杉浦静(すぎうらしずか、1893月8月-1975年1月)は、日本の記者、政治家。
第38代内閣総理大臣
来歴
政界進出
46歳(52)
民主党から政界入り。文部委員、経済委員を経て、50歳(56)経済大臣(福原内閣)として初入閣。52歳(58)経済大臣(鶴田1内閣)として続投。54歳(60)国務委員長代行/総理府長官(鶴田23内閣)。58歳(64)保守研会長を禅譲され、国務委員長(
遠山内閣)に就任。
60歳(48)、鶴田正弘を筆頭推薦人として総裁選に勝利。総理総裁に就任した。総理在職中には、「国際空港開発法」を本会議の強行採決で通過させるなど鶴田の強引な手法を擁護していた。一方で、鶴田は密かに「蔵元おろし」の運動を始めた。保守研の中でも強力な勢力となっていた鶴田側近の議員連中が派閥を飛び出したことで保守研は混乱していた。62歳(68)党内の混乱を収めて次の選挙に挑みたい党執行部の要請から総選挙前に総裁選を行うことを決めた。総裁選では、同志会の支持を得て臨むつもりだったが、派閥内での内部分裂が表面化して保守研から2名の候補者を出す事態となってしまった。結果として総裁選に敗れると、派閥会長職も退くこととなった。64歳(70)で赤城勇作の総裁選筆頭推薦人に名を連ね、経済大臣(
赤城内閣)として入閣。次の選挙を目指した、「全国経済発展運動キャンペーン」を主導していたが効力が現れず内閣支持率低下の要因ともなってしまった。この時期には、鶴田正弘と党二大長老を争っていたものの1972年総選挙で落選しそのまま政界引退を発表した。
最終更新:2025年09月11日 14:57