中華民国(ちゅうかみんこく、中国語:中華民國、英語:Republic of China)は東アジアの共和制国家である。
大東亜共栄圏の中核加盟国として東亜秩序の一翼を担っている。傀儡の軍閥国家、及び西北部の反乱勢力の支配地域も国際法上は中華民国の領土である。しかし西北部には民国の施政権は届いていない。
中華民国 |
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略称: 中国、民国 |
首都: 南京 |
総統: 林柏生 |
与党: 中国国民党 |
イデオロギー: 汪精衛思想 |
建国: 1940年 |
概要
中華民国は歴史の闇の中にいる。阿片戦争からの「百年国恥」が終わりを告げ、そして迎えた中国の新世紀は、「二百年国恥」となっただけであった。
革命の祖地を奪われ、反乱が頻発する中、
中国国民党は権力闘争に明け暮れている。中国が再び歴史の闇から立ち上がることはあるのだろうか。
歴史
漢奸と呼ばれた男
1940年、上海で日本軍と汪精衛の交渉の末に設立された新生南京国民政府は、
大日本帝国と協力する支那人協力者たちによって率いられ、抗日民族統一戦線をゆっくりと、しかし確実に破壊していった。
汪精衛は、孫文の遺言を記録することのできる唯一の存在であったため、孫文の構想の実質的かつ正統な後継者であると主張し、日本の指導部と協力して、
蒋介石の国民党と
毛沢東の共産党の遺産を潰していった。
大東亜戦争
そして1947年、重慶にて中華民国は死んだ。抗日戦線の二雄がこの地で玉砕し、吊るされ、引き摺られたのである。旧民国の残党は北西部へと後退し、屈辱的な日本との秘密条約を経て東亜新秩序は確立したのだ。
天子の地における新秩序
そして新たな10年が始まる。汪精衛主席は灰燼と帰した中国を再び舞い上がらせるため、あらゆる努力をしたし、結果的にそれは傀儡として始まった南京政府を実ある中央政府へと変えたものの、彼は志半ばで倒れた。まとまりのない国民党に、日本の影響を色濃く感じる経済。そこに中国は無い。北西の反乱を鎮圧することもできず、中華民族のアイデンティティは日に日に薄れていくのだ。
民国五十一年の中華民国
中華民国とは何か?それは国家かもしれないし、恐らく共栄圏の住民は皆中華民国を国家だと言っている。しかし実際はそこにあるものを誰一人として国家だとは思っていない。中国経済はどん底にあり、残った部分は全て日本のものだからだ。このような状況で、林主席は、共栄圏で日本と同じ位置を手に入れ、日本の同盟国かつライバルとして、双璧を成すアジアの雄となることを望んでいる。彼の打ち出した五つの近代化は民国にどう作用するのであろうか。
政治
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総統: 林柏生 |
立法院長: 陳公博 |
外交部長: 高宗武 |
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財政部長: 周仏海 |
警政部長: 李士群 |
国民党(専制主義)
かつて孫中山先生は、国民党創立以来の指針である「三民主義」を打ち出し、中国人民の独立、政府の民主化、国民一人一人に対応した総合的な福祉制度の確立を唱えた。
汪精衛たちが南京で蒋に対抗する政権を樹立したとき、日本のアジア構想に適合した自分たちの「三民主義」を宣伝する必要が出てきたのである。内はコーポラティズム、外は反欧米、欧米の干渉を受けず東アジア諸国との協調により民族の福祉を図るという三原則の解釈、すなわち汪精衛思想が誕生した。当初、汪主義は孫先生の理想を曲解したものという扱いだったが、南京政府内には汪の説教を信じる者がいた。大東亜戦争で日本が勝利したことにより、汪の思想は妥当なものとされ、影響力を持つようになった。汪精衛の言葉は、アジアの先駆者として、他の共栄圏域にも影響を与え始め、民衆や政治家の間で汪主義が流行し始める。
1950年代後半に汪が亡くなると、国民党の各派閥の中で「三民主義」に対する様々な解釈が密かに行われるようになった。しかし、汪主義は、民衆の間で最も影響力のある解釈として残っている。長年にわたる若者の洗脳と汪の総統時代の初期の経済成長により、民衆は汪主義をそのまま受け入れている。言うまでもなく、汪精衛思想は中国における国家観念形態の正統の座にしっかりと座っているのであり、これを脱却するためには、真に魅力的な代替案が必要である。
❌他国政府に同じイデオロギーを強いることができる。
✔義勇軍の派兵が可能
❌国家を傀儡化できる。
❌陣営に加盟可能
❌協力政府を作成可能
共栄圏の中核加盟国
GDP成長率補正:7%
GDP国外流出補正:5%
汎アジア主義が黎明期にあった頃、新京と南京は東京と経済圏を形成し、大日本帝国の抑圧的な軍事力を煽っていた。中国の傀儡国家と日本との文化的な結びつきと、日本が自称する聖戦への早期参加により、満州国と中華民国は共栄圏運営評議会の常任理事国として共栄圏内で特別な地位を獲得した。
しかし、この2国は共栄圏内の他の国より事実上優位に立つが、その実態は見かけほどではない。新京と南京は、共栄圏内、正確には日本の防衛・作戦遂行に必要な永久軍事施設のための資金をより多く拠出しなければならないのだ。言うまでもなく、「中核加盟国」は中国人民から搾取するための口実に過ぎないが、南の「民国」も北の「帝国」も、自分たちの正統性がかかっているこの称号を手放すことはないだろう。
選挙
各種法律
軍閥
今日の中国における軍閥主義は、紀元前771年頃、東周の秩序の崩壊にまでさかのぼる統治の伝統を継承したものである。実際、中国史上最も偉大で人道的な統治者の多く--例えば、漢の光武帝こと劉秀は、将軍や補佐官を一人も殺さずに皇帝としての治世を全うし、多くの皇位僭称者をも赦した--は軍閥としてその統治を始めたのだ。
その結果、中国の軍閥は、一般的に残忍で残酷な、軍隊の強奪と殺戮を制度化した外国のステレオタイプなそれよりも、はるかに洗練されたものになっていった。このことはまた、中国において軍閥であることは、他の国のような汚名ではないことを意味する。中国の軍閥とは基本的に、弱体で分権化された中央政府から権限を委譲され自治権を持つ文民または軍人の知事を意味しており、山賊の成り上がりや暴れ回った軍人というより、比較的穏健な文民または軍の独裁政権を連想させるものなのである。
最終更新:2024年10月16日 18:46