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白い足袋の思出
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白い足袋の思出
徳田秋声
徳田秋声
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)間《なか》
(例)間《なか》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぼて/\
(例)ぼて/\
濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
[#5字下げ]一[#「一」は中見出し]
私はその当座、毎日叔母さんのお給仕で飯を喰つた。無論叔母さんといつたところで、私の叔母さんではなかつた。私に最も親しみを感じてゐた蘇川の亡父の妹がそれであつた。
蘇川の叔母さんの脚はリウマチスのために、棒のやうに突張つてゐたから、私の傍でお給仕をするときにも、少しばかり曲る大きい足を横ツ町の方へ投げ出したきりであつた。それに誰がみても蘇川は立派な顔立をしてゐるのに、この叔母さんは正直なところ余り綺麗でもなかつたし、お上品でもなかつた。体のぼて/\した、身躾みの好くない、田舎丸出しの、まあ孰かといへば薄汚い部類に属するお婆さんであつた。鬢の毛には埃がたまつてゐたし、着物も小ざつぱりした方ではなかつた。何よりも口が汚なかつた。夏の暑い盛りの溝の水を聯想させるやうな、口を利く度に、何かぶく/\した泡沫が湧くやうな口であつた。といふと蘇川がきいて怒るかも知れないが、無論かういふをばさんは、私、或ひは家内の身内ちだつて一人や二人はあるかも知れないのだ。ただ私が憂鬱に感じたのは、下宿屋並みにお膳とお櫃を、そこへ投り出しておいてくれさへすればいゝのに、蘇川のおばさんは可愛い大切な甥の兄分であるところの私に、心からのサービスをする積りで、不自由な足を引摺りな述ら、毎日私の机の側へやつて来て、何かとお愛想を言ひながら、余り掃除の行届かないお櫃から、飯を盛つてくれるのであつた。蘇川が好いものを書けるやうになるだらうかとか、どうか面倒を見てやつてくれとか、そんなことも、まだ自身に碌なものも書けないで、いつも暗い気持で悶※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]いてゐる私にはちよつと返答の出来ないやうな事柄であつた。熱心な文学使徒として、世に立たうとしてゐる蘇川に、好い素質のあることと、時の文壇の気分に或る飽足りなさを感じてゐる点で共鳴できることとか、二人の間《なか》をそんなにも緊密にしてゐたし、どこかウマの合ふところもあつて、毎日のやうに下宿で文学談をやつてゐた二人のことだから、助け合ふことは無論だが、それは二人同士だけの黙契のやうなもので、おばさんが口を出しても仕方のないことだつた。それに共同生活をやるやうになつてから、段々わかつて来たことだけれど、蘇川の妹達が、余り兄貴に大きな期待をおきすぎたり、彼を買ひかぶつたりしてゐることも、私には心配であつた。
私はその時、叔母さん達の世話で、蘇川の借りた、ちよつとした門構の家の奥座敷に、曾つての神田の下宿時代に古道具屋から買つて来た洋風の大机を据えて、納まつてゐた。荷物といつては別に何にもなかつた。着物は季節々々のものを、外出に差閊へない程度でもつてゐるだけで、それでも陽気が暖かくなると、綿の入つたものをネルや袷に、又寒くなつてくると、夏物を冬物に入れかへるといふ風で、常綺羅の晴着なしといふと、大層好いやうだが、引ツぽどきや洗い張りをする代りに、流れてしまつたものだつた。
何か好い加減な雑書、垢じみた着古し、コハゼのとれたのや、縁の切れかゝつた古足袋などの入つた行李、綿の硬い蒲団、身のまはりの胡麻竹細工の茶棚、火鉢に茶器、それが身のまはりの総てゞあつた。文壇に見参するほどの仕事をしてゐた訳ではなかつたけれど、少しは何か零砕なものを書いてゐたので、時には気紛れに大劇場へ入つたり、レストオランで痩せた腹を充すくらゐのことはできた。
私が蘇川と知つたのは、同門の涼葉を本郷の下宿に訪ねた時であつた。蘇川は肺結核を患つてゐた涼葉を、自分の下宿の部屋において、世話してゐたが、間もなく亡父の保険金もなくなり、その頃下宿の部屋に備へてあつた亡父遺愛の、茶渋のこびりついた煎茶茶碗や吸子や、紫檀の書棚まで、いつとなしに影も形もなくなつて、母と妹達とともに逼塞してゐた池の畔の棟割に、私が彼を訪ねたときには、蘇川はうんと書きためた原稿を取出して来て、私を感激せしめたものだつた。
今蘇川は、何かインチキな葡萄酒の製造か何かをやつてゐた、叔母さんの良人の家ほ、もう久《しばら》く厄介になつてゐた。今度の私を共同生活へ誘引したのも、多分世間馴れのした叔母さん夫婦の差金でもあつたらうか、蘇川は或日私の下宿へ来て、更まつた態度で、その事を申込んだのであつた。私は拒む理由もなかつた。早速荷物を車につんで、賑やかな神楽坂近くの下宿から、中産階級の静かな住宅地へ引越して来た。冬枯れのまゝの幾株かの芭蕉が、門のうちに矗々《すくすく》立つてゐたり、秋草でも植えるにふさはしい十坪ばかりの庭があつたりして、世帯らしい気持のするのが、自由な下宿生活に馴れた私には、楽しいやうで、何か心寂しいものがあつた。
私はその当座、毎日叔母さんのお給仕で飯を喰つた。無論叔母さんといつたところで、私の叔母さんではなかつた。私に最も親しみを感じてゐた蘇川の亡父の妹がそれであつた。
蘇川の叔母さんの脚はリウマチスのために、棒のやうに突張つてゐたから、私の傍でお給仕をするときにも、少しばかり曲る大きい足を横ツ町の方へ投げ出したきりであつた。それに誰がみても蘇川は立派な顔立をしてゐるのに、この叔母さんは正直なところ余り綺麗でもなかつたし、お上品でもなかつた。体のぼて/\した、身躾みの好くない、田舎丸出しの、まあ孰かといへば薄汚い部類に属するお婆さんであつた。鬢の毛には埃がたまつてゐたし、着物も小ざつぱりした方ではなかつた。何よりも口が汚なかつた。夏の暑い盛りの溝の水を聯想させるやうな、口を利く度に、何かぶく/\した泡沫が湧くやうな口であつた。といふと蘇川がきいて怒るかも知れないが、無論かういふをばさんは、私、或ひは家内の身内ちだつて一人や二人はあるかも知れないのだ。ただ私が憂鬱に感じたのは、下宿屋並みにお膳とお櫃を、そこへ投り出しておいてくれさへすればいゝのに、蘇川のおばさんは可愛い大切な甥の兄分であるところの私に、心からのサービスをする積りで、不自由な足を引摺りな述ら、毎日私の机の側へやつて来て、何かとお愛想を言ひながら、余り掃除の行届かないお櫃から、飯を盛つてくれるのであつた。蘇川が好いものを書けるやうになるだらうかとか、どうか面倒を見てやつてくれとか、そんなことも、まだ自身に碌なものも書けないで、いつも暗い気持で悶※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]いてゐる私にはちよつと返答の出来ないやうな事柄であつた。熱心な文学使徒として、世に立たうとしてゐる蘇川に、好い素質のあることと、時の文壇の気分に或る飽足りなさを感じてゐる点で共鳴できることとか、二人の間《なか》をそんなにも緊密にしてゐたし、どこかウマの合ふところもあつて、毎日のやうに下宿で文学談をやつてゐた二人のことだから、助け合ふことは無論だが、それは二人同士だけの黙契のやうなもので、おばさんが口を出しても仕方のないことだつた。それに共同生活をやるやうになつてから、段々わかつて来たことだけれど、蘇川の妹達が、余り兄貴に大きな期待をおきすぎたり、彼を買ひかぶつたりしてゐることも、私には心配であつた。
私はその時、叔母さん達の世話で、蘇川の借りた、ちよつとした門構の家の奥座敷に、曾つての神田の下宿時代に古道具屋から買つて来た洋風の大机を据えて、納まつてゐた。荷物といつては別に何にもなかつた。着物は季節々々のものを、外出に差閊へない程度でもつてゐるだけで、それでも陽気が暖かくなると、綿の入つたものをネルや袷に、又寒くなつてくると、夏物を冬物に入れかへるといふ風で、常綺羅の晴着なしといふと、大層好いやうだが、引ツぽどきや洗い張りをする代りに、流れてしまつたものだつた。
何か好い加減な雑書、垢じみた着古し、コハゼのとれたのや、縁の切れかゝつた古足袋などの入つた行李、綿の硬い蒲団、身のまはりの胡麻竹細工の茶棚、火鉢に茶器、それが身のまはりの総てゞあつた。文壇に見参するほどの仕事をしてゐた訳ではなかつたけれど、少しは何か零砕なものを書いてゐたので、時には気紛れに大劇場へ入つたり、レストオランで痩せた腹を充すくらゐのことはできた。
私が蘇川と知つたのは、同門の涼葉を本郷の下宿に訪ねた時であつた。蘇川は肺結核を患つてゐた涼葉を、自分の下宿の部屋において、世話してゐたが、間もなく亡父の保険金もなくなり、その頃下宿の部屋に備へてあつた亡父遺愛の、茶渋のこびりついた煎茶茶碗や吸子や、紫檀の書棚まで、いつとなしに影も形もなくなつて、母と妹達とともに逼塞してゐた池の畔の棟割に、私が彼を訪ねたときには、蘇川はうんと書きためた原稿を取出して来て、私を感激せしめたものだつた。
今蘇川は、何かインチキな葡萄酒の製造か何かをやつてゐた、叔母さんの良人の家ほ、もう久《しばら》く厄介になつてゐた。今度の私を共同生活へ誘引したのも、多分世間馴れのした叔母さん夫婦の差金でもあつたらうか、蘇川は或日私の下宿へ来て、更まつた態度で、その事を申込んだのであつた。私は拒む理由もなかつた。早速荷物を車につんで、賑やかな神楽坂近くの下宿から、中産階級の静かな住宅地へ引越して来た。冬枯れのまゝの幾株かの芭蕉が、門のうちに矗々《すくすく》立つてゐたり、秋草でも植えるにふさはしい十坪ばかりの庭があつたりして、世帯らしい気持のするのが、自由な下宿生活に馴れた私には、楽しいやうで、何か心寂しいものがあつた。
[#5字下げ]二[#「二」は中見出し]
蘇川の叔父が、私が引移つて行つた時分、床の間の竹のづん筒《ど》の花生《はないけ》に挿して行つた桜が、裏の埃函に棄てられてから、可なりの日数がたつてゐたから、私と蘇川とは、上野の夕桜や夜桜をもう何遍となく見たことであつたらう。家事をやつてくれることになつてゐた、蘇川の一番目の妹の静代は、幾日たつても姿を見せなかつたが、次ぎの妹の弥生が来てゐた。
弥生は色の白い、多分斜視ではないだらうか、左の目に何かちよいと特徴のある、好い顔をしてゐた。姿も優しく垢ぬけがしてゐた。彼女は蘇川の姻戚へ片著いてゐたが、私達の新居へ、或る晩方ふらりとやつて来て、初めての私の前へも挨拶に来た。彼女も新しい小説を読み齟つてゐた。
四五日してから、多分弥生か誰かゞ掃除をして、石油を充たしてくれたラムプを点《とも》して、机の前に坐つてゐると、聞いたこともない男の声がして、弥生と何かぼそ/\話してゐた。暫らくすると、下町肌の弥生が何か棄白をのこして立つて行つたらしく、叔母がその後からやつて来て、しばらくごた/\してゐた。物事に迂闊な私にも、その雰囲気が感づけた。弥生の良人が、彼女を迎ひに来たのであつたが、弥生は帰らうとはしなかつた。私はこの意気肌の愛らしい闖入者を、何う取扱つていゝか解らなかつた。蘇川には今一人小さい妹もおるので、そこへ静代も来る筈だとすると、今まで何処かへ夫々頒布されてゐた人達が、好い巣を見つけて一度になだれ込んで来る形であつた。
弥生は相変らず、蘇川のゐない隣りの部屋へ来て、唄を口吟んだり、末の妹を揶揄つたりしてゐた。私の部屋へも、一偶には来た。食事を運んだり掃除をしてくれたりした。私はいくらか明るくはなつたが、何か無い肚を探られるやうな擽つたさもあつた。
春になつてから、私はしばらく女から遠いてゐたが、矢張りその女の幻影ほど美しいものは、どこにも求められなかつた。私は既に一年近くもその家に通つてゐたが、今の女は第二番目に出た女であつた。両手で握りしめられるほど胴まはりの痩せ細つた第一の女が、画家であつた怠けものゝ父親と、抱主とに散々搾り取られた果てに、痛ましい衰弱で、或朝ハタキをもつたまゝ斃れてから、今の女が代ることになつた。摺れた遊び友達が、手取りだといつて、警戒してくれたその女は、しかし年があいてから自前で稼いでゐたくらゐなので、私のやうな吝な田舎ものから、別に何う搾りやうもない訳であつた。たゞ玉数《ぎよくかず》を少しでも取るために、普通に客の数に入れてゐるに過ぎなかつた。名古屋産れで、名ある料亭の娘だつたが、店が潰れてから身売りをしたのであつた。日露の戦役前のことなので、その一廓にはまだ伝統的な様式や、怪奇な風習か残つてゐた。始終胃腸に悩まされて、ひどい神経衰弱に陥つてゐた私は、文学的にも生活的にもいつも無気力で憂鬱であつた。プロゼイクな下宿住ひの佗しさが、屡々その世界の明りに彼を駆り立てた。長火鉢とか、鏡台とか、箪笥とか、縮緬の夜具などが、相当に彼の心を吸ひつけた。遊ぶ術を少しも知らない彼を、しかし客を扱ふのに手だれな彼女と、甲羅の生へたお附きの婆さんとが、うまく取扱つてくれた訳だつた。彼は廓内の洗湯へもつれて行かれたし、溝のはね橋を渡ることも教はつた、藍微塵《あひみじん》の唐桟に、羽織のかゝつた素袷で、鼻くたの新造の婆さんは、酒落本をよく読んでゐた。加賀の家中の用人に囲はれて、向島にゐた時、熨斗目の上下や、黄八丈の小袖や、箪笥を空つぽにして、男と逃げた話などをして聞かせた。
「こうえふ[#「こうえふ」に傍点]つて人はおつなものを作りますね。」婆さんが古い作者のうわさをしてから、そんなことを口にした。
「さうかね。」むつつりした私は苦笑してゐた。
或る朝女が窓の戸をしめて、部屋を薄暗くした。私たちは屋台から取つた朝飯をすまして、奥の窓ぎわに横はつてゐた。来る夜も来る夜も、病弱な私は女から何も求めはしなかつた。たゞさうした雰囲気のなかにゐるのが好かつた。夜なかには、帽子や外套が、時には十以上も置かれてあつた其の部屋も、朝になれば何もなかつた。二棹の好い箪笥に着物がぎつちり詰つてゐた。恋とか何とかいふ点でも、金の点でも、女は私などを相手にしてはゐなかつた。それに世間的感情の発達しない私は、何んな女を見ても、みんな年上のやうな気がしてゐた。
庇間《ひさしあひ》から来る日光を遮ぎつたところで、女は少ししみ/″\して話した。
「あんた三十ね。」
私は年をいはれると恥しかつた。
「私世話になつてる人があるんだけれど、もうお爺さんでね。それにその人のとこへ行くとすれば、子供さんの乳母車でもひいて、お守りもしなくちやならないし、づゐぶん肩身のせまい訳だわね。だけど、年期がすんだといつても、呉服屋や何かに借金もあるし、出るときはそれ相当なこともしなくちやねえ。」
私はその瞬間その意味がわからなかつた。たゞ本能的に女から軽く体をひいて、半分蒲団からすべつた。そして其時はそれ限りだつたが、日がたつと、それが次第に意味をもつて来て、彼女の真実のやうに思へて来てならなかつた。理性のうへでは、友達が言つた手取りといふことが承認されながらも、それは其れとして、何か別の感情が働きはじめた。私はさうした女と、此の世界以外の何処かで、一緒に歩くとか、同棲するとか、さういつた現実を考へるだけでも、形のうへでも気持のうへでも、不自然だことは十分わかつてゐても、それがさう行かないのであつた。私はいつか実際問題について頭脳をつかつてゐた。つまり何うかして纏つた金を作りたいといふ、衝動的な慾念に駆られた。矢張り書くより外の手はなかつた。ちやうど地方新聞に連載ものを紹介してもいゝといふ或る文学士の話を思ひ出したので、私は早速訪ねて頼んでみた。
私はその後、暑いさかりに全速力で、その長篇を書きはじめた。毎日精根のつきるまで書きつゞけた。その位だつたから、毎日逢つて何かしら言葉を交してゐる弥生のことも、少しは気にかゝつてゐたけれど、熱中しはじめると、当分何んなことがあつても傍目をふらない方だつたので、他の女のことなど考へなかつた。年は若くても、私よりか世間人であつた蘇川の目に哀れな私の姿が何んな風に映つてゐるかも、彼は反射的に感づいてゐたけれど、それを何うすることも出来なかつた。
どこで何う工面したのか、多分古いものを取りあげてシキシでもしたらしく、何か茶つぽい褪《は》げちよろの、軟かいものを引張つて、上の妹の静代が来たのは、引越してから二週間もたつてからであつた。静代は窪んだ円い目をして、鼻かわるいとみえて、よく涕汁を啜り/\話す癖があつたが、これも蘇川の妹だけに、色々な小説を読んでゐて、作家のゴシツプにも通じてゐたから、よく私の机の傍へ来て、長羅宇で煙草をふかしながら、大人びた話をして聞せたが、部屋を綺麗にするとか、勝手元を整理するとか、汚れものを洗濯するとかいふことは得手ではなかつた。
看る看るうちに、そこらが荒れて来るのも仕方がなかつた。静代の着て来た着物は、糊づけか何かのやうに一週間とたゝぬうちに、お尻の方がべらりと大きく破けたかとおもふと、袖や膝のあたりも、めら/\になつた、到頭引かけてもゐられなくなつたらしく、いつか今迄著てゐたらしい垢じみたものに着替へられた。
「してみると、あの著物を綴ぎはぎするために、あれだけの時間がかゝつたのだ。」私は思つたが、しかし襤褸を出したのは、彼女の著ものばかりではなかつた。私は滅多に行つたことのない蘇川の部屋をのぞくと、いつも夜夜中でも鉄瓶の湯をたぎらせて、お茶を呑んだり、煙草の吸殻を突刺してゐたりした、藍染焼の蘇川の大事な瀬戸の手炙りが、いつの間にかなくなつてゐるのに気がついた。勿論蘇川はラムプを質屋へ運んだり、時には羽織の胸紐を煙草銭にかへたり、或る時などは、私から借りて行つた帽子が、入れかへのために其処へ行つた私が、ふと其の質屋の店の柱にかゝへてゐるのを見つけたといふくらゐだから、そんな事はその時分の彼に取つて、別に不思議ではなかつたが、蘇川の傍に、あの焼きのいゝ火鉢がなくなつたことは、何といつても寂しかつた。不可抗的な運命が段々私のところまで押し寄せて来さうであつた。それにお茶好きな蘇川は、どんな場合にも悪い茶を呑まなかつた。たとひ十銭でも五銭でも、自分に持合せのないときは、私から借りても、散歩のついでに、好い茶を一摘み買ふことを、忘れなかつた。煙草も私がパイレイトを吸つてゐると、彼はきつとバツトル・アツキスくらゐを、いつも袂にいれてゐた。著物といへば著れば著たきりで、襟や袖口がどく/\に汚れてゐた。髪も刈らず、髭も剃ることをしなかつた。勿論年がら年中風呂に入らなかつたから、蒼白い顔の皮膚が、石炭坑夫のやうに汚れ、手足も垢で黝く斑らになつてゐた。彼は習慣性になつた宵つぱりの朝寝坊で、夜なかに私が書き疲れた手を休めて、煙草をふかしてゐると、彼は吸子からお茶を注ぐ音をさせながら、いつまでも煙草をふかしてゐた。
暫くすると、彼はのそりと私の部屋へ入つて来た。
「何うだね、書けるかね。」蘇川は私の機嫌を取るやうに話しかける。
「む。」
私はさすがに憊《へば》つてゐた。こんなにして書きあげて原稿料を取つてみたところで、あの女が自分のところへ、事実来るか何うかは分明りしなかつた。私は心持その苦悶をそれとなく訴へた。
「もと/\ぢやないか孰《どつち》にしたところで、君がそれほど好きなら遣つてみるさ。金だけ捲きあげて、さやうならを極めこむやうな、そんな人のわるい女ぢやないことだけは確かだよ。あつちの方がちいつと役者が上だからね。」
蘇川は煙草をふかしながら、ふ、ふと笑つた。
まだ十時少しまはつたばかりなので、私は蘇川を誘つて散歩に出た。しばらく往つてみない女の部屋が思ひだされて来た。私の押入れを開けて、乱雑に取りちらかつたなかから、白足袋を捜した。私はその頃、大抵の都会人がさうであつたやうに、柄に不似合ひな白足袋をはいてゐた。下駄も神田の買ひつけの店で、籘表のせい/″\低い突かけを穿いてゐた。何をはいてみたところで、都会人らしくは見えさうもない私だつたけれど、東京へ出てくる田舎者が、誰れでも一度は悪く都会かぶれがするとほりに、何か足の爪先きを吟味したり、着物の寸法を詮議しなければ気がすまなかつた。そして場所の女たちに揉まれることが、その時分での一つの教養でもあつた。――今から思ふと、私は冷汗が出るのだが、死際にはまた死際の冷汗が現在の私に出るに違ひない。
仲間からやゝ遠かつて、こゝへ引移つてからは、そんな身嗜みも自然ルウズになりがちであつた私も、或時は角帯をしめてゐるところを、
「清川さん、あんたそんなにめかさない方がいゝのよ。かまはないのが男の値打よ。」などと顔を赤くした弥生に揶揄はれながら、襟垢は兎に角、下駄や足袋がやつぱり気にかゝつた。
押入れの白い足袋はどれもこれも穿きよごされてゐた。私は彼にはつんつるてんの薩摩絣の単衣を蘇川に着せながら、そつと外へ出た。そして仲町まであるくと、そこで白足袋を一足買つて穿くと、雨の雫のおちかゝつたなかを広小路へ出て、俥に乗つた。
蘇川の叔父が、私が引移つて行つた時分、床の間の竹のづん筒《ど》の花生《はないけ》に挿して行つた桜が、裏の埃函に棄てられてから、可なりの日数がたつてゐたから、私と蘇川とは、上野の夕桜や夜桜をもう何遍となく見たことであつたらう。家事をやつてくれることになつてゐた、蘇川の一番目の妹の静代は、幾日たつても姿を見せなかつたが、次ぎの妹の弥生が来てゐた。
弥生は色の白い、多分斜視ではないだらうか、左の目に何かちよいと特徴のある、好い顔をしてゐた。姿も優しく垢ぬけがしてゐた。彼女は蘇川の姻戚へ片著いてゐたが、私達の新居へ、或る晩方ふらりとやつて来て、初めての私の前へも挨拶に来た。彼女も新しい小説を読み齟つてゐた。
四五日してから、多分弥生か誰かゞ掃除をして、石油を充たしてくれたラムプを点《とも》して、机の前に坐つてゐると、聞いたこともない男の声がして、弥生と何かぼそ/\話してゐた。暫らくすると、下町肌の弥生が何か棄白をのこして立つて行つたらしく、叔母がその後からやつて来て、しばらくごた/\してゐた。物事に迂闊な私にも、その雰囲気が感づけた。弥生の良人が、彼女を迎ひに来たのであつたが、弥生は帰らうとはしなかつた。私はこの意気肌の愛らしい闖入者を、何う取扱つていゝか解らなかつた。蘇川には今一人小さい妹もおるので、そこへ静代も来る筈だとすると、今まで何処かへ夫々頒布されてゐた人達が、好い巣を見つけて一度になだれ込んで来る形であつた。
弥生は相変らず、蘇川のゐない隣りの部屋へ来て、唄を口吟んだり、末の妹を揶揄つたりしてゐた。私の部屋へも、一偶には来た。食事を運んだり掃除をしてくれたりした。私はいくらか明るくはなつたが、何か無い肚を探られるやうな擽つたさもあつた。
春になつてから、私はしばらく女から遠いてゐたが、矢張りその女の幻影ほど美しいものは、どこにも求められなかつた。私は既に一年近くもその家に通つてゐたが、今の女は第二番目に出た女であつた。両手で握りしめられるほど胴まはりの痩せ細つた第一の女が、画家であつた怠けものゝ父親と、抱主とに散々搾り取られた果てに、痛ましい衰弱で、或朝ハタキをもつたまゝ斃れてから、今の女が代ることになつた。摺れた遊び友達が、手取りだといつて、警戒してくれたその女は、しかし年があいてから自前で稼いでゐたくらゐなので、私のやうな吝な田舎ものから、別に何う搾りやうもない訳であつた。たゞ玉数《ぎよくかず》を少しでも取るために、普通に客の数に入れてゐるに過ぎなかつた。名古屋産れで、名ある料亭の娘だつたが、店が潰れてから身売りをしたのであつた。日露の戦役前のことなので、その一廓にはまだ伝統的な様式や、怪奇な風習か残つてゐた。始終胃腸に悩まされて、ひどい神経衰弱に陥つてゐた私は、文学的にも生活的にもいつも無気力で憂鬱であつた。プロゼイクな下宿住ひの佗しさが、屡々その世界の明りに彼を駆り立てた。長火鉢とか、鏡台とか、箪笥とか、縮緬の夜具などが、相当に彼の心を吸ひつけた。遊ぶ術を少しも知らない彼を、しかし客を扱ふのに手だれな彼女と、甲羅の生へたお附きの婆さんとが、うまく取扱つてくれた訳だつた。彼は廓内の洗湯へもつれて行かれたし、溝のはね橋を渡ることも教はつた、藍微塵《あひみじん》の唐桟に、羽織のかゝつた素袷で、鼻くたの新造の婆さんは、酒落本をよく読んでゐた。加賀の家中の用人に囲はれて、向島にゐた時、熨斗目の上下や、黄八丈の小袖や、箪笥を空つぽにして、男と逃げた話などをして聞かせた。
「こうえふ[#「こうえふ」に傍点]つて人はおつなものを作りますね。」婆さんが古い作者のうわさをしてから、そんなことを口にした。
「さうかね。」むつつりした私は苦笑してゐた。
或る朝女が窓の戸をしめて、部屋を薄暗くした。私たちは屋台から取つた朝飯をすまして、奥の窓ぎわに横はつてゐた。来る夜も来る夜も、病弱な私は女から何も求めはしなかつた。たゞさうした雰囲気のなかにゐるのが好かつた。夜なかには、帽子や外套が、時には十以上も置かれてあつた其の部屋も、朝になれば何もなかつた。二棹の好い箪笥に着物がぎつちり詰つてゐた。恋とか何とかいふ点でも、金の点でも、女は私などを相手にしてはゐなかつた。それに世間的感情の発達しない私は、何んな女を見ても、みんな年上のやうな気がしてゐた。
庇間《ひさしあひ》から来る日光を遮ぎつたところで、女は少ししみ/″\して話した。
「あんた三十ね。」
私は年をいはれると恥しかつた。
「私世話になつてる人があるんだけれど、もうお爺さんでね。それにその人のとこへ行くとすれば、子供さんの乳母車でもひいて、お守りもしなくちやならないし、づゐぶん肩身のせまい訳だわね。だけど、年期がすんだといつても、呉服屋や何かに借金もあるし、出るときはそれ相当なこともしなくちやねえ。」
私はその瞬間その意味がわからなかつた。たゞ本能的に女から軽く体をひいて、半分蒲団からすべつた。そして其時はそれ限りだつたが、日がたつと、それが次第に意味をもつて来て、彼女の真実のやうに思へて来てならなかつた。理性のうへでは、友達が言つた手取りといふことが承認されながらも、それは其れとして、何か別の感情が働きはじめた。私はさうした女と、此の世界以外の何処かで、一緒に歩くとか、同棲するとか、さういつた現実を考へるだけでも、形のうへでも気持のうへでも、不自然だことは十分わかつてゐても、それがさう行かないのであつた。私はいつか実際問題について頭脳をつかつてゐた。つまり何うかして纏つた金を作りたいといふ、衝動的な慾念に駆られた。矢張り書くより外の手はなかつた。ちやうど地方新聞に連載ものを紹介してもいゝといふ或る文学士の話を思ひ出したので、私は早速訪ねて頼んでみた。
私はその後、暑いさかりに全速力で、その長篇を書きはじめた。毎日精根のつきるまで書きつゞけた。その位だつたから、毎日逢つて何かしら言葉を交してゐる弥生のことも、少しは気にかゝつてゐたけれど、熱中しはじめると、当分何んなことがあつても傍目をふらない方だつたので、他の女のことなど考へなかつた。年は若くても、私よりか世間人であつた蘇川の目に哀れな私の姿が何んな風に映つてゐるかも、彼は反射的に感づいてゐたけれど、それを何うすることも出来なかつた。
どこで何う工面したのか、多分古いものを取りあげてシキシでもしたらしく、何か茶つぽい褪《は》げちよろの、軟かいものを引張つて、上の妹の静代が来たのは、引越してから二週間もたつてからであつた。静代は窪んだ円い目をして、鼻かわるいとみえて、よく涕汁を啜り/\話す癖があつたが、これも蘇川の妹だけに、色々な小説を読んでゐて、作家のゴシツプにも通じてゐたから、よく私の机の傍へ来て、長羅宇で煙草をふかしながら、大人びた話をして聞せたが、部屋を綺麗にするとか、勝手元を整理するとか、汚れものを洗濯するとかいふことは得手ではなかつた。
看る看るうちに、そこらが荒れて来るのも仕方がなかつた。静代の着て来た着物は、糊づけか何かのやうに一週間とたゝぬうちに、お尻の方がべらりと大きく破けたかとおもふと、袖や膝のあたりも、めら/\になつた、到頭引かけてもゐられなくなつたらしく、いつか今迄著てゐたらしい垢じみたものに着替へられた。
「してみると、あの著物を綴ぎはぎするために、あれだけの時間がかゝつたのだ。」私は思つたが、しかし襤褸を出したのは、彼女の著ものばかりではなかつた。私は滅多に行つたことのない蘇川の部屋をのぞくと、いつも夜夜中でも鉄瓶の湯をたぎらせて、お茶を呑んだり、煙草の吸殻を突刺してゐたりした、藍染焼の蘇川の大事な瀬戸の手炙りが、いつの間にかなくなつてゐるのに気がついた。勿論蘇川はラムプを質屋へ運んだり、時には羽織の胸紐を煙草銭にかへたり、或る時などは、私から借りて行つた帽子が、入れかへのために其処へ行つた私が、ふと其の質屋の店の柱にかゝへてゐるのを見つけたといふくらゐだから、そんな事はその時分の彼に取つて、別に不思議ではなかつたが、蘇川の傍に、あの焼きのいゝ火鉢がなくなつたことは、何といつても寂しかつた。不可抗的な運命が段々私のところまで押し寄せて来さうであつた。それにお茶好きな蘇川は、どんな場合にも悪い茶を呑まなかつた。たとひ十銭でも五銭でも、自分に持合せのないときは、私から借りても、散歩のついでに、好い茶を一摘み買ふことを、忘れなかつた。煙草も私がパイレイトを吸つてゐると、彼はきつとバツトル・アツキスくらゐを、いつも袂にいれてゐた。著物といへば著れば著たきりで、襟や袖口がどく/\に汚れてゐた。髪も刈らず、髭も剃ることをしなかつた。勿論年がら年中風呂に入らなかつたから、蒼白い顔の皮膚が、石炭坑夫のやうに汚れ、手足も垢で黝く斑らになつてゐた。彼は習慣性になつた宵つぱりの朝寝坊で、夜なかに私が書き疲れた手を休めて、煙草をふかしてゐると、彼は吸子からお茶を注ぐ音をさせながら、いつまでも煙草をふかしてゐた。
暫くすると、彼はのそりと私の部屋へ入つて来た。
「何うだね、書けるかね。」蘇川は私の機嫌を取るやうに話しかける。
「む。」
私はさすがに憊《へば》つてゐた。こんなにして書きあげて原稿料を取つてみたところで、あの女が自分のところへ、事実来るか何うかは分明りしなかつた。私は心持その苦悶をそれとなく訴へた。
「もと/\ぢやないか孰《どつち》にしたところで、君がそれほど好きなら遣つてみるさ。金だけ捲きあげて、さやうならを極めこむやうな、そんな人のわるい女ぢやないことだけは確かだよ。あつちの方がちいつと役者が上だからね。」
蘇川は煙草をふかしながら、ふ、ふと笑つた。
まだ十時少しまはつたばかりなので、私は蘇川を誘つて散歩に出た。しばらく往つてみない女の部屋が思ひだされて来た。私の押入れを開けて、乱雑に取りちらかつたなかから、白足袋を捜した。私はその頃、大抵の都会人がさうであつたやうに、柄に不似合ひな白足袋をはいてゐた。下駄も神田の買ひつけの店で、籘表のせい/″\低い突かけを穿いてゐた。何をはいてみたところで、都会人らしくは見えさうもない私だつたけれど、東京へ出てくる田舎者が、誰れでも一度は悪く都会かぶれがするとほりに、何か足の爪先きを吟味したり、着物の寸法を詮議しなければ気がすまなかつた。そして場所の女たちに揉まれることが、その時分での一つの教養でもあつた。――今から思ふと、私は冷汗が出るのだが、死際にはまた死際の冷汗が現在の私に出るに違ひない。
仲間からやゝ遠かつて、こゝへ引移つてからは、そんな身嗜みも自然ルウズになりがちであつた私も、或時は角帯をしめてゐるところを、
「清川さん、あんたそんなにめかさない方がいゝのよ。かまはないのが男の値打よ。」などと顔を赤くした弥生に揶揄はれながら、襟垢は兎に角、下駄や足袋がやつぱり気にかゝつた。
押入れの白い足袋はどれもこれも穿きよごされてゐた。私は彼にはつんつるてんの薩摩絣の単衣を蘇川に着せながら、そつと外へ出た。そして仲町まであるくと、そこで白足袋を一足買つて穿くと、雨の雫のおちかゝつたなかを広小路へ出て、俥に乗つた。
[#5字下げ]三[#「三」は中見出し]
百二三十回の、書きなぐりの原稿が出来あがつて、経済力の裕かな或る地方新聞へ発送してしまふと、それがもう六月の半ばでもあつたであらう。私はがつかりしてしまつた。勿論そればかりに全部かゝつてゐた訳ではなかつたけれど、それらの収入は知れたもので、偶に三橋亭あたりで洋食を食べるか、豆腐料理が看板の忍川へでも行つて飯を食へば、直ぐなくなつてしまふやうな金であつた。それに私達は偶には弥生もつれて、寄席へも行かなければならなかつた。
私は或る時蘇川を促し立てゝ、近所の洗湯へ行つた。昼間の洗湯はがらすきであつた。高い窓から、夏らしい陽光が、乾いた洗ひ場の板敷に落ちてゐた。
「さあ湯に行かう。一体君はいつ湯に入つたんだ。」私は急き立てた。
医者であつた蘇川の父は、何か頭脳の病気で、割りに早く亡くなつた。蘇川も神経的に頭脳が痛いらしかつた。それが蘇川が何んなことがあつても、頭髪を洗つたり、櫛を入れたりしない理由であつた。風呂の嫌ひなのも、彼の驚くべき無精からだとばかりは言へないかも知れなかつた。それに私自身も、或る点無精さにかけては、蘇川とさう大した相違もなかつたので、どんな物嗅で彼があらうとも、格別気にもならなかつた。彼の立派な風貌と、何か名人らしい芸術家の素質、デリケートな鑑賞的感覚、それに私に対する愛着――それらのものが一緒になつて、どこかムマが合つた。
しかし蘇川はいつも頭脳が気になるらしいのであつた。仕事に根気がつゞかなかつた。よく少女ものを書いてゐたが、一つ作りあげるのに幾日もかゝつた。
蘇川はしかし、思ひきつて汚れた着ものを脱ぐと、流し場へ出て行つた。そして綺麗な浴槽に湛へた碧い湯のなかに立つた。彼は何時からか自分で見たこともない自分の体を、物珍らしげに眺めてゐた。ちやぶ/\湯を腹にかけたり、腕を伸ばしたりしてゐた。果ては誇らしげに、うつとりと自身の肉体美に見惚れてゐた。
「好い体してるね。」私は垢ぶかい体から発散する腋香と汗と混合になつたやうな、不思議な匂ひのする彼の体から離れたところで、湯に浸りながら言つた。
「これでも僕は童貞なんだぜ。女買ひに行つたつて、三尺はなれて寝るのさ。」彼は得意さうに言つた。
私は別に気障な言ひ草だとも思はなかつたけれど、そんなことを口にして、得意がつてゐる男が、彼の仲間にあつたのかも知れなかつた。その時は、兎に角私も彼を信じた。
流し場へあがつたが、彼はたゞ少しばかり石鹸を体につけて、手拭で軽く手足を撫でまはしたゞけであつた。頭髪は洗はずに、直きに体をふいて上つてしまつた。
私は地方新聞の返事を、もう幾日も/\待ちあぐんでゐた。原稿が返送されはしないかと、不安を感じた。風呂に入つてゐる間も、それが気になつてゐた。今は女の事といふよりも、差当り覿面に必要を感じてゐる金であつた。彼は来る日も来る日も、其の地方までの郵便物の往復の時日や、原稿料の多寡について、計算してゐた。電報か手紙かで、催促することもわかつてゐたけれど、下手に急きたてゝ、送り返されても困ると思つた。
風呂から帰つてみても、やつぱり返事は来てゐなかつた。
「これからちよい/\湯に入りたまへ。」部屋へ帰つてから、私が言つた。
蘇川はお茶を呑んでゐた。
「シヤツや何んかも、女の人が幾人もゐて洗濯しないといふのも可笑しいよ。女の癖に一体君んとこの妹さんたちはお引づり過ぎるよ。」
さう言つたところで、無駄なことは解り切つてゐたけれど、何うかすると苛々《いら/\》させられた。
「それあ解つてるんだよ。」
「弥生さんの方は、どこかしつかりしてゐるやうだけれど、いつまでも君にかゝつてゐて、何うする積りかね。」私はつけ/\言つた。
何か輝しい夢を見てゐる蘇川は、自身を何か素敵に豪い作家のやうに、妹達に思はせるやうに言つてゐるに違ひなかつた。末の妹を音楽学校へ入れて、すばらしい音楽家に仕立ててやると言つてゐる、彼の不断の抱負に聴いても、それは頷けないことではなかつた。妹達は蘇川の芸術によつて、何んなにか花々しい運命に見舞はれるかも知れないと、思ひこんでゐるものとしか考へられなかつた。こんな家をもつた事が、それ自身既にその幸運に有りついたやうな気がしてゐるに違ひなかつた。今のところ、迷信に似た其の夢から彼女たちを揺りさまさなければならなかつた。
「第一、君、筆でやつていかうと言ふのには、好いものを作るのも、無論大切なことだけれど、早く書くことを練習するのも必要なんだよ。」
しかし蘇川の夢みてゐる芸術殿堂は、私の考へてみるやうなものではなかつた。
茶の間では、静代も弥生も、だらけた姿をして、寝そべつてゐた。
暫くすると、静代の声がした。
「お兄いさま、今夜の石油がございませんのよ。おばさんのとこへ行つて、借りてきませうか。」
「おや/\」と私は思つた。
蘇川は驚きもしなかつた。
私の手元にも、もう何もなかつた。二三日前に、我々の仲間に馴染になつてゐる、越後屋がおいて行つた、粗悪な上布が一反あるきりであつた。
夕方になつてから、私と蘇川はその反物を持ち出して、春木町の質屋を訪れた。
百二三十回の、書きなぐりの原稿が出来あがつて、経済力の裕かな或る地方新聞へ発送してしまふと、それがもう六月の半ばでもあつたであらう。私はがつかりしてしまつた。勿論そればかりに全部かゝつてゐた訳ではなかつたけれど、それらの収入は知れたもので、偶に三橋亭あたりで洋食を食べるか、豆腐料理が看板の忍川へでも行つて飯を食へば、直ぐなくなつてしまふやうな金であつた。それに私達は偶には弥生もつれて、寄席へも行かなければならなかつた。
私は或る時蘇川を促し立てゝ、近所の洗湯へ行つた。昼間の洗湯はがらすきであつた。高い窓から、夏らしい陽光が、乾いた洗ひ場の板敷に落ちてゐた。
「さあ湯に行かう。一体君はいつ湯に入つたんだ。」私は急き立てた。
医者であつた蘇川の父は、何か頭脳の病気で、割りに早く亡くなつた。蘇川も神経的に頭脳が痛いらしかつた。それが蘇川が何んなことがあつても、頭髪を洗つたり、櫛を入れたりしない理由であつた。風呂の嫌ひなのも、彼の驚くべき無精からだとばかりは言へないかも知れなかつた。それに私自身も、或る点無精さにかけては、蘇川とさう大した相違もなかつたので、どんな物嗅で彼があらうとも、格別気にもならなかつた。彼の立派な風貌と、何か名人らしい芸術家の素質、デリケートな鑑賞的感覚、それに私に対する愛着――それらのものが一緒になつて、どこかムマが合つた。
しかし蘇川はいつも頭脳が気になるらしいのであつた。仕事に根気がつゞかなかつた。よく少女ものを書いてゐたが、一つ作りあげるのに幾日もかゝつた。
蘇川はしかし、思ひきつて汚れた着ものを脱ぐと、流し場へ出て行つた。そして綺麗な浴槽に湛へた碧い湯のなかに立つた。彼は何時からか自分で見たこともない自分の体を、物珍らしげに眺めてゐた。ちやぶ/\湯を腹にかけたり、腕を伸ばしたりしてゐた。果ては誇らしげに、うつとりと自身の肉体美に見惚れてゐた。
「好い体してるね。」私は垢ぶかい体から発散する腋香と汗と混合になつたやうな、不思議な匂ひのする彼の体から離れたところで、湯に浸りながら言つた。
「これでも僕は童貞なんだぜ。女買ひに行つたつて、三尺はなれて寝るのさ。」彼は得意さうに言つた。
私は別に気障な言ひ草だとも思はなかつたけれど、そんなことを口にして、得意がつてゐる男が、彼の仲間にあつたのかも知れなかつた。その時は、兎に角私も彼を信じた。
流し場へあがつたが、彼はたゞ少しばかり石鹸を体につけて、手拭で軽く手足を撫でまはしたゞけであつた。頭髪は洗はずに、直きに体をふいて上つてしまつた。
私は地方新聞の返事を、もう幾日も/\待ちあぐんでゐた。原稿が返送されはしないかと、不安を感じた。風呂に入つてゐる間も、それが気になつてゐた。今は女の事といふよりも、差当り覿面に必要を感じてゐる金であつた。彼は来る日も来る日も、其の地方までの郵便物の往復の時日や、原稿料の多寡について、計算してゐた。電報か手紙かで、催促することもわかつてゐたけれど、下手に急きたてゝ、送り返されても困ると思つた。
風呂から帰つてみても、やつぱり返事は来てゐなかつた。
「これからちよい/\湯に入りたまへ。」部屋へ帰つてから、私が言つた。
蘇川はお茶を呑んでゐた。
「シヤツや何んかも、女の人が幾人もゐて洗濯しないといふのも可笑しいよ。女の癖に一体君んとこの妹さんたちはお引づり過ぎるよ。」
さう言つたところで、無駄なことは解り切つてゐたけれど、何うかすると苛々《いら/\》させられた。
「それあ解つてるんだよ。」
「弥生さんの方は、どこかしつかりしてゐるやうだけれど、いつまでも君にかゝつてゐて、何うする積りかね。」私はつけ/\言つた。
何か輝しい夢を見てゐる蘇川は、自身を何か素敵に豪い作家のやうに、妹達に思はせるやうに言つてゐるに違ひなかつた。末の妹を音楽学校へ入れて、すばらしい音楽家に仕立ててやると言つてゐる、彼の不断の抱負に聴いても、それは頷けないことではなかつた。妹達は蘇川の芸術によつて、何んなにか花々しい運命に見舞はれるかも知れないと、思ひこんでゐるものとしか考へられなかつた。こんな家をもつた事が、それ自身既にその幸運に有りついたやうな気がしてゐるに違ひなかつた。今のところ、迷信に似た其の夢から彼女たちを揺りさまさなければならなかつた。
「第一、君、筆でやつていかうと言ふのには、好いものを作るのも、無論大切なことだけれど、早く書くことを練習するのも必要なんだよ。」
しかし蘇川の夢みてゐる芸術殿堂は、私の考へてみるやうなものではなかつた。
茶の間では、静代も弥生も、だらけた姿をして、寝そべつてゐた。
暫くすると、静代の声がした。
「お兄いさま、今夜の石油がございませんのよ。おばさんのとこへ行つて、借りてきませうか。」
「おや/\」と私は思つた。
蘇川は驚きもしなかつた。
私の手元にも、もう何もなかつた。二三日前に、我々の仲間に馴染になつてゐる、越後屋がおいて行つた、粗悪な上布が一反あるきりであつた。
夕方になつてから、私と蘇川はその反物を持ち出して、春木町の質屋を訪れた。
[#5字下げ]四[#「四」は中見出し]
或る日も私は家を出て、ふら/\池の端を歩いてゐた。蘇川は昼すぎに何処かへ出て行つたきりであつた。私とはさう深い親しみのない人達で、蘇川に好意をもつてゐる友人が二三あつた。蘇川は多分さういふ人達からも、金を借りてゐたが、今日の用件も多分そんな事だらうと思はれた。七軒町のところで、私はこの頃ちよく/\遊びにやつて来る、田中といふ若い大工に出逢つた。田中は色の白い、細面の、江戸ツ児型のいなせな兄いであつた。姉が下谷に出てゐた芸者で、清元の師匠をしてゐるとのことであつたが、田中も好い咽喉をもつてゐるといふことを、私は来たてから蘇川に吹聴されてゐた。
田中は仕事から帰ると、風呂の帰りなどに時々立寄つて、花柳界や芸人の話などをして聞せた。
「田中さん一つお聞かせなさいよ。」
妹達が水を向けても私の部屋などでは、そんな気分にもなれないらしかつた。
その田中さんに逢つて、しばらく一緒に歩いた。
「あすこも近頃大分荒れて来たやうですね。」田中は気の毒さうに言つた。
「あんなに多勢ぶら下つてゐるんだもの。」
私達は、この後色々の会場に使はれるやうになつた、広い草ツ原を歩いてゐた。そこでは何時でもボールが飛んでゐた。
「それもありますが……貴方知らないんですか。」
「何ですか。」
「あすこへ若い人が始終来てませう。あれでさ。随分のそツとしてるぢやありませんか。」
田中の話によると、それは蘇川の従兄に当る医学博士の弟で、この頃時々蚊帳のなかで、妹達と雑魚寝をしてゐるといふのであつた。
「だらしがないつたらありませんね。私共でさへ目に余るくらゐですよ。何しろ蘇川さんも少し監督が行届きませんよ。」
田中に別れてから、私は何か不愉快な思ひで、池のまはりを歩いてゐた。蓮の葉の匂ひが仄かに鼻を掠めた。
それもあつたが、私は近いうち今の共同世帯を解散することに略決めてはゐたけれど、蘇川は蘇川で、きつと私に不満を感じてゐるであらうことも、考へられないことではなかつた。
その上私は、地方へ送つた原稿が、採用されるにはされたが、ひどく値切られて来たのに力を落してゐた。仲介者のN文学士から聞いてゐた額の、ざつと三割強くらゐの額であつた。しかしそれだけでも、現在の私に取つては生命線であつた。私は忍んで妥協するより外なかつた。何かしら反撥的なものか、私のうちに動いてゐた。
対岸の家並みから、柳の枝葉を洩れて灯影がちら/\して来た比、私は草つ原を突つきつて、七軒町の方へと歩いた。するとちやうどその時、蒼い黄昏のなかを、今私が出ようとしてゐる方向を、こつ/\帰つて来る蘇川の姿が目についた。彼は何時からか着たきりになつて、もう好い加減汗くさくなつてゐる私の薩摩絣を着て、編みあげを穿いてゐた。薩摩絣は膝の少し下くらゐしかなかつた。彼の顔は深い思ひに沈んでむいてゐたが、歩きぶりは何処か傲岸らしく見えるくらゐ、昂然としてゐた。私はこの二三日、彼が何んなにか金策に苦しんでゐるであらうことを、十分知つてゐた。そして其の瞬間彼に追つかうとして足を早めてみたが、この場合何か圧倒されさうな感じで、近よつて行く気がしなかつた。私はわざと踵をかへして彼を遣り過した。
翌日の昼過ぎ、私は家主から呼び立てられた。
家主の家は直ぐ近くにあつた。彼はこの界隈の重なる家作の持主であつたが、若い子息は可なりに聞えた歯科医であつた。
家主は私を上へあげて、少し赤い顔をして、無論物軟かに立退きを申入れた。私は抗争しなかつた。寧ろ好い契機《きつかけ》だと思つた。
帰つてくると、蘇川は不安さうに私を迎へた。
「何だつて?」
「立退いてくれといふんだ。」
「承知して来た?」
「さうするより外ないぢやないか。僕が責任を背負つてゐるとすれば。」
「だがね、かういふ場合には、立退料を請求するつてこともあるんだよ。」
そのまゝ私は彼の部屋を出た。
暫くすると静代が入つて来た。
「こゝお出になるんですて。」
「家主が立退いでくれといふんだから、解散した方が可いと思ふ。」
「さうですか。でも今が今つて訳ぢやないでせう。」
「いや、それあさうぢやないんだ。それに貴女達も、今のうち各自の方向を決めた方がいゝと思ふね。」
「私たちですか。」
「貴女も弥生ちやんも。」
弥生も入つて来た。
「弥生ちやんにも言つておくけれどもね、貴女方は大体兄いさんを買ひかぶつてゐるんだよ。僕もさうだけれど、兄いさんだつて、今のところ自分一人の生活すら何うかと思ふんだ。貴女たちが二人も三人もぶら下つてゐたんぢや、何うにもならないてことは、十分わかつてゐる筈ぢやないか。蘇川君自身は貴女たちに何んと言つてるか知らんけれど、貴女たちが思つてゐるやうに、さう豪くないんだよ。兄いさんを豪くしたいなら、各々自分で道を切開いて行くより外ないんだ。この生活を今後続けてみたところで、何うにもならないことは、解り切つてるぢやないですか。お互ひに廃頽して行くばかりなんです。この機会にここを解散して、各自に新しく第一歩を踏み出すんです。貴女方は何よりも自分自身のことを考へなけあ駄目なんだ。」
私は少し懲りすぎてゐたので、自身の言葉の空虚を感じて、それ以上言ふことを控へた。
弥生は姉にくらべて、きりりとしてゐた。
「わかりますわ。私もさうしようと思つてゐたんですの。」
「さう! 元のところへ還りますか。」
「あんな男のとこへなんか……。」弥生は笑つた。「人にたよらないだつて、私は私でやつて行きます。」
私は微笑ましくなつた。
或る日も私は家を出て、ふら/\池の端を歩いてゐた。蘇川は昼すぎに何処かへ出て行つたきりであつた。私とはさう深い親しみのない人達で、蘇川に好意をもつてゐる友人が二三あつた。蘇川は多分さういふ人達からも、金を借りてゐたが、今日の用件も多分そんな事だらうと思はれた。七軒町のところで、私はこの頃ちよく/\遊びにやつて来る、田中といふ若い大工に出逢つた。田中は色の白い、細面の、江戸ツ児型のいなせな兄いであつた。姉が下谷に出てゐた芸者で、清元の師匠をしてゐるとのことであつたが、田中も好い咽喉をもつてゐるといふことを、私は来たてから蘇川に吹聴されてゐた。
田中は仕事から帰ると、風呂の帰りなどに時々立寄つて、花柳界や芸人の話などをして聞せた。
「田中さん一つお聞かせなさいよ。」
妹達が水を向けても私の部屋などでは、そんな気分にもなれないらしかつた。
その田中さんに逢つて、しばらく一緒に歩いた。
「あすこも近頃大分荒れて来たやうですね。」田中は気の毒さうに言つた。
「あんなに多勢ぶら下つてゐるんだもの。」
私達は、この後色々の会場に使はれるやうになつた、広い草ツ原を歩いてゐた。そこでは何時でもボールが飛んでゐた。
「それもありますが……貴方知らないんですか。」
「何ですか。」
「あすこへ若い人が始終来てませう。あれでさ。随分のそツとしてるぢやありませんか。」
田中の話によると、それは蘇川の従兄に当る医学博士の弟で、この頃時々蚊帳のなかで、妹達と雑魚寝をしてゐるといふのであつた。
「だらしがないつたらありませんね。私共でさへ目に余るくらゐですよ。何しろ蘇川さんも少し監督が行届きませんよ。」
田中に別れてから、私は何か不愉快な思ひで、池のまはりを歩いてゐた。蓮の葉の匂ひが仄かに鼻を掠めた。
それもあつたが、私は近いうち今の共同世帯を解散することに略決めてはゐたけれど、蘇川は蘇川で、きつと私に不満を感じてゐるであらうことも、考へられないことではなかつた。
その上私は、地方へ送つた原稿が、採用されるにはされたが、ひどく値切られて来たのに力を落してゐた。仲介者のN文学士から聞いてゐた額の、ざつと三割強くらゐの額であつた。しかしそれだけでも、現在の私に取つては生命線であつた。私は忍んで妥協するより外なかつた。何かしら反撥的なものか、私のうちに動いてゐた。
対岸の家並みから、柳の枝葉を洩れて灯影がちら/\して来た比、私は草つ原を突つきつて、七軒町の方へと歩いた。するとちやうどその時、蒼い黄昏のなかを、今私が出ようとしてゐる方向を、こつ/\帰つて来る蘇川の姿が目についた。彼は何時からか着たきりになつて、もう好い加減汗くさくなつてゐる私の薩摩絣を着て、編みあげを穿いてゐた。薩摩絣は膝の少し下くらゐしかなかつた。彼の顔は深い思ひに沈んでむいてゐたが、歩きぶりは何処か傲岸らしく見えるくらゐ、昂然としてゐた。私はこの二三日、彼が何んなにか金策に苦しんでゐるであらうことを、十分知つてゐた。そして其の瞬間彼に追つかうとして足を早めてみたが、この場合何か圧倒されさうな感じで、近よつて行く気がしなかつた。私はわざと踵をかへして彼を遣り過した。
翌日の昼過ぎ、私は家主から呼び立てられた。
家主の家は直ぐ近くにあつた。彼はこの界隈の重なる家作の持主であつたが、若い子息は可なりに聞えた歯科医であつた。
家主は私を上へあげて、少し赤い顔をして、無論物軟かに立退きを申入れた。私は抗争しなかつた。寧ろ好い契機《きつかけ》だと思つた。
帰つてくると、蘇川は不安さうに私を迎へた。
「何だつて?」
「立退いてくれといふんだ。」
「承知して来た?」
「さうするより外ないぢやないか。僕が責任を背負つてゐるとすれば。」
「だがね、かういふ場合には、立退料を請求するつてこともあるんだよ。」
そのまゝ私は彼の部屋を出た。
暫くすると静代が入つて来た。
「こゝお出になるんですて。」
「家主が立退いでくれといふんだから、解散した方が可いと思ふ。」
「さうですか。でも今が今つて訳ぢやないでせう。」
「いや、それあさうぢやないんだ。それに貴女達も、今のうち各自の方向を決めた方がいゝと思ふね。」
「私たちですか。」
「貴女も弥生ちやんも。」
弥生も入つて来た。
「弥生ちやんにも言つておくけれどもね、貴女方は大体兄いさんを買ひかぶつてゐるんだよ。僕もさうだけれど、兄いさんだつて、今のところ自分一人の生活すら何うかと思ふんだ。貴女たちが二人も三人もぶら下つてゐたんぢや、何うにもならないてことは、十分わかつてゐる筈ぢやないか。蘇川君自身は貴女たちに何んと言つてるか知らんけれど、貴女たちが思つてゐるやうに、さう豪くないんだよ。兄いさんを豪くしたいなら、各々自分で道を切開いて行くより外ないんだ。この生活を今後続けてみたところで、何うにもならないことは、解り切つてるぢやないですか。お互ひに廃頽して行くばかりなんです。この機会にここを解散して、各自に新しく第一歩を踏み出すんです。貴女方は何よりも自分自身のことを考へなけあ駄目なんだ。」
私は少し懲りすぎてゐたので、自身の言葉の空虚を感じて、それ以上言ふことを控へた。
弥生は姉にくらべて、きりりとしてゐた。
「わかりますわ。私もさうしようと思つてゐたんですの。」
「さう! 元のところへ還りますか。」
「あんな男のとこへなんか……。」弥生は笑つた。「人にたよらないだつて、私は私でやつて行きます。」
私は微笑ましくなつた。
間一日おいて地方から届いた金を受取ると、私はまた元の下宿の二階の部屋に落ちついた。
私は白い足袋も女も厭になつた。[#地付き](昭和8年7月「経済往来」)
私は白い足袋も女も厭になつた。[#地付き](昭和8年7月「経済往来」)
底本:「徳田秋聲全集第17巻」八木書店
1999(平成11)年1月18日初版発行
底本の親本:「経済往来」
1933(昭和8)年7月
初出:「経済往来」
1933(昭和8)年7月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
1999(平成11)年1月18日初版発行
底本の親本:「経済往来」
1933(昭和8)年7月
初出:「経済往来」
1933(昭和8)年7月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ