大日本帝国(だいにっぽんていこく、ローマ字表記:Dai Nippon Teikoku)は、東アジアに位置する君主制国家である。 日本列島、朝鮮半島、ハワイ、台湾、ミクロネシア、ポリネシアなどの島、及び湛江、マラヤ、北ボルネオ、大連、ウラジオストク、東ニューギニアなどの海外領土からなる。
● 大日本帝国 ● |
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略称: 日本 |
首都: 東京 |
国家元首: 今上天皇 裕仁 |
内閣総理大臣: 井野碩哉 |
与党: 大政翼賛会 -保守本流- |
イデオロギー: コーポラティズム |
経済体制: コーポラティズム |
明治維新: 1868年 |
概要
超大国となった大日本帝国。
中華民国や
ベトナム帝国など、東アジアと東南アジアの大部分を勢力下に置いている。日本はこれらの国々の独立を建前上は保証しているが、軍事的、経済的に強い影響力を持つ。
史実では敗戦後、GHQによる戦後改革と続く高度経済成長によって経済成長を遂げたが、こちらの世界では戦時中から続いた統治機構の近代化、国家主導の高度成長、及び共栄圏諸国からもたらされた莫大な富で一足先に世界第二位の経済大国となっており、対馬海峡にはトンネルが掘られ、史実より早い新幹線敷設が行われて、
都市部には高層ビルが立ち並んでいる。経済成長率はさすがに史実の年率11.5%とまでは行かないものの、超大国の中では最も高い。少なくとも初めの一年間は。
史実のような戦後改革が行われていないままの60年代となったため、高層ビルや新幹線といった我々の感覚で言う戦後の景色と、旧字体や財閥といった戦前の特徴が入り交じっている。
政治は
大政翼賛会の一党制であり、熾烈な派閥闘争によって寡占政治を行っている。
外交では、超大国の一角を占める存在として、代理戦争や経済競争を通じて激しく米独と競い合い、
大東亜共栄圏を率いている。
将来のThe Setting Sun(斜陽)アップデートにおいて、全コンテンツの白紙リワークを予定している。開発初期段階の遺産であるディストピア大日本帝国からは打って代わり、史実の60年代の様相に近づいた。しかしこちらの日本が戦勝国かつ超大国であるからか、誰であれ史実よりも強気な様子である。
歴史
征服の深い恨み
ヨーロッパ人の持つ植民地帝国に嫉妬し、ベルサイユ宮殿で主張した人種的差別撤廃提案の失敗により冷たい目を向けられた大日本帝国は、資源は豊富だが問題の多い東アジアに独自の帝国を描き出そうとした。憎むべきワシントン海軍軍縮条約の破棄は時間の問題であった。1931年に満洲を占領し-1905年のツァーリの苦い敗北を完全に葬り去り-、同地域を満洲帝国、または単に満洲国へと再編した。関東軍は、日本の支配下にあった満鉄を爆発が揺るがした際、風の吹き荒れる丘陵地帯で権力を争っていた軍閥や領主から満洲を奪取したのである。
世界恐慌を背景に、アジア全土の命運をかけた究極の衝突が待ち受けていた。暗黒の空に日が差した瞬間、かつてない規模の戦争が勃発するのである。
戦争の強い怒り
1937年7月7日、中国との戦争は、新たに野蛮な局面を迎えた。日本軍が中国軍部隊を切り裂き、「盧溝橋事件」と呼ばれる出来事を発生させた。戦闘を、東京による攻撃的姿勢のただの別形態として片づける者もいたが、これは日本が中国を完全に征服するための最初の一撃であった。「日支事変」「抗日戦争」「日中戦争」は、帝国の侵略を表す名の一部に過ぎない。しかし、その中で生き、死んでいった者たちは、たった一つの言葉で闘争の状況を形容することができた。「地獄」である。毛沢東と蒋介石という2人の指導者が締結した休戦協定もあって、中国の抵抗はより激しくなり、日本は占領した土地を支配するため、より残酷な手段をとるようになった。抵抗の温床と思われるものは焼き払われ、略奪され、激しく傷つけられ、日本の資源と太平洋覇権への願望のために何百万人もの犠牲者が出たのである。
死の不安な視線
戦争が泥沼化すると、日本は戦時経済を維持するため、欧米による植民地支配に目を向けた。真珠湾でのアメリカ太平洋艦隊に対する決定的な奇襲攻撃と、オランダ、フランス、そしてかつての同盟国であるイギリスに対する、東南アジアでの目にも止まらぬ快進撃は、日本軍に対する人種的優位の認識を打ち砕いた。旭日旗から守り抜くこともできず、拠点は一つ一つ崩れ去っていった。シンガポール、マニラ-そしてマッカーサー元帥の死-、バタビア、香港は、欧米が日本軍を出し抜くことに失敗した事例の一部に過ぎない。アメリカ軍はミッドウェー海戦で再び大敗し、大英帝国軍はパプアニューギニアでの攻勢を抑えることができず、オーストラリアまであと一歩のところまで迫っていた。
悪疫の屈さぬ支配
アジアにおける「連合軍」--中国、イギリスとその植民地、アメリカ--の英雄的な努力にもかかわらず、彼らは神州の戦争機械に敵わなかった。アメリカ海軍と英・中軍が大逆転し、拡張しすぎた日本海軍を血みどろの膠着状態に引き込んだにもかかわらず、すべては無駄になった。毛沢東と蒋介石は重慶の要塞都市で最後の抵抗を行ったと報告されている。重慶市内の激しい肉弾戦ゆえ、両指導者がいつどのように戦死したのかなど、はっきりしたことはわかっていない。
アメリカは最後に枢軸国の軍隊にひざまずいた。両海軍が激しい殴り合いを演じたにもかかわらず、アメリカは孤立してしまったのである。しかし、最悪の事態はこれからだった。真珠湾上空のある晴れた朝、ハワイに投下された一発の爆弾は人類の顔に深い傷跡を刻んだ。永遠に。
太平洋の大災害
原子爆弾は差別をしなかったし、できなかったし、しようともしなかった。人間も獣も爆風で焼かれた--有名なニミッツ提督やハルゼー提督でさえ数秒で蒸発した。女性や子供たちが遊んでいた場所では、地面を覆う薄い黒い層だけが彼らの死を悼んだ。
しかし原子爆弾が唯一できたことは、史上最大の戦争を終結させることだった。失速していた国民精神は完全に崩壊し、市民は休戦協定に署名するよう説得された。満洲国は正式な国家として承認された。中国そのものは一連の属国として再構成された。その最大のものが「中華民国国民政府」であり、「広東国」のような他の国家は日本の利益のために残骸から引き抜かれた。1962年の今、アジアは日本の完全支配まであと一歩のところまで来ている。
政治
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天皇:裕仁 |
内閣総理大臣:井野碩哉 |
内閣書記官長:池田勇人 |
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外務大臣:藤山愛一郎 |
大蔵大臣:金丸信 |
内務大臣:池田正之輔 |
大政翼賛会
大政翼賛会や帝国扶助協会--大政翼賛会という母国語から美化されたこの組織--は、冷ややかに言えば無職の奉公人である。昭和15年10月12日に創設されたこの組織は首相の地位を欲しいままとしたが、これは大失敗に終わった。近衛文麿内閣総理大臣の壮大な名案であった大政翼賛会は、中国の多くの地域を覆っていた膠着状態を打破するために、日本が戦争を起こすプロセスを合理化する必要性から作られた。近衛は「一国一党の組織」政策を標榜し、私的研究信託である昭和研究会とともに、日本の国会内に存在する全ての政党を、軍部指導者の判断を曇らせるような些細な口論や苛烈な人間関係の対立なしに、進行中の戦争努力を調整する連合体内へと再定住させる枠組みを確立した。一見、満場一致の政府かのように見えるが、かの翼賛会が団結しているかと言われれば……
保守本流
技官派
革新官僚
改革派
国民精神
文化
本土では日本文化が圧倒的多数を占める。他国では同一民族内に多数の文化が存在しているが、日本では近代化における文化的同一化政策によるのか、千島から九州まで等しく日本文化である。その中でも琉球のみ日本文化の派生という形で独立している。また西日本を中心に朝鮮人労働者によるコミュニティが存在する。
朝鮮半島は都市部を中心に皇民化が進み、日本語も普及しているようである。
台湾も同様に皇民化が進んでいるが、山岳地帯には少数民族の集落が存在している。
経済
アメリカに次いで世界二位である。四大財閥及び新財閥に支配されており、満洲や広東は経済的に完全に日本の傘下にある。日満広のGDPを総計すればアメリカと同程度の経済規模があると言えるだろう。しかしながら財閥の長い経済支配による腐敗は根深く、いつスキャンダルが発見されても不思議ではない状態にあることは留保しなくてはならない。
また世界最大規模の製造業に比べ、農業は共栄圏や朝鮮の安価な農作物の流入により衰退の一途を辿っている。水産業に関しては太平洋全域の利権を保有しているため非常に盛んである。
斜陽 -The Setting Sun-
斜陽の開発は現在停止している。以下の情報はこれまでのリークやティーザーによるものだが、それもだいぶ古い。リリース時には大きく変わることが予想される。
● 大日本帝国 ● |
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略称: 日本 |
首都: 東京 |
国家元首: 今上天皇 裕仁 |
内閣総理大臣: 船田中 |
与党: 大政翼賛会 -内務系- |
イデオロギー: 管理国家 |
明治維新: 1868年 |
「私はただ、私自身の生命が、こんな日常生活の中で、芭蕉の葉が散らないで腐って行くように、立ち尽くしたままおのずから腐って行くのをありありと予感せられるのが、恐ろしいのです。」
-太宰治『斜陽』
前史
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就任 |
辞任 |
政党 |
東條英機 |
1941 |
1944 |
大政翼賛会 |
小磯国昭 |
1944 |
1947 |
大政翼賛会 |
岸信介 |
1947 |
1949 |
大政翼賛会 |
東郷茂徳 |
1949 |
1951 |
大政翼賛会 |
重光葵 |
1951 |
1954 |
大政翼賛会 |
岩畔豪雄 |
1954 |
1956 |
大政翼賛会 |
青木一男 |
1956 |
1959 |
大政翼賛会 |
有田八郎 |
1959 |
1960 |
大政翼賛会 |
船田中 |
1960 |
現職 |
大政翼賛会 |
広東議定書
広東国独立を巡る騒動により岸内閣が倒れる。この後東久邇宮稔彦王が改革を始める。俗に言う戦後改革である。
東久邇宮稔彦王の自由化
東久邇宮稔彦王を中心に政治的自由化が行われる。戦時体制からの脱却と軍の専門化が中心のようだ。退役軍人の武藤章を中心に、陸軍からの激しい反発にあっている。満州国にいる企画院事件組も自由化の流れで恩赦。また第二次シベリア出兵もこの時期である。戦後日本政治の転換点だ。
最後に翼賛体制の長期化で内務省が影響力を強める。後の内務系政権の布石である。
新潟大暴動
第二次シベリア出兵と外国産の米流入により米価格が崩壊。米騒動が起き、さらに新潟の米騒動が大暴動に発展、青木内閣が倒れる。日本国内の格差が露呈した事件だが、内務省が乱暴に事を収めたらしく、禍根を残している。この事件をきっかけに、田中角栄が政界進出を果たした。
昭和37年の大日本帝国
大東亜戦争から15年が過ぎ、この国から戦争の記憶は次第に薄れつつある。代わりにもたらされた繁栄は薄氷の上で踊る。日本の圧倒的な製造力、技術力、全てが財閥を源としているが、その財閥には不審な噂が絶えないのだ。やがてくる未曾有の危機は国体をどう変化させ、或いはどう護持するのであろうか。
政治
大政翼賛会
内閣総理大臣は船田中、安田危機後の臨時総理は園田直である。
無所属
===民主ルート===
その他
国民精神
各種法律
GUI
最終更新:2024年10月21日 01:30