【盲目公記⑨下】

武王、漆黒王の二人でも竜宮城に連れ去らわれたサミュラの奪回は失敗した。
おまけに不死の王侯の一人である漆黒王カー・シン・ガフを失ったのだ。

さて、ここはフォンベルグの教団施設、その仄暗い一室。

「ロン!」

深い皺の刻まれた狸の獣人が、ガイコツたちと卓上遊戯に興じている。
この非常時に、何をやっているのか。

部屋のドアを乱暴に開けたガルガがズカズカと近づいてくる。

「おッ匠!!」

気障りな甲高い声でガルガが唸るが、ガイコツも狸人も手を止めず、無視してそのまま配牌を始めている。

「おッ匠ォッ!!」

ガルガがまた喚くと狸人は横目で応える。

「悪いな、理牌が済んじまった。
 この一局が終わるまでは待ってくれ。」

寝言の様な文句を狸人が言うと、ガルガは容赦なく卓を蹴り飛ばした。
ガイコツたちは無残にも卓に圧し折られ、バラバラになって床に散らばった。

「…悪いなぁ、卓もメンツも吹ッ飛んじまった。
 こっちの用事が済むまではお預けにしてくれや。」

ガルガがニヤニヤしながら、ただ目だけはギラついた苛立ちを映しつつ言い放った。

狸の不死者、怪仙人ルゥはしばらく黙って椅子に座って右手の牌を見つめていたが、
これもガルガがひったくって床にたたきつけた。

すると、やにわに立ち上がってガルガに向き直り、ため息をひとつ。

「…はあ。
 年寄の楽しみを奪わんでくれ。」

そういってガルガの後をついて部屋を出た。

窓が極端に少ない廊下を滑るように二人は歩き、いや、実際に微妙に浮かんでいるのか。
物音一つ立てずに骸骨王ヴェルルギュリウス伯の待つ会議場へ到着した。

気を揉む骸骨王と残る他の不死の王侯たちが、二人を待っていた。

「ビル、ワシを閑職に追いやっておいて、今更、何の用事を押し付ける気じゃ?」

ルゥは穏やかに、その言葉の内容とは裏腹に仕事に駆り出されるのを不愉快そうにいうのだった。

「大スラフ島に、クルスベルグが拠地を定めようと計画している。」

この時、スラフ島はアスコリ戦役によってクルスベルグが全島を制圧していた。
だが、スラフ島は長年、ラ・ムールドニー・ドニーなどの隣国がバラバラに支配していた。

これを一括統治するために主邑を定め、そこに地方支配の拠点を建設しようというのである。

「はあ?」

ルゥはとぼけた返事を返す。
相変わらず、遠まわしな言い方をする小僧よ。と内心では骸骨王をせせら笑っている。

「…翁がクルスベルグ側に働きかけていると聞いた。」

「おー。」

ルゥは膝を打って答える。
ワザとらしく得心したように何度もうなずきながら。

そして続けて言葉を返した。

「この谷の底は、我が君サミュラ様の偉大な新帝国の首都には相応しいとは思えませんでな。
 ついつい要らぬことを申したのでござるよ。」

表情の読めない骸骨王だが、ルゥへの返答の声は苛立ちの色をおびていた。

「フォンベルグは、神聖ドワーフ帝国以来の首都、大都市であるぞ。
 確かに景観は良いとは言えぬし、今は荒れ果てているが、王道楽土、新国家誕生の…。」

「はははははははは!!」

骸骨王の言葉を断ち切って、ルゥの嗤笑が響いた。

まるで出来の悪い人形の歯車が急に動き出したようにケタケタと身体が震えていた。
これには不死の王侯も、ルゥの弟子であるガルガも気味悪がった。

やがて、ひとしきり笑い終えるとルゥは噺家のようにペラペラと語るのであった。

「そも、天地に二つの理あり。まず相生相克、次に万物流転。
 この世のありとあらゆる物は、互いに影響しあい、互いに生かし、互いに妨害するのです。

 ですが、永遠の命を持つものも、永久に変わらぬものもないのですな。
 今日のうちに数え切れぬ命が潰え、一方では生まれる。
 悠久に見える大河を流れる水も、その底の泥も、決して同じではないのです。

 仙術の鼎は気の流れ。
 されど、住む人も土地も長い年月の中で変化し続けるのが道理。
 これらが互いに気の流れに作用している以上、気の流れもまた合わせて変化するは必定。

 故に、時代を追って瑞気の流れ、瑞生の地を選ぶは、これ天の理。

 次いで国土を家と見做した場合、新たに領土を得れば、合わせて都を移すは、これ地の利。
 いわんや政(まつりごと)もこれ同じこと。

 最後に新しい時代には、新しい都が必要になるのは人心も同じくして、これ人の輪。

 古き都にいつまでも拘るのは、三才天地の理に反すること。
 危うきかな、新帝国の行く末!!!」

怪仙人の口上に、一同は目を丸くする。
ルゥは続けて、大きな図案を何処かからか取り出して見せた。

「見られよ。」

そういってルゥが自慢げに広げた地図は、あまりに稚拙だった。
なんというか要領を得ないというか、酷くいい加減なのだ。

「これは、なんぞ。」

人馬の不死の王が、眉を吊り上げていった。

「どこの地図か、全く思い寄らぬ。」

骸骨王も追従していった。
だが、ルゥは未だに意気揚々たる顔色。

「これはサミュラ様の気に相応しい都、それを選ぶべき地相にござる。

 ここは山ばかりでしてな。どうにも良い土地が見つかりませんのじゃ。
 そこを行くとスラフ島は手頃な土地が見つかりそうなのじゃよ。

 誰しも気の流れが違うように、その者に相応しい土地というものがござる。
 大延国もかつては皇帝が代わる度に都を移しておりましたが、なにぶん費えがかかりますのでな。

 そこは、サミュラ様は不死の王にあらせられます。
 なれば、京洛も慎重に選び、可能な限りの我がままを通しても良かろうと存じますれば。」

古代中国では皇帝の生まれ年が「火」であれば「水剋火」、火の気を弱める水の年に生まれた国民を
処刑するというような、とんでもない蛮行もあったという。

だからこそ、地相を皇帝に合わせるというようなことも、風水に乗っ取って行ったのである。

ルゥがそのようなことを次々に語り終えると、一同は無言のまま、呆けたように黙った。
まるで町一番の美人に、いきなり口説かれた様に頭が働かない。

そうやってしばらく互いの顔を見ていたが、骸骨王がおもむろに手を打って解答する。

「よ、ようわかった。
 翁に全て任せるが、費えがかかるというのは、どの程度なのか?」

「どの程度ですと!?」

突然、ルゥは弓で射られた矢のように、
ピューッと飛び上がって骸骨王の目の前で、その宙にあぐらをかいてぴたりと静止した。

「最高の都を作るというに、伯は費えなどと小賢しや、情けなや!
 このような詰まらぬ家来をもったのかと、我が君もさぞご心痛あそばすまいか!?」

パンパンと骸骨王の膝を打つルゥ。

「な、なんと…。」

何を言おうと費用は一考せよ、と骸骨王は言いたかったのだろう。
しかし、それを言うが早いか、ルゥはなおもまくし立てて語るのである。

「おー!
 お前さんはつまらん男じゃのー!ふざけた男じゃのー!
 ああ、情けない!!

 国家の大事というのに、その第一の家臣である伯が、このように小胆では!!
 ああ!!サミュラ様もくだらん男のせいで新国家建設という待望も…!!」

遂に根負けしたのか、骸骨王は首を縦に振った。

「よう分かり申した!
 お、翁の気の済むように!!」

その言葉を聞くと、ルゥはしめたとばかりに姿をくらませた。

一瞬にして姿を消した怪仙人。
残る一同の耳に、姿はなくとも怪仙人の声が怪しく響いた。

「泥船に乗ったつもりでお待ちあれー!」



怪仙人の独断専横を追及することは、これにて一段落。
骸骨王は、残る幹部たちとサミュラ救出について再度話し合った。

「まさか武王と漆黒王が失敗するとは、まったく考えていなかった。」

骸骨王ヴェルルギュリウスは落胆して、右手で顔半分をおおった。
さしものガルガさえ、軽口を叩くのは控えている。

「…マルドレイク退治の武勇もって音に聞こえたハグレッキ王すら、乙姫と龍神には敵うまいとは。
 お釈迦様でも知らぬ仏のお富さんってことよぉ。」

「問題なのはシン王を失ったことだ。
 戦力が大幅に下がってしまったではないか。」

人馬の屍王だ。
彼が続ける。

ミズハミシマの乙姫、龍神、ラ・ムールは当代のカー、ドニー・ドニーの海賊王、戦神ウルサの化身、
 マセ・バズークの上帝、エリスタリアのハイエルフの両王。
 これが一斉に敵となったら、ひと捻りぞ。」

人馬の不死王は指折り数えつつ、そういった。

上帝とは、マセ・バズークの全部族の頂点に君臨する皇帝の称号である。
複雑な君侯国に別れているマセ・バズークでは、群雄たちも王を名乗っている。
それ故に、諸王の王、王の中の王であるマセ・バズークの元首には、それなりの「格」が求められている。

その名の通り、他国の皇帝より優越すると豪語し、謁見することは、はなはだ難しく、
ややこしい慣習や慣例に従わなければならない。

「なんだ、イストモス大ハンは数えぬのか?」

カマキリの蟲人の不死の王、マセ・バズーク上帝が口を出した。

「俺はカーに勝てると思ったことはない。」

正直なのか、自傷気味なのか、不死の大ハンは苦笑いした。

「エア、こんな所で遊んでいても仕方あるまい。
 私たちも残ったハグレッキ王と協力して、サミュラを救い出そうじゃないか?」

カマキリの上帝、なんと女の、が死せる大ハン、大帝エアにそう持ち掛けた。
だがしかし、骸骨王が血相を変えて口を挟む。

「なりませんぞ、上帝陛下。」

席を立ってから床にひざまずくと、骸骨王はうやうやしい態度で続ける。

「御無礼仕る。不死の王たちよ。
 あくまで貴方様がたは、ここに集められたモルテの一部の守りたる備えに御座います。
 我が主君、サミュラを失い、さらに主神たるモルテ神をも喪えば、我らは屋台骨を失いまする。

 無礼の段は平に、平にご容赦賜ります様、臣、心よりのお願い申し上げます。」

「王の中の王、その内でも長い歴史の中からモルテ神が選びたる我らに指図するか、骸骨王。」

カマキリの女上帝が、ちょっと困らせてやれ、という表情でいった。
宝石の様な複眼と、美しい蟲人特有の肌が、妖しく輝いている。

「故あっての事。御寛恕あれ。」

骸骨王がなおも深く頭を下げようとすると、相手の方から肩に触れ、許しを遣わせた。

「困らせて悪かった。許せよ。」

そういってカマキリ女と人馬の二人は、骸骨王を立たせて、自分たちの部屋へ戻ろうと歩み出した。

「エア、お前の兵を使わせてやれ。」

とカマキリ女。
それにエアも応じていう。

「ふん。
 …ヴェルルギュリウス伯、俺の兵らを上手く使えよ。」

それだけ言い残すと二人はドアから出て行った。

残ったのは、骸骨王、ガルガ、そして最後の不死の王だ。
一人だけ、何もしゃべらず、ずっと黙って座っている。

まず口を開いたのは、ガルガだった。

「…馬鹿か、てめえ。王様が二人がかりで負けてんだぞ。
 俺と爺様だけで、どーやって龍神と戦うんだヨ!?」

「見誤るでないわ。」

骸骨王は、ガルガに向き直って大見栄を切った。
しかし、手がないのは分かっている。何をカッコつけてるんだ、とガルガは呆れた。

「頼むぜ、じっちゃん。
 俺を嫌うのはいいけどよ。見栄を張るなって。
 あんたが武王や黒いねーちゃんより強いとは思えねえぜ?」

「切り札があるのだ。」



ヴェルルギュリウス伯とガルガは、武王と入れ替わりでミズハミシマに侵入した。

太陽の光が平気な不死の王侯と違い、普通の不死者である骸骨王とガルガは夜の間しか行動できず、
かつ船でこちらに入った時から、乙姫と龍神に気配を感知されていると考えたうえで、慎重に振る舞った。

「ミズハミシマは初めてだが、こうも熱いとは。
 骨だけのワシはともかく、生身の貴様は耐えられんだろうな。」

骸骨王がそういうとガルガは得意げに言い返して来た。

「俺はミズハミシマの生まれでね。」

ガルガ・ガルヴァンディア、昔の名をエマノのオコシという。
人呼んで厄介者のチョウスケといった。

ボテ腹のまま、旅芸人の一座から見捨てられた女の鳥人、オコシの母を助けたのは、地元の任侠、ハハキのカヒトリ。
彼は極道者であったが、時代劇に出てくるような好漢であった。

カヒトリはオコシの母の面倒を見ていたが、病弱のために早く死に、親代わりにそれ以降、オコシを育てた。

オコシはカヒトリの組の者、任侠者ではなかったが、世間では筋者扱いされており、
親分のカヒトリも認めていないのに、若頭気取りでやんちゃを繰り返していた。

だがある日、兄貴分の妹が男に手込めにされた。
オコシは怒ったが、女が相手の名前を口にすると、一同が黙り込んでしまった。

相手は豪家、サシハマ神社の神主の弟、サシハマのチカラであった。

日本の戦国時代、中国地方の毛利元就が子供だった頃、安芸の国で一番勢力が大きかったのは武士ではなく、
厳島神社であり、厳島神社領、厳島神社衆というような立派な武装勢力を支配していた。

サシハマ神社神主一家は、莫大な家蔵を構え、郎党や使用人も数十名。
この辺りでは誰も逆らえない有力者だった。

相手が地元の土豪では、任侠如きが手を出せるハズもなし。
にも拘わらず、オコシは惚れた女でもない、ただの身内のためにサシハマ神社神主兄弟を惨殺し、国外へ逃げた。

それ以降は大延国の黒幇(ヤクザ)社会に紛れ込んで、危ない橋を渡っていたのだが、
オコシは、どうあっても厄介事に首を突っ込む、厄介者のチョウスケで、どの黒幇へ行っても追い出された。

渡世人となったオコシだが、渡世の義理も返せなければ、ミズハミシマでも立つ瀬がないのが道理なのに、
異国・大延国ではなおの事すぐに相手にされず、首をくくる寸前にまで追い込まれた。

そんな彼に手を差し伸べたのは、大黒様よりふくよかで、腹も黒い悪狸、怪仙人ルゥであった。

この男、口では仙人といいながら、どっぷりと俗世間にまみれた悪漢で、
闇タバコと賭場(カジノ)経営で巨万の富を稼いだ黒幇、天魂幇(ティエンルゥパン)の幇主(ボス)である。

天魂幇初代・幇主はモルテ教団の信者だったらしいが、現幇主ルゥは完全に教団とは無関係な男だった。
そこへいきなり親分ヅラしたサミュラたちが縄張りに侵入してきたため、一瞬即発の事態に陥った。

事の顛末として、ルゥとガルガは揃って不死者となったものの、
物のはずみで殺した両人を面倒だからサミュラが再生しただけのことで、他の幹部たちとは毛色が違う。

ガルガは自分の了解もなく、訳の分からん体にされたことに立腹したが、ルゥはむしろ大喜びで、
大延国の黒幇社会を牛耳る牛頭盟系列の黒幇を次々に追いやって、天魂幇を当代随一の黒幇に拡大した。

ルゥが自分の組織をデカくすることに熱心になっている間、ガルガはルゥから離れて勝手にしていた。
もともと任侠を解さない欲深い人物で、自分を拾った恩人で仙術の師匠でもあったが、忠誠はなかった。

それでなくともガルガは命令違反、規律違反の常習犯だ。
こうと思い込んだら、絶対に人の言葉に耳を貸すような男ではない。
それで周りに迷惑ばかりかけている。

人体改造ですっかり若返っているが、ガルガがミズハミシマに居たのは、百年近くも昔のこと。
仮にもアマチュア仙人になってもいる。見知った人間はどこにもいない。

すっかり浦島太郎という気分である。

「ここが熱いのだけは、変わらねえな。」

ガルガがそういって太陽の光が射す窓際から、じりじりと離れる。

太陽光は危険だが、窓を塞いでいるとここに不死者がいると触れ回っているようなものだ。
骸骨王は地下に潜っているが、ガルガはそうもいかず、廃屋同然の納屋に隠れていた。

この納屋の持ち主の農民は、ガルガの部下たちが八つ裂きにして、
今し方まで家主の女房と娘、幼い息子の喚き声が聞こえていたが、どうも今は静かになった。

勿論、ここだけでなく、村中を静かにしておかなければならない。
移動の度にこれである。

「爺様よ、本当に上手くいくんだろうな!?」

ガルガが腹立ちまぎれに怒鳴ると、穴の中から返事が聞こえる。

「二人のカーが仕損じているのだぞ。絶対の保証はない。」

骸骨王の返答は、いつもこれである。
向こうもガルガから、この手の質問を受けるのは七度目であって面白くない。



さて、骸骨王の手配により、幽霊船団、その大半は教団に寝返ったミズハミシマ海軍とドニー・ドニーの海賊たちで、
船団によって各大陸から集められた兵隊が北部政府に合流した。

反乙姫、革命勢力の指導者、北部政府の統領、トトノのオクスは約束通りの兵隊に満足した。

「ははは!
 これで、この国は俺のものだ。」

到着した兵隊の中には、不死の王侯のひとり、大帝エアの鍛えた騎士たちが混じっていた。

彼らはモルテに不死の王に転生させられた大帝エアが暇つぶしに育てた兵士たちで、
長年、イストモスでは正体不明の勢力として伝説になっていた。

「将軍様、モルテ教団は信用できるのでしょうか?」

不安そうな部下の竜人が声をかける。

「信用など問題ではない。
 今は利用できるものは、なんでも利用すればいいのだ…!」

この言葉に、部下たちは唖然となった。
オクスは戦術家としては、かなりの人物だったが、先々の事は余り注意深く考える男ではない。

日差しを避けて彼を見ていたキエムも呆れた。

内心では、この男のサポートより、サミュラを助けに駆け出したい気持ちで一杯なのだ。
いつまでも二の足を踏むわけにはいかない。

今、北部政府はミズハミシマの主要な12の島のうち、11を制圧し、海域の3割を掌中に収めた。
教団が工面できる兵力は、地上兵力が大半であり、どうも海の中には手出しが出来ずにいた。

そこで海洋領土には見切りをつけ、陸上領土の完全併呑を目指し、最後の抵抗を続けるヤクモ島に兵力を集めた。
すなわち、ヤクモ島戦役のはじまりである。

「オクス殿、ヤクモ島の制圧には失敗は許されぬ。
 我が君は兵も金も十分につぎ込んだ。これ以上の失敗は許されぬと…。」

キエムが厳しい語調で声をかけるとオクスは呆れ顔だ。

「この前までは、陸上領土のほぼ全てを陥落させたことにお喜びだったではないか!
 それが今度はどういう風の吹き回しだ?」

キエムの焦りは、確実にオクスたち、北部政府の欺瞞を育てた。
これまでの戦略から大きく外れ、いくつか危ない橋を渡ってきている。

「キエム候は慎重な男と思っていたのに、どうしてここへ来て焦るのだ?

 本当にサミュラ様はお怒りなのか?
 なぜ私にはサミュラ様は御会いしてくださらぬ!?」

苛立つオクスがキエムに迫った。
キエムは苦しそうに答える。

「…ここは戦場だ。
 我が君も来られない事は気に病んで見える。」

あまりに芸の無い良い訳にオクスは鋭い目線でキエムにさらに迫る。

「よもや大陸で不始末があったのではあるまいな?」

「何を言われる。」

なおもオクスの追及が迫る。

「確かに兵も金も送って頂き、こちらは大きなことは言えん。
 しかし、急に方針が変わっては怪しいと思うのは当然であろう?

 聞いているぞ。
 クルスベルグ軍と教団の間に、何やら乱れがあるとか。」

「!?」

初耳だ。
キエムも、そんな話は聞いたことがない。

「クルナップ計画なるクルスベルグの動きを教団は、一切、感知できていないというではないか。
 他にもクラタナル大天導院を空爆するように命令したが、結局は実行されていない。

 エリスタリアもいつになったら動くのか。
 長老共の買収工作は、失敗したという情報を我が手の者が掴んでいるぞ?」

「そんな話はない。」

キエムはきっぱりと答えた。
真実、キエムはそのような話は聞いていない。

もちろん、ほとんどオクスのでまかせだ。

しかし、キエムはここに居ずっぱりだ。
他の不死の貴族たちが担当する地域で、どんな問題が起こり、どんな計画が進んでいるのかは、
自分だけが教えられていないということも考え得る。

キエムは自分の風読みには自信があった。
だが、それは自分は人より精霊の声を聞く能力が優れているから、
自分に知り得ないことはないと思い込んでいるだけではないのか。

いや、むしろ…。

「キエム候。
 言いたくはないが、君は教団での立場が危ういのではないか?
 それで我々に結果を出すように迫っているのでは?」

「な、なにを根拠に…。」

「今度は根拠などと。
 …まあ、いいでしょう。」

オクスはキエムから離れると、見下すような冷たい目線を送った。

「ともかく、ここで焦っては仕損じる。
 ヤクモ島の攻略に関しては、万全を期して兵力の再編成、当地の内偵が済み次第、実行する。」

オクスはそれだけ告げると、キエムを残して部屋を出て行った。



「なんだと、ヤクモ島の制圧はできぬだと!?」

骸骨王とガルガのもとへ、キエムから精霊通信で連絡が入った。

二人のカーならばともかく、骸骨王たちが竜宮城に潜入しようとすると各地の制圧が済まなければ
船が竜宮城の海域に近づくことも出来はしない。

今、竜宮城の近くは、海が腐り、都中が屍と病人で溢れかえっている。
これは不死者である骸骨王たちには問題ないが、逆にいえば侵入の絶好のチャンスである。

しかし、いつまでも海が腐っている訳がなく、
これを逃せば武王たちが作ったチャンスさえ全くの無意味になってしまう。

「龍神と乙姫は、竜宮城の浄化にそれほど時はかからぬと見てよい。
 少なくともひと月の間には竜宮城は、元の警備に戻ってしまうのだぞ。」

だが、ひと月で島ひとつを陥落させろ、というのも無茶な話だ。
はじめから無理だったのだ。

「おいおい、折角、お犬様をお連れしたのに竜宮城まで行けないのかよ!?」

骸骨王が切り札と称したのは、例のサミュラが連れていた黒い犬であった。

彼こそ、死の神モルテの兄神。
武王と漆黒王、二人のカーに代わる戦力としては、もう彼ぐらいしか残っていない。

キエムの送った精霊を通し、キエムが答える。

「オクスはいきなり攻略を急いだことで、我々を怪しんで警戒している。
 それに彼の意見にも一理ある。今、攻略を焦っては失敗する可能性が高いのだ。」

だが、骸骨王は鋭く反論した。

「我々を怪しんでいるだと?
 キエム候、オクスは貴公を疑っているのではあるまいか?」

骸骨王の言葉に、キエムは言葉が詰まる。
それを見て骸骨王は容赦なく責めるのだった。

「もうよい。
 貴公だけを責めはせぬ。もとより無理な話だったのだからな。」

通信が途絶え、キエムは肩を落とした。

「…あの爺。」

恨み事を漏らすキエムだが、自分の態度がオクスに疑いを作ったことは事実だ。
それを踏まえて、ヴェルルギュリウスの指摘は間違っていない。

与えられた個室で、しばらく頭を抱えたキエムだが、気分を変えようと部屋を出た。

ドラゴンにせよ、龍神にせよ、この圧倒的な暴力の前には、小賢しい陰謀など通用しない。
海をひとっ飛びで越えてサミュラを拉致するにつけ、人の力では対策の立てようがないことばかりだ。

「ドラゴンか。」

クルスベルグ空軍に対抗してドラゴンを味方にしようという動きが各国にあったが、
結局は大きすぎる見返りを要求されるだけで失敗に終わっている。

ない物ねだりが過ぎる。

骸骨王ヴェルルギュリウスとて、そうだ。
幾ら相手が神だろうと、不死の王侯を二人も送り込んで失敗したら、やれ残ったモルテ神を守らねばならぬだの、
やれ乙姫にプレッシャーをかけろだの、おまけに制海権を握るまでは竜宮城には近づかぬだと?

キエムは、冷静な男だが、まだまだ年相応の堪え性しか持ち合わせていない。

骸骨王のいうことも分かる。
サミュラを失って、ここに来て、全ての企てが崩壊しかけていることも分かる。
だが、慎重になれば万事上手くいくわけでも無いだろう。

現にこうして二の足を踏んで、乙姫と龍神めらを利する形になって来ている。
これは単に敵の力に怖気づいているだけではないのか!?

「どいつも、こいつも…!」

そう思い立った時、キエムは単身で竜宮城に侵入する決心を決めた。
思えばサミュラのために未踏破地帯すら一人で乗り込んでいったのだ。

いまさら何を恐れて上の指示だけ仰いでいるのか!!

何より自分が忠誠を誓うのは、骸骨王ではない。
サミュラなのだ。難しく考える必要はない。

「キエム候はどこへ行った!?」

突然のキエム消失にオクスたち、北部政府軍はキエムにあてがっていた屋敷などを探したが、見つからない。

「ううむ、勝手にどこへ行かれたのか。」

「ヴェルルギュリウス伯に連絡を取りますか?」

魚人の侍たちが顔を見合わせて悩んでいたが、結論が出ず、
オクスや骸骨王たちにキエム失踪を打ち明けたのは、キエムの姿が無くなってから七日後であった。

当然、オクスも骸骨王もキエムの周辺にいた魚人たちを叱責したが、こうなっては後の祭りであった。

何より、サミュラ誘拐を知らないオクスは、骸骨王がミズハミシマに居たことを知って、
一層、教団の動きを不信がるようになったため、骸骨王は何とか不信の念を払おうとかかり切りになった。

「何のためにヴェルルギュリウス伯が、ミズハミシマに入っておられたのか。
 それも秘密に。理由をお聞かせ願えませんのか!?」

オクスは不快感を隠さずに骸骨王に迫る。

「うう。そ、それは…。」

人前に出るため鉄仮面を着けた骸骨王。
明確な返答が出来ず、苦しい立場に追い詰められた。

腹の底でキエムに文句を言う骸骨王だったが、当の本人はヴェルルギュリウスが諦めた竜宮城に、
例の黒い犬すら連れずに、たった一人で侵入した。

元の竜宮城が、どんな楽園だったのかキエムは知らぬ。
少なくとも今の竜宮城は地獄そのものだった。

巨大な竜たちの死体が朽ち、遥か上の海面まで幾つもの数えきれない魚人たちの死骸が浮かんでいる。
海底は真っ黒に焦げ、岩や砂が熱で溶けて固まり、溶岩流が流れ出したように波紋をうっている。

竜宮城を中心とした街並みも、すっかり燃えてしまった。
汚物にまみれ、糸を引いたように白いゴミが絡まった竜宮城など、ドブ川に沈む石ころのようだ。

キエムの耳には、怒りを訴える海の精霊たちの声が聞こえる。

しかし、彼らを押しのけて今、この海に集まっているのは死の穢れを好む邪悪な精霊たちだ。
そうでなければ、キエムが不死の王侯のように押し潰されもせず、海底で息ができるハズがない。

「これが、我が君の征く道なのか。」

廃墟同然となった竜宮城を歩きながら、キエムはひときわ大きな気配を感知した。

乙姫だ。一人らしい。
龍神はモルテの神霊モナスを咥えて飛び立って以来、ここへは帰ってきていないようだ。

だが、こちらが気配を感知しているのに、向こうは動く様子がない。

「動けぬのか?」

しばらく歩き続け、キエムの疑問は、より深まっていく。
骸骨王の話では、乙姫は海域の穢れを禊ぎ始めていたのではなかったか。
まるで、ここが祟りに飲みこまれた日から、そのまま放置されているように時が止まっている。

グランド・ゼロに到着して、キエムはようやく事態を理解した。

赤くぼんやりと光った黒くドロドロとした泥の様なものが、海底からここまで引きずって来た乙姫に、
寄生するように集まって活力を吸収している。

街をなぎ倒し、城を半壊させ乙姫を運んで来た道が、ずっと遠くから続いている。

恐らく漆黒王カー・シン・ガフと一体化していたモルテ神の一部が、体を失ったことで実体化し、
乙姫たちに封印されていたサミュラの中のモルテと反応して、辺りにいる生き物を取り殺して成長した姿なのか。

キエムが見ている間にも、乙姫の活力を吸って、モルテの一部は成長を続けている。

「こ、こんなものが我が君の体の中に…!」

ここまで近づいても、それに気付かなかったカラクリは至極単純。
自分の匂いには、自分では気づかないのに似ている。
サミュラからモルテの神力を別けられたキエムの気配は、モルテの気配と殆ど変わらない。

ただ大きさの違いに気を配れば、判別するのは難しくない。
しかし今は気配の違いに神経を尖らせていたため、自分と同じ波長には気づかなかったのだ。

「漆黒王が死んだことで、同化していたモルテ神が…。
 …ならば、まさかサミュラ様まで!?」

「案ずるな。」

狼狽えるキエムの頭に、直接、青年の声が響いた。

「死、そのものである私が活力を補給する必要はない。
 乙姫から活力を奪っているのは、サミュラとシンを再生するためだ。」

「なんと!」

キエムがひとりごとを言うと、モルテは可笑しそうに笑って答えた。

「くっくっく。
 驚くことはない。

 死を支配する私は、誕生をも支配することができる。
 君らを不死者に転生させたのは、私の能力だと言うことを忘れたか。」

しかしここで声のトーンを落とした。

「…だが、こうしていられるのも我が僕、モナスが龍神を抑えている間だけだ。
 すぐにでも移動したいのだが、サミュラの僕たちは誰一人として、ここまで来ようともしなかった。

 私の声が届いたのも、この距離まで近づいたキエム、君だけだ。」

この言葉に、キエムは嬉しくなった。
だが、モルテは厳しい言葉を続けた。

「喜ぶのは、まだ早い。
 今から私の身体を可能な限り小さくする。
 君が私を運んで逃げられるようにね。

 だが、それと同時に、この乙姫を抑え込むことも出来なくなる。
 こいつは弱っているが、君に勝ち目はないだろう。

 私は体内の活力を高濃度に圧縮した状態で保つため、動きが取れなくなる。
 だから手を貸すことは出来ない。本当に君一人で乙姫と戦うことになる。
 だが、やって貰わねば困る。覚悟は良いか?」

念を押すようにモルテが訴えると、キエムは眼前の乙姫に目が釘付けになった。

山の様な怪物が、これまで見たこともないような憎しみをもった目で自分を睨んでいる。
モルテの一部が彼女を押さえつけているが、それでもたまに地響きのようなものが起こる。

ずしん。

キエムは空気が震えるのを感じながら、その場に立ち尽くした。
モルテは返事を待っているが、何も語らない。

ずずん。

今度の地響きで竜宮城の、遠くの瓦が崩れ、壁が音を立てて潰れる。
汗は海に溶けて見えないが、キエムは喉が渇くのを感じた。

やらねば。
キエムは無言で一歩、乙姫に歩み寄った。

そのまま止まることなく歩き続け、とうとう山の様な敵の傍まで歩きついた。
そして、黒いモルテの一部に手を重ねる。

「―――!?」

その瞬間、弾かれた様にキエムの身体は後方に飛び去り、
触れた右手には赤く光る黒い小石ほどになったサミュラとシンを包んだモルテが握られていた。

キエムが目線を右手から正面に戻すと、丁度、乙姫が腐った肉を海水で振り落とし始めたところだった。
悪性虫と汚物にまみれた腐肉と黒々とした血が海水に浮かぶ。

龍神にとっては、龍の姿が本来の形である。
だが、乙姫は魚人の姿が本来の姿であって、これ以上、龍の姿を維持することもできなくなった。

真の姿に戻った乙姫は、それでもやはりとんでもない怪物だった。

体長5~6mは優に超えた魚の下半身を持つ人魚のような姿で、まぶたの無い大きな目、大きく裂けた口、
飛び出した顔の形は魚そのもので、鱗に被われた腕の先の手には水掻きが生えている。

「猫めがっ!」

乙姫はキエムを追って泳ぐ。
ひと泳ぎで、ごう、ごうと凄まじい水音を立てながらキエムに迫った。

「××××××の名において命ずるッ!ナキガミよ、鳴けッ!!」

聞き取れない部分は、恐らく乙姫の真名か。

高位の霊体を持つものは、その名を知られると力を奪われてしまうという。
それ故に術を行使するのにも精霊使いは慎重にならざるを得ないのだが、あまりに力に差がある場合、
名を相手に記憶させないように妨害を施すことは、容易ではないのだが、不可能ではない。

この記憶させないというのが重要で、これは他人の記憶を読み取ったり、復元する術も存在するため、
そもそも自分の秘密の名を知られたということさえ、あってはならないのである。

ナキガミ。
聞いたことはないが、龍神の持つ神霊のひとつなのか。

術者同様、神霊の名前も広く知られることは危険である。
通常、神に認められた王以外が神霊を呼び出したり、使役することは困難だが、何事にも例外がある。

そのため王は神霊の名前を気安く口にしたり、呼び出し方を知られないようにしなくてはならない。

さて、神霊ナキガミは巨大な魚の頭を持つシーサーペントのような怪物で、
ウミヘビのような身体が、ずずっと続いている。

ナキガミは、口をもごもごさせると一息つき、
「ぴ…、ぴぎぇえええっ!!」と信じられない大声で鳴きだした。

キエムは咄嗟に耳を抑えた。

声に何らかの呪力があるのだとすれば、聞こえた時点で手遅れかも知れないが、
黙って聞き続けているよりはずっといい。

次に疑ったのは、声そのものの振動に意味がある場合だ。
無論、これもすぐに気付くのであれば訳はない。

となれば、鳴くという行為自体に、なんらかの霊的現象を誘発する効力があると見るべきか。
だがしかし、見ていて何か変わった所はない。

「いえやぁ!」

それよりも問題なのは、キエムでは逃げきれない速さで迫って来た乙姫だ。

キエムが咄嗟に突き立てた手槍を、逆に乙姫は簡単に掴むと、
そのままキエムを海底から突き出した岩に振り飛ばした。

鋭い岩の先がキエムの肋骨と背骨が繋がっている部分に衝き当たり、事もなしげに折れた。

「がぁ!?」

全身を膿みと腐肉に蝕まれつつ、モルテから直に活力を吸収されていた乙姫の痛みに比べれば
蚊に刺された程もない傷だったが、並の人間がエビのように海底にうずくまってしまうのは当然のことだ。

痛みを紛らわせようと、キエムは大声をあげた。

「は、はあーっ!!」

だが、キエムもまた、死を忘れた存在。
この程度の負傷ならば、自力で回復できないことはない。

この時、一瞬、モルテに救いを求めるように握る死の神をキエムは見つめた。
だが、すぐに心の迷いを払って、眼前に立ちふさがる敵に相対する決心を固めた。

例の敵の神霊は、いまだに最初の場所から動くことなく泣き喚いている。
乙姫も、それ以上、あの神霊に指示を出すことはなく、一心不乱にキエムと彼の右手にあるモルテを追う。

今度は爪と牙で乙姫に立ち向かうが、あの武王、あの漆黒王だから相手になったのだ。
ちょっと腕に自信のある虎人風情がどうこうできる相手ではない。

やはり逆に乙姫の爪がキエムの腕をなますのように切り裂いた。

「があああ!」

大鰐のような口で、乙姫はキエムを飲みこもうと迫る。

「うなっ!?」

必死に逃げるキエムだが、乙姫は難なく追い着いて、彼の左足を食い千切って吐き捨てた。

何を勘違いしていたんだ。
何のためにモルテが何千年もかけて神力を蓄え、名立たる王たちを不死者にして集め、
これまでの手駒を揃えて、盤石の布陣を整えて来たのか。

王たちと神々の武威を恐れての事ではなかったか。

キエムは骸骨王のやりようを怖じ気づいたと評したが、自分が迂闊だった。
馬鹿な事をした。勝ち目なんかある訳ない。

少しでもうまくいくと思った自分が腹立たしい。

しかし、そんな泣き言をいったところで相手は情けなどかけてくれない。
キエムは歯を食いしばって傷を治し、果敢に敵へ向かっていった。

それでもやはり、キエムはズタボロに引き裂かれて海に漂った。

「うわ…、ぐああっ」

キエムの持つ、圧縮されたサミュラたちとモルテの一部を奪い返そうと乙姫は執拗に襲い掛かる。
それでいてキエムが落として見失わないよう、注意深く痛めつける。

「ぎ…っ!」

そうか、乙姫は自分を不死の王のひとりだと思っているに違いない。
キエムは、そう思った。

普通の不死者ならば、ここまで徹底的に痛めつけなくても太陽に当てれば死ぬのだ。
だが、不死の王なら海の外にわざわざ連れて行ってやるわけにはいかない。
海の中の方が自分が優位である上に、海上にはサミュラの部下たちが居るかも知れないと考えているのだ。

ということは、今の状況は最悪ではない。
だが、自分がサミュラの作り出した、ただの下位種だと見破られれば海上に引き上げられて終わりだ。

「ふふ。」

鋭い痛みの中、キエムは笑った。
さすがの乙姫もカー・ラ・ムール、全員の顔までは記憶していないと見える。
もし覚えられていれば自分がただの猫人だということはすぐに思い当たるはずだ。

どうであれ、不死の王のフリをしておくにこしたことはない。

キエムは一か八か、太陽の光射す、海面に向かって無防備に泳ぎ出した。
竜宮城に潜り始めたのは夕方だが、あれから何時間経ったのか分からないが、これも賭けだ。

予想通り、乙姫はキエムが浮上するのを妨害した。

「ふぐ!?」

思惑が通ったキエムだが、この程度ではブラフには程遠い。
もっと乙姫に、自分が王だということを信じ込ませなければならない。

その時、武王ハグレッキの言葉が蘇った。

「貴公の精霊の声を聞き、また声を届ける術は、王でも真似できるものではない。
 まさに天稟の才よ。」

キエムは痛みに耐え、神経を研ぎ澄ませて精霊たちと交信を始める。

幸か不幸か。ここは海中。
乙姫にとってもここは優位に立ち回れる地形だが、キエムにとっても有利に事を運ぶことができる。

全身の傷口をわざと開いて海の水を濁らせると、キエムは乙姫を撹乱する音をあちこちに響かせた。

「―――な!?」

乙姫は数十もの気配が、ほぼ同時に新たに現れたことに驚いて、あたりを見渡した。
だが視線の先には、音と気配こそすれど、人影はなし。

このキエムの、神の耳をも欺く神技だが、まず海の中であるということが為さしめる離れ業。
加えて、心から忠誠を誓う主君を守り切って見せるというキエムの決心と、
激痛の中で昂ぶる脳とが平静の状態を超えた集中力を発揮していた。

言うまでもなく、平素に戻ったキエムに、同じことをやれといっても出来ることではない。
極度の緊張感が成功させた、一度切りの究精極技である。

「…ちっ!鳴き止め!!」

乙姫が苛立ち紛れに自分で呼び出して、自分で泣けと命令した神霊を黙らせた。
神霊ナキガミは結局、何をする訳でもなく泣き続けていただけで、何の能力があったのかも分からない。

乙姫は気配を探ろうと神経を研ぎ澄ませたが、キエムの気配は全く感知できない。
あちこちからノイズのような気配が反響しあって、どれも本当にそこに誰かがいるように感じる。

「馬鹿な。
 これだけの広域に術を巡らせるようなカー・ラ・ムールがいたのか?」

乙姫の記憶では、そんな神経質なカー・ラ・ムールはいたような覚えがない。

一方のキエムは限界まで集中力を高めたまま、それを絶やさずに保ち続けていた。
精霊たちに自分と同じ気配を持たせ、かつ本当にその場で動いているように相手に感知させる。

人が聞けば、なんと馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、キエムは必死だ。

しばらく乙姫は自分の感覚を頼りにキエムとモルテを追ったが、
全く見当違いの方向に泳いで行って、見事にキエムは乙姫をまいたのである。



キエムは、地上の骸骨王たちにサミュラ救出を報告した。

「馬鹿者!許されることではないぞ!!」

キエムの送った精霊の声を聞き、ガルガは喜んだが、骸骨王ヴェルルギュリウスは激怒した。

「キエム。事が上手く運んだから良かったものの、仕損じたらどうするつもりだったのだッ!?」

わなわなと怒り出した骸骨王に、ガルガが軽口を叩く。

「おいおい、そりゃねえぜ。
 坊主だって、良かれと思ってやったんじゃねえか。
 上手くいったんだし、褒めてやれよ。」

ガルガの場合、喜んでいるのはサミュラが助かったことより、
キエムを馬鹿なことやってるなと面白がっているのだろう。

「たわけ。
 サミュラ様の姿が見えなくなり、次いで幹部の一人が行方不明となれば、
 教団の信者たちも事の異常さに気付いてしまうのだぞ!!」

骸骨王が厳しく指摘するとキエムは素直に詫びた。

「ヴェルルギュリウス伯の言う通りだ。
 …だが、私はこれ以上、我が君が敵の手に落ちていることに耐えられなかった。」

「耐えられなかっただと!?」

骸骨王の叱責は容赦なく続いた。
ガルガは両手を頭の後ろに組んで、「あ~あ」といって舌を出した。

「小僧、ワシは…、ワシは貴公はもっと冷静で慎重な男だと評価していた。
 だからこそ、我が君に不死の貴族の一員に迎えるように推挙したものを…。

 貴公には期待を裏切られ続けた。
 我が君がお戻りになれば、貴公をもとの骸とするようお話しする。

 処断だ。
 覚悟せよ。」

ヴェルルギュリウスの頭蓋骨の眼の奥で、青い炎がゆらゆらと燃え上がった。
骸骨王は、そのままキエムに最終勧告を告げると通信を切った。

隣りで見ていたガルガは、立ち尽くして肩を震わせる骸骨王に声をかける。

「なー、爺様よ。
 キエムは言わなかったが、あんたが慎重すぎると思って、あんな無茶をしたんだぜ?」

「…ワシのせいだというのか?」

どすを利かせる骸骨王だが、本職の極道だったガルガに言わせれば、
普段から怒鳴り散らしているヴェルルギュリウスなど小物地味て、安っぽい端役者のかわりばえの無い演技のようなものだ。

「あんた、キエムの坊主には、お前の焦りがオクスに気取られたと仰る。
 でも、今回のキエムちゃんのスタンドプレーって、あんたの余裕の無さが災いしたんでないのォ?」

「浮浪者同然のヤクザ者には分かるまい。
 主君と仰ぎ、信じ敬うお方が危機に瀕し、その企みがあわや崩れようとしているのだ。
 …平静でいられるものではない。」

口では憎まれごとを返したが、ガルガの意見に一理あることを認める骸骨王。
少しずつ頭にのぼった、ないハズの血が下がり始め、深く息をついた。

ガルガがまた口を開く。

「あんた、サミュラちゃんの一番の家来っつーことでこれまで老大やってきたけど、
 やっぱ、あんたは親分の器じゃない。」

「…お前なら務まるか?」

「キエムちゃんだよ。」

ガルガの言葉に、骸骨王はハッとなって向き直った。

「実績はないよー。
 でも、やらせてみたいっていう子だよねぇ。」

そういってガルガは、闇タバコを一本取り出して火を着けて呑んだ。
身体に悪そうな臭いが立ち込め、すすけた空気満たされていく部屋の中に、ガルガは身を沈めた。



今をさかのぼること、200年前。
ルゥは仙人としての修行についていた。

元は大延の役人だったが、上司に目を着けられ、家族が流行り病で死ぬと世を果敢なんで世捨て人になった。

だが仙人の修行は退屈で、早々に見切りをつけると郷を降りて無頼の外道に落ちた。
あとは術を使っての悪業三昧。

今はモルテ教団の不死の貴族のひとりとなっている。
大スラフ島に、新国家の首都を建設する予定地を求め、思ったより早く、位置を決定した。

「ここじゃ。
 ここが地脈の選んだ地よ。こここそ、新国家の理想的な都となろう。」

ルゥが小高い丘から見下ろす、この地こそ、将来の死都カヴィセラ・ポノミレスとなるのである。

「ルゥ様、ここは大沼です。」

部下が泣き出しそうな声を出す。
だが、怪仙人は本気だ。

「莫迦者が。
 沼は埋め立てれば、すぐに真っ平になる。大きな宮殿を作るには、持って来いなのじゃ。」

「つ、費用(ついえ)が…。」

「お前の金でやる訳ではない。
 すぐにもクルスベルグに、ここにスラフ島総督府を作るとかなんとか理由を着けて人を寄越させろ。
 朝も夜もなく工事を続け、ここに営々と豪華な都を作るのじゃ!」

そう言って目を輝かせるルゥ。

部下たちも、不思議がって顔を見合わせた。
ついに一人が訊ねる。

「何故、ここまで都に拘るのです。
 失礼ですが、御大は仕事など普段は全くしないではないですか。」

痛い所を突かれたが、その通りだ。
だからこそ、いきなり意欲的に働くルゥに、骸骨王たちさえ首をひねっていた。

「ふふ。」

ルゥは何も言わずに、ただ微笑んだ。

肩をすくめて、またお互いの顔を向き合う部下たち。
やれやれ、どういう風の吹き回しなんだか。

倉皇(そうこう)していると、大慌てで別の部下が駆け寄って来た。

「御大!サミュラ様が、お戻りになられたとのこと!!」

クマの獣人が肩で息をしながら報告すると、ルゥの部下たちは色めき立った。

「なんと!」

「これで一安心よ。」

「一時はどうなることかと思ったがな。」

口ぐちに安堵の色を見せる部下たちを尻目に、ルゥはひとりごちた。

「…短い天下だったな。」

そう。
こここそ、この島で最も霊的に要害の地。
ここに仙術の全てを注ぎ込んだ都市を作れば、魔術に長けた精霊使いや仙人ならば万軍に抗する要塞にもできる。

このルゥの野心は、誰にも知られることなく潰えたが、
風水や仙術に長けた者が、死都を見下ろせば、誰もがうなずく。

ここが大国の都としてでなく、大魔術の基礎として選定された霊地であると。

1933年、ゲート開通よりも以前に異世界に迷い込んだ大日本帝国の陸軍将校であり、
風水、奇門遁甲の達人であった陰陽師、志田王翔はオルニトのシダ文書に書き残す。

スラヴィアが万全を期して世界戦争に挑み、一時期は圧倒的な攻勢を見せたにも関わらず、
 たかだかスラフ島、一島しか領有できなかったのは、この死都が原因である。

 カヴィセラ・ポノミレスは、御封地であり、正真の王居に非ず。
 はなはだ地相悪し。

 この地を選んだものは承知の上なれば、その者、獅子身中の逆賊なり。」



『付録』
「不死の王侯(ノーライフ・キングズ)」
不死の貴族の上位に位置するサミュラと同じく、モルテが手ずから創成した不死者。
多くはサミュラと違って、転生後は隠遁生活を送っており、世界の表舞台から姿を消していた。

モルテ神の一部を基点として体内に取り込み、同化することで太陽光線への耐性を獲得している。

またモルテの一部を取り込むことで、固有の特殊能力を得る。
サミュラはモルテの生殖器を与えられたことで死者に仮初の命を与えて、不死者を創成する能力を獲得している。

通常の不死者と違い、死を内包する以前の太古の生命に還元され、あらゆる生命の帰結、死という概念を持たないため、
同じモルテの一部を持つ不死の王同士で互いに殺し合わない限りは死ぬことはない。

裏を返せば同質の存在であるモルテにも死を与えることができる。

亜人王や神々に対抗するべくモルテが長い年月をかけて集めたコレクション。
ただサミュラ以外は、モルテ復活を特に望まなかったため、行動を起こすことはなく、2度目の生を無為に潰していた。



「不死の貴族(ノーライフ・ノーブルワンズ)」
俗にいうスラヴィアン貴族で、この時代では最古の貴族も含む。
モルテ教団の幹部たちにサミュラが与えた地位の様なもので、ある種の報奨という側面を持っていた。

不死の王侯と違い、サミュラが創成した下位種に過ぎず、太陽光に触れたり、
基点を破壊されることで死んでしまうだけでなく、己の存在に疑問を持っただけでも消滅する。
個人によっては転生のショックで記憶や人格が壊れると言った欠陥を持っている。

サミュラが作ったことでサミュラとは同質にして異なる同一体になっており、
サミュラと同じく、さらに下位種の不死者を創成する能力をわずかばかり持っている。



「古代オルニト神話」
世界帝国だった古代オルニトが主神ハピカトルと皇帝を中心に作り上げた神話。

まず天地開闢から古代神の誕生に始まり、万物創成、自然科学に基づく解釈が散見される上代に始まる。
ここでは現代知られている神々とは異なる12柱の神が出現しており、月は7つ、太陽は2つ、
他にもラゴなどの現在は存在しない天体が星海にあったと主張している。

この中で鳥人が最後に生まれた異世界種族で、他の人種が様々な理由から地上で繁栄することに失敗して、
零落していく中、鳥人のみが大きな文明の担い手になったという優生的な書かれ方がなされている。

次いで現代の9柱の神々が登場し、世界樹を筆頭とする神々の兄弟と末弟神であるハピカトルが協力し、
古代神を打ち倒して新世界を創造していくという、中代に入る。

ここでは死の神モルテは世界樹の影から生じたとされ、他の神々とは兄弟関係にないと説かれている。
他の神々に乞われて彼女は古い神々を殺す武器として、死という概念を作り出したが、神同士の戦争ののち、
邪悪な悪神として非難され、迫害を受けたと伝えられる。

最後に現代とされる説話に入り、神聖ドワーフ帝国、最初期のエリスタリア、オルニト帝国の三大国が
既知世界を巡る壮絶な世界大戦に突入し、最終的にオルニトが世界を制覇するという決着を迎える。

他にも星神と太陽神が双子という神話など、独自の説話が数多く存在する。



「死の神モルテ」
生まれた時から死んでいる、影のような姿のない神。
命ある者の全ての一部で、いうなれば、死そのもの。

サミュラと出会ってからは、サミュラと同じ姿を取るようになったとされる。
それ以前は、赤黒く光るネバネバした液体のような姿だったようだ。

世界樹に太陽神ラーが射した光から生まれた影と古代オルニト帝国の世界創世神話では考えられた。
他の9柱の神とは親を別としているため、古代オルニト神話では、度々他の神と交わって怪物を生み落すなど、
邪悪な存在として貶められ、宗教的には蔑視されていたようだ。

邪悪な存在として恐れられる一方、モルテを崇拝する勢力は、闇に隠れて教義を伝えて来た。

サミュラ以前にも不死の王を立て、不死者を率いて国家を建設しようとしたらしいが失敗し、
オーザルベルグの永久凍土に放り込まれ、エルチニウムを流し込まれて封印された。



「死の起源」
古代オルニト神話では、死という概念がない状態で世界は誕生し、無秩序に生物と無生物が溢れ続けた。
そこで世界樹と現代の神々は、太陽神ラーが生まれた時に出来た影の中から生まれた、
生まれた時から死んでいたモルテという神を復活させ、その神性から死を作らせたという。

この説話によるとモルテは最初の死者であり、際限なく広がり続けて来た世界に開いた穴であるという。
この死という穴は際限なく広がり続け、最終的には世界の全てが死に包まれると仄めかし、モルテの危険性を諭している。



「古代神」
何の神なのか、全く分からない12柱の神。
いわゆる太陽を司る太陽神であるとか、そういった何の神だったのかという神性が全く判然としない。
これは彼らが現代神に殺された時、彼らが支配していた現象も消滅したためと考えられている。



「太陽神ソル」
もう一つの太陽であり、もう一人の太陽神。
太陽神ラーの光が世界樹を射した時、モルテが生まれたように、彼の光から生じた影からは大きな黒い犬が生まれた。

サミュラは星神テミランのことかも知れないと考えていたらしい。



「神霊モナス」
死の神モルテの神霊のひとつ。
苦痛を伴う死を運ぶ能力を与えられ、火葬を司り、冥府の屠殺者、地獄の刑吏とあだ名される。
全身が毛におおわれた巨大な怪物で、十字に裂けた口がある以外、全身像は判然としない。

非常に不潔で、ぞっとするほど嫌な臭いがする。
冥府の穢れた緑色に輝く死の炎を操る能力があり、死神神器のひとつ、死神の剣によって呼び出すことができる。

モルテの神霊の中ではもっとも従順で、悪辣。
善性という物を始めから備えていない悪女であり、邪悪そのものと評されるが、呼び出した相手には律儀に振る舞う。



「死都カヴィセラ・ポノミレス」
大スラフ島を完全に制圧したクルスベルグの、島嶼全域の支配拠点として建設された都市。

もともとは大沼であるというエピソードは、飛鳥浄御原宮の
「大君は 神にしませば 赤駒の 腹這ふ田居を 都と成しつ 」に由来する。

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最終更新:2015年10月12日 23:08