第133話 ハルゼーの見舞い
1484年(1944年)4月28日 午前10時 コネチカット州グロトン
その日、ウィリアム・ハルゼー大将(1943年9月昇進)は、コネチカット州のグロトンという町を訪れていた。
「ほほう。こりゃ、静かでいい町じゃねえか。」
とある家の前で車を止めて、降りた彼は、周りを見渡しながらそう言った。
「近くにはテムズ川もあるし、休日には釣りに行く事も出来る。俺も老後は、ここで過ごしたいものだね。」
ハルゼーは含み笑いをしながら言うと、助手席のドアを上げてみやげ物を取り出した。
ドアを閉めると、彼は家の正面玄関に向かって歩き始める。
今日はプライベートであるからいつもの軍服は付けておらず、上は青色のシャツに白い長袖のジャケット。
下はジャケットと同じく、白いズボンを履いている。
軍服を付けたハルゼーは、そのいかつい風貌から、いかにもそれが似合っているように見えるが、こうして私服を
身に纏っているハルゼーもまた、元気のある田舎の好々爺然としてなかなか似合っている。
午前10時と言う事もあって、昼前のグロトンはとても穏やかな雰囲気に包まれている。
常に緊迫している戦場と比べると、まるで天国と地獄ほどの違いがある。
「さて、奴さんは起きているかな?」
ハルゼーは、久しぶりの親友との再会にやや胸を躍らせつつ、玄関のベルを鳴らした。
「はーい!」
ドアの向こうから声がした。やや間を置いて、ガチャリと音を立ててドアが開かれる。
「はい。どちらさまでしょうか?」
ドアから出て来たのは、キンメルではなく、初めて出会う見慣れぬ女性であった。
「お・・・・こいつぁたまげたな。」
ハルゼーは、一瞬だけ驚いた。何しろ、その女性はキンメル家には元々いない筈の女性だからだ。
ポニーテール状に結った青い長髪に、あどけなさが残る風貌。それでいて気の強そうな目つきに、長袖、長ズボンに覆われたモデル顔負けの体系。
(まさか、この娘が、噂の・・・・・)
ハルゼーは、内心でそう呟きつつも、にこやかな表情でその女性に言った。
「やあお嬢さん。ハズバンドはいるかね?俺は友人のハルゼーという名の者だ。」
「ハズバンド・・・・あっ!お父さんの親友さんである、あのハルゼーさんですね!」
女の子は、いきなり目を輝かせながらハルゼーに返事した。
「お父さんから話は聞いています。初めまして、あたしはフェイレと言います。」
その名前を聞いた時、ハルゼーは
(ははぁ、この子がフェイレか。)
と内心で呟いた。
フェイレは知らないが、アメリカ海軍内では、彼女は意外と有名人である。
外見上での事もあるが、何よりも、トアレ岬沖海戦での活躍の事のほうが大きい。
あの海戦の最中、フェイレはエリラと共に乗艦であるクリーブランドを、自らに埋め込まれた魔法を使って敵の砲火から守った。
短い時間だが、クリーブランドは張り巡らされた魔法防御によって敵弾に艦体を破砕される事を免れ、僚艦であるコロンビアと
共に敵戦艦を猛砲撃して撃退している。
「ほう、君がかの有名なフェイレかね。君の噂は聞いたよ。トアレ岬沖海戦で君が起こしたあの行動は実に見事だった。
女にしてはなかなかガッツがあるぜ。」
ハルゼーは、昔馴染みに言うような口調でフェイレに話した。
それを聞いたフェイレも、顔に微笑を浮かべた。
「どうもありがとうございます。それにしても、父から聞いた通りですね。」
「ん?何がだね?」
「ハルゼーさんの事は、父がよく話すんですが、こうして話してみると父が言った通りの人なんだなぁと思いました。」
「ほほぅ、ハズの奴から聞いていたか。」
ハルゼーは思わず、照れ臭そうに笑った。
「おーい、どうした?お客さんかね?」
奥から、覚えのある声が聞こえてきた。フェイレの後ろから初老の男が現れる。
「やあハズ。元気そうだな!」
「ハハハ、ビルじゃないか!久しぶりだな。」
久しぶりに顔を合わせた二人は、満面の笑みを浮かべながら手を握り合う。
「かれこれ1年ぶりになりますな、長官殿。」
「おいおい、もう太平洋艦隊司令長官じゃないぞ。今は老後をゆったりと過ごす一般人だ。まぁともかく、上がれよ。」
「それじゃあ、遠慮なく。」
ハルゼーは上機嫌な表情でキンメルの自宅に入った。
「フェイレ、知っていると思うが、この人は私の友人であるビル・ハルゼーだ。」
「改めて、よろしくな。」
「いえ、こちらこそ。」
ハルゼーとフェイレは、改まった口調で挨拶を交わす。
「すまないが、コーヒーを淹れてもらえないかな?」
「うん。わかった。すぐに淹れて来るね。」
フェイレは、明るい口調で快諾するや、キッチンに向かって言った。
リビングに案内されたハルゼーは、ソファーに腰を下ろし、案内したキンメルはテーブルを隔てた反対側のソファーに座った。
「ハズ、これは俺からの土産だ。」
ハルゼーは、携えていた小包をキンメルに渡した。
「いや、わざわざすまないね。」
「なあに、どういってことないさ。手ぶらで見舞いに行くのは失礼だろう。」
「それもそうだな。では、早速開けてみようか。」
キンメルはそう言った後、梱包された紙を破り、箱の蓋を開けた。
「ほぉ・・・・こいつは不思議な物だな。」
彼は、箱から取り出した彫像を見るなり、感嘆した口調で呟いた。
その彫像は、道端で優雅そうに座りながら楽器を弾くエルフの吟遊詩人を象った物である。
木製で出来たその彫像は、誰が見ても見惚れそうなほど良い出来であり、ふとすれば心地の良い音楽が聞こえそうだ。
「ちょっとばかり、南大陸の友人に頼み込んで送って貰ったんだ。」
「君の友人はなかなかセンスがあるね。久しぶりにいいプレゼントを貰ったよ。後でどこかに飾るとしよう。」
キンメルは、心底嬉しそうな表情を浮かべながらハルゼーに言う。
彼は、大事そうに彫像を箱に戻した。
「コーヒーが入りましたよ。」
キッチンから、フェイレがコーヒーを持って来た。トレイをテーブルに置くと、キンメルとハルゼーの前にカップを置いた。
「それでは、ごゆっくり。」
フェイレはニコリと笑うと、トレイを持ったまま席を外した。
「どうだね?調子のほうは?」
ハルゼーは親しげな口ぶりでキンメルに聞いた。
「休養を取ったせいか、今では大分体の調子が良くなって来たよ。」
「しかし、ハズが太平洋艦隊司令長官を辞めるとは思わなかったなぁ。俺はてっきり、シホット共が完全に潰れるまで
お前の下で働くかと思っていたんだが。」
「私も、そうしたかったんだが。どうも、体が言う事を聞かなくてね。余りにも体調不良が続く物だから、医者に言ったら
不整脈と診断されたよ。この調子で仕事を続ければ、いずれは重大な事態も招くと言われてから、私はこの職を下りようと考えたんだ。」
「なるほど。でも、いい時期に辞められたな。太平洋艦隊は今や、開戦時とは比べ物にならん位に強化されている。これなら、
一度ぐらい手痛い損害を食らってもすぐに戦力を再編できる。太平洋艦隊がここまで強力になったのも、ハズのお陰だな。」
ハルゼーの言った最後の言葉に、キンメルは首を横に振りながら苦笑する。
「いやいや、ただ単に部下に恵まれただけさ。私の部下だった者達は、今や出世して各方面で活躍している。レキシントンを
率いていたフィッチや、サラトガを率いていたニュートンは、今や大西洋艦隊で第7艦隊司令長官、大西洋艦隊司令長官として
マオンド軍相手によくやってくれている。君やスプルーアンスだって、機動部隊を率いてシホールアンル相手に上手く立ち回ったじゃないか。
君らのような人材が活躍したからこそ、今の太平洋艦隊があるのだよ。」
「まあ確かにそうだな。だが、その優秀な人材が充分に働けられる環境を作ってくれたのも、ハズ、お前のお陰だ。お前が
あれこれ努力しなかったら、今日の太平洋艦隊はなかったかも知れんな。全く、貴様はこれまでで一番偉大な海軍大将だよ。」
「おいおい、そこまで大袈裟に言わんでくれ。」
ハルゼーのオーバーな褒めに、キンメルは苦笑しながら首を横に振った。だが、表情からしてまんざらでもなさそうだ。
「でも、やれるだけの事は確かにやった。まぁ、私はこんな情け無いナリになってしまったが、これだけ戦力が増えれば
シホールアンル相手に互角以上に戦える。後はニミッツや、君達次第だな。」
キンメルは微笑みながら言った後、コーヒーを一口すすった。
「ところでビル、君は去年の9月からつい最近まで、練習航空隊の指揮を取っていた様だな。」
「ああ。待命状態のままでは暇だったから、艦隊勤務に戻るまで若いパイロット達の育成を手伝いたいと思ってな。2週間前まで
勤務していた。新米パイロット達が徐々に力を付けていくのは何度見ても飽きないね。」
「ほほぅ、練習航空隊に勤務していたとは。君は昔から部下の訓練も意外と上手いからな。新米パイロット達にはいい勉強になっただろう。」
「あまり自慢は出来んがね。ともあれ、あのヒヨッコ達が早く一人前になって、シホットやマイリー相手に暴れてもらいたいぜ。」
「そうだな。」
キンメルはそう相槌を打ってから、ふと、思い出したように質問する。
「2週間前まで勤務していた、と言う事は。ビル、君は今待機中か?」
「おう。その通りだ。ただし、あと1週間だけだ。」
「あと1週間だけ。それはつまり、あと1週間経てば、君は前線復帰するのかね?」
「当たりだ。」
ハルゼーは深く頷いた。
「俺はもう少ししたら、第3艦隊司令長官として太平洋戦線に行く。その代わり、第5艦隊を率いているレイは、俺と入れ替わりになるな。」
「そうか。おめでとう、ビル。」
キンメルは、目の前の親友に対して右手を差し出した。キンメルの意を受け取ったハルゼーも手を差し出し、固い握手を交わした。
「おう、ありがとうよ。こうして前線復帰出来るのは、俺として嬉しい限りだよ。」
ハルゼーは嬉しげな口調でキンメルに言った。
「となると、司令部のスタッフを揃えないといけないな。その点はどうなっている?」
「う~む。実を言うと、最初はその司令部スタッフを揃えるのに苦労したんだよ。俺の参謀長だったブローニング大佐は、空母ハンコックの
艦長になっとるし、航空参謀のタナトス中佐は第57任務部隊の航空参謀に、航海参謀のウォーレンス中佐は第58任務部隊に引っ張られて
いる。元のスタッフ連中があちこちにバラけてしまってお手上げ状態だったな。とりあえず、俺は方々に掛け合って、一通りスタッフは
揃える事が出来た。」
「参謀長は誰だ?」
「ロバート・カーニー少将だ。航空屋出身ではないが、参謀としてはうってつけだ。」
ハルゼーは滑らかな口調で、第3艦隊司令部の主要スタッフの名前を言う。
以前のスタッフは、ハルゼーの言うとおり各戦線に散らばっているため、司令部スタッフを新しく見つける必要があった。
ハルゼーは各部署と掛け合った結果、なんとか揃える事が出来た。
参謀長にはロバート・カーニー少将を任命し、作戦主任参謀にはラルフ・ウィルソン大佐、航空参謀にはホレスト・モルトン大佐、
通信参謀にマリオン・チーク大佐を任命している。
作戦参謀の補佐役にはハーバート・ホーナー大佐、戦務副参謀にはハロルド・タッセン大佐を任命している。
また、上陸作戦に必要となる兵站参謀には、南太平洋部隊司令部で兵站面を担当していたテオル・ガートナー大佐を引き抜き、
航海参謀にはウォーレンス中佐の副官であったフランク・マクメイル少佐を任命した。
「連絡役はどうなっている?」
唐突にキンメルが聞いてきた。
「君が第3艦隊司令長官に任命するとなれば、必ず、あの大作戦に参加する事になる。作戦は連合軍共同で行うから、
司令部には南大陸から派遣される連絡役が配属される筈だ。その点についてはどうなっている?」
「連絡役か。それなら既に目星はついているぜ。」
「ほう、手際がいいな。」
キンメルは感心したように言った。
「で、そいつはどこの国の人だね?」
「バルランド王国の魔法使いだよ。君も知っている奴だ。」
「バルランド王国から・・・・・誰だったかな?」
キンメルはしばらく考え込んだ。すぐに思い出せそうなのだが、なかなか名前が出てこない。
「お前も薄情な奴だなぁ。あいつの名前を忘れるなんて。」
「あいつだと?」
「そう、あいつさ。最初俺があいつを見た時、君が気に入らなければ、海に放り込んでも良いと言ったあの居眠り魔法使いだよ。」
その一言でキンメルは思い出した。
「ラウス君だな!」
「そう、ラウスだ。俺は、あいつを3艦隊の司令部スタッフに入れようと思っている。見掛けはぼやっとしてるが、仕事はきっちりと
こなす奴だ。多分な。」
「おい、確定ではないのか?」
キンメルが苦笑しながら突っ込む。
「いやぁ、頼りになるんだが、たまに立ったまま寝てるんじゃねえのかと思うぐらい眠そうな顔をしていたからなぁ。それを思うと、
確定にするのはちょっと・・・・な。」
ハルゼーもまた、苦笑しながら言う。
「何はともあれ、司令部スタッフの顔ぶれも決まっている。あとは太平洋に行って、レイと交替するだけだ。」
「司令部はどの艦に置くんだ?」
「ああ、その点でもちょっと考えたんだがな。最初は俺のお気に入りだったエンタープライズに乗ろうと考えていた。ところが、
当の艦はキングの一声で大西洋艦隊にレンタルされちまった。再び考えた末に、俺はニュージャージーに司令部を置く事に決めた。」
「戦艦に旗艦を置くのか。航空屋の君にしては珍しいね。」
キンメルはやや驚きながら言った。
ニュージャージーとは、アイオワ級戦艦の2番艦にあたる最新鋭戦艦であり、4月29日から第57任務部隊第2任務群に配属されている。
その戦艦を、ハルゼーは旗艦として使おうとしていた。
「戦艦のほうが、アンテナの位置が空母よりも高いからな。アンテナが高ければその分、情報も入りやすくなる。それに、艦体が
頑丈だから、爆弾や魚雷を2、3発食らっても沈まん。まっ、空母も好きだが、現存の空母では、イラストリアス並みの防御力を
持たない限り、旗艦機能を喪失しやすい。俺はそこも考えて旗艦をニュージャージーに選んだ。」
ハルゼーはそこまで言った途端、急に邪気の無い笑顔を浮かべた。
「と、くどくど理由を述べたわけだが、本当はただ単に、アイオワ級戦艦とはどんな艦なのか知ってみたいからだ。」
「ハハハ、君と言う奴は。」
ハルゼーの本音を聞いたキンメルは、思わず笑ってしまった。
「真っ直ぐな所は相変わらずだな。」
「何を言う。そこが、俺の持ち味じゃないか。と言っても、自分で言ったらおしまいだな。」
彼もまた、ハッハッハと笑いながら、目の前のコーヒーを飲んだ。
「お、フェイレの淹れたこのコーヒー、妙に美味いな。豆は本物か?」
「南部から直接コーヒー豆を取り寄せたんだ。その豆を使って、家内やフェイレが毎朝コーヒーを作ってくれている。」
「なるほど。普段は酷い味わいの代用コーヒーを飲んでいるから、この美味さは本当に有難いね。特に、美人の姉ちゃんが
淹れたコーヒーは格別の味だ。」
「おいおい、カミさんに聞かれたらぶん殴られるぞ。」
「あ、そうだったな。いかんいかん。ハズ、この事は家内に言わんでくれよ。」
ハルゼーはわざとらしく、怯えたような表情で言うと、キンメルは大声を出して笑った。
「そういえば、その美しい娘さんについて聞きたい事があるんだが。」
ハルゼーは、声のトーンをやや低くしてキンメルに聞いた。
「仲間内の情報では、フェイレはシホールアンルから亡命したと言う事になっている。だが、新聞やマスコミからは、
フェイレの事は全く知らされていない。大統領にも会ったと言うのに、どうして彼女の事を国民に伝えないんだ?
ただの政治犯にしては色々不可解な点がある。その1つとして、腕にあった変な刻印だ。俺はラウス君から魔法の事も
色々と聞いているが、あれは魔術刻印と言う奴じゃないか?」
「そうだよ。」
キンメルは即答した。
「君の言う通り、彼女には魔術刻印が刻まれている。体中にね。」
「体中に・・・・・魔術刻印と言う奴は、体に刻み込む事が難しく、刻まれた本人は下手すれば死んでもおかしくないと聞いている。
それが体中にあるなんて、異常すぎる。ハズ、彼女はただの政治犯ではないな?」
「ああ、ただの政治犯じゃない。」
キンメルは、悲しげな表情を浮かべながらハルゼーに言った。
「この際だから、君に教えるよ。彼女は、本当に辛い事を経験しながら生きてきたんだ。フェイレは、シホールアンル軍に
よって歩く超兵器に変えられてしまった。」
「歩く超・・・・兵器だと?」
「ああ。簡単に言うと、相当な破壊力を持つ爆弾のような物だ。あの体に刻まれた無数の魔術刻印は、それを何らかの形で作動させる
起爆スイッチのような物だ。」
「なんてこった・・・・・・」
ハルゼーは驚愕の表情を浮かべていた。
「相当な破壊力とあるが・・・・どれほどの物なんだ?」
「半径10キロ以内は、何もかも消滅させてしまうらしい。以前、どこぞの科学雑誌で原子力爆弾の記事があったが、それと
ほぼ同じ効果のようだ。」
「どうしてまた・・・・フェイレを。」
「シホールアンル帝国は、浮浪者の子供や、他国に散らばせた協力者達の子供を大量に仕入れて、過酷な軍事教練を行わせていたらしい。
ビル、信じられるかい?10代にも満たぬの子供達が、自分達と同じ年の子供を使って殺しの技術を競わせているのだぞ?これだけでも充分に
戦争犯罪ものだが、その後がもっと酷い。最後には、苦楽を共にしてきた仲間同士で殺し合わせると言うのだよ。そして、フェイレはその
試練に耐えた。」
「・・・・・・・」
ついさっきまで陽気な口調で語っていたハルゼーの顔が、次第に険しい物になって行く。
玄関先でハルゼーを快く出迎えてくれたフェイレの笑顔は、実に美しかった。
一片の悩みすら感じさせぬ屈託の無い笑顔は、ハリウッド女優にも勝るとも劣らぬ物であろう。
その彼女が、凄惨という言葉すら生温いような、過酷な幼年時代を送っていた事に、ハルゼーは衝撃を隠せなかった。
キンメルの言葉は続く。
フェイレが訓練施設を出た後、シホールアンル北部と思わしき魔法研究施設に連れて行かれ、そこで様々な人体実験を受けさせられ、
体中に忌まわしい魔術刻印を刻まれた事。
度重なる人体実験の影響で、精神すらも崩壊しかけていた時、突如やって来た男によって救助された事。
男が住んでいる村で、楽しい日々を送り続けていたある日、村人に紛れ込んでいたシホールアンル軍のスパイによって体に刻み込まれていた
魔法が暴走し、村人全てを殺してしまった事。
再びシホールアンル帝国に連れて行かれ、長い間収容所に監禁されつつも、時機を見計らって逃亡した事。
フェイレに関わる様々な事を、キンメルはハルゼーに教え続けた。
「ルーズベルト大統領は、フェイレと、レーフェイルからやって来たメリマという名のハーピィと談話した後、シホールアンルと
マオンドは何が何でも屈服させねばならない。そうでなければ、これまでの蛮行で失われた多数の命は報われぬと言っていたよ。」
「大統領閣下の言われる通りだな。」
ハルゼーはさも当然とばかりに頷いた。
「それに、フェイレは隠しているが、今でも悪夢にうなされているようだ。彼女の寝室から悲鳴やわめき声が聞こえた事が何度かある。」
「・・・・・心の傷は、ハズが予想していた以上に深いようだぜ。」
「ああ。これでも、以前と比べれば良くなっている方だ。だが・・・・心の傷を癒しきれるかどうかは、確信が持てないな。」
キンメルはため息を吐きながらそう言った。
「全く、シホットもマイリーも畜生揃いだ。てめえの頭は悪いくせに、人様に対して自分が神様だと言わんばかりに、好き放題
やってやがる。何が人を使った魔法兵器だ。何が生物兵器だ。ハズ、俺は人の人生を弄んで笑い転げる馬鹿野郎共に情けはいらんと
思っている。俺がこれから指揮する第3艦隊は、マイリーに対しては何も出来んが、シホットの奴らには、これからたっぷりと
教育してくれる。汚い手しか使えぬ卑怯な奴らと、俺達の実力の差をな。」
ハルゼーは獰猛な笑みを浮かべながら、キンメルに言った。
「その心意気で存分に暴れ回ってくれ。だが、やりすぎは行かんぞ。やりすぎは。」
「なあに、情け無用で通すのは、戦う意志のあるシホットや後方でふんぞり返る畜生共だけさ。シホールアンル国民の皆様は、極力
狙わないようにするよ。」
キンメルの注意に対し、ハルゼーはおどけた口調で返した。
そこに、フェイレがポットを持ってソファーの近くまで歩いて来た。
「話が弾んでいるようね。おかわりはどうです?」
フェイレはにこりと笑いながら2人に聞いてきた。
「やあ、これは美しい娘さん。君の淹れてくれるコーヒーは格別だぜ。」
ハルゼーは冗談めいたセリフを言いながら、カップをフェイレの側に寄せた。
「ハルゼーさん、なかなか粋な事を言ってらっしゃいますねぇ。」
「ハハハ、男としては当然の事だろう。そうは思わんか、ハズ?」
「そうとも限らんぞ、ビル?」
しばし見つめ合ったハルゼーとキンメルは、やがて苦笑しあった。
ハルゼーのカップにコーヒーを注ぎ終わると、今度はキンメルの空のカップにコーヒーを淹れる。
ポットの口からやや黒目のコーヒーが音を立てて注がれ、美味そうな香りが周囲に立ち込める。
「フェイレ、ビルは1週間後に、前線に復帰する事になる。」
コーヒーを注ぎ終わったフェイレは、キンメルの言葉を聞くなり、ハルゼーに顔を向ける。
「艦隊に戻るんですか?」
「ああ。今度、第3艦隊司令長官として艦隊の指揮を取る事になった。その前に、キンメルの顔が見たくなって、こうして
見舞いに来てるんだ。」
「へぇ、そうだったんですか。」
「見た所、ハズの体調は回復しつつあるようだ。見舞いに来る必要な無かったかな、と思ったほどだよ。」
ハルゼーの冗談に、キンメルとフェイレは一緒に微笑んだ。
「君の事だが、ハズから聞かせて貰ったよ。」
途端に、フェイレから笑顔がさっと消えた。
「正直言って、俺は君のような過酷な体験をした人が居るとは思わんかった。辛かったろうな。」
「・・・・いえ、もう、過ぎた事ですから。」
フェイレは、笑顔でハルゼーに言ったが、彼から見れば、無理して笑っているように思えた。
「今度、俺は前線に戻るが、君の体験談を聞かせて貰って逆に勇気を貰った。フェイレ、君を過酷な道に歩ませた卑怯者共は、
俺の第3艦隊が施設諸共、綺麗さっぱり消し去ってやる。必ずな。」
彼は、渾名の由来にもなった獰猛な顔つきを歪めながら、フェイレに自らの決意を示した。
1484年(1944年)4月28日 午前10時 コネチカット州グロトン
その日、ウィリアム・ハルゼー大将(1943年9月昇進)は、コネチカット州のグロトンという町を訪れていた。
「ほほう。こりゃ、静かでいい町じゃねえか。」
とある家の前で車を止めて、降りた彼は、周りを見渡しながらそう言った。
「近くにはテムズ川もあるし、休日には釣りに行く事も出来る。俺も老後は、ここで過ごしたいものだね。」
ハルゼーは含み笑いをしながら言うと、助手席のドアを上げてみやげ物を取り出した。
ドアを閉めると、彼は家の正面玄関に向かって歩き始める。
今日はプライベートであるからいつもの軍服は付けておらず、上は青色のシャツに白い長袖のジャケット。
下はジャケットと同じく、白いズボンを履いている。
軍服を付けたハルゼーは、そのいかつい風貌から、いかにもそれが似合っているように見えるが、こうして私服を
身に纏っているハルゼーもまた、元気のある田舎の好々爺然としてなかなか似合っている。
午前10時と言う事もあって、昼前のグロトンはとても穏やかな雰囲気に包まれている。
常に緊迫している戦場と比べると、まるで天国と地獄ほどの違いがある。
「さて、奴さんは起きているかな?」
ハルゼーは、久しぶりの親友との再会にやや胸を躍らせつつ、玄関のベルを鳴らした。
「はーい!」
ドアの向こうから声がした。やや間を置いて、ガチャリと音を立ててドアが開かれる。
「はい。どちらさまでしょうか?」
ドアから出て来たのは、キンメルではなく、初めて出会う見慣れぬ女性であった。
「お・・・・こいつぁたまげたな。」
ハルゼーは、一瞬だけ驚いた。何しろ、その女性はキンメル家には元々いない筈の女性だからだ。
ポニーテール状に結った青い長髪に、あどけなさが残る風貌。それでいて気の強そうな目つきに、長袖、長ズボンに覆われたモデル顔負けの体系。
(まさか、この娘が、噂の・・・・・)
ハルゼーは、内心でそう呟きつつも、にこやかな表情でその女性に言った。
「やあお嬢さん。ハズバンドはいるかね?俺は友人のハルゼーという名の者だ。」
「ハズバンド・・・・あっ!お父さんの親友さんである、あのハルゼーさんですね!」
女の子は、いきなり目を輝かせながらハルゼーに返事した。
「お父さんから話は聞いています。初めまして、あたしはフェイレと言います。」
その名前を聞いた時、ハルゼーは
(ははぁ、この子がフェイレか。)
と内心で呟いた。
フェイレは知らないが、アメリカ海軍内では、彼女は意外と有名人である。
外見上での事もあるが、何よりも、トアレ岬沖海戦での活躍の事のほうが大きい。
あの海戦の最中、フェイレはエリラと共に乗艦であるクリーブランドを、自らに埋め込まれた魔法を使って敵の砲火から守った。
短い時間だが、クリーブランドは張り巡らされた魔法防御によって敵弾に艦体を破砕される事を免れ、僚艦であるコロンビアと
共に敵戦艦を猛砲撃して撃退している。
「ほう、君がかの有名なフェイレかね。君の噂は聞いたよ。トアレ岬沖海戦で君が起こしたあの行動は実に見事だった。
女にしてはなかなかガッツがあるぜ。」
ハルゼーは、昔馴染みに言うような口調でフェイレに話した。
それを聞いたフェイレも、顔に微笑を浮かべた。
「どうもありがとうございます。それにしても、父から聞いた通りですね。」
「ん?何がだね?」
「ハルゼーさんの事は、父がよく話すんですが、こうして話してみると父が言った通りの人なんだなぁと思いました。」
「ほほぅ、ハズの奴から聞いていたか。」
ハルゼーは思わず、照れ臭そうに笑った。
「おーい、どうした?お客さんかね?」
奥から、覚えのある声が聞こえてきた。フェイレの後ろから初老の男が現れる。
「やあハズ。元気そうだな!」
「ハハハ、ビルじゃないか!久しぶりだな。」
久しぶりに顔を合わせた二人は、満面の笑みを浮かべながら手を握り合う。
「かれこれ1年ぶりになりますな、長官殿。」
「おいおい、もう太平洋艦隊司令長官じゃないぞ。今は老後をゆったりと過ごす一般人だ。まぁともかく、上がれよ。」
「それじゃあ、遠慮なく。」
ハルゼーは上機嫌な表情でキンメルの自宅に入った。
「フェイレ、知っていると思うが、この人は私の友人であるビル・ハルゼーだ。」
「改めて、よろしくな。」
「いえ、こちらこそ。」
ハルゼーとフェイレは、改まった口調で挨拶を交わす。
「すまないが、コーヒーを淹れてもらえないかな?」
「うん。わかった。すぐに淹れて来るね。」
フェイレは、明るい口調で快諾するや、キッチンに向かって言った。
リビングに案内されたハルゼーは、ソファーに腰を下ろし、案内したキンメルはテーブルを隔てた反対側のソファーに座った。
「ハズ、これは俺からの土産だ。」
ハルゼーは、携えていた小包をキンメルに渡した。
「いや、わざわざすまないね。」
「なあに、どういってことないさ。手ぶらで見舞いに行くのは失礼だろう。」
「それもそうだな。では、早速開けてみようか。」
キンメルはそう言った後、梱包された紙を破り、箱の蓋を開けた。
「ほぉ・・・・こいつは不思議な物だな。」
彼は、箱から取り出した彫像を見るなり、感嘆した口調で呟いた。
その彫像は、道端で優雅そうに座りながら楽器を弾くエルフの吟遊詩人を象った物である。
木製で出来たその彫像は、誰が見ても見惚れそうなほど良い出来であり、ふとすれば心地の良い音楽が聞こえそうだ。
「ちょっとばかり、南大陸の友人に頼み込んで送って貰ったんだ。」
「君の友人はなかなかセンスがあるね。久しぶりにいいプレゼントを貰ったよ。後でどこかに飾るとしよう。」
キンメルは、心底嬉しそうな表情を浮かべながらハルゼーに言う。
彼は、大事そうに彫像を箱に戻した。
「コーヒーが入りましたよ。」
キッチンから、フェイレがコーヒーを持って来た。トレイをテーブルに置くと、キンメルとハルゼーの前にカップを置いた。
「それでは、ごゆっくり。」
フェイレはニコリと笑うと、トレイを持ったまま席を外した。
「どうだね?調子のほうは?」
ハルゼーは親しげな口ぶりでキンメルに聞いた。
「休養を取ったせいか、今では大分体の調子が良くなって来たよ。」
「しかし、ハズが太平洋艦隊司令長官を辞めるとは思わなかったなぁ。俺はてっきり、シホット共が完全に潰れるまで
お前の下で働くかと思っていたんだが。」
「私も、そうしたかったんだが。どうも、体が言う事を聞かなくてね。余りにも体調不良が続く物だから、医者に言ったら
不整脈と診断されたよ。この調子で仕事を続ければ、いずれは重大な事態も招くと言われてから、私はこの職を下りようと考えたんだ。」
「なるほど。でも、いい時期に辞められたな。太平洋艦隊は今や、開戦時とは比べ物にならん位に強化されている。これなら、
一度ぐらい手痛い損害を食らってもすぐに戦力を再編できる。太平洋艦隊がここまで強力になったのも、ハズのお陰だな。」
ハルゼーの言った最後の言葉に、キンメルは首を横に振りながら苦笑する。
「いやいや、ただ単に部下に恵まれただけさ。私の部下だった者達は、今や出世して各方面で活躍している。レキシントンを
率いていたフィッチや、サラトガを率いていたニュートンは、今や大西洋艦隊で第7艦隊司令長官、大西洋艦隊司令長官として
マオンド軍相手によくやってくれている。君やスプルーアンスだって、機動部隊を率いてシホールアンル相手に上手く立ち回ったじゃないか。
君らのような人材が活躍したからこそ、今の太平洋艦隊があるのだよ。」
「まあ確かにそうだな。だが、その優秀な人材が充分に働けられる環境を作ってくれたのも、ハズ、お前のお陰だ。お前が
あれこれ努力しなかったら、今日の太平洋艦隊はなかったかも知れんな。全く、貴様はこれまでで一番偉大な海軍大将だよ。」
「おいおい、そこまで大袈裟に言わんでくれ。」
ハルゼーのオーバーな褒めに、キンメルは苦笑しながら首を横に振った。だが、表情からしてまんざらでもなさそうだ。
「でも、やれるだけの事は確かにやった。まぁ、私はこんな情け無いナリになってしまったが、これだけ戦力が増えれば
シホールアンル相手に互角以上に戦える。後はニミッツや、君達次第だな。」
キンメルは微笑みながら言った後、コーヒーを一口すすった。
「ところでビル、君は去年の9月からつい最近まで、練習航空隊の指揮を取っていた様だな。」
「ああ。待命状態のままでは暇だったから、艦隊勤務に戻るまで若いパイロット達の育成を手伝いたいと思ってな。2週間前まで
勤務していた。新米パイロット達が徐々に力を付けていくのは何度見ても飽きないね。」
「ほほぅ、練習航空隊に勤務していたとは。君は昔から部下の訓練も意外と上手いからな。新米パイロット達にはいい勉強になっただろう。」
「あまり自慢は出来んがね。ともあれ、あのヒヨッコ達が早く一人前になって、シホットやマイリー相手に暴れてもらいたいぜ。」
「そうだな。」
キンメルはそう相槌を打ってから、ふと、思い出したように質問する。
「2週間前まで勤務していた、と言う事は。ビル、君は今待機中か?」
「おう。その通りだ。ただし、あと1週間だけだ。」
「あと1週間だけ。それはつまり、あと1週間経てば、君は前線復帰するのかね?」
「当たりだ。」
ハルゼーは深く頷いた。
「俺はもう少ししたら、第3艦隊司令長官として太平洋戦線に行く。その代わり、第5艦隊を率いているレイは、俺と入れ替わりになるな。」
「そうか。おめでとう、ビル。」
キンメルは、目の前の親友に対して右手を差し出した。キンメルの意を受け取ったハルゼーも手を差し出し、固い握手を交わした。
「おう、ありがとうよ。こうして前線復帰出来るのは、俺として嬉しい限りだよ。」
ハルゼーは嬉しげな口調でキンメルに言った。
「となると、司令部のスタッフを揃えないといけないな。その点はどうなっている?」
「う~む。実を言うと、最初はその司令部スタッフを揃えるのに苦労したんだよ。俺の参謀長だったブローニング大佐は、空母ハンコックの
艦長になっとるし、航空参謀のタナトス中佐は第57任務部隊の航空参謀に、航海参謀のウォーレンス中佐は第58任務部隊に引っ張られて
いる。元のスタッフ連中があちこちにバラけてしまってお手上げ状態だったな。とりあえず、俺は方々に掛け合って、一通りスタッフは
揃える事が出来た。」
「参謀長は誰だ?」
「ロバート・カーニー少将だ。航空屋出身ではないが、参謀としてはうってつけだ。」
ハルゼーは滑らかな口調で、第3艦隊司令部の主要スタッフの名前を言う。
以前のスタッフは、ハルゼーの言うとおり各戦線に散らばっているため、司令部スタッフを新しく見つける必要があった。
ハルゼーは各部署と掛け合った結果、なんとか揃える事が出来た。
参謀長にはロバート・カーニー少将を任命し、作戦主任参謀にはラルフ・ウィルソン大佐、航空参謀にはホレスト・モルトン大佐、
通信参謀にマリオン・チーク大佐を任命している。
作戦参謀の補佐役にはハーバート・ホーナー大佐、戦務副参謀にはハロルド・タッセン大佐を任命している。
また、上陸作戦に必要となる兵站参謀には、南太平洋部隊司令部で兵站面を担当していたテオル・ガートナー大佐を引き抜き、
航海参謀にはウォーレンス中佐の副官であったフランク・マクメイル少佐を任命した。
「連絡役はどうなっている?」
唐突にキンメルが聞いてきた。
「君が第3艦隊司令長官に任命するとなれば、必ず、あの大作戦に参加する事になる。作戦は連合軍共同で行うから、
司令部には南大陸から派遣される連絡役が配属される筈だ。その点についてはどうなっている?」
「連絡役か。それなら既に目星はついているぜ。」
「ほう、手際がいいな。」
キンメルは感心したように言った。
「で、そいつはどこの国の人だね?」
「バルランド王国の魔法使いだよ。君も知っている奴だ。」
「バルランド王国から・・・・・誰だったかな?」
キンメルはしばらく考え込んだ。すぐに思い出せそうなのだが、なかなか名前が出てこない。
「お前も薄情な奴だなぁ。あいつの名前を忘れるなんて。」
「あいつだと?」
「そう、あいつさ。最初俺があいつを見た時、君が気に入らなければ、海に放り込んでも良いと言ったあの居眠り魔法使いだよ。」
その一言でキンメルは思い出した。
「ラウス君だな!」
「そう、ラウスだ。俺は、あいつを3艦隊の司令部スタッフに入れようと思っている。見掛けはぼやっとしてるが、仕事はきっちりと
こなす奴だ。多分な。」
「おい、確定ではないのか?」
キンメルが苦笑しながら突っ込む。
「いやぁ、頼りになるんだが、たまに立ったまま寝てるんじゃねえのかと思うぐらい眠そうな顔をしていたからなぁ。それを思うと、
確定にするのはちょっと・・・・な。」
ハルゼーもまた、苦笑しながら言う。
「何はともあれ、司令部スタッフの顔ぶれも決まっている。あとは太平洋に行って、レイと交替するだけだ。」
「司令部はどの艦に置くんだ?」
「ああ、その点でもちょっと考えたんだがな。最初は俺のお気に入りだったエンタープライズに乗ろうと考えていた。ところが、
当の艦はキングの一声で大西洋艦隊にレンタルされちまった。再び考えた末に、俺はニュージャージーに司令部を置く事に決めた。」
「戦艦に旗艦を置くのか。航空屋の君にしては珍しいね。」
キンメルはやや驚きながら言った。
ニュージャージーとは、アイオワ級戦艦の2番艦にあたる最新鋭戦艦であり、4月29日から第57任務部隊第2任務群に配属されている。
その戦艦を、ハルゼーは旗艦として使おうとしていた。
「戦艦のほうが、アンテナの位置が空母よりも高いからな。アンテナが高ければその分、情報も入りやすくなる。それに、艦体が
頑丈だから、爆弾や魚雷を2、3発食らっても沈まん。まっ、空母も好きだが、現存の空母では、イラストリアス並みの防御力を
持たない限り、旗艦機能を喪失しやすい。俺はそこも考えて旗艦をニュージャージーに選んだ。」
ハルゼーはそこまで言った途端、急に邪気の無い笑顔を浮かべた。
「と、くどくど理由を述べたわけだが、本当はただ単に、アイオワ級戦艦とはどんな艦なのか知ってみたいからだ。」
「ハハハ、君と言う奴は。」
ハルゼーの本音を聞いたキンメルは、思わず笑ってしまった。
「真っ直ぐな所は相変わらずだな。」
「何を言う。そこが、俺の持ち味じゃないか。と言っても、自分で言ったらおしまいだな。」
彼もまた、ハッハッハと笑いながら、目の前のコーヒーを飲んだ。
「お、フェイレの淹れたこのコーヒー、妙に美味いな。豆は本物か?」
「南部から直接コーヒー豆を取り寄せたんだ。その豆を使って、家内やフェイレが毎朝コーヒーを作ってくれている。」
「なるほど。普段は酷い味わいの代用コーヒーを飲んでいるから、この美味さは本当に有難いね。特に、美人の姉ちゃんが
淹れたコーヒーは格別の味だ。」
「おいおい、カミさんに聞かれたらぶん殴られるぞ。」
「あ、そうだったな。いかんいかん。ハズ、この事は家内に言わんでくれよ。」
ハルゼーはわざとらしく、怯えたような表情で言うと、キンメルは大声を出して笑った。
「そういえば、その美しい娘さんについて聞きたい事があるんだが。」
ハルゼーは、声のトーンをやや低くしてキンメルに聞いた。
「仲間内の情報では、フェイレはシホールアンルから亡命したと言う事になっている。だが、新聞やマスコミからは、
フェイレの事は全く知らされていない。大統領にも会ったと言うのに、どうして彼女の事を国民に伝えないんだ?
ただの政治犯にしては色々不可解な点がある。その1つとして、腕にあった変な刻印だ。俺はラウス君から魔法の事も
色々と聞いているが、あれは魔術刻印と言う奴じゃないか?」
「そうだよ。」
キンメルは即答した。
「君の言う通り、彼女には魔術刻印が刻まれている。体中にね。」
「体中に・・・・・魔術刻印と言う奴は、体に刻み込む事が難しく、刻まれた本人は下手すれば死んでもおかしくないと聞いている。
それが体中にあるなんて、異常すぎる。ハズ、彼女はただの政治犯ではないな?」
「ああ、ただの政治犯じゃない。」
キンメルは、悲しげな表情を浮かべながらハルゼーに言った。
「この際だから、君に教えるよ。彼女は、本当に辛い事を経験しながら生きてきたんだ。フェイレは、シホールアンル軍に
よって歩く超兵器に変えられてしまった。」
「歩く超・・・・兵器だと?」
「ああ。簡単に言うと、相当な破壊力を持つ爆弾のような物だ。あの体に刻まれた無数の魔術刻印は、それを何らかの形で作動させる
起爆スイッチのような物だ。」
「なんてこった・・・・・・」
ハルゼーは驚愕の表情を浮かべていた。
「相当な破壊力とあるが・・・・どれほどの物なんだ?」
「半径10キロ以内は、何もかも消滅させてしまうらしい。以前、どこぞの科学雑誌で原子力爆弾の記事があったが、それと
ほぼ同じ効果のようだ。」
「どうしてまた・・・・フェイレを。」
「シホールアンル帝国は、浮浪者の子供や、他国に散らばせた協力者達の子供を大量に仕入れて、過酷な軍事教練を行わせていたらしい。
ビル、信じられるかい?10代にも満たぬの子供達が、自分達と同じ年の子供を使って殺しの技術を競わせているのだぞ?これだけでも充分に
戦争犯罪ものだが、その後がもっと酷い。最後には、苦楽を共にしてきた仲間同士で殺し合わせると言うのだよ。そして、フェイレはその
試練に耐えた。」
「・・・・・・・」
ついさっきまで陽気な口調で語っていたハルゼーの顔が、次第に険しい物になって行く。
玄関先でハルゼーを快く出迎えてくれたフェイレの笑顔は、実に美しかった。
一片の悩みすら感じさせぬ屈託の無い笑顔は、ハリウッド女優にも勝るとも劣らぬ物であろう。
その彼女が、凄惨という言葉すら生温いような、過酷な幼年時代を送っていた事に、ハルゼーは衝撃を隠せなかった。
キンメルの言葉は続く。
フェイレが訓練施設を出た後、シホールアンル北部と思わしき魔法研究施設に連れて行かれ、そこで様々な人体実験を受けさせられ、
体中に忌まわしい魔術刻印を刻まれた事。
度重なる人体実験の影響で、精神すらも崩壊しかけていた時、突如やって来た男によって救助された事。
男が住んでいる村で、楽しい日々を送り続けていたある日、村人に紛れ込んでいたシホールアンル軍のスパイによって体に刻み込まれていた
魔法が暴走し、村人全てを殺してしまった事。
再びシホールアンル帝国に連れて行かれ、長い間収容所に監禁されつつも、時機を見計らって逃亡した事。
フェイレに関わる様々な事を、キンメルはハルゼーに教え続けた。
「ルーズベルト大統領は、フェイレと、レーフェイルからやって来たメリマという名のハーピィと談話した後、シホールアンルと
マオンドは何が何でも屈服させねばならない。そうでなければ、これまでの蛮行で失われた多数の命は報われぬと言っていたよ。」
「大統領閣下の言われる通りだな。」
ハルゼーはさも当然とばかりに頷いた。
「それに、フェイレは隠しているが、今でも悪夢にうなされているようだ。彼女の寝室から悲鳴やわめき声が聞こえた事が何度かある。」
「・・・・・心の傷は、ハズが予想していた以上に深いようだぜ。」
「ああ。これでも、以前と比べれば良くなっている方だ。だが・・・・心の傷を癒しきれるかどうかは、確信が持てないな。」
キンメルはため息を吐きながらそう言った。
「全く、シホットもマイリーも畜生揃いだ。てめえの頭は悪いくせに、人様に対して自分が神様だと言わんばかりに、好き放題
やってやがる。何が人を使った魔法兵器だ。何が生物兵器だ。ハズ、俺は人の人生を弄んで笑い転げる馬鹿野郎共に情けはいらんと
思っている。俺がこれから指揮する第3艦隊は、マイリーに対しては何も出来んが、シホットの奴らには、これからたっぷりと
教育してくれる。汚い手しか使えぬ卑怯な奴らと、俺達の実力の差をな。」
ハルゼーは獰猛な笑みを浮かべながら、キンメルに言った。
「その心意気で存分に暴れ回ってくれ。だが、やりすぎは行かんぞ。やりすぎは。」
「なあに、情け無用で通すのは、戦う意志のあるシホットや後方でふんぞり返る畜生共だけさ。シホールアンル国民の皆様は、極力
狙わないようにするよ。」
キンメルの注意に対し、ハルゼーはおどけた口調で返した。
そこに、フェイレがポットを持ってソファーの近くまで歩いて来た。
「話が弾んでいるようね。おかわりはどうです?」
フェイレはにこりと笑いながら2人に聞いてきた。
「やあ、これは美しい娘さん。君の淹れてくれるコーヒーは格別だぜ。」
ハルゼーは冗談めいたセリフを言いながら、カップをフェイレの側に寄せた。
「ハルゼーさん、なかなか粋な事を言ってらっしゃいますねぇ。」
「ハハハ、男としては当然の事だろう。そうは思わんか、ハズ?」
「そうとも限らんぞ、ビル?」
しばし見つめ合ったハルゼーとキンメルは、やがて苦笑しあった。
ハルゼーのカップにコーヒーを注ぎ終わると、今度はキンメルの空のカップにコーヒーを淹れる。
ポットの口からやや黒目のコーヒーが音を立てて注がれ、美味そうな香りが周囲に立ち込める。
「フェイレ、ビルは1週間後に、前線に復帰する事になる。」
コーヒーを注ぎ終わったフェイレは、キンメルの言葉を聞くなり、ハルゼーに顔を向ける。
「艦隊に戻るんですか?」
「ああ。今度、第3艦隊司令長官として艦隊の指揮を取る事になった。その前に、キンメルの顔が見たくなって、こうして
見舞いに来てるんだ。」
「へぇ、そうだったんですか。」
「見た所、ハズの体調は回復しつつあるようだ。見舞いに来る必要な無かったかな、と思ったほどだよ。」
ハルゼーの冗談に、キンメルとフェイレは一緒に微笑んだ。
「君の事だが、ハズから聞かせて貰ったよ。」
途端に、フェイレから笑顔がさっと消えた。
「正直言って、俺は君のような過酷な体験をした人が居るとは思わんかった。辛かったろうな。」
「・・・・いえ、もう、過ぎた事ですから。」
フェイレは、笑顔でハルゼーに言ったが、彼から見れば、無理して笑っているように思えた。
「今度、俺は前線に戻るが、君の体験談を聞かせて貰って逆に勇気を貰った。フェイレ、君を過酷な道に歩ませた卑怯者共は、
俺の第3艦隊が施設諸共、綺麗さっぱり消し去ってやる。必ずな。」
彼は、渾名の由来にもなった獰猛な顔つきを歪めながら、フェイレに自らの決意を示した。