんなに抵抗しがたいかということを知った。と平三郎は少しも飾らずに云った。
「私自身がそうだったので、本多さまの苦しさが身にしみてわかるのです」と彼は続けた、「詰腹か毒害か、という相談を聞いたとき、私は正直のところ自分のことかと思いました、それから、自分を本多さまの立場において考えてみたのです、このまま切腹することができるか、――いや」と彼は首を振った、「それはできない、このままでは死ねない、これでは生れてきた甲斐《かい》がない、死ぬ決心なら行状を改めるくらいのことはできる、私はそう思いました、あの方の立場に立ってみてそう思ったのです」
「でもそれには殿さまは、もうお年をとりすぎていますわ」
「まったく年をとっていないともいえるでしょう」と彼は云った、「あの方は六万石の世子に生れ、六万石の領主の生活と、十余年にわたる配所ぐらしのほかは御存じがない、世間へ出したら、失礼な云いかたですが、おそらく二十歳の青年ほども年はとっていないと思う、貴女にはそう思えませんか」
萩尾は黙って、ごくかすかに頷き、それから眼をあげて平三郎を見た。
「もしかして」と萩尾はおそるおそる訊いた、「――殿さまの御行跡が直るとしましたら、公儀のおぼしめしも変りますでしょうか」
「わかりません、それは答えられませんが、このまま死を待つよりはいいと思います」彼はそこでひそめた声に力をいれて云った、「――見ているのは辛いでしょうが辛抱して下さい、いまあの方に必要なのは同情や憐れみではなく、立ち直らせる鞭《むち》、立ち直る力となる鞭です、わかりますか」
萩尾は腰かけている膝《ひざ》へ肘《ひじ》をつき、両手で顔を押えながら云った、「母が同じようなことを申しておりました、殿さまがこうなったのはお側衆の罪だ、もっときびしくお育て申し、身に代えて直諫《ちょっかん》する人がいたら、たとえ生れつきわがままな御性分でも、これほどすさびはなさらなかったろう、お側に人のいなかったことが殿さまの御不幸だったと、よく申しておりました」
「すると、お母さまもお側に仕えておられたのですね」
「はい」と萩尾は頷いた、「萩尾というのは母の呼び名でしたの、わたくしは里子にやられまして、十二の年に母の側へよばれ、母が亡くなりましてから、母に代ってお世話をしてまいりました」
自分の本名はうた[#「うた」に傍点]。母は四年まえ、政利が酒井家に預けられていたときに死んだ、と萩尾は云った。平三郎は下唇を噛みながら、包むようなまなざしで萩尾を見まもった。
「お父さまはどうなすったのです」
萩尾は躯を固くし、それから立ちあがって云った、「わたくしもう戻ります、お眼ざめになるといけませんから」
平三郎は脇へよけた。
「どうぞ、――」と萩尾は俯向《うつむ》いたまま、囁くように云った、「殿さまのことをお願い申します」
平三郎は自分の質問が、彼女にとって辛いものだったということを悟り、どう辛いかという理由はわからないが、自分に対して舌打ちをした。
夕餉のときにも同じ騒ぎがあった。政利は酒を要求して暴れだし、刀を抜いて平三郎に斬りつけた。萩尾は隅のほうで顔を掩《おお》って泣き、平三郎は政利を投げとばし、組伏せ、また投げとばした。そして、政利が動けなくなると、介抱を萩尾に任せて、庭へ出ていった。
その夜十時ころ、――平三郎は布子|半纏《はんてん》に股引《ももひき》という姿で、寝ている政利を起こし、同じような布子半纏と股引を出して、政利に「これを着て下さい」と云った。洗ってはあるが着古した品で、紺の色も褪《さ》めているし、肩や膝には大きな継が当ててあった。政利は黙ってそれを眺めていた。
「どうぞ着て下さい」と彼は云った。
「なんだ」と政利が云い返した、「こんな物を着てどうするのだ」
「町へ出るのです、着て下さい」
政利は眼をそばめた、「町へ出る、――」
「着て下さい」と彼はするどく云った。
政利は横になろうとした。平三郎は歩みよって、政利の腕を掴み、乱暴に立ちあがらせた。平三郎の手にはうむをいわさぬ力がこもってい、政利は痛さのあまり顔をしかめた。
「さあ、股引からはいて下さい」
「手を放せ」と政利は呻《うめ》いた。
襖をあけて、萩尾がこっちへ来ようとした。平三郎は屹《きっ》と振返り、「来るな」というふうに首を振った。萩尾は顔をそむけながら、襖を閉めた。――政利は着替えた。それはまるで、平三郎に掴まれた痛みに操られてでもいるような、意志のともなわない動作であった。
「結構です、でかけましょう」
彼は玄関で政利に足袋と草鞋《わらじ》をはかせ手拭で頬かむりをした上から、筍笠《たけのこがさ》をかぶらせた。彼自身も同じように身拵《みごしら》えをしたが、足は素草鞋であった。彼は人足問屋の印のある提灯《ちょうちん》に火をいれ、「まいりましょう」と云って、寺の庫裡《くり》のほうへ歩きだした。――曇った夜で、空には星ひとつ見えず、風はなかったが、気温はひどく低かった。裏門を出た二人は、肴《さかな》町の通りを東へゆき、籠田の惣門《そうもん》を通って、伝馬町の人足問屋へいった。まえに通じてあったから、町木戸も門も黙って通したし、問屋では平三郎の来るのを待っていた。老人の手代が出て来て、二人を店の横へ案内をし、そこにある箱車を「これです」とさし示した。
「中に塵取《ちりとり》も箒もはいっています」と手代は云った、「町筋にはすっかり話してありますが、なにかあったらこの問屋へ掛合うように仰しゃって下さい」
平三郎は礼を述べてから訊いた、「――身分のことは内密になっているだろうな」
「知っているのは主人と私だけでございます」
「よし、いってくれ」と平三郎は頷いた。
手代は店のほうへ戻った。
「さあ、この提灯を持って下さい」と平三郎が云った、「車は私が曳《ひ》きます」
「なにをするんだ」
「提灯を持って下さい」と彼は云った、「なにをするかは歩きながら話します」
[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]
伝馬町から東へ、両町も通りぬけて、畷道《なわてみち》のかかりへ来ると、平三郎は車を道の端へ停め、梶棒のあいだから出て、車の箱の中から、箒と、竹で編んだ大きな塵取を二組取り出し、一組を政利に渡した。だが、政利は取るより早くそれを放りだした。
「おれは平八郎忠勝の曽孫だ」と政利はふるえながら云った、「たとえ改易、配流となっても、平八郎忠勝の正統であることに変りはない、そのおれに道掃除をしろというのか」
平三郎は近よって、両手で政利の腕の付根を掴んだ。彼の手には、満身の力がこもっており、政利は腕が痺《しび》れるのを感じた。
「貴方《あなた》が忠勝公の曽孫なら、私は岡崎の老職、水野五郎左衛門の嫡男です」と彼はひそめた声で云った、「わかりますか」と彼は掴んだ手にもっと力をいれた、「家柄や血統はその人間の価値には関係がありません、貴方は忠勝公の正統であることを、誇るよりもむしろ恥じるべきでしょう、六万石の家を潰《つぶ》し、家臣を離散させた、そのことを考えて下さい、旧御家臣の中には路頭に迷っている者があるかもしれない、それをよく考えて下さい」
彼は政利をぐいと揺りたてた。政利は呻き声をあげ、ついで「手を放せ」と云った。
「道掃除をなさいますか」
政利は黙ったまま弱よわしく頷いた。
「貴方おひとりにさせはしません、私もやります」と云って彼は手を放した、「こんなことは私も初めてですが、ベつにむずかしい仕事でもないでしょう、では始めるとしましょう」
平三郎は提灯を取って腰に差し、政利に塵取と箒を渡したうえ、自分のを持って歩きだした。
岡崎は東海道でも繁昌第一といわれる土地で、早打や急飛脚などが夜でも往来するし、それらのために、夜明しの建場茶屋や旅籠なども幾軒かあった。また、参覲《さんきん》で上り下りする諸侯にも、ここでは「馳走触」をするので、町筋はつねに掃除を怠らないよう、きびしい規則があり、大藩諸侯が宿泊するときなどは、夜間でも火の用心や掃除のために人が出た。平常はむろん日暮れまでであるが、人馬の往来は終夜――疎らにしても――絶えないから、道筋は牛馬の落した不浄や、切れた草鞋や紙屑《かみくず》などで、かなりよごれていた。
「これではだめですね」少しやってから平三郎が云った、「これでは手許が暗くなる、提灯を持って下さい、交代でやりましょう」
彼は提灯を政利に渡した。
一人が提灯で照らし、一人が掃除をする。車の箱は四つに仕切ってあり、牛馬の不浄や紙屑などを、それぞれの仕切りに分けて入れるのだが、馴れない動作をするので、政利はいうまでもなく、平三郎もたちまち疲れてきた。
畷のかかりは欠村という、そこから投町、両町と続いて、伝馬にはいるのだが、十王堂の前まで来たとき、平三郎はひと休みした。政利は昨日から食事をしていなかったし、働くなどということは生れて初めての経験だから、疲れもいっそうひどかったらしく、凍てた地面へじかに腰をおろし、両足を投げだして呻き声をあげた。――空は曇ったままで、寒気は骨にしみとおるほど強く、少し休んでいると躯がふるえだし、手足の爪先が痺れるように感じられた。暗い道の上を西から東へ、荷馬が二頭ゆき、東から飛脚が走って来て通りすぎた。一人が提灯をかかげて先を走り、状箱を担いだ一人がそのうしろを走っていた。腰きりの半纏にから脛《ずね》で、しっしっ、しっしっというような掛声が、こちらの前を通りすぎ、遠ざかってゆき、やがて聞えなくなった。
「始めましょう」と平三郎が云った。
政利は動かなかった。
「立って下さい」と彼は云った、「動いているほうが温かいですよ」
「いやだ」と政利が云った。
平三郎は側へより、両手で政利の肩を掴み、力任せにひき起こした。政利はまた呻き声をあげ、平三郎は掴んだ手に力をこめて、ぐいぐいと政利を揺りたてた。
「放せ」と政利は苦しそうに云った、「やるから放せ」
「いま通った馬子や飛脚をごらんになったでしょう」と彼は手をゆるめずに云った、「生計をたて妻子を養うために、かれらはこの寒夜を眠らずに働いているのですよ、かれらには限らない、世の中には食うだけのためにけんめいな人間が、数えきれないほどたくさんいるのです、考えてみて下さい、貴方はこれまでにいちどでもそういう苦労をなさいましたか、配所ぐらしをなさるようになってからも、衣食住に不自由はなさらなかったでしょう、そこをよく考えてみて下さい、わかりますか」
そして彼は手を放した。彼はひどく顔をしかめ、政利に提灯を渡すと、まるでなにかから逃げだそうとでもするような、おちつかない動作で掃除を始めた。彼はいま自分の口から出た言葉で、自分が恥ずかしくなり、良心にするどい痛みを感じたのである。
――それは他人に云うより、自分に云うべきことではないか。
平三郎はそういう囁きを聞いたように思った。慥かに、すぐ側に誰かいて、彼の耳に口をよせ、冷笑しながらそう囁きかけたように感じられた。
「いまに思い知らせてやるぞ」と政利はふるえながら呟いた、「このままでは済まさぬ、いまにきっと思い知らせてくれるぞ」
平三郎は振返ったが、なにも云わずに掃除を続けた。
伝馬町へかかると、障子に灯の見える家が多くなった。旅館、旅籠を合わせると百軒を越し、妓《おんな》を置く宿だけで三十軒ほどあった。これらの宿のうち、店先の一方にある蔀際《しとみぎわ》が、板縁になっているのと、竹縁になっているのとがあって、後者は「竹」と呼ばれ、格が一段下であった。平三郎はそのことを政利に話そうとし、口まで出かかったが、ぎゅっと唇をひき緊めてそっぽを向いた。
――饒舌《しゃべ》りすぎる、きさま饒舌りすぎるぞ。
彼はそう自分を叱りつけた。
伝馬町から曲って、六地蔵町を済ませると、車はほぼいっぱいになった。時刻も午前四時にちかいらしい、政利は空腹と疲労とで、立っているのがようやくというふうに見えた。平三郎は二人の道具をしまい、「今夜はこれで終りにしましょう」と云って、自分で車を曳き、伝馬町の問屋へ帰った。
問屋の店は閉っていた。平三郎は店の横を裏へまわり、そこで箱の中の物をおろした。その空地に低く板囲いをして、牛馬の汚物、紙屑、襤褸《ぼろ》、古草鞋や繩切など、それぞれ別に積んである。彼はその仕切りどおりに始末しながら、地面に霜のおりているのと、自分の息が白く凍るのとに、初めて気づいた。
[#6字下げ]七[#「七」は中見出し]
車を片づけ、井戸端で手を洗うと、にわかに、明け方の寒さが感じられた。
「温まるものを喰べて帰りましょう」
平三郎はそう云って、両町のほうへとあと戻りをし、政利はそのあとから、ただ惰性で歩くような足どりでついていった。
両町の中ほどに、「あわ雪」と障子に書いた夜明しの茶店があった。馬子、駕籠屋《かごや》、飛脚、近在から来る農夫などがおもな客で、また、遊び帰りの若侍たちも、「飲み直し」と称して、面白半分にたち寄ることがしばしばある。泡雪豆腐はこの土地の名物として古くから知られているが、その茶店では、つけ揚げを入れた饂飩《うどん》が評判であった。
平三郎はその饂飩を喰べた。つけ揚げというのは魚か海老を油で揚げたもので、そのこってりした味が熱い饂飩にしみて、なかなかの珍味だといわれていたが、政利は喰べなかった。
「食わぬ」と政利は強く首を振った、「こんな下賤なものが食えるか、無用だ」
意地になっているばかりではない、過度の空腹と、激しい疲れと怒りとで、たべものなどはうけつけない状態のようであった。
明くる夜もその次の夜も、そして、それ以来ずっと休まずに、毎晩でかけて道掃除をした。十日めぐらいまでは力ずくで伴れださなければならなかった。平三郎自身、初めは躯の節ぶしが痛み、立ち居に不自由を感じるほどであった。武芸で鍛えた若い筋骨も、違った使いかたをするとまいるらしい。政利は年も年だし、かつて労作らしいことをしたためしがないから、どんなにこたえるかはおよそ察しがついた。しかし平三郎は見て見ぬふりをし、一晩も休ませようとはしなかった。
「だめです、休めば却《かえ》って苦しくなります」と彼は云った、「馴れるまでの辛抱ですからがまんして下さい、でかけましょう」
彼は萩尾に、眼をつむっていてくれ、と云ったが、いまは自分が眼をつむる気持で、むりやりに政利を伴れだした。萩尾にはなにも云わなかった。政利も話さないらしく、萩尾はおちつかない不安そうなようすをしていたが、それでもなにも訊こうとはしなかった。
十日めを過ぎるころから、政利はようやくおとなしくなった。半月ちかく経った或る日など、夕方から雨になったので、「今夜は休もう」と云うつもりだったが、時刻が来ると、政利は黙ってでかける身支度をした。平三郎はふと眼のうちが熱くなるように思い、寺の庫裡へいって蓑《みの》を借りて来た。
「弱気になるな」と彼は自分に云った、「息を抜かずにやりとおせ、息を抜くと元の杢阿弥になるぞ」
その夜の仕事が終ったあと、政利は初めて饂飩を喰べた。そんなに熱いものには馴れていないのだろう、初め一と口入れると「あ」と云って吐きだし、唇をすぼめてふうふうと息を吸った。もちろん蓑笠はぬいでいるが、手拭の頬かぶりはしたままなので、唇をすぼめて息を吸う政利の顔は殆んど道化てみえ、平三郎は危なく笑いだしそうになった。
「ばかげて熱い」と政利はふきげんに呟いた、「舌を焦がしてしまった」
平三郎は黙って喰べ続けた。
次のときには用心して喰べ、茶店を出ると、怒ったような声で「うまかった」と云った。
「うまいものだな」と惣門のところでまた政利は云った、「あんなうまいものは初めてだ」
「お口に合えば結構です」
平三郎の口ぶりが冷淡なので、政利はなおなにか云いかけたが、思い返したようすで眼をそむけた。
政利の態度がしだいに変ってきた。道掃除に馴れるのとともに、周囲の見聞にも興味をもち始め、馬子や駕籠屋、人足、百姓たちのすることや話すことを、熱心に見たり聞きいったりした。或る夜、――霜月中旬のことであったが、京へのぼる老中の行列がはいることになり、作法触が出た。掃除も常よりは入念にやり、町筋では盛り砂三カ所、家の前には水手桶、箒などを出す。投町、材木町、下肴町などの茶屋の店は、簾《すだれ》をまわして囲い、どの家でも不浄場には蓋をする。また道に沿った田畑は一日まえから肥を止め、見苦しい物はすっかり片づける。などということが厳重に行われた。
町役の指図で、住民や助郷、人足たちが走りまわるのを眺め、「作法触」の仔細を聞くと、政利は事のおおげさなのに驚いたらしい。折も折、十王堂の前で、台提灯の支度をしていた男たちが、高声でしきりに不平をならべているのを聞いた。特に悪意をこめたわけではない、ありふれた不平にすぎないが、政利には相当つよくひびいたようであった。
「おれはそう思うんだが」と男の一人が云った、「一生のうちに一度でもいいから殿さまになって、こういうけしきを駕籠の中から暢《のん》びり眺めたいもんだ」
「そうかな」とべつの男が云った、「おれがもし殿さまになったら、こんなばか騒ぎはやめにするがな」
「どっちも間違ってら」と老人らしい声が云った、「お大名なんて者は、こんな作法触の苦労なんぞ知りゃあしねえ、知らねえから、眺めたってべつにいいこころもちでもなんでもねえさ、また、こんな騒ぎをやめるのなんのというような、ちっぽけな気持じゃあ大名などは勤まらねえもんさ」
「じいさんは大名に詳しいな」と一人が云い、すると他の一人が云った、「ちっぽけな気持で済まなかったよ」
政利は箒を使いながら耳をすましていた。箒を使うのがうわのそらで、その話にすっかり気を取られていることが、平三郎にはよくわかった。
そのじぶんにはもう、茶店へ寄ることが楽しみになったようで、饂飩もお代りをするし、他の客たちの話を聞いて、くすくす笑うようなこともあった。またしばしば、かれらの話にひきつけられて、喰べ終ってからもあとを聞きたそうに、立ちしぶることがあったし、話の中でわからないことがあると、外へ出てから平三郎に訊き糺《ただ》すようになった。
「ようなびとはなんだ、あのねいはとんてきだがようなびをする、と話していたが、どういうことだ」
「ようなびは夜稼ぐことです、ねいとは娘のことで、あの娘は夜も稼ぐというわけです」
「とんてきとはなんだ」
平三郎は首をかしげた、「存じません、いずれ岡崎|訛《なま》りでしょうが、訊いておきます」
訊いてみたら「おてんば」という意味であったが、政利にうまく説明できないのに困った、などということもあった。――十一月下旬になって、平三郎は父から呼ばれ、久方ぶりに殿町筋の家へ帰った。
[#6字下げ]八[#「八」は中見出し]
五郎左衛門はむろん道掃除のことを知っていた。詳しい理由は云わなかったが、平三郎があまり熱心に頼んだので、とにかく手続きをとり、その手配をしてやった。だが、夜半を選んで道掃除をする、などということは桁《けた》外れであるし、特にそれを政利にやらせるとなると、まず不可能とみるほかはなかった。
――やるにしても、どうせ長続きはしないだろう。
そう思っていた。それで、平三郎の報告を聞いても、すぐには信じられないようすで、いちいち念を押して訊き返した。平三郎はできるだけ控えめに話し、飾ったり誇張したりしないように注意した。
「では、――」と五郎左衛門は疑わしそうに訊いた、「本多侯は行状が改まったというのか」
「いや、そうは申しません、ただ、このように変って来たという、事実を申上げただけです」
五郎左衛門は暫く黙っていて、ふと眼をそばめて平三郎を見た。
「いったいどうして、道掃除などということを思いついたのだ」
平三郎は頭を垂れた。彼の頸《くび》から耳のあたりが赤くなり、膝の上の手が固くにぎり緊められた。
「すっかり申上げてしまいます」と彼は頭を垂れたまま云った、「そもそも始めは、相伴役を願って出たときのことですが、あのころ私は自分で自分にあいそをつかしていたのです」
平三郎は正直に告白した。いつでもやめられると信じていた酒や遊蕩が、事実は、いつのまにかやめられなくなっていたこと。――酒や遊蕩そのものが悪いのではなく、習慣になることが恐ろしいのだ、という父の訓戒を思いだし、そこからぬけ出ようと努力したが、どんなに困難であるかがわかり、殆んど絶望しかけたこと。そうしてあの夜、客間で本家の三郎右衛門や拝郷や父の話しているのを聞き、「詰腹」とか「毒害」とかいう言葉を耳にして、自分のことではないかと思ってぞっとしたこと、などを語った。
「それが本多侯の問題だということはすぐにわかりました」と彼は続けた、「そのとき私は、同じ病気を病んでいる者同志、というような気持を感じたのです、自分の酒や遊蕩も、本多侯の御乱行もべつのものではない、自分なら本多侯の弱さや、苦しさや、心の痛みがわかるだろう、そう思って相伴役を願い出たのです」
同じ夜のことだが、酔って帰る途中で、道掃除をしている人夫たちを見た。夜の十時すぎで、小雨が降っていた。そんな時刻に、濡れながら道掃除をしている人夫たちの姿を見たとき、自分はかつて経験したことのない、するどい良心の痛みを感じた。
「きさまにはまぐそ拾いもできないじゃないか、――とそのとき私は自分に云いました」と彼は頭をいっそう低く垂れた、「まったくそういう気持でしたし、それが道掃除をするきっかけになったのです」
五郎左衛門が訊いた、「どういう効果があると思ったのか」
「なにも考えませんでした」
「これからも続けるつもりか」
「そのつもりです」と平三郎は答えた。
五郎左衛門は片手で火桶のふちを撫《な》で、その眼を壁のほうへ向けながら、「じつは公儀からその後のようすを知らせろと云って来た」と低い声で云った。おまえも承知のとおり、あまりに行跡がひどいので、公儀へうかがいをたてた結果、やむを得なければ詰腹を切らせろという沙汰があった。それに対して、「ようすを知らせろ」というのだから、なんとかはっきり返事をしなければならぬ、どう返事をしたらいいか、と五郎左衛門が訊いた。
平三郎は当惑したように云った、「もう少し待つことはできないのですか」
その言葉は五郎左衛門にとって意外だったらしい。明らかに、彼はわが子からべつの答えを期待していたとみえ、顔には不満の色があらわれたし、その眼はするどい光りを帯びた。
「おまえは」と五郎左衛門が云った、「自分で責任が負えないのか」
平三郎は父の表情を見、その言葉の意味を考えた。そして、急に眠りからさめたように、明るく微笑しながら云った。
「私に責任を負わせてもらえるのですか」
「むだなことを云わなくともいい、公儀へはどう答えるのだ」
「御乱行はおさまるものと信じます、その責任は私が負います」
五郎左衛門は「よし」と頷き、それから少し機嫌を直したように云った、「芯まで腐った木にも芽の出ることがある、だが、その芽は必ずしも腐った幹のよみがえった証拠にはならない、饂飩をよろこんで喰べるくらいのことで気をゆるすと、後悔するぞ」
平三郎は「はい」としっかり頷いた。
五郎左衛門が声をかけると、それを待っていたように、母が茶と菓子を持ってはいって来た。菓子は母の手作りで、無花果《いちじく》の実を乾して砂糖で煮たものであった。平三郎は茶だけ啜《すす》り、菓子は包んでもらって立ちあがった。
大林寺へ帰ったのは午後三時ごろであった。裏門からはいり、いつものように庫裡の横をぬけてゆくと、その裏にある植込のところで、萩尾が寺の下男と立ち話をしていた。彼は呼びかけようとしたが、急に口をつぐみ、二歩ばかりうしろへさがった。――萩尾がその下男から、酒の徳利を受取るのを認めたのである。平三郎はつよく唇を噛んだ。萩尾はこちらには気づかず、しかしいそぎ足で離屋のほうへ去ってゆき、平三郎はそのあとからゆっくりと歩いていった。
「いや、まさか」と彼は口の中で呟いた、「まさかそんなことはあるまい」
彼は急に疲れを感じた。足が石にでもなったように重く、そうして、耳の奥で父の笑う声が聞えるように思った。彼はもっとつよく唇を噛み、立停って空を見あげた。空はしらじらと晴れており、墓地のほうから線香の匂いが漂って来た。
平三郎が厨へはいってゆくと、暗い板の間でなにかしていた萩尾が、「あ」と声をあげ、なにかをとり落して、それが高い音をたてた。平三郎は大股《おおまた》にそっちへ歩みより、萩尾は板の間に膝をついたまま、大きくみはった眼でこちらを見まもっていた。――彼女の前に酒の徳利があり、燗鍋《かんなべ》があった。燗鍋は横にころげていて、うちまけられた酒が強く匂った。平三郎はそれらを眺め、それから萩尾を見た。萩尾は大きくみはった眼で、平三郎をまっすぐに見あげていたが、やがて、その眼が涙でいっぱいになり、まるで草の葉から露でもこぼれるように、涙が膝の上へこぼれ落ちた。
「いつからです」とやがて平三郎が低い声で訊いた、「いつから飲ませていたんです」
萩尾は口をあいたが、舌でも痺れたように、なにも云うことができなかった。
平三郎は高い声で云った、「お云いなさい、いつからこんなことをしていたんです、こんなことをして、貴女は恥ずかしくないんですか」
彼は板の間へあがり、片膝をついて、いきなり萩尾の衿を掴んだ。怒りとも憎悪ともわからない、激しく暴あらしい感情で胸がいっぱいになり、彼は乱暴に萩尾を小突いた。
[#6字下げ]九[#「九」は中見出し]
「貴女は恥ずかしくないのか」と平三郎は叫んだ。
「かんにんして下さい」と萩尾がおろおろと云った。涙のこぼれ落ちる眼で、平三郎をひたと見あげたまま、萩尾はおろおろと云った、「じっと辛抱していらっしゃる、殿さまのごようすが、あんまりおいたわしくて、どうしても差上げずにはいられなかったのです」
「いつからだ」と彼はもっと強く衿を掴みあげた、「いつから飲ませていたのだ」
「これで三度めです」と萩尾が云った、「わたくしの差上げるだけしかめしあがりませんし、めしあがっても乱暴はなさいません、もう少しくらいならいいと思ったものですから」
そのとき、「放せ」と叫ぶ声がした。
あけてある杉戸のところに、政利が立っていた。拳をにぎった左手は腿《もも》にそってさげ、右手はうしろに隠していた。平三郎は萩尾の衿を掴んだまま、上躰《じょうたい》を捻って振返った。
「その手を放せ」と政利が云った、「萩尾に手を触れるな」
平三郎は手を放した。すると政利は「無礼者」と絶叫しながら踏み込んだ。その右手でぎらっと白刃が光り、萩尾は悲鳴をあげた。平三郎は躯をあおってとびこみ、政利の右手を逆に取ると、力に任せて押しつけ、緊めあげながら、ぐいぐいと奥の座敷まで押し戻した。政利は大喝し、取られた腕を振放した。政利は躰力を恢復《かいふく》していた。腕を振放して立ち直ったようすには、躰力を恢復したことがよくあらわれていた。平三郎はうしろへとびさがった。
「今日こそ」と政利が歯をみせて云った、「今日こそ思い知らせてくれるぞ、動くな」
平三郎はとび込んだ。うしろで萩尾が叫び声をあげた。
政利は刀を振ったが、平三郎はつぶてのようにとびこみ、政利を肩にかけて投げた。重おもしい響きと共に家が震動し、はね起きようとする政利を、がっしりと平三郎が押えこんだ。政利の手から刀がとび、なおはね起きようとして、両足で畳を打った。――平三郎は上からしっかりと押え、右手を政利の首にあてて、ぐっぐと絞めつけた。政利の喉でかすれた喘鳴《ぜいめい》が起こり、萩尾がうしろから平三郎の背にすがりついた。
「おゆるし下さい、堪忍して下さい」と萩尾が泣きながら叫んだ、「殿さまに罪はございません、わたくしが悪かったのです、どうぞ堪忍して、放してあげて下さいまし」
「聞えますか、いまの言葉が聞えますか」と平三郎は政利に云った、「萩尾どのは二十幾歳になる今日まで、殆んど世間へも出ず、娘らしいよろこびも楽しみも知らず、ゆくすえになんの希望もないのに、流人同様のこなたさま一人を頼みにし、こなたさまがいたわしいというだけで仕えて来たのですよ、他の侍者がみな去ってゆくなかで、直接にはなんの恩顧もない萩尾どの一人は残っていた、なんのためだと思うのです、私は男だからいい、私には将来もある、だが娘ざかりをこんなふうにくらし、ゆくすえの望みもない萩尾どののことを、考えてみようとは思わないのですか、それでもこなたさまは、平八郎忠勝公の嫡孫だといえるのですか」
「これに構うな」と政利がしゃがれた声で云い返した、「これがおれと生涯を共にするのは当然だ、きさまになにがわかる、こまち[#「こまち」に傍点]はおれの娘だ」
平三郎は聞き違えたかと思った。だが、彼の背にとりすがっていた萩尾が、彼の背からすべって泣き伏したとき、政利がなにを云ったかということを理解した。政利のほうでは、自分が云ってはならないことを云ったのに狼狽したらしく、「いや違う」と首を振り、全身の力をぬいて、両腕をばたっと畳の上へ投げだした。
「いま云ったことは誤りだ」と政利は喘《あえ》ぎながら云った、「おれにとっては、娘も同様だと云いたかったのだ」
平三郎はこくっと唾をのみ、吃《ども》りながら云った、「もしもそうお考えなら、二度と萩尾どのを悲しませないようにして下さい、そうして下さいますか」
「する」と政利は顎《あご》で頷いた、「そうすると約束しよう」
平三郎は政利をたすけ起こしてやった。萩尾がすぐに、乱れた衣紋を直しにかかり、平三郎は刀を片づけた。それから、もういちど政利の前に坐り、「無礼おゆるし下さい」とお辞儀をした。
「いいおりですから申上げておきます」と平三郎は穏やかな調子で云った、「明日、――老職から公儀へ答申書が出されますが、それには、侯の御行状が改まり、謹慎のごようすがあらわれた、と述べられる筈です、どうかそれをお忘れにならないで下さい」
そして立ちあがって、廊下へ出た。
平三郎が自分の部屋へさがろうとすると、萩尾が追って来て呼びかけた。萩尾はまだ泣きじゃくっており、眼のまわりが赤く腫《は》れたようになっていた。
「わたくしが悪うございました」と萩尾は低く頭を垂れた、「これからは決して致しません、どうぞこんどだけおめるし下さいまし」
平三郎は萩尾の顔を見ることができなかった。けれども、その頼りなげな、うちしおれた声を聞くと、突然、抱きしめて慰めてやりたいという、激しい衝動にかられ、われ知らず向き直った。廊下のうす暗がりの中で深くうなだれた萩尾の、鮮やかに白い頸筋が、殆んど彼の眼の下にあった。――平三郎はどきっとし、それからふと気づいて、ふところをさぐり、袂《たもと》をさぐったうえ、袂の中から潰《つぶ》れた紙包を取り出した。包んだ物が潰れて、紙が茶色くべとべとによごれていた。
「母が自慢で作った物です」と彼はぶきようにそれを差出した、「無花果を砂糖で煮たものなんですが、……いまのあれで潰れて、こんなになってしまいましたけれども、よかったら喰べて下さい」
彼は逃げるように自分の部屋へ去った。
――あの人は本多侯の娘だ。
と平三郎は思った。いつか彼女に「父親はどうしているか」と訊いたとき、彼女は答えなかったし、今日まで、唯一人だけ側をはなれなかったことも、それで合点がゆく。政利は自分の言葉をすぐに否定したが、いかにも弁解がましかったし、却って事実であることを証明するように聞えた。
「おそらく、亡くなった萩尾という人と、侯のあいだに生れたのだろう」と彼は仕事着に着替えながら呟いた、「本来なら六万石の大名の姫君として、多くの侍女にかしずかれて育ち、しかるべき大名の奥方となられたことだろうに」
だが彼は急に頭を振り、「そんなことは返らぬぐちだ」と自分に云った。
「あの人にはまだ望みが残されている、侯がしんじつ悔悟し、謹慎の実を示すようになれば、――」と彼は厨口から出ながら呟《つぶや》いた、「それが第一だ、侯にしんじつ悔悟の実を示してもらうことが、そうすれば……」
[#6字下げ]十[#「十」は中見出し]
平三郎は暗くなるまで薪割りをした。
彼は食事は自分の部屋でするのだが、その日は政利から「いっしょにするように」と云われ、政利の座敷で夕食を共にした。萩尾の膳もそこにあったが、彼女は箸を取らなかった。給仕が終ってから喰べるのだろう、と平三郎は思っていたが、茶を出してからも食事をするようすはなく、政利が「ちょっと待っていてくれ」と云って立つと、いっしょについて出ていった。――二人はまもなく戻って来たが、政利は着替えをし、継ぎ裃《かみしも》をつけ、小刀を差していた。政利が座につくと、萩尾は膳部を片づけ、自分は脇にさがって坐った。
――どうしたのだ。
平三郎は腑《ふ》におちない顔で見ていた。なにか予期しない事が起こる、ということは感じたが、なにごとが起こるかは見当もつかなかった。そして政利が話し始めたとき、彼は自分の周囲にある物がすべて、くるくると廻りだすような錯覚におそわれた。
「明日の公儀への答申は待つようにと、老職に伝えてもらいたい」と政利は云った、「おれは自決をする」
そこで口をつぐみ、両手を膝に置いて、政利は眼をつむった。平三郎は半ば口をあけたまま、息もつけないといったような顔をしており、政利が再び口をひらこうとする直前に、ようやく、「なにを仰しゃるのか」と吃りながら云った。
「どうなすったのですか」と彼は声を励まして云った、「自決などという問題はもう消えています、それはもう過ぎ去ったことです、私のやりかたに御不満があるのですか」
政利は眼をつむったまま極めてゆっくりと首を振った。
「おれの云うことを聞いてくれ」
「いや私は聞きません、さようなことはうかがいたくありません」
政利が静かに、けれども反対を許さない調子で遮《さえぎ》った、「おれの云うことを聞いてもらいたい」
平三郎は唇をひきむすんで黙った。
「この四十日ほどのあいだに、おれはずいぶん多くのことを学んだ」と政利は云った、「道掃除をするあいだにも、茶店で饂飩を喰べるあいだにも、これまでかつて経験したことのない経験をし、経験をしたこと以上に多くのことを学んだ、――こういう云いかたは芝居がかっているかもしれない、もっとべつの云いかたがあるかもしれないが、いまはこんなふうにしか云えない、この四十日ほどのあいだに見聞したことは、おれ自身の過去、おれがどんな人間だったかということを、はっきりとあぶりだしてみせたのだ」
「平三郎は気がつかなかったろう」と政利は続けた、「或る朝、夫婦と幼い子供二人の家族が食事をしていた、話を聞くと、暮しが立たなくなったので、よその土地へゆくらしい、五歳くらいとみえる男の子が、これからゆくところのことをしきりに訊いていた」
政利はちょっと言葉を切り、やはり眼をつむったままで、記憶を辿《たど》るようにゆっくりと続けた。
――そこにはお家があるの、とその子供が訊いた。
――あるとも、と父親が答えた。
――御飯たべられるんだね。
――ああ、おなかいっぱいたべられるよ。
――嘘じゃないね。
――嘘じゃないとも。
――いいな、お家があって、御飯がいっぱい喰べられて、ほんとだね。
――本当だよ、もっと饂飩をたべな。
政利はそこで暫く黙った。
「その次の朝、いや」と政利はやがて話し継いだ、「次の次の朝かもしれない、その家族四人が、矢矧川へ身投げをし、いちばん下の子だけ助けられた、ということを茶店で話していた、まるで冗談ごとのように、……みんな死ねればまだしも、いちばん小さいのを助けられるなどとは、あの夫婦もへまなものだ、そう云って笑った、それだけだ、あの夫婦もへまなものだと云って、笑って、すぐにほかの話を始めた。
かれらには珍しいことではなかった、おそらく、そんな例は絶えずあることで、いまさら同情したり悲しんだりすることではなかったのだ、そのことが、――四人家族の死んだということより、それを冗談のように、へまなものだと笑って済まされたことのほうが、おれには耐えがたかった、そうだ、耐えがたいことだったし、事実そうなのだ、茶店で話されることの大部分が同じようなものであった、年貢の滞ったために、店賃の払えないために、仕事が無くなったために、嵩《かさ》んだ借銭のために、……一家が離散し、夜逃げをし、盗みに入って捕われ、自殺をする、そうして、それを話す者は、殆んどが面白半分で、悲しんだり心を痛めたりするようすがなかった。
どうしてだ、これはどういうことだ、とおれは不審に思った、だが、やがてわかってきた、かれらが同情したり悲しんだりしないのは、そういう悲惨な出来事に馴れているだけではない、いつかは自分の身にも同じようなことがめぐってくる、いつかは自分もそうなるだろう、そして、そのときにはきりぬけるみちはないのだ、ということをみとおしているためであった」
政利は静かに眼をあいた。外はすっかり昏《く》れて、障子が明るく灯をうつしていた。午後から少し風立っていたのが、やや強くなり、裏にある竹藪《たけやぶ》がしきりに葉ずれの音をたてていた。
「おれが早くこういうことを知っていたら、領主としてなにかしたかもしれない」と政利は云った、「政治ということを知らぬから、領主の意志だけではなにもできなかったかもしれないが、少なくともなにかしようとはしたと思う、だが事実は、――現におれがなにをして来たかということは、多くの者の知っているとおりだ、領主としてはもちろん、単に人間としてもおれは屑に劣る」
「お言葉ではございますが、そこに御合点のいったいまこそ、これまでの償いをなさるときではございませんか」
「今生ではできない」と政利は首を左右に振った、「償うことがあまりに多すぎるし、おれにはもうその力はない、平三郎にもわかっている筈だ、それは今生では不可能なことだ」
「私は、安穏な御余生が送れるようにと、それだけを念じて相伴役にあがったのです」と平三郎が云った、「そのためにこそ力ずくで御意にさからい、道掃除などという下賤なことまで強いました、それはただ、御余生が平安であるようにと願ったためなのです」
「いや、自決するときめたいまほど、平安な気持はおれにはなかった」と政利はおちついた口ぶりで遮った、「過ぎ去った五十年よりも、この四十余日のあいだに、おれは人間の生きかたを知った、それで充分だ、老職から公儀へ答申するということを聞いたとき、おれは肚がきまったのだ、そうあってはならない、これ以上生き延びてはならない、五十余年にわたる罪の償いはできなくとも、死にどきだけは誤りたくない、この気持は平三郎にもわかる筈だ」
平三郎は頭を垂れた。かすかに、萩尾の嗚咽《おえつ》がごくかすかに聞えていた。
「今宵のうちに老職へ伝えてくれ、公儀への答申はやめること、次に明日、検視と介錯人をよこしてくれること、これはおれの見知らぬ者に命じてもらいたいこと、以上だ」政利はそこで声をゆるめた、「――平三郎には世話になった、礼は云わぬ、礼を云わぬうえにもう一つ頼みがある」
平三郎が云った、「わかっています」
「こまち[#「こまち」に傍点]のことだ」
「わかっています」と平三郎が云った、彼は頭を垂れたまま、くいしばった歯のあいだから云った、「萩尾どののことで御心配はいりません、私が慥《たし》かにお引受け申します」
「それで心残りはない」と云って政利は振向いた、「こまち[#「こまち」に傍点]、盃《さかずき》を持ってまいれ」
萩尾が立って、膳部を持って来た。萩尾の食膳だと思ったのが、そうではなく、このときのために用意してあったらしい。政利が盃を取り、萩尾が銚子を持った。そのとき、ひときわ強く風がわたって、裏の竹藪が潮騒のように鳴り立った。
銚子を持つ萩尾の手は、しっかりとおちついていた。
底本:「山本周五郎全集第二十七巻 将監さまの細みち・並木河岸」新潮社
1982(昭和57)年8月25日 発行
底本の親本:「講談倶楽部」
1957(昭和32)年5月号
初出:「講談倶楽部」
1957(昭和32)年5月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ