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京子の身のうへ
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京子の身のうへ
徳田秋声
徳田秋声
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)下村《しもむら》
(例)下村《しもむら》
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(例)一|番《ばん》
(例)一|番《ばん》
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(例)いろ/\
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下村《しもむら》が一|番《ばん》若《わか》い姉《あね》の家《うち》を訪《たづ》ねたのは、彼《かれ》が故郷《こきやう》のこの町《まち》へ帰省《きせい》してから三四|日《か》たつてからであつた。
一|体《たい》なら同《おな》じ母《はゝ》の腹《はら》から出《で》た唯一人《たゞひとり》の姉《あね》なのだし、兄弟中《きやうだいぢう》で一|番《ばん》不仕合《ふしあは》せな運命《うんめい》にゐる人《ひと》でもあるし、又《また》誰《だれ》よりも一|番《ばん》人《ひと》の好《よ》い――その意味《いみ》は色々《いろ/\》に解釈《かいしやく》されるにしても、とにかくどんな場合《ばあひ》にも自己《じこ》を主張《しゆちやう》したり、運命《うんめい》に抵抗《ていかう》したりするだけの気|働《はたら》きのない、ちやうど総《すべ》ての人生《じんせい》に少《すこ》しも動《うご》きのないこの町《まち》の気分《きぶん》に最《もつと》もふさはしい、気《き》の毒《どく》な彼女《かのぢよ》であたので、どんなにその家《うち》が貧《まづ》しいものであつても彼《かれ》は先《ま》づそこに旅装《りよさう》を解《と》くべきであつた。
「今度《こんど》いらしたら小木《おぎ》の姉《ねい》さんの家《うち》へ落着《おちつ》いておあげなさい。姉《ねい》さんも段々《だん/\》年《とし》を取《と》つておいでになるし、貴方《あなた》も気《き》がおけなくていゝでせう。」
母《はゝ》の法要《はふえう》のために故郷《こきやう》へ旅立《たびだ》たうとして、土産物《みやげもの》などの荷造《にづくり》をしてゐた下村《しもむら》の妻《つま》も、さう言《い》つてゐたのであつた。
そして下村《しもむら》も、それはさうした方《はう》がいゝと思《おも》つてゐたのであつたが、停車場《ていしやば》へ着《つ》いてみるとやつぱり兄《あに》の家《うち》へ行《ゆ》くのが当然《たうぜん》らしく思《おも》へた。この兄《あに》の家《うち》も老人《としより》がなくなつてからは、行《ゆ》きいゝ家《うち》になつてゐたし養嗣子夫婦《やうししふうふ》や孫《まご》も遠国《ゑんごく》の任地《にんち》にゐるので、家庭《かてい》はひつそりしてゐた。広《ひろ》い庭《には》に面《めん》した座敷《ざしき》の路次縁《ろじえん》の板戸《いたど》は、大抵《たいてい》締《しま》つてゐるくらゐで、二|階《かい》の二室《ふたま》も明《あ》いてゐた。それに大阪《おほさか》で暮《くら》してゐた一|番《ばん》上《うへ》の兄《あに》が最近《さいきん》に死《し》んだので、この兄《あに》と下村《しもむら》の心《こゝろ》には共通《きようつう》の寂《さび》しさがあつた。
「どうだね、お前《まへ》んとこには部屋《へや》があるかね」
下村《しもむら》は停車場《ていしやば》へついたとき、出迎《でむか》へてくれた多勢《おほぜい》の懐《なつ》かしい人《ひと》のなかに、小木《をぎ》の姪《めい》や甥《をひ》の顔《かほ》を見《み》つけて、きいて見《み》た。姉《あね》も傍《そば》にゐた。彼等《かれら》一|家《か》はその頃《ころ》住古《すみふる》した家《うち》を離《はな》れて、借家《しやくや》に移《うつ》つてゐた。そしてそれも二|度目《どめ》の借家《しやくや》であつた。この甥《をひ》も今《いま》は関西《くわんさい》の方《はう》にゐるその弟《おとうと》も、づつと以前《いぜん》には長《なが》く下村《しもむら》の家《うち》に来《き》てゐたこともあつたが、産《うま》れつき頭脳《あたま》がわるくて、下村《しもむら》がいくら気《き》を探《も》んでも物《もの》にならなかつたし、姪《めい》も二三|年前《ねんぜん》、少《すこ》し何彼《なにか》に目《め》を開《あ》かせてやらうと思《おも》つて、呼寄《よびよ》せてみたことがあつたけれど、東京《とうきやう》の空気《くうき》に昵《なじ》むことができないやうに、彼女《かのぢよ》は育《そだ》てられてゐた。
「それあ有《あ》ります。そのつもりにしてゐるんですから。」
人《ひと》の好《い》い小木《をぎ》の甥《をい》は答《こた》へたが、下村《しもむら》は彼等《かれら》の生活《せいくわつ》へ入《はい》つて行《い》くのが、何《なん》となく擽《くすぐ》つたいやうな怠窟《たいくつ》な感《かん》じがしたし、亡《なくな》つた兄《あに》の連合《つれあ》ひである姉《あね》も大阪《おほさか》から骨《こつ》をもつて来《き》て、兄《あに》の家《うち》にゐたので、打合《うちあは》せの都合《つかふ》もあるからといはれて、とにかく其処《そこ》へ落着《おちつ》くことにしたのであつた。そこは家《いへ》もひろ/″\してゐて、綺麗《きれい》になつてゐたし、外《ほか》の姉《あね》や甥《をひ》たちもこゝを中心《ちうしん》として、何《なに》かの相談《さうだん》に来《く》ることにしてゐたので、坐《すわ》つてゐても色々《いろ/\》の人に逢《あ》ふ機会《きくわい》があつた。それに兄夫婦《あにふうふ》のためには養父《やうふ》であつた、ひどく長生《ながい》きをした、老人《らうじん》が死《し》んでからは、めつきり家《うち》のなかゞ明《あかる》くなつてゐて、居心《ゐごゝろ》がよかつた。兄《あに》も十|日《か》も前《まへ》から、一|切《さい》の監督《かんとく》をしてゐる山《やま》をおりて、弟《おとうと》の来《く》るのを待《ま》つてゐた。
「今日《けふ》は天気《てんき》がいゝやうですから、これからちよつと方々《はう/″\》まはつて来《き》ます。」下村《しもむら》はその日《ひ》兄《あに》と一|緒《しよ》に昼飯《ひるめし》を食《た》べるときさう言《い》つて、それから少《すこ》し話《はな》してから二|階《かい》へ上《あが》つて出《で》る仕度《したく》をした。二三|日《にち》ゐるあひだに、無精《ぶしやう》な彼《かれ》の身《み》のまはりが乱雑《らんざつ》に取《と》りちらかつてゐたが、スウトケースのなかには、妻《つま》が用意《ようい》してくれた土産《みやげ》ものが、そつくり其《そ》のまゝになつてゐた。彼《かれ》はそれらの物《もの》を取出《とりだ》して風呂敷《ふろしき》に包《つゝ》んで持出《もちだ》して行《い》つた。
「車《くるま》をさういひませう。それぢや貴方《あなた》大変《たいへん》です。」姉《あね》はその包《つゝ》みを見《み》て言《い》つたが、それはさう重《おも》いものでもなかつた。
十|月《ぐわつ》の半頃《なかごろ》で、その日《ひ》は天気《てんき》がよかつたので、町《まち》には軽《かる》い風《かぜ》がをり/\砂《すな》を捲《ま》きあげ、荷《に》をもつた下村《しもむら》の脇《わき》の下《した》から汗《あせ》がにじむほどであつたが、二三|町《ちよう》ほど歩《ある》くと、やがて電車《でんしや》に乗《の》ることができた。彼《かれ》は道順《みちじゆん》で、途中《とちう》一人《ひとり》の姪《めい》の片着《かたづ》いてゐる家《うち》へ寄《よ》つて、荷《に》を軽《かる》くしようと思《おも》つて、繁華《はんくわ》なその大通《おほどほ》りの中程《なかほど》へ来《き》たとき、大略《おほよそ》見当《けんとう》をつけて電車《でんしや》をおりたが、行過《ゆきす》ぎたとみえて、その家《うち》を捜《さが》し当《あ》てるまでには、可《か》なり無駄足《むだあし》をしなければならなかつた。古《ふる》い茶器《ちやき》だとか、香炉《かうろ》だとか、鉢《はち》や皿《さら》などの並《なら》んだ店《みせ》の右手《みぎて》にある入口《いりぐち》から土間《どま》を通《とほ》つて、薄暗《うすくら》い茶《ちや》の間《ま》の上《あが》り口《くち》へ入《はい》つて行《い》くと、怜悧《りかう》さうな目《め》や口《くち》をもつた誰《たれ》よりも容色《きりやう》のいゝ姪《めい》が、そこに長火鉢《ながひばち》の前《まへ》に座《すわ》つてゐた。下村《しもむら》は別《べつ》に更《あらた》まつて挨拶《あいさつ》をするほどでもなかつた。
「みんな留守《るす》なのや、家《うち》は今日《けふ》少《すこ》し注文《ちゆうもん》の品《しな》があつて、それをもつて行《い》きました。」彼女《かのぢよ》はさう言《い》つて、座蒲団《ざぶとん》をそこへ直《なほ》してくれたりした。
下村《しもむら》はその辺《へん》の棚《たな》に詰《つま》つてゐる、この古《ふる》い町《まち》の過去《くわこ》の敗残《はいざん》の匂《にほ》ひのする色々《いろ/\》のものに目《め》をくれながら、
「店《みせ》には何《なん》にもないやうだし。」
「え、店《みせ》には何《なん》にもおかんのや。ほんの私《わし》の内職《ないしよく》ですもの。」彼女《かのぢよ》は笑《わら》つてゐた。
「周《しう》さんはもう好《い》い顔《かほ》になつたらう東京《とうきやう》へは出《で》て来《こ》ないやうだ。」下村《しもむら》がきくと、
「え、このあひだ京都《きやうと》のお茶《ちや》の会《くわい》に行《い》つてゐましたけれど、東京《とうきやう》はもつと修業《しうげふ》をつんでからにするとか言《い》つて、近頃《ちかごろ》はちつとも……、」
とにかく此処《こゝ》も幸福《かうふく》な家庭《かてい》の一つには違《ちが》ひなかつた。一|時《じ》周吉《しうきち》が女《をんな》に溺《おぼ》れたとかいつて、別《わか》れるとか出《で》るとか云《い》ふ騒《さわ》ぎの持《も》ちあがつたことは耳《みゝ》にしてゐたけれど、周吉《しうきち》が何《ど》うした動機《どうき》でか、ふつつり酒《さけ》を止《や》めてからは、総《すべ》てが順調《じゆんてう》であるらしかつた。
下村《しもむら》は棚《たな》から二三の骨董品《こつとうひん》を取《と》りおろして見《み》たりしてから、
「又《また》来《こ》よ!」と言《い》つて、そこを出《で》て、それからさう遠《とほ》くもない処《ところ》だつたので、歩《ある》いて姉《あね》の家《うち》を訪問《はうもん》することにしたか、そこでも可成《かなり》まごついて、広《ひろ》い長《なが》い坂《さか》を、じわ/\照《て》りつける秋《あき》の日《ひ》に汗《あせ》をかきながら、あつちこつちを捜《さが》しまはつた果《は》てに、漸《やつ》と発見《はつけん》することができた。
そこはこの町《まち》の中央《ちうあう》にある公園《こうゑん》へ行《ゆ》くときに、下村《しもむら》がよく通《とほ》つたことのある坂《さか》であつた。そこには石段《いしだん》の高《たか》い、見晴《みはら》しのよささうな別荘風《べつさうふう》な家《うち》が建《た》つたり、瀟洒《せうしや》な住宅《ぢゆうたく》の二|階《かい》が見《み》えたりして、その頃《ころ》とは大分《だいぶん》模様《もやう》が変《かは》つてゐたけれど、それらは主《おも》に町《まち》の近郷《きんがう》や他国《たこく》から入込《いりこ》んで来《き》た移住者《いぢゆうしや》によつて築《きづ》かれたもので、昔《むかし》ながらに、この町特有《まちとくいう》の竹簾《たけすだれ》の格子《かうし》のはまつた隠気《いんき》くさい古《ふる》い家《いへ》も取残《とりのこ》されてゐた。彼等《かれら》の家《うち》もその一つであつた。そして何処《どこ》かで尺《しやく》八と琴《こと》の合奏《がつそう》をしてゐるのが、その辺《へん》まで来《く》ると、ふと彼《かれ》の耳《みゝ》についたのであつたが、それは彼等《かれら》の往来《わうらい》に近《ちか》い一つの部屋《へや》のなかゝら洩《も》れる音《おと》であることに気《き》がついて、彼《かれ》は思《おも》はず入口《いりぐち》で躊躇《ちうちよ》した。
下村《しもむら》は広《ひろ》い入口《いりぐち》の土間《どま》から、衝立《ついたて》の立《だ》つてゐる奥《おく》の方《はう》へ声《こゑ》をかけると、姪《めい》の京子《きやうこ》がその衝立《ついたて》の蔭《かげ》から、体《からだ》つきのすらりとしたその姿《すがた》を現《あら》はした。
「入《い》らつしやい。どうぞ。」京子《きやうこ》は少《すこ》し羞《はに》かんだやうな顔《かほ》をして、切《きれ》の長《なが》い目元《めもと》に微笑《びせう》しながら言《い》つた。
「随分《ずゐぶん》広《ひろ》さうだな。」下村《しもむら》はそんな事《こと》を言《い》つて、今《いま》合奏《がつそう》の聞《きこ》えた、この家族《かぞく》の茶《ちや》の間《ま》になつてゐるその部屋《へや》へ通《とほ》つた。
「広《ひろ》いにや広《ひろ》いですけれど、家《いへ》が古《ふる》くて……。」甥《をひ》の広《くわう》一がさう言《い》つて、尺《しやく》八を傍《そば》において坐《すわ》りなほした。
彼等《かれら》は兄《あに》と妹《いもうと》とで、ちようど合奏《がつそう》をしてゐたところであつた。琴《こと》もそこに横《よこた》はつてゐた。下村《しもむら》は生活《せいかつ》が裕《ゆた》かであれば裕《ゆた》かであるにつけ、貧《まづ》しければ貧《まづ》しいにつけ骨董《こつとう》やお茶《ちや》や生花《いけばな》や食味《しよくみ》や謡曲《えうきよく》などで持切《もちき》つてゐる、隠居気分《いんきよきぶん》のこの町《まち》にその少年期《せうねんき》を過《すご》しながら、絶《た》えず生活《せいくわつ》の悶《もだ》えに苦《くる》しんでゐた彼自身《かれじしん》の過去《くわこ》を考《かんが》へるとさうして妹《いもうと》を相手《あひて》に尺《しやく》八など吹《ふ》いてゐられる広《くわう》一の心持《こゝろもち》が不思議《ふしぎ》に思《おも》はれもしたけれど、格別《かくべつ》腹《はら》も立《た》たなかつた。彼《かれ》を激励《げきれい》するとか、鞭撻《べんだつ》するとか云《い》ふことは全《まつた》く無駄《むだ》なこともわかつてゐたし、寧《むし》ろ無慈悲《むじひ》だと云《い》ふことも知《し》つてゐた。
「お母《かあ》さんは」と訊《き》くと、京子《きやうこ》は琴爪《ことづめ》を箱《はこ》におさめながら、
「東京《とうきやう》のお宅《たく》から来《き》たお手紙《てがみ》をもつて、今《いま》をぢさんとこへ行つたんですの。途中《とぢう》でお逢《あ》ひにならなくて。」
「いゝや。道寄《みちよ》りをして来《き》たから。」下村《しもむら》は応《こた》へたが、広《くわう》一が中《なか》を掃除《さうぢ》して尺《しやく》八を袋《ふくろ》に収《をさ》めるのを見《み》ながら、
「その尺《しやく》八は大分《だいぶん》好《よ》ささうだな。」と言《い》つてお茶《ちや》を濁《にご》さうとした。
「これですか」と広《くわう》一は人《ひと》のよささうな顔《かほ》を少《すこ》し曇《くも》らせて、「いや、大《たい》して好《よ》くもありませんが、まあちよツと……死《し》んだお父《とう》さんが悪戯《いたづら》に作《つく》つたものです。」
「尺《しやく》八まで作《つく》つたのか。」下村《しもむら》は少《すこ》し驚《おどろ》いたやうに言《い》つた。総《すべ》てに器用《きよう》な腕《うで》をもつてゐた義兄《ぎけい》ではあつたけれど、その器用《きよう》か却《かへ》つて彼《かれ》の生涯《しやうがい》に祟《たゝ》つてゐた。
「え、器用《きよう》な人《ひと》でしたけれど。」広《くわう》一は寂《さび》しい微笑《びせう》を浮《うか》べてゐた。
下村《しもむら》は団扇《うちは》を使《つか》ひながら、
「二|階《かい》は広《ひろ》さうだね。」
「え。でも十|畳《でふ》一|室《ま》に四|畳半《でふはん》ですから、使《つか》ひにくゝつて駄目《だめ》ですわ。」京子《きやうこ》はお茶《ちや》をいれながら答《こた》へた。
勿論《もちろん》下村《しもむら》は彼等《かれら》がこの頃《ごろ》素人下宿《しろとげしゆく》のやうなことをしてゐることを知《し》つてゐた。彼《かれ》は時々《とき/″\》姉《あね》を自分《じぶん》の傍《そば》へ呼《よ》びたいと思《おも》つてゐた。下村《しもむら》の妻《つま》もよく其《そ》の事《こと》を口《くち》にしてゐたけれど、やつぱり子供達《こどもたち》と一つにしておく方《はう》が、彼女《かのぢよ》に取《と》つて安易《あんい》だと云《い》ふ気《き》がした。姉《あね》は広《くわう》一の弟《おとうと》が、親類《しんるゐ》の書画《しよぐわ》を持出《もちだ》して行《い》つたとき、東京《とうきやう》へ金《かね》を無心《むしん》に来《き》て、下村《しもむら》の処《ところ》に一|月《つき》ばかり遊《あそ》んでゐたことがあつたがちよこまかした敏捷《はしこ》い都会人《とくわいじん》に比《くら》べると、まるで太古《たいこ》の人《ひと》のやうにぼんやりしてゐた。そして其《それ》は本来《ほんらい》さういふ風《ふう》に産《うま》れついてゐたのではあつたけれど、一つは早婚《そうこん》の結果《けつくわ》でもあつた。彼女《かのぢよ》の結婚《けつこん》したのは、十五の歳《とし》であつた。広《くわう》一のやうな子《こ》の産《うま》れたのも、若《もし》もそれが彼女《かのぢよ》の父《ちゝ》と祖父《そふ》の飲酒《いんしゆ》から来《き》てゐるのでなければ、確《たし》かにそれに原因《げんいん》してゐるのだと思《おも》はれた。彼《かれ》は小学校時代《せうがくかうじだい》に、もう頭髪《あたま》に白《しろ》い毛《け》を交《まじ》へてゐた。勿論《もちろん》その割《わり》に、三十|過《す》ぎても、彼《かれ》の白毛《しらが》は別《べつ》に目《め》に立《た》つほど殖《ふ》えてもゐなかつた。
して躰《からだ》も完全《くわんぜん》に、頭脳《あたま》も人並《ひとな》みに産《うま》れついた京子《きやうこ》は不幸《ふかう》にも父《ちゝ》と母《はゝ》との盲目的《まうもくてき》な溺愛《できあい》によつて、折角《せつかく》の好《よ》い素質《そしつ》を、妙《めう》にふやけた無節度《むせつど》なものにしてしまつた。
少《すこ》し話《はな》してゐるところへ、姉《あね》が帰《かへ》つて来《き》た。彼女《かのぢよ》もさう変《かは》つてゐなかつた。生活《せいくわつ》が頽廃《たいはい》がちながらも、悶※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]《もが》いてゐるやうな痕迹《あと》はどこにも見《み》られなかつた。たゞ目《め》が一|層《そう》わるくなつて、どうかすると頭脳《あたま》がふら/\したりするといふのであつた。
「去年《きよねん》の秋《あき》外《そと》から帰《かへ》つて、上口《あがりくち》で卒倒《そつたふ》してから、何《なに》やら気味《きみ》が悪《わ》るうなり、中気《ちうき》でも出《で》る前兆《ぜんてふ》か知《し》らないと、そんなことを思《おも》つたりして……。」彼女《かのぢよ》は笑《わら》ひながら話《はな》した。
「そんな事《こと》もあるまい。」下村《しもむら》も苦笑《くせう》してゐた。
「事《こと》によると今度《こんど》が顔《かほ》の見《み》おさめかも知れん。」姉《あね》はさうも言《い》つてゐた。
制服《せいふく》を着《き》て、足駄《あしだ》をはいた一人《ひとり》の学生《がくせい》が友達《ともだち》を訪《たづ》ねて来《き》た。
「午後《ごご》からお出《で》かけになりました。あんたのところぢやなかつたんですか。」
玄関《げんくわん》へ出《で》て行《い》つた京子《きやうこ》は、そんな事《こと》を言《い》つて、「また何《ど》うぞ」と、お愛相《あいさう》を言《い》つてゐた。
「書生《しよせい》は幾人《いくにん》くらゐ居《ゐ》るの。」下村《しもむら》はその書生《しよせい》たちの話《はなし》について、さう言《い》つて訊《き》いた。
「今《いま》二人《ふたり》しかないのやけれど……。」姉《あね》はいくらか極《きま》りわるさうに、
「部屋《へや》の都合《つがふ》がわるうて、広《ひろ》い割《わり》にたんとは置《お》けんのやさかえ。その代《かは》りみんな好《い》い方《かた》ばかりや。もう誰方《どなた》も家族同様《かぞくどうやう》に食卓《しよくたく》も一|緒《しよ》や。その方《はう》が気《き》がおけんで好《い》いさうで……」姉《あね》はさう言《い》つて、その学生《がくせい》たちの身元《みもと》などを話《はな》した。
彼女《かのぢよ》の話《はなし》によると、彼等《かれら》の親達《おやたち》が時々《とき/″\》出《で》て来《き》て、好意《かうい》を感謝《かんしや》してくれて、米《こめ》なぞ贈《おく》つたりして、親《した》しくしてゐるといふのであつた。
「けれども、そんなことぢや仕様《しやう》がないね。尤《もつと》も広《くわう》一の月給《げつきふ》がいくらだか知《し》らないけれど、暮《くら》しの足《た》しにもなるまいからね。」下村《しもむら》は言《い》つた。
「それやさかえ今《いま》のところ苦《くる》しいとこと。」姉《あね》は笑《わら》つた。
下村《しもむら》は先刻《さつき》から目《め》をつけてゐた、隅《すみ》の方《はう》の茶箪笥《ちやだんす》の上《うへ》にある盆《ぼん》の柿《かき》を指《さ》しながら、
「その柿《かき》は渋《しぶ》いの。」
「これ?甘《あま》いのもあるやろ。これも書生《しよせい》さんが家《うち》からもつて来《き》て下《くだ》すつたのや。悪《わる》いのばかり残《のこ》つて。」姉《あね》は言《い》つた。
京子《きやうこ》は小刀《こがたな》で皮《かは》を剥《む》きはじめた。
下村《しもむら》は一片二片《ひときれふたきれ》、それを食《た》べたが、甘《あま》くはなかつた。それから夕飯《ゆふはん》をすゝめられたけれど、下村《しもむら》は長《なが》くゐる気《き》もしなかつたので、直《すぐ》に脱《ぬ》ぎ棄《す》てゝおいた羽織《はおり》を着《き》て、「いづれ又《また》来《き》ます」と言《い》つてそこを出《で》た。
それから残《のこ》つた荷《に》をもつて、今一人《いまひとり》の大《おほ》きい姉《あね》の家《いへ》の方《はう》へと道《みち》を取《と》つた。
一|体《たい》なら同《おな》じ母《はゝ》の腹《はら》から出《で》た唯一人《たゞひとり》の姉《あね》なのだし、兄弟中《きやうだいぢう》で一|番《ばん》不仕合《ふしあは》せな運命《うんめい》にゐる人《ひと》でもあるし、又《また》誰《だれ》よりも一|番《ばん》人《ひと》の好《よ》い――その意味《いみ》は色々《いろ/\》に解釈《かいしやく》されるにしても、とにかくどんな場合《ばあひ》にも自己《じこ》を主張《しゆちやう》したり、運命《うんめい》に抵抗《ていかう》したりするだけの気|働《はたら》きのない、ちやうど総《すべ》ての人生《じんせい》に少《すこ》しも動《うご》きのないこの町《まち》の気分《きぶん》に最《もつと》もふさはしい、気《き》の毒《どく》な彼女《かのぢよ》であたので、どんなにその家《うち》が貧《まづ》しいものであつても彼《かれ》は先《ま》づそこに旅装《りよさう》を解《と》くべきであつた。
「今度《こんど》いらしたら小木《おぎ》の姉《ねい》さんの家《うち》へ落着《おちつ》いておあげなさい。姉《ねい》さんも段々《だん/\》年《とし》を取《と》つておいでになるし、貴方《あなた》も気《き》がおけなくていゝでせう。」
母《はゝ》の法要《はふえう》のために故郷《こきやう》へ旅立《たびだ》たうとして、土産物《みやげもの》などの荷造《にづくり》をしてゐた下村《しもむら》の妻《つま》も、さう言《い》つてゐたのであつた。
そして下村《しもむら》も、それはさうした方《はう》がいゝと思《おも》つてゐたのであつたが、停車場《ていしやば》へ着《つ》いてみるとやつぱり兄《あに》の家《うち》へ行《ゆ》くのが当然《たうぜん》らしく思《おも》へた。この兄《あに》の家《うち》も老人《としより》がなくなつてからは、行《ゆ》きいゝ家《うち》になつてゐたし養嗣子夫婦《やうししふうふ》や孫《まご》も遠国《ゑんごく》の任地《にんち》にゐるので、家庭《かてい》はひつそりしてゐた。広《ひろ》い庭《には》に面《めん》した座敷《ざしき》の路次縁《ろじえん》の板戸《いたど》は、大抵《たいてい》締《しま》つてゐるくらゐで、二|階《かい》の二室《ふたま》も明《あ》いてゐた。それに大阪《おほさか》で暮《くら》してゐた一|番《ばん》上《うへ》の兄《あに》が最近《さいきん》に死《し》んだので、この兄《あに》と下村《しもむら》の心《こゝろ》には共通《きようつう》の寂《さび》しさがあつた。
「どうだね、お前《まへ》んとこには部屋《へや》があるかね」
下村《しもむら》は停車場《ていしやば》へついたとき、出迎《でむか》へてくれた多勢《おほぜい》の懐《なつ》かしい人《ひと》のなかに、小木《をぎ》の姪《めい》や甥《をひ》の顔《かほ》を見《み》つけて、きいて見《み》た。姉《あね》も傍《そば》にゐた。彼等《かれら》一|家《か》はその頃《ころ》住古《すみふる》した家《うち》を離《はな》れて、借家《しやくや》に移《うつ》つてゐた。そしてそれも二|度目《どめ》の借家《しやくや》であつた。この甥《をひ》も今《いま》は関西《くわんさい》の方《はう》にゐるその弟《おとうと》も、づつと以前《いぜん》には長《なが》く下村《しもむら》の家《うち》に来《き》てゐたこともあつたが、産《うま》れつき頭脳《あたま》がわるくて、下村《しもむら》がいくら気《き》を探《も》んでも物《もの》にならなかつたし、姪《めい》も二三|年前《ねんぜん》、少《すこ》し何彼《なにか》に目《め》を開《あ》かせてやらうと思《おも》つて、呼寄《よびよ》せてみたことがあつたけれど、東京《とうきやう》の空気《くうき》に昵《なじ》むことができないやうに、彼女《かのぢよ》は育《そだ》てられてゐた。
「それあ有《あ》ります。そのつもりにしてゐるんですから。」
人《ひと》の好《い》い小木《をぎ》の甥《をい》は答《こた》へたが、下村《しもむら》は彼等《かれら》の生活《せいくわつ》へ入《はい》つて行《い》くのが、何《なん》となく擽《くすぐ》つたいやうな怠窟《たいくつ》な感《かん》じがしたし、亡《なくな》つた兄《あに》の連合《つれあ》ひである姉《あね》も大阪《おほさか》から骨《こつ》をもつて来《き》て、兄《あに》の家《うち》にゐたので、打合《うちあは》せの都合《つかふ》もあるからといはれて、とにかく其処《そこ》へ落着《おちつ》くことにしたのであつた。そこは家《いへ》もひろ/″\してゐて、綺麗《きれい》になつてゐたし、外《ほか》の姉《あね》や甥《をひ》たちもこゝを中心《ちうしん》として、何《なに》かの相談《さうだん》に来《く》ることにしてゐたので、坐《すわ》つてゐても色々《いろ/\》の人に逢《あ》ふ機会《きくわい》があつた。それに兄夫婦《あにふうふ》のためには養父《やうふ》であつた、ひどく長生《ながい》きをした、老人《らうじん》が死《し》んでからは、めつきり家《うち》のなかゞ明《あかる》くなつてゐて、居心《ゐごゝろ》がよかつた。兄《あに》も十|日《か》も前《まへ》から、一|切《さい》の監督《かんとく》をしてゐる山《やま》をおりて、弟《おとうと》の来《く》るのを待《ま》つてゐた。
「今日《けふ》は天気《てんき》がいゝやうですから、これからちよつと方々《はう/″\》まはつて来《き》ます。」下村《しもむら》はその日《ひ》兄《あに》と一|緒《しよ》に昼飯《ひるめし》を食《た》べるときさう言《い》つて、それから少《すこ》し話《はな》してから二|階《かい》へ上《あが》つて出《で》る仕度《したく》をした。二三|日《にち》ゐるあひだに、無精《ぶしやう》な彼《かれ》の身《み》のまはりが乱雑《らんざつ》に取《と》りちらかつてゐたが、スウトケースのなかには、妻《つま》が用意《ようい》してくれた土産《みやげ》ものが、そつくり其《そ》のまゝになつてゐた。彼《かれ》はそれらの物《もの》を取出《とりだ》して風呂敷《ふろしき》に包《つゝ》んで持出《もちだ》して行《い》つた。
「車《くるま》をさういひませう。それぢや貴方《あなた》大変《たいへん》です。」姉《あね》はその包《つゝ》みを見《み》て言《い》つたが、それはさう重《おも》いものでもなかつた。
十|月《ぐわつ》の半頃《なかごろ》で、その日《ひ》は天気《てんき》がよかつたので、町《まち》には軽《かる》い風《かぜ》がをり/\砂《すな》を捲《ま》きあげ、荷《に》をもつた下村《しもむら》の脇《わき》の下《した》から汗《あせ》がにじむほどであつたが、二三|町《ちよう》ほど歩《ある》くと、やがて電車《でんしや》に乗《の》ることができた。彼《かれ》は道順《みちじゆん》で、途中《とちう》一人《ひとり》の姪《めい》の片着《かたづ》いてゐる家《うち》へ寄《よ》つて、荷《に》を軽《かる》くしようと思《おも》つて、繁華《はんくわ》なその大通《おほどほ》りの中程《なかほど》へ来《き》たとき、大略《おほよそ》見当《けんとう》をつけて電車《でんしや》をおりたが、行過《ゆきす》ぎたとみえて、その家《うち》を捜《さが》し当《あ》てるまでには、可《か》なり無駄足《むだあし》をしなければならなかつた。古《ふる》い茶器《ちやき》だとか、香炉《かうろ》だとか、鉢《はち》や皿《さら》などの並《なら》んだ店《みせ》の右手《みぎて》にある入口《いりぐち》から土間《どま》を通《とほ》つて、薄暗《うすくら》い茶《ちや》の間《ま》の上《あが》り口《くち》へ入《はい》つて行《い》くと、怜悧《りかう》さうな目《め》や口《くち》をもつた誰《たれ》よりも容色《きりやう》のいゝ姪《めい》が、そこに長火鉢《ながひばち》の前《まへ》に座《すわ》つてゐた。下村《しもむら》は別《べつ》に更《あらた》まつて挨拶《あいさつ》をするほどでもなかつた。
「みんな留守《るす》なのや、家《うち》は今日《けふ》少《すこ》し注文《ちゆうもん》の品《しな》があつて、それをもつて行《い》きました。」彼女《かのぢよ》はさう言《い》つて、座蒲団《ざぶとん》をそこへ直《なほ》してくれたりした。
下村《しもむら》はその辺《へん》の棚《たな》に詰《つま》つてゐる、この古《ふる》い町《まち》の過去《くわこ》の敗残《はいざん》の匂《にほ》ひのする色々《いろ/\》のものに目《め》をくれながら、
「店《みせ》には何《なん》にもないやうだし。」
「え、店《みせ》には何《なん》にもおかんのや。ほんの私《わし》の内職《ないしよく》ですもの。」彼女《かのぢよ》は笑《わら》つてゐた。
「周《しう》さんはもう好《い》い顔《かほ》になつたらう東京《とうきやう》へは出《で》て来《こ》ないやうだ。」下村《しもむら》がきくと、
「え、このあひだ京都《きやうと》のお茶《ちや》の会《くわい》に行《い》つてゐましたけれど、東京《とうきやう》はもつと修業《しうげふ》をつんでからにするとか言《い》つて、近頃《ちかごろ》はちつとも……、」
とにかく此処《こゝ》も幸福《かうふく》な家庭《かてい》の一つには違《ちが》ひなかつた。一|時《じ》周吉《しうきち》が女《をんな》に溺《おぼ》れたとかいつて、別《わか》れるとか出《で》るとか云《い》ふ騒《さわ》ぎの持《も》ちあがつたことは耳《みゝ》にしてゐたけれど、周吉《しうきち》が何《ど》うした動機《どうき》でか、ふつつり酒《さけ》を止《や》めてからは、総《すべ》てが順調《じゆんてう》であるらしかつた。
下村《しもむら》は棚《たな》から二三の骨董品《こつとうひん》を取《と》りおろして見《み》たりしてから、
「又《また》来《こ》よ!」と言《い》つて、そこを出《で》て、それからさう遠《とほ》くもない処《ところ》だつたので、歩《ある》いて姉《あね》の家《うち》を訪問《はうもん》することにしたか、そこでも可成《かなり》まごついて、広《ひろ》い長《なが》い坂《さか》を、じわ/\照《て》りつける秋《あき》の日《ひ》に汗《あせ》をかきながら、あつちこつちを捜《さが》しまはつた果《は》てに、漸《やつ》と発見《はつけん》することができた。
そこはこの町《まち》の中央《ちうあう》にある公園《こうゑん》へ行《ゆ》くときに、下村《しもむら》がよく通《とほ》つたことのある坂《さか》であつた。そこには石段《いしだん》の高《たか》い、見晴《みはら》しのよささうな別荘風《べつさうふう》な家《うち》が建《た》つたり、瀟洒《せうしや》な住宅《ぢゆうたく》の二|階《かい》が見《み》えたりして、その頃《ころ》とは大分《だいぶん》模様《もやう》が変《かは》つてゐたけれど、それらは主《おも》に町《まち》の近郷《きんがう》や他国《たこく》から入込《いりこ》んで来《き》た移住者《いぢゆうしや》によつて築《きづ》かれたもので、昔《むかし》ながらに、この町特有《まちとくいう》の竹簾《たけすだれ》の格子《かうし》のはまつた隠気《いんき》くさい古《ふる》い家《いへ》も取残《とりのこ》されてゐた。彼等《かれら》の家《うち》もその一つであつた。そして何処《どこ》かで尺《しやく》八と琴《こと》の合奏《がつそう》をしてゐるのが、その辺《へん》まで来《く》ると、ふと彼《かれ》の耳《みゝ》についたのであつたが、それは彼等《かれら》の往来《わうらい》に近《ちか》い一つの部屋《へや》のなかゝら洩《も》れる音《おと》であることに気《き》がついて、彼《かれ》は思《おも》はず入口《いりぐち》で躊躇《ちうちよ》した。
下村《しもむら》は広《ひろ》い入口《いりぐち》の土間《どま》から、衝立《ついたて》の立《だ》つてゐる奥《おく》の方《はう》へ声《こゑ》をかけると、姪《めい》の京子《きやうこ》がその衝立《ついたて》の蔭《かげ》から、体《からだ》つきのすらりとしたその姿《すがた》を現《あら》はした。
「入《い》らつしやい。どうぞ。」京子《きやうこ》は少《すこ》し羞《はに》かんだやうな顔《かほ》をして、切《きれ》の長《なが》い目元《めもと》に微笑《びせう》しながら言《い》つた。
「随分《ずゐぶん》広《ひろ》さうだな。」下村《しもむら》はそんな事《こと》を言《い》つて、今《いま》合奏《がつそう》の聞《きこ》えた、この家族《かぞく》の茶《ちや》の間《ま》になつてゐるその部屋《へや》へ通《とほ》つた。
「広《ひろ》いにや広《ひろ》いですけれど、家《いへ》が古《ふる》くて……。」甥《をひ》の広《くわう》一がさう言《い》つて、尺《しやく》八を傍《そば》において坐《すわ》りなほした。
彼等《かれら》は兄《あに》と妹《いもうと》とで、ちようど合奏《がつそう》をしてゐたところであつた。琴《こと》もそこに横《よこた》はつてゐた。下村《しもむら》は生活《せいかつ》が裕《ゆた》かであれば裕《ゆた》かであるにつけ、貧《まづ》しければ貧《まづ》しいにつけ骨董《こつとう》やお茶《ちや》や生花《いけばな》や食味《しよくみ》や謡曲《えうきよく》などで持切《もちき》つてゐる、隠居気分《いんきよきぶん》のこの町《まち》にその少年期《せうねんき》を過《すご》しながら、絶《た》えず生活《せいくわつ》の悶《もだ》えに苦《くる》しんでゐた彼自身《かれじしん》の過去《くわこ》を考《かんが》へるとさうして妹《いもうと》を相手《あひて》に尺《しやく》八など吹《ふ》いてゐられる広《くわう》一の心持《こゝろもち》が不思議《ふしぎ》に思《おも》はれもしたけれど、格別《かくべつ》腹《はら》も立《た》たなかつた。彼《かれ》を激励《げきれい》するとか、鞭撻《べんだつ》するとか云《い》ふことは全《まつた》く無駄《むだ》なこともわかつてゐたし、寧《むし》ろ無慈悲《むじひ》だと云《い》ふことも知《し》つてゐた。
「お母《かあ》さんは」と訊《き》くと、京子《きやうこ》は琴爪《ことづめ》を箱《はこ》におさめながら、
「東京《とうきやう》のお宅《たく》から来《き》たお手紙《てがみ》をもつて、今《いま》をぢさんとこへ行つたんですの。途中《とぢう》でお逢《あ》ひにならなくて。」
「いゝや。道寄《みちよ》りをして来《き》たから。」下村《しもむら》は応《こた》へたが、広《くわう》一が中《なか》を掃除《さうぢ》して尺《しやく》八を袋《ふくろ》に収《をさ》めるのを見《み》ながら、
「その尺《しやく》八は大分《だいぶん》好《よ》ささうだな。」と言《い》つてお茶《ちや》を濁《にご》さうとした。
「これですか」と広《くわう》一は人《ひと》のよささうな顔《かほ》を少《すこ》し曇《くも》らせて、「いや、大《たい》して好《よ》くもありませんが、まあちよツと……死《し》んだお父《とう》さんが悪戯《いたづら》に作《つく》つたものです。」
「尺《しやく》八まで作《つく》つたのか。」下村《しもむら》は少《すこ》し驚《おどろ》いたやうに言《い》つた。総《すべ》てに器用《きよう》な腕《うで》をもつてゐた義兄《ぎけい》ではあつたけれど、その器用《きよう》か却《かへ》つて彼《かれ》の生涯《しやうがい》に祟《たゝ》つてゐた。
「え、器用《きよう》な人《ひと》でしたけれど。」広《くわう》一は寂《さび》しい微笑《びせう》を浮《うか》べてゐた。
下村《しもむら》は団扇《うちは》を使《つか》ひながら、
「二|階《かい》は広《ひろ》さうだね。」
「え。でも十|畳《でふ》一|室《ま》に四|畳半《でふはん》ですから、使《つか》ひにくゝつて駄目《だめ》ですわ。」京子《きやうこ》はお茶《ちや》をいれながら答《こた》へた。
勿論《もちろん》下村《しもむら》は彼等《かれら》がこの頃《ごろ》素人下宿《しろとげしゆく》のやうなことをしてゐることを知《し》つてゐた。彼《かれ》は時々《とき/″\》姉《あね》を自分《じぶん》の傍《そば》へ呼《よ》びたいと思《おも》つてゐた。下村《しもむら》の妻《つま》もよく其《そ》の事《こと》を口《くち》にしてゐたけれど、やつぱり子供達《こどもたち》と一つにしておく方《はう》が、彼女《かのぢよ》に取《と》つて安易《あんい》だと云《い》ふ気《き》がした。姉《あね》は広《くわう》一の弟《おとうと》が、親類《しんるゐ》の書画《しよぐわ》を持出《もちだ》して行《い》つたとき、東京《とうきやう》へ金《かね》を無心《むしん》に来《き》て、下村《しもむら》の処《ところ》に一|月《つき》ばかり遊《あそ》んでゐたことがあつたがちよこまかした敏捷《はしこ》い都会人《とくわいじん》に比《くら》べると、まるで太古《たいこ》の人《ひと》のやうにぼんやりしてゐた。そして其《それ》は本来《ほんらい》さういふ風《ふう》に産《うま》れついてゐたのではあつたけれど、一つは早婚《そうこん》の結果《けつくわ》でもあつた。彼女《かのぢよ》の結婚《けつこん》したのは、十五の歳《とし》であつた。広《くわう》一のやうな子《こ》の産《うま》れたのも、若《もし》もそれが彼女《かのぢよ》の父《ちゝ》と祖父《そふ》の飲酒《いんしゆ》から来《き》てゐるのでなければ、確《たし》かにそれに原因《げんいん》してゐるのだと思《おも》はれた。彼《かれ》は小学校時代《せうがくかうじだい》に、もう頭髪《あたま》に白《しろ》い毛《け》を交《まじ》へてゐた。勿論《もちろん》その割《わり》に、三十|過《す》ぎても、彼《かれ》の白毛《しらが》は別《べつ》に目《め》に立《た》つほど殖《ふ》えてもゐなかつた。
して躰《からだ》も完全《くわんぜん》に、頭脳《あたま》も人並《ひとな》みに産《うま》れついた京子《きやうこ》は不幸《ふかう》にも父《ちゝ》と母《はゝ》との盲目的《まうもくてき》な溺愛《できあい》によつて、折角《せつかく》の好《よ》い素質《そしつ》を、妙《めう》にふやけた無節度《むせつど》なものにしてしまつた。
少《すこ》し話《はな》してゐるところへ、姉《あね》が帰《かへ》つて来《き》た。彼女《かのぢよ》もさう変《かは》つてゐなかつた。生活《せいくわつ》が頽廃《たいはい》がちながらも、悶※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]《もが》いてゐるやうな痕迹《あと》はどこにも見《み》られなかつた。たゞ目《め》が一|層《そう》わるくなつて、どうかすると頭脳《あたま》がふら/\したりするといふのであつた。
「去年《きよねん》の秋《あき》外《そと》から帰《かへ》つて、上口《あがりくち》で卒倒《そつたふ》してから、何《なに》やら気味《きみ》が悪《わ》るうなり、中気《ちうき》でも出《で》る前兆《ぜんてふ》か知《し》らないと、そんなことを思《おも》つたりして……。」彼女《かのぢよ》は笑《わら》ひながら話《はな》した。
「そんな事《こと》もあるまい。」下村《しもむら》も苦笑《くせう》してゐた。
「事《こと》によると今度《こんど》が顔《かほ》の見《み》おさめかも知れん。」姉《あね》はさうも言《い》つてゐた。
制服《せいふく》を着《き》て、足駄《あしだ》をはいた一人《ひとり》の学生《がくせい》が友達《ともだち》を訪《たづ》ねて来《き》た。
「午後《ごご》からお出《で》かけになりました。あんたのところぢやなかつたんですか。」
玄関《げんくわん》へ出《で》て行《い》つた京子《きやうこ》は、そんな事《こと》を言《い》つて、「また何《ど》うぞ」と、お愛相《あいさう》を言《い》つてゐた。
「書生《しよせい》は幾人《いくにん》くらゐ居《ゐ》るの。」下村《しもむら》はその書生《しよせい》たちの話《はなし》について、さう言《い》つて訊《き》いた。
「今《いま》二人《ふたり》しかないのやけれど……。」姉《あね》はいくらか極《きま》りわるさうに、
「部屋《へや》の都合《つがふ》がわるうて、広《ひろ》い割《わり》にたんとは置《お》けんのやさかえ。その代《かは》りみんな好《い》い方《かた》ばかりや。もう誰方《どなた》も家族同様《かぞくどうやう》に食卓《しよくたく》も一|緒《しよ》や。その方《はう》が気《き》がおけんで好《い》いさうで……」姉《あね》はさう言《い》つて、その学生《がくせい》たちの身元《みもと》などを話《はな》した。
彼女《かのぢよ》の話《はなし》によると、彼等《かれら》の親達《おやたち》が時々《とき/″\》出《で》て来《き》て、好意《かうい》を感謝《かんしや》してくれて、米《こめ》なぞ贈《おく》つたりして、親《した》しくしてゐるといふのであつた。
「けれども、そんなことぢや仕様《しやう》がないね。尤《もつと》も広《くわう》一の月給《げつきふ》がいくらだか知《し》らないけれど、暮《くら》しの足《た》しにもなるまいからね。」下村《しもむら》は言《い》つた。
「それやさかえ今《いま》のところ苦《くる》しいとこと。」姉《あね》は笑《わら》つた。
下村《しもむら》は先刻《さつき》から目《め》をつけてゐた、隅《すみ》の方《はう》の茶箪笥《ちやだんす》の上《うへ》にある盆《ぼん》の柿《かき》を指《さ》しながら、
「その柿《かき》は渋《しぶ》いの。」
「これ?甘《あま》いのもあるやろ。これも書生《しよせい》さんが家《うち》からもつて来《き》て下《くだ》すつたのや。悪《わる》いのばかり残《のこ》つて。」姉《あね》は言《い》つた。
京子《きやうこ》は小刀《こがたな》で皮《かは》を剥《む》きはじめた。
下村《しもむら》は一片二片《ひときれふたきれ》、それを食《た》べたが、甘《あま》くはなかつた。それから夕飯《ゆふはん》をすゝめられたけれど、下村《しもむら》は長《なが》くゐる気《き》もしなかつたので、直《すぐ》に脱《ぬ》ぎ棄《す》てゝおいた羽織《はおり》を着《き》て、「いづれ又《また》来《き》ます」と言《い》つてそこを出《で》た。
それから残《のこ》つた荷《に》をもつて、今一人《いまひとり》の大《おほ》きい姉《あね》の家《いへ》の方《はう》へと道《みち》を取《と》つた。
法要《はふえう》がすんでから、しばらく兄《あに》の家《うち》に遊《あそ》んでゐた下村《しもむら》も、やがて東京《とうきやう》へ帰《かへ》る時《とき》が来《き》た。彼《かれ》は暇乞《いとまご》ひかた/″\又《また》それらの家々《いへ/\》を歴訪《れきはう》した。
陽気《やうき》が少《すこ》し涼《すゞ》しくなつてゐた。彼《かれ》はセルを着《き》てゐた。今度《こんど》帰《かへ》つたら、彼処《あすこ》へも行《い》かう、此処《ここ》へも行《い》つて見《み》ようと、附近《ふきん》の温泉場《をんせんば》や美《うつく》しい海浜《かいひん》や、山間《さんかん》の自然美《しぜんび》などを見舞《みま》ふつもりで、予定《よてい》のプログラムはあつたけれど来てみるといつも興味がなくなるのが例《れい》であつた。故郷《こきやう》の土《つち》や人《ひと》に深《ふか》く親《した》しむことが、出来《でき》なかつた。零砕《れいさい》な少年期《せうねんき》の記臆《きおく》を捜《さが》してみても、彼《かれ》を惹着《ひきつ》けるやうな懐《なつか》しい思出《おもひで》は、一《ひと》つもなかつた。彼《かれ》は寧《むし》ろそれを厭《いと》うた。けれども全《まつた》く故郷《こきやう》を振顧《ふりかへ》らないでゐることは、彼《かれ》に心《こゝろ》の咎《とが》めを感《かん》じさせた。
姉《あね》の家《いへ》の近《ちか》くまで来《く》ると、どこへ行《ゆ》くのか、ちよこ/\と俯伏《うつむき》がちに此方《こつち》へやつて来《く》る姉《あね》の姿《すがた》が目《め》についた。
「どこへ。」下村《しもむら》は近《ちかづ》いたとき声《こゑ》をかけた。
彼女《かのぢよ》は「あら」と言《い》つて立止《たちとま》つた。そして、「今《いま》に限《かぎ》つたことでもないのや。」と言《い》つて、弟《おとうと》を案内《あんない》した。
この間《あひだ》足《あし》に怪我《けが》をしたとかで、会社《くわいしや》を休《やす》んでゐた広《くわう》一も、その日《ひ》は出勤《しゆつきん》してゐて、居《ゐ》なかつたが、京子《きやうこ》は窓先《まどさ》きへ出《で》て縫板《ぬひいた》の前《まへ》にすわつて、針仕事《はりしごと》をしてゐた。
「もう帰《かへ》らうと思《おも》つて。大分《だいぶん》長《なが》くなつたから。」下村《しもむら》は告《つ》げた。
「あらもうお帰《かへ》りなさるの。」京子《きやうこ》が吃驚《びつくり》したやうに言ふと、姉《あね》も失望《しつばう》の色《いろ》を浮《うか》べて、
「何《なん》でそんなに早《はや》う帰《かへ》らんならんのや。」
下村《しもむら》は顔《かほ》を肯向《うつむ》けてゐた。
「何《なん》でと云《い》ふこともないが……来年《らいねん》あたり又《また》来《く》るかも知《し》れない。」
「来年《らいねん》は来年《らいねん》や。それに折角《せつかく》来《き》たのに、一晩《ひとばん》もこゝに泊《とま》りもしないで……。」
「同《おな》じことだ。」下村《しもむら》はわざと笑《わら》つた。
姉《あね》も京子《きやうこ》も、しかし何《ど》う言《い》つて留《と》めていゝかを知《し》らなかつた。
「どうしても帰《かへ》らんならんのなら、今日《けふ》はお夕飯《ゆふはん》でもたべて、ゆつくり行《い》つて貰《もら》はんならん。」
「いや、さうもしてゐられない。それに此《こ》の間《あひだ》、お寺《てら》の帰《かへ》りに、多勢《おほぜい》寄《よ》つて飲食《のみく》ひもしたから。」
「それあをぢさんの御馳走《ごちそう》ですもの。」
「同《おな》じことだよ。」下村《しもむら》は笑《わら》つてゐた。
そして暫《しば》らく話《はな》してゐるうちに、姉《あね》が遽《にはか》に外《そと》へ出《で》て行《ゆ》かうとした。何《なに》か御馳走《ごちそう》の註文《ちゆうもん》に行《ゆ》くらしかつた。
「僕《ぼく》は帰《かへ》るから、止《や》めときなさいつて……さう言《い》つて来《き》てくれ。」下村《しもむら》は京子《きやうこ》を急《せ》き立《た》てた。
「何《ど》うしてゞすの。」
「いや、今日《けふ》はね、これから岡《をか》さんが何処《どこ》かおごるさうだから。ちやうど其《そ》の時間《じかん》なんで……。」
下村《しもむら》はさう言《い》つて、紙入《かみいれ》から少《すこ》し金《かね》を取出《とりだ》して、そこに置《お》いたりして立《た》ちあがつた。
「あら、こんなことして貰《もら》ふと困《こま》ります。」
「いや、お母《かあ》さんに上《あ》げるんだ。」下村《しもむら》はさう言《い》つて早《は》や外《そと》へ出《で》た。
「京《きやう》ちやんもしつかりしなくちや駄目《だめ》だよ。男《をとこ》はみんな駄目《だめ》なんだから。」下村《しもむら》は後《あと》からついて来《く》る京子《きやうこ》に私語《さゝや》いた。
京子《きやうこ》は「え」と言《い》つて、羞《はに》かんだやうな微笑《びせう》を浮《うか》べながら、母《はゝ》を捜《さが》しに行《い》つた。下村《しもむら》もついて行《い》つた。
京子《きやうこ》と姉《あね》の姿《すがた》が、やがて一|町《ちやう》ほど先《さ》きにある料理屋《れうりや》の門《もん》から出《で》て来《き》た。
「せつかく来《き》て、箸《はし》もとつて貰《もら》はんと、帰《かへ》つてもらうて、詰《つま》らん。」姉《あね》は嘆息《たんそく》するやうに言《い》つた。
下村《しもむら》は姉《あね》が可哀《かあい》さうだつたけれど、感情《かんじやう》を圧《お》しつけて附合《つきあ》ふほど優《やさ》しい心《こゝろ》にもなれなかつた。
姉《あね》は何《なに》か話《はな》したさうに、下村《しもむら》について来《き》た。
「京子《きやうこ》も何《ど》ういふことになるんだか、心配《しんぱい》だね。」下村《しもむら》はきいて見《み》た。
「それについて実《じつ》は少《すこ》し話《はな》したいこともあるけれど……。」姉《あね》はいつにない緊張《きんちやう》した語気《ごき》で言出《いひだ》して、
「二|階《かい》にゐる書生《しよせい》さんが、実《じつ》は来年《らいねん》は学校《がくかう》を出《で》るので、それから東京《とうきやう》へ出《で》て、実地《じつち》をやるのやさうで……田舎《いなか》の家《うち》もお医者《いしや》で、あの界隈《かいわい》での財産家《ざいさんか》です。東京《とうきやう》で開業《かいげふ》したい希望《きばう》もあるやうだが、その人《ひと》が京子《きやうこ》をお嫁《よめ》にほしいと、まだ表立《おもてだ》つて話《はな》したわけぢやないけれど、その積《つも》りでゐるのでね。」
「けれども親達《おやたち》は。」下村《しもむら》はいきなり訊《き》いた。
「親御《おやご》さんから、早晩《さうばん》そのお話《はなし》が出《で》るのは、決《き》まり切《き》つたことなのでね、これはまだ誰《たれ》にも相談《さうだん》したことはないけれど……まだそれを言《い》ふてもらふても困《こま》るけれど。」
そして彼女《かのぢよ》は、今迄《いままで》にその外《ほか》にも色々《いろ/\》の縁談《えんだん》のあつたことまでを話《はな》した。
「それが確実《かくじつ》なら、それもいゝだらうが、よく考《かんが》へて……軽卒《かるはずみ》なことのないやうに。事《こと》によれば、僕《ぼく》も来《き》てもいゝから。」
下村《しもむら》はさう言《い》つて、その辺《へん》にあつた大《おほ》きな瀬戸物屋《せとものや》の店頭《てんとう》に立止《たちどま》つた。そして何《なに》か買《か》はうかと思《おも》つて、内《うち》へ入《はい》つて行《い》つた。
十五|分《ふん》ばかり、色々《いろ/\》のものを見《み》た果《は》てに、何《き》も買《か》ひたいものがなかつたので、やがてそこを出《で》た。そして姉《あね》に別《わか》れを告《つ》げた。
「今《いま》のお話《はなし》は当分《たうぶん》内密《ないしよ》にね。京子《きやうこ》がさう言《い》ふさかえ。」姉《あね》は念《ねん》を押《お》した。
下村《しもむら》は途々《みち/\》京子《きやうこ》とその青年《せいねん》との恋愛《れんあい》について考《かんが》へた。結果《けつくわ》が姉《あね》の失望《しつばう》にをはりさうに思《おも》へてならなかつた。[#地付き](大正12[#「12」は縦中横]年5月「女性改造」)
陽気《やうき》が少《すこ》し涼《すゞ》しくなつてゐた。彼《かれ》はセルを着《き》てゐた。今度《こんど》帰《かへ》つたら、彼処《あすこ》へも行《い》かう、此処《ここ》へも行《い》つて見《み》ようと、附近《ふきん》の温泉場《をんせんば》や美《うつく》しい海浜《かいひん》や、山間《さんかん》の自然美《しぜんび》などを見舞《みま》ふつもりで、予定《よてい》のプログラムはあつたけれど来てみるといつも興味がなくなるのが例《れい》であつた。故郷《こきやう》の土《つち》や人《ひと》に深《ふか》く親《した》しむことが、出来《でき》なかつた。零砕《れいさい》な少年期《せうねんき》の記臆《きおく》を捜《さが》してみても、彼《かれ》を惹着《ひきつ》けるやうな懐《なつか》しい思出《おもひで》は、一《ひと》つもなかつた。彼《かれ》は寧《むし》ろそれを厭《いと》うた。けれども全《まつた》く故郷《こきやう》を振顧《ふりかへ》らないでゐることは、彼《かれ》に心《こゝろ》の咎《とが》めを感《かん》じさせた。
姉《あね》の家《いへ》の近《ちか》くまで来《く》ると、どこへ行《ゆ》くのか、ちよこ/\と俯伏《うつむき》がちに此方《こつち》へやつて来《く》る姉《あね》の姿《すがた》が目《め》についた。
「どこへ。」下村《しもむら》は近《ちかづ》いたとき声《こゑ》をかけた。
彼女《かのぢよ》は「あら」と言《い》つて立止《たちとま》つた。そして、「今《いま》に限《かぎ》つたことでもないのや。」と言《い》つて、弟《おとうと》を案内《あんない》した。
この間《あひだ》足《あし》に怪我《けが》をしたとかで、会社《くわいしや》を休《やす》んでゐた広《くわう》一も、その日《ひ》は出勤《しゆつきん》してゐて、居《ゐ》なかつたが、京子《きやうこ》は窓先《まどさ》きへ出《で》て縫板《ぬひいた》の前《まへ》にすわつて、針仕事《はりしごと》をしてゐた。
「もう帰《かへ》らうと思《おも》つて。大分《だいぶん》長《なが》くなつたから。」下村《しもむら》は告《つ》げた。
「あらもうお帰《かへ》りなさるの。」京子《きやうこ》が吃驚《びつくり》したやうに言ふと、姉《あね》も失望《しつばう》の色《いろ》を浮《うか》べて、
「何《なん》でそんなに早《はや》う帰《かへ》らんならんのや。」
下村《しもむら》は顔《かほ》を肯向《うつむ》けてゐた。
「何《なん》でと云《い》ふこともないが……来年《らいねん》あたり又《また》来《く》るかも知《し》れない。」
「来年《らいねん》は来年《らいねん》や。それに折角《せつかく》来《き》たのに、一晩《ひとばん》もこゝに泊《とま》りもしないで……。」
「同《おな》じことだ。」下村《しもむら》はわざと笑《わら》つた。
姉《あね》も京子《きやうこ》も、しかし何《ど》う言《い》つて留《と》めていゝかを知《し》らなかつた。
「どうしても帰《かへ》らんならんのなら、今日《けふ》はお夕飯《ゆふはん》でもたべて、ゆつくり行《い》つて貰《もら》はんならん。」
「いや、さうもしてゐられない。それに此《こ》の間《あひだ》、お寺《てら》の帰《かへ》りに、多勢《おほぜい》寄《よ》つて飲食《のみく》ひもしたから。」
「それあをぢさんの御馳走《ごちそう》ですもの。」
「同《おな》じことだよ。」下村《しもむら》は笑《わら》つてゐた。
そして暫《しば》らく話《はな》してゐるうちに、姉《あね》が遽《にはか》に外《そと》へ出《で》て行《ゆ》かうとした。何《なに》か御馳走《ごちそう》の註文《ちゆうもん》に行《ゆ》くらしかつた。
「僕《ぼく》は帰《かへ》るから、止《や》めときなさいつて……さう言《い》つて来《き》てくれ。」下村《しもむら》は京子《きやうこ》を急《せ》き立《た》てた。
「何《ど》うしてゞすの。」
「いや、今日《けふ》はね、これから岡《をか》さんが何処《どこ》かおごるさうだから。ちやうど其《そ》の時間《じかん》なんで……。」
下村《しもむら》はさう言《い》つて、紙入《かみいれ》から少《すこ》し金《かね》を取出《とりだ》して、そこに置《お》いたりして立《た》ちあがつた。
「あら、こんなことして貰《もら》ふと困《こま》ります。」
「いや、お母《かあ》さんに上《あ》げるんだ。」下村《しもむら》はさう言《い》つて早《は》や外《そと》へ出《で》た。
「京《きやう》ちやんもしつかりしなくちや駄目《だめ》だよ。男《をとこ》はみんな駄目《だめ》なんだから。」下村《しもむら》は後《あと》からついて来《く》る京子《きやうこ》に私語《さゝや》いた。
京子《きやうこ》は「え」と言《い》つて、羞《はに》かんだやうな微笑《びせう》を浮《うか》べながら、母《はゝ》を捜《さが》しに行《い》つた。下村《しもむら》もついて行《い》つた。
京子《きやうこ》と姉《あね》の姿《すがた》が、やがて一|町《ちやう》ほど先《さ》きにある料理屋《れうりや》の門《もん》から出《で》て来《き》た。
「せつかく来《き》て、箸《はし》もとつて貰《もら》はんと、帰《かへ》つてもらうて、詰《つま》らん。」姉《あね》は嘆息《たんそく》するやうに言《い》つた。
下村《しもむら》は姉《あね》が可哀《かあい》さうだつたけれど、感情《かんじやう》を圧《お》しつけて附合《つきあ》ふほど優《やさ》しい心《こゝろ》にもなれなかつた。
姉《あね》は何《なに》か話《はな》したさうに、下村《しもむら》について来《き》た。
「京子《きやうこ》も何《ど》ういふことになるんだか、心配《しんぱい》だね。」下村《しもむら》はきいて見《み》た。
「それについて実《じつ》は少《すこ》し話《はな》したいこともあるけれど……。」姉《あね》はいつにない緊張《きんちやう》した語気《ごき》で言出《いひだ》して、
「二|階《かい》にゐる書生《しよせい》さんが、実《じつ》は来年《らいねん》は学校《がくかう》を出《で》るので、それから東京《とうきやう》へ出《で》て、実地《じつち》をやるのやさうで……田舎《いなか》の家《うち》もお医者《いしや》で、あの界隈《かいわい》での財産家《ざいさんか》です。東京《とうきやう》で開業《かいげふ》したい希望《きばう》もあるやうだが、その人《ひと》が京子《きやうこ》をお嫁《よめ》にほしいと、まだ表立《おもてだ》つて話《はな》したわけぢやないけれど、その積《つも》りでゐるのでね。」
「けれども親達《おやたち》は。」下村《しもむら》はいきなり訊《き》いた。
「親御《おやご》さんから、早晩《さうばん》そのお話《はなし》が出《で》るのは、決《き》まり切《き》つたことなのでね、これはまだ誰《たれ》にも相談《さうだん》したことはないけれど……まだそれを言《い》ふてもらふても困《こま》るけれど。」
そして彼女《かのぢよ》は、今迄《いままで》にその外《ほか》にも色々《いろ/\》の縁談《えんだん》のあつたことまでを話《はな》した。
「それが確実《かくじつ》なら、それもいゝだらうが、よく考《かんが》へて……軽卒《かるはずみ》なことのないやうに。事《こと》によれば、僕《ぼく》も来《き》てもいゝから。」
下村《しもむら》はさう言《い》つて、その辺《へん》にあつた大《おほ》きな瀬戸物屋《せとものや》の店頭《てんとう》に立止《たちどま》つた。そして何《なに》か買《か》はうかと思《おも》つて、内《うち》へ入《はい》つて行《い》つた。
十五|分《ふん》ばかり、色々《いろ/\》のものを見《み》た果《は》てに、何《き》も買《か》ひたいものがなかつたので、やがてそこを出《で》た。そして姉《あね》に別《わか》れを告《つ》げた。
「今《いま》のお話《はなし》は当分《たうぶん》内密《ないしよ》にね。京子《きやうこ》がさう言《い》ふさかえ。」姉《あね》は念《ねん》を押《お》した。
下村《しもむら》は途々《みち/\》京子《きやうこ》とその青年《せいねん》との恋愛《れんあい》について考《かんが》へた。結果《けつくわ》が姉《あね》の失望《しつばう》にをはりさうに思《おも》へてならなかつた。[#地付き](大正12[#「12」は縦中横]年5月「女性改造」)
底本:「徳田秋聲全集第14巻」八木書店
2000(平成12)年7月18日初版発行
底本の親本:「女性改造」
1923(大正12)年5月
初出:「女性改造」
1923(大正12)年5月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
2000(平成12)年7月18日初版発行
底本の親本:「女性改造」
1923(大正12)年5月
初出:「女性改造」
1923(大正12)年5月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ