「じゃじゃじゃ…じゃじゃじゃ…じゃーん!!(大河ドラマ獅子の○代のイントロ)」
ラ・ムールに新しいカー・ラ・ムールが姿を現した。
カー・レブオーロ、後の金獅子王である。
5年前、彼は両親から奪い取られるように王宮へ運び込まれた。
生まれつき両目の開いたカーは希であるが、カー・シン・ガフがそうであったように
彼は生来、左目の虎眼石が開いており、あろうことか実の親に抉り取られそうになったという。
これもカーは隻眼であるという、根も葉もない噂のせいだった。
「苗字などない。カー・ラ・ムールに害なす大逆罪を侵した者が歴史に名を残すことはない。
大逆犯が着けた名前も汚らわしいわ。そうだな。名前はレブオーロとせよ。」
大神官ネレフトの宣明により、レブオーロの生家に関しては記録は抹消済みとなった。
その後、王宮で彼は育ったが、重臣たちは全く彼に興味を示さなかった。
既に彼らにとって丞相カウ・ヴォングこそが太陽であり、王であった。
また太陽がなくとも各部署は正常に運営できる。
もはや古臭い権威の担い手、至尊の存在に対する敬意はない。
だが、用心はしなくてはならない。
モルテ教団や各国の政治混乱が、いつ自国におよぶとも限らない。
「王は今日も健やかにおわす。」
「結構なことだ。」
警護の兵士たちが無駄話をしていると、通りかかった将校が睨む。
すぐにそれに気づいて持ち場に戻る兵士たち。
実は懸念があったのだ。
オルニトで神官のひとりがモルテ教団の狂信者に殺害されたという話だ。
本当に犯人がモルテ教団の信者だったのか、どういう状況だったのかははっきりしていない。
ただ首のない人馬が現場で目撃されたという話が伝わっており、悍ましい闇の勢力の使役する怪物だと噂されている。
「人馬の怪物が刺客として各国に送り込まれているというのであれば、警備を強化すべきでは?」
王宮警護部隊の将校たちが、宮殿内の一室に集まって話し合っている。
今や王都は脆弱になりつつあった。
まずカウがクーデター対策として過剰な兵力を王都周辺から遠ざけるように決定した。
代わりに信頼の置ける一部の部隊を配置し、各地の守備に当たらせた。
次に神官団と将軍たちの官邸は、王都から離れさせた。
旧王都に難民が流入したのは、あまりに王都が広すぎたためという判断である。
旧王都ラーナ・ラ・ムールは建設王カー・ゲルが自らの権勢を示すために作らせた巨大建築事業のひとつだった。
都内各地に神官、将軍たちの広大な官邸を与え、高級軍人や文官官僚を住まわせた。
見るも鮮やかで華麗な都が完成したが、維持費がかかると言うことで多くの官邸の敷地内に民家が建てられ分譲された。
国家から大きな家を与えられ、その土地を切り売りするというのは古代や中世では、ままあることである。
江戸時代、大名たちが江戸屋敷を商人に貸出したり、古代ローマでは自分の家の部屋を他人に賃貸することがあったのである。
結果、違法に家の中に家が建ち、国が把握できないという有り様。
そんな事だから、ドラゴン襲撃で国内が乱れれば、あっという間に旧王都はスラム街となった。
これを教訓に、公職役人の官邸を都から離れた場所に配置させた。
都市もコンパクトにまとめ、できるだけ首都機能を集約し、洗練させる。
最後に中心街に放射線状の目抜き通りを作らない、という異例の決定がなされた。
放射線状の街路整備は、市街地で戦闘が起きた時、素早く部隊を運用するために近世に建設された都市の特徴である。
こちらが市民の暴動を制圧する場合は、放射線状の街路をさかのぼって中心街に追い詰める。
逆に各地に部隊を展開する場合は中心街に兵力を集めて、外側に部隊を進行させる。
これもカウは”首都が前線”という特殊条件下での軍事行動を考えない、と宣言した。
理由は首都がそのような状態では、国政機能が正常とは思えないため、被害が大きすぎるということ。
敵軍が王都目前まで迫った場合、国民に犠牲を強いることなく降伏せよ、という考えである。
一見、敗北主義とも見られがちだが、そんな戦況を覆せるとは思えないのが冷静な判断だろう。
市民の暴動に関しても、国が民衆と戦う状況を認めるような都市計画は、論外ということだった。
こうして建設された新王都マカダキ・ラ・ムールはラ・ムールの現在までに9つある内の最期の王都である。
名目上、建設したのは漆黒王カー・シン・ガフとなっている。
さて、話を王宮警護部隊の詰所に帰す。
「丞相は軍人出身なのに、なぜこうも守り辛い都市計画を立てたのだ?」
「軍略には疎い人だからな。」
カウに否定的な意見を出す将校に対し、一部の将校が反論した。
「首都が戦場などという事態は認めないというのは正しいだろう。」
「それは正しいが、理想論だ。」
「王都が戦場になったら、その前に降伏するしかないのは分かっているハズだ。」
「敵軍が降伏を認めなきゃ、王都百万の民が虐殺されるんだぜ?」
将校たちが口論していると、王宮警護部隊の隊長が口を開いた。
「もう止めろ。それ以上、話し合っても今から都を作り替えることはできん。
第一、モルテ教団が敵となっても、大軍勢を王都に繰り出してくる訳ではないし、
我々が考えるべきなのは、陛下をお守りすることだけじゃ。」
隊長の言葉に、将校たちは気持ちを切り替えた。
「しかし、なんだってあんな如何わしい宗教団体に入りますかね?」
「世の中が目茶目茶だからな。新しい価値観や思想を信じたいんだろう。」
結局、話し合いでは何も解決せず、せめてカー・レブオーロに極力、出歩かないように申し伝える程度になった。
「陛下、危険なのでお外に出ないでね。」
随分砕けた調子でレブオーロに用件を伝えると、侍従たちは下がっていった。
王の私室から離れていく侍従たちが雑談する。
「それにしても帝王学というか、英才教育のようなものは必要ないのかね。」
「赤ん坊の状態で見つかるというのも珍しいし、どうしたものか前例がないな。」
侍従たちは、一応は神官職の中に含まれていた。
神官たちは祭儀を司る聖職貴族で、歴代カーの子孫たちである。
転生するカー・ラ・ムールが王位に就くため、カーの子供たちは王にはなれない。
しかし、多くは世俗的権威を占め、何代も王国の重臣として仕える一族があった。
文官官僚たちは国家試験で選ばれた役人で、全くの庶民である。
賢王カー・サリエの教育制度から発展した登用制度による。この時代には大臣職など、より大きな権限も認められた。
ただし、その性格上、世襲的な性格はない。
将軍たちは軍事貴族に当たり、元はラ・ムール王国が成立する間に併呑された小国の王の末裔、
あるいは地方の豪族たちの子孫である。
家系図をさかのぼれば、英雄だとか勇者だという連中が並んでいる。
カウ・ヴォングも将軍の一人であり、元は地方豪族の出身とされているが、記録の上では養子である。
とにかく記録自体が古すぎることもあって、正確なものは全く伝わっていない。
世襲制度や家制度が、まだまだ当たり前の時代である。
その中で、確かにカー・ラ・ムールは特殊な存在だった。
歴史上、カー・ラ・ムールの教育は、家臣たちは一切、触れないのが常識だった。
全ては太陽神の意志に委ねるということだ。
だが、希に王が赤ん坊や子供の状態で発見されてしまうこともあった。
このようなレアケースは、どう取り合っていいものか意見が別れたが。
「そんなものは神官の仕事じゃんかよぉ?
俺様がなんでも決めるから、お前らはそうやって怠けてばーっか!」
丞相カウの判断により、神官団のトップである大神官シン・ネレフトに一任された。
大神官シン・ネレフトの判断は、6歳までは普通の子供として育て、機を見て専属の教育係りを着ける、ということだった。
とはいえ植物じゃあるまいし、放っておけば6歳まで勝手に育つものでもない。
王族の保育係りでも、幼児虐待は存在する。
赤ん坊や幼い子供は、自分が虐待を受けていることは、周囲の大人に知られまいとするものである。
何と言っても赤ん坊を育てるのは重労働だ。愛情がなければ続けられるものではない。
そして愛という物が理屈でない以上、相手が国王だろうと例外では居られない。
幸い、カー・レブオーロは身体的な虐待は受けなかったものの、一種の気配を感じていた。
それは身の回りの世話をする者たちが、自分を無用なものとして扱っているという感覚だった。
既にカー・ラ・ムールは権威の担い手であって、国民を奮い起こすリーダーではない。
優れた知恵も、偉大な武勇も望んではいない。
確かに親切に接してくれてはいる。だが、まるで美術品や貴重品を扱うようなよそよそしい態度。
どこか、自分に誰も何も期待していない、そういう空気は、彼の心に虚ろな穴を作ってしまった。
もし、誰か一歩踏み込んで彼と向き合う人間が居れば、彼は何処かの方向に走り出せただろう。
だが、それはなかったのだ。
レブオーロが6歳になると、
クルスベルグは新大統領が誕生し、ラ・ムールでも祝賀ムードに包まれた。
隣国の混乱は、自国の経済にも悪影響を与え続けていたからだ。
「まずは目出度い!」
クルスベルグ大使館ではラ・ムール神官や各国の駐在公使たちがパーティを開いていた。
「しかしロック・ユニーズ閣下は政治には無関心だそうですね。」
宴に水を差したのはオルニトの公使。
これに反論する
ミズハミシマの公使。
「オルニト国民ほどではありはすまい。」
長引く
ドニー・ドニーとの領海争いに、横槍を刺して来たオルニト。
ロッカ・ギヨーム海戦では、ドニー・ドニー側に味方し、激しい戦闘を繰り広げた。
国内で乙姫、龍神に非難が集まっている中の挑発であり、政府関係者は激怒した。
「おやめなさい。カー・ラ・ムールが見えているのですぞ。」
そう言って両人をたしなめるのは、なんと盲目公である。
どの国家にも属さぬこの若いドラゴンこそ、このような場の警備に相応しいという理由である。
どうもカー・シン・ガフが個人的に彼に信頼を置いていた事を丞相カウも知っているので、
何かと彼を利用するのだった。
「そうでしたな。」
「おう、お出ましになられる。」
来賓たちが顔を向けると侍従たちが、まずその場に姿を現して号令をかける。
「ここに、陛下が参られる。一同、控えよ。」
一斉に全員が最高礼を取り、口腹で数を数える。
数を数え終わった時には、彼らの眼前にはカー・ラ・ムールが現れているハズだった。
だが、顔を上げる一同の眼に飛び込んで来たのは愚図った子供の姿だった。
侍従たちが嫌がるレブオーロを引っ張り出そうとしている最中に、思わず全員が頭を下げる。
はじめ声は立てないレブオーロだったが、遂に泣き出してしまった。
止む無くお目見えは中止となり、レブオーロは王宮に引き返した。
「どうも普通の子供のようですな。」
「嬰児の頃から王宮で育てられたという話ですが。」
「しかし、あの齢では仕方ないでしょう。」
公使たちは、子供のやることと、その場だけで話が進展することはなかった。
後日、お目見え中止は、正体不明の脅迫状が届いたということにされ、事実は抹消された。
「ジョージ殿、この度は大義であります。」
王宮警護部隊の分隊長が、深々と頭を下げた。
彼ひとりでどんな厳重な警護よりも、はるかに防犯性がある。
「私は大ハンを貴軍に討ち取られた凡愚ですよ。」
盲目公は自嘲気味に応えた。
だが、警護部隊の兵士たちは嘲笑うでなく、一斉にむしろ彼を取り成す姿勢を示した。
「半世紀以上前の話です。」
「それにあれは偶然に偶然が重なっただけ。気に病むことはありませんよ。」
こういったやり取りを終えて、盲目公は立ち去った。
この数年でジョージ一族も変わった。
もともと集団で行動するのは、黒い長角のゲオルグ、現族長が始めたことで、それまではバラバラだった。
そのゲオルグが老いて隠居じみた暮らしに入ると、五つ首のジョージが一族を率いるようになった。
だが、暗愚な彼のもとには、やはりオツムのゆるいドラゴンしか集まらなかった。
かなりのドラゴンが集団を離れ、代わりに粗野で下卑た連中が徒党をなしている。
頭数はむしろ増えているが、もう獣の集団と変わらない。
盲目公も一族から離れて暮らしていた。
今や亜人奴隷たちと諸国を周り、彼の身体と知恵で稼ぎを蓄えて共同生活をしていた。
盲目公は思う。
こんなことは馬鹿げている。奴隷たちは自分を本当に慕ってはいない。
こんなことはただの嘘っぱちだ。
それでも彼は、他のドラゴンとは違い、情や仲間という物に強い憧れがあった。
「お帰りなさい、ジョージ様。」
主人を出迎えたのは、大きな影。
脚の端から端まで5m、身長は3m近い、蜘蛛の蟲人、アラクネの奴隷である。
アラクネは蟲人の中では社会性が薄く、動く者を見れば例え同種でも獲物と認識する凶暴な種族である。
知能もドラゴン以上と言われ、一生を孤独に暮らすという。
エルザは、そんなアラクネの中でも変わり者で、盲目公に仕えていた。
「派遣した傭兵団が数日中に戻って参ります。」
エルザは戻って来た鳥人の報告を主に伝えた。
今、盲目公は各地で集めて来た強力な亜人種族で構成された傭兵軍を作り、各国に派遣していた。
どれも元は未踏破地帯に暮らす凶暴な亜人たちだが、問題があって既知世界に逃れて来た者たちだ。
まさに、寄る辺の無い者たちの寄り集まり。頼りになるのは己の隔絶たる戦闘力のみだ。
「アラクネの重装騎兵だ。トゥレンヌ族といえども、一溜りもあるまい。」
今回の派遣先は
イストモスの部族間紛争だ。
恥知らずにも同胞4000名を生贄に差し出す代わりに、傭兵の派遣を求めて来た。
今は各地で政治不安や経済の混乱があって大規模な戦争は起こっていないが、
細かな暴発は絶えずあり、傭兵稼業はかなり儲かっていた。
「ところでカヴァレロとエリーの子供がそろそろ生まれそうですよ。」
「そうか。元気な子供が生まれるといいな。」
普通、奴隷が所帯を持つことは許されないが、時代によっては許される場合がある。
盲目公の所有する奴隷のカヴァレロとエリーは、狗人と猫人の夫婦である。
亜人にとっても異種族間の結婚は珍しいのだが、奴隷という自由が制限されている状況では、こういうことも起こる。
最初、奴隷が子供を産むとなれば、子育てにかかり切りになって仕事が出来なくなるため盲目公も困った。
だが、どうしても二人の出産を認めて欲しいという奴隷仲間の嘆願を受け入れて許しを与えた。
他のドラゴンなら間違いなく食い殺される所だったろう。
「しかし生まれた子供は、どうなるんだ?」
「はっきりは分かりませんが、狗人か猫人かのどちらかでしょう。」
盲目公の質問に、クールビューティーなアラクネは淡々と答えた。
盲目公はそれに報いる。
「いや、やはり身分は奴隷なのか?」
少し心苦しいという印象の盲目公の言葉に、エルザは首を傾げた。
「…ジョージ様は、少し人間かぶれし過ぎではありませんか?」
冷たく突き放すようなエルザに、盲目公は戸惑いながら答える。
「うん。でも、どうせ新しく生まれる命だ。幸せになって貰いたいと思うのが…。」
「人情ですか?まさか。」
信じられないという表情で、エルザは半分、声を荒げてしまった。
そんな彼女の反応に、盲目公は口を閉じてしまう。
しばらく間を置いて、今度はエルザから声をかけた。
「失礼しました。奴隷の身分も弁えず。」
「うん。気にしないでくれ。」
盲目公は、気のない返事を返した。
こればかりは自分にはどうしようもない。
奴隷の子は奴隷なのだ。自由にしてやろうにも、自分たちドラゴンの身の回りを世話する亜人は必要だ。
身勝手な話だ。
正当化するにも無理がある。
盲目公は、それ以上は悩んでも仕方ないので、頭を切り替えることにした。
数ヶ月後、どこの誰とは言わないが、穏やかではない依頼が舞い込んだ。
「オルニト王の暗殺?」
盲目公は、頭の中で地図を広げ、虚ろに領土を広げる空虚な大国を思い起こした。
オルニト。
かつては世界帝国として、四方世界に君臨し、古代オルニト帝国を形成した、その末裔。
今は中央政府が形骸化し、国家として辛うじて存立しているような国である。
それでも既知世界の十大国のひとつに数えられる。
もっともドラゴンたちにしてみれば、既知世界の中だけでどうこう言っている亜人の程度は可愛いものだ。
未踏破地帯には、まだまだ強大で、知られざる帝国がひっそりと存在しているのだから。
「出来るかな?」
盲目公は、取り敢えず依頼を受けるかは別にして奴隷たちに意見を求めた。
「可能かと。」
答えたのはマリーツァというカニグモ型のアラクネ。
エルザと違って、小型のアラクネで暗殺を得意とする。
ハッキリしたことは分からないが、オルニトの辺境にある隠れ里で育てられた暗殺者で、
マセ・バズークの蜂部族の女王を暗殺して、国を追われた抜け忍であるとか。
「それは貴方の得意分野ですから、お任せしますよ。」
そう言ったエルザは興味なさげだ。
彼女は基本的にアラクネ騎兵、鎧を着けて戦場を走り回るのが専門だ。
もっとも最近では部下が増えて、盲目公の傍で副官まがいな立場になっているが。
その後も意見が出たが、後難については概ね問題ナシという見解で一致した。
「しかし神の代理人である亜人王を暗殺できるかな。
警備を掻い潜って刺客を送り込むまではともかく、神の加護とやらに邪魔されはすまいか?」
盲目公は、祖父である黒い長角のゲオルグの教えを思い起こした。
どんなに考えを突き詰めていっても、最後にひっくり返される心配があったからだ。
「カー・ラ・ムール以外の亜人王は、特に問題ないでしょう。
人知を超えた力を持つという乙姫であろうとも、龍神を誘い出した上で数で囲めば、問題ないかと。」
かなり乱暴な言い方だが、反論はない。
ドラゴンであっても数の前には膝を折ることは、やぶさかでないからだ。
「では、行動を起こそう。」
こう言った経緯で、オルニト王暗殺は決定した。
成功すれば各国のパワーバランスに影響を及ぼしかねないが、族長ゲオルグに伺いを立てることはできない。
ことは内密に、速やかに遂行しなければならない。
数日後、盲目公は近くの街の駐屯部隊が配備された砦に出向いた。
外国人傭兵部隊を率いている盲目公の所在は、ラ・ムール政府の監視下に置かれていたからだ。
「おはようございます、将軍。」
盲目公は予め約束した通り、砦の正門前、弩弓砲の射程内に降り立った。
遠目で見た限りでは、城壁にほとんど兵士は居ない。
形式上、相手はドラゴンの攻撃を警戒してはいるが、盲目公を信頼しているのか弩弓の傍に兵はいない。
置き楯まで取り外し、出来る限り盲目公の位置から兵がいないことが確認できるようにしている。
しばらくして城門が開き、砦の城主である将軍と部下たちが騎馬で現れた。
全員、鎧も着けていない。
「やあ、ジョージ殿。我が国を発たれるとか。」
将軍は盲目公の傍までやってくると馬を下りた。
流石に盲目公も口を出さずにはおられない。
「はい。ですが、将軍、どうか騎乗のまま願います。
閣下の安全を考えてくだされば、臆病な私は満足します。」
「おお、そうか。」
将軍は短く応えると、部下共々、馬に乗り直した。
もし将軍たちの身に何かあれば、疑われるのは盲目公である。
その時、将軍たちが馬から降りていれば、追及は免れない。
といっても、その気になれば、この位置からでもドラゴンブレスで城門を突き破って、
砦の中庭に待機する守備隊もろとも焼き殺すことが可能である。
「行き先、その理由はお答えできません。
勝手なことと思われるでしょうが、軍事行動でありますので。」
「ははは。ラ・ムールを攻めるというのならば、是が非でもお答えして貰いたい。」
そういって、にこやかに将軍が応じると、部下たちも追従した。
盲目公も困ったように返事をする。
「なんともはや。」
しばらく世間話をしていたが、いきなり将軍の方から思わぬ提案があった。
「やはり、屋外は熱い。城内で話しませんか?
お出しできるのは、馬の水桶しかございませんが。」
「痛み入ります。」
そのようなやり取りがあって、盲目公と将軍たちは城内に入っていった。
将軍たちは砦の中の大きな広場に面した塔に入り、盲目公はその広場に降り立った。
今度はどこにも弩弓砲はない。
だが、やりようはある。火薬だ。幾らドラゴンでも至近で大量の爆薬を使われれば、こたえる。
それでも言わずもがな、翼さえ無事なら、その状態からでも逃げ出すことは難しくない。
「…そこでクルスベルグの新政府に関して、ジョージ殿の考えを伺いたい。」
「はあ。」
城内でも将軍と盲目公は、世間話を続けた。
単にこの将軍がおしゃべり好きだったのか、ドラゴンに敵意を抱いていないのか、どっちにせよ変わっている。
てっきり何か情報が漏れて、罠でも仕掛けられていると疑った盲目公は拍子抜けした。
ついに別れ際に、友好の証として手土産まで用意された。
「値が崩れておりますが、どうぞお納めください。」
持たされたのは大量の金塊だった。
かなりの金額だ。
「これは、かたじけない。」
盲目公は深く礼を返して、そのまま辞した。
帰り道で考えると、やはり彼らもドラゴンへの恐怖が相当以上あるのだろう。
表向きは自分を信頼しているように見えるが、やはりドラゴンは恐るべき怪物なのだ。
「どうあってもドラゴンは亜人同士が着き合うようには、なれないものなのか。」
盲目公は、少し残念に思って、奴隷たちの待つ砂漠のど真ん中へ飛び去った。
盲目公が空の上から確認すると、奴隷たちは無事の様だ。
万が一、ラ・ムール軍に襲撃されることのないよう、滞在中の位置は明かしていない。
空飛ぶ移動要塞と一個戦闘団が国内を自由にうろうろしているのに、おおらかなことだ。
「挨拶は済ませたぞ。」
盲目公が着陸すると奴隷たちが出迎える。
一人が大声をあげた。
「この金塊は何ですか!?」
「土産らしい。迷惑をかけたうえに、心許しの品まで頂いてしまった。」
盲目公が卸した木箱の中身を確認した狗人が、大金貨を握りしめて笑い転げる。
他の奴隷たちも箱を覗き込んで驚いた。
「あ、油を買ってもいいですよね!?」
鳥人が盲目公にねだった。
電灯のない時代、灯りの油といえば植物油が基本と思われがちだが、菜種油は高価で、常用品ではない。
たいていの場合は魚や獣、鯨などからとった油を使う。これが煙が出る上に嫌な臭いがする。
奴隷用として盲目公も、普段は安い魚油を与えている。
「そうだな。
どうせだから、近くの街で使って来なさい。できるだけ高い物を買って来て。」
そう盲目公が言うと奴隷たちは色めき立った。
だが、エルザだけが冷たく、水を差すように言った。
「お前たち、大きな荷物は駄目だぞ。ジョージ様が運ぶのだからな!」
この一言に他の奴隷たちは耳も貸さず、勇み足で街へ向かっていく。
奴隷たちがアラクネ奴隷に飛び乗って出発した。見る見るうちに、その影は小さくなっていく。
この調子ではあっという間に街に到着するだろう。
「武器やら重荷が増えて、ジョージ様の負担が大きいというのに。」
エルザはしかめっ面で街へ向かった奴隷仲間たちを睨んでいた。
盲目公が、彼女の頭の上でいう。
「何、そんなに変わらないよ。」
そんなこんなで荷造りが荷解きになり、改めて荷造りし直した。
盲目公の一団は、流石に彼ひとりで移動できないため、数十頭のワイバーンやルフ鳥なども連れている。
移動は手慣れたもので皆、慣れっこだ。
さて、海洋をひとっ飛びで渡り切るドラゴンはともかく、ワイバーンやルフ鳥は休まなければならない。
季節風や貿易風を考慮して、進路を取る。
先頭を飛ぶワイバーンの一頭が、盲目公の傍まで急旋回して来た。
ワイバーンに乗る鳥人が大声で盲目公に伝える。
「思ったより、風が強いようです!」
それを受けて、盲目公は例の特定の場所にだけ聞こえる指向性音声で答える。
「降りられる島を見つけたら、遠慮せずに降りなさい。」
短く会話を終わらせると、ワイバーンは先頭集団に戻っていった。
隊列は盲目公が一番後ろでルフ鳥が中列、先頭がワイバーンや鳥人たちだ。
荷物はドラゴンである盲目公とルフ鳥が分担している。
あまり知られていないが、迷子の浮き島だけでなく、空中に浮かぶ大量の海水、浮き海という変わり種も、たまにある。
しばらく飛び続けていると先頭のワイバーンたちが、手ごろな島を見つけて降下し始めた。
続けてルフ鳥たちも、後に続いて高度を落としていく。
最期に盲目公も彼らに続いて降りると、嫌なものが待っていた。
血の海だ。
どういう物か、全く分からないが、海の未踏破地帯、未開海域とでもいうのだろうか、そこにはこういうのもある。
原因不明、巨大な肉塊を中心に血液が海の一帯を占領していて、島のように見えるのだ。
嫌がられる理由は、見た目が不気味という点がひとつ。
他にも大量の寄生虫や病原体、蚊などが溢れかえっているという点と、飲み水はないということだ。
「しまったな。嫌な陸地に降りてしまった。」
盲目公が最後に降下し始めたにも関わらず、一団の中で最初に降り立った。
この辺は飛行能力の違いである。
盲目公が、しばらくビクビクと動き続ける赤黒い陸地を眺めていると、奴隷たちが続いて着陸する。
誰もが降りる場所を間違えたと口ぐちに言うが、ここらで休まなければならないのは承知している。
「デカいな。」
「ああ。何度も見るが、ここまで大きいのは始めて見る。」
「怪獣の死骸なのかな?」
「死骸じゃなさそうだ。」
奴隷たちが足元を見ると、ぐじゅぐじゅと血が足を濡らした。
中には大きく動いている場所もあり、この肉塊の島は、確かにこれでも生きているらしい。
「あれ、家だぜ!」
一人が指さすが、誰も歓声など上げない。
「不味いな。」
「島民がいるってことは、ピチャーシャか!?」
「ナーガ族なら最悪だ。」
盲目公の連れている亜人たちは、未踏破地帯と既知世界の間、比較的、まだ浅い領域で暮らしていた種族だ。
未踏破地帯は、その名の通り、入って出て来たものは居ない。
例外は亜人ではないドラゴンのような強大な怪物たちと、元から向こうで暮らしていた連中だけだ。
そんな彼らから見ても厄介な生物が深い奥地には住んでいる。
何故彼らが危険な未踏破地帯に暮らしているのか。
理由はドラゴンたちと同じだ。既知世界の亜人より強力で獰猛なため、社会性が低い。
自分自身が強いため、助け合うとか、お互いを尊重するという発想がないのだ。
だから逆に既知世界では生き辛いため、魔界のような辺境の土地に移り住んでいるらしい。
もっとも単純に殺戮が好きという、手に負えない連中も多い。
特にエルザなどは、本来はその手のタイプだったが、今では盲目公の奴隷として、表向きはお上品に暮らしている。
さて、島民に見つからないように注意しつつ、盲目公たちは羽根を休めた。
休むと言ってもこの環境だ。全員、蚊に刺されたり、血塗れになって文句が絶えない。
「あんまり歩き回るなよー!」
幸いなことに、島のやや高くなっている丘にある例の集落からは、誰もやってこない。
しかし、ピチャーシャのように目に見えない怪物もいるため、見張っていても、あまり意味はない。
集落は遠目で見れば、見るほどに奇妙な形をしている。
あれが窓なのか、あれは階段か、眼で追っていくと、どんどん訳が分からなくなる。
「最悪、私が泳ごう。」
盲目公がワイバーンたちを落ち着かせようと必死になっている鳥人たちに声をかける。
陸地がない場合、ドラゴンの上に全員を乗せて休ませるというのは、珍しいことではない。
「この血の海を越えるには、まだまだ休ませないと。」
「いや、ここから泳ごう。」
この盲目公の提案に、奴隷たちは思案した。
血の海の中にも得体の知れない寄生虫が浮いていると考えて、まず間違いない。
幾らまだ血の海を飛び越えるまで体力が回復していないとはいえ、主を泳がせていいものか。
何か手違いがあれば、全員が海の上で死ぬことになる。
「そもそも肉の島に集落があるというのが不吉だ。」
「早く出た方が良い。くっそ!気持ち悪い!!」
「だがジョージ様に、血の海を泳いでこの島を離れさせるのは危険だ。」
「第一、全員が乗れる訳ではない。何人かは掴まって泳ぐことになる。」
「そこはなんとかならんか。」
「ううむ。泳いで出るしかない。」
「俺も賛成だ。」
「では…。」
というやり取りがあって、エルザが盲目公に泳いで島を出ることを了承したと伝えた。
「では、早く退散しよう。」
盲目公はカニグモのアラクネたちに糸を張らせ、海に飛び込んだ。
「横糸に触ると死ぬぞ!」
アラクネたちが大声で他の奴隷たちに怒鳴った。
普段であれば最悪、くっ付いても手足を切断するだけで済むが、ここは場所が悪い。
あっという間に感染症になってしまう可能性があった。
「縦糸だけに掴まれ!海にも触るんじゃないぞ!!」
次々と盲目公に渡っていく奴隷たち。
流石に重量で盲目公の身体が海に沈み始めたが、丘で見ていた狗人が大声で叫ぶ。
「沈んでます!」
その声に、ハッとなった盲目公は、急いで体勢を立て直し、背中の奴隷たちを落とさない様にしつつも体を海面に押し上げた。
「急がなくてもいい、落ちるなよ!」
声をかける鳥人に、狗人が話しかけた。
「落ちたらどうする?」
「…そのままにするしかない。」
現代医学から考えれば、こんな島に降りた時点で、全員が危ないのだろうが、そんな事は関係ない。
彼らからすれば、とにかく不潔な血の海に触れなければ大丈夫という認識で落ち着いている。
やがて30分ほどで盲目公の背中に全員が渡り切った。
大きな家ほどもあるルフ鳥が7羽もドラゴンの背中に乗ると、幾ら何でも全員が手を繋いでいないと落ちてしまう。
「翼の上に乗っても大丈夫ですか!?」
猫人の奴隷が、盲目公に確認すると、首を持ち上げて返事する。
「ああ。踏み破らない様に骨の上に頼む。」
思わず翼に分乗する奴隷たちは汗ばんだ。
いくらドラゴンの翼でも亜人が乗れば、あの薄皮を踏み抜いてしまう危険があるというのだ。
「皆、慎重に!」
恐る恐る奴隷たちは翼に乗ると、空いた場所へ荷物やらを全て載せ切った。
最期の確認を済ませると盲目公はゆっくりと泳ぎ出した。
地平線まで真っ赤に染まった海が、どこまでも続く。
途中で何やら奇妙な影が海面に姿を見せるが、誰もが息を止めていた。
静かに、静かに、この危険を脱していく。
だが、泳いでいる盲目公自身の恐怖に比べれば、可愛いものだ。
何度か噛みつかれたような感覚があったからだ。
ドラゴンの厚い皮膚を貫いて、寄生虫が侵入するということは、考えたくないがあり得ないとは言い切れない。
また全く海面からは血のせいで海中の様子は分からないが、どうも思ったより浅い。
浅いと言ってもドラゴンの身体で、そう感じるのであって、人間が泳ぐ分には足は着かない深さだ。
それがどういった不安があるか、というと下から暖かい血が噴き出して体に当たる感触があるのだ。
潜って確かめた訳ではないが、血の海の下まで広がっている肉の島から血が噴き出しているらしい。
「う…。」
盲目公は身体に噴き出す血流が当たるたび、何かの生物が触れたのではないかと内心では驚いていた。
やがて、それもなくなり、海の色が普通の青黒い色に変わった。
全員の安堵の声が上がり、盲目公も一息ついた。
イリオスキ。
東大陸はマセ・バズークとオルニトの間にある中隊湾(マニプルス・ガルフ)のオルニト側に面する
オルニト南西部に広がる地域。
大小、80の支流からなる元帥河(リーオ・パシャ)が形成する大湿地帯と熱帯雨林が広がり、
季節によっては川幅が広がり、ジャングルは川の底に沈む。
そんな場所であるから、イリオスキとは呼ばれず、大抵の場合は元帥河流域と呼ばれる。
中隊湾から上陸した盲目公たちは、しばらく旅の疲れを癒すため、街に移動した。
それがここで、イリオスキという場合、この大湿地帯全体ではなく、この街の方を指す。
便宜上、判別をつけるためイリオスキ・シティとして置く。
イリオスキ・シティは元帥河流域の最大都市であり、オルニト第3の都市である。
嵐神
ハピカトルの5つの神性を分祀した五大聖地、破壊の神殿を擁する。
この神殿は、古代オルニト帝国の時代から建設されていたと考えられている。
もちろん帝国の領域が四方世界に広がっていた頃は、五大聖地の神殿も各大陸に配置されていたが、今は破壊されている。
現代の五大聖地は、その神殿の祭儀を持ち帰って再建されたものである。
「私は人目が着かない場所に隠れる。あとは皆だけで王都ヴィカ・タサウへ向かって欲しい。」
盲目公はイリオスキ・シティの郊外に降り立つと、奴隷たちを降ろした。
残るのは彼の身の回りの世話をする奴隷だけだ。
「分かりました!」
エルザがハッキリとした声で答えた。
「回収に向かわなくても良いか?」
心配そうに盲目公がそう言うと、マリーツァが首を振った。
「ジョージ様が王都まで姿を見せれば、暗殺を手引きした者がまる分かりです。
事が済み次第、我々が自力でここまで戻ってきます。無理だと判断した時は、見捨ててください。」
仮に奴隷といっても仲間を見捨てたとしても非情ではない。
他の仲間の命を守るためだ。
「健闘を。」
こうして、暗殺部隊と盲目公たちは、お互いに別れを惜しむ間もなく離れた。
残された盲目公は、元帥河の泥の中に沈んで姿を消した。
卵胎生のドラゴンたちは、首の襟巻のような鱗に隠されたエラがある。
冷たい泥の中、盲目公は川魚などを食い荒らしつつ、報告を待った。
地上に残った奴隷たちは、イリオスキ・シティのホテルに滞在した。
安宿よりもしっかりしたホテルの方が強盗などに襲われずに済むからだが、盲目公も人が良い。
ホテルの従業員、ペンギンの鳥人が、泥だらけの客を睨みつけた。
「失礼ですが、お客様。湿地帯からこちらまで来られたのですか?」
殆ど客にしていい目線ではない。
それはそうだろう。連中の身なりは、どう見てもこのホテルに相応しくないわ。
「えっと、これで。」
奴隷たちの代表は、盲目公に渡された大金貨をそっと手渡した。
この金貨は我々の感覚で言うと10万円ぐらいになる。
当然、ペンギンの鳥人は真っ青になって突っ返した。
「う、受け取れません!こんな高額なお金は!!」
「いやいや、あちこち汚してしまったから。」
こんなやり取りをしているのだから、目立たない訳がない。
警察に通報されることは眼に見えていたが、奴隷たちにそこまで気が周るハズもない。
最上級のスイートルームに通されて、一息ついた。
「奴隷の主が泥の中で、奴隷がホテル住まいかー。」
「えっと、従業員に命令すればいいんだよな?していいんだよな?」
「落ち着かないな。」
「ジョージ様が見つかったらどうする?」
一人がそういうと全員が顔をしかめた。
「俺はオルニト軍警察が動き出しても、旦那様を守る。」
そうキッパリ言い切ったのは狗人の奴隷だ。
流石に忠誠心の質が違う。
「いや、俺たちの方が危ないって。」
「シラを切るしかない。」
全員がため息まじりに頭を下げた。
王都ヴィカ・タサウへ向かう暗殺部隊。
イリオスキから王都までは360㎞もある。これをアラクネたちは2日で踏破する計画だ。
「鳥人は空を行け、ヴィカ・タサウで会おう。」
それだけいうとアラクネたちは、信じられない速さでジャングルに突入した。
やがて密林が普通の平野になり、岩や砂が混じって、とうとう荒野に突入した。
おそらくオルニトと聞いて、ほとんどの人が思い浮かべる巨石とサボテン、大砂漠が始まった。
障害物が少なくなるとアラクネたちの速度は、どんどん加速する。
「そろそろ鳥人たちと速度を合わせてやるか。」
そういって各人が残虐な笑みを浮かべた。
アラクネはドラゴン同様、亜人を食う種族だ。
各人は自由に解散し、王都への道中に点在する村や町を手当たり次第に攻撃した。
攻撃と言っても夜半に紛れて住民を2、3人つまみ食いする程度の可愛いものだ。
数日後には朝刊に行方不明者の写真が張り出されるだろうが、その頃には自分たちが死体になっているか、
主人の盲目公と一緒に、東大陸を離れているハズだ。
王都ヴィカ・タサウは上下天地に5つの階層によって構成される。
まず最も高い高度にあるのが上階層の浮き島。
高度にして、海抜6000mの高さに浮かぶ浮き島で、国王や高位の神官たちが暮らしている。
その下に中階層、下階層と2層の浮き島が浮かび、その下に地上があるのだが、さらに地下に大空洞が広がっている。
いずれにせよ、その高さでは飛行能力を持つドラゴンでも一足飛びに一番上の高度にある浮き島へは飛び込めない。
まして鳥人でも下階層、中階層の浮き島を足掛かりに上階層を目指すしかない。
「まずは街への侵入だが…。」
エルザが街の様子を外から見みがらそう呟くと、隣りに立ったマリーツァが口を開いた。
「構わんさ。ヴィカ・タサウの地上部分は、簡単に入れる。
関所もないし、完全にフリーパスだ。」
「私たちはアラクネだぞ。そう簡単に行くか?」
いぶかしげな表情でマリーツァを見るエルザだが、彼女は平然と言い返した。
「それほど人口が密な都市じゃないからな。
何せオルニトは広大過ぎる。何処までいっても人はまばらにしか住んでないんだ。」
そういうマリーツァに先導され、体の小さなカニグモのアラクネたちは王都に侵入した。
今回、体の大きなエルザたちは、護衛と武器や道具を運ぶ役目だけだ。
暗殺者としての訓練を受けたマリーツァが育てた部隊は、華麗にヴィカ・タサウへ潜入した。
参考までに彼女たちの体格を説明すると身長は150cm程度である。
丁度、人でも抱きかかえられる程度のアラクネである。
しかし、人間の胴から下の下半身が巨大なクモになっているのがアラクネであり、隠れたりは出来ない。
だが訓練によって狭い隙間にも入れるようになった彼女たちは、素早く街の中を駆け抜ける。
しかし、問題は上階層の浮き島への移動だ。
「ここらで良いだろう。」
今回、マリーツァが上階層への移動のために用意したのは、鳩である。
無論、訓練した鳩で、これに糸をつけ、上階層へ移動するのだ。
はた目で見ていると、何をやっているんだと呆れる光景だが、大掛かりな装置がなくても出来るので便利だ。
何より、見とがめられた場合も鳩を逃がしてしまえば、それで済むという方法である。
時間はかかるが、本来は夜には飛ばない鳥を使うため、しばらく待つ。
その後、マリーツァの指示でアラクネたちは順次、糸を辿って昇って行った。
地上から最初に着く、下階層の浮き島に入ると、遠目でも見えていた浮遊ランタンが空を照らしている。
フクロウの鳥人たちやワイバーンも警戒しており、さっきまでのようにはいかない。
だが、フクロウは飛距離が短いため、それほど長くは飛べない。
ワイバーンたちも訓練されているが所詮、夜間は眼が利く生物ではない。
「ワイバーンの影を利用するか。」
案の定、ワイバーンの影を縫うようにアラクネたちが中階層へ渡る間、ワイバーンたち自身は気が付かなかったようだ。
そのまま上階層へ侵入する。
流石に目がくらむ光景に、若手のアラクネたちは動揺した。
だが、マリーツァが厳しい声をかけて奮起を促す。
「集中しろ。そうしなければ、生きては帰れん。」
そうして、すぐまた走り出した一団は歩哨をすり抜け、櫓を交わし、王宮へと向かっていく。
一応、申し訳程度の城壁と城門があるが、浮き島は木材も石材も十分には手に入らないため、とてつもなく貧相だ。
ルフ鳥を総動員しても浮き島の上に巨大な砦や王城を築くほどの財力は、今のオルニトにはない。
「惨めな壁だ。」
「これで忍び返しのつもりか。」
ここまで来てアラクネたちの表情が明るくなる。
慣れた様子で壁を攻略すれば、あとは王宮の内部を進むのみ。
既に宮殿内の様子は把握しており、迷うことなく目的地を目指して行く。
金箔を捺(お)した華麗な宮殿が見えて来た。
ヴィカ・タサウの黄金宮殿だ。古代オルニト帝国の繁栄をしのばせる、数少ない遺跡のひとつだ。
本来はもっと華麗な宮殿だったが、水を作り出すという装置が壊れたため、池は枯れて埋め立てられた。
他にも珍しい植物が植えられていたが、気象コントロール装置なども壊れ、今はありきたりな覇王樹が植えられている。
「ちょっと、待て。あれがオルニト王か!?」
マリーツァの部下のアラクネが指さした。
まず目に飛び込んで来るのは顔の半分以上を隠す、黄金の仮面。
仮面というより兜と言うのか、後ろ髪を残して頭頂部まですっぽりと包まれ、顔は口までが仮面の中に入っている。
「いや、あれは女だぞ。」
他のアラクネがいった。
確かによく見れば女物のドレスを着ている。それも「こっち側」にはないようなデザインだ。
全体的には漆黒の女子宮廷大礼服だが、胸元が大きく開いており、キンキーなデザインになっている。
さらに背中の翼を外に出すためなのか、背面も大きく開いたデザイン。
つけ爪だろうか、遠目からでも分かるぐらいに、異常に長い黒い爪をしている。
指には黒玉と鉛の指輪をつけ、肘までの長さのテカテカと光る黒い手袋をはめている。二の腕には銀の腕輪。
首にも首飾りが掛かっているが、蛇の髑髏をあしらった不気味なもので、血のように赤い光沢のある玉石を繋ぎ合わせている。
「まさかオルニトは王の死体を保存しておらぬとはな。」
件(くだん)の女が、隣の猫人に声をかける。
この連れの猫人も背が高く、うっすらと筋肉が着いているものの、艶やかで色っぽい黒豹の女だった。
「この湿度ですから。」
答えた猫人の左目が光る。
古傷なのか、左まぶたには大きな傷の跡がある。
だが、不可解なのは猫人でありながら額から生えた長い角だ。
遠目からでも分かるのだが、どうも鬼の角のような猛禽類の嘴のような作りではない。
例えていえば、甲虫の角に似ている。
「これでは乙姫の死体も期待薄だな。
…キエムは何をやっているのか。いつまで私を待たせておくつもりだ、あの石頭は。」
「ケヌの大名たちを扇動させていますが、やはり乙姫への人望がまだまだ厚いかと。」
ケヌはミズハミシマ諸島の中央にある島のひとつで、今はまだ反乙姫とはいかない状況にある。
猫人の報告を聞いて、女はせせら笑うようにいう。
「死の神モルテの奇跡を信じられぬ者がいるとすれば、時には寛大な態度を見せてやる必要があるな?」
断片的な会話をしつつ、二人の女たちは王宮の奥へと進んでいく。
大奥、王の私的なスペースに入り込んむと、猫人は立ち止まり、派手な鳥人だけが王の寝室に入っていった。
どうも長身の黒豹人は、護衛役であるらしい。女であれば大奥まで入れるということか。
「どうする?」
様子を見ていたマリーツァの部下たちが話し合う。
「女を試しているというのならば、やり易い。」
「渡りでやるか?」
「いや、女を盾に使われても困る。
済みで殺す。」
アラクネたちが閨の中へ侵入する。
室内に広がる甘い匂い。蜂蜜風呂か。
滋養に富むとされる蜂蜜を風呂の水代わりに使うもので、あとで体を洗い流すために、もう一つ浴槽を用意する。
オルニトでは古くからの高貴な身分の御遊である。
中では丁度、さっきの女とオルニト王らしい男が湯に浸かっている最中だった。
その後、アラクネたちは女とオルニト王が離れるのを待ってしばらく息を殺した。
「気味の悪い女だ。」
夜半を過ぎ、朝焼けに入る前になって、ようやく女がオルニト王から離れた。
「やっと済んだか。」
マリーツァたちは吹き矢を取り出すとオルニト王を狙う。
そして、一息で全てが終わった。これまでの苦労に比べれば、呆気ないことだ。
女は王が寝入ってしまったと思ったのか、何も気にしていない様子だ。
「引き上げるぞ。」
マリーツァたちは、夜が明け切る前に王宮を離れると浮き島から飛び出した。
見る見るうちに地面に向かって落ちていくアラクネたちだが、素早く糸を繰り出して中階層の浮き島に掴まる。
そして糸を伸ばして減速すると、また下階層に向かって落ちていく。
当然、来る時よりも早いが、見張りの鳥人たちも流石に気が付いて騒ぎ出す。
やおらに空中戦が始まる。
お互いに訓練を重ねた精兵だが、虚を突かれた鳥人たちは、未だに事態を掴めずにいる。
「賊が入り込んだぞ!」
「他にもいるかも知れん、王都全域を警戒せよ!!」
こうやって王都守備隊は一斉に王都の上空、地下、地上へと散って行った。
そんなことしなくても、目の前の連中が侵入者の全てなのだが、それを知る術がない以上、彼らの行動は止む無いものだ。
地上のエルザたちも動き出す。
朝食がてらに守備部隊の兵士たちを挽き肉にするとマリーツァたちを迎えた。
「事は?」
マリーツァの顔を見たエルザが、いつもの不愛想な顔でたずねた。
「万全だ。」
マリーツァは口元を上に曲げて答えると、エルザたちと合流した。
オルニト王急死の報は、表向きには全世界に流れなかった。
だが、病気という名目で人前に出なくなったことに盲目公は、暗殺の成功を雇い主に報告した。
「このような話をご存知ですか?」
盲目公に話を切り出したのは、暗殺を依頼した雇い主の代理人としてやってきた猫人。
断っておくが、暗殺の依頼主は伏せておくので、猫人が代理人であるからラ・ムールなのかという点はぼかしておく。
「エルドラド、黄金郷と呼ばれる金の山です。」
「いや、初耳です。」
盲目公が、そう答えると猫人は続ける。
「金の価値を一定にするために、チャールズ一族が世界中の金鉱から出た金塊を、一度集めて隠してるんですがね。
どうも未踏破地帯の中にあるそれを、ヘンリー一族が既知世界に持ち込んだってことなんですよ。」
かつて神々とドラゴンが戦った時、九柱の神々はドラゴンを最後の一匹まで根絶やしにしようと反撃に出た。
ところがドラゴンたちが追い詰められたとき、
世界樹が他の神々との間に立ちはだかった。
今にも飢えそうなドラゴンたちに枝や果実を世界樹は差し出したが、最初、ドラゴンたちはそれを拒否した。
それでも世界樹はドラゴンたちに対して、扉を閉ざすことはなく、彼らを迎え入れる姿勢を崩さなかった。
やがて何頭かのドラゴンは世界樹の枝を食べ、飢えをしのいだという。
この時に生き残った十五氏族のドラゴンは、最後の誓約を結んだ。
それはいかなる場合であっても世界樹の子供たち、ハイ
エルフの王の命令があれば、
必ず馳せ参じ、どのような任務にも服するという伝説である。
ただ、そのような命令が発せられたことはなく、多くのドラゴンたちはすっかり忘れているが、
エリスタリアだけは襲ってはいけないというのが暗黙のルールであった。
ヘンリーたちはエリスタリアに住むドラゴンで、心優しいドラゴンたちである。
他の十四の氏族が血に飢えた殺戮魔獣であるのに、ヘンリーたちは霧や美しい水を飲んで生きている。
薄い翡翠色の鱗をしており、顔が細く、翼の幅も狭く、素早く旋回したり、長く飛ぶことは出来ない。
身体も最も小さく、世界樹とエルフたちの好意で、エリスタリアに住むことを許されたらしい。
当世の長は優美なるハインリッヒと呼ばれ、温厚な性格と聞く。
「ヘンリー一族が世界経済を破壊するようなことをする訳がない。
ましてエリスタリアのハイエルフの両王が、どうしてそんな世界中を苦しめるようなことを!」
盲目公は狼狽えた。
対する猫人は、平然としていう。
「ま、嘘かも知れませんぜ。」
「…だと思うが。」
盲目公は代理人を見送ると、少し考え込んだ。
オルニトの要人暗殺、クルスベルグの革命、ミズハミシマの混乱、経済危機、モルテ教団。
いくら祖父、ゲオルグでもここまでの事ができるだろうか?
いや、何もここまでの混乱を引き起こせるのは祖父だけとは限るまい。
第一、祖父はもう一族をかつてのように自由に動かすだけの力はない。
となれば、他の誰かか。
「何事も起こらずに、収まれば良いが。」
だがそれから半年後、ドニー・ドニーとミズハミシマの緊張は限界に達した。
南海と北海の各地で両国の通商船団が次々に破壊された。
最初は北海に住むドラゴンの一派、エドワード一族とも考えられたが、
この千年は既知世界には戻って来ていないということで除外された。
それに続いて南海でも被害が広がると、海賊被害ではないかということになった。
本音を言えば誰もがこれを一番に疑っていたのだが、声には出して主張しなかった。
ドニー・ドニー、ミズハミシマはお互いに海賊討伐に協力するように意志交換したが、
全く治まらず、これは一海賊にできる破壊行動とは考えにくいとして、睨み合いが始まった。
そして遂にドニー・ドニーの七大海賊団が正式な声明を発してミズハミシマの軍艦、商船を無差別に攻撃し始めた。
対するミズハミシマは乙姫に対して批判が集まっている最中であり、軍事的な報復には出られなかった。
「戦争反対!」
「ドニー・ドニーとは外交で講和しよう!!」
「話し合いで問題を解決しろーッ!」
これらもモルテ教団の地道な活動の結果だった。
船の船員も、海底には幾らでも転がっている。
死の神モルテに仮初の生命を与えられた亡霊船団は、神出鬼没に活動し、生きている人間の船より多いぐらいになった。
そして、彼にも終わりがやって来た。
雪風のチャールズの経営する海賊王ガルカド記念銀行の倒産である。
この5年間、必死に経済の混乱と戦って来たが、全ての負債を抱きかかえるように共に沈んだ。
「皆、今日までよくやってくれた。」
痩せ衰えたチャールズは、最後まで彼に付き従う船員、もとい銀行員たちに挨拶した。
皆、同じように疲労困ぱいしていた。
「もう、自由にしてくれ。」
それだけ言うと、チャールズはうなだれてしまった。
だが、工員たちは何も言わずに頭取室を出て、操船作業に取り掛かると、船は広い海に出向した。
各国が混乱の極みに落ちる中、ラ・ムールは比較的、安定していた。
蓄えた資本と大きな内需によって、民心が落ち着いているためか、モルテ教団の入り込む隙もなかった。
「首吊りぃ?」
中年の猫人たちが夜の安酒場で話し合っていた。
「おうよ。死の神モルテの奇跡だら。首吊った奴が生きてるっていうんだわ。」
「トリックじゃねえの?」
「だら。」
男たちは、どこで聞いて来たのか、噂のカルト集団の噂話をしている。
「今、信仰してる神を棄てて、モルテ神を崇拝するなら、どんな種族でも平和に幸福に暮らせる楽園に入れるんだと。」
「奴隷でもか?」
「奴隷でも犯罪者でもよ。」
「じゃあ、信者は犯罪者と奴隷の集まりだら。」
「ひでえ連中。」
一斉に下品な一笑する一同。
「でもよ、ミズハミシマとかドニー・ドニーが睨み合ってるのは、連中が裏で何かやってるからなんだろ?
そんな学もない連中に、そんなことできるか?」
「貴族って呼ばれてる学識や腕の立つ連中が幹部なんだと。
そいつらは死の神モルテから不死の肉体を与えられてて、死なねえんだとよ。」
「ますます怪しいじゃねえか。」
「まあ、転生する王、カー・ラ・ムールってのも随分、怪しいけどな。」
「つーか、クルスベルグやイストモスも王様ナシじゃん。ウチもいらんのじゃね?」
「カー・シン・ガフは強かったべ。」
「あれは何時も敵が弱かったからなぁ。」
この物語で、あえて王になってからのシンの物語はしない。
漆黒王と呼ばれた彼女は、常に敵軍より圧倒的に有利な戦況を作り出し、完膚なきまでに叩き潰した。
歴代カーの英才教育を受ける前の状態に戻った彼女だが、もともとの資質が高かったという側面があった。
その戦いは常に優勢で、敵に反撃の余地を与えない、見事なものだったが、
人々はそれ故に彼女が自分より弱い相手を捻り潰す、卑劣な王としか感じていなかった。
また彼女自身、かつて盲目公が言ったようにドラゴンに根底的に近いものがあった。
勝利こそすべて、情や友誼を理解しない性格で、冷血な軍人王の生涯だった。
まさに国家を運営する機械のような猫人だった。
「カーっつうもんは、その時代の試練を乗り越えるのに必要なカーが生まれるともいうしな。
今のカー・レブオーロも、この時代に必要なカーなんだよ。」
「カー・レブオーロ陛下の行幸は全て取りやめる。」
大神官シン・ネレフトは、極秘にオルニト王暗殺の情報、正確にはその可能性を掴み、
レブオーロの行幸、つまり公の場に出るような予定を白紙に戻させた。
「学習も王宮内で行う。」
「しかし、カーが幼い場合は学士院で同年代の子供と学ぶべきという伝統です。」
神官の一人が意見すると、シン・ネレフトは厳しい返答を返す。
「同級生からカーは不要だ、などと言われたらどうする?
ミズハミシマの政変、クルスベルグの革命で、政治への悪い関心が高まっているのだ。
子供は純粋だ。悪意なく陛下に良からぬ影響を与えかねぬ。」
「ですか、それらも含めて他の子供たちと学ぶべきという…!」
「だから、これは大神官としての決定だ。」
シン・ネレフトは本気だ。
「丞相の判断を…。」
「丞相は関係ない。」
そうシン・ネレフトはキッパリ言い切った。
御年140歳。さすがのカウ・ヴォングもふせっていた。
医者たちも、もう長くないという診断だ。
この夜、呼び出されたのは国王代理(ギェルラップ)、ムウ・マフテップである。
一応はレブオーロが幼い間は国政を任されているが、カウが健康な間は、完全に形式上の存在になっていた。
「お呼びでしょうか、陛下。」
ムウは丞相を国王同様、この呼び掛けで通していた。
「俺が死んだ、ことになったら、例の廃神殿の隠し扉、教えたな。」
「はい。」
「あそこから、俺の玄室に入れる。俺を戻しておいてくれ。」
「はい、陛下。」
「包帯は適当でいい。俺が出たいときに出られるように。」
公式の上では、カウ・ヴォングはこの夜、死んだことになっている。
彼の棺は国葬で送られたが、その後、墓は暴かれ、行方不明となった。
さて、事実上、国政のトップとなったムウ・マフテップは全ての実権を掌握するため、
大臣や神官、文官、書記官、将軍たちを一堂に集めた。
「まずレブオーロ陛下には、これから重要な会議にはお越し頂こうと思うが、どうか?」
ムウが開口一番に、こう発言すると将軍の首座、ギプトが反論する。
大神官シン・ネレフトは自分が真っ先に反対すると角が立つと考え、予め口を合わせておいたのだ。
「宜しくありませんな。
まだ7歳にもならない子供です。」
「…そうか。」
ムウの国政運営は、最初から難航した。
丞相カウの偉大な影が、まだ王宮には残っていたからだ。
結局、彼が十分な権力を握ることはなかった。
では、ラ・ムールの政治は乱れたのかといえば、そうではない。
各官庁が十全に機能し、しばらくはラ・ムールは偉大な指導者なしでも乗り切れた。
実にレブオーロが7歳になった時分か、王宮内で育てられる彼に同年代の友人を与えてはどうか、という意見が出された。
そして、どこから探して来られたのか、ダークエルフの少女が王宮に招かれた。
流石にいつまでも一人ぼっちというのは良くない。
ただ、これでも様々な意見が別れ、ようやくここまで来たのだった。
「ハル・ミュカレーと申します、陛下。」
レブオーロとしては初めて会う同世代の子供である。
「僕はレブオーロ。宜しく頼む。」
嫌がおうにも気持ちが高ぶってしまう。
だが、残酷な事件が起こってしまった。
二人の対面から3日もしない、ある日、武術教練としてレブオーロは、初めて試合をすることになった。
7歳で同世代の子供と稽古するのは、ラ・ムールとしては早いほうだ。
だが、武人としての栄達を望む者ならば、この年齢で稽古試合は当たり前。
神官たちは勇んで今日の試合を計画したが、教育係の兵士たちは、浮かない顔。
「どう思う?」
「どうも何も、正直いって陛下に武の才能はない。」
案の定、レブオーロは無様に敗れた。
勿論、稽古場磨きの試合であって、勝ち負けが着くようなものではないが、
人と対して初めて武術という物は自分の才能が分かるものだ。
これは他の誰が横から口出ししても、幼いレブオーロにも分かった。
自分には武の練達者になるような才能はないのだと。
敢えて褒めるような言い方をすれば、自分の才能の無さに気付く程度には炯眼だった。
それにないと言っても、まるで駄目という訳でもない。
だが、歴代の武勇、衆に優れた大英傑のようなカー・ラ・ムールたちと比べれば、全く劣るということだった。
「どうされました、レブオーロ様?」
稽古の後、ハルが話しかけて来た。
それを睨みつけるようにレブオーロは報いる。
「悪いが、話しかけないでくれ。」
この日以来、レブオーロは憂鬱になった。
座学においては、ハルも平凡だったが、レブオーロはもう自分がハルより勉強が優れていても、
この王宮の外には自分よりも秀才が大勢いるのでは、という強迫観念に襲われた。
「芸事でもなされますか?」
ハルに相談したところ、歴代カーには芸術や様々な分野に功績を遺した者がいると芸事を勧められた。
だが、レブオーロは重篤患者だった。
「あんなものは、カーの作った作品だから家来がおだてているだけじゃないか!」
随分と捻くれたものである。
「何か麗文王カー・ギープルだ!こんな恥ずかしい詩の何がいいっていうんだ!?
この絵だって、ちっとも感動しない!嘘っぱちばっかりじゃないか!!」
この世は美しいものと、醜いものとで出来ている。
世界の全てが美しいなどというのは欺瞞だ。あらゆるものを選別し、そこから磨き上げたからこそ、美は美なのだ。
何もかもが美しい、誰もが素晴らしいという訳ではない。
当然のように世界には、取り分け価値のない人間やもので溢れている。
残念なことに、レブオーロは早い段階でそちらの山に選別された。
確かにカー・レブオーロは平凡な人間だった。
だが、平凡な人間にもいくらか種類が分けられる。
すなわち現実を飲み込んで、貧しい才能の中でやりくりする人間と、一切合切を投げ捨ててしまう人間である。
12歳になって、レブオーロはすっかりただれた男になっていた。
「連れてってやるぜー!風の向こうへーッ!!」
すっかり悪ガキになったレブオーロだが、重臣たちは無関心だった。
ありふれた言い方をすれば、重臣たちの気を引こうとして、こうなってしまったという側面もあったかも知れない。
だが、隣国のクルスベルグは、あのシフ・ヒルシャーのもと、前代未聞の軍備拡張を繰り返していた。
大空軍である。
帝国時代の技術を再生し、建造され続ける巨大で、大量の飛行船団は、各国に緊張を与えていた。
そのような剣呑な情勢下で、誰もレブオーロに深い関心を示す大人は身近には現れなかった。
「あのガキはどうした?」
「さあな。一時期は暗殺やらに神経を使ったが、いっそ死んだ方が良い。
どうせ代わりは幾らでも転生してくるんだからな。」
「ああ。次は出来のいい奴が生まれ変わってくれれば大助かりだ。」
あまりに無残な言い方だった。
神官たちは、完全に王の教育を惰性で行っていた。
どのみち、あの王はロクなカー・ラ・ムールにはなりはすまい。
そういう雰囲気だった。
「シェプト様。」
高位神官に声をかける者があった。
王の侍従、ハル・ミュカレーである。
「陛下が、また王宮の外に。」
申し訳なさそうに彼女が頭を下げると、王の教育を任されている神官シェプトは首を振って答えた。
「君が謝ることはないのだ。
あの放蕩王には、もう誰も何も期待などしていない。好きにさせるがいい。」
「はい、ですが。」
ハルは、そんな中ではレブオーロのために心を砕く数少ない人間のひとりだった。
無論、彼女の王に対する忠誠度は、伝統と権威にあり、異性に対するものではない。
対する王国の重臣たちも、ここまで国王をないがしろにするには理由があった。
もはや王は無用となったラ・ムールにあって今更、王に政治に口出しされても困るという点がひとつ。
また国王代理ムウ・マフテップのように王を後ろ盾に使われても面倒という側面や、
王の権威を利用しようという姿勢を見せただけでも、失脚する者さえいた。
つまり、誰もレブオーロに関わりたくないというより、
王と関わり合うことで、王権の復古を企む反動分子と見做され、敵視されたくないのだ。
王であることが、レブオーロに近づこうという者を跳ね除けていたわけである。
「今後、ラ・ムールにおいてカーはあくまで伝統と権威の象徴として利用されるのみだ。
何かあったとしても試練ということで済ませられる。」
シェプトはそういうとハルに背を向けて、逃げるように歩き去った。
残されたハルも仕方なく自室に戻った。
このような様子で、12の頃から悪ガキとなったレブオーロは、国家規模で勘当状態になっていた。
誰も、どこで何をしようとも、知らぬ存ぜぬである。
だが、この年の春にクルスベルグは行動を起こした。
シフ・ヒルシャーが大スラフ島の獲得を画策したのである。
この時代、未だにどの国もスラフ島、全島の掌握には至っておらず、各国が勝手に一部を切り取っている状態だった。
そこに海を持たないクルスベルグは海洋進出を企み、スラフ島の占領に動き始めた。
「まずドニー・ドニー領を攻撃する。」
クルスベルグの外相、アスカ・ノーマンはラ・ムールに手弁当で乗り込むと、この戦争に手出ししないことを約束させた。
この時点で、丞相カウがいれば、そんなことは認めなかったかも知れない。
だが、クルスベルグ空軍の大航空艦隊は、瞬く間に侵攻し、電撃的勝利をもたらした。
すなわち、
スラヴィア戦争の第1幕、アスコリ戦役である。
スラフ島のドニー・ドニー領、アスコリを占領するとクルスベルグは次にオルニト領を攻略した。
異変に各国が気付いた頃には手遅れで、戦闘が最終局面に入るとクルスベルグ軍はラ・ムール領に進撃した。
「これより赤色の場合作戦と青色の場合作戦を決行する。
まず赤色の場合作戦により、隣国のラ・ムールの骸骨要塞(スケルトン・キラー)を攻撃し、北東部を制圧する。
これを橋頭堡とし、電撃的に一帯を進撃する予定である。最終通過点はシセロとする。
次に青色の場合作戦により、スラフ島のラ・ムール領に駐屯する部隊を撃滅する。
攻撃目標は、モラズ、ワイーシア、ホルヘ、テハブ・カ・ムールである。
特に軍港であるテハブ・カ・ムールは15日以内で制圧し、本国から来る援軍を、港に入れるな!」
クルスベルグ軍の総司令官、国防相ビンク・ノイラー陸軍大将の発表であった。
その発表と同時に、スラフ島、ラ・ムール本国の猫人たちは、クルスベルグ軍を見た。
獰猛な機械の鎧たち、空飛ぶ巨大な戦艦。
降り注ぐ爆弾の炎に焼かれる街々。逃げ惑う住民を薙ぎ払う、鋭く激しい機械の暴力。
「我が祖国の誇りよ、永遠とならん。
我らは朋輩と肩並べて胸を張り、常に守り団結し、常に協力(ちから)して勝ち続けん。
おお、クルスベルグの勇名は、四方世界に並ぶものなし!」
クルスベルグ兵たちの勝利の凱歌がとどろく傍で、焦げた子供の死体が散らばっている。
だが、最悪はまだ始まったばかりであった。
漆黒王カー・シン・ガフが生きていた頃は、圧倒的なパワーバランスで隣国を退けていたラ・ムールに、
今回の敗戦を見て、弱しと踏んだエリスタリアも進行を始めた。
まずエリスタリア半島の各処のラ・ムールの飛び地を整理して、海を渡って大軍が上陸した。
次に橋頭堡を確保したエリスタリアは、クルスベルグと共闘関係に入った。
「以上をもって、黄色の場合作戦を開始する。
最終目標は、王都マカダキ・ラ・ムール!
参加兵力は、陸軍、第4軍、第11軍、空軍は第3艦隊を派遣する。
もはやこの戦争は、我々の大勝利間違いなし。この上は完璧な勝利をもって、不朽の勇名になさしめん!」
今日もシフ・ヒルシャーの演説は絶好調。
民衆は興奮し、鳴りやまぬ拍手は小一時間続いた。
「国民よ、雷となって神速のままに団結し、猫どもの首を掻き切れ!」
対するラ・ムール側は、まだ何もつかめていなかった。
あまりに敵軍の動きが速すぎて、反撃らしい反撃もしないまま、どんどん押し込まれて行ったからだ。
王都には、前線のはるか向こう側の情報が、いまごろ届く様な有り様である。
「これでは指揮が取れん!」
「なぜ、あのような空軍ができるのを黙って見ていたんだ!」
「外交で非難はしましたよ!でも、クルスベルグとの関係を考えて、です。
もっと強気で非難していれば、良かったなんて結果論はやめてください!」
「もうよい!」
この場にあって、国王代理、筆頭国務卿(副総理にあたる)、大神官らを差し置き、将軍の首座にあるラープ将軍が決断した。
「王都を戦場には出来ぬ。降伏して敵軍との講和に入る!」
「な、なにをいう!徹底抗戦あるのみだ!!」
降伏を宣言したラープに、国王代理のムウが迫る。
こういう場合、軍人が徹底抗戦を主張するような気がしないでもないが、今回は違った。
「だまらっしゃい。
そもそも、やつらがアスコリ戦役を起こした段階で、他国と同盟してクルスベルグ軍を攻撃すべきだった。
今は機を逸した。このままでは我が国のダメージが大きくなるだけですぞ!」
「だが、陛下はどうなる!」
「そ、そうだ。レブオーロ陛下の安全を考えるべきだ!!」
続いて反論したのは大神官シン・ネレフトと次席の神官である。
ラープは睨みつけるように報いた。
「一国民の安全と圧倒的多数の国民を両天秤にかけることは小官には出来かねる。」
暴発だった。
幾ら何でもカー・ラ・ムールを一国民と切り捨てて良いものではない。
「将軍、それは歴代カーに対する侮辱ですぞ。」
「それでも貴殿は、軍部を統帥する立場にある将帥か!?」
この席にある、全員がラープを批判した。
だが、若い将軍は全く動じない。
彼はカー・シン・ガフが最も信頼した男で、若くして軍部のトップを任されていた。
シンの死後、12年以上、彼の権勢は揺らぐことはなかったが、それは彼が政治には口出ししない人物だからに過ぎない。
それがクルスベルグ侵攻が始まった途端、国王代理から全権を奪い取って、
この緊急事態に限って国家の非常時大権を振るうことを認めさせた。
「ラープ将軍、貴殿はカー・シン・ガフ陛下を慕っていた。実の母以上とまで言っていたではないか。
それがどうしたというのか。王への忠誠心は、どこへ失せた。」
ムウが机を拳で叩いて、ラープに詰問する。
腕組みしたまま、ラープは黙っていたが、やがて硬く閉じた口を開いた。
「永久に絶えることなき魂の連環、不死なる転生王、カー・ラ・ムール。
俺とて、その傍に仕える至上の栄光に浴した身。だが、今の王はカー・シン・ガフ陛下とは似ても似つかぬ。」
「言うな。レブオーロ陛下は、まだ12歳なのだぞ。」
ムウも退かないが、ラープの表情は厳しかった。
「いや、言わせてもらう。
カーなど幻想だったのだ。幻想に従うことは出来ぬ。寝言は寝て言うがいい。
誰が、あの盆暗のために死ねと兵に命令できるか。」
「貴殿を解任しても良いのだぞ。」
ついにムウは最後の手段に出た。
だが、それに反抗するようにラープの背後に構える将軍たちが一斉にムウを睨んだ。
完全に軍部はラープと共にあるということか。
「邪魔はさせぬ。」
若き獅子将軍ラープが唸ると、蒼い目のペルシアン、ムウは小さくなった。
「…認める。」
夜半にレブオーロの私室にラープと軍の高官たちが乗り込んだ。
「カー・レフ、敵軍が迫っております。
ただちに是なる者共と共に国外へ落ち延び、御身を国難より退かせ給え。」
ずいっと前に出たのはダークエルフの戦士たち。
彼女たちはラープの直属の私兵であり、ラ・ムール国軍とは全く関係ない。
ちなみにレフはレブオーロの愛称である。
「はあ?」
国王らしからぬ第一声である。
もっとも品の無さではカー・シン・ガフの方が酷かったし、子供が突っ張った所で歴戦の将軍は動じる様子もない。
それどころか素早く距離を詰めると平手打ちを見舞った。
次に腕をねじりあげ、両手の指にはめられている指輪をも奪い取った。
「王者の指輪(ジーダス・カー)は預からせてもらう。」
「何しやがる、この爺!」
「これは王国の玉璽たる至聖の宝貝。
カーが殺されたところで代わりは幾らでもいるが、これの代わりはないのでな。
腕に覚えのないクソガキが殺されて奪われでもすれば、一大事なのだよ。」
これは正論である。
王は王家のある限り代価の利く存在だが、国家と玉璽は、代わりになるもののない唯一無二の存在で、価値は王よりも重い。
それが世界のあらゆる王朝の常識だ。
特にカー・ムヘアク、カー・シン・ガフの時代にはエリスタリアに奪われ、
シンが取り返すまでは王者の指輪ナシという屈辱的な時期を経験している。
「放せよ!俺はカーなんだぞ!!」
「エッダ、シャーリア。後は任せる。」
喚き続けるレブオーロを残して指輪を持ち去ったラープは早足で廊下を移動する。
後に続く部下たちの一人が声をかける。
「ですが、いざという時にはカーの御身を守り参らせる武器にもなります。」
「死は次なる再生に繋がる。
再生を必要とする者は、今のこの国には溢れている。そのために必要な死は、あの小僧にくれてやる。」
この一言で、流石に部下たちは血の気が引いた。
それどころかラープは、誰にも相談せずに口を開けると王者の指輪を飲みこんでしまった。
「な!」
思わず部下たちは声をあげたが、ラープは平然としている。
「これは極秘だ。もしもの時は俺の腹を切り裂いて、必ず死守せよ。」
「は、はい。」
「帳(とばり)の兵団は何をしている?」
ラープの質問に、部下の一人が駆け足で追い着き、彼の隣に並ぶと耳打ちする。
「そうか。」
数日後、クルスベルグからは空軍中将エッケルト、外相アスカ・ノーマン、副外相タイロンが送り込まれた。
彼らは傲慢な態度で王都に乗り込むと、クルスベルグとラ・ムールの接する大部分の領土を割譲させる条約を突きつけた。
「今後、ラ・ムールはエッケルト将軍の管理下に置く。」
「ところでカー・レブオーロはどこにいる?」
この質問にムウは正直に答えた。
「陛下は安全のために国外へ退去されている。」
この回答を、アスカは鼻で笑った。
聞くまでもなくクルスベルグ軍はレブオーロの所在を空軍の偵察機が確認している。
「それよりもエリスタリアの進軍を停止させていただきたい。」
今度はムウから次の議題を挙げたが、アスカは冷たく切り捨てた。
「それはエリスタリアと交渉してください。」
「エリスタリアは貴国とは同盟関係にあるハズ。貴国だけが単独講和するというのですか!?」
「連中は勝ち馬に乗って、小遣い稼ぎにしゃしゃり出て来た欲深い耳長どもだ。
我が軍の支援なくば、砂漠で骸を晒すだけとなろうが、いい気味だ。」
アスカ・ノーマンは個人的にエルフを蔑視していた。
クルスベルグ本国でも、彼が公の場でこのような発言を慎まないことが指弾されていたが、
彼は一向にその姿勢を改めることなく、エリスタリアを公然と侮辱した。
「我が軍は強大だ。
もはや狭い谷の中で窮屈に押しやられている時代は終わった。」
ラ・ムールを一方的にやりこめたクルスベルグの戦意は高揚していた。
だが、シフ・ヒルシャーは違った。
彼は開戦には反対していたのである。
だが、もともと大きな派閥を持つ政治家でもない彼は、国民の支持や人気があっても国政をコントロールできていなかった。
むしろ大統領となってからは政権を維持するため一層、分かりやすい結果を求められた。
帝国時代の技術の再生、外交膨張政策による武力行使、雇用対策、経済対策、チャールズ一族の排斥。
どれもとにかく早く、早くと急かされ、大部分は穴だらけだった。
後からクルスベルグは、その負債を被って元より苦しむことになるのだが、今は強力な薬を飲んで、
身体はボロボロになっているのに、元気になったと喜んでいるようなものだ。
そんな中、ラ・ムールの王宮でクルスベルグ軍人たちを前に、ある人物が姿を見せた。
輝く王冠を頭にかぶり、帝王紫のトーガをまとった仮面の男である。
「王者の指輪を手に入れろと言ったハズだ。」
仮面の男はエッケルトを恫喝した。
「カー・レブオーロの所在は空軍が掴んでいる。
だが、兵士たちから得た情報では、王者の指輪はラープというラ・ムールの将軍が持っているのだ。」
脂汗を流してエッケルトは事の次第を仮面の男に説明する。
それでも不満そうな仮面の男は、遂に席を立った。
「これは子供のお使いではない。
我が君の大願の妨げとなるものは、排除せねばならぬと、きつく申し渡したハズ。」
足早に立ち去ろうとする仮面の男の要するに
ドワーフたちが狼狽える。
「か、必ず手に入れますッ!」
エッケルトも席を立って仮面の男に追いすがるが、反応は冷たい。
「仮に手に入れたとしても、これだけの兵力を動かす権限がありながら、しくじったことは貴殿の無能さを示すものだ。
貴殿は、我ら、不死の貴族の一員となる資格はない。」
顔は見えないものの、仮面の男の語勢は失望と怒りで満ちていた。
上背のないエッケルトは、見下ろされたまま小さくなっていく。
「そ、そんな!!」
「では、せめてレブオーロを殺すのだな。」
捨て台詞を吐いて仮面の男は姿を闇の中へと隠して消え去った。
残されたクルスベルグの将校たちは、呆然として立ち尽くしていた。
「中将、レブオーロを殺すのですか?」
エッケルトの部下の一人が悲鳴地味な声をあげた。
他の部下たちも口々に小鳥のようにがなり始める。
「馬鹿な、本国に何と言い訳する!?」
「不死のためです!」
「そうです!
将軍、我々が今日まで教団のためにどれだけ軍規に背いたか、時期に軍法会議にかけられます!!
このままでは、教団にさえ見限られてしまう!!」
エッケルトは決断を迫られた。
しばらく冬眠中のクマのように部屋を歩き回ると、真空管や歯車が飛び出した通信機器に手を伸ばす。
「オレイユ大佐か。ただちにレブオーロを殺せ。」
エッケルトのあまりにストレートな物言いに、部下たちは彼の神経が途切れたことを悟った。
なおもエッケルトは続ける。
「…これは本国の命令ではない。そうだ。確認は必要ない。…理由だと?
そんなものは、軍人として国家の敵を事前に処理するだけのことだ。
…分からぬ男だな。
こんなことで詰まらぬ評価を下されたくはあるまい?優秀な君の軍歴が傷つくぞ?
…何?…もういい!!」
エッケルトは一旦、電話を切ると次々と空軍の将校たちに命令を下すが、当然のように断られた。
「中将、無理です!」
ついに黙っていられなくなった部下がエッケルトに歯向かう。
「無理なものか!今日まで我々がどれだけ危ない橋を渡って来たと思っているのだ!!
あと一歩だ!ふ、不死…、永遠の命!!あきらめてなるものか!!」
占領軍の司令官、エンバー・エッケルト空軍中将が死体で発見されたのは、この次の日の昼だった。
朝までは土色の顔をした将軍を、ラ・ムールの兵士たちも見ていた。
当然、クルスベルグ本国はラ・ムール側の反抗と見做したが、証拠は見つからなかった。
いや、真実を言えば、将軍を殺害したのがクルスベルグ空軍の兵士たちだと発覚して、
大急ぎで捜査が中断され、この案件は何もなかったように抹消された。
エッケルト変死。
だが、後任のランブル陸軍中将もモルテ教団の信奉者だった。
「エッケルトめ、教団の秘密を知られる寸前までいきおって…。」
「ですが将軍、レブオーロ殺害はどうしましょう?」
そう副官の
ノームがいうと、ランブルは顎を揉みながら答える。
「ヴェルルギュリウス伯の独断だろう。サミュラ様は殺生を好かぬお方だ。
それよりもクルナップ計画はどうか?」
「K類司令ですので、教団でも手が出せないようです。」
K類司令とは最高機密の情報ラベルで、大統領権限による情報プロテクトを指す。
「キエム候は御怒りだ。また尻を叩かれるぞ。」
「一体何が不満なのでしょう?」
「全くだ。我々の計画は万全だ。問題ない。」
ところで、彼らが乗り込んでいるのは自動車である。
近々、これに装甲と大砲や火器を搭載した戦闘車両も開発される計画になっていた。
「ふん、猫どもが驚いておるわ。」
車の窓からラ・ムールの猫人たちを見ながら、ランブルがいった。
「ははは。我々も始めて見た時は、衝撃的でしたね。」
「…ルイマン、俺は不死の貴族よりも、この帝国技術の方が恐ろしい。
どこまで地獄の扉を暴き続けるつもりだのだ、今の政府は。
早くサミュラ様の掲げる偉大なる大願が成就し、地上の楽園が出来上がれば良い!」
ランブルは悍ましい魔物を睨むように、自分たちの乗る自動車の車内を見渡した。
「クルナップ計画は、オーザルベルグだったか?」
思い出したようにランブルが言った。
「はい、確か陸軍統帥本部では、そのように。」
「あの掘り尽くした廃鉱山しかない谷に、何がある?
旧帝国の主要な都市からも随分と外れているようだが。」
「全ては計画を進めている、ベルテ・キュラッサーの頭の中でしょうね。」
ラープの部下たちによって連れ出されたレブオーロはリュッペ・ラ・ムールにいた。
リュッペ・ラ・ムール。
ルミコープ大河の上流にある都市で、かつてラ・ムールがこの砂漠に割拠する小国の一つであった頃の最古の王都である。
もっとも全ては伝説の時代の話であり、ここにはかつての遺跡は何一つない。
今から900年ほど前、イストモス軍の大進撃で街中に火が放たれた。
何十世紀と守られてきた神殿、街道、街並み、美しい古都は戦火に沈み、今はない。
今次戦争では、クルスベルグ空軍の空爆を逃れたため、多くの人々が流れ着いていた。
「陛下、王都より御帰還奏上が参りました。」
「…命令の間違いだろ?」
レブオーロが
ラミアの軍人に毒づいた。
王が政府に命令され、疎開させられ、地下に閉じ込められ、今日まで来た。
幾ら王らしいところのないレブオーロだが、これは何でも面白くないのは当然だ。
「陛下の随意に。」
ダークエルフの上級将校が冷たくそう言った。
「しかし、場合によっては腕づくで陛下を王都へお連れ参らす事になりますが。」
「ちっ!」
短く舌打ちしたレブオーロは、軍人たちと共にリュッペ・ラ・ムールを離れた。
リュッペ・ラ・ムールは今のラ・ムールの中央からは、かなり外れて北西の端ぐらいの位置にある。
だが、カー・シン・ガフの統治の間にかなり王国の版図は修正され、この時代は北西よりやや内側に位置した。
すなわち、エリスタリア領、ギリギリの位置にあったのである。
ただし侵攻するエリスタリアはリュッペ・ラ・ムールの周囲にある要塞を落とすことができないため、
全ては海を越えてラ・ムールに進撃しており、ここは安全地帯と見做されていた。
「エリスタリア軍は、クルスベルグとは別行動だと!?」
王都から来た部隊と合流した、レブオーロの護衛隊は、現在の状況を詳しく知らされた。
既にクルスベルグとの停戦は2ヵ月も前のことになる。
にも拘わらず、上陸したエリスタリア軍は、未練たらしくラ・ムール西部をウロウロしていた。
「北辺の領土を取り戻すまでは、大人しく帰りそうもない。」
「ラープ将軍も動くぞ。」
レブオーロ一行が戦闘を避けつつ移動する中、王都は入れ違いで大軍が西進を開始した。
早期の講和によって兵力を維持していた王都周辺の部隊を集合した大軍である。
予想以上の兵力差に、エリスタリア軍は撤退した。
だが数週間ののち、エリスタリア半島から増援が到着、国王自らがラ・ムール入りという時局に陥り、
両軍は海岸近くで決戦場を求めて小さな衝突を繰り返しつつ、小康状態に入った。
結局、5週間の間、小さな戦闘を繰り返し、戦闘が本格的になったのはレブオーロが王都に帰還した頃になる。
カーラ砂漠の戦いである。
エリスタリア軍、総大将である国王ディオマーは本国の長老たちから送られた召喚状を破り捨てた。
既に本格的な戦闘が始まる前から、王は前哨戦で連敗を重ねており、直ちに退けという内容だった。
「陛下、議会はどうにかやり込めましたが、このままでは本国のお立場が。」
側近たちも顔色が悪い。
このままでは、ラ・ムール軍の猛攻を防ぎきれない。ここまで実力に差があるとは。
「ユミルムの援軍が到着すれば、敵軍を圧倒できる。」
ディオマーは破り捨てた手紙に代わって、もう一通の書簡を重臣たちの前で開いて見せる。
そこには王妹、ユミルム女王が更なる増援を率いてラ・ムール入りしたという内容だった。
「おお!」
「女王陛下までもが!」
「これで数の上では3倍!」
正確には5倍である。
ラープは広大な範囲に兵を分散させていた。兵力分散は危険な行為だったが、ディオマー軍が
大規模な迂回を始めれば、ラープ軍は海岸線の敵と背後に回り込んだディオマー軍に挟み撃ちになる。
それが実現していないのは、ディオマー軍がラ・ムールの地理を把握していなからである。
現代と違い自国の地図は国家の重要な機密であり、他国には渡ることはない。
「今しばらく敵軍の攻撃を凌げばよい。
時期に奴らの方で我が軍の大兵力に屈することになるのだからな。」
「となれば、今よりも大きな決戦場を探すことになりますな。」
家臣の進言にディオマーはニヤリとした。
そして王は、断片的なラ・ムールの地図の一隅を指差した。
「カーラ砂漠を決戦場とする。
これであれば、兵力に勝る我が軍が圧倒的に優位となろう。」
しかし、この時、ラ・ムール側は異例の手段に出ていた。
ラープ軍は夜半に紛れて、あの男を呼び寄せた。
クルスベルグ空軍の警戒網を易々と突破し、ラ・ムール軍の前に降り立ったのは、盲目公である。
「ラープ・ジグラド将軍閣下、御用命でしょうか?」
「久しぶりだな、ジョージ殿。実は君の兵たちを借りたい訳ではない。
だが、これは君でなければ頼めないことだ。」
陣幕を飛び出したラープは、ドラゴンの足元まで駆け寄っていく。
ドラゴンになれていない兵士たちは大騒ぎだ。それはそうだろう。将軍は誰にも了解を得ていないのだから。
「イストモス軍の力を借りたい。」
「イストモスの!?」
ラープの言葉に、盲目公は首を引っ込めて驚いた。
「我々ではクルスベルグ軍の監視を振り切って、君にここまで来てくれるように頼むのが限界だ。
どんな見返りを求められても応じる。イストモスも、君からもだ。」
ラープは真剣な様子で盲目公にそういった。
判断に迷う盲目公は、言葉を探していたが、なおもラープは続けた。
「本当ならば、もっと早く君を呼びたかったが、クルスベルグ軍の妨害があったのだ。
密偵の情報では、エリスタリア軍は本国から女王が上陸する準備を始めている。
これは時間との戦いだ。」
「無理です。」
盲目公は、この場の大半の兵士にも聞こえるように話した。
「どうやってイストモスを動かすことができるのか、私には分かりません!」
ドラゴンは亜人ではない、所詮は魔獣だ。
それがふらりと現れて、どうやって一国の使者として振る舞えばいいというのか。
しかしラープも冗談で言っている訳ではない。
必死に食い下がった。
「君の御爺様がやったように、イストモスを今度は我が軍の味方につけてくれ。」
「将軍、周りを見てください。」
盲目公がいうと、ラープは少し彼から離れた。
ドラゴンは続けた。
「ここにいる3万の兵士だけではありません、ラ・ムールの何百万という命が掛かっています。
それを、こんな化け物に任せるというのですか!?」
「私は君を化け物とは思っていない。」
「その言葉は嬉しいが、とても無理です。」
盲目公は、それだけ言うと首を引き揚げ、翼を温め直そうと準備運動を始めた。
しかしラープは懐からとんでもない物を取り出して彼に突き出した。
「これが何かお分かりになるでしょう?」
「じ、王者の指輪(ジーダス・カー)!?」
「その通り。これならばイストモスも説得できましょう。」
ラープは指輪を慎重に小箱に移し替え、盲目公に渡そうとするが、彼は受け取ろうとしない。
盲目公はしばらく考えると翼を大きく広げながら答える。
「将軍の御心は、伝わりました。
こうなっては自分も最大限の努力をもって、貴国の友誼に応じたいと存じます。
ですが、それはラ・ムールの至宝。
それを受け取ることは私には出来かねます。
私は、私にも守るべきものがあります。私の奴隷たちです。
彼らの命を盾に取られれば、私は例えその条件が王者の指輪と言えども抗し難いのです。」
「お引き受けくださるならば、小官はこれ以上は、何も言いますまい。」
ラープもそう答えると、指輪の入っている小箱を懐へ戻した。
やおら盲目公は温めた翼を羽ばたかせ、夜空に飛び込んだ。
さしものドラゴンも冷え切った体では、普段のように自由に飛ぶことは出来ないらしく、しばらくは辺りを周回し、
十分に速度と高度を高めてから、一気にイストモスに向かって羽ばたいた。
イストモスに到着した盲目公はギザカー族を頼った。
ギザカー族は西方諸部族の中では最大の勢力を誇り、イストモスの首長議会でも、大きな影響力を持っていた。
なにしろドラゴンである盲目公と、その傭兵団の兵力を借り受けているのだ。
外敵であるドラゴンと好(よしみ)を通じることは、不快感を抱かれることではあったが、
天災のように現れては家畜を食い荒らされるぐらいなら、多少は交渉してお互いの立場を理解していくことが不可欠になった。
もともと尚武の気風を持つイストモスである。
戦の勝ち負けで生き死にが別けられることには、よほどの理解をしている。
大自然のままの平原では、負けた者は跡形もなく滅びる。
生きるために強い者が弱い者を狙って何が悪い。生きるために誰もが必死なのは当たり前だ。
それは残酷でも何でもない、摂理なのだ。
「これはジョージ殿。」
ギザカー族の族長、アッピウスである。
周りには彼の妻と子供たちが大勢連れ立っていた。
「お話は、失礼だが伺う前にある程度、察しは着いておりますよ。」
アッピウスは、ぐっと下した盲目公の頭を抱く様に挨拶しながら、そういった。
「ラ・ムールが援軍を求めているんですね?」
「…アッピウス公としては面白くないでしょうが、なんとか他の部族を動かして頂けませんか?」
盲目公がそういうと、アッピウスは優しく微笑んだ。
「まさか。確かにイストモスとラ・ムールは建国以来の宿敵。
ですが、私たちもいつまでもいがみ合っていてはならないと考えています。
…もちろん、ドラゴンに着いても、これからは仲良くしていきたいと思っているからこそ、
貴方と付き合いをしている。」
「痛み入ります。
しかし、時間が余りにない。」
盲目公がそういうと、アッピウスは気楽そうに応じた。
「心配は無用。」
数日後、盲目公はイストモスの騎士道を知ることになった。
イストモスの首長議会は、あっという間に話し合いを済ませると軍備を整えてラ・ムールの国境に迫った。
その素早さは単純に人馬の足の速さとは関係なく、万事に決断が早いのだ。
「兵は拙速を貴ぶ。何事も素早く決断するのが、イストモス騎士の条件です。」
アッピウスは盲目公に、誇らしげに自分たちの軍勢を見せてそういった。
それにしても武器を揃え、兵糧を集めて、これだけの軍勢をまとめるまでに2日とかかっていない。
おまけに各地の部族が決められた場所で次々に合流し、行軍にはいささかの遅れもない。
何の連絡もなく盲目公がイストモス入りしてから、たったの1週間で完全武装の大騎士軍団が平原に出現した。
ラ・ムールとクルスベルグには常に訓練を続ける兵員はすべて国民からなる常備軍があるが、
イストモスにはそれがないことを、盲目公は内心では不利だと考えていたが、間違いだった。
この国に限って言えば、生きることが大自然との戦いであり、民は常に戦士としての気骨を育てている。
「エリスタリア軍が海を越えて、ラ・ムールに上陸する前に、我々が対岸に布陣する必要がある。
ここよりは死ぬ気で走り、彼の国に合力せん!!」
「ウラーッ!!」
雲霞のような騎士たちが、一斉に鬨の声をあげた。
「ラ・ムールは不倶戴天の敵なれど、クルスベルグは戦闘に参加していない者も、あの飛行船から爆弾を落として殺した。
これは騎士道に恥じる、絶対に許せない非道な行いである!
それに乗ずるエリスタリアの両王は、やはり同じく騎士道を解さぬ外道である。
ただ勝てば良しなどとなれば、我々は野の獣と変わらぬ。
積年の敵に手を差し伸べることになるが、誠を知らぬ蛮族奴等(ばんぞくめら)に真の騎士道を示し、
戦場が卑劣な殺戮の場ではなく、互いの信念をかけた神聖な聖域であることを世に問わねばならぬ!!」
アッピウスの演説に、盲目公は内心では異を唱えた。
だが、得心はいく。
人としての意地と言うことなのだろう。
思えば自分も幼い頃には、卑劣な殺戮を憎んだこともあった。
騎士道や武士道というのは殺戮者の偽善と欺瞞に過ぎないのかも知れない。
だが、罪悪感を感じないドラゴンと亜人の違いが人らしさとするならば、
これは彼らが高潔な人間であろうという心の自浄作用なのだ。
「進めー!!」
「これより、駆けて駆けて、駆け抜けよ!」
イストモス軍3万は、勢いそのままにラ・ムール領へ侵入した。
当然、何の連絡も受けていないラ・ムールの王都では大混乱が起こった。
同じようにクルスベルグも予想外のイストモスの行動に飛び起きるように対応策に追われたが、まるで追いつかない。
道中、盲目公が自前のルフ鳥や鳥人奴隷を動員してラ・ムールに事情を伝えながら、
また水や食料を運び、イストモス軍は、その間も走り続けた。
信じられない速度で大陸の反対側まで強行軍を続ける大騎士軍団に、エリスタリアも大急ぎで動き出した。
「ドニー・ドニーもミズハミシマも、今は船を貸せぬと言ってきております!」
女王ユミルムは、家臣の報告に激怒した。
「構わぬ。接収せよ!」
ついに強硬手段に打って出たエリスタリア軍は、船乗りたちを拘束して、操船に必要な人数だけを残し、
大急ぎで海を渡ってラ・ムール入りを敢行した。
「訴えてやるぞ!」
「国際海事裁判になったら勝てると思うなよ!!」
船乗りたちは反発したが、内心では金さえもらえれば、それで構わないという者も半分、
次の仕事の契約に違反してしまうことに苛立つ者が半分という様子だった。
結果、一番、腹を立てたのは莫大な見舞金を払わされるユミルムだった。
カーラ砂漠を決戦場と定めたラープ軍とディオマー軍は、互いの援軍を待った。
しかし、やはりラープの方が曲者だった。
「ディオマー軍は、こちらも援軍を待っていると思っているハズだ。
今夜のうちに夜襲を仕掛け、敵軍を混乱させたる後に、大攻勢をかけて撃滅せん。」
これがカーラ砂漠の戦いの第1幕である。
夜のうちにディオマー軍の後ろに回り込んだラープ軍の一部が後ろから攻撃を仕掛けた。
これで大混乱に陥ったディオマー軍は、完全に潰走状態になり、ラープ軍全軍に襲い掛かられて壊滅した。
国王ディオマーは戦場から逃げ出し、捕縛こそされなかったが、ダメージは大きかった。
その2日後、ユミルムはカーラ砂漠に到達したが、待っていたのはイストモス軍と合流して数倍になった敵軍だった。
待っているハズの兄王は、とっくに逃げ出し、味方の軍勢は残っていなかったのである。
「あ、兄上はなにをしている!?」
「わ、分かりません。何の連絡もありません。」
真っ青になって慌てる家臣たちを前に、女王は頭を抱えた。
「ともかく、この戦域を離脱する。一部を囮にして、本隊を後退させる。」
ユミルムが慌ただしく退却の用意を始めた頃、アッピウスとラープは追撃戦の作戦を練るべく、
イストモス側の本陣で会談した。
「アッピウス様、自分は非常時大権によりラ・ムールの全権を委任されたラープ・ジグラドと申します。
偉大なるイストモスの大首長である閣下にお越し頂き、なんとお礼を申し上げればよいか。」
「こちらこそ、お声をかけていただき、嬉しく思います。
共に長い憎しみを棄て、この敵に当たりましょうぞ。」
アッピウスはそういうと一振りの剣を取り出した。
イストモスに伝わる星神の星遺物のひとつである星剣ブルースターである。
「両国の友情の証としてお持ちください。」
侍従の狗人が星剣をアッピウスから受け取ると、ラープの前でひざまずいて剣を差し出した。
ラープも感激して剣を受け取ると、声を震わせて礼を返した。
「このような宝を頂き、誠にお礼申し上げようもない。
今日よりラ・ムールの国宝として、大切に致します。」
「ははは。」
アッピウスは笑った。
「確かに星剣は宝なれど、剣である以上はあくまでも武具としてお使い下さいます様。
明日はユミルム女王が敵となります。
しかし、こちらは王抜き。
神の代理人たる王は、我らでは抗しきれぬ超常の存在。
このアッピウスでは不足でしょうが、ラープ殿と私で力を合わせましょう。」
翌日、払暁作戦によってエリスタリア軍は大打撃を受けた。
夜明けとともに雪崩れ込んだイストモス弓騎兵、伝統の騎射戦法に、エリスタリア弓兵はズタズタにされた。
開戦前は長弓兵が弓騎馬に後れを取る訳がないと豪語したユミルムさえ、顔をひきつらせた。
「恐れるな!弓勢でエルフが
ケンタウロスに劣るなど、あってはならぬのだ!」
自らも弓を取って戦うユミルムだが、いつまでも弓騎兵たちの矢の雨は止まらない。
そこに続いて重装騎兵たちが突撃をかけると、もう堪らない。
散り散りになったエルフたちに、今度は猫人たちが飛びかかり、次々になます切りにされる。
結局、6日間の戦闘が続き、逃げ惑うエリスタリア軍は鏖殺された。
壊滅でなかった。その文字通り、一兵も生きてはエリスタリアに帰れずに戦死した。
イストモス、ラ・ムール両軍は、互いに競うようにエリスタリア兵に襲い掛かり、確実に損害を与え続けた。
まさに壮絶の一言に尽きる死闘であった。
積年の恨み、長年の因縁を超えて友情に結ばれたイストモスとラ・ムール。
戦勝よりも、この吉報にラ・ムール国中が沸き立った。人々は喜び、クルスベルグ占領下という暗雲を吹き飛ばした。
だが、憂鬱に沈む者がいた。
レブオーロである。
幼い彼にも分かる。
ラ・ムールとイストモスの確執がどれほど大きく、それを乗り越えることがいかに難しいかが。
歴代のカー・ラ・ムールにもなし得ない大事が、ひとりの重臣によってなされた。
これはもはや言い逃れようもなく、カー・ラ・ムールは不要になったことの証左ではないか?
「ばっかじゃねえの…。」
レブオーロは、これがきっかけになるのではないかと期待していた。
つまり敵国の侵攻に対し、自分が先陣を切って国難を退ける大役を果たせるのではないか、と。
だが、現実は違った。彼は子供扱いされ、王都から逃げ隠れして、トンボ帰り。
敵は先代のカーから引き継いだ優秀な将軍と軍隊が見事に撃退して見せた。
ピンチに覚醒するスーパー・ヒーロー?
子供だからって、そんな物を本気で期待した自分にさえ腹が立つ。
何もできなかった。レブオーロは、自分を恥じた。
ひょっとしたら、ラープが自分から王者の指輪を取り上げる前に彼に提案すれば。
ひょっとしたら、自分が才能のないなりにも武芸に打ち込んでいれば。
ゲーテの言葉にあるように「物事は過去から見れば、恐ろしく複雑に見えるものである」ということだ。
過去にああしていれば、そういう考えが常に人を惑わせる。
「こんなもんかよ、俺はよ。」
『付録』
「風神ハピカトルの5つの神性」
神の中には複数の性格を持つものがいる。
ハピカトルは主に風の神だが、その他に5つの神性があると考えられている。
まず破壊。
凶暴性や暴力、制御できない大きなパワーを象徴する。
巨大な竜巻と積乱雲に単眼の姿で表される嵐神ハピカトルの、もっとも象徴的な神性である。
次に採生。
いわゆる生贄の儀式によって世界を運行させるという神性を指す。
嵐神に世界を運行する能力があるのかは疑問だが、古代オルニト帝国は自分たちに主神には強大な力があると信じた。
次に疫病。
日本語で病気の事を「風邪」と書くが、これは目に見えない力を支配するのは風の神と考えられたためである。
オルニトではハピカトルは病を司る神性を備えていると考えられた。
次に飛行。
空を行く雲、浮き島。嵐神には空を飛ぶ者たちを守護する神性があると考えられた。
現在では航空安全を祈願する程度に認知されている。
最後に炎。
嵐と炎では、全くイメージが繋がらないかも知れないが、これは祟り神信仰による。
つまり雨の神は日照りを起こすこともできるだろうと考えられたように真逆の神性を神々は表裏合わせ持つと解釈された。
目に見えない病を運ぶ風神は、病を治める術として、穢れを清める炎を支配すると人々は考えた。
この聖なる炎は、通常の発火では得られるものではなく、落雷によって生ずると解釈された。
そのため、炎の神殿には落雷によって得られた炎を保存している。
これら嵐神の神性のひとつを分祀することが許された正統な神殿は五大聖地と呼ばれている。
そのひとつ破壊の神殿はオルニト南西部、イリオスキにある。
「イリオスキ」
東大陸はオルニトの南西部に広がる地域。
陸地、水域、合わせた総計は約54万k㎡でアメリカのオレゴン州(全米9位)とネバダ州(全米7位)を足した面積に等しい。
もしアメリカの州なら全米1位の面積を誇るアラスカ(171万k㎡)、2位のテキサス(69万k㎡)に次いで、
3位のカリフォルニア(42万k㎡)を超えるランキングになる。
ちなみに日本列島の総計は約37万k㎡である。
対岸にマセ・バズークを臨む、中隊湾(マニプルス・ガルフ)のオルニト側にある元帥河(リーオ・パシャ)の
大小、80の支流が作り出す大湿地帯。季節によって川幅が広がり、ジャングルは川底に沈む。
実は極低空の浮き島であり、元帥河は浮き島の持つ引力に引き寄せられ、海抜数百mまで上昇し、浮き島を浸すのである。
それが季節によって月との位置、浮き島同士の間隔が離れ、引力のバランスが変化すると水面は下がっていく。
元帥河の底の底には、本来の陸地が沈んでいるが、調査することは困難であり、試みた者さえいない。
イリオスキがこの地域の本来の名称だが、大抵の場合は元帥河流域という呼び方がなされる。
よってイリオスキと言う場合は、この地域の最大都市である主邑イリオスキ・シティを指す。
イリオスキ・シティにはマセ・バズーク戦争の前進基地となった大要塞が各地に建設されており、威容を放つ。
一部は未だに軍事施設となっているが、大部分はこの地域の州政府を始めとする官庁舎となっている。
ヴァーハ城は、イリオスキの総督府官舎であり、もっとも見るべき観光スポットとなっている。
旧総督官邸の華麗な庭は、オルニトが精力的に活動していた時代をしのばせる。
気を着けなければならないのは、近くにあるテハ砦で、こちらは監獄である。
また郊外には嵐神ハピカトルの5つの神性を分祀する五大聖地、破壊の神殿がある。
「ラ・ムールの軍制(400年前)」
階級
首座将軍…国軍のトップ。
書記官長…軍政部のトップ。
将軍…各軍団長。少将に相当する。
書記官…高級参謀、参謀。
将校…大佐~少尉までを全てひとまとめにする大雑把なもの。
兵
軍団、歩兵の場合は3000名からなるものを基本とし、将軍たちの判断で様々な兵科を運用させた。
極めて未発達で未成熟な軍制を取る。ただし常備軍であり、常に配備されている。
「ミズハミシマの軍制(400年前)」
階級
大将軍…必要に応じて任命された。
将軍…軍司令
中将…師団長
少将…副師団長
師団、おおよそ8000名からなるものを基本とする。陸戦か海戦かで大きく陣容が異なる。
常に配備されている訳ではなく、開戦に応じて召集、編成される。
「血の海」
異世界の、特に南海に姿を見せる巨大な肉の島を中心に形成される海域。
中心核となる肉塊が常に漂流しているため、同じ場所に停止していることはなく、移動し続けている。
原因は不明だが、肉塊は生きており、常に血液を海に吐き出し続けている。
寄生虫や病原体が肉塊や周囲の海に溢れかえっていて、衛生環境は最悪。
見た目の悍ましさも異常だが、すき好んで上陸することはお勧めできない。
「プーゲランティア」
超巨大肉塊島で、陸地には島民が住んでいる稀有な肉の島。
普段は海面下に沈んでいるため分からないが、約8万k㎡、日本の北海道ぐらいの大きさがある。
住んでいる住民に関しては誰も知らない。
ドラゴンの連れていた奴隷たちの話や、後代の船乗りたちが仄めかす、伝説の島であり、詳しいことは分かっていない。
だが島の大きさや伝え聞く集落の様子から、恐らく同じ物だろうと推察されてきた。
オルニトの記録では、3000年前から2000年前の間に浮き海に浸かった状態で空中で目撃されている。
島の名前は、この記録に準拠するものである。
当時の記録と併せ読めば、元は東大陸の東側にあったものが、浮き海によって西側の南海に侵入したと考えられる。
ただし確証はないため、オルニトの記録にあるプーゲランティアと南海の巨大肉島は別物という意見もある。
- ラムールのありそうと思っちゃう政治模様と心情いいね。ラムールにおいて異質なドラゴンがかかわってくるとファンタジーっぽさ増す -- (名無しさん) 2015-08-17 17:23:38
- 過去からガッツリ固めていく歴史シリーズで情報量も構築も驚嘆。でも現代ができてるイレゲだと逆行して歴史を作って見るのもつじつまとか合いやすいかも?と思ったり -- (名無しさん) 2015-09-08 22:59:58
最終更新:2015年08月17日 17:20