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病室
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病室
徳田秋声
徳田秋声
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)月末《ぐわつすゑ》
(例)月末《ぐわつすゑ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|月末《ぐわつすゑ》
(例)一|月末《ぐわつすゑ》
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(例)[#地付き]
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/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ヒユ/\
(例)ヒユ/\
濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
一|月末《ぐわつすゑ》の或日《あるひ》――
私《わたし》は十|日程前《かほどまへ》に、些《ちよつ》と筆《ふで》を着《つ》けかけたばかりの原稿《げんかう》を、机《つくゑ》の前《まへ》に拡《ひろ》げたまゝ、例《れい》の取留《とりとめ》のない冥想《めいさう》に耽《ふけ》つてゐた。
外《そと》はヒユ/\風《かぜ》が吹荒《ふきすさ》んでゐる。木《き》と云《い》ふ木《き》が皆《みな》可恐《おそろ》しい声《こゑ》を立《た》てゝ怒号《どがう》してゐる。それでも冬《ふゆ》の薄日《うすび》はさしてゐた。横町《よこちやう》に羅緒屋《らをや》の汽笛《きてき》の細《ほそ》い嘯《フ井ッスル》が絶《た》え/\に聞《きこ》えて、何《なに》か知《し》ら、砂利《じやり》か金物《かなもの》へ打《ぶツ》つかるやうな音《おと》もする。
「もう今日《けふ》は二十六|日《にち》……。」と私《わたし》は気《き》を鎮《しづ》めやうとして、緩《ゆる》やかに莨《たばこ》を喫《ふか》してみたが、如何云《どうい》ふものか頭脳《あたま》に落着《おちつき》がなかつた。
其処《そこ》へ荒《あらゝ》かに襖《ふすま》を開《あ》けて、子供《こども》が一|枚《まい》の葉書《はがき》を投込《はりこ》んで行《い》つた。
葉書《はがき》はクシヤ/\に為《な》つてゐる。紫《むらさき》の鉛筆《えんぴつ》で、「其後《そのゝち》は御無沙汰《ごぶさた》、此頃《このごろ》は子供《こども》が病気《びやうき》で、暫《しばら》く此処《こゝ》に入院《にふゐん》してゐる。もう飽々《あき/\》した……」と云《い》ふやうな文句《もんく》が、乱暴《らんぼう》な字体《じたい》で書《か》いてある。清田《きよだ》から来たのである。
清田《きよだ》は去年《きよねん》の十一|月《ぐわつ》まで、或新聞社《あるしんぶんしや》に勤《つと》めてゐた男《をとこ》である。三|面記者《めんきしや》をしてゐたゞけに、世間的智識《せけんてきちしき》に富《と》んでゐる。文芸《ぶんげい》も少《すこ》しは噛《かじ》りかけ、音楽《おんがく》の耳《みゝ》も多少《たせう》はある。芸人《げいにん》の内幕《うちまく》や、芝居《しばゐ》の内情《ないじやう》にも通《つう》じてゐる。何処《どこ》へ使《つか》つても役《やく》に立《た》つと云《い》ふ評判《ひやうばん》だが、其癖《そのくせ》何処《どこ》でも長《なが》くは用《もち》ゐられぬ。子供《こども》か三|人《にん》もあるうへに、其子供《そのこども》が交々《かはる/″\》々病気《びやうき》をするので、此暮《このくれ》などは酷《ひど》く困《こま》つてゐた。私《わたし》も始終《しゞう》其渦中《そのくわちう》に捲込《まきこま》れるのであるが、今《いま》では左迄《さまで》感《かん》じもなくなつた。
葉書《はがき》を見《み》ると、苦《くる》しい私《わたし》の頭脳《あたま》は、何《なに》やら口実《こうじつ》を見《み》つけたやうな気《き》がした。周章《あはたゞ》しく細君《さいくん》を呼《よ》びつけて、見舞品《みまひゝん》の相談《さうだん》をすると、細君《さいくん》は「又出《またで》るんですか」と云《い》ふ顔《かほ》をして、
「それぢや△△堂《だう》で、何《なに》か見繕《みつくろ》つて持《も》つて行《い》つたら可《い》いぢや有《あり》ませんか。」
私《ありわたし》はバラ銭《せん》を少《すこ》し、電車賃《でんしやちん》だけポケツトへ入《い》れて、家《うち》を出《で》た。
外《そと》は空気《くうき》が一|体《たい》に濁《にご》つてゐる。日《ひ》の光《ひかり》も黄《きば》んで見《み》える。風《かぜ》は硬《かた》い大地《だいち》をこそげ立《た》てゝ吹《ふ》いてゐる。其底《そのそこ》を、人《ひと》は顔《かほ》を顰《しが》めて歩《ある》いてゐた。地球《ちきう》がゲツソリ凝縮《ぎようしゆく》してしまひさうな日《ひ》である。
私《わたし》は急立《せきた》てられるやうに歩《あし》を運《はこ》んで行《い》つた。
病院《びやうゐん》は駿河台《するがだい》である。私《わたし》は何《ど》の子供《こども》だらうと云《い》ふやうな事《こと》を考《かんが》へながら、石段《いしだん》を上《あが》つた。大《おほき》なドアを開《あ》けて入《はい》ると、中《なか》は静《しづか》である。受附《うけつけ》で番号《ばんがう》を聞《き》いてから、私《わたし》は冷《つめた》い廊下《らうか》を通《とほ》つて、其病室《そのびやうしつ》を捜《さが》した。動物園《どうぶつゑん》へでも入《はい》つたやうに、階下《した》からも二|階《かい》からも、異《かは》つた子供《こども》の啼声《なきごえ》や、咳《せき》の声《こゑ》などが聞《きこ》えた。
清田《きよだ》の部屋《へや》は、階下《した》の三|号《がう》である。突当《つきあたり》の便所《べんじよ》の横《よこ》がそれである。
硬《かた》い戸《と》を開《あ》けると、天井《てんじやう》の高《たか》い部屋《へや》の片隅《かたすみ》の方《はう》に、人《ひと》がゴチヤ/″\寄《よ》つてゐた。細君《さいくん》の此子《このこ》が「アラ」と云《い》つて、笑《ゑみ》かけると、二三|人《にん》の目《め》が一|様《やう》に私《わたし》の顔《かほ》を凝視《みつ》めた。清田《きよだ》の処《ところ》で、一|度《ど》ぐらゐ逢《あ》つたやうに思《おも》ふ顔《かほ》も見《み》えた。
清田《きよだ》は立膝《たてひざ》をして、ギロリとした目《め》で此方《こつち》を見《み》たが、口《くち》を利《き》かなかつた。
「サア切望《どうぞ》……此《こ》の風《かぜ》の吹《ふ》きますのに、恐入《おそれい》ります。」と細君《さいくん》は其処《そこ》へ蒲団《ふとん》を敷《し》いて、自分《じぶん》は横《よこ》の方《はう》へ避《よ》けた。
清田《きよだ》は、自分《じぶん》も見舞《みまひ》の客《きやく》でゞもあるやうに、ポカリ/\莨《たばこ》ばかり喫《ふか》してゐたが、少時《しばらく》経《た》つと、莨《たばこ》を灰《はひ》に突刺《つきさ》して、「マア君《きみ》弱《よは》つた。宅《うち》にも一人《ひとり》病院《びやうにん》がゐるんで……然《しか》し此方《このはう》はもう心配《しんぱい》はないんだがね……。」と云《い》つて、其《それ》から此処《こゝ》へ入《はい》つてゐる長男《ちやうなん》の病状《びやうじやう》や、入院前後《にふゐんぜんご》の始末《しまつ》をザツと談《はな》した。
患者《くわんじや》は今茲《ことし》五歳《いつゝ》になる。是迄《これまで》にも能《よ》く痙攣《ひきつけ》たことなどある子供《こども》である。今度《こんど》のもチフスのやうな病気《びやうき》で、此処《ここ》へ入《はい》つてからも、二|度《ど》も痙攣《ひきつ》けたと云《い》ふ話《はなし》である。
「だもんだから、此方《こつち》は面喰《めんくら》つて了《しま》つて……。」
話《はなし》が少時《しばらく》途絶《とだ》える。子供《こども》の弱《よは》い息遣《いきづかひ》が、耳《みゝ》に通《かよ》ふくらゐ、静《しづか》になつて来《き》た。
たしか山田《やまだ》だとか云《い》つた、清田《きよだ》の友人《いうじん》は、ビスケツトを摘《つま》みながら、新聞《しんぶん》を見《み》てゐたが、ふと、「サア僕《ぼく》も恁《かう》しちやゐられない。明日《あした》は締切日《しめきりび》だ。」とか呟《つぶや》いて、帯《おび》の間《あいだ》から時計《とけい》を出《だ》して見《み》ると、生叭《なまあくび》をして「奥《おく》さんは……まだ帰《かへ》りませんか。」
「さうね。」と細君《さいくん》は破《こは》れた頭髪《あたま》を些《ちよツ》と振《ふ》つてみて、「今日《けふ》は帰《かへ》つて見《み》ませう。宅《うち》にも色々《いろん》な用事《ようじ》が溜《たま》つてゐるから、阿母《おつか》さんが嘸《さぞ》心配《しんぱい》してるでせう。」と此《これ》も懈《だる》さうな体《からだ》を、無作法《ぶさはふ》に伸《のび》をするやうに反返《そりかへ》つて、妙《めう》に顔《かほ》を顰《しか》めた。ごた/″\してゐる家《うち》へ帰《かへ》つて行《い》くのが、如何《いか》にも臆劫《おくくう》さうに見《み》えた。
私《わたし》の頭脳《あたま》には、荒《あ》れたやうな其宅《そのうち》の状《さま》が、直《ぢき》に浮《うか》んで来《き》た。其寂《そのさび》しい宅《うち》で、二人《ふたり》の子供《こども》の始末《しまつ》をしてゐる、老人《としより》の顔《かほ》も目《め》に見《み》るやうであつた。
山田《やまだ》も細君《さいくん》も、今《いま》が起《た》ちさうにして、容易《ようい》に起《た》たなかつた。細君《さいくん》は幾度《いくたび》か窓《まど》のガラスを揺《ゆす》る風《かぜ》の音《おと》に怯《おび》えるやうな耳《みゝ》を聳《そばだ》てゝゐた。
かくて又《また》人々《ひと/″\》は少時《しばらく》アイドルな莨《たばこ》に耽《ふけ》つてゐた。
大分《だいぶん》経《た》つてから、清田《きよだ》は私《わたし》を廊下《らうか》へ呼出《よびだ》した。而《さう》して壁側《かべぎは》へ私《わたし》を喰着《くひつ》けておいて、「君《きみ》、甚《はなは》だ相済《あひす》まんがね、僕《ぼく》実《じつ》に御存《ごぞんじ》のとほり、何《なん》の用意《ようい》もないんだ。君《きみ》の周旋《しうせん》で、何処《どこ》か、此処《こゝ》の払《はらひ》だけ都合《つがふ》出来《でき》るやうな処《ところ》はあるまいかね。」と低声《こゞゑ》で投出《はうりだ》したやうな調子《てうし》で言《い》つた。私《わたし》の顔《かほ》を瞶《みつ》めた彼《かれ》の目《め》は、眼鏡《めがね》の奥《おく》で、ギロリと光《ひか》つた。
「サア。」と私《わたし》は其視線《そのしせん》を外《そら》した。
清田《きよだ》は圧蔽《おしかぶ》せるやうな調子《てうし》で、自分《じぶん》の苦《くる》しい事情《じゞやう》を語《かた》つた。入院費《にふゐんひ》が、意外《いぐわい》に嵩《かさ》まつたことから、病気《びやうき》の長引《ながび》いた事《こと》も話《はな》した。
何処其処《どこそこ》は駄目《だめ》、誰某《たれそれ》との関係《くわんけい》は如何《どう》、其額《そのがく》は幾許《いくら》と云《い》ふやうな相談《さうだん》が、少時《しばらく》二人《ふたり》の間《あひだ》に続《つゞ》いた。古《ふる》い小説《せうせつ》の原稿《げんかう》で、俗受《ぞくうけ》のするものがあるから、其《それ》を物《もの》にしてくれと云《い》ふ話《はなし》なので……。
病室《びやうしつ》に帰《かへ》ると、清田《きよだ》は少《すこ》し高《たか》い調子《てうし》で、「それぢや、お前《まへ》は早《はや》くお帰《かへ》り。」と細君《さいくん》に命《めい》じた。細君《さいくん》は「ハ」と気《き》のない返辞《へんじ》をして、胡散《うさん》くさい目《め》で四下《あたり》を見廻《みまは》した。看護婦《かんごふ》が、何時《いつ》か入《はい》つて来《き》て、患者《くわんじや》の枕元《まくらもと》に坐《すわ》つてゐた。
私《わたし》は十|日程前《かほどまへ》に、些《ちよつ》と筆《ふで》を着《つ》けかけたばかりの原稿《げんかう》を、机《つくゑ》の前《まへ》に拡《ひろ》げたまゝ、例《れい》の取留《とりとめ》のない冥想《めいさう》に耽《ふけ》つてゐた。
外《そと》はヒユ/\風《かぜ》が吹荒《ふきすさ》んでゐる。木《き》と云《い》ふ木《き》が皆《みな》可恐《おそろ》しい声《こゑ》を立《た》てゝ怒号《どがう》してゐる。それでも冬《ふゆ》の薄日《うすび》はさしてゐた。横町《よこちやう》に羅緒屋《らをや》の汽笛《きてき》の細《ほそ》い嘯《フ井ッスル》が絶《た》え/\に聞《きこ》えて、何《なに》か知《し》ら、砂利《じやり》か金物《かなもの》へ打《ぶツ》つかるやうな音《おと》もする。
「もう今日《けふ》は二十六|日《にち》……。」と私《わたし》は気《き》を鎮《しづ》めやうとして、緩《ゆる》やかに莨《たばこ》を喫《ふか》してみたが、如何云《どうい》ふものか頭脳《あたま》に落着《おちつき》がなかつた。
其処《そこ》へ荒《あらゝ》かに襖《ふすま》を開《あ》けて、子供《こども》が一|枚《まい》の葉書《はがき》を投込《はりこ》んで行《い》つた。
葉書《はがき》はクシヤ/\に為《な》つてゐる。紫《むらさき》の鉛筆《えんぴつ》で、「其後《そのゝち》は御無沙汰《ごぶさた》、此頃《このごろ》は子供《こども》が病気《びやうき》で、暫《しばら》く此処《こゝ》に入院《にふゐん》してゐる。もう飽々《あき/\》した……」と云《い》ふやうな文句《もんく》が、乱暴《らんぼう》な字体《じたい》で書《か》いてある。清田《きよだ》から来たのである。
清田《きよだ》は去年《きよねん》の十一|月《ぐわつ》まで、或新聞社《あるしんぶんしや》に勤《つと》めてゐた男《をとこ》である。三|面記者《めんきしや》をしてゐたゞけに、世間的智識《せけんてきちしき》に富《と》んでゐる。文芸《ぶんげい》も少《すこ》しは噛《かじ》りかけ、音楽《おんがく》の耳《みゝ》も多少《たせう》はある。芸人《げいにん》の内幕《うちまく》や、芝居《しばゐ》の内情《ないじやう》にも通《つう》じてゐる。何処《どこ》へ使《つか》つても役《やく》に立《た》つと云《い》ふ評判《ひやうばん》だが、其癖《そのくせ》何処《どこ》でも長《なが》くは用《もち》ゐられぬ。子供《こども》か三|人《にん》もあるうへに、其子供《そのこども》が交々《かはる/″\》々病気《びやうき》をするので、此暮《このくれ》などは酷《ひど》く困《こま》つてゐた。私《わたし》も始終《しゞう》其渦中《そのくわちう》に捲込《まきこま》れるのであるが、今《いま》では左迄《さまで》感《かん》じもなくなつた。
葉書《はがき》を見《み》ると、苦《くる》しい私《わたし》の頭脳《あたま》は、何《なに》やら口実《こうじつ》を見《み》つけたやうな気《き》がした。周章《あはたゞ》しく細君《さいくん》を呼《よ》びつけて、見舞品《みまひゝん》の相談《さうだん》をすると、細君《さいくん》は「又出《またで》るんですか」と云《い》ふ顔《かほ》をして、
「それぢや△△堂《だう》で、何《なに》か見繕《みつくろ》つて持《も》つて行《い》つたら可《い》いぢや有《あり》ませんか。」
私《ありわたし》はバラ銭《せん》を少《すこ》し、電車賃《でんしやちん》だけポケツトへ入《い》れて、家《うち》を出《で》た。
外《そと》は空気《くうき》が一|体《たい》に濁《にご》つてゐる。日《ひ》の光《ひかり》も黄《きば》んで見《み》える。風《かぜ》は硬《かた》い大地《だいち》をこそげ立《た》てゝ吹《ふ》いてゐる。其底《そのそこ》を、人《ひと》は顔《かほ》を顰《しが》めて歩《ある》いてゐた。地球《ちきう》がゲツソリ凝縮《ぎようしゆく》してしまひさうな日《ひ》である。
私《わたし》は急立《せきた》てられるやうに歩《あし》を運《はこ》んで行《い》つた。
病院《びやうゐん》は駿河台《するがだい》である。私《わたし》は何《ど》の子供《こども》だらうと云《い》ふやうな事《こと》を考《かんが》へながら、石段《いしだん》を上《あが》つた。大《おほき》なドアを開《あ》けて入《はい》ると、中《なか》は静《しづか》である。受附《うけつけ》で番号《ばんがう》を聞《き》いてから、私《わたし》は冷《つめた》い廊下《らうか》を通《とほ》つて、其病室《そのびやうしつ》を捜《さが》した。動物園《どうぶつゑん》へでも入《はい》つたやうに、階下《した》からも二|階《かい》からも、異《かは》つた子供《こども》の啼声《なきごえ》や、咳《せき》の声《こゑ》などが聞《きこ》えた。
清田《きよだ》の部屋《へや》は、階下《した》の三|号《がう》である。突当《つきあたり》の便所《べんじよ》の横《よこ》がそれである。
硬《かた》い戸《と》を開《あ》けると、天井《てんじやう》の高《たか》い部屋《へや》の片隅《かたすみ》の方《はう》に、人《ひと》がゴチヤ/″\寄《よ》つてゐた。細君《さいくん》の此子《このこ》が「アラ」と云《い》つて、笑《ゑみ》かけると、二三|人《にん》の目《め》が一|様《やう》に私《わたし》の顔《かほ》を凝視《みつ》めた。清田《きよだ》の処《ところ》で、一|度《ど》ぐらゐ逢《あ》つたやうに思《おも》ふ顔《かほ》も見《み》えた。
清田《きよだ》は立膝《たてひざ》をして、ギロリとした目《め》で此方《こつち》を見《み》たが、口《くち》を利《き》かなかつた。
「サア切望《どうぞ》……此《こ》の風《かぜ》の吹《ふ》きますのに、恐入《おそれい》ります。」と細君《さいくん》は其処《そこ》へ蒲団《ふとん》を敷《し》いて、自分《じぶん》は横《よこ》の方《はう》へ避《よ》けた。
清田《きよだ》は、自分《じぶん》も見舞《みまひ》の客《きやく》でゞもあるやうに、ポカリ/\莨《たばこ》ばかり喫《ふか》してゐたが、少時《しばらく》経《た》つと、莨《たばこ》を灰《はひ》に突刺《つきさ》して、「マア君《きみ》弱《よは》つた。宅《うち》にも一人《ひとり》病院《びやうにん》がゐるんで……然《しか》し此方《このはう》はもう心配《しんぱい》はないんだがね……。」と云《い》つて、其《それ》から此処《こゝ》へ入《はい》つてゐる長男《ちやうなん》の病状《びやうじやう》や、入院前後《にふゐんぜんご》の始末《しまつ》をザツと談《はな》した。
患者《くわんじや》は今茲《ことし》五歳《いつゝ》になる。是迄《これまで》にも能《よ》く痙攣《ひきつけ》たことなどある子供《こども》である。今度《こんど》のもチフスのやうな病気《びやうき》で、此処《ここ》へ入《はい》つてからも、二|度《ど》も痙攣《ひきつ》けたと云《い》ふ話《はなし》である。
「だもんだから、此方《こつち》は面喰《めんくら》つて了《しま》つて……。」
話《はなし》が少時《しばらく》途絶《とだ》える。子供《こども》の弱《よは》い息遣《いきづかひ》が、耳《みゝ》に通《かよ》ふくらゐ、静《しづか》になつて来《き》た。
たしか山田《やまだ》だとか云《い》つた、清田《きよだ》の友人《いうじん》は、ビスケツトを摘《つま》みながら、新聞《しんぶん》を見《み》てゐたが、ふと、「サア僕《ぼく》も恁《かう》しちやゐられない。明日《あした》は締切日《しめきりび》だ。」とか呟《つぶや》いて、帯《おび》の間《あいだ》から時計《とけい》を出《だ》して見《み》ると、生叭《なまあくび》をして「奥《おく》さんは……まだ帰《かへ》りませんか。」
「さうね。」と細君《さいくん》は破《こは》れた頭髪《あたま》を些《ちよツ》と振《ふ》つてみて、「今日《けふ》は帰《かへ》つて見《み》ませう。宅《うち》にも色々《いろん》な用事《ようじ》が溜《たま》つてゐるから、阿母《おつか》さんが嘸《さぞ》心配《しんぱい》してるでせう。」と此《これ》も懈《だる》さうな体《からだ》を、無作法《ぶさはふ》に伸《のび》をするやうに反返《そりかへ》つて、妙《めう》に顔《かほ》を顰《しか》めた。ごた/″\してゐる家《うち》へ帰《かへ》つて行《い》くのが、如何《いか》にも臆劫《おくくう》さうに見《み》えた。
私《わたし》の頭脳《あたま》には、荒《あ》れたやうな其宅《そのうち》の状《さま》が、直《ぢき》に浮《うか》んで来《き》た。其寂《そのさび》しい宅《うち》で、二人《ふたり》の子供《こども》の始末《しまつ》をしてゐる、老人《としより》の顔《かほ》も目《め》に見《み》るやうであつた。
山田《やまだ》も細君《さいくん》も、今《いま》が起《た》ちさうにして、容易《ようい》に起《た》たなかつた。細君《さいくん》は幾度《いくたび》か窓《まど》のガラスを揺《ゆす》る風《かぜ》の音《おと》に怯《おび》えるやうな耳《みゝ》を聳《そばだ》てゝゐた。
かくて又《また》人々《ひと/″\》は少時《しばらく》アイドルな莨《たばこ》に耽《ふけ》つてゐた。
大分《だいぶん》経《た》つてから、清田《きよだ》は私《わたし》を廊下《らうか》へ呼出《よびだ》した。而《さう》して壁側《かべぎは》へ私《わたし》を喰着《くひつ》けておいて、「君《きみ》、甚《はなは》だ相済《あひす》まんがね、僕《ぼく》実《じつ》に御存《ごぞんじ》のとほり、何《なん》の用意《ようい》もないんだ。君《きみ》の周旋《しうせん》で、何処《どこ》か、此処《こゝ》の払《はらひ》だけ都合《つがふ》出来《でき》るやうな処《ところ》はあるまいかね。」と低声《こゞゑ》で投出《はうりだ》したやうな調子《てうし》で言《い》つた。私《わたし》の顔《かほ》を瞶《みつ》めた彼《かれ》の目《め》は、眼鏡《めがね》の奥《おく》で、ギロリと光《ひか》つた。
「サア。」と私《わたし》は其視線《そのしせん》を外《そら》した。
清田《きよだ》は圧蔽《おしかぶ》せるやうな調子《てうし》で、自分《じぶん》の苦《くる》しい事情《じゞやう》を語《かた》つた。入院費《にふゐんひ》が、意外《いぐわい》に嵩《かさ》まつたことから、病気《びやうき》の長引《ながび》いた事《こと》も話《はな》した。
何処其処《どこそこ》は駄目《だめ》、誰某《たれそれ》との関係《くわんけい》は如何《どう》、其額《そのがく》は幾許《いくら》と云《い》ふやうな相談《さうだん》が、少時《しばらく》二人《ふたり》の間《あひだ》に続《つゞ》いた。古《ふる》い小説《せうせつ》の原稿《げんかう》で、俗受《ぞくうけ》のするものがあるから、其《それ》を物《もの》にしてくれと云《い》ふ話《はなし》なので……。
病室《びやうしつ》に帰《かへ》ると、清田《きよだ》は少《すこ》し高《たか》い調子《てうし》で、「それぢや、お前《まへ》は早《はや》くお帰《かへ》り。」と細君《さいくん》に命《めい》じた。細君《さいくん》は「ハ」と気《き》のない返辞《へんじ》をして、胡散《うさん》くさい目《め》で四下《あたり》を見廻《みまは》した。看護婦《かんごふ》が、何時《いつ》か入《はい》つて来《き》て、患者《くわんじや》の枕元《まくらもと》に坐《すわ》つてゐた。
二|時間《じかん》ばかり経《た》つと、私《わたし》は日本橋《にほんばし》の通《とほり》を行《ある》いてゐた。もう神田《かんだ》を二三|軒《げん》猟《あさ》つた処《ところ》なので、弱《よは》い心臓《しんざう》や頭脳《あたま》は大分《だいぶん》疲労《ひらう》を覚《おぼ》えて来《き》た。捜《さが》す其本屋《そのほんや》が解《わか》らなくて、自働電話《じどうでんわ》で余所《よそ》へ聞合《きゝあは》したり、漸《やうや》く尋《たづ》ねあてると可憎《あひにく》主人《しゆじん》が田舎《ゐなか》へ収金廻《しうきんまはり》をしてゐたり……それで、私《わたし》は△△館《くわん》と云《い》ふ先《ま》づ三|流位《りうゐ》……いや其以下《それいか》かも知《し》れぬ……の位置《ゐち》にある或書肆《あるしよし》へ話《はなし》を持込《もちこ》むことにした。此処《こゝ》の店頭《みせさき》へ立《た》つのを、私《わたし》は妙《めう》に気可恥《きはづかし》く思《おも》つた。
でも店《みせ》はなか/\景気《けいき》が好《い》い。車《くるま》が三|台《だい》も軒下《のきした》に引込《ひきこま》れてゐて、小僧《こぞう》はセツセと店頭《みせさき》で荷作《にづくり》をしてゐた。安《やす》い出版物《しゆつばんぶつ》が、足《あし》の踏《ふみ》どころもないまで積《つ》まれてある。
二|階《かい》で主人《しゆじん》に面会《めんくわい》した。何処《どこ》かの宴会《えんくわい》で二三|度《ど》会《あ》つた男《をとこ》で。――本《ほん》が一|杯《ぱい》此処《こゝ》にも積《つ》まれてある。埃深《ほこりぶか》い和洋折衷《わやうせつちう》の一|室《しつ》で、机《つくゑ》のうへのインキ壺《つぼ》や、硯箱《すゞりばこ》は真白《まつしろ》になつてゐた。主人《しゆじん》は四十代《だい》の男《をとこ》で、ゴツゴツした木綿物《もめんもの》を着《き》てゐる。
出版《しゆつぱん》の話《はなし》が初《はじ》まつた。私《わたし》は小僧《こぞう》が持《も》つて来《き》た番茶《ばんちや》に渇《かわ》いた咽喉《のど》を湿《うるほ》して、口《くち》の側《はた》や、頸首《えりくび》の砂埃《すなほこり》をハンケチで拭《ふ》いた。寒《さむ》さに頭《あたま》の心《しん》が痛《いた》みを覚《おぼ》える。
「私《わたくし》の処《ところ》は余所《よそ》と違《ちが》ひまして、何《なん》でも売《う》れさへすれば好《い》いと云《い》ふ、一|般《ぱん》の読者《どくしや》を標準《へうじゆん》なので……其代《そのかは》り販路《はんろ》は随分《ずゐぶん》手広《てびろ》いのです。マア三千|以下《いか》のものは、如何《いか》に物《もの》が佳《よ》くても、先《まづ》見込《みこみ》はないものとしまして……。」とヂロ/\人《ひと》の顔《かほ》を見《み》ながら、莨《たばこ》を喫《ふか》した。
私《わたし》は好《い》い加減《かげん》に聞流《きゝなが》して、其《それ》から徐《おもむ》ろに清田《きよだ》の話《はなし》を初《はじ》めた。
主人《しゆじん》は初《はじ》め、気《き》のない顔《かほ》をして聞《き》いてゐた。お終《しまひ》に、「さうですな、物《もの》を一|応《おう》拝見致《はいけんいた》しまして、尤《もつと》も私《わたくし》のところは、今《いま》お話《はな》しゝますやうな訳《わけ》で、高《たか》いものは御免《ごめん》を蒙《かうむ》りたいのです。――分量《ぶんりやう》はどの位《くらゐ》のものですか。余《あま》り短《みじか》いものでは一|冊《さつ》になりませんので……何《なに》しろ安《やす》くて、読応《よみごたへ》のあるものと云《い》ふ、方針《はうしん》が方針《はうしん》ですから。」と愛嬌《あいけう》のない口元《くちもと》に、金歯《きんば》を閃《ひら》めかして苦笑《にがわらひ》した。
私《わたし》の胸《むね》は不安《ふあん》に波立《なみた》つて来《き》た。主人《しゆじん》の標準《へうじゆん》が、清田《きよだ》の言直《いひね》の幾《ほと》んど三|分《ぶん》の一にも足《た》らぬので、私《わたし》は押返《おしかへ》して、二三|度《ど》交渉《かうせふ》を試《こゝろ》みた。
「何《なに》しろ今申《いまゝを》すやうな次第《しだい》で、それで可《よ》ければ、左《と》も右《かく》一|応《おう》拝見《はいけん》しましたうへで、御相談《ごさうだん》申《まを》すと云《い》ふことに、ハ……。」と言《い》つて、其処《そこ》に落《お》ちてあつた、何《なに》かの書付《かきつけ》らしい紙片《かみきれ》を手《て》に取上《とりあ》げて見《み》てゐた。
私《わたし》は直《ぢき》に其処《そこ》を辞《じ》して出《で》た。
須田町《すだちやう》まで来《き》た時分《じぶん》には、其処此処《そここゝ》の店《みせ》にもう、灯《ひ》が見《み》えてゐた。西《にし》の空《そら》に赤《あか》い雲《くも》が千断《ちぎ》れて、所々《ところ/″\》の硝子窓《ガラスまど》に、夕日《ゆふひ》の影《かげ》が流《なが》れてゐた。
病室《びやうしつ》へ帰《かへ》ると、病室《びやうしつ》は先刻《さき》よりも一|層《そう》賑《にぎ》やかである。明《あかる》い電燈《でんとう》の下《した》には、髪《かみ》を綺麗《きれい》に結《ゆ》つた細君《さいくん》の顔《かほ》も見《み》え、妹《いもと》や、友達《ともだち》らしい婦人《ふじん》も来《き》てゐた。
私《わたし》が入《はい》つた処《ところ》で、花《はな》やかな話声《はなしごゑ》がバツタリ歓《や》んで、上気《じやうき》したやうな人々《ひと/″\》の顔《かほ》がまだ笑《わらひ》を含《ふく》んでゐる。子供《こども》は看護婦《かんごふ》に牛乳《ぎうにう》を呑《のま》されてゐた。
「ヤ、御苦労《ごくらう》でした。」と清田《きよだ》は起《た》つて入口《いりくち》へ出《で》て来《く》ると、直《ぴつた》り体《からだ》を隅《すみ》の方《はう》へ寄《よ》せて、低声《こゞゑ》で、「如何《どう》でした。」
「マア、四|分通《ぶどほり》成功《せいこう》……。」と私《わたし》はザツと今《いま》の模様《もやう》を話《はな》して、「後《あと》は又《また》如何《どう》にか為《し》やう。」と附加《つけくは》へた。
「さう。ぢやまあ……。」と清田《きよだ》は首《くび》を傾《かし》げなから下《した》に坐《すわ》つた。
私《わたし》が茶《ちや》を飲《の》んでゐるうちに、四|人《にん》の間《あひだ》には又《また》話《はなし》が初《はじ》まつた。酒落《しやれ》や軽口《かるくち》なども交《まじ》つて、調子《てうし》はづれの細君《さいくん》の笑声《わらひごゑ》が、間断《ひつきり》なし起《おこ》る。ふと細君《さいくん》が手《て》を持《も》つてゐた最中《もなか》の食《たべ》さしを、横《よこ》から清田《きよだ》が浚《さら》つて、口《くち》へ投込《ほうりこ》むと、細君《さいくん》は媚《こび》のある目尻《めじり》を上《あ》げて、「貴方《あなた》しどいわ。」と睨《ねめ》つける真似《まね》をした。
清田《きよだ》が、今度《こんど》は湯呑《ゆのみ》に茶《ちや》をつぐと、細君《さいくん》は澄《すま》して其《それ》を取《とり》あげて、「ホヽ、好《い》い気味《きみ》だ。これで虫《むし》がおさまつた。」と胸《むね》を反《そら》しながら口《くち》へ持《も》つて行《い》つた。
清田《きよだ》は口《くち》をモガ/\させながら、横《よこ》になつて、下《した》から其顔《そのかほ》を眺《なが》めてゐる。かと思《おも》ふと、足《あし》でコツ/\細君《さいくん》の膝《ひざ》を突《つ》ついた。
細君《さいくん》は、「何《なん》ですお行儀《ぎやうぎ》の悪《わる》い!」と其足《そのあし》を邪慳《じやけん》さうに横《よこ》へ退《ど》けた。
笑声《わらひごゑ》が、又《また》一時《ひとしきり》部屋《へや》に揺《ゆ》れた。看護婦《かんごふ》も、赤《あか》い顔《かほ》をして笑《わら》つてゐた。
冷《ひ》えた私《わたし》の体《からだ》にも、漸《やうや》く温《あたゝ》かい血《ち》が環《めぐ》つて来《き》た。空腹《くうふく》を感《かん》じたので三十|分《ぷん》ばかりしてから、暇《いとま》を告《つ》げた。
清田夫婦《きよだふうふ》に送《おく》られて、玄関口《げんくわんぐち》へ出《で》ると、私《わたし》は痛《いた》みを覚《おぼ》える踵《かゝと》に靴《くつ》を蹈《ふみ》しめて、「ヂヤ、其《その》うち、もう一|度《ど》出《で》やう。」
「さうさね、其《それ》も余《あま》り何《なん》だけれど。」と清田《きよだ》は深《ふか》い目色《めいろ》をして、牽《ひき》つけるやうに私《わたし》の顔《かほ》を見返《みかへ》した。
私《わたし》は少時《しばらく》出《で》かねてゐた。[#地付き](明治42[#「42」は縦中横]年2月「文章世界」)
でも店《みせ》はなか/\景気《けいき》が好《い》い。車《くるま》が三|台《だい》も軒下《のきした》に引込《ひきこま》れてゐて、小僧《こぞう》はセツセと店頭《みせさき》で荷作《にづくり》をしてゐた。安《やす》い出版物《しゆつばんぶつ》が、足《あし》の踏《ふみ》どころもないまで積《つ》まれてある。
二|階《かい》で主人《しゆじん》に面会《めんくわい》した。何処《どこ》かの宴会《えんくわい》で二三|度《ど》会《あ》つた男《をとこ》で。――本《ほん》が一|杯《ぱい》此処《こゝ》にも積《つ》まれてある。埃深《ほこりぶか》い和洋折衷《わやうせつちう》の一|室《しつ》で、机《つくゑ》のうへのインキ壺《つぼ》や、硯箱《すゞりばこ》は真白《まつしろ》になつてゐた。主人《しゆじん》は四十代《だい》の男《をとこ》で、ゴツゴツした木綿物《もめんもの》を着《き》てゐる。
出版《しゆつぱん》の話《はなし》が初《はじ》まつた。私《わたし》は小僧《こぞう》が持《も》つて来《き》た番茶《ばんちや》に渇《かわ》いた咽喉《のど》を湿《うるほ》して、口《くち》の側《はた》や、頸首《えりくび》の砂埃《すなほこり》をハンケチで拭《ふ》いた。寒《さむ》さに頭《あたま》の心《しん》が痛《いた》みを覚《おぼ》える。
「私《わたくし》の処《ところ》は余所《よそ》と違《ちが》ひまして、何《なん》でも売《う》れさへすれば好《い》いと云《い》ふ、一|般《ぱん》の読者《どくしや》を標準《へうじゆん》なので……其代《そのかは》り販路《はんろ》は随分《ずゐぶん》手広《てびろ》いのです。マア三千|以下《いか》のものは、如何《いか》に物《もの》が佳《よ》くても、先《まづ》見込《みこみ》はないものとしまして……。」とヂロ/\人《ひと》の顔《かほ》を見《み》ながら、莨《たばこ》を喫《ふか》した。
私《わたし》は好《い》い加減《かげん》に聞流《きゝなが》して、其《それ》から徐《おもむ》ろに清田《きよだ》の話《はなし》を初《はじ》めた。
主人《しゆじん》は初《はじ》め、気《き》のない顔《かほ》をして聞《き》いてゐた。お終《しまひ》に、「さうですな、物《もの》を一|応《おう》拝見致《はいけんいた》しまして、尤《もつと》も私《わたくし》のところは、今《いま》お話《はな》しゝますやうな訳《わけ》で、高《たか》いものは御免《ごめん》を蒙《かうむ》りたいのです。――分量《ぶんりやう》はどの位《くらゐ》のものですか。余《あま》り短《みじか》いものでは一|冊《さつ》になりませんので……何《なに》しろ安《やす》くて、読応《よみごたへ》のあるものと云《い》ふ、方針《はうしん》が方針《はうしん》ですから。」と愛嬌《あいけう》のない口元《くちもと》に、金歯《きんば》を閃《ひら》めかして苦笑《にがわらひ》した。
私《わたし》の胸《むね》は不安《ふあん》に波立《なみた》つて来《き》た。主人《しゆじん》の標準《へうじゆん》が、清田《きよだ》の言直《いひね》の幾《ほと》んど三|分《ぶん》の一にも足《た》らぬので、私《わたし》は押返《おしかへ》して、二三|度《ど》交渉《かうせふ》を試《こゝろ》みた。
「何《なに》しろ今申《いまゝを》すやうな次第《しだい》で、それで可《よ》ければ、左《と》も右《かく》一|応《おう》拝見《はいけん》しましたうへで、御相談《ごさうだん》申《まを》すと云《い》ふことに、ハ……。」と言《い》つて、其処《そこ》に落《お》ちてあつた、何《なに》かの書付《かきつけ》らしい紙片《かみきれ》を手《て》に取上《とりあ》げて見《み》てゐた。
私《わたし》は直《ぢき》に其処《そこ》を辞《じ》して出《で》た。
須田町《すだちやう》まで来《き》た時分《じぶん》には、其処此処《そここゝ》の店《みせ》にもう、灯《ひ》が見《み》えてゐた。西《にし》の空《そら》に赤《あか》い雲《くも》が千断《ちぎ》れて、所々《ところ/″\》の硝子窓《ガラスまど》に、夕日《ゆふひ》の影《かげ》が流《なが》れてゐた。
病室《びやうしつ》へ帰《かへ》ると、病室《びやうしつ》は先刻《さき》よりも一|層《そう》賑《にぎ》やかである。明《あかる》い電燈《でんとう》の下《した》には、髪《かみ》を綺麗《きれい》に結《ゆ》つた細君《さいくん》の顔《かほ》も見《み》え、妹《いもと》や、友達《ともだち》らしい婦人《ふじん》も来《き》てゐた。
私《わたし》が入《はい》つた処《ところ》で、花《はな》やかな話声《はなしごゑ》がバツタリ歓《や》んで、上気《じやうき》したやうな人々《ひと/″\》の顔《かほ》がまだ笑《わらひ》を含《ふく》んでゐる。子供《こども》は看護婦《かんごふ》に牛乳《ぎうにう》を呑《のま》されてゐた。
「ヤ、御苦労《ごくらう》でした。」と清田《きよだ》は起《た》つて入口《いりくち》へ出《で》て来《く》ると、直《ぴつた》り体《からだ》を隅《すみ》の方《はう》へ寄《よ》せて、低声《こゞゑ》で、「如何《どう》でした。」
「マア、四|分通《ぶどほり》成功《せいこう》……。」と私《わたし》はザツと今《いま》の模様《もやう》を話《はな》して、「後《あと》は又《また》如何《どう》にか為《し》やう。」と附加《つけくは》へた。
「さう。ぢやまあ……。」と清田《きよだ》は首《くび》を傾《かし》げなから下《した》に坐《すわ》つた。
私《わたし》が茶《ちや》を飲《の》んでゐるうちに、四|人《にん》の間《あひだ》には又《また》話《はなし》が初《はじ》まつた。酒落《しやれ》や軽口《かるくち》なども交《まじ》つて、調子《てうし》はづれの細君《さいくん》の笑声《わらひごゑ》が、間断《ひつきり》なし起《おこ》る。ふと細君《さいくん》が手《て》を持《も》つてゐた最中《もなか》の食《たべ》さしを、横《よこ》から清田《きよだ》が浚《さら》つて、口《くち》へ投込《ほうりこ》むと、細君《さいくん》は媚《こび》のある目尻《めじり》を上《あ》げて、「貴方《あなた》しどいわ。」と睨《ねめ》つける真似《まね》をした。
清田《きよだ》が、今度《こんど》は湯呑《ゆのみ》に茶《ちや》をつぐと、細君《さいくん》は澄《すま》して其《それ》を取《とり》あげて、「ホヽ、好《い》い気味《きみ》だ。これで虫《むし》がおさまつた。」と胸《むね》を反《そら》しながら口《くち》へ持《も》つて行《い》つた。
清田《きよだ》は口《くち》をモガ/\させながら、横《よこ》になつて、下《した》から其顔《そのかほ》を眺《なが》めてゐる。かと思《おも》ふと、足《あし》でコツ/\細君《さいくん》の膝《ひざ》を突《つ》ついた。
細君《さいくん》は、「何《なん》ですお行儀《ぎやうぎ》の悪《わる》い!」と其足《そのあし》を邪慳《じやけん》さうに横《よこ》へ退《ど》けた。
笑声《わらひごゑ》が、又《また》一時《ひとしきり》部屋《へや》に揺《ゆ》れた。看護婦《かんごふ》も、赤《あか》い顔《かほ》をして笑《わら》つてゐた。
冷《ひ》えた私《わたし》の体《からだ》にも、漸《やうや》く温《あたゝ》かい血《ち》が環《めぐ》つて来《き》た。空腹《くうふく》を感《かん》じたので三十|分《ぷん》ばかりしてから、暇《いとま》を告《つ》げた。
清田夫婦《きよだふうふ》に送《おく》られて、玄関口《げんくわんぐち》へ出《で》ると、私《わたし》は痛《いた》みを覚《おぼ》える踵《かゝと》に靴《くつ》を蹈《ふみ》しめて、「ヂヤ、其《その》うち、もう一|度《ど》出《で》やう。」
「さうさね、其《それ》も余《あま》り何《なん》だけれど。」と清田《きよだ》は深《ふか》い目色《めいろ》をして、牽《ひき》つけるやうに私《わたし》の顔《かほ》を見返《みかへ》した。
私《わたし》は少時《しばらく》出《で》かねてゐた。[#地付き](明治42[#「42」は縦中横]年2月「文章世界」)
底本:「徳田秋聲全集第7巻」八木書店
1998(平成10)年7月18日初版発行
底本の親本:「文章世界」
1909(明治42)年2月
初出:「文章世界」
1909(明治42)年2月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
1998(平成10)年7月18日初版発行
底本の親本:「文章世界」
1909(明治42)年2月
初出:「文章世界」
1909(明治42)年2月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ