石原幸一(いしはらこういち、1907年8月-1980年1月)は、日本の
商工官僚、政治家。
来歴
初入閣
参院の重鎮
共和党総裁
1970年4月、
第22回衆議院総選挙において、
共和党は議席数を40議席以上減らして比較第一党から陥落。責任を取って、
青山剛志総裁は退陣を表明。1955年から守ってきた共和党政権最後の首班となった。この責任追及の最前線に立ったのが、
雄伯会の
江藤隆一と
同志会の石原であった。石原は、派閥代表級会談を党内に要請。
党内7個師団と呼ばれていた、
同志会、
構造研、
保守研、
雄伯会、
二期会、
玄徳会、
進歩会の7派閥の代表級協議が行われた。各派閥は、争いによる新総裁選出を嫌い、これまでの実績に照らした中で、石原を新総裁として担ぎ上げることを決定。石原も「火中の栗を拾う責任」を感じて総裁選への出馬に関して以降を固めた。1970年の
総裁選では、無派閥の対抗馬が出るという可能性があったものの、最終的に無投票で総裁に選出される。
野党時代には、
共和党の政権政策を総ざらいして、党内人事を一新。若手の活躍を図るために局長級の人事に1年生や2年生を登用。参議院における安定的な議会運営を図るため、参議院共和党の設立を進めたが道半ばで実現はしなかった。1973年の
通常会終幕後、「総裁任期は3年間」という発言をして総裁を退く意向を決定。衆議院解散の可能性がある中で、できるだけ早い段階での総裁交代を行いたいという意向もあった。
晩年
経歴
選挙歴
最終更新:2025年07月29日 09:43