白石大吾

白石大吾(しらいしだいご、1895年8月-1979年10月)は、日本の総理大臣(41代)進歩会代表、「学者総理」の愛称で知られる。

来歴

生い立ち

1895年8月、熊本県熊本市出身。旧制第八高等学校(現在の九州大学附属久留米高等学校)、慶應義塾大学経済学部をそれぞれ卒業。
1918年4月、日本勧業銀行入行。勧銀がこの年初めて行った第1期企業留学生として、コロンビア大学へ留学。5年間学んだ後、経済学博士を受領する。その後、勧銀で10年勤務した後に退職。

大学教員時代

退職の後、母校の慶応義塾大学経済学部講師に着任。日米商取引を専門の研究分野とした。1938年に准教授、1944年に教授へ昇進。1944年より、慶応経済研究所教授を兼任。このころの専門は、情報経済学であった。

政界入り

1945年8月の終戦後も、大学教員として精力的に活動していたが、1946年3月に旧知の大路晴雄から誘いを受けて日本共和党へ参加。次期衆院選での出馬を検討していたが、同年8月に協同共和党設立に際し、政権綱領作成を手伝うために慶応義塾大学を退職。
第14回衆議院総選挙(1946年12月)で、東京1区から初当選。党の政調副会長に就任する。政権綱領づくりを専門とするため、大路晴雄の派閥である二期会への参加を見送りとした。その後、野党暮らしの中で、議席を取れず苦しんでいた大路晴雄の下で、政策親分として活動。

入閣

1955年5月、鶴田内閣総務大臣として初入閣。続く遠山内閣では、運輸大臣に横滑り。懸案とされてきた、国際空港開発法で力を示したが、あと一歩のところで内閣総辞職に阻まれた。続く杉浦内閣でも留任。改造内閣では、商工大臣に横滑りして入閣した。
1962年12月、村上謙吾の下、幹事長に就任。このころから、進歩会に参加、派閥の中枢メンバーとなっていく。村上謙吾赤城勇作という2名の総裁に仕えた。第20回衆議院総選挙第21回衆議院総選挙で勝利を収めることができたのは、幹事長である白石が、全国の銀行系労組を味方に引き入れていたからであった。

内閣総理大臣(白石内閣)

1966年4月、総選挙後に赤城勇作の後継者として無投票で総裁に就任。首班指名を受けて、白石内閣を組閣した。「経済の白石、組織の白石」と呼ばれるほどの経済政策と組織交渉力を武器に社会党包囲網と呼ばれる体制を保守党とともに構築。閣外協力ではあったものの保守党との政策協力を行った。第7回参議院通常選挙で共和党を勝利に導くと、安定の長期政権になると言われていた。
しかし、1967年の通常会を経た後、訪米の予定をキャンセルして突如退陣を発表。就任前からささやかれていた、循環器系疾患などの健康不安説が流れていたものの公式にこれを否定。結局、鶴田正弘亡き後のキングメーカーとして君臨するためともいわれていたが、本人の中には世代交代への意向があったとされる。

進歩会会長

1967年6月、総理大臣退任の2か月後、村上謙吾の後任として進歩会3代目会長に就任。しかし、キングメーカーとしての活躍の機会なく社会党に政権を譲る。1975年の自由党結党の際には、「旧時代の代表者」として派閥会長のまま党の役職を断った。国民世論からは、返り咲きを期待する声も大きかったが、高齢を理由に第24回衆議院総選挙への立候補を断念。政界引退を表明。
政界引退後は、自宅で療養を送るも、政界引退の翌年に逝去する。

経歴

1895年 8月 熊本県熊本市出身
1914年 3月 旧制第八高等学校・卒業
1918年 3月 慶応義塾大学経済学部・卒業
4月 日本勧業銀行・入行
10月 第1期企業留学生・採用
コロンビア大学経済学院・入学
1923年 6月 コロンビア大学・修了(経済博士)
8月 ワシントン支店
1924年 10月 丸の内本店調査部長
1927年 7月 仙台支店融資部長
1928年 4月 仙台支店長
1931年 4月 小樽支店長
1932年 7月 丸の内本店国際計画部長
1934年 3月 退職
4月 慶応義塾大学経済学部講師(教養教育部)
1938年 4月 慶応義塾大学経済学部・准教授
1944年 4月 慶応義塾大学経済学部・教授
(兼任)慶応経済研究所・教授
1946年 8月 退職
協同共和党へ参加
12月 第14回衆議院総選挙で初当選(東京1区
1947年 1月 党・政調副会長
1949年 3月 共和党へ参加
党・政調副会長
1955年 5月 総務大臣(鶴田内閣)・初入閣
1957年 6月 運輸大臣(遠山内閣杉浦内閣)
1960年 6月 商工大臣(杉浦内閣(改造))
1962年 12月 幹事長
1966年 4月 党総裁・内閣総理大臣(白石内閣)
1967年 4月 退陣
6月 進歩会会長
1975年 4月 自由党へ参加
1978年 7月 選挙への不出馬のため、政界引退
1979年 10月 逝去

選挙歴

選挙 開票日 年齢 選挙区 政党 定数 順位
第14回衆議院総選挙 1946年12月 51 東京1区 協同共和党 6 3/15
第15回衆議院総選挙 1949年10月9日 54 東京1区 共和党 6 2/13
第16回衆議院総選挙 1952年5月11日 56 東京1区 共和党 6 4/12
第17回衆議院総選挙 1955年5月15日 59 東京1区 共和党 6 4/11
第18回衆議院総選挙 1957年6月9日 61 東京1区 共和党 6 1/11
第19回衆議院総選挙 1959年7月12日 63 東京1区 共和党 6 2/13
第20回衆議院総選挙 1963年7月14日 67 東京1区 共和党 6 1/12
第21回衆議院総選挙 1966年4月24日 70 東京1区 共和党 6 1/13
第22回衆議院総選挙 1970年4月26日 74 東京1区 共和党 6 1/12
第23回衆議院総選挙 1973年9月16日 78 東京1区 共和党 6 1/14
最終更新:2025年07月20日 12:00