大いなる眠り(前編) ◆gry038wOvE



 日付が切り替わり、数分に渡る放送が終了すると、警察署にいる集団は全員息をついていた。放送では、桃園ラブや涼邑零、結城丈二に石堀光彦など、少なくとも面識のある人間は呼ばれていない。呼ばれたのは、ここにいる全員が死亡を知っている明堂院いつき、ダークプリキュア、一条薫と、面識のない黒岩省吾の四名。
 勿論、それで安心したわけではない。花咲つぼみなどは、交流が深かった人物がここに来て三人呼ばれている。一応、半分聞き流すようには務めたが、堪え切れない何かが目の下を圧迫し、唇を噛みしめさせた。実際に人が死んでいる中でそう安易にほっとする事もできまい。
 そして、いつものように、彼らはその名前に黙祷する。

 放送内容は一応、フィリップが全て記録している。ここにいる彼らは、その会話の節々を掴みとって、そこから考察するにも充分な情報量を有していた。
 彼らの団体名は、ガイアセイバーズ。
 もはや、それはこの殺し合いの勢力図において、既に最強勢力となっているであろう事は間違いない。そこにいるのは、一人残らず死線を潜り抜けた戦士であり、主催に刃向っていく覚悟を持っている。──そして、情報面においても、殆ど彼らの手にあった。
 問題を敢えて言うならば、それは彼らが決して冷徹ではない……という一点だろう。
 ここにいる仲間が一人でも脱落する事を、彼らは許さない。仲間の危険に庇い合い、それが却って仇となる事が唯一の不安でもあった。

「……ドブライ、それに……あのお方、か」

 左翔太郎はため息交じりに呟いた。
 ランボスなる男の口から出た言葉、「あのお方」。それが彼らの大元であるこの殺し合いの主催者を示しているのは、殆ど間違いないと言っていいだろう。ワルダスターやドブライ、ランボスに心当たりのある人間はここにはおらず、フィリップの検索にも引っかかる事はなかった。
 主催陣営の組織力が高そうなのは言うまでもなく、その「あのお方」の存在がかなり遠く見えた。ここにいる人間だけでは届くかどうか……。
 ただでさえ、風都のライダーだけでは敵わない財団Xがこの殺し合いに支援しているらしく、その関係の不安も決して小さくはない。

『敵は多いな。一体全体、どうしてそれだけの集団が揃ってるんだか』
「そうまでして奴らに一体どんな得があるのか、少し気がかりだ」

 ザルバと鋼牙が言う。──主催者の目的が、ただ殺し合いを楽しむだけではなさそうなのは、だんだんと見え始めてきた。
 やたらと手が込んでいるだけでなく、関わっている人間が複数いる。あらゆる組織やあらゆる裏世界に詳しく、世界に与える影響が多大な人物さえも容易にここに連れて来られる人物、だ。
 ただ、まずはその巨悪の輪郭を知る事よりも、先にしなければならない事があった。
 フィリップは、この空間に無音の時間が出来たのを見計らって、口を開いた。

「……さて。僕と沖さんは準備をしよう。翔太郎以外は、順番が来るまで、少し休んでいてくれ」
「……始めるか」

 フィリップ、沖の言葉とともに、ここにいる人間の眼差しが、いっそう鋭くなった。
 これから、生か死か──その緊張の時間が始まる。
 当初より、放送終了後を目安に予定していた首輪解除だ。先ほど放送を伝えた首輪が、これから、技術者の手でただのスクラップに変わる。これが結城丈二と涼邑零によって行われた結果が、先ほど放送でも言われた通りの「禁止エリアがない」という事態であった。勿論、それは首輪の解除をしていない人間ばかりがひたすら不利になる可能性が非常に高いからだろう。
 とはいえ、既存の禁止エリアは解除されたわけではない。成功すれば、首輪をつけているガドルやあかね等のマーダーよりも、いっそう有利になり、主催のもとへ行くにも縛る力がない状態になるはずだ。
 やはり、首輪を解除する事自体は参加者にとって有益な部分が大きいと推測できた。

「翔太郎、こっちの準備は整っている。君の準備はどうだい?」
「大丈夫だ。……俺の前に、実験台もあんだろ?」

 フィリップが頷いた。つぼみから貰った首輪がちゃんとある。
 すると、フィリップは何も言わずに背中を向けて、会議室を出て行った。翔太郎、一也がついていった。
 解除は、一応別室で行われる事になっている。この場でもし、失敗しようものなら、対象者の首が吹き飛び、血が散乱する。トラウマが他の人間に残るのは言うまでもない。なるべく、一目につかないに越した事はないはずだ。
 そんな配慮の有無に関わらず、ここに残された人間は少しの不安を心に宿しながら、その後ろ姿を見つめている。根拠もなく、死神のビジョンが見えた者もいるだろう。こういう時、楽観的な気分が不安に勝る事はなかった。

「──いよいよ、首輪解除か」

 孤門は、果たしてどんな気持ちを抱えているかわからないが、そう呟いた。






「さて」

 フィリップと一也の二人は、研究室に来ていた。
 設備の充実度は高く、根っからの科学好きならば居心地も良いだろう。一也の眼には、微かにでも恍惚としかねない表情の片鱗がある。
 勿論、不謹慎であるゆえにそれは必死で抑え込まれていたが、フィリップの目にはわかった。──もしかすれば、自分も同じような瞳をしているのかもしれない。それこそ、鏡でも見ない限りわからないが。

「まずはつぼみちゃんから貰った首輪から行くよ」

 まだ一度も首輪の解除を行っていないフィリップが、このサンプルを使う事になるのはほぼ必然的な流れであった。ここで失敗するのも許されない。
 万が一、このサンプルの首輪が爆破しようものならば、翔太郎も安心できず、フィリップや一也も将来的に首輪解除を成功させる事を想像できないだろう。
 フィリップは、首輪の窪みにメスを入れた。
 そのまま、外周を這わせるように一周するまで、殆ど無音の時間が過ぎた。

「──」

 首輪のカバーが外れる。
 すると、内蔵されている機械が露出した。──フィリップは初めてそれを目にする事になったが、それが図面通りであるのを確認してほっとする。
 さて、頭に入っているつもりでいるが、些細な間違いが起きては困るので、図面にもう一度目をやる事にした。これがダミー、これが一番最初に切る線──と。
 こうして見てみると、案外、図面で見た時ほど複雑な構造ではないような気がしてきた。
 むしろ、物足りないとさえ感じる。
 前に首輪を一つ爆破させて消し去った一也も、図面を見ながら実物を確認すると、すぐにその単純さに気づく事になった。

「……なるほど」

 情報量が格段に増えた事により、一也の胸から空気が抜けていくような安心が確かめられた。これが手順通りで爆発しなければ、後は安心である。
 これを問題にしていた一也の方も、このまま行けば解除は難しくなさそうだ。
 実際、これから三分で首輪は分解され、機能停止状態になった。

「終わってみると、案外簡単だね」
「ほんとかよ。これがたまたまって事はないよな……」
「科学には犠牲がつきものだよ、翔太郎」
「……」
「冗談だ。気にしないでくれ」

 フィリップがジョークを挟んだのは、実際ある程度の余裕があると思ったからである。
 何せ、二分も余裕がある状態でクリアできたのだ。人体に付属した状態だと勿論、もう少し時間がかかるが、それにはおそらく二分のロスタイムは出ないだろう。
 危機的な状況と呼ぶにも、一歩手前の状態だ。首輪が一歩間違えば危険な力を持っているのは確かだが、ひとたびその構造を解き明かしてしまえば、もはや謎はなく、想像以上に気楽な気持ちで対処できる相手になる。
 ただ、勿論油断ができるほど気を抜く予定もない。そこは良い塩梅を測って行うつもりだ。

「沖さん、あなたがやりますか?」

 フィリップは隣の一也に訊いた。──一也が見ているだけ、というのもどうかと思ったのである。
 しかし、一也は答えた。

「相棒である君に任せた方がいい。俺がやっても仕方ないさ」
「……そうですか」
「間違っても、油断はするなよ」
「わかっています」
「それなら良い。もう一度、解除手順をおさらいしてから取り掛かる。──始めよう、フィリップくん」

 三人の仮面ライダーは、少し表情を強張らせた。
 戦闘能力だけではなく、知力と忍耐、そしてこういう時に真っ先に首輪解除を行わされるのだから、仮面ライダーというのも楽ではない。






 会議室には、殆どの参加者が残っていた。孤門一輝に始まり、冴島鋼牙、響良牙、佐倉杏子、蒼乃美希、高町ヴィヴィオである。花咲つぼみは、ただ一人、所用で席をはずしていた。
 つぼみは、別の部屋で一人、着替えている。女の子がいつまでも黒タイツというのも変な話で、乾いたのなら元の私服に戻すべきである。着替えが乾いたのなら、そちらに着替えた方がいい。
 四名不在の会議室内は、実際はもう寝室といっていい状態だ。机は端に寄せられて、ありあわせで作った「ベッド」の上に女子が座り、机や椅子に男や杏子が座するような構図が自然と決められている。

「ふぁぁぁ~~~」

 この大きな欠伸の主はヴィヴィオであった。とはいえ、他の連中も彼女と同じような大あくびをしてもおかしくはない。皆、憔悴状態といっていい。
 ほぼ全員がかなり重大な眠気に襲われているような状況である。一日歩いてばかりで、なおかつそれが、実際に0時から次の0時までの24時間だというのだから、疲れない方がおかしいくらいだ。
 特に問題なのは、欠伸の直後には目をぱちくりさせながら、ウトウト夢を見始めているヴィヴィオだろうか。年齢的にも最年少。これは仕方がない。
 座ってはいるのはおそらく寝ずに頑張ろうとしている証だろう。しかし、それでも明らかに彼女は眠りこけていた。

「眠いな」

 ただ、この殺し合いで眠気を感じ始めている人間共通の話だが、眠気が出始めているという事自体は、決して悪い事ではない。自分の命の危険が迫っている状況下、眠れるという事はそれだけ安心できる状況が確保できているという事だ。
 あるいは、人の死があまりにも身近に起こりすぎて、命の感覚が麻痺し、睡眠欲が生存の欲に勝っている状態とも考えられるが、神の視点からネタ晴らししておくと、あくまでそういうわけではなかった。
 確かに、ヴィヴィオをはじめ、そこにいる人たちにあるのは、果てしない睡眠欲ではなく安心感であった。
 一日、共に過ごした仲間が何人かいる。そんな人間たちとの、深い絆と信頼感。それが、友や家族を亡くして開いた胸の穴を埋めてくれるようだったのだ。

「まだ眠れないのかしら……」

 眠れない人間はまだいるが、その理由はひとつ。
 また、次に首輪を解除するのが自分かもしれないからだ。どうせ十分程度しか眠れない。それなら、いっそ眠らずに首輪の解除を待って眠った方がよさそうだ。
 美希は少し、この睡眠不足でストレスを抱え始めている。眠りたいのに眠れないこの微妙な苦しさに、頭の中がモヤモヤとし始めていた。
 彼女は烏の鳴かぬ日はあっても、夜更かしだけはしない少女だった。

「夜更かしは美容の天敵……という事で、なるべく早く眠りたいんだけど」
「美容ねぇ。そんなの考えた事もねえな」

 口を挟んだのは杏子であった。
 テーブルの上に座り込んでお菓子をもぞもぞと食べている。彼女は別に、このマットレスの上で眠ろうという気はないようだった。首輪解除が上手く行くか──という、心が抱えている若干の不安を、食欲を満たす事で何とか奥に押し込めようとしているようでもあった。
 そんな内心など露知らず、美希は食い散らかす杏子におせっかいな口を挟む。

「……ちなみに。夜8時以降に間食を取ると太るわよ」
「うるせえなっ!」
「元からちょっと顔が大きいけど」
「更にうるせえっ! それならお前も太れ」

 杏子は椅子代わりのテーブルから、美希の元までちょっと飛んで、手に持っていた麩菓子を美希の口に強引に押し込もうとした。突然、杏子に近寄られると、美希は布団の上にたおれた。慌てて、適当に手を出して杏子を振り払おうとする。
 ……が、必死の抵抗も虚しく、杏子の食べかけの麩菓子がそのまま美希の口に押し込まれた。

「もがが……!」
「うまいか? オラオラ」
「……息できないじゃないの!」

 そして、美希が決死の覚悟で上半身を起こし抵抗すると、美希の口から一斉に吐き出された吐息は麩菓子の中の小さな粉を舞わせた。それすら勿体ないと思ったが、けしかけたのが杏子自身である以上、何も言えない。
 美希には別に食べ物を粗末にする意図がないのは明白だ。

「……二人とも、元気だね。ちょっとだけでも寝たら?」

 孤門が横からジト目で言った。流石に彼も眠たいらしく、彼女らの対処が面倒らしい。
 孤門自身、良牙とあまり仲がよろしくない(孤門自体は良牙の事を嫌いというわけではないが、どうも乱馬や良牙のような人間に少し嫌われやすいところがある)ので、この手の問題で肩身が狭くなるのも、孤門が止めなくなった理由の一つだろう。

「どうせすぐに呼ばれると思うとな……眠ればいいのか、起きてりゃいいのか……」

 良牙は、夜風にあたるように窓を半開きにして、缶コーヒーを飲みながら黄昏れていた。誰にも目を合わせず、独り言つように放たれた言葉。
 ちなみに、この窓は、もともと全開にしていたが、入ってくる風があまりにも寒すぎて非難囂々だったため、ほんの少しだけ開ける事にしたらしい。
 恰好をつけているように見えるが、どうせいずれボロが出るのはわかりきっている。

 そんなボロを出す羽目になるのは、次の瞬間、会議室に向けて駆けてくる足音が聞こえた時──時間にして、十五秒後だった。

「──皆さん、大変です!」

 花咲つぼみが少し慌てて会議室に入ってきたのである。慌ててはいるが、ドアを開ける音は小さく、彼女なりに気を使っているのはよくわかる。

 その時に気づいた事を報告するために、デイパックを開けると、そこから出てきたのは全く、彼女にとっても意外な物だった。

「どうした、つぼみ」
「……私の支給品が、豚さんになりました!」
「ぶきっ」

 良牙がそれを見て、缶コーヒーを思いっきり噴き出した。プロレスラーがよくやる「毒霧」の如く噴出されたコーヒーは、窓を汚し、窓の外の道路に小雨のように落ちていく。
 良牙は咽て咳をしながら、つぼみが持ってきた豚を見た。

「支給品が、豚に?」

 一同が首を傾げる。あまりにも不可解な現象だ。

「んなわけねーだろ」
「確かに豚だけど……」

 つぼみの抱える豚を見て、どうにも信用し難いものを見ているように、微妙な反応が帰って来た。怪物に変身する人間の方が遥かに現実味がないが、もはや全員、そこら辺の感覚は麻痺しているのだろう。
 物体が豚になるという現象の方が遥かにありえない出来事に思えるのだ。

「お……おい」

 良牙ただ一人は、その豚に思い当たる節があった。
 良牙がよく知っている黒い子豚にそっくりだ。
 まあ、確かに良牙自身があまり深くその外見を知っているわけではないが、それを初めて見た時のインパクトは忘れられない。──何故なら、それは良牙が変身した子豚と全く同じだからだ。

「……おれじゃねえか! どうしてこんな所におれがっ!?」
「良牙さんじゃありません!」
「じゃあ、何なんだ!?」
「デイパックを確認したら、支給品のサバがなくなっていました。つまりこれはサバさんの成れの果てです」
「サバ……? じゃねえ! これはどう見ても……ブタだ!」

 混乱して、怒鳴り声に近い会話が始まる。良牙の喉が、気管支に詰まった缶コーヒーのせいで、少し声が出しにくくなっているせいだろうか。良牙の声は、無理して大声を出しているようだった。
 周囲が怪訝そうに二人を見守る。
 つぼみは、何故自分の支給品が鯖になっているのかを説明する事にした。

「……実は、良牙さんや一条さんと呪泉郷に行った時に、かくかくしかじかで」

 要するに、これは彼らと呪泉郷に行った時に、鯖を浸した結果として生まれた生命体であったという話である。第三回放送よりも前の話──一条薫が生きていた時の事であった。
 魚類を哺乳類に変えるほどの力があるあたり、やはりあの泉には科学で解明できない呪いがかけられているのだと、つぼみは話しながら実感していく。自分の言っている事がいかに支離滅裂で伝わりづらい事なのかも、周囲の反応とともにわかり始めた。
 とにかく、泉の能力をよく知っている良牙だけは、疑う余地もなくそれを聞き終えた。

「そうか……くそっ! どうしてこんなに豚に縁があるんだ……おれは……っ!」

 良牙は折角、体質の改善で忘れ去りそうになった豚の事を思い出してしまう。
 あろう事か、鯖を浸した泉が、良牙が落ちた黒豚溺泉だったとは。またも不運である。
 鯖が被った二つ目の泉が、この豚を作り出したのだろう。

『呪泉郷……恐ろしい泉だな、ホラーが取り憑いているかもしれない』
「……」

 ザルバが真剣に言うのを、鋼牙は無視した。
 おそらく、それはないだろうと鋼牙も思っている。本当にホラーの仕業ならば、いまだに呪泉郷出身者の乱馬や良牙が食われていないのも変な話だ。

「豚ごときにおれの人生をメチャクチャにされ続けて、おれの青春は……っ!!」

 豚に生まれ、豚に忍び、豚を切り裂く──そんな人生を送って来た良牙にとっては、こうして豚との縁が切れてからも豚はこうして良牙の目の前に現れる。
 まるで、再び豚の世界に誘うように。
 誰かがカツ丼を望む限り、良牙は、永遠に豚の呪縛から──。

「────ちょっと待てよ、豚……?」

 そうして豚の事ばかり考えていた良牙に、ふと一人の少女の姿が思い浮かんだ。──雲竜あかりという少女である。
 彼女は生粋の豚好きであり、彼女が偶然惹かれた良牙が豚になる体質であるのはナイスカップリングと言うべき奇跡的な運命である。そんな良牙から豚体質が抜け落ちれば、少しロマンチック度が落ちるのは言うまでもない。
 良牙が豚になってしまった事で、あかりに少しでも寂しい思いをさせてしまうのではないかという不安が、突如彼の脳裏をよぎった。──となれば、態度を変えてこの豚に協力してもらうのも一つの手だ。

「……つぼみ、やっぱりその豚、おれにくれっ!」
「え?」
「ぶきっ?」
「元の世界に帰ったら、その豚を渡したい相手がいるんだ! 何というか、その……豚が凄く好きな子で」

 幸いにも、この子豚は良牙が変身した子豚と瓜二つである。
 ある意味では、まさしく良牙の生き写しといったところだ。
 そんな子豚を、あかりにプレゼントする。豚ではなくなった良牙の代わりに大事にしてもらえればいい。──ずっと醜いと思っていた姿だが、こうして別の物が豚になっているのを見ると、随分可愛らしく見えるものだ。
 あかりちゃんと一緒に飼おう、そして一緒に暮らして──と、少し邪な想像まで膨らむ寸前で、つぼみから返答が来る。

「は、はい! よければ」

 良牙の態度に、つぼみは少しきょとんとした表情を浮かべたが、すぐに快諾した。
 子豚が良牙の手に渡る。ぼけーっとしており、良牙が変身した子豚のような凶暴さがないのが特徴だ。
 元々、水の中で生活していた身だ。地上に出ればすぐに死んでしまう。デイパックの特殊な状態の中では平気だったが、本来地上には出られない。つい先ほどまで魚として生活していたために、地上では一切凶暴になれず、自分が置かれている状況に混乱しているようにも見えた。

「あぁ……今見るとなんとキュートな豚なんだ! とってもバカっぽくてチャーミングだぜっ!」

 杏子が羨ましそうに良牙を見た。

「──つまり明日の朝飯は豚かぁ……。どちらかというと牛がいいなぁ。まあいいや。誰かカツ丼作れるかなぁ……」
「食うなよ!?」

 良牙が不安そうに返した。心なしか、サバブタも不安そうである。
 言葉はわからなくとも、殺意のある瞳を実感しているのだろう。杏子の目が本気であるのを恐れているようだ。
 鯖の姿だろうと、豚の姿だろうと、杏子はきっと食材としてこの黒い子豚を見つめるだろう。

 他数名は、まあとにかくつぼみが持ってきた一大事というのが、比較的平和な話題であった事に安堵した。

「──それにしても、よくこれだけ騒いでる中で眠れるよね」

 孤門が、小さく呟いた。
 孤門が目をやった先はヴィヴィオであった。彼女はもう完全に眠りについており、隣でクリスもティオも眠っている。どの寝顔にも邪気がない。
 寝顔……これに似た物を、霊安室で少し見たが、彼女は吐息とともに少しずつ肩を揺らしている。生きている証だった。
 それに、座りながら寝ているせいもあって、上半身が前後に揺れて、確かに彼女がここで目覚めた後の行動の為に頑張っているのだと、実感する事ができる。

「あぁ、よっぽど疲れてたんだな」

 杏子は、どこか嬉しそうにその様子を見つめた。──それはまるで、年下の姉妹を見るような優しい目つきであった。
 遠い日を懐古する想いも含まれているのだろうか。

「これだと、ヴィヴィオちゃんの首輪の解除は最後ね」
「そうだね」

 美希と孤門は、その後からヴィヴィオたちの寝顔を見て薄く笑った。





 ──が、その時。





 翔太郎が帰って来た。

「……というわけで、無事! 首輪が解除されたぜ! うおおおおおい!!」
「「「うるさいッッ!!!!!!!」」」

 ドアを開けて歓喜やら何やらで騒ぎながら入ってくる翔太郎を迎えたのは、孤門と美希と杏子の辛辣な言葉である。翔太郎は、ここにいる人間が相乗してこの場が盛り上がる事を考えていただけに、ハートを傷つけられる。

「なんだよ、折角フィリップが解除してくれたんだぞ。嬉しくないのか?」
「とにかく、声がうるさい。ちょっと静かにしろよ。ヴィヴィオが寝てるんだよ」

 杏子が静かに言った。ここはやはり、姉らしい姿と言えようか。
 ヴィヴィオの姿を見て、翔太郎はばつの悪そうな顔をした。そんな顔をしつつも、一日不快な汗が溜まっていた首周りを、せわしく触れている。どうやら、首輪が外れるとよほど解放感があるらしい。
 まだ首輪をつけている人間を前に、そうした仕草を見せるのはある意味無神経でもあったが、いずれそれらの首輪もすぐに解除される事を考えれば腹も立たないだろう。

「あー、悪い。気づかなくて」
「それはもういい。とにかく、首輪の解除について聞きたいんだけど」

 杏子は、翔太郎を放って、後から入ってくる一也とフィリップの方にすたこら歩いて行った。
 首輪を解除したのは、フィリップである。現実問題として首輪の解除にどれくらいかかるのか、どれくらい難しいのか、これから成功する見込みはあるのか……など訊きたい。
 この解除の時間がギリギリの偶然であれば、それは何度続いてくれるかもわからない。
 特に難しいのは、縮小化されている杏子の首輪である。

「首輪の解除自体は、簡単だ。つぼみちゃんから貰った実験用の首輪も簡単に解除できたよ。正確な時間で言えば、首に巻かれていない状態なら、慎重にやれば三分で終わった。首輪を巻いている人が暴れなければ、元々三分半から四分あれば解除できる。翔太郎の首輪も三分強で解除できた」
「そうか」
「つまり、全員分、ほぼ安全に解除できそうだという事さ。安心してくれ」

 フィリップと一也の言葉に、全員の表情が晴れた。
 ずっと不安を抱えていた心が、一気に解放されていったように力が抜ける。
 思わず、そのまま眠りたくなるくらいであった。

「次は、誰が行く?」

 少し気分が軽くなったとはいえ、杏子がそう口にすると、やはり皆少し躊躇する。
 いくら翔太郎が成功したからといって、次も成功するとは限らないのではないか……という恐怖もあっただろうが、我先にと首輪を解除しようとするのは躊躇われたのだ。流石に、遠慮しているようにも思える。
 この誰も手を挙げない空気の中で、最初に手を挙げたのは、杏子であった。

「……あたしの首輪は解除できるか?」

 杏子はただ、一言訊いた。

「……」
「たぶん、首輪の構造は同じだよな? ちょっと小さいだけだろ?」
「おそらく。でも実験はされてないから……」
「頼むよ。どうせ、首輪は解除しなきゃならないんだ。早い方がいい」

 ソウルジェムを掌に載せて差し出す杏子の手にある首輪──見れば、非常に小さい。フィリップが見ても、今ここにある器具では少し大きすぎて解除は難しいだろう。専門的な器具が必要になる次元の大きさであり、それこそ先ほど使ったサイズのペンチでは難しい話だ。

(なるほど……そういう事か)

 杏子がこうして躊躇なくソウルジェムを差し出すのは、ある種、賭けに出たい気持ちもあるのだろう──と、翔太郎は横で思った。
 杏子はきっと、もし破壊されれば、その時はその時だと思っている。破壊されれば、後に障害となる魔女が生まれる可能性はなくなる。解除されれば、それはそれで杏子にとって嬉しいに違いないが、解除に失敗すれば、それはそれで周りにとって利であると踏んでいる。
 彼女にもまだ、優しさは確かに残っていた。それが時折、自分を犠牲にする形で作用してしまうのは、ある意味歪んでいると言っても過言ではないだろうが。

「……杏子ちゃん。悪いけど、もしかするとこれを解除するには、ここにある工具では駄目かもしれない。もっと早くわかればよかったんだろうけど、やっぱり今の工具じゃ無理だ。……でも、少し探せばそう難しくはないと思うよ」
「うん? つまり、また買い出かし……?」

 杏子が言って、フィリップが頷いた。

「うん。もうちょっとミクロサイズの部品に対応できるような、専門的な工具じゃないと難しいだろうね」
「流石にホームセンターに行けばあるはずだ。探してみよう」

 杏子の首輪は、ソウルジェムについている為、非常に小さい。これを拡大できれば話は別だが、実際のところ、人の体についているならばともかく、この小さな宝玉についているのでは、そうもいかない。
 つまるところ、挙手した杏子は、二番手にはなれないという事だ。他が首輪解除をしている間、買い出しをしなければならなそうだという事だ。

「ちぇ、めんどくさいな」
「ひがむな。俺がついていってやろうか?」

 頭の裏で手を組んでいる杏子に翔太郎が調子良く言うが、杏子がそれに乗る事はなかった。

「いらねぇ。あんた結構本気でいらねー」
「そんなに俺いらねー!?」
「でも、他の誰か一緒に来てくれよ。自分の番まで暇を潰したい奴。……えーっと、でもその前に次の首輪解除する相手を決めなきゃダメだよな?」

 結局、次に解除するのが誰かという話になる。
 それ以外の人間を選ばなければならない。──杏子は、この時決められる相手が、なるべく任意の相手になってほしいと願った。

「誰もやらないなら、俺が行こう」

 そう言ったのは、鋼牙であった。

「じゃあ、私が」

 それから、女性陣からは美希が立候補し、翔太郎の次の解除者が決定した。

「んじゃ、あんた。一緒についてきれくれないか」

 眠っているヴィヴィオを除けば、後は良牙、孤門、つぼみの三人だ。
 杏子はそのうち、一人を同行者に選んだ。






 それから買い出しに行ったのは、杏子とつぼみと──そして、オマケでついてきた孤門だ。
 最低限、つぼみと一緒になるのが、杏子の望みであった。偶然にもこのメンバーになった事を杏子は嬉しく思っただろうが、実際は偶然でも何でもなかった。つぼみの方も、杏子に聞いておきたい事や話しておきたい事がいくつかあったのだ。
 つぼみの場合は、杏子を通して知りたい相手がいたから、率先した首輪解除を避けたのである。結論から言えば、それは杏子と同じくソウルジェムを持つ美樹さやかという少女の事であった。
 孤門の方は、工具の買い出しという事で、ある程度男性の方が詳しい話である事から、半ば強引に連れて来られた。いずれにせよ、こういう時のお目付け役にピッタリな人間である。女同士のトラブルを仲裁するのに良い係だ。彼の性格は基本的に、ある程度の良心を持った人と衝突せず周囲に熱が生まれた時に、落ち着かせる係になりやすいタイプである。
 当人には、女同士の痴話喧嘩に巻き込まれたくない気持ちもあるが、結果的にこう選ばれてしまうのは仕方のない話だと思っていた。まあ、おそらくは杏子が新たなデュナミストになった関係もあって、杏子としてはまだまだ聞きたい事がいくらでもあるのだろう。

「杏子はさやかとどれくらい親しかったんですか?」

 道路上で、つぼみが先に訊く。──すると、杏子の顔色が少し変わった。前にさやかの話題をした時も、ふと彼女の顔色が変わった気がしたので、つぼみは眉を顰めた。

「……正直言えば、ほとんど知らないな」

 しかし、つぼみにそう言われても、杏子の側からすれば、全く思い当たる節がない。──そういえば、美樹さやかという人物についてはほとんど良く知らないくらいだ。
 いや、実際、ここでつぼみとさやかがどれくらい親交を深めたのかは知らないが、それと同じ程度にしか絡んでいないのではないだろうか。その時間の中で、さやかにここまで肩入れできるつぼみは、おそらく人と仲良くなるのが案外得意な人間なのかもしれないと杏子は思った。

「何せ、ほとんど別のところで魔女と戦ってたんだ。初めて会ったのも数日前だ」

 つぼみは、プリキュアが自分の周囲の数名だけではない事を思い出しているだろう。
 なるほど、お互いに存在を知らないプリキュアもいるくらいなので、魔法少女同士もそこまで深くお互いを知り合っている関係というわけではないらしい。
 つぼみ自身、桃園ラブなどのハートキャッチプリキュア以前のプリキュアたちについて掘り下げて語る事は難しいだろう。

「そうですか……」
「さやかはまだ魔法少女になって間もないからな。たぶん、魔法少女になって一週間経っているか、経っていないか……」

 つぼみは、そういえばさやかはつぼみに戦う意義を訊いた事があったな……と思い返した。さやかはまだ、それに対して明確なビジョンを作り出してはいなかったのだ。
 いわば、まだ新米の魔法少女。そんな彼女がこの状況下で殺し合いというのはあんまりな話だろう。どれくらいがベテランと呼ばれるかはわからないが、良牙や翔太郎の戦闘経験はつぼみを遥かに上回っている。その時点で、つぼみより経験の浅いさやかと、良牙や翔太郎との格差は大きい。

「でも、それなら何故、杏子はさやかの話をするとき、そんなに──寂しそうなんですか? 本当は、もっと親しかったんじゃ……」

 地雷があるかもしれない地面を、そっと歩いて行くように慎重に、つぼみは言った。しかし、この時間軸の杏子は、まださやかと親しくはない。寂しそうな表情をするほどでもなかった。

「──」

 ただ、微かに核心をついた言葉があったので、思わず杏子は目をそらした。
 ホームセンターの位置をメモした紙に目をやりながらも、──やはり、答えねばなるまいと、つぼみに声をかけた。

「……違うな」

 その声質は、少し冷たかった。──悪意のある冷たさではなく、何か暗い話題を差し出すような声だ。
 杏子は、ただ、その時が好機と思って、自らもつぼみに問う事にした。

「なあ、つぼみ。前にもさ、言おうと思っていた事がある」

 孤門も横で眉を顰めた。
 よからぬ方向に事態が進むのではないかという予感がしたのだ。それは、杏子の表情からしても明らかだった。奔放で、美希やヴィヴィオと楽しそうに会話する時の彼女の面影は消えている。
 彼女の口が何かを言う形になっていくのを横目で見ながら、それが言葉として出かかるのを止めたい衝動にかられる。しかし、杏子は口にした。

「──もし、さやかがまだ生きているとしたら、どうする?」

 孤門とつぼみは、そんな問いを耳にした。
 杏子が言い放ったその言葉には、何故だかネガティブな意味が込められているような気がした。
 死んだと思っていた人間が生きているのなら──永遠のお別れではないのなら、それは嬉しい事だと、素直に思うが、そうなる事を杏子が拒んでいるのは、彼女自身の口調から明白だった。
 どんな言葉が出てくるかと構えていたら、突き付けられたのは解答の難しい質問だ。

「え……?」
「生きていて、もし、あんたの知っているさやかとは全然違うモノになっているとしたら。もし、あんたを襲おうとする怪物になっていたら……どうする?」
「さやかが……?」

 それは、明らかに仮定の話をしている風ではなかった。
 重く噛みしめなければならない現実を打ち明かしている。そんな風に俯いている。
 杏子は、解を求めているはずなのに、視線をつぼみには向けなかった。それはまるで嘯いているようであった。

「戦えるか? さやかだったモノを……殺せるか?」
「なんで突然、そんな事を……訊くんですか」
「そうなるかもしれないからさ」

 杏子の中では、もはや隠し事をする意思が薄まっていたようだ。
 いや、最初からそれが狙いだったのかもしれない。翔太郎やフィリップ以外にも、それを伝えられる相手が欲しかったのかもしれない。
 いや、伝えなければいけない相手だ。──花咲つぼみは、さやかと親しかったのだから。

「──」

 少し悩んだ後、──

「さやかは、私の友達です」

 ──つぼみは凛とした表情で答えた。

「だから?」
「さやかが私を傷つける事はないし、私がさやかを傷つける事も……ありません」
「……そうか」
「なんでそんな事を訊くのか、もう一度ちゃんと教えてください」

 言いようのない不安を感じながら、つぼみはそう訊くが、杏子は出かかった言葉を飲み込んだ。一拍置くように──しかし、必ず次に言わなければならない言葉を勿体ぶるように。

「……」
「さやかは生きているんですか?」
「……生きているとも言えるし、そうでないとも言える」

 杏子の表情は、全く光らず、どうしても暗い面持ちが晴れないまま。
 孤門の背筋が突然凍った。孤門は、無意識に、そんな複雑な「生」の形を一つ思い出したのである。生きているようで、死んでいる。死んでいるようで、生きている。──それは、孤門という男の人生で、最も衝撃が強かった出来事に出てくる、戯曲の魔人のような意味があるように思えた。
 その瞬間の杏子の言葉に、孤門は一人の愛する人の顔を重ねる。
 ──斎田リコ。ダークファウスト。彼女と、同じだ。

「あたしたち魔法少女は、ソウルジェムに穢れが溜まると魔女になる。全ての魔女はそういう成り立ちでできている。ソウルジェムが穢れた事で死んでしまったさやかとマミは、これから魔女になるんだ」

 そう、──たとえ死んでも死ねない場合がある。
 死体を利用して行われる、理不尽な生が時としてある。
 魔女。魔人。
 杏子たちが戦っている存在が、杏子たち自身の成れの果てという現実。
 死んだ後も全てが利用され、土に還る事さえ許されずに人を脅かす存在になるという輪廻。
 最後には残された人間は、それを殺して「人殺し」にならなければならない──そんな最も不幸なエンディングを辿る未来までが見えてしまうような言葉であった。

「それって……」

 何故、杏子がここでそれを話してしまったのかはわからない。
 つぼみは、孤門のようにそうした経験をした事がない。──だから、頭で処理できずに、必要な情報を本能的に集めようと足掻く、

「杏子も、放っておけば、いずれそうなるという事ですか……?」

 ただ、つぼみには黙っている事ができなかった。
 それが事実ならば、これから、さやかがつぼみを襲うかもしれない──そんな場面に遭遇するかもしれない。
 つぼみを少しでも傷つけた事を後悔した、あのさやかが。
 確かに、さやかは罪を重ねた。しかし、だからといって、その天罰としては、死刑よりも遥かに辛いではないか──。

「その通りだ」

 杏子は重い口を開いていった。
 さやかを絶対的に信頼している彼女を裏切りたくはなかったが……しかし、彼女自身が把握しない領域で、唐突に裏切りが発生する悲劇を回避したかったのだ。
 無論、美希やヴィヴィオにはまだ黙っておくつもりでいた。彼女たちには、杏子自身も黙っておきたかった。しかし、翔太郎よりも立派な大人である孤門や、さやかと親交のあるつぼみはまた別だ。

「どうして、それを黙っていたんだ……!」
「誰にも言えないだろ! 美希やヴィヴィオではしばらくずっと一緒にやって来たんだ!でも、もしさっきまで一緒にいたあたしが、魔女になって襲い掛かったら──」
「だからって……」
「それに、あたしがいずれそうなるって事は、早いうちに悪の目を摘み取る──そんな正義も成り立つって事だろ!? 魔女になるあたしを殺せば、魔女によって起こる被害だってなくなる。そうすれば犠牲者は一人で済む。──その方が合理的だって、いつ牙を剥くかもわからない」

 それは完全に本心から出ている言葉とは言い難かったが、杏子の中に少しはある不信であった。
 正義の味方だらけの状況に生まれた摩擦の一つだ。これだけいれば、一人くらいは、そういう思想を持っていてもおかしくない。実際、杏子が同じ立場だったら、そんな合理的な判断を選ぶだろう。あるいは、その決断が下されて死ぬのも一つの手段ではあるが、翔太郎との約束もあるし、杏子の対処方法で分断された意見が対立する可能性だって充分に考えうる。だから難しいのだ。

「でも……僕たちは違う!」
「わかってるよ。あんたたちがそんな事しないくらい。少なくとも、見るからに甘ちゃんなあんたたち二人くらいはさ」
「なっ……!」

 少なくとも、杏子の中でも孤門とつぼみは、確実にそうならないであろう人間であった。ヴィヴィオや美希もそうだ。問題は、一也や鋼牙のように、何かと強い意志や戦いの経歴を持った戦士であり、彼らの実態をどう判断するかが悩みどころであった。
 ──勿論、信用したい相手ではあるが、彼らがもし自分の信じる者に真っ直ぐであるなら、それが時として問題になるかもしれない。

「確固たる正義とかいう物を振りかざす奴とか、面倒な事を嫌う奴は、すぐにあたしを殺すかもしれない。──でも、あんたたちの場合は、あたしをどうするのか悩んで、結局何もできなくて、ただあたしの事を憐れむだけで終わっちまうだろ? ずっと一緒にいたあたしが魔女になるって知ったら、いつも通りに接してくれるかわからない。あいつらなら、きっと悲しむだろうな。だから言いたくないし……」
「……」
「──それでも、あんたには言わなきゃならないって今思ったんだよ。知らない方が幸せかもしれないけど、あんたがさやかを好きなら、その時が来てから裏切られる最悪のシナリオにはしたくないんだ」

 今まで翔太郎とフィリップにしか言わなかったが、孤門とつぼみは例外だった。
 つぼみは明かさなければならない相手であった。さやかをここまで信頼しているのなら、その信頼がさやかの意思とは無関係に裏切られてしまう──それを明かしておかなければ、彼女にとってより大きな負担になってしまうだろう。
 あらかじめ伝えておけば、逃げる事もできるし、向き合う準備もできる。
 孤門は、あくまで伝えてもいい相手というだけで、絶対に伝えなければならない相手というわけではなかったが──まあ、別にここにいて聞く分には構わなかった。

「……あたしたち魔法少女は、結構バケモノってやつに近くてさ。魔法少女になった時点で、肉体は飾りになって、ソウルジェムに魂が移し替えられる。つまり、今はこの小さい石ころがあたしの本体なんだ」

 ソウルジェムを差し出しながら杏子は言う。
 それは──何となく、他の参加者にも不可解な点だった。彼女たちが純粋な人間であるなら、何故首輪をソウルジェムという箇所につけるのか──。
 それは、そこが爆破された時に生命反応を脅かすからに違いない。

「そうなると、あたしを人間として見てくれる人がどれくらいいるか。ましてや、魔女になるなんて知れたらさ」
「杏子もさやかも人間ですよ! だって、この間まで人間だったんでしょう?」
「……」
「人も花も動物も、最後の時まで、そのままです! 心があるなら、誰が何と言おうと、その人はその人のまま変わりません!」

 つぼみは頑として言った。杏子は複雑な顔をした。

「……つぼみ。あんたはさっき、さやかは傷つけないって言ったけど……決してそうじゃない。魔女になった魔法少女は、人の姿でもないし、言葉も話さないし、きっと自分の名前すらも忘れてる。裏切るとか裏切らないとかじゃなくて、問答無用で襲い掛かってくるんだ。心ってやつがあるかどうか……」
「──」
「でも、もし、あんたが心の底から願うなら、魔女になったさやかを救えるかもしれない。その願いは、叶うかもしれないし、叶わないかもしれない。あたしもそんなの試した事はないからな」

 さやかが変身した魔女の対処を、杏子はつぼみに委ねたいのだ。こんな事実を向けられても、つぼみはさやかを救うと断言できるのか。そして実行できるのか。
 それを決めるのは杏子ではない。──戦う力があり、同時にさやかを杏子よりも理解しているつぼみだ。

「──諦めるな」

 唐突に、孤門が口を開いた。

「きっと、どんな姿になっても心を持ったままの人はいる。説得して、それでも駄目なら、……その子を優しく葬ってあげよう。……僕ができなかった事を、君たちならできるかもしれない──プリキュアのつぼみちゃんに、ウルトラマンで魔法少女の杏子ちゃん……君たちなら」

 奇しくも、斎田リコも美樹さやかも「ダークファウスト」であった事を、彼らは知らない。
 ただ、お互いの目を見て、妙なシンパシーを感じながらも、つぼみは応えた。

「勿論です。私はさやかを助けます。……何十回でも、何百回でも」

 彼女が出す解を、おそらく杏子は事前に知っていた。
 だから、彼女に告げたのだ。

「そうか。……それなら良かった。話し甲斐もあるってやつかな。でも、無理すんじゃねえぞ」

 杏子が安堵した。

「さやかはどこにいるんですか?」
「……わからない。一番可能性が高いのは、さやかが死んだ場所かな」
「それならわかります。今は無理でも、今日中、そこに向かいます」

 さやかが逝ったのはあの川岸。
 忘れようはずもない。アマリリスの花とともに空を仰いでいる彼女の遺体は、きっと今もあの時のままあると思っていた。しかし、そうとは限らないのだ。
 美樹さやか──彼女は再び、そこで。

「──大事な事を教えてくれて、ありがとうございます」

 つぼみは杏子に礼を言った。
 杏子はその礼にどう返せばいいのかわからず、話題をそらしてしまう。

「いや、……二人とも……悪いんだけどさ」
「何だ?」
「やっぱり、まだみんなには内緒にしてくれ。──さっきも言ったけど、あまり心配をかけたくない。いずれそうだとわかるかもしれないけど……今じゃなくていいと思うんだ」

 さやかやマミと深い関わりがあった人ならともかく、他の誰かにそれを言う必要はなかった。ましてや、美希には絶対に伝えたくない事実であった。

「……あたしは、魔女にはならないから、言う必要はない。もしなっちまった時は──」
「……」
「コイツみたいな奴が何とかしてくれる。だから、諦めるな、だろ?」

 孤門は苦笑し、答えた。

「わかったよ。誰にも言わない」


 反面で、既に、杏子を『殺す』人間が決まっている事を、杏子は告げなかった。

 やがて、三人は指定されたホームセンターに入り、微細な作業も可能な小さな工具を揃え、お金を払って店を出た。広い店だが、案外探せばすぐに見つかるものだと思った。孤門は、所持金の少なさに心の中で悲鳴を上げ始めていた。
 全て打ち明けたようで、実はまだ悲鳴を止ませていない少女が、ここにいる事を、彼らは知らない。





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最終更新:2014年06月18日 19:58