専制主義とは、国家が一人の指導者によって率いられる政治形態の総称である。絶対君主制から神権政治、軍事独裁政権、中道独裁政権までさまざまである。専制主義は世界中の多くの国で見られる。

サブイデオロギー


専制主義は一個人または一集団に権力が集中する制度を指す広範な用語である。これらの独裁者は自分自身の意思で国家を動かしており、そのほぼ全てが市民の反乱を阻止するために軍や警察組織を多用している。専制的な政府は他のイデオロギーやほとんど容認せず、それらを信奉する集団が力を得ることを防ぐための制度も存在する。反対派は全てが国賊として扱われ、激しく弾圧される。選挙が行われたとしても、全て完全な不正によるまやかしか、無名の役職のためのものかのどちらかである。

専制的な政府は常に安定した統治や他国に対する優位を望み、政権の維持や征服のために大規模な軍隊を維持する。独裁者はその権威的体制の言い訳として国粋主義の語を用いることがあるが、彼らはファシスト、国家社会主義者ほど国粋主義的ではない。結局のところ、それは実際の政策の一部ではなく、言い訳に過ぎないのだ。
専制主義
絶対君主制は全権力を君主が保持し、置かれた全政府機関の権限が君主の管理下に置かれるイデオロギーである。最も一般的なものでは、国家は日ごとに君主の管理を離れて閣僚の下へと行き着くが、君主はどんな決定も覆し、閣僚に突き返すことができる。過去千年間の歴史の延長線上に存在する絶対君主制は、最も古く、最も永続的な政府構造の一つだ。

古代から中世への移り変わりの時代には、世界中で君主の支配力が減少し、場合によっては上辺だけの忠誠心しか持たない貴族が権力を握るようなことも見られた。しかし、ヨーロッパやアジアで封権時代が終焉していくと、この制度は再びすぐに変化し始めた。

帝国や王国が世界中で力強く興隆するにつれ、特にヨーロッパにおいて、貴族の力はますます君主やその臣下に振り回されるようになった。しかし、ヨーロッパ君主の権力もやがて立憲政府によって削り取られていき、絶対君主制は中東、アジア、アフリカで多く生き残り続けることとなった。今日、希望を渇望する世界で、もう一度全ての信仰を王室に集中させようとする者が現れるかもしれない。偉大なフランス王、ルイ14世がかつて述べた「一つの信仰、一つの法、一人の王」という言葉のように。
絶対君主制
軍事政権とは、民主主義的要素を排除して、軍が政治権力を握った政府のことである。多くの場合、これには国家憲法とそれに含まれる諸権利の停止が伴う。これによって、軍部は国を安定させ、自分達の支配を受け入れさせることができる。

権威主義的な寡頭制が特徴であり、権力は個人に集中することなく、軍の指導者達が共有している。時には、文民政府機関も機能し続けることがあるが、その活動は軍によって監督され、時には指示されることもある。また、軍事政権は、将来の民主化や失地の回復などを約束することで正当性を維持しながら、公式的かつ直接的に統治することがある。

軍事政権は通常クーデターによって成立するが、危機時には軍の指導者に権力が移譲されることもある。彼らは通常、軍事力や国防を重視するが、状況によって目的は異なる。だが、全ての軍事政権には共通するものがある。それが「兵士は守るが、奉仕せず」だ。
軍事政権
どちらも共和主義的な形の支配ではあるが、文民独裁は民主主義と混同されるべきではない。文民政権が独裁的に国家の手綱を掴み、軍の指導者は殆ど、または完全に文民国家の統制下に置かれ、政府機能に干渉する能力も、時にはそうする欲望すらもなくなる。

一般的に、独裁者は民主主義を装うために、政党を作成または転用することによって独裁政府を正当化する。そのような政党は独裁政権の性質を隠すための仮面であり、また国家の要求に応える道具でもある。政党が実際の政治的権力を持つことはめったにないが、独裁者を支援するための熟練政治家の登用に役立てることができる。

権力が一個人の手中へ一元化され、その人物がなんらかの理由でその掌握を宣言した時、文民独裁制は形成され、独裁者たちは永久にその力を保持することとなる。このような統制はほとんどの場合、その打倒か死かまで続くのだ。
文民独裁
神やそれに類する存在を最高指導者として認める神権政は、神の権威や導きを受けると公式に定められた現世の仲介者を通じ、一時的統治を行う。そのため、国の最高機関のほとんどまたは全ては聖職者や宗教関係者に占められ、ほとんどの政策や行動は信奉する宗教の教義、信条、教典に完全に支配される。

国内においては、宗教行事が目立つこと、教区制度を有すること、自発的にしろ強制的にしろ国民が高度に宗教と関わっていることが特徴である場合が多い。政府の対外的な基本態度は、やはり問題の宗教の性格と支配者層が信奉していると主張する神の特質に大きく左右される。支配者が実際に神を信じているのか、体よくその存在を利用しているだけなのかは、永遠の疑問だ。
神権制
個性的な多くの専制思想の中で、バチカンのみが行使する完全に唯一の支配体制は、君主制、神権政、半民主制的な要素が折衷した体制である。教皇は相続や血統によってではなく、枢機卿団(カトリック教会の上級司教の集まり)が次期教皇を決定するために招集するコンクラーヴェ(教皇選挙)によって終身制で選出される。

教皇に選出された者は、聖座、バチカン、カトリック教そのものの指導者となり、絶対君主的権威を身につける。教皇の権威は従来の国境を無視して、世界中のカトリック教徒が住む場所に広く行使することができる。教皇に実際の権力はほとんど存在しないが、教皇の言葉には他の国家元首のもの以上の重みがあり、結果、バチカンの反感を買おうとする者はほとんど存在しなくなった。
教皇制
民族主義思想の一種であるユーラシア主義は、ユーラシア「超民族」という概念との関係によって定義されている。この民族は、カルパチア盆地からモンゴル平原に至るユーラシア大陸の諸民族が、国力を高め、外部の破壊的な影響力から身を守るために一つの社会的・政治的集団に統合されなければならないとする、思想社会的な概念である。そして、その準備と実践段階を通じ、この民族の持つ「情熱」、つまり総合的な意欲が最大限に発揮され、社会的偉業を達成することができるというのだ。

この理論の鍵は、ロシア民族と西洋の歴史的関係だ。ユーラシア主義は、モンゴル民族などのアジア諸民族との関係に目を向け、基本的にロシアを西洋から分離した国家として定義する。さらに、西洋の影響力に対する防衛手段、文化発展や再生の手段として、ユーラシアの統一を奨励するのだ。ユーラシア主義はまた、ユーラシア民族間の緊密な関係、ヨーロッパではなくアジアとの関係強化、「寄生的国際主義」と超民族外部の存在とみなされるヨーロッパの観念の双方に対する強い拒否を奨励しているのである。
ユーラシア主義
暫定政権とは、民主的な選挙であれ、軍による強制であれ、他の方法による選出であれ、本質的には正式な政府の間に発足する一時的な物である。通常、暫定政権は前政権の崩壊の余波として急速に結成されたものであるが、その崩壊の影響を自身も受ける可能性があり、政権固有の正統性は概して低くなる。従って、彼らが素早く交代しないのならば、国難と不穏は必ず続く。

そのような暫定政権は、後継者が適切に確立されるまで国家機関の現状を維持するため、たとえ非政治的であっても権威主義的になる傾向がある。同時に、彼らが政治的意思や具体的な力を持ち、実際に意味のある政策を実行する可能性は非常に低い。実質的に、国家は暫定政権が置き換えられるまで「凍結」されたままになるのである。
暫定政権
帝国の重要な定義とは、一国による他国の支配によって成り立っていることだ。時には、地元協力者や貴族が新たな支配者に対して歩み寄り、土地の円滑な管理に協力することがある。しかし、喜んで新支配者に協力する現地人が不足したり、単純に支配に嫌悪感を示す場合もあるかもしれない。

そこで植民地政府の登場だ。政府は頂上から底辺まで、支配国から派遣された官僚、役人、総督で構成されている。彼らは、植民地支配を嫌う可能性のある者たちからの指示を一切受け付けない。原住民は野蛮であり自治の準備ができていない、支配国の政治的利益を損なった、被占領国の解放を認められるほどその国を十分に信頼できていない - 正当化の手段はさまざまだろう。反植民地反乱の際、植民地政府が唯一完全に信用できる組織であるため、たとえ総督自身が軍人でなかったとしても政府はしばしば軍と密接な関係を持つ。

植民地支配下の原住民にチャンスはほとんどない。運が良ければ政府職員としての仕事を手にする事ができるが、最下層より上の地位は望めない。したがって、このような政府形態は激しい抵抗運動を引き起こす傾向にある。権利を奪われ幻滅した、得る物はあれど失う物は無い若い軍人たちは、素晴らしい反植民地反乱軍を作り上げるのである。
植民地政府
1958年シリア反乱の灰塵から、文民主導の指導部と軍司令部の対立がアラブ社会主義バアス党全体に波及することとなった。そしてこの対立から、正統派バアス主義思想から大幅に逸脱した新バアス主義が出現した。

新バアス主義者は、党に対する軍の優位を強調し、市民革命より軍主導の闘争を好むという2点でのみ団結している。経済政策だろうと対外政策だろうと、新バアス主義運動は他のほとんどの問題で分裂するだろう。派閥の左派はレーニン主義と近く、階級闘争をいくらか助長する疑似マルクス主義的な経済政策に賛成する。一方、派閥の右派は経済的自由の増加へ賛成する。新バアス主義者は一般的に汎アフリカ主義への関心の減少と地域主義的な理想への好意を特徴とする。

バアス主義運動の老兵たちは、新バアス主義の党の原教義からの逸脱と民衆の自由の無視を嘲笑する。それでも新バアス主義は、正統派を構成する比較的物静かな知識人たちとは対照的に、過激な闘争によって党と民衆に大きな影響を有することとなったのである。
新バアス主義
世界中の先進国において、民間資本は公共の利益と緊張関係にあるが、そのほとんどの国では公益の側が政治権力の操縦桿を握っており、企業の側は数ある利益集団の一つだ。だがこの政体においては独特な状況によって、常態というものが逆になっている。

規制の欠如や汚職によるものか、それとも意図的な国家設計によるものなのか、そのどちらにしろ企業支配下の国では、政治的役割は企業株主と代表者の手の中にある。買収された人間によって規制当局を間接的に操作するにせよ、直接的に政治権力を完全に掌握するにせよ、企業支配下においては投資家や株主の利益が最優先であり、人々の生活などは二の次三の次に過ぎない。
企業支配
自由とは、民衆が保持するにはあまりにも貴重すぎるものだ。

前衛無政府主義は、分権的な無政府主義社会と、社会を防衛するための規律正しい標準的な軍隊の合成を試みる。その結果、社会の存続に関わる問題については、軍隊の支配的、集権的な指導者が最終的な決定権を持つことが多い。このような無政府主義の支持者は、より組織的で安定的な外部の脅威がコミューンを圧倒することを防ぐため、根本的に必要とされている体制だと主張する。一方、防衛と保護の名の下に、しばしば民衆のニーズや意思が軍の権威に隷属させられる上、軍を動かす者が誰であれ、個人が大きな権力を持つという点では他のちっぽけな独裁者とほとんど変わらないため、根本的に腐敗した無政府主義の解釈であるという反対派もいる。
前衛無政府主義
国家というものは、それが共和政であれ王政であれ、民主的である必然性はない。貴族保守主義は、こうしたごく一部の社会政治的思想を、慎重に、だが狡猾な方法によって取り入れている政体である。そうした国家では見かけ上、憲法を戴き、完全な民主的機構を享受しているようにみえる。

だが、代議士、官僚、地方の指導者、そしておそらくは国家元首ですらも、「静かなる支配者」のコネ、金銭、恫喝の下にある。こうした者たちは日の浅い民主国家の貴族にしろ、君主制国家の守旧派にしろ、いわば「宮廷」に住み着いた者たちといえよう。もしくは税制や政策が自身の利益を損なわないように、出来ればそこから利益を得ようとして働きかける、裕福な農場主か地主である可能性もある。

こうした統治体制に反対派が存在しないという理解は不正確だ。やはり反対派というのは、民主的装いをするためには必要不可欠なのだ。とはいえそうした反対派は、また別の政府支持者によって支えられているか、そうでなければ政治的後ろ盾を全く持たない無力な存在であるかのどちらかである。統治の原則は政治的反動となる。現在の責ある者にとって、国家の状態は最良以外の何物でもないからだ。これに同意出来ないとすれば、即座に国家の敵だとされるか、国家転覆を目論む反逆者だとレッテルを貼られることとなろう。

全ての人には値打ちというものがある。結局、こうした政府の影に存する真の支配者ほど、これをよく理解している人間はいない。
貴族保守主義
人々が権力について語るとき、それはある者による他人の精神や行動の支配を意味する。世界の国々において、その支配はしばしば政治的な意味を持つ。指導者は、命令、脅迫、説得をさまざまな形で組み合わせ、実際の暴力の行使を抑制する機関に仲裁を行わせることで、非暴力的に権力を行使する。

軍閥国家は、そのような些細な点に関心を持つことも、わざわざ能力を使うこともない。軍閥指導者は、戦争や危機で荒廃した土地において権力を行使するため暴力に訴える、残酷で残忍な武装集団の指導者である。兵士たちは文官を脅し、資源を簒奪し、非協力的な者を根絶やしにする。軍閥国家に生きる不幸な人々はしばしば、予測不可能で抑制も効かず良識に縛られることもない、戦闘員による略奪隊との戦いを余儀なくされる。指導者個人は複雑な目標や動機を持つこともあるが、率いられる肥大化した軍事機構は、他者を犠牲に豊かになろうとする搾取的なものになりがちである。
軍閥主義
独裁者は様々な形で歴史に登場してきた。思想家であれ立法者であれ、聖人であれ暴君であれ、全ての独裁者には共通することがあった。支配を通じ、あらゆる手段を駆使して達成しようとしたビジョンがあることだ。共和国を帝国へと変えたアウグストゥス、革命的な野望を持って大陸を股にかけたナポレオンなど、歴史に名を残した人物の軌跡は、まさに不滅のものだ。

もちろんそれはルールではなく、むしろ例外にあたるものである。

ほとんどの独裁者は、それほど高尚な動機を持っていない。思想、国家建設などというものは忘れることだ。それらの男(時には女)にとって、権力とは手段であると同時に目的でもある。「全ては私のためであり、あなたのためではない」自己中心主義は彼らの支配と性格の双方を定義してきた。独裁者は、民衆による命令や大義の導きによる支配ではなく、自身による自身のための支配を行うのだ。縁故採用、武力行使、犯罪が頻発するため、いかに不人気な政権であろうとも、その排除は格別困難である。
個人的独裁
血によって得られた自由は、血によって押し付けられた独裁よりもいい。それがパルチザン運動の命題だ。他国の支配下から人々を解放するために戦争が必要なら、猟犬を放ち、聖歌を叫んで戦えばよい。解放という大義への献身とゲリラ戦術の一般的な使用に加え、パルチザン運動は基本的にどんなイデオロギーも受け入れ、どんな階級や国籍の者でも成員となることができる。そして、運動として取りうる全ての形態で組織することができるのだ。都市でも、野原でも、森でも、山でも、人が隠れられるだけの場所があれば、パルチザンは戦える。

欧州の首は軍靴で押さえられ続け、アジアには圧政の旭日旗が輝き、イタリア植民地はローマの鷲の下で悶え苦しむ。これらの悪に対抗するため、パルチザン運動は爆発的に拡大し、多様化してきている。ドイツ国の「模範的な植民地」における連合パルチザン組織から、統一マラヤ抗日戦線のように思想的なグループまで、世界各地のパルチザンが闘争を繰り広げている。地平線上にはまばゆいばかりの光が輝く。約束の地へ向けてパルチザンが必死に行進する中、圧政者は倒され、暴君は焼かれる。人々がとっくに失ってしまった希望を、彼らは再び与えようとする。数多の苦痛と不幸を引き起こしてきた者に、正義の鉄槌を下そうとする。

そして、全てのパルチザンが何よりも優先して戦う物がある。人々のための、永遠に続く自由だ。
パルチザン運動
国政と宗教との交わりは、国政と宗教が存在する限り常にあり続けてきた。太古の昔から、現世と霊界は表裏一体となっているばかりではなく、お互いに混じりあい、言い尽くせないほど深い影響を与えあってきたのである。現代においても、それはカトリック信仰の置かれている状況と何ら変わらない。

国家カトリック主義者は、伝統的なカトリックの価値観に則って国家を運営することが最善であると固く信じており、その主張は一般に権威主義的でかなり保守的になる。伝統の遵守や価値観の維持は、奨励されるべきというより、厳格な遵守を強制されるべきものなのだ。この考えは、他の政治的カトリック教徒と乖離したものである。

国家カトリック主義者は、神権政のように直接信仰の手に指導を委ねるのではなく、より効果的に法を執行できる他の統治機構との協力を推し進めるのが一般的である。全てではないが、通常国家カトリック主義政権の指導を担うのは軍である。特に、カトリックが国の支配的宗教であり、したがって軍でも支配的な場合はそうだ。もちろん、退廃、堕落、無秩序への逆行を防ぐため、それは必要なことなのである。
国家カトリック
主義
管理国家とは、選ばれたエリート官僚集団によって国が支配され、利益に奉仕する政治体制のことである。通常、このような体制を指導するのは、個人的独裁者とは対照的な実力主義で選ばれる技術官僚の集団だ。専門家の手を通して社会のあらゆる側面を事細かに管理することで、官僚たちは国家機関の能率を最大化しようとするのである。管理国家は、市民の要求やニーズに全く無関心というわけではないが、それでも市民の福祉に対する懸念は、技術官僚の手法の中では異質なものだ。市民の要求は、反乱を防ぎ、経済生産高を最大化する目的だけのために聞き入れられ、対応されるのである。

管理国家の指導者は、自らが支持を公言する制度が選挙政治の非効率性を回避するのに最適であり、専門家が国を繁栄に導くのに最適な立場にあると信じる傾向にある。しかし、歴史が証明しているように、人間の予測不可能な感情を考慮することに関しては専門家はしばしば失敗するため、この制度は容易に破滅に至る可能性があるのである。
管理国家
このような国に上陸した者は、国が身に着けている様々な自由民主的装いを見て、政府が民主的であると結論づけるかもしれない。だが、それは全くの見当違いだ。制度的専制主義は、民主主義を追求するどころか、実際には独裁政権ではないのだと国民を納得させることのできる「完璧な独裁」を形作り、維持することを目的としている。新たな10年が明けた今、その最も分かりやすい事例はメキシコのPRIだ。

この種の国家における体制は全て、信じられないほど強力な寡頭支配政党や、政治官僚機構を占有する他の集団によって支配され、覆される。また、政府はその意思を強制する独裁的権力を持ち、大規模監視と思いのままの介入を可能とする法律に明記された権限を持つ。さらには、組織化された反対派の多くも政治的多元性を錯覚させるための存在であり、与党に直接支配されているか、与党の衛星政党である可能性が高い。従って、広範な努力なしには、彼らが権力の座から外れるとは考えられない。

あらゆる行動、不行動、利用、濫用は、支配団体あるいは支配イデオロギーと不可分に結びつく、統一された目標や目的によって正当化される。それがどれほど漠然としていようと、支離滅裂であろうと、正当化はなされるのだ。結果、専制は制度となり、擬態する。国民のイデオロギーと市民社会は、触れるものすべてを吸収する抽象的目標を中心に回転することを強いられる。その最上部に鎮座する寡頭政治支配者の自己利益供与を正当化するため、その目標はたびたび用いられる。
制度的専制主義
かつて孫中山先生は、国民党創立以来の指針である「三民主義」を打ち出し、中国人民の独立、政府の民主化、国民一人一人に対応した総合的な福祉制度の確立を唱えた。

汪精衛たちが南京で蒋に対抗する政権を樹立したとき、日本のアジア構想に適合した自分たちの「三民主義」を宣伝する必要が出てきたのである。内はコーポラティズム、外は反欧米、欧米の干渉を受けず東アジア諸国との協調により民族の福祉を図るという三原則の解釈、すなわち汪精衛思想が誕生した。当初、汪主義は孫先生の理想を曲解したものという扱いだったが、南京政府内には汪の説教を信じる者がいた。大東亜戦争で日本が勝利したことにより、汪の思想は妥当なものとされ、影響力を持つようになった。汪精衛の言葉は、アジアの先駆者として、他の共栄圏域にも影響を与え始め、民衆や政治家の間で注主義が流行し始める。

1950年代後半に汪が亡くなると、国民党の各派閥の中で「三民主義」に対する様々な解釈が密かに行われるようになった。しかし、汪主義は、民衆の間で最も影響力のある解釈として残っている。長年にわたる若者の洗脳と汪の総統時代の初期の経済成長により、民衆は汪主義をそのまま受け入れている。言うまでもなく、汪精衛思想は中国における国家観念形態の正統の座にしっかりと座っているのであり、これを脱却するためには、真に魅力的な代替案が必要である。
汪精衛思想
孫先生の約束した三民主義は闘争によってのみ実現に近づくと、蒋介石思想は主張する。闘争は人生のあらゆる側面に浸透している。諺にあるように、生きるということは心と体の絶え間ない闘争なのだ。そのため、個々人は常に準備を整えておかなければならず、国家は秩序と安全を何より優先せねばならない。

この思想体系の信奉者にとって、国家の弱さとは組織と精神の弱さから生まれるものだ。よって人民は、集団的な責任感を育むため、国民意識と革命的教義に慣れなければならない。政治体制は、高まる国難から身を守る社会の団結した前衛である。全国民は、この統一された政治機構の指導に従わなければならない。

蒋介石思想は、人種主義を否定しながらも、ドイツとイタリアを統一された国家の典型として強調している。また、反帝国主義や反植民地主義、外国の影響力に対する疑念、国民と国家の双方における自立の重視も強く強調している。南京政府とは異なり、指導者の重要性は否定も肯定もされていない。党内民主主義が奨励されるのは、個人崇拝や派閥主義ではなく、常に原則に基づいて党が運営されるようにするためである一少なくとも、名目上は。

これらの手段によって三民主義の成功は成し遂げられるのだと、残る総統の信奉者たちは信じている。その結果、正義と秩序に基づく国家と政治が復活し、地上の抑圧される人種にとって解放の模範となるのだ。
蒋介石思想
国民性とは美しいものだ。庶民を抑圧し、外国資本のために奴隷として働かせようとする外国人王族との戦いから生まれたものなのだ。しかしこうした庶民の手により、ささいな争いは闇に投げ込まれ、炎は弱まってしまった。そして今、資本家、地主、政界エリートといったほとんど貴族のような集団が、その聖火を新たな高みへと昇らせようとしている。

外部からすれば、良く言えば素朴、悪く言えばあからさまに矛盾する存在に見えるだろう。共和国建国の父の忠実な息子たちからすれば、その崇高な犠牲から最も多くの恩恵を受けたものが、共和主義革命を継承するのは当然のことだ。社会の成員を階級や信条に関係なく団結させることができるのは、攻撃の機会をうかがう歴史的な抑圧者に対抗してきた彼らだけだからだ。彼らだけが、飢餓や貧困からの保護を保証し、帝国主義によって地に落ちた文化や言語を維持し、国民一人一人がその地の富に関わられるようにできるのだ。

しかし、行動は言葉よりも雄弁だ。生まれつき金持ちな大家の甘い言葉が、その貸家で思い悩む8人家族の食卓を支えることはない。理想主義的な闘争に見せかけた民族虐殺を祝う愛国的な歌や踊りに、生き残った者たちの子孫への愛情は感じられない。むしろ、生存者は疎外され、演説で寄生虫として非難されている。この種の民族主義者は、そうした懸念や、自らの神聖な旗の下で成し遂げられた国家統一を愛するということをまだ理解しておらず、暴徒の先導者や裕福な貴族の些細な屁理屈として無視している。しかし、異論を唱える新聞の見出しでこうした懸念が取り上げられたり、日々の政権運営に支障が出るようになると、その権限に疑問が生まれる。この団結が、分裂を生む以上に問題を解決するかどうかは、時間が経たねば分からない。
貴族共和主義
急進的ケマル主
南極行政

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最終更新:2024年10月13日 18:53