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急進主義者、過激派、ごろつきが跋扈する世界にあって、理性的人間というのは人類最大の希望といえるかもしれない。アテネの丘で築き上げられた輝かしき理想ともいえる民主主義的価値観を維持し続けるためには、自制心と強い意志が必要である。自由保守主義者は、自由の松明を灯し続けるべくそうした細心の努力をし続ける者達だ。 純粋な保守派とは異なり、時の権力によって調整・管理が可能である限りまで、彼らは社会の変化に寛容であり、統治のため必要とあらばそのような立場に付く。一般に自由市場資本主義を支持してはいるが、社会の利益となりかつ企業の力を抑制するための国家による経済介入については、個々の実践者で意見が分かれることもある。これら穏健派が、絶対的な暴力と全体主義が蔓延する残る20世紀において生き残ることができるかどうかは、未だ不透明といえるだろう。 |
自由保守主義 | |
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一時期の市場自由主義は、西洋における政治思想の最大の潮流であった。イギリスの自由党、アメリカの共和党、フランスの急進自由党などは、自由な言論、自由な選挙、自由な貿易という最も有名な3つの政策のもと、西洋を支配してきたのだ。 しかし、市場自由主義は現在、その思想がもたらす人間的な犠牲に対処しようとしなかったと考えられている。それにより、右派と左派の双方が提案する代替的な思想と戦わなければならなくなっているのだ。だがその信奉者は、特にアメリカ大陸においてまだ多く存在している。経済や国民の私的空間に介入することのない政府を信奉する市場自由主義は、誰もが少しの努力と工夫で成功できる社会を作ろうとしているのだ。 具体的には、税金を下げ、貿易障壁をなくし、全員にとって「平等な競争条件」を確保することを目的としている。しかし、経済発展のため、補助金や税額控除などの経済介入を厭わないこともある。自由市場の神聖さを信じる市場自由主義者は、船が貧しいか富んでいるかに関わらず、「上げ潮は全ての船を持ち上げる」と考えているのだ。 |
市場自由主義 | |
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キリスト教民主主義には二つの思想的支柱がある。それは神を信じる者には人々を救う義務があるということ、そして民主主義は最良の政体であるというものだ。こうした土台はあるとはいえ、それ以上にキリスト教民主主義とは何かという定まった基準はほとんどなく、そのあり方については様々な思想信条がある。 「唯物論的」なイデオロギーであるからとして資本主義や社会主義の両方を非難する党派もあれば、強力な政府によるセーフティネットと規制を前提とした自由市場経済、いわゆる社会的市場経済を支持する一派もある。キリスト教民主主義を標榜する派閥は、国によって保守派であったりリベラル派であったりするが、あるいはその両派を跨ぐこともある。経済問題や公民権問題では中道左派的である一方、文化・社会・倫理的問題については中道右派的だという具合にだ。 キリスト教民主主義にはほぼ全ての宗派が含まれているとは言え、そのほとんどはカトリックかプロテスタント諸派である。キリスト教民主主義運動の欧州の故郷ともいえるドイツ、オーストリア、ベルギーは今でこそ反宗教的なナチズムの支配下にあるが、ラテンアメリカにおいては未だキリスト教民主主義は盛んだ。彼らは謙虚で倫理的、そして神の祝福を受けた民主主義が、ヨーロッパにいつの日にか戻ってくることを願っている。 |
キリスト教民主 主義 |
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中道進歩主義 | |
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包括政党は、基本的に多くの人々を受け入れるところだ。様々な個性や思想が混在する国にあって、このような政治的寄せ集めがなぜ成り立っているのか。その答えは、実は至って単純だ。 現実主義。それが包括政党やその哲学を支える重要な価値観だ。包括政党がなければ、その屋根の下にある多くの相異なる集団は、無力で、無目的なものとなることを自ら認識しているのである。包括政党はそのような集団に、単なる各派閥の総和よりも大きな力を与えているのだ。とともに、包括的な政党や連合には、それぞれのイデオロギーを統一するための目標が必要だ。現在の政治情勢においては、それがファシズムへの抵抗となる事が多い。民主的な見通しを維持したいという(通常は)リベラルな願望によって、オヴァートンの窓の向こう側にいる政治家たちや人々は、自らが愛するものを守るために団結するのだ。テントの中でどれだれ緊迫した議論が交わされていようとも、外がいかに危険かということは誰もが理解している。 |
包括政党 | |
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技術主義は1つのアイデアに集約される。国家の福祉に最も関連する学問分野において、最も優れた経験、学識、知識を持つ国民が、国政を担うべきであるというものだ。技術主義者の考える国家の理想的な支配者は、研究者、理論家、科学者、事業家、技術者といった問題解決者だ。 穏健技術主義は、自由技術主義と同様、民主政治に技術主義の概念を重ね合わせたものである。どちらの系統の技術主義者も、国家を支配するという職務を補助するために政府・統治階級の外部から実務家を雇うことを非常に好み、政治家や党官僚に少なからず疑いを持って接する。 だが、主張の強い者たちとは異なり、穏健技術主義者は既存の政治体制の内部で働くことに満足している。現実主義は国家を維持し、教条主義は国家を破壊する。教条的な技術主義者のように、問題全体に攻撃を加えようとして破滅の危険を冒すよりも、政党主義の過度な病状を修正し、可能な限り無毒化した方がよいのだ。 |
穏健技術主義 | |
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「私は西洋に行ってイスラム教を見たが、そこにムスリムはいなかった。私は東洋に戻ってムスリムを見たが、そこにイスラム教はなかった」 19世紀、ヨーロッパの植民地支配や帝国主義に対抗して生まれたイスラム近代主義は、イスラム教のウラマーや聖職者による思想的な発案だと考えられている。ムハンマド・アブドゥフ、ジャマールッディーン・アフガーニーからアリ・アブデル・ラジクやリファーア・ライ・アッ・タフターウィーまで、発案者たちは皆、侵入してくる欧米列強に対抗するには、イスラムのウンマを改革することが不可欠だと認識していた。 この思想は、地面に頭を突っ込んで近代化から孤立することも、西洋人が無頓着に説く習慣や信仰、伝統の完全な放棄を行うことも求めてはいない。イスラム近代主義は、西洋を繁栄に導いた啓蒙思想を伝統的なイスラムの思想、教義と合体させることによって近東を無知から脱却させ、社会・文化・経済の黄金時代へと導くことを目指している。 反植民地を掲げる若き革命家の間で顕著となっている社会主義的・世俗的な民族主義や、ナジュドのサウジ人が広める対抗的なサラフィー主義の一派とは対照的だ。近代主義者は、無神論的な世俗主義の概念と、今日の学者や聖職者の間で支配的である中世に確立されたシャーリアの解釈の双方を捨て去ろうとしているのである。代わりに、近代主義者はシャーリアの教えを近代的なレンズを通して再検討し、再解釈することに努めている。 近代主義者は、封建的組織を破壊し、近代的で市民的、民主的な国家を作り上げ、柔和な者に力を与え、恵まれない者に提供する「道徳経済」の枠組みでそれを運営することを試みている。植民地の鎖から解き放たれたイスラムのウンマが前進する唯一の方法は、性別、信仰、人種、階級に関わらず、全ての臣民に等しく尊厳を与える調和的な社会の下にそれを置くことだ。 |
イスラム近代主 義 |
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革命の潜在性の残り火が燃え盛る炎となったとき、過去数世紀の封建貴族は次々と悲劇に見舞われた。領主たちは逃走し、彼らの複雑な抑圧体制もろとも崩壊した。旧体制の焼け焦げた死骸の上に、自由主義の松明が立てられたのだろうが、旧勢力が残した権力の空白は埋められなかった。そこで、空白を埋めるために新しい階級が現れた。それが寡頭政治家だ。 偉大な自由主義の伝統は、人間の不可侵で普遍的な権利を宣言し、民主的な政体を確立する。権力は人民に属し、人民が代表者に選挙によって委任することで形成される国家である。一見、これは寡頭政の概念と相容れないように見えるかもしれない。しかし、厳格なイデオロギーの枠を越えて見てみれば、矛盾は溶解し、統一が形成される点に到達するはずだ。富と豊かさを持つ寡頭政治家達は獰猛な大衆と乖離しているかもしれないが、自らを大衆の利益の前衛として位置づけることで、彼らは民主的な過程の先頭に立つことができるのだ。 権力は人民に属し、権力は人民から生まれる。しかし、実は人民は自分たちで自分を支配することができない。人民にとって幸いなことに、常に慈悲深い寡頭政治家が彼らの名の下に自由主義の松明を掲げ、支配するだろう。彼らの民主的な代表者として。 |
寡頭的自由主義 |