The Gears of Destiny - 託される思い、激昂の闘姫 - ◆gry038wOvE




 夜の中学校で二人の成人男性が、角のない丸いカードを配り合う。
 桃園ラブは、その姿を横目で見ていた。
 ここまで涼村暁が三戦三敗。ムキになってポーカーを続けている。

「……」

 暁の手元のカードはハート・スペード・クラブの3と、ハートとダイヤの10。所謂フルハウスという役である。……ここまで、暁は全くのブタやワンペアばかり繰り返していたが、どうやらやっと突きが回って来たらしい。
 暁は笑みを浮かべなかった。まるっきりポーカーフェイスで、良い役が来なかったとばかりに長髪の頭を掻く。

「……チッ」

 石堀光彦は舌打ちとともにカードを全て交換した。自棄っ八という奴である。
 しめしめ……と、暁は内心で思う。
 どうやら、ここで派手な勝利を刻めるらしい。負け続けた以上は、そろそろ勝利が来てもおかしくない頃合いなのである。
 それが今だった。それだけの話だ。簡単な事である。

「悪いな、石堀。フルハウスだ」

 暁が得意げに手元のカードをオープンした。この瞬間、暁はニヤリと笑っていた。
 手札をオープンした以上は、最早ポーカーフェイスを続ける意味はない。
 勝ち誇ったような暁を前に、石堀は口を開く。

「……悪いね、暁」

 石堀の手から並べられる五枚のカード。
 それは、運否天賦ではありえないスペードの綺麗な並びであった。

 ……スペード、10、J、Q、K、A。ジョーカーを除いたうえでのこのポーカーでは最強のペアである。

「ロイヤルストレートフラッシュだ」

 そう、ロイヤルストレートフラッシュが全カード交換で出てくるなどありえない。
 暁とラブは茫然と、石堀の得意げな笑顔を見ていた。

(す、すごい……!)

 ラブが唾を飲む。

(何の意味もなく、突然二人だけでポーカーを始めてる……!!)

 ラブは、つい、そう心の中で突っ込んでしまった。
 ただの井上敏樹の脚本で、よくある始まり方である。






 冴島鋼牙の歩みは、いつもより少し遅かった。
 きびきびと動く事ができる彼だが、左腕の負傷に対して、全身に来る辛み、痛み、痺れが通っていたのである。──それは、所謂毒物が回ったような感覚だった。
 全身に傷を負ったような重だるさが彼を支配する。一歩一歩が億劫だった。ザルバの心配通り、鋼牙を蝕んでいる何かがそこにはあった。

「到着しました」

 花咲つぼみの言葉で、鋼牙はふと我に返った。痛みに思考さえ縛られていたというのだろうか。
 目の前を見れば、そこには確かに冴島鋼牙がかつて立ち寄った警察署があった。
 本来ならここに来た事がある鋼牙が案内すべきだっただろう。──しかし、とてもそんな事ができる状態ではなかった。つぼみもそれを察していたから、自然と前に出たのである。

 警察署には既に灯りが点っており、中に人がいる気配を感じさせる。──いや、実際、孤門一輝がこちらを見下ろしているのが見えた。やはり、まだあの時の警察署の人間たちは離れる事なくそこにいるらしい。
 このまま友好的な人間が揃っていけば、それは非常に都合の良い話だ。
 現状で友好的と思われる人物は、ここにいる冴島鋼牙、花咲つぼみ、響良牙、月影なのは(名簿上での名前はダークプリキュア)と死者たちを除けば、蒼乃美希、石堀光彦、沖一也、孤門一輝、佐倉杏子、涼邑零、高町ヴィヴィオ左翔太郎、桃園ラブ、結城丈二
 そのうち、石堀光彦と涼邑零と左翔太郎と桃園ラブと結城丈二を除いた全員が先ほどまでここにいた。そして、良牙たちによると、左翔太郎も、鋼牙と入れ違いにそこに帰った可能性も高いとされる。
 残りの黒岩省吾ゴ・ガドル・バ、涼村暁、天道あかね、血祭ドウコクのうち、少なくとも三名は敵。それに加えて、先ほどの怪人も参加者外だが殺し合いに乗っている。そのように、主催が用意したような参加者外の怪物も現れる事があるらしい。
 これで、味方は十名。それだけの人数がここに集まる寸法になる。そうすれば、ひとまず、このマップ上にいる敵に対してはある程度の対策が練れるだろう。

「……やっと着いたな」
「長かった……ですね」

 街に辿り着くまでの道というのがずいぶん長かった。島の端から端まで、辿り着くのにおよそ一日。そこにはいくつもの戦いがあった。
 ただ、そこはつぼみにとって、一文字が当初指定した「合流場所」であった。
 その一文字ももういないが、一文字の言葉を受け取った人──沖一也がいるはずだと聞いて、つぼみは少し嬉しかった。

 その嬉しさゆえに、足取りは早くなる。せかせかと、つぼみたちはそこに入っていった。






 孤門一輝は、ただ一人、会議室でその姿を見ていた。
 彼以外は、全員、一度、三十分だけ別室で過ごしている。沖一也は既に制限の説明を受けているので、全くの不要なのだが、研究施設でまだデータを見ているようだ。
 ともかく、ここにいた四人の参加者は、全員単独行動をしていた。レーダーハンドの監視によって、少なくとも周囲一帯の参加者の存在が否定され、警察署内部の危険性も薄まった頃で、署内で単独行動を許すのは何となく暗黙の了解となっていたのである。
 ……時間にして、十分程度だろうか。
 制限解除のための単独行動は妨害され、再び制限解除を行うには三十分単独行動する必要ができた。単独行動中の条件は、「誰にも聞かれず誰にも見られず」との事だったが、いままさに、冴島鋼牙と目が合ったのである。

(……まあいいか。どうせ僕には制限なんてないだろうし)

 孤門はそう思った。自分は、所謂、一般人だ。
 制限されるほどの能力はない。美希のようにプリキュアになるわけでも、ヴィヴィオのように大人の姿になるわけでも、沖のように仮面ライダーになるわけでもない。
 もともと、制限などに関する説明はないだろうと思いながら、彼は少し楽観的な気持ちでそこにいた。孤独というのも、この張りつめた殺し合いの中では、時に悪くないのかもしれない。
 広くなった会議室で一人、何もせずに冷たい風を吸い込むのも悪くはなかった。

(彼らを待とう……)

 歓迎に向かう途中で美希やヴィヴィオの邪魔をするのも何なので、孤門はぼうっとそこで待っていた。
 今は、一人を漫喫したい気分もあった。
 姫矢准西条凪の死に浸る事ができる唯一孤独な時間は、今だけなのだろう。






 蒼乃美希は、給湯室で三十分の経過を待っていた。
 彼女は、残り十分という頃になったら、紅茶かコーヒーでも淹れる予定だった。
 これから監視をし続けなければならない人間に、せめてもの労いとして。
 美希も、既に一杯飲み干していた。温かい液体を飲み干す、というだけでも少し落ち着く。
 それは市販のものと何ら変わりないパックの紅茶だったが、湯気も、香りも、濃くも、閉じ込められた孤島で一人肌寒い部屋に座する少女にとっては、美味に感じられた。

「……はぁ~~~~」

 溜息が漏れる。
 結局、ラブたちと会うに至るまで、どれくらい時間がかかるだろう。現状で、ラブの所在は全くと言っていいほど、わかっていない。
 のんびりとしている時間はないが、焦燥感で肩を張りつめているのももう疲れたらしく、動きたいが動けない状態が、彼女を一番落ち着かせるようになってきていた。
 ここで動かずにラブの所在に関する情報を待ち続けるも効率の良い手段かもしれない。
 情報伝達は進んでいるし、街エリアには自然と人が集まっている。ラブも案外近くにいるのではないか、と美希は思う。
 むしろ、そのため息は、待つしかできない自分が嫌になって出てきたものだった。

(……っと、いけない。『聞かれる』のもダメなんだっけ)

 独り言、ため息の類はあまりすべきじゃないと、思い直し、大きく開けた口を閉ざす。
 音声によって存在を提示してはならないのだ。少なくとも三十分間は、美希は存在そのものを消したようにしなければならない。
 それは、僅かの間だけ死ぬのと同じだった。──わずかな間、誰にも見られず、誰にも聞かれない。誰からも存在を消される。
 おそらく、今し方、美希の事を考えている人間は殆どいないだろう。……まあ、突然行方不明になった自分を心配する母、そして父と弟だけだろうか。
 そうか、よく考えれば一日外出しているわけだ。母は、きっと父にも連絡をしているに違いない。

(あんまり心配はかけたくないわね……)

 現実に、山吹祈里東せつなは亡くなった。祈里の両親、ラブの両親にどう告げようかと考えると、むしろ帰りたくないとさえ思う。彼らが自分の目の前でどれだけ辛い表情をするかというのを思うと、それを告げるのを避けたい気持ちにもなる。
 帰りたくない。
 ……ある意味では、この空間への依存。帰りたいが、帰れば帰るで辛い体験が待ち構えているジレンマ。それが今、彼女の中で悲しみと同居していた。
 人間によって来る世界、時間軸が異なっているのは理解しており、その結果として、美希が来る世界の彼女らが別人──という事もあるかに思えたが、その可能性は薄いと美希は密に思っていた。

 死亡したノーザを呼んだのは、殺し合いに明確な「敵」を作るためであるともいえるが、桃園ラブ、蒼乃美希、山吹祈里の三名の時間軸の差異は、主催側にとってメリットを生み出さない。唯一その可能性があるのは、かつて敵であった東せつなのみだ。
 現状で美希は、明堂院いつきと合流したが、いつきは殆ど美希と異なる認識をしているわけではない。
 花咲つぼみ、来海えりか……もどうだろうか。彼女たちに関しても、世界線を変える意味は大きくない。こちらも、ゆりに関してはいつきの懸念があったが、他の二人はスタンスを変えるほどの大きな不幸や出来事には巡り合っていない──あるいは、それが美希にとって、遥か未来の出来事ならば別だが。

(帰って終わり……というわけにもいかないのよね)

 これから先、美希はどう祈里やせつなの失踪を家族に語ればいいのだろう。信じてもらえるだろうか。──プリキュアとしての活動を受け入れてくれた両親も、世界も、異世界で殺し合いに巻き込まれた事を信じてくれるのだろうか。
 ただ、死を伝えなければならないのは確かだ。いつまでも行方不明のままにはしておけない。
 仮に信じてもらえたとして、我が子の死が全くの異世界で、唐突に起きてしまった両親の気持ちを、どう抑えてあげる事ができるのだろう。
 葬式はどう執り行うのか──とにかく、様々な想いが美希のその後を不安にする。

「はぁ~~~~」

 それを考えると、悲しむ暇もない気がしてきた。
 また、ため息が出てしまう。
 ……まあ、制限については、もう大分、楽観的というか悲観的というか、一種の諦観が始まっていた。三十分間待ったところで、どうせ誰も来ないだろうし、どうせ制限は来ないであろう事は、何となく察しがついている。──杏子、翔太郎、沖の三人分の前例はあるが、美希自身にかかっている制限などは全く思い浮かばないくらいだった。
 まあ、戦闘力がやや下がっているのは確かだが、それについては杏子たちも現状で抱えている制限だろう。これは制限解除でどうなるわけでもなく、参加者同士の戦力差は縮められている。
 三人の場合は、「没収された支給品の獲得」、「今後に関する情報の入手」というもので、戦闘力向上などではないのだ。おそらく、ここで解除される制限の殆どはそんなパターンだろう。でなければ、バランスはこれからも崩れてしまう。しかしながら、美希はそういう物を持ち合わせていないので、平気だろうと思えた。

(残り十九人中、今少なくとも残っているのは……)

 美希、ヴィヴィオ、孤門、沖はほぼ確実な生存。
 翔太郎、杏子も鳴海探偵事務所の様子を見にいくまでに死んでしまう事はなさそうだ。
 一応、六人の生存は確定事項と考えていい。
 心配なのは鋼牙のようにここを出た者や、一切合流の気配がない者だ。

(ラブ……)

 今回、本当に眠れるのだろうか──と、美希は少し恐ろしい気分になった。眠れそうな気配はないが、流石にそろそろ寝ないとまずい。頭は少しぼーっとしている。以前、プリキュア活動と学校、モデル、ダンスと色々やりすぎて倒れた事があったが、その時と同じく、半端ない眠気がしてくる。
 眠気はするが、眠れない──という複雑な状況でもある。
 目は瞑る事ができても、判然としない意識をシャットダウンする事ができない辛い状態だ。そうなると、思いもしないタイミングで眠りかねないし、危険な判断ミスをしかねない。……たとえば、身の危険が迫っているような状態でも。

(温かい物を飲むと眠くなるんだっけ? でも、紅茶もカフェインが入ってるから……えーっと、あー、もう、どっちなの!?)

 困惑しながら、とにかく色々と考える美希。
 眠気で混乱しつつある証だった。
 放送まで、まだしばらくはあるが──。






 高町ヴィヴィオの場合は、鍛練のために備え付けられた一室にいた。おそらくは、誰もがヴィヴィオの居場所を二択で考えただろう。
 このトレーニングルームか、アインハルトの遺体がある霊安室の二択。
 そのうち、ヴィヴィオが選んだのはこちらだった。──まあ、おそらくは、その可能性が高いだろうと、みんな、何となく察しただろう。まだ幼い少女が、わざわざ親友の遺体のある場所には向かわない。ヴィヴィオならあり得ると思ったが、それでも、やはり、大人でもあまり行きたくはないに決まっている。
 それは水入らずで対話できる機会でもあったが、そこに三十分となれば、苦痛も伴うだろう。穏やかな死であれば良いが、後ろから背中を切り裂かれた遺体があまり穏やかな顔をしているわけもない。

(……)

 そして、今ここで。
 ヴィヴィオは、床板に膝をつけ、正座していた。
 彼女の母・高町なのはは、時として、剣道場でこうして一人、心を落ち着かせる事があった。それと似ていた。血縁はないが、こういう癖が似ていた。
 彼女も目を瞑り、心を落ち着ける。──眠気はあるが、それを掻き消して。
 目を瞑っても意識を集中させて、眠りにつかないように心掛ける。ヴィヴィオは、一応、ここに来て間もなく、殆ど意識もなく介抱されていた期間があった。そのお陰か、何とか耐えられる程度には意識が覚醒していた。

(……)

 黙想し、自分の世界に浸る。
 呼吸のリズムさえ、彼女は気にした。僅かの乱れはすぐにわかる。それが生じたら、また心を落ち着けるよう意識するのだ。
 今は、まったく乱れていなかった。
 いや、それはかつてこの殺し合いに招かれる以前よりも、落ち着いた心を保てた。

(……)

 隣では、クリスが同じく膝を揃えて正座、黙想している。
 ハイブリッド・インテリジェントデバイスのクリスは、当然落ち着いていた(とは言っても、ティオならば絶対に落ち着かないので、そこはクリスの性格もあるだろう)。
 本来、機械仕掛けであるはずのクリス以上に、呼吸が整い、冷静な心を保っているヴィヴィオ。その効果は、おそらくは一度、臨死体験をした事から生まれている。
 ただ、二人は、それだけ落ち着きながらも、それ以上に落ち着いた『今』を欲していた。この『今』を掴む事が、この三十分間の目標であった。制限解除、以上に──そこで自分の呼吸を掴み、自分の気の流れに乗る事が彼女の目的であった。

(……アインハルトさん)

 独り言なのか、呼びかけなのか。──彼女は、心の中でその名前を呼んだ。

(アインハルトさんの命を奪った人が、いずれここに来るみたいです)

 フィリップの言葉を思い出す。
 その仇敵に対して、もしヴィヴィオが敵討ちの意思を持っていれば、少しは簡単だっただろう。すぐに、ヴィヴィオの中に在る、僅かながらの恨みや復讐心を絞り出し、爆発させて戦うだろう。

 ──しかし、アインハルトの命を奪った人間は、心を入れ替えたというのだ。

 ヴィヴィオ自身も、その人が心を入れ替えるのを望んでいたし、おそらくはアインハルトも同じだ。喜ばしい事には違いない。だが、やはり素直に認められない気持ちもどこかにある。許したいが、許していいのかがわからない複雑な気持ち。
 アインハルトの遺体を見に行かなかったのは、そこに、アインハルトが受けた「傷」があるからだろう。──それは、かえってヴィヴィオの悩みを強くするに違いない。
 その傷を生み出した人間の罪の重さ。それをヴィヴィオ自身が実感してしまう。それが少し恐ろしかったのだ。

(……私も、どんな顔をして会えばいいのかわからないけど、きっと、会ってみればわかる事もありますよね)

 ダークプリキュアはいずれ来る。
 ただ、彼女に対しても──やり方は同じだ。二人の母はかつて、そうしてわかり合った。どんな時も、会ってみなければわからない。
 相手の目を見て、名前を呼ぶ事で友達になれる。
 もし争う事になっても、拳をぶつけ合えば相手の気持ちを知る事ができる、相手の想いを受け止められる。それは一塊のストライクアーツ選手の勘だ。──その魂がゆえ、ヴィヴィオの胸は震え立つ。
 戦うか、戦わないか。すぐに彼女の名前を呼べるのか、戦う事になるのか。……どちらになるのかはわからない。
 まずは、相手がどう出るか。

(私、会います。会って、話をします)

 ダークプリキュア、だった人は──どんな名前で、どんな目をしているのか。
 それがわかってから、友達になるか、それとも拳をぶつけ合うのか──知ればいい。
 ヴィヴィオは時が過ぎていくのに身を委ねていた。






 沖一也の目の前で、爆発が起こる──。

 そう、それは、まさしく「失敗」だった。山吹祈里の首輪の外周を刃物でなぞり、解除する事ができるのを一也は知った。それから、中の構造を確かめ、どうにかして次の工程に移ろうと、ひとまず首輪の中身を記憶していた時だった。
 突如、結構な爆発が目の前で起きたのだ。
 一也は、咄嗟に腕を引き、顔の前に組んだ。爆発を起こした首輪の破片が、彼の腕にぶつかる。まだ熱い金属の破片が地面に落ち、ジュゥ……と音を残す。その僅か一瞬の出来事に、背筋が凍る。肝が冷えた。

「爆発、した……?」

 特にあの状態からいじってはいないはずだ。何も刺激を与えていないのに、突如目の前の首輪が爆発した事態に、一也は怪訝に思わずにいられなかった。
 火力は、破片が一也の天井まで跳ぶほど。台は一也の腰よりも少し下にあるので、二メートルほど飛んで、まだ飛び足らず、天井にぶつかり落ちたのだろう。この小型の爆弾でそんな爆発を起こし、小火も残している。人体ならば、これが首元で爆発すれば無論、即死。
 彼は茫然としていた。しかし、爆発物であるのは明示されていたので、得体の知れなさというのは感じなかった。
 手がかりが一つ消えた、とそう思ったのであった。──一也は、だんだんと冷静な思考を取り戻していく。

「くっ……なるほど。首輪を外すには時間制限があるのか」

 我に返る。
 ちょうど、カバーを外してから五分での爆発だったのである。それはおそらく、首輪に刻み込まれたシステムなのだ。──そうのんびりとしている暇はないという事だ。僅か五分で爆発してしまう、というのは少し冷静な動作が強いられる。
 中の仕組みはかなり複雑だが、おそらくはダミーとなるコードも複数存在しているように見えた。明らかに不要な部品が多い。いや、もしかすれば一也の理解の範疇を越えた機能が備わっているのかもしれないが、余計な交差をした部品や、明らかに意味のない場所に繋がっているとしか思えないコードがある。
 そもそも、一也がもし殺し合いを開く立場になった場合ならば、参加者の重圧と支配ができる首輪にはそうした仕掛けも作るだろう。勿論、それは首輪全てにそんな面倒な仕組みを作れる余裕がある場合のみだが、実際に主催側の準備には妙な余裕も感じられる。
 この島自体が、模造された街や、不自然な部屋のある警察署……といった異常なまでに手間のかかる準備がされているくらいだ。実際に常人がこんな事をすれば、何億、何兆円という資金がかかるかもしれない。
 一也は、そんな主催側の余裕に対して、五分というタイムリミットでしか首輪をこじ開けられない自分たちの余裕のなさに、ため息を吐く事になった。

(……しかし、この威力で本当に俺たちを殺せるのか?)

 一也は、机に触れた。
 机上には、熱だけが残っている。殆どこの机が崩壊した様子はない。首輪を乗せていた研究施設内の机は、わりと頑丈だ。爆発物に耐えうる仕様ではあるらしい。机そのものが異常な頑丈さを誇っているわけではない。スチール製の実験台なのだ。

(確かに常人ならば即死……しかし、俺たち改造人間がこの程度の爆発で死ぬわけがない……)

 それは甚だ疑問であった。
 少なくとも、沖一也──惑星開発用改造人間S-1は、この程度の爆発では死なない。それは自覚している。生身で大気圏さえ突破する事ができる改造人間だ。この程度の爆発は、首に大きな衝撃が走った程度にしか思えないだろう。確かに、首の周囲全体からこの爆発が来るという事を想定すればダメージは負うだろうが、スチール製の机よりかはいくらか頑丈にできている体である。
 しかし、実際広間では見せしめとして、三名の首が飛んでおり、彼らはいずれも人ならざる物であった。あれだけ丁寧に主催が解説してくれたのだから、一也も勿論爆破によって死亡するに違いない。

(何らかの仕組みがあるのは明らかだ……しかし、今の俺には突き止める事はできそうにないな……破片から何かわかればいいが)

 ……と、考えて破片を拾っていた時に部屋の外が騒がしくなってきた。
 勿論、それは当然の事だ。これだけ派手な爆発が起こった後に、心配しないわけがない。
 周囲一帯がほぼ静かな中、この部屋で首輪が爆発したのである。外から見れば、もしかすれば、中で死人が出た事を勘ぐるほどだろう。
 一也は、少し冷静な心持になる必要があった。

 一也がドアに近づこうとしたが、先に向こうからノックの音が聞こえる。

「大丈夫ですか!?」

 声が聞こえる。一也は慌ててドアを開いた。
 そこに現れたのは、一也の予想とはまた少し異なった人間だった。






 つぼみ、良牙、鋼牙の三名(と、良牙に背負われているなのは)は、階段を上っていた。
 つぼみが先導して歩いているが、目的は会議室だった。彼女も、それがある階を推定していた。灯りが点っていた一室、人影が見えた一室はそこだ。
 鋼牙が説明するまでもなく、つぼみは、自ずとその階を目指して歩いている。

「……」

 この、微妙な沈黙。
 その沈黙を生み出しているのは、鋼牙やなのはの持つ傷の重さではない。
 それだけなら、どれほどましか。──最も得体の知れない孤独が、良牙の中に感じられた。
 こうして警察署まで来たというのに、全く喜びなどといった感情を表に出そうとはしない。ガミオとの戦闘中に少し離れた時に、良牙の中で何かが変わっているような気がした。
 大人の男が持つような孤独を、つぼみより一、二年分年上の良牙が得てきたような、超然とした態度。つっけどんとした態度が、より一層強くなっている。

「……」

 つぼみは、いつ彼に声をかけるべきなのか悩んでいた。
 なのはを背負いながらも、その背に乗った重量を全く意識せず、とにかく彼は「何か」に対して思いをはせているようにも見えた。
 前を見つめてはいるが、それが悲しくも見える。正しく、より強い生き方をしているが、そこには良牙の苦しみがある。
 それに口を出す事ができないのは、やはりそれが強さであり、前向きな生き方の一つだからだ。何せ、そうして生きていかなければ人間は成長できず、大人にもなれない。
 ──しかし。放っておけない。
 過去に縛られる気持ちを、自分の中で殺しているような気さえする。

「……良──」

 意を決して、つぼみは振り返り、良牙の名前を呼ぼうとした。
 だが、まさにその瞬間だった──

 爆音!

 今日、何度それを耳にした事かわからないが、かえってそれほど小さな爆音は新鮮にさえ感じられた。つぼみはそこまで詳細には知らないが、実は、彼女の知り合いである雪城ほのかの理科実験が失敗した時、こんな爆音が響く。
 室内に閉じ込められているはずだが、外にも聞こえる銃声のような爆音。
 その小ささこそが、かえってリアリティのある危険性を示していた。──閉じ込められて、誰かが爆発に巻き込まれたのなら、それはむしろ致死に近づく物である。

「……爆発!?」

 それぞれ同じリアクションだった。
 勿論、彼らの行動は一つだ。爆心地となった部屋に向かうのである。
 三人は足並みを揃えて駆け出した。なのはも、その音に刺激を受けて目を覚ます。


 部屋はおおよそ察しが付く。察しをつけたのは、冴島鋼牙だ。
 鍛練の中で同時に鍛え上げられていった鋭敏な五感は、爆発が起こった一室を特定する。
 良牙がドアを開こうと、ドアノブを捻ろうとするのを、つぼみが制した。
 バックドラフト現象という、どういう原理で起こるのかも忘れてしまった現象が頭をかすめたのである。とにかく、あまり咄嗟に開けてしまうのは危険に思った。

「大丈夫ですか!?」

 ノックして、相手に訊くところから始まる。
 その時、ようやくドアのノブが向こうから回った。






 勿論、この静寂の中で爆発音が気にかからないわけもなく。
 自ずと、研究施設の前に、人だかりができた。つぼみ、良牙、鋼牙、なのはの次から現れるのは、美希、孤門。
 それから、少し遅れて、ヴィヴィオとクリスが階段を駆け上って来た。

「うぅ~……痺れた~……爆発があったのに~……」
『(トボトボ)』←ヴィヴィオのまねをしてかたをおとしている

 正座をしすぎていたせいでの足の痺れで、ヴィヴィオが歩けなくなっていた。
 爆発の音にさっさと向かおうとしていたヴィヴィオを襲った足の痺れは、この時、七人分の視線を浴びるヴィヴィオは恥ずかしさで耳まで真っ赤になり、少し体を縮めずにはいられなかった。
 日本ならともかく、あくまで、養母が日本人のヴィヴィオが十分も正座に耐えられるわけがない(日本人ですら危うい)。黙想は恰好だけだったのである。

「……驚かせてしまったか」

 しかし、気恥ずかしいのは一也も同じだった。自分の失敗の瞬間に、これだけ大量の人だかりができて恥ずかしくないはずもない。
 特に何の心配もない状況ほど、こうして注目を浴びるのが羞恥であった。一也もヴィヴィオもそれを感じていた。

「いや、すまない。……あまり大きな心配はいらないんだ。首輪の解体に失敗してしまって……」

 何となく、そんな事だろうとは思っていた美希と孤門は、ほっと胸をなでおろす。
 その首輪の威力が心配だったのだ。流石の一也も危険なのではないかと。しかし、どうやらそれが杞憂で、使ってしまったのは時間だけだったと知るや否や、すぐに美希が口を開く。

「……つ、つぼみ?」

 ふと目に入るのは、花咲つぼみの姿であった。
 彼女は、目をぱちくりさせて少し考えた後、すぐに美希に気づいた。

「鋼牙さん、それに……」

 見覚えのある少女がもう一人。
 それは、ここにいる全員がある出来事から知っているはずの少女だった。

「……あなたは」

 その風貌、間違いなくダークプリキュアと呼ばれていたはずの少女だ。
 美希は言葉に詰まった。会話をしていいものなのか、少しの悩ましい。声をかけるのとかけないのとでは、些か障壁のようなものがある。彼女とは一時和解したかに思えたが、それは幻に過ぎなかったらしいのだ。フィリップによると彼女は心を入れ替えたらしいが、その言葉だけで信用できるものではない。良牙が横から口を挟む。

「俺は響良牙だ。そして、こいつは──」

 良牙は自分の名前で言葉を詰まらせたと勘違いしたのであろう。
 美希と初対面で、自己紹介から始めるべきに思った彼は、すぐにそう口にしたのだ。
 ただ、美希は勿論、誰も良牙の姿を注視しているわけではなかった。

「こいつは、月影なのはだ」

 そして、その場がどよめき、少し訝しげな表情を見せていた。美希、孤門、一也は眉を顰め、彼女を注視する。
 視線が突き刺さるも、なのはは同じ視線で弾き返す。
 それは決して相手を威嚇するようににらみつけている意図ではなく、相手に何を問いかければいいのか思案している目であった。

「ええーーーーっ!!」

 その気まずい空気をぶち壊すかのようにひときわ大きい声をあげてその名前に驚愕するのは、高町なのはの娘であった。






 月影なのは──その名前は、明堂院いつきが名付けたものであったが、当の高町なのはの家族である高町ヴィヴィオがそれを了承するか否かは、やや難しい問題であった。
 それは高町なのはたっての願いが、遠回りで巡り巡って通じた結果だ。
 そんな事は誰も知る由もなく、ダークプリキュアが名を改めた理由も、はっきりとわかるはずもなく、そのドラマを詳細に語れる者ももういない。
 明堂院いつきも、池波流ノ介も、勿論高町なのはも死んだのだから。

「月影、はわかるとしても……なんで、なんで……ママの名前が!?」

 怒りというよりは、ただただわけがわからず茫然とするヴィヴィオ。
 感情に支配される事もなく、頭にハテナが浮かぶばかりだ。隣でクリスも耳を垂れている。

「……いつきを知ってるよね」

 なのはは、顔を少し下げながら、暗い面持ちで言った。
 ヴィヴィオに顔を向ける事ができない気持ちと、いつきを喪った悲しい気持ちの二つが、目と目を見せ合っての会話を無意識に避けさせた。
 誰もが、ダークプリキュアだった彼女と全く違う声のトーンや言葉遣いに奇妙さを覚えただろう。

「はい」
「……彼女が名付けてくれたんだ。友達の名前だって」

 高町なのはとダークプリキュアは一切面識がないため、「なのは」の名前に込められた意味は知らない。ただ、花咲つぼみだけは、その花の花言葉もよく知っていた。いつきも知っていたのかもしれない。
 友達の名であり、意味の通った名でもある「なのは」。
 当人は一切知らないが、ヴィヴィオにとっても極めて複雑な気持ちが宿る。

「……」

 ヴィヴィオやフェイトが、「クローン」であった事。
 目の前の少女も同じく誰かの「クローン」で、オリジナルが同時に存在してしまった事。
 境遇に微かな違いはあれど、彼女はそこに自分を重ねざるを得なかった。
 ヴィヴィオとダークプリキュアは表裏一体。──似通った境遇である以上の、責め難さ。
 自分自身の影が目の前にいるような気分で、安易にダークプリキュアを責められない部分があった。
 ましてや、その「影」さえ過去の事だったというのなら。

「あの時は、ごめん……。許してもらえるかどうかは、わからないけど……いや、許してもらえるなんて思ってはいないけど……あの時の事を、謝りに来た……」

 その言葉には深い感情が込められており、だまし討ちを狙っている間さえもそのプライドを折らずに仰々しい口調を貫いたダークプリキュアらしからぬものがあった。
 だからこそ、それは確かに「変わった」彼女であると印象付けてしまい、その結果、ヴィヴィオの口を余計に封じさせた。
 彼女を許したくなる気持ちが強くなる。
 アインハルトを殺した事も、自分の首を絞めた事も、母の名を名乗る事も──全部ひっくるめて。

 ……ただ、それ自体はもしかしたら、もっと早く許せたのかもしれないと思った。
 たとえ、どんな形であっても、彼女が反省しているのならば、許せたのだろう。

 いや、しかし。──何故か、引っかかる。

 口調の違いが、かえってヴィヴィオの中で引っかかる形になったのである。
 それが、果たしてあの時のダークプリキュアだと言えるのか──。
 心まで全く入れ替わってしまったならば、正真正銘全くの別人で、ダークプリキュアという人は、その行動を反省する事もなく逃げおおせたのと同じような気がした。
 それは些細な物に見えて、重大な問題であると言えよう。ダークプリキュアの根幹にあった物は、消失したのか、否か──それを知ったうえでなければ、「アインハルトの殺害者」を許す事にならない。
 ヴィヴィオは、ぐっと拳を握る。

「……“なのは”さん」

 ヴィヴィオは名前を呼んだ。それは、その名前を名乗る事を認めたという意思の表れ。
 ただ、それでも「ダークプリキュア」を完全に許しきれない気持ちが、ヴィヴィオの心に靄を作る。
 アインハルトの事でも、ヴィヴィオの事でも、高町なのはの事でもない、何か。
 それを見つけ出すために、もっと一緒になる必要があった。

「一緒に、アインハルトさんがいる部屋まで行きましょう……」






 数分後。

 霊安室の遺体を、おそるおそる見る人がいた。
 それは、月影なのはに他ならない。後ろには、高町ヴィヴィオと花咲つぼみが待機している。彼女によって友を奪われた者と、彼女を許した者──この二人でなければ、バランスが悪かった。
 他の誰がここに来ても意味はない。
 この二人が揃ってここにいるからこそ、責任を逃れるわけでも、過度の責任に押しつぶされるわけでもないバランスが生まれるのだ。

 まずは、暁美ほむらの遺体だった。
 この遺体は、ヴィヴィオを“殺す”のに利用したもので、全く死者への礼儀というものを無視した結果だった。
 死してなお、人殺しに利用される者の気分は最悪だろう。
 なのはは、彼女の腕を握った。そして、祈るように目を瞑った。

 アインハルト・ストラトスの遺体は、若干十三歳の少女には惨過ぎる仕打ちが残っていた。
 ひっくり返して背中を確認しようとしたが……その時点で、気分が悪くなり、やめる。ひっくり返すには背中を触れる必要があるが、その時点で、傷がわかったのだ。
 刃物によって抉れて、ざらざらとした感触だけが残っている。サカナマルによって体の奥まで切り裂かれた少女の痛み。──自分に投影するだけで恐ろしい。

「……」

 今度は謝罪の言葉を引き出す事さえできなかった。
 遺体の耳は、生者の言葉を通してくれるのだろうか。死んだ人間は、喋る事はできない──それでも、こうして遺体が残っている限りは「聞いて」くれるのではないか。
 ふと思って、やはり声に出す。
 その遺体の耳元に唇を近づけて、「ごめんね」と、涙混じりの声を一つ。
 それは、決して届かないかもしれない。届かないとしても、届くかもしれないならば……。

「あの……“なのは”さん」

 ヴィヴィオに呼びかけられて、彼女は振り返る。

「アインハルトさんの命を奪った事……これは責めなくても、もう反省していると思います。この場合、『充分反省する』なんていう事はないかもしれないけど、でも……反省しようとしている事自体は、私も認めます。だから、それについてはこれ以上責めません……責められません」

 震える声でヴィヴィオはなのはに告げる。
 そう、責めるに責められないのが現状だ。責めたところでどうにもならない。
 ダークプリキュアは死んでしまった。憎しみというものは乗り越えられる。──ずっと一緒にいた孤門一輝は、孤門の恋人を殺害した溝呂木眞也の事を殺しはしなかったらしい。
 それを聞いて、憎む心だけは持たないようにした。

「私もいつきさんがあなたにあげた優しさを無駄にしたくはないんです。アインハルトさんも、きっと……」

 許してくれるだろう、とヴィヴィオは思った。
 それでも、何かが腑に落ちない。
 今のダークプリキュアの姿には、かつての仰々しく傲慢に満ち溢れた姿が微塵も感じられず、それは彼女の更生の証だろうと思えた。
 だが、それこそが変だった。
 人の心がこんなにもあっさりと、全く正反対の人格になる事があるのだろうか。──それがあるというのなら、それはかつてのダークプリキュアと同じ人だといえるのだろうか。
 その辺りがヴィヴィオの中ではっきりとしなかった。

「……だけど」

 そう、わからないなら確かめればいい。
 確かめる術はただ一つ。──そう。なのはたちの会話の仕方。

「それでも、決着はつけないといけない。私と一度、戦ってください、“なのは”さん。私はあなたの事をまだよく知らないから、今は──そうしなきゃならないと思うんです」

 戦い。スパーリングのような一戦で、彼女は“なのは”を確かめようとしていた。
 わけがわからないといった様子で、つぼみが止める。

「な、なんでですか!? 一緒に手を取り合うんじゃ……。それに……! “なのは”は……」

 慌てふためくつぼみ。勿論、つぼみはなのはが今、特殊な重病に侵されている事をよく知っている。今は多少元気な姿を見せているように見えても、またいつどうなるかがわからないくらいだ。

「待って。つぼみ」
「なのはさん!?」

 止めるのは、“なのは”自身だった。

「やろう、本気の一戦。……私といつきも、そうやってお互いを理解し合った……だから、今もそうして、この子と戦いたい」

 彼女が自らの体の痛みを耐え抜いている事は明白だった。
 ヴィヴィオは気づかず、つぼみはそれを告げる事ができなかった。……それは、かつて仮面ライダーエターナルと仮面ライダーZXの戦いを止められない時のもどかしい気持ちにそっくりだ。
 戦いたくないつぼみには、こうした思考は理解できず、そして何より止めたいものだった。
 戦いを止めようとする心さえもエゴの一つであるように、つぼみは思ってしまうのだ。
 彼女らを生かすにもまた、戦いという名の毒が必要なのかもしれない。






 ワックスが隅々まで塗り込まれた、木製フローリングの床の上。少し跳ねると、音が鳴る。体育館でバスケットボールをすると、どうしても五月蠅い音が鳴るのと同じで、これは床の性質上避けられない物だろう。
 二人は、ぐっと、全身で床を踏み込んでいる。指先で床を噛みしめ、上半身からもその地に立つだけの力を送る。体制、構え……完璧。そのまま互いの目と目を見ながら、一斉に声をあげた。

「セイクリッドハート・セットアップ!」
「プリキュア・オープンマイハート!」

 セイクリッド・ハートがヴィヴィオの中に閉じ込められる。ゆっくりと一つになったプリキュアの種がココロポットにはめ込まれる。
 ヴィヴィオの体は体格を変化させ、なのはの体は紫の衣装に身を包んだ。
 次の瞬間には、二人は全く別の姿になって対峙していた。
 大人モードのヴィヴィオと、キュアムーンライトに変身したなのは。

 親子対決……といきたいところだが、ここにいるのは高町なのはではなく、月影なのはという全く別の存在である。
 一対の戦士が戦う理由は、ただ一つ──「分かり合うため」だ。
 ヴィヴィオは、まだ目の前の少女の事をよく知らない。わかっているのは、相手の過去、ヴィヴィオの親友の命を奪った事や、母の名を受け継いでいるという事。心を入れ替えたというが、その想いは果たしてどんな物なのか。
 決着は必要だ。
 ヴィヴィオの中に蟠りがあってはならない。ヴィヴィオの中に在るこの不満と思しき感情を払拭するには、相手を理解する必要がある。
 それを、始める。──“なのは”も受け入れた。

「ストライクアーツ、高町ヴィヴィオ……行きます!」
「月光に冴える一輪の花……キュアムーンライト、月影なのは……参る!」

 花咲つぼみが見守る中で、二人は目の前に踏み出した。目の前の相手に突き出されていく拳、それがぶつかる瞬間を見届ける。
 なのはの体を流れる猛毒の力を危ぶみながら……しかし、何もできずに。
 何故、こんな事をしなければならないのかは理解できなくとも──それでも、止める事はできないままだった。






 会議室。
 冴島鋼牙は、元レスキュー隊である孤門によって、傷の応急的な処置をなされていた。
 孤門は意外と手際よくそれを行っている。一見すると不器用そうで──実際その通りではあったが、応急手当に関しては彼も専門としている。
 傷口は、勿論、念のためとばかりに消毒されている。が、この毒が一般の傷薬に殺されるとは思えなかった。孤門も、その点においては悲観的だ。たとえ医者であっても、原因不明の痛みや病は手の施しようがない。ましてや、孤門のように、医療に関して詳しいわけではなく、次の作業を医者に任せる架け橋的な存在がそれをどうにかできるわけがなかった。
 鋼牙も、そろそろどうにか動かなければならないと思っていた。

「……すまない。不覚だった」

 鋼牙はあまり素直に礼を言うのが得意なタイプではない。Thank youではなく、Sorryで感謝の気持ちを表現してしまう。目も合わさず、しかめたままの面持ちだ。これは無礼と言えるだろう。孤門は包帯を巻きながら、全く気にしていない風に返す。

「……いえ」

 当の孤門自体、何を謝っているのかわかってない、という感じだ。孤門はとりあえずそう適当な返事をしただけである。包
 帯を巻き終えたのを見計らい、鋼牙は立つ。腰に剣を携え、いつもと同じく彼は使命に殉じる事ができる「魔戒騎士」としての歩みをまた始めようとしていた。
 死亡までの期限がわからない病に、些かの焦りがあるのは確かだった。
 孤門や、そこにいる他の全員に告げる。

「もし、ここに零が来たら伝えてくれ。……いずれ帰る、と」

 そうして脇目も振らずに去っていこうとする鋼牙。あまりに自然で、一見すると何の非も見当たらないような動作に、そこにいる誰もが茫然と見送りかけた。
 ……が、慌てて一也は立ち上がる。

「待つんだ……どこに行く!?」
「あの怪物のもとだ」
「無茶を言うな、本当に猛毒だったら戦える体ではないんだ……」
「それなら尚の事、時間がない」

 鋼牙の言葉はまるで棘のようだった。
 一刻も早く、この体内に潜む何かを消し去らねばならない。無茶をやりにいくのではないのだ。これから果たすべき使命がいくつもあるから、こうして何もせずに待ち続け、得体の知れない毒物に侵されるわけにはいかない。──そして、その苦しみを持っているのは自分だけではなく、もう一人いるという事を忘れていないからこそ、鋼牙は進もうとしていた。
 その判断は鋼牙自身、適切であると思っていた。

『いや、鋼牙、この兄ちゃんの言う事は間違ってないかもしれないぜ……』

 だが、ザルバが鋼牙の意とは異なる判断を下した。いや、ザルバ自身、どちらにしようか迷っていた最中だったが、とどまる方を取るように決めたのだ。
 放送までそう時間があるというわけではなく、このまま待つだけの時間はあると思った。安易な単独行動よりは、今はここにいた方がいい。

「様子見という事か?」
『今は何とかなってるだろ?』
「今はな。いつどうなるかもわからん」

 冷静に見えて、内心では少し逸る気持ちもある。毒というのは、気づいた時には急激にその体を蝕むものだ。だからこそ、鋼牙はザルバの言葉を無視して、なお会議室の出入り口に体を向けたままであった。
 だが、少しだけ迷った後、それを押し切るように進行方向を変え、乱暴に椅子に座った。
 流石の鋼牙にも、言い知れない焦燥感が生まれていた。






 激突──。

 ヴィヴィオの右掌がキュアムーンライトの胸へ。
 キュアムーンライトの拳がヴィヴィオの顔を捉え、真っ直ぐに延ばしている所へと、ヴィヴィオの掌が一瞬早く到達した。
 時が止まったか、ゆっくりでも進んでいるのか──それさえわからない一瞬の隙。空気は揺れ動き、波を作ってキュアムーンライトの体を押し出す。
 そこで初めて、それが一撃として機能する。

「ぐぁっ……!」

 そう、確かな手ごたえ。
 ストアライクアーツをやってきた少女が何度も身に宿してきた快感が、また腕を伝って脳に行き届いた。この高揚感、この楽しさ──それは確かにストライクアーツだった。
 キュアムーンライトは後方宙返りし、両足をついて地面に着地する。しかし、まだバランスは保たれていない。
 そこへ、もう一度、ヴィヴィオが踏み込んだ。

「リボルバー……ッ!!」

 地を蹴り、空で上体を捻る。空中からキュアムーンライトの上半身に目標を定める。
 体を更に捻ると、足元は自然と前へ出た。
 なのはは、顔の前で静止するヴィヴィオの全身を見上げた。高すぎるジャンプ力で、次の一手が始まろうとしている。

「スパーーーイクッ!!」

 ノーヴェが放つ技と全く同じ、おそらくは彼女から受け継がれた技。
 ジェットエッジがないため、所謂名前と形だけの技だが、当たり所が良ければ相手の体力を大きく削る事が出来るとび回し蹴りだ。
 しかし、その直前に、キュアムーンライトは一瞬にして姿を消す。ヴィヴィオの脚が宙を掠めてるなり、彼女が姿を消した先がわかるようになった。

 ──ヴィヴィオの上。

 キュアムーンライトは、落下しながら蹴りを叩き込もうとするヴィヴィオに対して、回避運動として真上に跳躍したのである。アーチを描くように、ヴィヴィオの真後ろへと着地。
 そこから、キュアムーンライトは拳を突き出す。

「はぁっ!!」

 キュアムーンライトの拳もまた、確かにその感触を確かめていた。

「あーーーーっ!!」

 拳はヴィヴィオの背中に殺到。バランスを崩して、転がっていく。
 どんがらがっしゃん、と。
 数十キロのダンベルが台から落ちるも、その下で巻き込まれたヴィヴィオは無事だ。つぼみとしては、その轟音だけで心臓が止まりそうになるほどたったが、今のヴィヴィオの体は鋼のようだと言っても過言ではない。
 必殺技を華麗に回避し、真後ろから次の一撃を放つ彼女の戦闘力の高さに驚きながらも、転がった先でヴィヴィオは高揚感に打ちひしがれていた。
 そう、これだ──。相手も決して弱くない。手加減抜き。これでこそわかる。

「……っく、いたたたたたたたぁ……」

 流石にソニックシューターのような技は、この場ではつぼみを巻き込むし危険だ。
 手加減抜きとはいえ、考えながら相手を倒す方法を考えねばならない。
 埃を払うように足を叩く。そして、再び腋を締めて構え、ムーンライトに目を送る。
 その瞳は、不思議と笑顔に溢れていた。

「次ッ!!」

 そう高らかに叫ぶと、またヴィヴィオは惜しげもなく前に出る。
 彼女は相手の攻撃を恐れずに前に出て撃ち込むカウンターヒッターだ。ここで倒れてもまた前に出る。
 相手の出方、相手の戦法、相手の思いを受け止め、それを学習して戦闘する。

 ヴィヴィオもすぐにムーンライトの戦闘の仕方を理解する。ダークプリキュアの時とあまり大きくは違わない。
 おそらく、相手方は身軽で華麗、余裕を持った無駄のないファイトスタイルを使っている。少なくとも、今までは──。
 しかし、そのファイトスタイルを切り崩すのがまず最初にやるべき事だ。
 相手に余裕を持たせない。ヴィヴィオのスピードを活かして、相手の感情を高ぶらせる。
 それで、初めて相手の本当の感情が拳に乗ってくる。ヴィヴィオ、前進──。

(──喰らえぇっ!!)

 距離が縮むと、魔力を込めた右腕をムーンライトの顔に向けて放つ。
 それもムーンライトは疾風のようなスピードで回避。ムーンライトの左頬を掠める右拳。
 右腕を強く引き、左足を上げる。

「はぁっ!」

 次の動作を見越したうえでの突撃だ。
 ムーンライトの回避は、今回真横に体を傾ける事で成功している。
 だが、その時の回避の勢いを利用するのだ。ムーンライトの右目の横に一瞬できた「死角」から魔力を込めた左足が現れる。
 弾丸のような左足の魔力がムーンライトのもとへ、引き込まれていく。

「なっ!?」

 それはムーンライトにとっても予想外だ。
 咄嗟に顔を守ろうと出てきた右手が縦になる。そこへ魔力の込められた左足が叩き込まれる。その足技が骨に響く。腕の付け根まで電撃のような感覚が走り出す。
 手ごたえがあった。音も、乾きすぎてもおらず、湿り気もない、見事に決まった時の快音だった。
 そこからまた、引いた右拳をムーンライトの顔の前に突き出す──。

「……っ!!」

 思わず、顔をガードすべく両腕を顔の前に組んでしまうムーンライト。
 しかし、その組んだ両腕の前を、ヴィヴィオの右腕が横断──ヴィヴィオの右腕は、真っ直ぐにその顔に叩き付けられると見せかけ、カーブを描いて転回したのだ。
 いや、動いているのはヴィヴィオの右腕ではない。
 ヴィヴィオは、全身を動かすための勢いをつけるために右腕を前に出したのだ。

「はぁっ!!」

 ヴィヴィオは、彼女の眼前で跳んでいた。全身で螺旋を描くような廻り跳び。──次に来るのは、回し蹴りか。
 それに気づいた瞬間、慌ててムーンライトは体を切り崩すが、その瞬間には、空中で一回転したヴィヴィオの左足はムーンライトの首に巻き付いていた。髪を巻き込みながら、ヴィヴィオの長い脚はムーンライトの首を半周する。ムーンライトの首をその長い脚で締め付けたヴィヴィオは首輪の冷たい感触を感じていた。
 そのまま、自由落下に任せ、ヴィヴィオが直立に着地──するならば。

「うわっ……!」

 ──当然、ムーンライトの体は立ってはいられない。その瞬間の音は筆舌に尽くしがたい。顔を打ち、胸を打ち、腹を打ち、足を打つ。全身が床板に叩き付けられ、倒れる。
 無論、それですぐに立つ事ができる状態ではなかった。
 ムーンライトの体の中で痛みや体温が高まっていく。……それは、病人の限界だった。
 ヴィヴィオの本気にノックアウト。今はひとたび水を飲みたい気分だったが、それも許されない。

「決まりっ!」

 その一撃を浴びせたヴィヴィオは、そのままバックステップで数歩後退する。
 ダウンした相手に追い打ちをかけるのは、武道家としてのルールに反する。どんな時もフェアプレイがストライクアーツをやる者の信条である。
 ゲームが終わるのは、カウントテンでも起き上がらないような状況の時。
 いや、しかし。ムーンライトは立つと、ヴィヴィオの武道道としての勘が告げている。

「……はぁ……はぁ……」

 そして、朦朧とした意識で一人立つのは、キュアムーンライト。やはりヴィヴィオの睨んだ通りだ。彼女はそう簡単にやられるような人間ではない。
 いや、こここそが始まりだ。彼女もここからは本気で来る。違いない。

「……っく、なかなかやるな」

 その予感通りだった。ムーンライトは立ち上がった。
 その言葉や、敵を強く睨みつける表情は、かつてのダークプリキュアの姿を、ほんの少しでも重ねさせた。

「この言葉遣いは……!」

 つぼみは戦慄する。まさか、今の衝撃で、どこかに眠っていたダークプリキュアが覚醒したのではないかと。
 彼女の中に在る闘争心や憎しみを刺激してしまったのではないかと。

「……だが、楽しい。……いつもこんな事をやっているなんて、羨ましい奴だな」

 そんな不満をよそに、彼女はそう言って笑った。
 その笑みは、人形の瞳ではなかった。屈託のない、人間の少女の表情だった。
 まるで不作法な不良娘のような口調であったが、いや決して、悪い人間の笑顔ではなかった。

「誰でも練習すればできますよ。魔力はないかもですけど……代わりに、プリキュアの力が……。でも、うーん……競技上、ありなのかなぁ……」
「……興味がある。ここから帰ったら、少し話を聞かせてもらおうか」

 ヴィヴィオだけは、わかっているようだった。
 なのはの口調が、ダークプリキュアの時に戻っている理由にも。

(どういう事……? まさか……)

 傍観していたつぼみも、ふと思い出した。
 それはまさしく、他のプリキュアたちが行ったハートキャッチミラージュの試練に似通っていた。鏡の中に在る己のコンプレックス、裏面、劣等感、弱さとの戦い。

(最初から消えていたわけじゃなかったんですね……なのはは、プリキュアであるために押し込めて……)

 彼女の強さ、彼女の弱さ。──それは、しっかりと向き合っていくべきものだ。自分の中の弱さを抱きながら、それを糧に成長していく事だってできる。
 繊細で引っ込み思案なら、そのぶん傷つく痛みを知って優しくなる。悪に手を染めた人間なら、悪の道を突き進もうとする若者の気持ちを汲んで、変える事もできるだろう。
 月影なのはとなった彼女は、ダークプリキュアとしての全てを切り離したわけではないのだ──その感情とも向き合って生きて、それで強くなっていかなければならない。

(……眠っていたんですね、なのはの中にも影が)

 なのはは、自分で気づいていないのか、それとも必死に押し込めていたのかわからないが、自分の中にまだ『ダークプリキュア』を眠らせていたのである。
 それにつぼみは気づかなかったのだ。
 なのは自身も、それを周囲の人間にも自分にも隠し通すストレスを振り払ったらしい。
 直感的に、その気持ちよさを理解しているのだろうか。

「二人とも……! む、無理せずに頑張ってください! フレー、フレー! 二人とも!!」

 確かに、なのはの口調は、つい先ほどまで、本来の彼女と全く異なった清楚で穏やかな物だった。父親の愛を早くに獲得していたならば、ああいう口調が自然だったのかもしれないし、彼女の中の優しさが口の中を通り抜けていた。
 しかし、自己の存在や父性に悩み、ダークプリキュアとして行動していた過去もある。その時間がある。彼女の心は、時間は、あの言葉はどこに消えたのだろう。それは彼女自身の弱さであり、いずれ克服すべき物であったかもしれないが──消えてはいないのだ。
 心の中で、かつての彼女のような気持ちが『消さないで』とささやいていたのかもしれない。──そう、それはつぼみ自身の引っ込み思案で内気な心が、かつて語り掛けたように。
 彼女の気持ちは今、彼女の中で覚醒しているのだ。

「行くぞっ……! ヴィヴィオっ……!!」

 ヴィヴィオは、ムーンライトのその姿を見て、思わず笑みをこぼした。
 明堂院いつきがキュアサンシャインになる時、その言葉は変わった。それと同じように見えた。
 表に出ている自分と、仮面の下にある自分は表裏一体。──いずれも自分自身。

「はいっ!」

 被っていたペルソナを破壊した、理性のない本心が飛びかかってくる。悪役のような口調でもあるが、それは確かに、彼女自身の持つもう一つの感情を体現していた。
 これも彼女が彼女らしくいる為に消してはならない物なのだ。彼女は、自分自身が変わった証として、その乱暴な言葉をおしこめていた。それがいつか、消えるまで──おそらくいつか消えるものだろうと思っていたのだ。
 しかし、時折、彼女自身の表に出ない思考は、「ダークプリキュア」の時と同じだったのだろう。

「はあああああああああああああああああっっ!!」

 今は一切の嘘偽りなく、彼女の中の想いがぶつかってくる。
 ヴィヴィオは、真っ直ぐに自分のもとへと吸い込まれてくるパンチを前に両腕を開き、翳す。

「梅花──っっ!!」

 沖一也より教わった梅花……の真似事。
 梅の花は真っ直ぐな拳を包み込み、やがて緩和する。しかし、いくら学習能力が高くとも、その要領を一昼一夜で掴む事ができないヴィヴィオは、クリスの防御特化の性質を活かして、魔力で敵の攻撃を封じ込めながら、梅花の型を発動していた。

「なっ……!? ……くっ。だがっ!!」

 防御の姿勢をされたからといって、ムーンライトもその一撃を今更ひっこめる気はない。
 月光に冴える花のパンチを、梅の花が包み込む──それは異様な光景であった。

「はああああああああああああああああああああああああああっっ!!」
「はああああああああああああああああああああああああああっっ!!」

 相手を倒そうと──炸裂。
 技を防ごうと──爆発。
 二つの技は、一つの青白い光となって爆ぜる。直後には埃のような煙が二人を包んでいた。つぼみが見届けるべき勝敗も、ひとたび風の中に消える。
 どちらが勝ったのかは定かではない。
 否、この瞬間に勝敗が決したのか否かも判然とはしていなかった。
 しかし、だんだんとその薄い霧は晴れていった。

「くっ……!」

 ムーンライトの姿が見える。
 ムーンライトは周囲を見回しながら、敵の居所を探っていた。──真横から見ているつぼみには、ヴィヴィオがどこにいるのか、すぐにわかった。
 おそらく、ぶつかった直後に出た煙幕そのものが、ヴィヴィオの魔力の残滓によるものなのだ。この空間には破壊された物が一切なく、煙が現れる事などありえない。ムーンライトの攻撃を防御するために放出された魔力が宙を漂い、埃を巻き込んで視界をぼやけされているのである。
 それならば、初動はおそらく、魔力に精通したヴィヴィオにある。

「はあああああああああーーーっっ!!」

 そして、ヴィヴィオがいるのは、────上だ。

 右腕と表情以外、ヴィヴィオの体の全ては脱力状態だった。
 空中でまた、右腕だけを退いて、パンチの体制に入っている。
 それをムーンライトが、掛け声を聞いてようやく目視する。──回避行動が間に合わない。
 ヴィヴィオの体が近づいてくるのを、ムーンライトは敗北を確信しながら見つめ続けるしかなかった。

(これで、あなたの罪が清算できるのか、わからないけど……!)

 放つのは、そう──共に戦ってきた親友の技の真似事。
 彼女の断空をそのまま真似する事はできないかもしれない。しかし──彼女と共に水場で訓練した時のあの感覚を思い出す。
 研ぎ澄まされた五感が、真下のムーンライトに当たるタイミングで振り下ろす。

(“なのは”さんを恨むなら、この時……これが最後……! だから……!)

 ヴィヴィオの体が回転していく。



「 聖 」

 ──脱力した静止状態から

「 王 」

 ──足先から下半身へ

「 断 」

 ──下半身から上半身へ

「 空 」

 ──回転の加速で拳を押し出す

「 拳 ──ッッ!!」



 目の前の少女がかつて奪った命の分の重さは、ムーンライトの胸部にぶち当たった。それだけで充分な痛みが伝わってくるが、二次的に閃光とともに、熱い魔力の残滓がなだれ込むようにムーンライトの呼吸を乱す。
 全身が圧迫されるような感触とともに、ムーンライトの体でプリキュアの衣装が燃え尽きていく。胸元をはだけ、スカートが風に消え、服が生々しく破けて肌が露出されていく。
 胸元と下半身は大事な部分だけは露出しないように綺麗な感じで破け、ムーンライトは地面に落ちた。

「プ、プリキュアの衣装って、……大ダメージを負ってもあんな風にはならないと思うんですけど……」
『It’s in the specifications.(仕様です)』

 マッハキャリバーの冷静な一言に納得しそうになるが、考え直して、つぼみはすぐに返す。

「い、いや……そんな仕様ではないはずで……!」
『This time only.(今回だけです)』

 細かい事は気にするな、とばかりにマッハキャリバーが言った。






「ありがとう……ございました……っ!!」

 子供の姿に戻ったヴィヴィオが挨拶したのは、倒れたなのはの眼前だった。
 そんな近くにまで来たのは、彼女に手を差し伸べる為だった。倒れ、起き上がる気力を失っている彼女に向けて右手を差し出す。

「……はぁ……はぁ……」

 ぼろぼろの胸元を隠しながら変身を解く。流石に変身前の衣服までは変わらなかった。
 なのはは差し出された右手に重ねようと、右手を前に出す。

「ありがとう、ござい……」

 戦いの後の挨拶。──それは基本だが、その後に言葉が出なかった。
 いや、言葉を出す事はできるのだが、その言葉を言い終える直前に、彼女にとって意外な事が起きてしまった。
 右手を前に出すと同時に、上体が真後ろへ倒れたのだ。
 頭の中が真っ白になり、視界がぼやけ、自分が何を言いかけていたのかさえ忘れ去った。

 ──倒れる。

 ただ、後頭部がフローリングの床に叩き付けられて大きな音を出すまでに、その事だけは考える事ができた。






 なのはの顔は酷く紅潮し、大量の汗に溢れていた。苦痛にゆがみ、息も切れ切れ。
 戦闘後のただの疲労には思えない。──そう、これは言わば高熱を患った人間の姿だ。
 それも非常に危険で、この状態で彼女が戦っていた事実にヴィヴィオは愕然とする。
 つぼみが、少し口惜しそうに言葉を開いた。

「なのはは、この前の戦いから……少し、調子が悪くなっていたんです」
「そ、そんな無理までして……」

 慌てるヴィヴィオだった。自分が事情も知らずに彼女を戦いの場に借り出してしまった事が原因なのかもしれないと、責任を感じているだろうし、同時に自分の体調よりもヴィヴィオの要望を聞いた彼女の愚直さに辟易しているようだ。
 しかし、そんな、どう声をかければ迷うヴィヴィオに対して、その少女は優しい笑みを浮かべた。

「いいんだ……ヴィヴィオ、今の試合、楽しかっただろう?」

 ヴィヴィオは、それを訊かれて少しだけ躊躇った。
 楽しかったのは確かだが、それをこんな時に言っていいのか、……迷ったが、やはり、嘘はつけなかった。

「……はい」

 今の試合は、アインハルトとの戦いの時に感じたあの高揚感を再び蘇らせていたのだ。
 本気と本気、それぞれの全力全開がぶつかり合って、それが心を伝え合ってくれる。
 それを確かに感じさせる一戦だった。かつてダークプリキュアであった人の素直なパンチが自分の前に突き出されるたびに、心にも刺激を受ける。
 楽しい。
 そう感じられるのは、決して嘘偽りがなく、悪意や手抜きも許されない戦いだったからに違いない。

「私はそれでいい。ただ人形のように生きるより、自分で楽しい事をして終わるなら……これでいい……いや、これ『が』いいと思うんだ……」

 人形だった少女は、人間になれた。それはもっと前の話だったが、確かに今、何の隠し事も封印もなく、ただ素直に優しく生きられた時、本当に最高の人間になれたのだ。
 穏やかであるだけが、人間ではない。
 何にも媚びず、ありのままの自分で人と向き合う事ができる自由を持ってこそ、彼女は人間になれたのだ。

「つぼみ……。私はプリキュアになれたんだな……」
「はい……。自分自身の弱さと戦って、認めて、進んで、変わって、強くなって、優しくなって……あなたは……立派なプリキュアでした」

 ……そして、人間だけではなく、本当のプリキュアになる事もできた。
 わずかな間でもプリキュアとして共に戦えたこの時が楽しかったのである。

「……じゃあ、友達として、プリキュア仲間として、最後に一つだけお願いだ……」

 なのはは、つぼみの目を見て、最後に一言──

「殺し合いじゃなくて、互いに生かし合えるような未来の為に……!」

 ──彼女の心に生まれた、新たな願いを告げる。

「この戦いをぶっ潰して……!」

 目を開ける事もなく、何も言わなくなり、人形のように消滅してしまう事もなかった。
 ほんのささやかな、小さな幸せを得る事ができた、一人の人間の亡骸がそこにあった。






 彼女はその場では、最後まで仮の名前でい続けた。
 月影なのは。──友達から授かった名前は、遠く繋がっている一人の少女と同じだった。その名前は悪くない。



 しかし、忘れてはならない。
 彼女に、『絶対』の名前を付けようとしたたいせつな家族がいる事を。
 七歳の純粋な少女のような心に退化しながら、体に強い傷を負いながらも──大切な妹のために、最後にその名前を決める未来を描いた少女の事を。
 これからは、小さな幸せではなく、もっと大きな幸せを待たなければならない事を。



 ……ふと、誰かが後ろから声をかける。
 ああ、そうだ。この人が名前を呼んでくれる。
 その名前を聞かなきゃならない。本当の名前を決めてくれても、これまでの名前と合わせて大事にする。

 ああ、聞こえる。素敵な名前が。……いや、少しセンスがずれているような気がする。意外とおかしな名前をつける人だと思えてならない。
 この名前と一生付き合っていくのは少し、うーん……。

 ……いや。
 それでもいいか。

 そこに名前がある。命に一つの名前がある。それが「個」である証だ。
 それが嬉しい。私はクローンじゃない。一人の人間なんだ。
 本当のその人に、それを認めてもらえた事が嬉しいんだ。
 だから……。



 ……名前を、ありがとう。



【ダークプリキュア/月影なのは/****@ハートキャッチプリキュア! 死亡】
【残り17人】






 ──主催側の人間は、間もなく終わろうという一日に、息をついていた。

「また死んだ、か……」

 また、一人画面上で死んだ。
 ダークプリキュア……マーダーとして殺し合いに投入されたが、結果的にスタンスが二転三転。このゲームの中でも、特に高いドラマを持った少女だっただろう。
 しかし、残念ながらもうそのドラマは終わった。

「少しずつペースは下がっていたんだが……」

 もう終わるまでに一時間もなく一日目が終わる頃だ。残る参加者は十七名。この放送区画では四人しか死者が出ておらず、主催に仇なす者もだんだんと集合を始めている。
 それ自体は、わりと吉良沢にとっても都合が悪くはない展開だった。都合が悪いのはダークプリキュアが死んだ事。それは、非常に残念だった。彼らの力となれる存在となった後であるゆえ、以前までの厄介者とは別人になった彼女がこうして死んだ事実は少し重い。
 しかし、報いでもあると思った。

 だから、吉良沢は彼女の死をそこまで気にしなかった。

 そして、今は、そんな殺し合いの状況以上におかしい、一つの不自然に直面していた。

(これはどういう事だ……?)

 吉良沢の手元にある貝殻が、どういうわけか、“透けて”いたのである。
 まるでこれから存在が消えていくかのように、吉良沢が憐にもらった貝殻は空気や周囲の色との同化を始めたのだ。重みも、質量も消えていき、微かな色だけがそこに残っている。
 それは吉良沢にとっても大事な貝殻だったが、それが消えていく事で平静を忘れるほど子供ではない。
 吉良沢自身、何故それを持ち続けているのかさえ、心の中では判然としていないくらいなのだから──。

 今は、むしろそれが消えつつある現状への疑問、懸念の方が優先された。

(……まさか!)

 あらゆる可能性を考えた末に、吉良沢の中に一つの仮説が生まれる。
 そして、それは吉良沢にとっても、最も恐れるべき仮説だ。
 何より、気づいてはならない未来なのかもしれない──。

(……僕がここに来た理由、それも含めて、探ってみる可能性がある)

 貝殻が消滅している理由はわかり始めていたが、非戦闘員であるはずの吉良沢までが主催側に連れてこられた理由なども含め、色々と探るべき事が生まれてしまった。
 とにかく、ひとまず彼は、自分と同一の能力を持つある人物に接触する事を考えた。

(監視の目はあるが、とにかく美国織莉子に接触しよう)

 予知能力、そして自分の世界の破滅への抵抗。
 その二つの条件が重なる美国織莉子──彼女との接触が、今の吉良沢が真っ先にすべき行為であった。


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最終更新:2014年05月18日 15:47