「Wish」 ◆gry038wOvE



『わたしのおかあさん』

 わたしのおかあさんはプレシア・テスタロッサといいます。
 おかあさんは技術かいはつの会社につとめる技術者です。おかあさんはかいはつチームのリーダーで、なかよしのかいはつチームのみんなといっしょに、世界でくらすみんなのためになる技術をまいにち研究しています。
 おかあさんはいつもいそがしいけど、だけどすごくやさしいです。
 毎日つくってくれるごはんはいつもおいしいし、夜はいっしょのベッドで寝ます。
 ことしの誕生日は2人でピクニックに出かけました。
 いつもいそがしいおかあさんだけど、こういうときは一日中いっしょにいられるのでうれしいです。たのしくてうれしくて「ママ大好き」って言うと、、おかあさんはいつもちょっと寺ますが、だけどいつもあとで『ぎゅっ』ってしてくれます。
 そんな照れ屋でやさしいおかあさんのことが、わたしはほんとうにだいすきです。

 ──アリシア・テスタロッサの作文(Magical Girls Lyrigal NANOHA MOVIE 1st THECOMICS)より






 レイジングハート・エクセリオンにとって、その夜はいかに深い夜だろう。
 この殺し合いになのはとともに巻き込まれて、まだ一日も経っていないが、ただ待っている時もレイジングハート自身の疲労は加速していくばかりであった。こんな途方もない疲労感を抱えながら何時間も待ち続ける事に、いまや何の抵抗も示さないようになってきている。──そう、これで二回目だ。
 なのはを喪った戦いの後、駆音に拾われるまで。
 そして、駆音が黄金騎士に斬られた今。
 駆音の遺体は、薄暗い煙と化して消え去って行き、衣服と首輪だけが残った。──もはや、レイジングハートたりとも駆音の顔を忘れかけ始めているほど。
 残存した彼の首輪を通じて聞こえたのは、やはり悲しい結果と言わざるを得ない報告である。
 バラゴの名前は勿論の事、アインハルト・ストラトス、一文字隼人、梅盛源太などといったホテルの知り合いの各人の名前も呼ばれている。その他の命も、割り切っていいものではないだろうが、参加者ではないレイジングハートにとって、真っ先に着目された名前は主にその数名だった。
 冴島鋼牙、涼邑零、ノーザ、筋殻アクマロの名前はこの放送では呼ばれる事はなかった。敵対する人間の名前そのものが全く呼ばれないのだった(尤も、それは当たり前の事だが)。 善良な人間ばかりが死に、あくどい人間ばかりが現状で生き残っているというのだ。世の中というものがいかに残酷なのか、はっきりとわかる。

 放送の男の口調は、レイジングハートにとっても、全く気に食わないという他ない。あまりにもネジの外れた日本語に、嫌悪感は増大した。生命倫理というものを一切持たない不愉快な人造生命だと、レイジングハートは解釈する。
 ここまでで初めて耳にした放送だったが、あの言葉が人の口から出てくる言葉だとは信じられなかった。善でも、悪でもなく、ただ無邪気に命を弄んでいるかのような、そんな恐ろしささえ感じるようであった。

 そして、たとえ声が消えてなくなっても、首輪から漏れる放送の音を耳にしてレイジングハートを救い出す者はいなかった。






 主催陣がいる一室──吉良沢優は、ガイアメモリを見つめていた折、来客が現れるのを察知した。敵意のある人間が突然押し寄せてきたわけではないのは、吉良沢にもよくわかった。椅子を回転させて、来客に挨拶する。
 来客の顔を見て、吉良沢も少し驚いたように目を見開く。

「君は……アリシア・テスタロッサか。眠らなくて大丈夫かい」

 金髪の幼女、アリシア・テスタロッサ。同年代の名子役がいくら作ろうとしても無理が生じるであろう、感情のない瞳で、吉良沢を見つめる。
 彼女は別に表情がないわけではない。笑ったような顔を見せる事も、困ったような顔を見せる事もできるが、どれも希薄化する感情の中で振り絞られた、歪みある表情であった。

 あるいは、この状況下で平然と喜怒哀楽を顔に出せるのも、彼女の感情がNEVERの支配によって壊れかけている証であるともいえるだろう。大道克己、泉京水、堂本剛三、加頭順、そしてアリシア・テスタロッサ──ここまで五人のNEVERの姿を見ているが、確実に共通しているのは、「生命」という観念の有無だ。
 少なくとも、身内の死に一憂する事はあるだろうが、通りすがりの誰かが死んでも不快感さえ表さない。常人ならば、人の死に対して何かしらの不快感を得るはずだが、彼らはそれが無いのだ。そして、おそらく自身の死さえも、何とも思わないのだろう。
 アリシアもまた、本来なら誰かの死に対して感じるはずの「不快感」もなく、死に対して妙に達観し、諦観したような少女となっていた。

「眠れと言われても、最低九時半までは無理なんだ……」

 アリシアの徹頭徹尾、冷えた口調。──吉良沢も、こうしてアリシアと対面して話すのは殆ど初めての話だが、天使のような外見とのギャップは凄まじい。まだ呂律が回らないような年頃ながら、その言葉遣いも妙に鋭い。
 幸いなのは、敬語を使わない事だろうか。敬語を使い始めると、それこそかえって落ち着きすぎて恐ろしいほどである。プレシア・テスタロッサが忌み嫌ったフェイトの面影はどこにもない。彼女の生真面目さよりかは、アリシアの無邪気さそのままに、性格に支障をきたし始めているのがわかっていた。だからこそ、プレシアはこんな風に狂いを見せているアリシアを突き放す事もしない。母に対してはまだ少なからず甘えているようで、そこは大道克己に似通っているような気がした。
 吉良沢は、気にしない風に口を開いた。

「そうか……。それで、何の用?」
「……別に、何でもない。ただの暇つぶし」

 用がない……。それで吉良沢のところに来る理由もまた、何となくわかった。

 吉良沢にしろ、アリシアにしろ、異界の道具を使わなければ「変身」ができない同士、孤独なのだ。ダークザイドにも、外道衆にも、砂漠の使徒にも、グロンギ族にも、魔法少女にも、BADANにも、財団Xにも属さず、まあ言ってみれば完全な普通の人間。既に亡くなった八宝斎もそうだが、「ガイアメモリ」を支給されなければ変身もできない。
 魔法の素養があり、死者にまでなったアリシア。
 来訪者の声を聞いて、未来を予知する事も可能だったプロメテの子・吉良沢。
 常人に比べれば勿論、特殊な出生ではあるが、その中にもまだ変身能力は絡んでいない。充分まっさらな人間である二人だ。なんとも、自分が場違いな感じがしてならない。

 尤も、変身などしたくもないだろうが……。
 いくら吉良沢でも、ガイアメモリという未知の道具の利用など、恐ろしくて仕方がない。これまでも散々その危険性を目の当たりにしてきた。ガイアメモリの危険性を知ったうえで、護身用とはいえ渡されたメモリを使用するのには躊躇がいるというものである。一応、安全利用するためのガイアドライバーは受け取っているが、それがあるからといって安心もできない。
 ともかく、吉良沢は顔色を変えずにアリシアに訊いた。

「……丁度僕も退屈なんだ。気の合いそうな人はここには全くいない」
「そう」
「……君は、フェイト・テスタロッサと同じ世界の人間だね。言ってみれば彼女のオリジナルだ」

 複製に対する複製元──月影ゆりとダークプリキュアの奇妙な顛末を見ても、それを姉妹と呼ぶのに、吉良沢だけは、抵抗を持っていた。来訪者の伝えによってダークザギの出生を知っている彼は、ダークザギをウルトラマンノアの弟とは思わない。
 彼らはお互いの宿命上、殺し合わなければならない光と影である。
 まあ、フェイトやダークプリキュアの場合は、プレシアやサバーク博士のような、オリジナルと共通の親を持っているがゆえに、もう少しわかりやすい関係だが。

「……お姉ちゃん、とも呼ぶかもしれない。そう、お姉ちゃんなんだよね、わたし」

 アリシアは、そう言った。彼女は少なからずそう想っているのだろうかと吉良沢は思った。しかし、言葉のわりに他人行儀で、殆ど悲しみ、苦しみの感じられない声だった。フェイトに対して、「姉」として接する機会を一秒も持たなかったとはいえ、その死に対して一切の感情を見せる様子もない。
 ただ、何かを確認するような言葉だった。
 姉の責任を確認するのか、妹への愛を確認するのか。いや、彼女の場合はどちらでもなかった。
 彼女が確認したかったのは、そう──

「私はこれからあのデバイスのところへ行くの。彼女は私の顔を見てどう思うのかな」

 ──自分の顔が、フェイトと酷似しているという事実、だけだ。
 初対面になるが、もしレイジングハートがアリシアの顔を見たらどんな反応を示すか、そこに興味がわいたのだろう。
 吉良沢は、やはりと思いながら、感情を除いて彼女と言葉を交わした。

「……あのインテリジェントデバイスも特殊条件に合致したんだっけ。だから九時半まで眠れないのか」

 レイジングハートはどういう理屈か、特殊条件に合致した。別になのはにもバラゴにもナイトレイダーの隊員が絡む事は殆どなかったので、レイジングハートの情報はあまり目を通していないが、制限解除に関する概説は見ている。
 何でも、レイジングハートは呪泉郷の水を浴びたらしいのだ。
 通常は呪泉郷に入る相手といえば人間だが、この場には意思を持つアイテムもあるし、実質的に生物に近い存在や、生物であった物も存在するので、もしそれらが条件を満たした場合については、これまで空間で制限をかけるようにしていた。しかし、人数の減少に伴い、あらゆる制限機能を解除する事が決定した。
 明日より、その制限の解除が行われるらしい。二日目以降は、更に敵が増えるという事だ。

「……そうか。でも、いくら元が人間ではないといっても、あの姿で冴島鋼牙を倒すのは無理だろうね」

 吉良沢は冷静に状況分析して呟く。
 殺し合いゲームは加速している。ほぼ全員が変身能力者である現状、普通の若い娘の姿になったレイジングハートが殺し合う事ができるだろうか。彼女の現状の目的は、殺し合いではなく鋼牙や零への(吉良沢から見れば濡れ衣そのものな)復讐だが、それさえ難しい。
 彼らにはそう簡単に倒す隙が無いに違いないだろう。

「ううん。……そうとも言えないと思う」

 しかし、返ってきたのはアリシアによる否定。
 自信に溢れているわけではないが、口調は少しばかり強かった。

「彼女にも支給品を一つだけあげるの」

 アリシアの左手には、一本のT2ガイアメモリが握られている。
 それはアリシアに支給されているメモリではない。──彼女に支給されているのは吉良沢と同じくミュージアム製のガイアメモリだったはずだ。
 今、彼女が手にしているのはT2ガイアメモリの中でも、マップ内には存在していない稀有なメモリ。

 それは──

『DUMMY』

 敵の記憶を読み取り、死者に擬態する事もできる特殊なメモリ。かつて、死人還りと呼ばれる事件を引き起こしたデス・ドーパント──否、ダミー・ドーパントに変身する能力を持っている。
 使いようによっては最強のガイアメモリである。
 イエスタデイメモリとダミーメモリの二本は、能力そのものの強力さがバランス崩壊を引き起こすため、支給品・村エリアともに完全に支給外のメモリだったのである。

「……なるほど。最強のガイアメモリか」

 ダミーには、相手の記憶を読み取る能力があるが、その能力を使って鋼牙や零の潔白を証明する事は──果たして、できるのだろうか。
 吉良沢は、ダミーの能力がどの程度、主催に都合よくいじくられているのかを勘ぐりつつも、アリシアの瞳を見つめた。その瞳は、感情こそ失われているように見えるが、そうした卑怯な知略を得るには、まだ幼かった。NEVERであっても、この幼さではそんなずる賢さも生まれない。このメモリを用意したのは別の人間だ。
 吉良沢は、財団Xの白い服のNEVERの顔を思い出した。






 ──そして、時間は、何という事もなく九時半を回った。

 レイジングハートは、誰にも見つかる事なく、実質、放置されたまま「単独行動」を貫いた。実際のところ、誰かに拾われた場合に自動的に人の姿になられると彼女も困惑するだろうが、レイジングハートが何者かに拾われる可能性など皆無に等しい。
 現状では、彼女も抜け殻のような黒衣の中に隠された石ころだ。誰かが来るような場所でもなかったし、この森林の夜に黒衣の下の輝きに気づく者もいない。

 誰かが、地面に放られているその黒衣を捲った。ピンポイントでその場所にレイジングハートが居る事を感知している誰かが。

『……?』

 突如、自分を覆う黒い幕が消えた時、レイジングハートは一体どう思ったのだろう。
 救いとは思わなかったかもしれない。何も期待はしていなかった、何も希望を持たなかった。しかし、ただその暗闇を捲り上げたのが誰なのか、レイジングハートは気にかけた。
 そして、いざその顔を認識した時に、レイジングハートはひとたび驚いたに違いない。

『Fate……!?』

 フェイト・T・ハラオウンと瓜二つの顔が、そこにはあった。
 フェイトより数歳幼い……という事さえ、今のレイジングハートが認識するのは少し遅れたようだった。ただし、それに気づいて、尚更正体がつかめなくなったようである。
 見たところ、実体ではなく、それは幻。魔力もそこからは感じない。──一瞬、夢でも見ているのかと思ったほどだ。

「あーあ、やっぱり、そういう反応か……でも違うんだよ。わたしはアリシア・テスタロッサ。……あ、わたしが死んでるはずだとか、そういうのは、今はいいから、それはまた後で考えてね」
『……』

 アリシアも眠気が襲い始めているので少し早口だった。死んだのは五歳。流石にこの時間も普段は寝ている。レイジングハートは、アリシアの名前を聞いた瞬間は驚いたが、何かを口にする前にアリシアに言葉を遮られ、何も言えなくなってしまった。
 レイジングハートも、実際に会った事はなくともその名前だけは知っている。フェイトは彼女を模して造られた。ジュエルシード事件の時も鍵を握る存在である。彼女が今ここにいるのは驚きであるが、これまでの流れを見ていると、考えてみれば、この場ではそうそう珍しい事ではないのだろうと自分を納得させた。

「ねえ、レイジングハート、あなたはバラゴ……えっと、龍崎駆音の手で、水を浴びたでしょ?」
『……Yes』

 覚えていないにしろ、バラゴの手で謎の水に体を漬けさせられた事がある。

「あの水は、浴びた者を特殊な体質にする水なの。中でもあなたが被った水は、入った者を若い娘の姿に変身させる娘溺泉。……そのうち、あなたは水を被ると娘になり、お湯を被ると今の姿に戻る……。そんな変身体質を得る事になる」
『My body becomes human……?』
「そう、その時が来たら、支給品が一つあなたの手に渡る。……良ければ、それを使って? ほら、こんな風に……」

 レイジングハートが見れば、アリシアの体には金色のベルトが巻かれていた。本郷猛のように、腰部に変身ベルトを巻き付けていたのである。
 それも全てホログラムかもしれないが、どこかでアリシアの実態が変身を行おうとしているのは確かだった。アリシアは左手で金色のガイアメモリのボタンを押した。

──CLAYDOLL──

 クレイドール。ゴールドクラスのガイアメモリに宿された土細工の記憶が電子音を鳴らす。
 アリシアはそのメモリをガイアドライバーに挿入し、その姿を光らせる。──その姿が異形へと変身するのに、数秒も待たなかった。
 ハロウィンに仮装した人間がこんな姿になるだろうか。
 白と茶色。土の色をした不気味な案山子人形のような怪物。そこには人の面影はあっても、アリシアの面影は見当たらない。

「あなたに支給されるT2ガイアメモリには、このガイアドライバーは必要ない。体のどこに挿してもあなたは変身できる。……やりたい事があるなら、あなたは自分自身の力でそれを行える。わたしからの説明はこれだけ。あとはまあ、好きになりなよ」

 アリシアの、──いやクレイドール・ドーパントの姿はその言葉とともに消えていく。
 ホログラムが消え、レイジングハートは再び一人になった。

『Phantom……? ……No』

 少しだけ、それが完全に自分の心が生み出した「幻」である可能性を考えながら、やはりレイジングハートはその可能性を否定した。現状でそこまでシステムに異常をきたす事はないだろうと思う。自己管理できるシステムは生きているだろう。
 そうなると、アリシアが現れた事もそうだが、何より自分が人になるという事が引っかかった。
 自分の姿が、なのはたちと同じ「人間」になるという、考えもしなかった事実。美しく、強く、優しく、儚いあの人間の姿になるという事──それを、レイジングハートはどう捉えただろう。
 吉か、凶か。どちらと呼ぶべき話なのだろう。

『……Master , Fate , Yuuno , Karune……』

 己が知る人間たち。その姿に自分の身を移し替える事が、レイジングハートは怖かった。
 確かに彼女たちは素晴らしい人間であったが、その姿を自分が維持し、歩き、人間のようにふるまう事が出来るのだろうか。四肢を持ち、微かな視点しか持たない彼女たちの体で自分は動けるだろうか。
 妙な不安感を持っている。
 そして、同時に、自分が醜く穢れていく事も、弱く脆い人間にならないだろうかという恐ろしさ。──他人に容易に危害を加える事もできるあの暴力的な手足が、感情に任せて悪に動いてしまわないかと言う恐怖。
 あらゆる想いがレイジングハートの胸を騒がせる。
 期待、というものは持っていなかったが、ただひとつ──冴島鋼牙や涼邑零、ノーザやアクマロと戦いに行ける事は、唯一果たさなければならぬ悲願であった。






 ──アリシア・テスタロッサが、主催者たちの元へ帰っていく。用を終えるのはすぐだった。たかだか三分足らずの用事のためにこんな時間まで起こされていたと思うと腹立たしいと思うかもしれないが、もともとプレシアが伝えに行く予定だったものをアリシア自身が退屈しのぎに行う事にしたのである。だから彼女は文句を言わない。

 この時間、彼女は眠りにつく予定だった。アリシアはこの殺し合いの運営には殆ど無関係に、プレシアにくっついているだけである。かつての事故をトラウマにしているプレシアは、生き返った娘を傍に置いている。しかし、それでは退屈だと、アリシアは、殺し合いの様相を目に焼き付け、ちょっとした手伝いをしていた。そこには純粋な興味関心みたいなものもあったのだろうか。

「おかえり、アリシア」

 プレシアはその部屋で、財団Xのメンバーから送られてくる殺し合いのデータに目を通しながら、アリシアの方に目を向け、声をかけた。66人分のデータは全て財団Xの加頭の部下が管理し、通信で必要情報(交戦、死亡、負傷、スタンスの変化、特殊な動向など)が送られてくるのだ。流石にしばらくは目を通すつもりでいる。そんなプレシアに対し、アリシアは、小さな声で「ただいま、ママ」と言って、プレシアに少しだけ目をやって、そのままベッドの方へ向かっていった。彼女は別に疲労している様子はない。
 アリシアの背中を目で追いながら、プレシアは動きを止め、押し黙った。プレシアの顔から、張り付いたような笑みが消える。
 ……やはり、アリシアは、プレシアの方に駆けつけて抱き寄る事もなかった。プレシアも、何故か彼女を、心から温かく迎え入れる事ができなかった。
 顔は笑っているし、アリシアがここにいる事は嬉しく思う。
 それでも──

(何か、違う……)

 プレシアはそう思った。
 これまで、プレシアはアリシア・テスタロッサの蘇生を考えて二十六年も生きてきた。そのためにこの殺し合いで主催運営の一端を担う事になった。風都工科大学のNEVERの技術を利用し、アリシアが蘇る事になったのである。そのリスクなどは、定期的な酵素注入以外は教えられなかった。それもまあ、アリシアが蘇るならばと、代償の一つとして飲み込んだ。
 それでいい。それでも、アリシアが生きていればそれでいいはずだった。
 これまで、アリシアを求め続けて研究してきた努力を神は見ていたのだ。それが人体蘇生を可能とする異世界の誘いをよこした。アリシアは再びこの世界の空気を吸えるのだ。誰も苦しませない、まっさらな酸素を。きっと、死に際にアリシアが求め続けたであろう、穢れの無い綺麗な空気を。

 ……しかし、そうして蘇ったアリシアは、かつてのアリシアとどこか、いや、全く違った。以前は明るく、無邪気で優しい子供だったはずなのに、今はむしろ正反対だ。ただ姿だけがアリシアのまま、感情の無い悪魔のような姿になっている。
 そう、喩えるなら、フェイト・テスタロッサとアリシア・テスタロッサの中間のような──嫌いになりきれないが、好きだと断言する事もできない、そんなアリシア。その姿に、プレシアも疑問を持ち始めていた。

(違う……? そんなわけ、ないじゃない……。あの子はアリシア、……きっとそう)

 かつて、リニスが届けてくれたアリシアの作文。
 今夜もまた、プレシアはその作文を読みながら、この違和感を別の感情で埋めようとする。
 あのアリシアの手が、この作文を書いたのだ。スケッチブックにクレヨンで描かれた母の絵も、ここに大事に取ってある。全て彼女の左手が生み出した小さな芸術だ。
 大丈夫、ここにいるプレシアは左利きだし、ちゃんと我が儘も言う事がある。──フェイトの時に抱えた違和感が少しだけでも晴れていれば、それが何とか違和感をおしこめる事ができた。
 あの作文を読んだ時は涙を流した。あの絵を見た時は慟哭した。生半可な幸せは、それを崩した時に人を狂わすのかもしれない。
 だが、今の彼女はそれを見て微笑む事ができる。微笑む事ができるのに、どこか心にわだかまりを持たずにはいられなかった。

(フェイト……とは、あんな子とは違う……。でも……)

 プレシアは、先ほどから何度か、フェイト・テスタロッサのこの場での一連の行動を再生していた。右手を利き腕に戦うフェイトの姿も、従順に母のために戦おうとするその信念も、アリシアは嫌っていたが、何だか妙にその姿が恋しくなった。
 アリシアは、思い出話に付き合ってくれない。まるで記憶が抜け落ちているかのように。たまにだけ、作文や絵を見て、その事を思い出したように、ほんの少し語るだけだ。
 フェイトは、きっと思い出話には付き合ってくれる。彼女はアリシアの記憶を引き継いでいるのだから。アリシアと二人いれば、ようやくこの違和感は完全に晴れてくれるような気さえする。

 ……別にフェイトを認めているわけじゃない。
 代替品だった彼女の台詞──「おかあさん」。その言葉を、彼女の声でもいいから聞きたくなったのだ。

 もうフェイトはこの場にはいない。確かに死んでしまった。その時はプレシアも、何か感じる事はなかった。別に彼女が死のうが生きようがどうでもよかったのだ。
 しかし、今思えばフェイトも、微かにはアリシアに似ていたし、今のアリシアには足りない何かが、根っこにあったのではないかと感じてしまう。
 リニスと殆ど同じ山猫を連れてきても、アリシアはその頭を撫でない。あろう事か、触れようともしない。
 フェイトなら、きっと、その頭に手を乗せるだろう。──しかし、それももう叶わない。

 死んだら二度と蘇らない。そんな命の法則に逆らう願いというのは、常に最悪の結末しか生まない──その事に、プレシアは気づきながらも、その事実を必死にかき消さざるを得なかった。



【1日目 夜中】
【D-8 森】

【レイジングハート・エクセリオンについて】
※第三回放送指定の制限解除を受け、2日目以降に娘溺泉の効果が発動します。
※若い娘の姿に変身した時にT2ダミーメモリが支給されます。

【バラゴの遺体について】
※消滅しました。

【主催陣営について】
※アリシア・テスタロッサはガイアドライバーとクレイドールメモリを所有しています。
※参加者個人個人の管理はおそらく財団Xの下っ端が行っています。


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レイジングハート・エクセリオン Next:The Gears of Destiny - 託される思い、激昂の闘姫 -
Back:第三回放送X プレシア・テスタロッサ Next:第四回放送Y(前編)
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最終更新:2017年01月15日 03:08