天に雷、地に嵐。
刻は夕闇、戦場は荒野。
敵は『屍姫』率いる屍徒の群。
「灼熱槍!用意!」
イストモス義勇騎兵団総団長ゼラ・ファンタズマールの号令に、残騎僅かの
ケンタウロス騎士達が精霊との『交渉』を開始する。
『松明に宿る火の精霊、大気に満ちる風の精霊たちよ…』
火の精霊力を槍の穂先に。風の精霊力を四つの蹄に。
ランスの先端に集中させた莫大な熱量と、風の精霊によって強化された機動力。
西方イストモス騎士が得意とする野戦戦術、『灼熱槍による疾風突撃』。
「構え!突撃!!」
赤熱化したランスの先端を揃えてケンタウロス重騎兵団が疾風の速度で突撃する。
屍徒が犇めく暗闇の戦場を、幾筋もの灼熱の死線が引き裂いていく。
スラフ島の攻防戦。
それは亜人・獣人たちによる『人類連合軍』と、屍姫サミュラ率いる『屍軍』の戦争だった。
◆◆◆
深く美しい森。
実り豊かな穀倉地帯。
西方イストモスの白亜の城館。
武勇の誉れ高き、騎士ファンタズマールの一族。
出陣する三人のケンタウロス騎士。
三人の娘を見送る母。
「行って参ります。お母様。」凛として生気溢れる女騎士の声。長女のゼラ。
「三人とも無事で。特にデュラは無茶をしないように。」老いた母の心配そうな声。
「お母様、私たちはその“無茶”をしにスラフ島に行くのよ。」デュラと呼ばれた娘は笑いながら答える。三姉妹の次女。
「ご安心下さいお母様!ゼラ姉さま率いるイストモス騎士は地上最強。ケンタウロス騎兵の波状突撃を支えられる軍勢などありません!」
年若いケンタウロス騎士が元気一杯応える。つい先日騎士叙勲したばかりの末妹ミラ。
スラフ島の対『屍軍』戦に義勇軍として参戦する『イストモス義勇騎兵団』。
その総団長を務める騎士ゼラ・ファンタズマールとその妹たち。
冷静沈着な長姉ゼラ、剛毅闊達な次姉デュラ、天真爛漫な末妹ミラ。
全ては3か月前に始まった。
『屍姫』と名乗る者からスラフ島の諸国家に通達がなされたのだ。
「ここスラフ島に『全ての民が幸福の中で暮らせる永遠の国』を建設する。諸国家の君主たちよ、武器を棄てて我が計画に参画せよ。」
『屍姫』から与えられた猶予期間を待たずして、スラフ島の全国家が徹底抗戦を決定。
世界の主要大国に援軍要請を行った。結果として国家は動かなかったが、個人はそうでは無かった。
それは国家の意思では無かった。
志を持つ一人一人が屍姫の野望を阻止すべく、自らの意思で義勇軍に参加したのだ。
対『屍軍』戦は、人類連合と屍族の全面対決の様相を呈してきていた。
そして今、若き女騎士ゼラ・ファンタズマールに率いられたケンタウロス義勇兵500騎がスラフ島に赴かんとしていた。
◆◆◆
絶望的な戦闘。
迫りくる屍徒の軍勢。
次々と打ち倒されていく味方。
そして、味方の屍が新たな敵となって襲い掛かる。
それは、まさに死の軍勢だった。
亡霊の騎士のランスチャージ。それが通り過ぎた後に残るのは血糊で彩られた深紅の絨毯のみ。
漆黒の動甲冑の大剣の旋風に巻き込まれたが最後、血肉も鋼も諸共にミンチと化す。
増殖し続ける屍徒の軍勢。その中央に鎮座する髑髏の屍術師。不可視の糸でヒトの軍勢を切り刻み、新たな屍兵を編み上げていく。
鎧の軍勢を率いる屍族の少女。斃した敵の甲冑を自軍に編入して屍徒の軍勢を無限に増強していく。
天空から死を振り撒く二体の高位屍族。翼あるものと翼なきもの。
所詮、生あるものが立ち向かえる相手では無かったのか。
白い布に零したインクの沁みのように、急速に戦場を“死”に塗り替えていく。
ヒトの軍勢は、夜を迎える度にその戦線を後退させていった。
◆◆◆
スラフ島に向かう高速帆船。
ラ・ムールの富豪が私費で用意した輸送船団の一隻。
イストモス義勇兵500騎を乗せて、海上を軽快に飛ばす。
「ねえ、デュラ姉さま。スラフ島とはどのような土地なのですか?」あどけなさを残す声で妹のミラが問う。
「そんなことも知らずに乗り込もうだなんて。無謀にも程があるわね。」姉のデュラが笑いを含んだ声で妹をからかう。
「むっ無謀じゃありません!姉さまと一緒なら怖いものなんて無いんですから!」むきになって反論するミラ。
デュラは歳の離れた妹を目の中に入れても痛くないくらい可愛がっていた。
可愛い妹の亜麻色の髪をくしゃくしゃと撫でて、ぎゅっと頭を抱き寄せる。
「大丈夫、ミラ。ゼラ姉さま率いる私達ケンタウロス騎士にかかれば屍姫の軍勢なんか鎧袖一触よ。」
「はい!デュラ姉さま!」
大好きな姉を信頼しきった声で、幼い騎士が元気一杯応える。
水平線の向こうに、スラフ島の陰鬱な島影が見え始めていた。
◆◆◆
「ゼラ・ファンタズマール総団長、御討死に!」
イストモス騎兵に衝撃が走る。
ゼラ総団長が、鎧の軍勢を率いる屍族の少女との壮絶な一騎討ちの末、遂に首を飛ばされたのだ。
指揮権が次女デュラに移る。残り少ない味方は無数の屍徒の軍勢に包囲されつつある。
「楔形陣形!風の防護陣!」
デュラの号令でイストモスの騎士たちは即座に陣形を組み換え、風の精霊力で周囲に空気の防御膜を張った。
生き残りのケンタウロス騎士たちは、一つの巨大な“槍”の穂先と成った。
「十時の方向!突貫!」
敵の包囲網に一筋の間隙を見出したデュラは、一点突破に自身と部下の生死を賭けたのだ。
巨大な楔の決死の突進に、屍徒の軍勢が道を開ける。
脱出が成ったかと思われた、その時。
楔の正面に髑髏の屍術師がゆらりと立ち塞がった。
微かな風切り音と共に無数の煌めきが空中を奔り、イストモス騎士たちの四肢を捕えその動きを封じる。
「なんだ!?これは!!」
髑髏の屍術師が放つ不可視の糸が、ケンタウロス騎士たちの四肢を縛り上げその肉体を自在に操る。凄惨な同志討ちが始まった。
同朋相討つ悪夢のような乱戦の中、背後から一つの手がデュラの肩にかかる。
デュラは右手にランスを握ったまま、反射的に左手で騎士剣を振り下ろした。
「ミラ!?」
振り下ろした剣が、髑髏の糸に操られた妹の頭部を、脳天から喉元まで一太刀で縦に断ち割っていた。
◆◆◆
どこをどう走ったかも判らなかった。
見渡す限り戦場を埋め尽くす無数の屍徒の群。
そして、荒野の戦場に独りデュラだけが生き残った。
姉ゼラも、妹ミラも、共に海を渡ったイストモスの騎士達も、従者の狗人も全て死んだ。
今更生き延びるつもりは無い。だが唯では死なぬ。
玉砕覚悟で敵の本陣に最後の突貫を試みる。
北方の上空に禍々しい瘴気の巨柱が屹立している。
ほぼ間違いなく、あの巨柱の根元が『屍姫』の本営。
デュラは精神を集中し、火の精霊との交渉を開始した。
『灼熱槍』と比べて集中させる火の精霊力がケタ違いに大きい。
デュラは自ら火の玉と化して『屍姫』本人に特攻をかけるつもりだった。
その時、脳内に少女の声が雷鳴のように轟いた。
『…良くぞこの地獄の戦場でここまで生き残った。君は見込みがある。』
血塗れのランスの先端に立つ一人の少女。
長い銀髪を戦場の風に靡かせ、その肩に一羽の鴉を乗せている。
(……屍姫?)
一瞬、敵の巨魁の名が浮かぶ。
だが、違った。
目の前の存在は、それを遥かに超えた巨大でおぞましい何か。
あの髑髏の屍術師や鎧を率いる屍族の少女とも違う、完全に別次元の力の持ち主。
恐怖と絶望に四肢が萎えそうになるのを必死に踏み止まる。
全身の気力を振り絞って誰何する。
「何者か。騎士の槍に足を掛ける無礼者め。」
「素晴らしい…素晴らしい精神力だ。ケンタウロスの騎士よ。」
少女は吹き荒ぶ風に髪が乱れるままに任せ、讃嘆の念を隠さず言葉を続けた。
「だが、君が最後だ。他のものは全て“死んだ”。
ここまで生き延びた君に一つ、褒美をあげよう。
死神が憎いか?屍姫を斃したいか?屍徒どもを滅ぼしたいか?
君が願うなら“それ”が叶う『力』を与えよう…」
少女の言葉に誘われ、デュラの脳裏に閃光のようにここ数時間の情景が浮かぶ。
髑髏の屍術師の糸に操られ、互いに殺し合う僚友たちの涙。
鎧を纏った屍族の少女の大剣に斬り飛ばされた姉ゼラの首。
デュラ自身の剣で脳天から二つに断ち割られた妹ミラの顔。
美しいデュラの顔が醜く歪む。
歯軋りで奥歯が割れる。
血の涙が頬を伝う。
ドス黒く熱いマグマの様な何かがはらわたの奥で産声を上げる。
憤怒と憎悪が、気高く剛毅な騎士デュラ・ファンタズマールの心を赤黒く塗り潰していく。
「…力が欲しい。奴らを斃す力が…!」
「ようこそ、屍徒の国へ。」
次の瞬間、イストモスの女騎士の首が熟した林檎のようにゴロリと地面に転がった。
かくして騎士デュラ・ファンタズマールは『転生』した。
ランスの先端に引掛けて、地に転がる自らの首を無造作に拾う。
両の眼から吹き出る青い炎が、ランタンのように戦場の暗闇を照らす。
握りしめたランスの先端が、全身を覆う白銀の甲冑が、憤怒と憎悪で赤黒く染まっていく。
新たなる屍徒『首なし騎士』は、斃すべき『敵』を求めて、死者が蠢く無人の荒野を奔り去っていった。
◆◆◆
スラフ島北端。
屍姫サミュラの本営、トゥルゴヴィシュテ城『星辰の間』。
屍姫に近侍する一人の貴族が呟く。
「…大勢が決しましたな。サミュラ様。」
貴族の名はキエム・デュエト。後の「審議候《ジャッジメント》」キエム・デュエト侯爵である。
キエム侯は無数の風の精霊と交渉を持ち、スラフ島の全戦線の状況を風の精霊からの情報で把握している。
こうして把握した戦況を屍姫サミュラに「実況」するのが彼の役目だった。
キエム候からの最後の「実況」を聴き終え、屍姫サミュラは深い溜息を洩らした。
「…被害は、“彼ら”の被害はどれくらいなのですか。」
「無抵抗の者、武器を捨てて投降した者は一人たりとも傷付けてはおりません。しかし最後まで抵抗した者は全て…」
「何故…彼らは抵抗を止めなかったのでしょう。投降すれば生命は助けると通告したはずなのに…」
屍姫の美しい眉が曇る。
キエム候は一瞬何かを言いたげな顔をして、しかし慎ましく沈黙を守った。
その時、屍姫とキエム候の脳内に雷鳴の如く少女の声が轟いた。
『ヒトには、時に自らの生命より優先するべきものがあるのだ。』
突如、目の前に出現した屍姫と瓜二つの少女。その肩には一羽の鴉。
即座にその正体を察したキエム候は、無言で一礼し、音も無く退出する。
鴉を肩に乗せた少女は、愛おしげな眼差しで屍姫を見下ろす。
「サミュラ…君のように聡明な者でも理解できない事があるのだね…
いや、かつて君が“あの世界”で生を謳歌していた時には、きっと当たり前のように理解してた事なんだ。
ヒトとケモノを分けるもの。命よりも大切な何かに殉じる事。“死”に立ち向かう意志。
…だから僕は、ヒトが愛しくて仕方無い。」
サミュラと呼ばれた少女は、自らの創造主に向かって静かな怒りを込めて反論する。
「そうやってどれだけの命を、魂を弄べば気が済むのですか。哀れな騎士の魂を弄んで、貴方はまた一人『怪物』を造ってしまった…」
「ああ、やはり君の眼は誤魔化せない。そう、彼女は気高く剛毅で稀有な魂の持主だった。だから“選んだ”。
他にも何人か選ばれし者が出たよ。やはり戦場は素晴らしい魂の狩り場だ…
この戦争を起こしてくれた君には、いくら感謝してもしきれない。」
死神の残酷な言葉に、屍姫は一瞬目を見開き、そして目を伏せ静かに涙を流した。
「彼女の怒りと憎しみは周囲のすべてに災厄を齎すでしょう…
生あるもの。死せるもの。今の彼女には等しく滅ぼすべき敵にしか見えない。
でも何の為に?何故このような哀れな存在を生み出したのですか…?」
死神は屍姫の問いに答えず、一人もの思いに耽っている。
「彼女は自らの憤怒と憎悪に縛られている。そしてそれこそが屍徒となった彼女を支えている。
いずれ彼女の呪縛を解く者が現れるだろう。その者とは何者か。自らの呪縛から解放された彼女はどのような『もの』になるのか…」
屍姫は静かな哀しみ湛えた表情で、死神の独り言に聴き入っている。
城外では、スラフ島の全制覇と、屍姫が願った『全ての民が幸福の中で暮らせる永遠の国』の建国を祝福する屍族たちの歓呼の雄叫びが鳴り響いていた。
◆◆◆
そしてスラフ島はヒト為らざる者共の版図となり、いつしか『
スラヴィア』と呼ばれるようになった。
『首なし騎士』は、思うがままに憤怒と憎悪に身を委ねながら、スラヴィアの荒野を疾走していた。
かつてデュラ・ファンタズマールと呼ばれた『首』が、歓喜に打ち震えて高らかに宣言する。
我、この地に棲まう者どもに、遍く等しく災厄を齎さん。
我、この地に棲まう者どもの天敵と成らん。
我は“復讐者”。
我こそは“災厄の騎士”。
end
●あとがき
読んでくださった方ありがとうございました。『首なし騎士』デュラ・ファンタズマール女侯爵の誕生話です。
前々からwikiの設定を見て他の貴族とは異質なキャラだなと思ってまして、
【屍界戦線】のスラフ島戦役に絡めて自分なりに書いてみました。
いろいろ穴がありますが少しでも楽しんで頂ければ幸いです。(この穴をどなたか補完して頂けるとホント助かります。)
●以下、余談。
作中で死神モルテが言及していた「『首なし騎士』を呪縛から解き放つもの」。
まだきちんと決めてませんが、何となくスラヴィアンではない誰かのような気がします。もしかすると地球人かも知れません。
それと、
【美死姫の初陣】から「審議候≪ジャッジメント≫」キエム・デュエト候に登場していただきました。
変人とバトルマニア揃いの「最古の貴族」の中では珍しいタイプだと思います。今後もいろんな場面に登場して頂くことになりそうです。
- 壮絶な三姉妹の顛末に思わず絶句しました。屍軍との戦いというものがスラフ島戦役で初めてだったのならスラヴィアの面々の脅威もまだ周知ではなく敗北必至の戦いに多大な兵が投入されたのも頷けますね -- (名無しさん) 2013-03-24 19:09:52
- サミュラの庭を創るためだったけど予想のほか面白い駒が増えてスラフ戦役ごちそうさまって言ってそうなモルテ -- (名無しさん) 2013-11-02 22:09:37
-
最終更新:2011年10月17日 12:24