第135話 影の支配者
1484年(1944年)5月18日 午前7時 マオンド共和国グラーズレット
宗教。それは、人間が生み出した産物である。
人間は、宗教が誕生して以来、それを崇め、祈り、そして信頼してきた。
宗教という物は、時には信ずる者の糧となる。それをきっかけに成功した者は、口々に神へ感謝の言葉を送り、
更に信頼を深めていく。
人にとって、宗教とは最良の薬にもなり得た。
だが、薬は、時として毒にもなり得る存在だ。
宗教とて同様。大元の基本原理が、目も当てられぬほど過激な物は、その時点で命運は決する。
また、正統で、清純な筈であった教えも、主導する者が次第に大きく道を踏み外していけば、主導者を神の代理人として
信ずる者達もまた、それに影響され、次第に盲信に囚われていく。
現世界の地球で散々繰り返された、宗教の光と影を象徴する出来事。
それはまた、この異世界でも何ら変わらなかった。
マオンド共和国国王ブイーレ・インリクが、目的の場所に到着したのは、午前7時を回ってからの事だ。
インリク国王は、馬車の窓からそれを見つめるなり、感嘆したような表情を浮かべた。
「ナルアトスの本部教会は、いつ見ても荘厳だなぁ。」
彼が見つめている建物は、灰色一色に覆われた巨大建造物であった。
グラーズレットから北に7ゼルド離れた位置には、ナルアトスという中規模の町がある。
ナルアトスは、古来から2つの側面を持つ町として知られている。
1つは軍事都市と言う側面だ。
ナルアトスは、昔から幾度も戦われた戦争で城塞都市として使用されており、町の周囲は高い防壁で覆われている。
町の中には、一般住宅に紛れて地方の担当軍区の司令部や軍団司令部が設けられ、郊外には軍の駐屯地やワイバーン危地が点在している。
対米戦が開始されてからは、元々グラーズレットに置かれていた担当軍区の司令部がこのナルアトスに移動し、駐屯部隊の
兵員や防空用の対空兵器が増えたことで、町全体がかなり物々しくなっている。
もう1つの側面は、宗教都市という物である。
このナルアトスは、ナリュアニス教の発祥地で、教会の本部が町の中心部に置かれている。
ナリュアニス教は、マオンドという国がまだ生まれる前のセイレ歴101年に誕生した宗教で、レーフェイル大陸では最も古い宗教として
この世界では知られている。
基本原理では、人類の優秀性を強く表しているが、その一方で、獣人等の亜人類を邪悪とみなし、聖典の一文には
「獣人等の汚らわしき蛮族共は浄化されて然るべき」
と書かれている。
この極端な基本原理は、ナリュアニス教創設時に、レーフェイル大陸を覆っていた混乱状態が大きく影響していると言われているが、
つい最近発行された聖典には、この一文は削除されている。
だが、獣人等の亜人類を見下す姿勢は変わっていない。
とは言え、ナリュアニス教はレーフェイル大陸、特にマオンド全土に広がっており、国民の大半は、ナリュアニス教に何らかの形で関わっている。
馬車が本部教会の正面前で止まると、10人ほどの信徒が入り口の前で待っていた。
10人のうち、1人は赤と紺色の教団支給の導衣を身に付け、残り9人は上下とも紺色一色の修道服を身に纏っている。
赤と紺色の導衣を付けたしわ顔の男が馬車の側にまで寄ると、ドアをゆっくり開けた。
「国王陛下。お待ちしておりましたぞ。」
「おお、これはスンタウナ大導師殿。お出迎えありがとうございます。」
インリク国王は、目の前にいるスンタウナ大導師に感謝の言葉を送りながら、馬車から降りた。
「遠い所からよくぞ来られましたな。ささ、どうぞ。我が家と思って存分に寛いでください。」
「はは、これはどうもありがとうございます。」
2人の男は、互いに笑みを浮かべながら、石畳の正面通路を入り口に向かって歩いていった。
入り口の大きな扉が開かれると、本部教会の大聖堂が見えた。
「ううむ。何度見ても、この大聖堂には驚かされますな。」
インリクは、目の前に広がる円形の大聖堂を見るなり、感動したように言う。
「ここは、信徒達が、体に付いた日常の汚れを清める場所ですからな。その口ぶりからして、陛下も大分、ご政務で苦労されているようですな。」
「ええ。ここ最近は、色々ありましたからなぁ。」
スンタウナ大導師の問いに、インリク国王は苦笑しながら答えた。
彼は、スンタウナ大導師と共に、本部教会やその周囲の関連施設を見回った後、ようやく一息つくことが出来た。
インリク国王がスンタウナ大導師の私室に入ったのは、午前8時を回ってからの事だ。
「いやぁ、ここは相変わらず大きいですな。一回りするだけでも、大変ですよ。」
「それは、私とて同様です。50を超えた今となっては、若い頃には苦もなく出来た仕事がいまいち出来なくて、しばしば閉口しますよ。」
スンタウナは自嘲気味に呟いた。
スンタウナ大導師こと、ロゴスノ・スンタウナは今年で56歳を迎える。
顔には皺が寄っており、目付きはどことなく穏やかで、傍目から見ればそこらにいる人の良いおじさんといった出で立ちだ。
頭は頭頂部が禿げ上がっているが、本人は全く気にしていない。
(この人の良さそうな男が、ナリュアニス教・・・・別名、破壊の教団を統べる実力者とは、世の中は不思議な物だ)
インリクは、伸びた白い顎髭を撫でながらそう思った。
ロゴスノ・スンタウナがナルファトス教に入信したのは、彼が11歳の誕生日を迎えて3ヶ月目を迎えた時である。
彼は元々、スンタウナという名字ではなく、タドウルノという姓名を持っていた。
ロゴスノ・タドウルノは、元々エンテック帝国の人間であったが、両親をモンスターに殺されてからは、親戚の手引きで弟と共にマオンドに移住した。
彼は、ナルファトス教の教義に感銘を受け、弟と一緒に入信した。性名を変えたのはその時である。
入信したロゴスノは、修行に耐えながらも着実に力を付け、30歳を迎えた年には、教団の戦闘部隊(ナルファトス教が独自に保持している軍のような物)
の中で5本の指に入る指揮官になった。
だが、その年に、同じ戦闘部隊に属していた弟が、ハーフエルフの返り討ちに遭って命を落としてから、ロゴスノは敵対する魔族の他に、ハーフエルフ、
ホビット、獣人といった亜人種達にも激しい憎しみを抱くようになった。
ロゴスノは、唯一の肉親である弟の死に悲しみながらも、順調に出世の街道を上っていった。
マオンド共和国がレーフェイル大陸統一に乗り出した時、ナルファトス教もまた、各地を浄化し始めた。
マオンドが大陸統一を開始したとき、ロゴスノは教団で6人しかいない導師の1人となっていた。
ナルファトス教が行った被占領地での“浄化”は苛烈を極めた。
ロゴスノもまた、配下の戦闘部隊を使用して、マオンド軍の占領政策に貢献したが、異教徒狩りや亜人種狩りは、ロゴスノが担当したエンテック、
レンベルリカで盛んに行われ、他の導師が携わった同様の活動と比べても、ロゴスノのそれは群を抜いていた。
後に、ウェルバンル軍事裁判で明らかになった、レーフェイル大陸統一時にナルファトス教によって“浄化”された犠牲者の数は、500万とも
1000万とも言われているが、戦後数十年が経っても正確な数は分らなかったほど、犠牲者の数は多すぎた。
この一連の功績のお陰で、ロゴスノは1479年12月に、前大導師トラムファクトから正式に後継者として任命され、信徒5000万、
戦闘部隊20万を統べる大教団の長となった。
過去数十年に渡って、幾万もの邪教徒を狩り立て、その容赦のないやり方から、破壊の教団と揶揄されたナルファトス教。
その一因を作り上げた男、ロゴスノは、自分の成した所行を全く悔いていない。
悔いるどころか、むしろ成すべき事を成し遂げたという満足感すら感じていた。
「先ほども申しましたが、陛下もご政務でかなり苦労されているようですな。」
「ええ。精神的に、参る所がいくつかありましたからね。」
「原因はやはり。」
インリクは、ゆっくりと頷く。
「はい。西の蛮族、アメリカのせいです。かの国が現れて以来、我がマオンドは幾度も苦杯を舐めさせられています。」
「しかし、4月の一連の戦闘では、アメリカ軍にも相当な被害を与えたようですな。」
「ええ。海軍からの報告によりますと、少なくとも敵の空母を2隻ないし、3隻ほど沈め、その他の空母や艦艇にも損害を与えたようです。
この結果、アメリカ軍は、少なくとも2ヶ月か3ヶ月程度は、このレーフェイルに近付けぬであろうと判断されております。ここに来て、
ようやく、アメリカも我が国の真の力を思い知ったことでしょう。」
インリクは、自信ありげな口ぶりでスンタウナに言った。
「ところで、大導師殿。」
彼は、口調を変えてスンタウナに質問する。
「先ほど、一通りこの本部教会と関連施設を見て思ったのですが・・・・何と言いますか、大分物々しくなっておりますな。」
「私がやらせたのですよ。」
スンタウナはニヤリと笑みを浮かべた。
「予想される蛮族共の襲撃に備えるためには、対空用の兵器が必要です。だから、主要箇所には対空陣地を巧妙に配置しております。」
ナルファトス教本部教会や、その周囲を取り囲む関連施設には、教団側が直々に買い取った多数の対空兵器が配備されていた。
高射砲20門、魔動銃120丁が、この本部教会の敷地内に各施設に渡され、いつ来るか分らないアメリカ軍機に備えている。
「我々は、外敵に対しては常に積極的な対応を取っております。それは、未知なる敵アメリカとて同様。アメリカ人共の乗る飛空挺が
やって来るのならば、我々は戦って討ち取るのみです。」
「いやはや、実に頼もしい物だ。」
インリクは微笑みながら言った。
「マオンドを影で支えてきたあなた方ナルファトスの元気を、私の臣下達にも分けてあげたいぐらいですな。」
「何を言われますか。私は、ナルファトス教を統べる者として、当然の事を申し上げているだけです。」
スンタウナは苦笑しながら、インリクに謙遜の言葉を返した。
「影の王とまで言われたお方にしては、少々控えめな物言いですな。」
「いえ、そんな大それた渾名は私には似合いませんよ。しかし、アメリカは当分問題ないとして、厄介なのは各地で起きた反乱騒ぎですな。」
「ええ。あれは実に始末が悪い。」
スンタウナの口から反乱騒ぎに関する話が出ると、インリクは忌々しげな表情を浮かべた。
「エンテック方面とルークアンド方面の反乱騒ぎは既に鎮圧しましたが、ヘルベスタン方面とレンベルリカ方面の反乱は、まだ抑え切れて
いません。特に、レンベルリカ方面の反乱勢力は、他の地域と比べかなり大きく、鎮圧軍が何度か攻勢に出ているのですが、タラウキントの
堅城の前に何度も攻略を阻まれています。」
インリクから聞いた一連の報告は、教団側が放ったスパイによって既に聞き及んでいるが、事態は思いのほか進展していないようだ。
マオンド軍は、これまでに3度、エンテックの反乱軍の拠点であるタラウキントを攻撃しているのだが、敵に優秀な軍師がいるのか、
マオンド軍の攻撃は悉く撃退されていた。
この3度の攻勢で、マオンド軍は戦死者18018人、負傷者31212人を出し、実質的に1個軍団分の兵力を失った。
だが、守備軍側も損害を避けることは出来ず、マオンド側の推計では、戦死傷者3万名に上ると言われている。
相次ぐ攻勢失敗に痺れを切らしたマオンド軍上層部は、増援部隊としてヘルベスタン領から1個軍の陸軍部隊を、レンベルリカ方面に投入する事を決めた。
「ヘルベスタンの反乱側も、意外に粘り強いものでして、僅か10万規模の部隊にしては、我が軍30万を相手に良くやりますよ。」
「ヘルベスタンの反乱勢力は、確か軍の一部が加わっているようですな。」
「はい。元々、エルケンラード周辺を防備していた1個軍団規模の軍勢です。こいつらのお陰で、ヘルベスタンの反乱勢力はなんとか持ち堪えて
いますが、それも時間の問題でしょう。」
インリクはそこまで言うと、急に語調を変えた。
「しかし、時間が掛かりすぎるのは良くない。そこで、私はある方法を思いついたのです。」
「ある方法?」
スンタウナは怪訝な表情を浮かべながら聞き返した。
「はい。軍と、あなた方教団が共同で研究している例の物を一気に投入するのです。」
「まさか・・・・陛下は、生物兵器を大量に投入するおつもりですか?」
スンタウナは、冷静な口調でインリクに尋ねた。
「そうです。」
インリクは即答した。
「必要ならば、不死の薬も使えばよろしいでしょう。アンデッドの集団が大量に出来てしまいますが、そこはワイバーンのブレスなり、
爆弾の大量投下なり、大規模攻勢魔法の使用なりで解決できます。」
「陛下は、反乱側勢力と、それに荷担する住民を、完全に消し去ろう、と思われているのですか?」
「そうしなければ・・・・また我がマオンドに刃向かう者が出て来る。このレーフェイルを再び平和にするには、こうして仮借無い行動で、
全国民に訴えるしかありません。マオンド本国8000万、属国4000万の民に思い知らせるには、これしか方法が無いと、私は思っています。」
「・・・・・陛下のやり方では、反乱軍とその住民のみならず、関係の無い物達にまで犠牲が及ぶかもしれませんぞ。」
スンタウナは、インリクに対して注意するが、その顔には、引きつった笑みが浮かんでいる。
「構いませんよ。被害を受けるのは属国だ。特に、汚らわしい獣人達が何人死のうが我がマオンドの知ったことではない。属国が滅んだところで、
我々マオンド人が入れ替わって統治すれば良いだけです。ただ、今は立場上、それをやったらシホールアンルやその他の国に文句を言われかねぬから、
属国の現地民を残して使うしかない。」
インリクの表情に影が宿る。
「しかし、反乱側を全滅させ、それに現地人が100万単位で失われる事は、許容範囲内です。もしかしたら、後処理にはあなた方にも、お手伝いを
お願いするかもしれませんぞ。」
「その時はよろしくお願いしますよ。」
スンタウナは、愉快そうな笑みを浮かべつつ、インリクに言う。
「しかし、反乱軍を抑えても、今度はアメリカとやらが攻めて来るのではありませんか?特に、アメリカは我々にはない、高性能の大型飛空挺を
多数有しているとか。」
「なあに、心配には及びますまい。飛空挺がやってきて爆弾を落したところで、被害はさほど上がりませんし、ユークニア島から極めて限られた範囲内
でしか、敵の爆撃機は行動できません。また、爆撃は出来ても、軍隊が上陸せねば意味はありませんからな。いずれ、我が軍が力を取り戻した時には、
スィンク諸島から叩き出してやりますよ。」
インリクはそう言った後、高笑いを上げた。
「うむ、実に頼もしいですぞ。国王陛下。」
スンタウナもまた、満足した表情で頷いた。
「では、我が教団独自で管理している施設の生物兵器もお渡ししましょう。投入できる戦力は多いほど良い。」
「助かります。これで、反乱側勢力を根絶やしに出来るでしょう。」
「あと1,2ヶ月は、アメリカは目立った動きは出来ない。その間、反乱側を鎮圧出来れば、レーフェイル大陸中の臣民に思い知らせることが出来ます。」
「それだけではない。アメリカ側にも、少なからぬ影響を与えるでしょう。」
インリクは付け加える。
「反乱側の動向が気になっているのは、何も我々だけではないでしょう。スィンク諸島のアメリカ軍も、血眼になって反乱側を支援しようとしている
はずです。シホールアンル戦線と違って、この戦線では、アメリカは同盟国がおりません。ここで頼りになりそうなのは、ほんの一握りにしか過ぎない
反乱勢力でしょう。これを潰せば、アメリカはほぼ単独で、我が国と立ち回らなければならない。」
「奴らは、きっと後悔するでしょうなぁ。」
スンタウナは、心底愉しげな笑みを浮かべながら言った。
「この1ヶ月間の間、何の行動もしなかった自分達の不甲斐なさに。」
彼は、インリクと共に高々と笑い声を上げた。
何しろ、あの憎らしい蛮族、アメリカを十分に苦しめることが出来るのだ。
応援しようとしていた反乱勢力が根絶やしにされたとなれば、アメリカ軍は今後の作戦に大きな支障を来す事になるだろう。
敵が何も出来ないこの1ヶ月間の間に、大勢は決まる。それも、マオンド有利で。
2人はこの時、有頂天になっていた。
だから、その2秒後に響いてきた空襲警報のサイレンを聞いても、2人はしばしの間気付かなかった。
午前8時20分 グラーズレット港
「な、今何と言った!?」
グラーズレット軍港の司令官は、魔動士の言葉を聞くなり、思わず聞き返してしまった。
「ハッ!南東30ゼルドの海域より、小型飛空挺の大編隊、グラーズレットへ向けて進撃中とのことです。」
「・・・・・南東・・・・・」
司令官は、ようやく状況が飲み込めてきた。
南東・・・・そこには、陸地も何も無い。ただ、海が果てしなく広がっているだけだ。
その何も無い方角から、突然小型飛空挺の大編隊が、自然に湧き出てきた。
いや、自然に湧き出てくることはあり得ない。これは、明らかに人為的な物だ。
「敵機動部隊だ!!」
司令官は、突然叫びだした。
「我が竜母部隊は、全て東海岸に回航されている。おまけに、南東方面にはベグゲギュスが配置されているのみだ。だとすれば、
この小型飛空挺は、いつの間にか回り込んできたアメリカ機動部隊から発艦した物と見て間違いない!」
「し、しかし司令官。」
その魔動士は、いくらなんでも早計では?と言おうとしたが、
「すぐに警報を出せ!」
司令官のわめき声によって、その言葉は遮られた。
それから1分後、グラーズレット市や、その北のナルアトスに空襲警報が発令された。
いつもの穏やかな朝を迎え、のんびりと過ごしていたグラーズレット、ナルアトスの住民達は、最初は軍の演習かと勘違いした。
だが、配置に付いていた対空部隊が血相を変えて魔動銃や高射砲に弾を込めていく姿や、おっとり刀で飛び出していくワイバーン編隊を見て、
これはただ事ではないと気付き始めた。
グラーズレット軍港の上空には、既に多数のワイバーンが旋回を続けていた。
「ふむ。流石に2度目はないか。」
第1次攻撃隊の指揮官であるジェームズ・フラットレー少佐は、軍港上空を飛び回る無数のごま粒を見て、苦笑した。
彼が率いる第1次攻撃隊は、午前6時50分に第72任務部隊第3任務群の各空母から一斉に発艦した。
攻撃隊の編成は、かなり偏った形になっている。
まず、編隊の先頭を行くのは、フラットレー少佐と同じ母艦に属する、VS-6のS1Aハイライダーで、その後からは、96機のF6F、F4Uが続いている。
98機の第1次攻撃隊の中で、うち、96機がF6F、F4Uといういささか異常な編成であるが、これは事前の計画通りに出された正式な攻撃隊だ。
この攻撃隊は、TG72.3の正規空母エンタープライズ、ボクサー、レンジャーⅡ、ハンコックからF6FならびにF4U24機ずつで編成されており、
これらの戦闘機隊の任務は、1機でも多くの戦闘ワイバーンを撃墜する事である。
ファイターズスイープとして発艦した96機の戦闘機は、ようやくグラーズレットに到達しようとしていた。
「こちらエックスレイリーダー。敵編隊を発見、これより戦闘に入る。誘導機はR地点で待機しておいてくれ。」
フラットレー少佐は母艦に報告した後、全機に突撃を命じた。
空母エンタープライズ第2中隊第2小隊を率いるリンゲ・レイノルズ中尉は、無線機から流れるフラットレー少佐の指示を聞いていた。
「今から高度5000まで上昇する。しっかり付いて来いよ!」
「「アイ・サー!」」
リンゲの指示に、3人の部下は威勢良く答えた。
他の戦闘機が、胴体に吊っていたドロップタンクを切り離していく。リンゲもそれに習って、ドロップタンクを切り離す。
ガクンという音がして、機体がやや軽くなる。楕円形の燃料タンクは、微かに残っていたガソリンを送油口から吐き出しながら、海に落ちていく。
高度5000に達した戦闘機隊は、そこから大きく二手に別れた。
エンタープライズ隊、ボクサー隊は敵編隊の右側上方に、レンジャー隊、ハンコック隊は左側へ回り込もうとする。
敵ワイバーンの数は、こちらより多い。
「しめて、120から130騎あたりか。」
リンゲは、敵ワイバーンの群れを見て、やや面倒くさそうに呟いた。
敵ワイバーン隊の隊長はこちらの意図を見抜いたのか、二手に別れて上昇してきた。
「行くぞ、突っ込め!」
フラットレー少佐の声が無線機から流れる。その直後、先頭の小隊が敵ワイバーン目掛けて翼を翻し始めた。
少佐の直率する第1中隊が急降下を開始していく中、第2中隊もその後に続いた。
リンゲは、手慣れた動作で機体を左に傾ける。機首が前方からぐるりと下方に向けられる。
目の前には、5、60機はいるであろう多数の戦闘ワイバーンが、米戦闘機隊目掛けて上昇しつつある。
フラットレー機が最初に機銃弾を放つ。それを切っ掛けに、双方が光弾や機銃弾を発射する。
リンゲは、ちょうど真正面から迫ってくる戦闘ワイバーンに狙いを定めた。
距離が徐々に縮まっていく。久方ぶりの戦闘であるから、かなり緊張している。
目測で距離600まで迫ったとき、敵ワイバーンが光弾を撃った。
敵の竜騎士は腕が悪いのか、射弾はリンゲ機の右横を離れた位置を飛び去っていく。
「甘いな。」
リンゲはそう呟いてから、機銃の発射ボタンを押す。
両翼の12.7ミリ機銃6丁がドドドドド!という音を立てて、6本の火箭が敵ワイバーンに向かう。
数発が敵ワイバーンに命中した。命中の瞬間、敵ワイバーンを覆うようにして魔法障壁が展開される。
その敵ワイバーンとリンゲ機の交戦はそれだけで、すぐに通り過ぎていくが、敵ワイバーンの竜騎士は、今しがた交戦した敵パイロットの
腕の良さに衝撃を受けていた。
後続の戦闘機が、次々と敵ワイバーンとの正面対決を終えていく。
1機のF6Fが運悪く、コクピットに光弾を貫かれ、操縦士は苦痛を感じる暇もなく戦死した。
そのF6Fは、操縦者を失ったために、引き起こしをかけぬまま、砲弾のごとく海に落下する。
1騎のワイバーンは、4機のF6Fから集中射撃を受ける。4機計24丁の12.7ミリ機銃は、その高速弾を遠慮無く注ぎ込んだ。
最初の8秒ほどは、防御結界が機銃弾を弾いていたが、限界を迎えた防御魔法はすぐに破綻し、竜騎士やワイバーンに無数の12.7ミリ弾が襲い掛かる。
ワイバーンが脳天から顎にかけて3発の12.7ミリ弾を食らい、顔を吹き飛ばされ、竜騎士は4発の機銃弾を胴体に受け、体を分断された。
双方にとって不運な出来事も起こった。
1機のF6Fと1騎のワイバーンは、互いに撃ち合っている間、急速に接近した。
竜騎士とパイロットがハッとなって回避しようとした時には、既に遅かった。
F6Fの右主翼が根本から、ワイバーンの顔面にめり込む。その次の瞬間、ワイバーンは顔面を粉砕され、一瞬にして絶命する。
F6Fのほうは右主翼を丸ごと失ったため、絶望的な錐揉み状態となってパイロットを乗せたまま海に落下した。
エンタープライズ隊、ボクサー隊が敵編隊との正面対決を終えた頃には、アメリカ側はF6F4機、F4U3機を失っていたが、マオンド側も
ワイバーン12騎を撃墜された。
「ペアごとに散開する。訓練通りにやれよ!」
リンゲは、小隊を2機ずつに別れさせた。別れた2機は、互いにペアを組んで、同じく散開しつつある敵のワイバーン編隊に突っ込んでいく。
「フォレスト、いつもの要領で突っ込むぞ。」
「アイ、小隊長!」
リンゲは、2番機を務めるフォレスト・ガラハー少尉のF6Fを後ろに付けながら、空戦域に突入する。
空戦域に突入してから10秒ほどで、早速1騎のワイバーンがガラハー機に突っかかってきた。
「小隊長!俺のケツに敵さんが張り付きました!」
「ようし、ウィーブだ!俺が行くまで待ってろ!」
リンゲは、無線機の向こう側にいるガラハー少尉に言うと、愛機を宙返りさせた。
リンゲ機の600メートル後方にガラハー機がいる。その後方から500メートルの所に、1騎のワイバーンが張り付いている。
ワイバーンの竜騎士は、宙返りしているリンゲ機に気付かないのか、蛇行を繰り返すガラハー機に向かって光弾を撃ちまくっている。
敵ワイバーンは、目の前の獲物が動き回るため狙いが付けにくいのだろう、発射された光弾はガラハー機に1発も当たらない。
だが、このままではいずれ命中弾が出る。
「お客さん、上ががら空きだぜ!」
リンゲはそう言いながら、ワイバーンの姿を照準器に捉える。そして、機銃弾を放った。
その瞬間、竜騎士がはっと振り返るのが見えたが、その時には6本の火箭が降り注いでいた。
魔法防御が発動され、障壁が12.7ミリ弾を食い止める。
だが、魔法障壁はあっという間に霧散し、無数の高速弾がワイバーンの羽や胴体を、竜騎士の背中や腕を貫き、血や肉片が大気に飛沫く。
ぐらりと力なく傾いた敵ワイバーンは、血煙を噴きながら墜落していった。
リンゲがガラハー機の前方に出ようと、一旦は下方に飛び抜け、すぐに上昇に入ろうとしたとき。
「小隊長!2時の方向に敵騎!!」
ガラハー少尉の警告が耳を打った。すかさず操縦席の左斜め上を見上げる。
そこには、見事な態勢で急降下しつつ、リンゲ機に突進してくる1騎のワイバーンが居た。
「くそったれ!」
彼は罵声を上げながらも、咄嗟に機を右に捻った。
ワイバーンの光弾が何発か、操縦席を掠めて飛び去る。ガン!ガン!という音と振動が機体に響き、揺さぶられた。
ワイバーンがリンゲ機の下方に飛び抜ける。リンゲはすぐに機体の態勢を立て直し、上下左右に視界を巡らせる。
一瞬だが、機体の右側下方から上昇してくるワイバーンを見た。
「俺をとことん追い回すつもりだな。」
リンゲはそう確信しながら、愛機を左旋回させる。
「小隊長、今行きますからそのまま落されないで下さいよ!」
無線機にガラハー少尉の声が飛び込んできた。
リンゲの窮地を察して、救援に向かおうとしているのだろう。
(フォレストの気配りに感謝したいところだが、敵との距離が近いからあと1回か2回は撃たれそうだな)
彼は、心中で呟いた。
敵との距離は500メートルと離れていない。
通常の航空機ならば、速力の関係で旋回半径に難があるであろうが、機動性が航空機と比べて隔絶しているワイバーンでは、そのような心配は無く、
後ろに飛び抜けたと思ったら急に方向転換を行って、航空機が態勢を立て直す前に襲い掛ってくる事もある。
リンゲ機を狙ったワイバーンもまた、下降から上昇に転じる際に素早く方向を変え、リンゲ機の後ろ下方から食い付こうとしていた。
リンゲは、スロットルを思いっきり開き、最大速力で距離を置こうとする。
彼の乗るF6Fは、今年3月にロールアウトしたばかりのF6F-5と呼ばれる最新鋭機で、速力は最初に乗っていたF6Fと比べて612キロと、
やや上昇している。
いきなり増速し始めたヘルキャットを見て、竜騎士は逃がさぬとばかりに、敵機目掛けて光弾を撃たせる。
同時に、ワイバーンもまた増速し始めた。
マオンド側の主力ワイバーンであるナンヘグドは速力が578キロと、ヘルキャットと比べて遅い方だが、それでも2、30キロ程度の範囲内であり、
増速を始めたヘルキャットとワイバーンの距離は全く変わらなかった。
またもやガン!という衝撃音が機体を揺さぶる。
「畜生、早速追い回される事になろうとは!」
リンゲは、自分の運の無さにいささか呆れたが、そのような思いすらさせぬとばかりに、新たに2発がヘルキャットの胴体を叩く。
速力計は既に590キロを指しているが、敵ワイバーンはなかなか離れてくれない。
バックミラーに写る敵ワイバーンは、まるで嬲るように光弾を放ってくる。
リンゲは宙返りで敵のバックを取ろうと思い、操縦桿を引きかけた。
だが、それをする必要はなかった。
敵ワイバーンがサッと後ろから離れた。ワイバーンが避けた直後、その空域目掛けて機銃弾が殺到してきた。
ワイバーンは、突然の襲撃に慌てたのか、早々と逃げてしまった。
リンゲ機の後方と、影が通り過ぎる。それは、彼の2番機であるガラハー少尉のヘルキャットであった。
敵機を追い払ってくれたガラハー機が、リンゲの右斜め後方にやって来た。
「小隊長、遅れてすみません。怪我はありませんか!?」
ガラハーは、慌てた口調でリンゲに言う。
「大丈夫だ。5、6発食らったが機体も俺も、共に異常なしだ。」
リンゲは元気のある口調でガラハーに返事した。
「ふぅ、良かった。敵さんは小隊長に向かって派手に光弾を撃ち込んでいましたから、いつ落されるか心配でしたよ。」
「俺としたことが、とんだミスだったよ。休みすぎて鈍ってしまったかもしれん。」
リンゲは苦笑しながら言った。
「だが、これでスッキリとしたよ。5、6発食らった分、かえって調子が良くなったぜ。」
彼はそう言いながら、左手に見える空戦域に視線を移した。
リンゲとガラハー機は、敵ワイバーンと戦っているうちに空戦域から抜け出してしまったようだ。
「フォレスト、今度は派手にぶちかますぞ。」
「OKです。どこまでもお供しますよ。」
ガラハーの返事に気をよくしたリンゲは、愛機を再び加速させて、空戦域に飛び込んでいった。
第2次攻撃隊がグラーズレットに到達したのは、時計の針が午前9時20分を回ってからの事だった。
第2次攻撃隊の指揮官を務める空母エンタープライズ艦爆隊長ロバート・スキャンランド少佐は、軍港上空にたむろしている敵ワイバーン編隊を見て眉をひそめた。
「1次の連中は、敵機を大量に撃墜したとか抜かしていたが、敵さんはまだうじゃうじゃ居るじゃねえか。」
「別の飛行隊が駆けつけたかもしれませんぜ。」
後部座席の銃手であるジム・タジサル兵曹がスキャンランド少佐に言った。
「ここは敵の重要拠点です。俺達が把握している飛行場とは別の飛行場があってもおかしくはありませんよ。」
「それもそうだな。最も、俺達にも戦闘機の護衛は付いているがね。」
スキャンランド少佐はそう呟いて、内心に生まれた腹立たしさを払った。
第2次攻撃隊は、空母エンタープライズからF6F12機、SBD24機、TBF18機、ボクサーからF4U18機、SB2C24機、TBF16機、
レンジャーからF4U18機、SB2C18機、TBF18機、ハンコックからF6F16機、SB2C24機、TBF16機、計226機で構成されている。
その内、F6F1機とSB2C3機、TBF3機が不調のため引き返したため、今は219機に減っている。
この大編隊は、第1次攻撃隊の発艦から30分後に、南東200マイル離れた母艦から飛び立った。
制空隊のF6F、F4Uが攻撃隊から離れ、港の前方で待ち構える敵ワイバーン編隊に突っ込んでいく。
「頑張れよー!」
タジサル兵曹が、増速して離れていく戦闘機隊に向かって声援を送る。
空中戦は、早くも乱戦となった。
敵の戦闘ワイバーンは4、50騎しかいなかったため、ほぼ同数の制空隊の猛攻の前に、艦爆、艦攻に近付くことは困難だった。
直角の多いヘルキャットや、湾曲した翼のコルセアが、怪異な姿の戦闘ワイバーンと渡り合っている間、艦爆、艦攻は何ら妨害を受けることなく、
悠々とグラーズレット港へ近付きつつあった。
そう間を置くことなく、グラーズレット港が見えてきた。
「見えた、グラーズレットだ。」
スキャンランド少佐は、眼下に見えるグラーズレット港と、その町並みをしばし凝視する。
軍港には、多数の船舶が停泊しているが、12、3隻ほどの船が慌てふためいたように港から出て、外海に逃れようとしている。
その隣の泊地にも、同様に多数の船舶が停泊しているが、こちらは1隻の船も動いていない。
(恐らく、左の港が軍の管理下にある港だな)
スキャンランドはそう確信した。
彼は指示を与えるべく、無線機に向かって言葉を紡ぎかけたが、はっとなってそれを止めた。
(そういや、ここから14マイル離れた位置にも町があると言っていたな。スパイからの情報によれば、その町の周囲にも軍事施設があると報告されている。
俺達の任務は、出来るだけ派手に暴れ回ることだから、ここは挨拶の為に、ナルアトスという町をご訪問する事にしよう)
彼は心の中でそう決心すると、各部隊に指示を送り始めた。
「エンタープライズ隊、ボクサー隊はナルアトス周辺の軍事施設を爆撃する。レンジャー隊、ハンコック隊はグラーズレット港を攻撃しろ。」
スキャンランドの命令に従って、編隊の約半数近くが、グラーズレット港に向かっていく。
真っ先に狙われたのは、港を脱出して外海に逃げようとしていた6隻の駆逐艦、輸送艦であった。
この6隻の艦を狙ったのは、空母ハンコックに所属する22機のヘルダイバ-であった。
22機のヘルダイバ-は5つの小編隊に別れるや、思い思いの方向から急降下を開始した。
襲い掛るヘルダイバ-に対して、マオンド軍艦艇は必死に対空砲火を打ち上げる。
だが、この応戦も殆ど意味を成さなかった。
6隻の艦艇に、次々と爆弾が降ってきた。1隻の駆逐艦が後部甲板に1000ポンド爆弾を食らった。
艦尾に命中した爆弾は舵機室を粉砕し、操艦能力を一瞬にして奪ってしまった。
輸送艦が、1000ポンド爆弾2発を食らってしまった。装甲の殆ど施されていない艦体には、たった2発の爆弾でも致命的であった。
6隻中、爆弾を食らった艦は4隻にも及び、そのうち2隻が早くも沈み掛けていた。
港外に脱出した艦を襲った悲劇は、やがて港をも襲い始めた。
グラーズレット軍港の艦艇や施設が片っ端から銃爆撃を受けている中、スキャンランド少佐の率いるエンタープライズ隊とボクサー隊は、
12機のF4Uを護衛に付けたままナルアトスの上空に到達した。
「ほう、これがナルアトスか。中世ヨーロッパで見られるような城塞都市だな。」
スキャンランド少佐は、その古めかしい町に対して、そのような印象を抱いたが、彼は町の中心部に一際目立つ建物がある事に気が付いた。
「隊長、町の中心部に鮮やかな灰色の建物がありますよ。」
「ああ、俺も見ている。こりゃちょっとでかそうだな。ニューヨークにあるヤンキースタジアム並みの大きさかもしれん。」
スキャンランド少佐は、初めて見るその巨大建造物に、自然と美しいなと感じていた。
「そいや、ナルアトスには、マイリー共の間で流行っている宗教の総本部があるとブリーフィングで言われていたな。」
「教会の敷地内は非武装地帯だから爆撃するなと、飛行長が言っていましたね。」
「そうだったな。ひとまずは、あの城塞都市の左右にあるマイリー共の軍事基地を叩くとするか。」
彼はそう言うと、付いてきたボクサー隊に、ナルアトスの西側にあるワインバーン基地と駐屯地の爆撃を命じ、エンタープライズ隊にはその東側の
軍事施設を爆撃する事にした。
異変が起きたのは、エンタープライズ隊が高度4000でナルアトス市の真上を通り過ぎようとしたときである。
いきなり、高射砲弾がエンタープライズ隊の周囲で炸裂し始めた。
「な、何だ!?」
突然の出来事に、歴戦の艦爆乗りであるスキャンランドもこの時ばかりは仰天した。
「第2小隊3番機被弾!」
第2中隊長機から悲鳴のような声が上がった。編隊の周囲には次々と高射砲弾が炸裂している。
スキャンランドのドーントレスにも高射砲弾の破片が当たり、機体に聞きたくもない金属音が響く。
「どこから撃ってきている!?」
スキャンランドは慌てた口調で、マイクに向けて言った。
「た、隊長!砲弾は真下から放たれています!」
「真下?もしかして、マイリー共の城塞都市からか!?」
「はい!敵の高射砲は、町の中心部から放たれています!」
町の中心部・・・・・
その言葉を、心中で反芻したスキャンランドは、そこに何があるのかが分っていた。
「まさか、マイリー共は教会の敷地内に対空陣地を作ったのか?」
スキャンランドは、信じられないと言った表情で呟いたが、レシーバーに新たな被弾機発生の報告が入った。
その時、スキャンランドは顔を真っ赤に染め上げ、怒鳴るような声音でエンタープライズ隊の全機に命じた。
インリク国王は、大聖堂の端にある監視用の櫓から、被弾し、墜落していくアメリカ軍機を望遠鏡越しに見ていた。
「うむ。これは凄い。」
側に立っているスンタウナが、興奮して浮ついた声音で呟いている。
「あの憎らしいアメリカ軍機が、蝿のごとく落ちていきよる。それ、どんどん落ちろ!」
スンタウナは、サディスティックな笑みを浮かべた。
「総本部の戦闘員は、殊更優秀な者を集めただけあって、対空戦闘にも手慣れているようですな。」
「陛下、確かに彼らは優秀ですが、実戦はこれが初めてですよ。しかし、流石はルビン・グレイズの精鋭。対空戦闘開始から僅か2分足らずで2機を落すとは。」
スンタウナは自慢気な口調でインリクに言った。
「この調子で、教会の聖なる空を飛び回る蝿共を、片端から叩き落として貰いたい者です。」
彼は、まるで歌っているかのような調子でそう言った。
だが、彼は知らなかった。
今、相手にしている飛空挺の集団が、太平洋戦線で幾多もの海空戦を戦い抜いてきた精鋭空母の航空隊であることを。
そして、彼らがマオンド側の“だまし討ち”に激怒し、その矛先を変えたことも。
唐突に、敵編隊の動きが変わった。
そのまま本部教会の敷地上空を通り過ぎようとしていた敵編隊は、急に翼を翻し始めた。
「な、何だ!?」
敵が起こした不可解な動きに、インリクとスンタウナは驚きの声を上げた。
すぐに、敵機の狙いが読めた。
「奴ら、周囲の業務施設を狙っている!!」
インリクは呻くような口調で言った。業務施設とは、大聖堂の周囲にある5つの白い建物の事だ。
この建物には、協会本部の各部署が分散して配置されていたが、対空部隊はこの施設にある塔の頂部や周囲にも高射砲、魔動銃を配置していた。
大聖堂にも高射砲と魔動銃は配備されており、教会直属の戦闘員が、急降下を始めた米艦爆に向けて必死に撃ちまくっている。
やがて、周囲に米艦爆が発する特有の甲高い轟音が鳴り始めた。
高射砲や魔動銃の射撃音が、この甲高い轟音に負かされているのか、今では頼りなさ気に聞こえる。
インリクは、3機の米艦爆が、櫓から200メートル後方の業務施設に向けて急降下していくのを凝視していた。
対空部隊は魔動銃も総動員して狂ったように撃ちまくるのだが、敵に気圧されているのか全く当たらない。
「ええい、何している!蝿共なぞさっさと蹴散らしてしまえい!」
スンタウナが苛立ったように喚き散らす。先ほどまで浮かべていた人の良さそうな笑顔は綺麗さっぱり消え失せ、今では悪鬼さながらの形相を顔に表していた。
(あれは、蝿なんかじゃない。)
インリクは、内心でスンタウナが言った言葉を否定した。
(あのアメリカ軍機は、まさに猛禽類そのものだ。)
彼が心中で確信した時、米艦爆の先頭が、胴体から黒っぽい物を切り離した。
ここでようやく、米艦爆の姿がはっきり見えた。前半分はやや太く、後ろ半分は意外とほっそりしている。
(あれは、以前、絵で見せて貰ったドーントレスという奴だな)
インリクは、そのアメリカ機の特徴からして、ドーントレスと呼ばれる機体である事が分った。
箱状の白い業務施設に爆弾が当たった。その1秒後に業務施設の屋上から火柱が上がり、3階と2階部分の窓ガラスが吹き飛んだ。
身の危険を感じたインリクは、咄嗟に床へ伏せた。
ダァーン!という轟音が鳴り響き、櫓がぐらぐらと揺れ動いた。次いで、櫓の天井にカラカラという何かの破片が降り注いでくる音が聞こえた。
艦爆隊の爆撃は正確であった。
5つあった業務施設は、22機のドーントレスによって片っ端から爆弾を叩き込まれた。
南西側にあった業務施設は、地下室が対空部隊の弾薬庫となっていたため、命中した1000ポンド爆弾は大量の弾薬を誘爆させ、頑丈な石造りの
業務施設を木っ端微塵に吹き飛ばしてしまった。
残り4つの業務施設は多少マシな状態であったが、それでも内部は爆発した複数の1000ポンド爆弾によって目茶苦茶に破壊され、火災を起こしていた。
ドーントレスの集団が去っていった後、周囲は静かになった。
「・・・・・・」
インリクは顔を上げると、背中についている木屑や意志の破片を払った。
「へ、陛下、ご無事で!?」
一足先に起き上がったスンタウナが、インリクの体に付着している土くれを払ってくれた。
「しかし、酷い空襲だったな。」
インリクが、険しい口調でそう言った直後、急にヒューという音が聞こえた。
「今度はな」
スンタウナが言いかけた時、突然連続した爆発音が聞こえ、大地が幾度も揺れた。
彼らは知らなかったが、この時、アベンジャー隊は高度2000メートルから大聖堂を狙って、各機3発ずつの爆弾を投下していた。
指揮官機スキャンランド少佐は、真下の教会を即座に敵対しているマオンド側の偽装軍事施設として爆撃する事を決め、ドーントレス隊のみならず、
アベンジャー隊にも攻撃を命じていた。
18機のアベンジャーから放たれた74発の500ポンド爆弾は、風の影響で投下コースが逸れ、大半が敷地内の石畳の道や芝生を抉っただけであったが、
3発が大聖堂に、6発が炎上している業務施設に命中した。
屋上に命中した爆弾は、その分厚い石造りの装甲を貫く事は出来なかったが、布陣していた高射砲や魔動銃の半数を破壊し、戦闘要員の大半を戦死させた。
1発の爆弾は薄い側壁を貫通して、2階の導師室で炸裂し、爆風は無人の室内や、左右の部屋になだれ込み、滅茶滅茶に破壊した。
すぐ近くに落下した至近弾は大聖堂の側面に傷を付け、一部の破片はステンドグラスをたたき割って、無人の聖堂内を跳ね回って装飾品や儀式用聖剣や
貴重な皮紙の多数を引き千切るか、粉砕した。
インリクは、自分が生きていること事態奇跡と思っていた。
爆弾は、彼らがうずくまっていた櫓のすぐ側で炸裂した。
彼はすぐに死を覚悟したが、頑丈な櫓が土砂や破片を受け止めてくれたお陰で、傷一つ負わずに済んだ。
「・・・・大導師殿、大丈夫ですか?」
インリクは、側で呆然としているスンタウナに声を掛けた。
スンタウナは、緩慢な動きでインリクに顔を向けた。インリクは、スンタウナの顔を見て、こんなに老けた顔をしていたか?と思った。
「陛下・・・・アメリカ軍は、ここしばらく・・・・最低1ヶ月は何も出来ぬと、先ほどおっしゃっていたではありませんか。なのに、敵は堂々と
主要都市であるグラーズレットにやって来ましたぞ。」
スンタウナは虚ろながらも、憤りの含んだ声音でインリクに言った。
「これは、どういう事でありますか?」
「考えられる点は1つだけだ。敵は、こちらが予想だにせぬ勢いで戦力を復旧させた。」
「戦力の復旧・・・・・そんな、敵は空母戦力の大半を失うか、傷つけられてまともな作戦が出来ないと言っていたはずなのに。
それを短期間で出来るはずが。」
「いや、アメリカという国は、どうやらそれが可能のようだ。戦力を復旧させるには、損傷艦を急ピッチで修理させるか、あるいは予め取って
おいた戦力を回すか、このどちらかしかない。どちらにしても、これは相当な懐を持つ国でないと出来ない相談だ。私が思うに、アメリカは
それをやってのけたのだろう。」
スンタウナは、がくりとうなだれた。
「そんな・・・・非常識すぎる。神をも恐れぬならまだしも、常軌を逸した国力を持つとなると・・・・・もしかして、我々は戦ってはいけない相手と」
「言うな。」
インリクは、スンタウナの言葉を遮った。
「大導師殿。その先の言葉は、どうか胸の奥にしまってくれ。」
午後4時20分 スィンク諸島ユークニア島南沖10マイル地点
「長官、TG72.3より報告です。我、第3次攻撃隊の収容完了。尚、午後2時よりマオンド軍航空部隊の空襲を受けるも、損害軽微なり。
これより帰投す、であります。」
第7艦隊司令長官オーブリー・フィッチ大将は、通信参謀の言葉を聞いて、深く頷いた。
「マレー少将は派手にやったな。一時的とは言え、エンタープライズを指揮出来たのが励みになったかもしれんな。」
グラーズレット空襲部隊であるTG72.3からは、絶えず報告が送られてきた。
午前8時20分には、第1次攻撃隊の戦闘開始の報がオレゴンシティに入ってきた。
時計が午前9時20分を指した時には、主力攻撃隊である第2次攻撃隊から相次いで報告が入った。
「我、脱出中の敵艦船を爆撃、4隻を撃沈破せり。」
「敵軍港の対空砲火熾烈なれども、爆撃効果は甚大なり。」
「ナルアトス市周辺、並びに市街地中心のマオンド軍施設を爆撃、効果甚大。」
作戦室には、このように攻撃隊の途中経過や戦果報告が次々に入ってきた。
その一方で、ヒヤリとした場面もあった。
順調に攻撃隊を送り続けたTG72.3だが、その強運も長くは続かず、午後2時頃にマオンド軍ワイバーン部隊の空襲を受けた。
被害報告の中で、新鋭空母であるハンコックに爆弾命中、火災発生という言葉が飛び出したとき、作戦室内の空気は一瞬にして凍り付いた。
だが、その後の報告で、ハンコックの被害は小破程度で、大事に至らないと判明したときには、フィッチを始めとする幕僚達は、ホッと胸をなで下ろした。
その直後に第3次攻撃隊の戦果報告が入り始め、TG72.3はグラーズレット軍港、並びにナルアトスの軍事施設に相当の打撃を与えた事が分った。
「グラーズレットは、確か前にも空襲を受けていたな。」
フィッチは、通信参謀に話しかけた。」
「ええ。あの時は、空母イラストリアスから発艦した12機のソードフィッシュが上手く立ち回りました。」
「前回は12機。今回は、それを遙かに上回る400機以上の艦載機が、白昼堂々大都市を襲った。もし、マオンド側の住民に何らかの情報操作が
成されていたら、TG72.3の大空襲は計り知れないショックを与えたはずだ。」
フィッチは苦笑しながら言葉を続けた。
「私ならこう思うだろうな。国は、敵が近付けないと言っていた。なのに、敵は堂々とやってきては、好き放題に暴れ回った。近付けないはずの敵が、
どうしてここにいるのか?もしかしたら、我々は本当の事を知らされていないのでは?とね。」
フィッチはそう言い放つと、側に置いていたコーヒーを飲み干した。
「とにもかくも、我々は目覚まし時計のベルを鳴らした。後は、計画通り進むだけだ。」
1484年(1944年)5月18日 午前7時 マオンド共和国グラーズレット
宗教。それは、人間が生み出した産物である。
人間は、宗教が誕生して以来、それを崇め、祈り、そして信頼してきた。
宗教という物は、時には信ずる者の糧となる。それをきっかけに成功した者は、口々に神へ感謝の言葉を送り、
更に信頼を深めていく。
人にとって、宗教とは最良の薬にもなり得た。
だが、薬は、時として毒にもなり得る存在だ。
宗教とて同様。大元の基本原理が、目も当てられぬほど過激な物は、その時点で命運は決する。
また、正統で、清純な筈であった教えも、主導する者が次第に大きく道を踏み外していけば、主導者を神の代理人として
信ずる者達もまた、それに影響され、次第に盲信に囚われていく。
現世界の地球で散々繰り返された、宗教の光と影を象徴する出来事。
それはまた、この異世界でも何ら変わらなかった。
マオンド共和国国王ブイーレ・インリクが、目的の場所に到着したのは、午前7時を回ってからの事だ。
インリク国王は、馬車の窓からそれを見つめるなり、感嘆したような表情を浮かべた。
「ナルアトスの本部教会は、いつ見ても荘厳だなぁ。」
彼が見つめている建物は、灰色一色に覆われた巨大建造物であった。
グラーズレットから北に7ゼルド離れた位置には、ナルアトスという中規模の町がある。
ナルアトスは、古来から2つの側面を持つ町として知られている。
1つは軍事都市と言う側面だ。
ナルアトスは、昔から幾度も戦われた戦争で城塞都市として使用されており、町の周囲は高い防壁で覆われている。
町の中には、一般住宅に紛れて地方の担当軍区の司令部や軍団司令部が設けられ、郊外には軍の駐屯地やワイバーン危地が点在している。
対米戦が開始されてからは、元々グラーズレットに置かれていた担当軍区の司令部がこのナルアトスに移動し、駐屯部隊の
兵員や防空用の対空兵器が増えたことで、町全体がかなり物々しくなっている。
もう1つの側面は、宗教都市という物である。
このナルアトスは、ナリュアニス教の発祥地で、教会の本部が町の中心部に置かれている。
ナリュアニス教は、マオンドという国がまだ生まれる前のセイレ歴101年に誕生した宗教で、レーフェイル大陸では最も古い宗教として
この世界では知られている。
基本原理では、人類の優秀性を強く表しているが、その一方で、獣人等の亜人類を邪悪とみなし、聖典の一文には
「獣人等の汚らわしき蛮族共は浄化されて然るべき」
と書かれている。
この極端な基本原理は、ナリュアニス教創設時に、レーフェイル大陸を覆っていた混乱状態が大きく影響していると言われているが、
つい最近発行された聖典には、この一文は削除されている。
だが、獣人等の亜人類を見下す姿勢は変わっていない。
とは言え、ナリュアニス教はレーフェイル大陸、特にマオンド全土に広がっており、国民の大半は、ナリュアニス教に何らかの形で関わっている。
馬車が本部教会の正面前で止まると、10人ほどの信徒が入り口の前で待っていた。
10人のうち、1人は赤と紺色の教団支給の導衣を身に付け、残り9人は上下とも紺色一色の修道服を身に纏っている。
赤と紺色の導衣を付けたしわ顔の男が馬車の側にまで寄ると、ドアをゆっくり開けた。
「国王陛下。お待ちしておりましたぞ。」
「おお、これはスンタウナ大導師殿。お出迎えありがとうございます。」
インリク国王は、目の前にいるスンタウナ大導師に感謝の言葉を送りながら、馬車から降りた。
「遠い所からよくぞ来られましたな。ささ、どうぞ。我が家と思って存分に寛いでください。」
「はは、これはどうもありがとうございます。」
2人の男は、互いに笑みを浮かべながら、石畳の正面通路を入り口に向かって歩いていった。
入り口の大きな扉が開かれると、本部教会の大聖堂が見えた。
「ううむ。何度見ても、この大聖堂には驚かされますな。」
インリクは、目の前に広がる円形の大聖堂を見るなり、感動したように言う。
「ここは、信徒達が、体に付いた日常の汚れを清める場所ですからな。その口ぶりからして、陛下も大分、ご政務で苦労されているようですな。」
「ええ。ここ最近は、色々ありましたからなぁ。」
スンタウナ大導師の問いに、インリク国王は苦笑しながら答えた。
彼は、スンタウナ大導師と共に、本部教会やその周囲の関連施設を見回った後、ようやく一息つくことが出来た。
インリク国王がスンタウナ大導師の私室に入ったのは、午前8時を回ってからの事だ。
「いやぁ、ここは相変わらず大きいですな。一回りするだけでも、大変ですよ。」
「それは、私とて同様です。50を超えた今となっては、若い頃には苦もなく出来た仕事がいまいち出来なくて、しばしば閉口しますよ。」
スンタウナは自嘲気味に呟いた。
スンタウナ大導師こと、ロゴスノ・スンタウナは今年で56歳を迎える。
顔には皺が寄っており、目付きはどことなく穏やかで、傍目から見ればそこらにいる人の良いおじさんといった出で立ちだ。
頭は頭頂部が禿げ上がっているが、本人は全く気にしていない。
(この人の良さそうな男が、ナリュアニス教・・・・別名、破壊の教団を統べる実力者とは、世の中は不思議な物だ)
インリクは、伸びた白い顎髭を撫でながらそう思った。
ロゴスノ・スンタウナがナルファトス教に入信したのは、彼が11歳の誕生日を迎えて3ヶ月目を迎えた時である。
彼は元々、スンタウナという名字ではなく、タドウルノという姓名を持っていた。
ロゴスノ・タドウルノは、元々エンテック帝国の人間であったが、両親をモンスターに殺されてからは、親戚の手引きで弟と共にマオンドに移住した。
彼は、ナルファトス教の教義に感銘を受け、弟と一緒に入信した。性名を変えたのはその時である。
入信したロゴスノは、修行に耐えながらも着実に力を付け、30歳を迎えた年には、教団の戦闘部隊(ナルファトス教が独自に保持している軍のような物)
の中で5本の指に入る指揮官になった。
だが、その年に、同じ戦闘部隊に属していた弟が、ハーフエルフの返り討ちに遭って命を落としてから、ロゴスノは敵対する魔族の他に、ハーフエルフ、
ホビット、獣人といった亜人種達にも激しい憎しみを抱くようになった。
ロゴスノは、唯一の肉親である弟の死に悲しみながらも、順調に出世の街道を上っていった。
マオンド共和国がレーフェイル大陸統一に乗り出した時、ナルファトス教もまた、各地を浄化し始めた。
マオンドが大陸統一を開始したとき、ロゴスノは教団で6人しかいない導師の1人となっていた。
ナルファトス教が行った被占領地での“浄化”は苛烈を極めた。
ロゴスノもまた、配下の戦闘部隊を使用して、マオンド軍の占領政策に貢献したが、異教徒狩りや亜人種狩りは、ロゴスノが担当したエンテック、
レンベルリカで盛んに行われ、他の導師が携わった同様の活動と比べても、ロゴスノのそれは群を抜いていた。
後に、ウェルバンル軍事裁判で明らかになった、レーフェイル大陸統一時にナルファトス教によって“浄化”された犠牲者の数は、500万とも
1000万とも言われているが、戦後数十年が経っても正確な数は分らなかったほど、犠牲者の数は多すぎた。
この一連の功績のお陰で、ロゴスノは1479年12月に、前大導師トラムファクトから正式に後継者として任命され、信徒5000万、
戦闘部隊20万を統べる大教団の長となった。
過去数十年に渡って、幾万もの邪教徒を狩り立て、その容赦のないやり方から、破壊の教団と揶揄されたナルファトス教。
その一因を作り上げた男、ロゴスノは、自分の成した所行を全く悔いていない。
悔いるどころか、むしろ成すべき事を成し遂げたという満足感すら感じていた。
「先ほども申しましたが、陛下もご政務でかなり苦労されているようですな。」
「ええ。精神的に、参る所がいくつかありましたからね。」
「原因はやはり。」
インリクは、ゆっくりと頷く。
「はい。西の蛮族、アメリカのせいです。かの国が現れて以来、我がマオンドは幾度も苦杯を舐めさせられています。」
「しかし、4月の一連の戦闘では、アメリカ軍にも相当な被害を与えたようですな。」
「ええ。海軍からの報告によりますと、少なくとも敵の空母を2隻ないし、3隻ほど沈め、その他の空母や艦艇にも損害を与えたようです。
この結果、アメリカ軍は、少なくとも2ヶ月か3ヶ月程度は、このレーフェイルに近付けぬであろうと判断されております。ここに来て、
ようやく、アメリカも我が国の真の力を思い知ったことでしょう。」
インリクは、自信ありげな口ぶりでスンタウナに言った。
「ところで、大導師殿。」
彼は、口調を変えてスンタウナに質問する。
「先ほど、一通りこの本部教会と関連施設を見て思ったのですが・・・・何と言いますか、大分物々しくなっておりますな。」
「私がやらせたのですよ。」
スンタウナはニヤリと笑みを浮かべた。
「予想される蛮族共の襲撃に備えるためには、対空用の兵器が必要です。だから、主要箇所には対空陣地を巧妙に配置しております。」
ナルファトス教本部教会や、その周囲を取り囲む関連施設には、教団側が直々に買い取った多数の対空兵器が配備されていた。
高射砲20門、魔動銃120丁が、この本部教会の敷地内に各施設に渡され、いつ来るか分らないアメリカ軍機に備えている。
「我々は、外敵に対しては常に積極的な対応を取っております。それは、未知なる敵アメリカとて同様。アメリカ人共の乗る飛空挺が
やって来るのならば、我々は戦って討ち取るのみです。」
「いやはや、実に頼もしい物だ。」
インリクは微笑みながら言った。
「マオンドを影で支えてきたあなた方ナルファトスの元気を、私の臣下達にも分けてあげたいぐらいですな。」
「何を言われますか。私は、ナルファトス教を統べる者として、当然の事を申し上げているだけです。」
スンタウナは苦笑しながら、インリクに謙遜の言葉を返した。
「影の王とまで言われたお方にしては、少々控えめな物言いですな。」
「いえ、そんな大それた渾名は私には似合いませんよ。しかし、アメリカは当分問題ないとして、厄介なのは各地で起きた反乱騒ぎですな。」
「ええ。あれは実に始末が悪い。」
スンタウナの口から反乱騒ぎに関する話が出ると、インリクは忌々しげな表情を浮かべた。
「エンテック方面とルークアンド方面の反乱騒ぎは既に鎮圧しましたが、ヘルベスタン方面とレンベルリカ方面の反乱は、まだ抑え切れて
いません。特に、レンベルリカ方面の反乱勢力は、他の地域と比べかなり大きく、鎮圧軍が何度か攻勢に出ているのですが、タラウキントの
堅城の前に何度も攻略を阻まれています。」
インリクから聞いた一連の報告は、教団側が放ったスパイによって既に聞き及んでいるが、事態は思いのほか進展していないようだ。
マオンド軍は、これまでに3度、エンテックの反乱軍の拠点であるタラウキントを攻撃しているのだが、敵に優秀な軍師がいるのか、
マオンド軍の攻撃は悉く撃退されていた。
この3度の攻勢で、マオンド軍は戦死者18018人、負傷者31212人を出し、実質的に1個軍団分の兵力を失った。
だが、守備軍側も損害を避けることは出来ず、マオンド側の推計では、戦死傷者3万名に上ると言われている。
相次ぐ攻勢失敗に痺れを切らしたマオンド軍上層部は、増援部隊としてヘルベスタン領から1個軍の陸軍部隊を、レンベルリカ方面に投入する事を決めた。
「ヘルベスタンの反乱側も、意外に粘り強いものでして、僅か10万規模の部隊にしては、我が軍30万を相手に良くやりますよ。」
「ヘルベスタンの反乱勢力は、確か軍の一部が加わっているようですな。」
「はい。元々、エルケンラード周辺を防備していた1個軍団規模の軍勢です。こいつらのお陰で、ヘルベスタンの反乱勢力はなんとか持ち堪えて
いますが、それも時間の問題でしょう。」
インリクはそこまで言うと、急に語調を変えた。
「しかし、時間が掛かりすぎるのは良くない。そこで、私はある方法を思いついたのです。」
「ある方法?」
スンタウナは怪訝な表情を浮かべながら聞き返した。
「はい。軍と、あなた方教団が共同で研究している例の物を一気に投入するのです。」
「まさか・・・・陛下は、生物兵器を大量に投入するおつもりですか?」
スンタウナは、冷静な口調でインリクに尋ねた。
「そうです。」
インリクは即答した。
「必要ならば、不死の薬も使えばよろしいでしょう。アンデッドの集団が大量に出来てしまいますが、そこはワイバーンのブレスなり、
爆弾の大量投下なり、大規模攻勢魔法の使用なりで解決できます。」
「陛下は、反乱側勢力と、それに荷担する住民を、完全に消し去ろう、と思われているのですか?」
「そうしなければ・・・・また我がマオンドに刃向かう者が出て来る。このレーフェイルを再び平和にするには、こうして仮借無い行動で、
全国民に訴えるしかありません。マオンド本国8000万、属国4000万の民に思い知らせるには、これしか方法が無いと、私は思っています。」
「・・・・・陛下のやり方では、反乱軍とその住民のみならず、関係の無い物達にまで犠牲が及ぶかもしれませんぞ。」
スンタウナは、インリクに対して注意するが、その顔には、引きつった笑みが浮かんでいる。
「構いませんよ。被害を受けるのは属国だ。特に、汚らわしい獣人達が何人死のうが我がマオンドの知ったことではない。属国が滅んだところで、
我々マオンド人が入れ替わって統治すれば良いだけです。ただ、今は立場上、それをやったらシホールアンルやその他の国に文句を言われかねぬから、
属国の現地民を残して使うしかない。」
インリクの表情に影が宿る。
「しかし、反乱側を全滅させ、それに現地人が100万単位で失われる事は、許容範囲内です。もしかしたら、後処理にはあなた方にも、お手伝いを
お願いするかもしれませんぞ。」
「その時はよろしくお願いしますよ。」
スンタウナは、愉快そうな笑みを浮かべつつ、インリクに言う。
「しかし、反乱軍を抑えても、今度はアメリカとやらが攻めて来るのではありませんか?特に、アメリカは我々にはない、高性能の大型飛空挺を
多数有しているとか。」
「なあに、心配には及びますまい。飛空挺がやってきて爆弾を落したところで、被害はさほど上がりませんし、ユークニア島から極めて限られた範囲内
でしか、敵の爆撃機は行動できません。また、爆撃は出来ても、軍隊が上陸せねば意味はありませんからな。いずれ、我が軍が力を取り戻した時には、
スィンク諸島から叩き出してやりますよ。」
インリクはそう言った後、高笑いを上げた。
「うむ、実に頼もしいですぞ。国王陛下。」
スンタウナもまた、満足した表情で頷いた。
「では、我が教団独自で管理している施設の生物兵器もお渡ししましょう。投入できる戦力は多いほど良い。」
「助かります。これで、反乱側勢力を根絶やしに出来るでしょう。」
「あと1,2ヶ月は、アメリカは目立った動きは出来ない。その間、反乱側を鎮圧出来れば、レーフェイル大陸中の臣民に思い知らせることが出来ます。」
「それだけではない。アメリカ側にも、少なからぬ影響を与えるでしょう。」
インリクは付け加える。
「反乱側の動向が気になっているのは、何も我々だけではないでしょう。スィンク諸島のアメリカ軍も、血眼になって反乱側を支援しようとしている
はずです。シホールアンル戦線と違って、この戦線では、アメリカは同盟国がおりません。ここで頼りになりそうなのは、ほんの一握りにしか過ぎない
反乱勢力でしょう。これを潰せば、アメリカはほぼ単独で、我が国と立ち回らなければならない。」
「奴らは、きっと後悔するでしょうなぁ。」
スンタウナは、心底愉しげな笑みを浮かべながら言った。
「この1ヶ月間の間、何の行動もしなかった自分達の不甲斐なさに。」
彼は、インリクと共に高々と笑い声を上げた。
何しろ、あの憎らしい蛮族、アメリカを十分に苦しめることが出来るのだ。
応援しようとしていた反乱勢力が根絶やしにされたとなれば、アメリカ軍は今後の作戦に大きな支障を来す事になるだろう。
敵が何も出来ないこの1ヶ月間の間に、大勢は決まる。それも、マオンド有利で。
2人はこの時、有頂天になっていた。
だから、その2秒後に響いてきた空襲警報のサイレンを聞いても、2人はしばしの間気付かなかった。
午前8時20分 グラーズレット港
「な、今何と言った!?」
グラーズレット軍港の司令官は、魔動士の言葉を聞くなり、思わず聞き返してしまった。
「ハッ!南東30ゼルドの海域より、小型飛空挺の大編隊、グラーズレットへ向けて進撃中とのことです。」
「・・・・・南東・・・・・」
司令官は、ようやく状況が飲み込めてきた。
南東・・・・そこには、陸地も何も無い。ただ、海が果てしなく広がっているだけだ。
その何も無い方角から、突然小型飛空挺の大編隊が、自然に湧き出てきた。
いや、自然に湧き出てくることはあり得ない。これは、明らかに人為的な物だ。
「敵機動部隊だ!!」
司令官は、突然叫びだした。
「我が竜母部隊は、全て東海岸に回航されている。おまけに、南東方面にはベグゲギュスが配置されているのみだ。だとすれば、
この小型飛空挺は、いつの間にか回り込んできたアメリカ機動部隊から発艦した物と見て間違いない!」
「し、しかし司令官。」
その魔動士は、いくらなんでも早計では?と言おうとしたが、
「すぐに警報を出せ!」
司令官のわめき声によって、その言葉は遮られた。
それから1分後、グラーズレット市や、その北のナルアトスに空襲警報が発令された。
いつもの穏やかな朝を迎え、のんびりと過ごしていたグラーズレット、ナルアトスの住民達は、最初は軍の演習かと勘違いした。
だが、配置に付いていた対空部隊が血相を変えて魔動銃や高射砲に弾を込めていく姿や、おっとり刀で飛び出していくワイバーン編隊を見て、
これはただ事ではないと気付き始めた。
グラーズレット軍港の上空には、既に多数のワイバーンが旋回を続けていた。
「ふむ。流石に2度目はないか。」
第1次攻撃隊の指揮官であるジェームズ・フラットレー少佐は、軍港上空を飛び回る無数のごま粒を見て、苦笑した。
彼が率いる第1次攻撃隊は、午前6時50分に第72任務部隊第3任務群の各空母から一斉に発艦した。
攻撃隊の編成は、かなり偏った形になっている。
まず、編隊の先頭を行くのは、フラットレー少佐と同じ母艦に属する、VS-6のS1Aハイライダーで、その後からは、96機のF6F、F4Uが続いている。
98機の第1次攻撃隊の中で、うち、96機がF6F、F4Uといういささか異常な編成であるが、これは事前の計画通りに出された正式な攻撃隊だ。
この攻撃隊は、TG72.3の正規空母エンタープライズ、ボクサー、レンジャーⅡ、ハンコックからF6FならびにF4U24機ずつで編成されており、
これらの戦闘機隊の任務は、1機でも多くの戦闘ワイバーンを撃墜する事である。
ファイターズスイープとして発艦した96機の戦闘機は、ようやくグラーズレットに到達しようとしていた。
「こちらエックスレイリーダー。敵編隊を発見、これより戦闘に入る。誘導機はR地点で待機しておいてくれ。」
フラットレー少佐は母艦に報告した後、全機に突撃を命じた。
空母エンタープライズ第2中隊第2小隊を率いるリンゲ・レイノルズ中尉は、無線機から流れるフラットレー少佐の指示を聞いていた。
「今から高度5000まで上昇する。しっかり付いて来いよ!」
「「アイ・サー!」」
リンゲの指示に、3人の部下は威勢良く答えた。
他の戦闘機が、胴体に吊っていたドロップタンクを切り離していく。リンゲもそれに習って、ドロップタンクを切り離す。
ガクンという音がして、機体がやや軽くなる。楕円形の燃料タンクは、微かに残っていたガソリンを送油口から吐き出しながら、海に落ちていく。
高度5000に達した戦闘機隊は、そこから大きく二手に別れた。
エンタープライズ隊、ボクサー隊は敵編隊の右側上方に、レンジャー隊、ハンコック隊は左側へ回り込もうとする。
敵ワイバーンの数は、こちらより多い。
「しめて、120から130騎あたりか。」
リンゲは、敵ワイバーンの群れを見て、やや面倒くさそうに呟いた。
敵ワイバーン隊の隊長はこちらの意図を見抜いたのか、二手に別れて上昇してきた。
「行くぞ、突っ込め!」
フラットレー少佐の声が無線機から流れる。その直後、先頭の小隊が敵ワイバーン目掛けて翼を翻し始めた。
少佐の直率する第1中隊が急降下を開始していく中、第2中隊もその後に続いた。
リンゲは、手慣れた動作で機体を左に傾ける。機首が前方からぐるりと下方に向けられる。
目の前には、5、60機はいるであろう多数の戦闘ワイバーンが、米戦闘機隊目掛けて上昇しつつある。
フラットレー機が最初に機銃弾を放つ。それを切っ掛けに、双方が光弾や機銃弾を発射する。
リンゲは、ちょうど真正面から迫ってくる戦闘ワイバーンに狙いを定めた。
距離が徐々に縮まっていく。久方ぶりの戦闘であるから、かなり緊張している。
目測で距離600まで迫ったとき、敵ワイバーンが光弾を撃った。
敵の竜騎士は腕が悪いのか、射弾はリンゲ機の右横を離れた位置を飛び去っていく。
「甘いな。」
リンゲはそう呟いてから、機銃の発射ボタンを押す。
両翼の12.7ミリ機銃6丁がドドドドド!という音を立てて、6本の火箭が敵ワイバーンに向かう。
数発が敵ワイバーンに命中した。命中の瞬間、敵ワイバーンを覆うようにして魔法障壁が展開される。
その敵ワイバーンとリンゲ機の交戦はそれだけで、すぐに通り過ぎていくが、敵ワイバーンの竜騎士は、今しがた交戦した敵パイロットの
腕の良さに衝撃を受けていた。
後続の戦闘機が、次々と敵ワイバーンとの正面対決を終えていく。
1機のF6Fが運悪く、コクピットに光弾を貫かれ、操縦士は苦痛を感じる暇もなく戦死した。
そのF6Fは、操縦者を失ったために、引き起こしをかけぬまま、砲弾のごとく海に落下する。
1騎のワイバーンは、4機のF6Fから集中射撃を受ける。4機計24丁の12.7ミリ機銃は、その高速弾を遠慮無く注ぎ込んだ。
最初の8秒ほどは、防御結界が機銃弾を弾いていたが、限界を迎えた防御魔法はすぐに破綻し、竜騎士やワイバーンに無数の12.7ミリ弾が襲い掛かる。
ワイバーンが脳天から顎にかけて3発の12.7ミリ弾を食らい、顔を吹き飛ばされ、竜騎士は4発の機銃弾を胴体に受け、体を分断された。
双方にとって不運な出来事も起こった。
1機のF6Fと1騎のワイバーンは、互いに撃ち合っている間、急速に接近した。
竜騎士とパイロットがハッとなって回避しようとした時には、既に遅かった。
F6Fの右主翼が根本から、ワイバーンの顔面にめり込む。その次の瞬間、ワイバーンは顔面を粉砕され、一瞬にして絶命する。
F6Fのほうは右主翼を丸ごと失ったため、絶望的な錐揉み状態となってパイロットを乗せたまま海に落下した。
エンタープライズ隊、ボクサー隊が敵編隊との正面対決を終えた頃には、アメリカ側はF6F4機、F4U3機を失っていたが、マオンド側も
ワイバーン12騎を撃墜された。
「ペアごとに散開する。訓練通りにやれよ!」
リンゲは、小隊を2機ずつに別れさせた。別れた2機は、互いにペアを組んで、同じく散開しつつある敵のワイバーン編隊に突っ込んでいく。
「フォレスト、いつもの要領で突っ込むぞ。」
「アイ、小隊長!」
リンゲは、2番機を務めるフォレスト・ガラハー少尉のF6Fを後ろに付けながら、空戦域に突入する。
空戦域に突入してから10秒ほどで、早速1騎のワイバーンがガラハー機に突っかかってきた。
「小隊長!俺のケツに敵さんが張り付きました!」
「ようし、ウィーブだ!俺が行くまで待ってろ!」
リンゲは、無線機の向こう側にいるガラハー少尉に言うと、愛機を宙返りさせた。
リンゲ機の600メートル後方にガラハー機がいる。その後方から500メートルの所に、1騎のワイバーンが張り付いている。
ワイバーンの竜騎士は、宙返りしているリンゲ機に気付かないのか、蛇行を繰り返すガラハー機に向かって光弾を撃ちまくっている。
敵ワイバーンは、目の前の獲物が動き回るため狙いが付けにくいのだろう、発射された光弾はガラハー機に1発も当たらない。
だが、このままではいずれ命中弾が出る。
「お客さん、上ががら空きだぜ!」
リンゲはそう言いながら、ワイバーンの姿を照準器に捉える。そして、機銃弾を放った。
その瞬間、竜騎士がはっと振り返るのが見えたが、その時には6本の火箭が降り注いでいた。
魔法防御が発動され、障壁が12.7ミリ弾を食い止める。
だが、魔法障壁はあっという間に霧散し、無数の高速弾がワイバーンの羽や胴体を、竜騎士の背中や腕を貫き、血や肉片が大気に飛沫く。
ぐらりと力なく傾いた敵ワイバーンは、血煙を噴きながら墜落していった。
リンゲがガラハー機の前方に出ようと、一旦は下方に飛び抜け、すぐに上昇に入ろうとしたとき。
「小隊長!2時の方向に敵騎!!」
ガラハー少尉の警告が耳を打った。すかさず操縦席の左斜め上を見上げる。
そこには、見事な態勢で急降下しつつ、リンゲ機に突進してくる1騎のワイバーンが居た。
「くそったれ!」
彼は罵声を上げながらも、咄嗟に機を右に捻った。
ワイバーンの光弾が何発か、操縦席を掠めて飛び去る。ガン!ガン!という音と振動が機体に響き、揺さぶられた。
ワイバーンがリンゲ機の下方に飛び抜ける。リンゲはすぐに機体の態勢を立て直し、上下左右に視界を巡らせる。
一瞬だが、機体の右側下方から上昇してくるワイバーンを見た。
「俺をとことん追い回すつもりだな。」
リンゲはそう確信しながら、愛機を左旋回させる。
「小隊長、今行きますからそのまま落されないで下さいよ!」
無線機にガラハー少尉の声が飛び込んできた。
リンゲの窮地を察して、救援に向かおうとしているのだろう。
(フォレストの気配りに感謝したいところだが、敵との距離が近いからあと1回か2回は撃たれそうだな)
彼は、心中で呟いた。
敵との距離は500メートルと離れていない。
通常の航空機ならば、速力の関係で旋回半径に難があるであろうが、機動性が航空機と比べて隔絶しているワイバーンでは、そのような心配は無く、
後ろに飛び抜けたと思ったら急に方向転換を行って、航空機が態勢を立て直す前に襲い掛ってくる事もある。
リンゲ機を狙ったワイバーンもまた、下降から上昇に転じる際に素早く方向を変え、リンゲ機の後ろ下方から食い付こうとしていた。
リンゲは、スロットルを思いっきり開き、最大速力で距離を置こうとする。
彼の乗るF6Fは、今年3月にロールアウトしたばかりのF6F-5と呼ばれる最新鋭機で、速力は最初に乗っていたF6Fと比べて612キロと、
やや上昇している。
いきなり増速し始めたヘルキャットを見て、竜騎士は逃がさぬとばかりに、敵機目掛けて光弾を撃たせる。
同時に、ワイバーンもまた増速し始めた。
マオンド側の主力ワイバーンであるナンヘグドは速力が578キロと、ヘルキャットと比べて遅い方だが、それでも2、30キロ程度の範囲内であり、
増速を始めたヘルキャットとワイバーンの距離は全く変わらなかった。
またもやガン!という衝撃音が機体を揺さぶる。
「畜生、早速追い回される事になろうとは!」
リンゲは、自分の運の無さにいささか呆れたが、そのような思いすらさせぬとばかりに、新たに2発がヘルキャットの胴体を叩く。
速力計は既に590キロを指しているが、敵ワイバーンはなかなか離れてくれない。
バックミラーに写る敵ワイバーンは、まるで嬲るように光弾を放ってくる。
リンゲは宙返りで敵のバックを取ろうと思い、操縦桿を引きかけた。
だが、それをする必要はなかった。
敵ワイバーンがサッと後ろから離れた。ワイバーンが避けた直後、その空域目掛けて機銃弾が殺到してきた。
ワイバーンは、突然の襲撃に慌てたのか、早々と逃げてしまった。
リンゲ機の後方と、影が通り過ぎる。それは、彼の2番機であるガラハー少尉のヘルキャットであった。
敵機を追い払ってくれたガラハー機が、リンゲの右斜め後方にやって来た。
「小隊長、遅れてすみません。怪我はありませんか!?」
ガラハーは、慌てた口調でリンゲに言う。
「大丈夫だ。5、6発食らったが機体も俺も、共に異常なしだ。」
リンゲは元気のある口調でガラハーに返事した。
「ふぅ、良かった。敵さんは小隊長に向かって派手に光弾を撃ち込んでいましたから、いつ落されるか心配でしたよ。」
「俺としたことが、とんだミスだったよ。休みすぎて鈍ってしまったかもしれん。」
リンゲは苦笑しながら言った。
「だが、これでスッキリとしたよ。5、6発食らった分、かえって調子が良くなったぜ。」
彼はそう言いながら、左手に見える空戦域に視線を移した。
リンゲとガラハー機は、敵ワイバーンと戦っているうちに空戦域から抜け出してしまったようだ。
「フォレスト、今度は派手にぶちかますぞ。」
「OKです。どこまでもお供しますよ。」
ガラハーの返事に気をよくしたリンゲは、愛機を再び加速させて、空戦域に飛び込んでいった。
第2次攻撃隊がグラーズレットに到達したのは、時計の針が午前9時20分を回ってからの事だった。
第2次攻撃隊の指揮官を務める空母エンタープライズ艦爆隊長ロバート・スキャンランド少佐は、軍港上空にたむろしている敵ワイバーン編隊を見て眉をひそめた。
「1次の連中は、敵機を大量に撃墜したとか抜かしていたが、敵さんはまだうじゃうじゃ居るじゃねえか。」
「別の飛行隊が駆けつけたかもしれませんぜ。」
後部座席の銃手であるジム・タジサル兵曹がスキャンランド少佐に言った。
「ここは敵の重要拠点です。俺達が把握している飛行場とは別の飛行場があってもおかしくはありませんよ。」
「それもそうだな。最も、俺達にも戦闘機の護衛は付いているがね。」
スキャンランド少佐はそう呟いて、内心に生まれた腹立たしさを払った。
第2次攻撃隊は、空母エンタープライズからF6F12機、SBD24機、TBF18機、ボクサーからF4U18機、SB2C24機、TBF16機、
レンジャーからF4U18機、SB2C18機、TBF18機、ハンコックからF6F16機、SB2C24機、TBF16機、計226機で構成されている。
その内、F6F1機とSB2C3機、TBF3機が不調のため引き返したため、今は219機に減っている。
この大編隊は、第1次攻撃隊の発艦から30分後に、南東200マイル離れた母艦から飛び立った。
制空隊のF6F、F4Uが攻撃隊から離れ、港の前方で待ち構える敵ワイバーン編隊に突っ込んでいく。
「頑張れよー!」
タジサル兵曹が、増速して離れていく戦闘機隊に向かって声援を送る。
空中戦は、早くも乱戦となった。
敵の戦闘ワイバーンは4、50騎しかいなかったため、ほぼ同数の制空隊の猛攻の前に、艦爆、艦攻に近付くことは困難だった。
直角の多いヘルキャットや、湾曲した翼のコルセアが、怪異な姿の戦闘ワイバーンと渡り合っている間、艦爆、艦攻は何ら妨害を受けることなく、
悠々とグラーズレット港へ近付きつつあった。
そう間を置くことなく、グラーズレット港が見えてきた。
「見えた、グラーズレットだ。」
スキャンランド少佐は、眼下に見えるグラーズレット港と、その町並みをしばし凝視する。
軍港には、多数の船舶が停泊しているが、12、3隻ほどの船が慌てふためいたように港から出て、外海に逃れようとしている。
その隣の泊地にも、同様に多数の船舶が停泊しているが、こちらは1隻の船も動いていない。
(恐らく、左の港が軍の管理下にある港だな)
スキャンランドはそう確信した。
彼は指示を与えるべく、無線機に向かって言葉を紡ぎかけたが、はっとなってそれを止めた。
(そういや、ここから14マイル離れた位置にも町があると言っていたな。スパイからの情報によれば、その町の周囲にも軍事施設があると報告されている。
俺達の任務は、出来るだけ派手に暴れ回ることだから、ここは挨拶の為に、ナルアトスという町をご訪問する事にしよう)
彼は心の中でそう決心すると、各部隊に指示を送り始めた。
「エンタープライズ隊、ボクサー隊はナルアトス周辺の軍事施設を爆撃する。レンジャー隊、ハンコック隊はグラーズレット港を攻撃しろ。」
スキャンランドの命令に従って、編隊の約半数近くが、グラーズレット港に向かっていく。
真っ先に狙われたのは、港を脱出して外海に逃げようとしていた6隻の駆逐艦、輸送艦であった。
この6隻の艦を狙ったのは、空母ハンコックに所属する22機のヘルダイバ-であった。
22機のヘルダイバ-は5つの小編隊に別れるや、思い思いの方向から急降下を開始した。
襲い掛るヘルダイバ-に対して、マオンド軍艦艇は必死に対空砲火を打ち上げる。
だが、この応戦も殆ど意味を成さなかった。
6隻の艦艇に、次々と爆弾が降ってきた。1隻の駆逐艦が後部甲板に1000ポンド爆弾を食らった。
艦尾に命中した爆弾は舵機室を粉砕し、操艦能力を一瞬にして奪ってしまった。
輸送艦が、1000ポンド爆弾2発を食らってしまった。装甲の殆ど施されていない艦体には、たった2発の爆弾でも致命的であった。
6隻中、爆弾を食らった艦は4隻にも及び、そのうち2隻が早くも沈み掛けていた。
港外に脱出した艦を襲った悲劇は、やがて港をも襲い始めた。
グラーズレット軍港の艦艇や施設が片っ端から銃爆撃を受けている中、スキャンランド少佐の率いるエンタープライズ隊とボクサー隊は、
12機のF4Uを護衛に付けたままナルアトスの上空に到達した。
「ほう、これがナルアトスか。中世ヨーロッパで見られるような城塞都市だな。」
スキャンランド少佐は、その古めかしい町に対して、そのような印象を抱いたが、彼は町の中心部に一際目立つ建物がある事に気が付いた。
「隊長、町の中心部に鮮やかな灰色の建物がありますよ。」
「ああ、俺も見ている。こりゃちょっとでかそうだな。ニューヨークにあるヤンキースタジアム並みの大きさかもしれん。」
スキャンランド少佐は、初めて見るその巨大建造物に、自然と美しいなと感じていた。
「そいや、ナルアトスには、マイリー共の間で流行っている宗教の総本部があるとブリーフィングで言われていたな。」
「教会の敷地内は非武装地帯だから爆撃するなと、飛行長が言っていましたね。」
「そうだったな。ひとまずは、あの城塞都市の左右にあるマイリー共の軍事基地を叩くとするか。」
彼はそう言うと、付いてきたボクサー隊に、ナルアトスの西側にあるワインバーン基地と駐屯地の爆撃を命じ、エンタープライズ隊にはその東側の
軍事施設を爆撃する事にした。
異変が起きたのは、エンタープライズ隊が高度4000でナルアトス市の真上を通り過ぎようとしたときである。
いきなり、高射砲弾がエンタープライズ隊の周囲で炸裂し始めた。
「な、何だ!?」
突然の出来事に、歴戦の艦爆乗りであるスキャンランドもこの時ばかりは仰天した。
「第2小隊3番機被弾!」
第2中隊長機から悲鳴のような声が上がった。編隊の周囲には次々と高射砲弾が炸裂している。
スキャンランドのドーントレスにも高射砲弾の破片が当たり、機体に聞きたくもない金属音が響く。
「どこから撃ってきている!?」
スキャンランドは慌てた口調で、マイクに向けて言った。
「た、隊長!砲弾は真下から放たれています!」
「真下?もしかして、マイリー共の城塞都市からか!?」
「はい!敵の高射砲は、町の中心部から放たれています!」
町の中心部・・・・・
その言葉を、心中で反芻したスキャンランドは、そこに何があるのかが分っていた。
「まさか、マイリー共は教会の敷地内に対空陣地を作ったのか?」
スキャンランドは、信じられないと言った表情で呟いたが、レシーバーに新たな被弾機発生の報告が入った。
その時、スキャンランドは顔を真っ赤に染め上げ、怒鳴るような声音でエンタープライズ隊の全機に命じた。
インリク国王は、大聖堂の端にある監視用の櫓から、被弾し、墜落していくアメリカ軍機を望遠鏡越しに見ていた。
「うむ。これは凄い。」
側に立っているスンタウナが、興奮して浮ついた声音で呟いている。
「あの憎らしいアメリカ軍機が、蝿のごとく落ちていきよる。それ、どんどん落ちろ!」
スンタウナは、サディスティックな笑みを浮かべた。
「総本部の戦闘員は、殊更優秀な者を集めただけあって、対空戦闘にも手慣れているようですな。」
「陛下、確かに彼らは優秀ですが、実戦はこれが初めてですよ。しかし、流石はルビン・グレイズの精鋭。対空戦闘開始から僅か2分足らずで2機を落すとは。」
スンタウナは自慢気な口調でインリクに言った。
「この調子で、教会の聖なる空を飛び回る蝿共を、片端から叩き落として貰いたい者です。」
彼は、まるで歌っているかのような調子でそう言った。
だが、彼は知らなかった。
今、相手にしている飛空挺の集団が、太平洋戦線で幾多もの海空戦を戦い抜いてきた精鋭空母の航空隊であることを。
そして、彼らがマオンド側の“だまし討ち”に激怒し、その矛先を変えたことも。
唐突に、敵編隊の動きが変わった。
そのまま本部教会の敷地上空を通り過ぎようとしていた敵編隊は、急に翼を翻し始めた。
「な、何だ!?」
敵が起こした不可解な動きに、インリクとスンタウナは驚きの声を上げた。
すぐに、敵機の狙いが読めた。
「奴ら、周囲の業務施設を狙っている!!」
インリクは呻くような口調で言った。業務施設とは、大聖堂の周囲にある5つの白い建物の事だ。
この建物には、協会本部の各部署が分散して配置されていたが、対空部隊はこの施設にある塔の頂部や周囲にも高射砲、魔動銃を配置していた。
大聖堂にも高射砲と魔動銃は配備されており、教会直属の戦闘員が、急降下を始めた米艦爆に向けて必死に撃ちまくっている。
やがて、周囲に米艦爆が発する特有の甲高い轟音が鳴り始めた。
高射砲や魔動銃の射撃音が、この甲高い轟音に負かされているのか、今では頼りなさ気に聞こえる。
インリクは、3機の米艦爆が、櫓から200メートル後方の業務施設に向けて急降下していくのを凝視していた。
対空部隊は魔動銃も総動員して狂ったように撃ちまくるのだが、敵に気圧されているのか全く当たらない。
「ええい、何している!蝿共なぞさっさと蹴散らしてしまえい!」
スンタウナが苛立ったように喚き散らす。先ほどまで浮かべていた人の良さそうな笑顔は綺麗さっぱり消え失せ、今では悪鬼さながらの形相を顔に表していた。
(あれは、蝿なんかじゃない。)
インリクは、内心でスンタウナが言った言葉を否定した。
(あのアメリカ軍機は、まさに猛禽類そのものだ。)
彼が心中で確信した時、米艦爆の先頭が、胴体から黒っぽい物を切り離した。
ここでようやく、米艦爆の姿がはっきり見えた。前半分はやや太く、後ろ半分は意外とほっそりしている。
(あれは、以前、絵で見せて貰ったドーントレスという奴だな)
インリクは、そのアメリカ機の特徴からして、ドーントレスと呼ばれる機体である事が分った。
箱状の白い業務施設に爆弾が当たった。その1秒後に業務施設の屋上から火柱が上がり、3階と2階部分の窓ガラスが吹き飛んだ。
身の危険を感じたインリクは、咄嗟に床へ伏せた。
ダァーン!という轟音が鳴り響き、櫓がぐらぐらと揺れ動いた。次いで、櫓の天井にカラカラという何かの破片が降り注いでくる音が聞こえた。
艦爆隊の爆撃は正確であった。
5つあった業務施設は、22機のドーントレスによって片っ端から爆弾を叩き込まれた。
南西側にあった業務施設は、地下室が対空部隊の弾薬庫となっていたため、命中した1000ポンド爆弾は大量の弾薬を誘爆させ、頑丈な石造りの
業務施設を木っ端微塵に吹き飛ばしてしまった。
残り4つの業務施設は多少マシな状態であったが、それでも内部は爆発した複数の1000ポンド爆弾によって目茶苦茶に破壊され、火災を起こしていた。
ドーントレスの集団が去っていった後、周囲は静かになった。
「・・・・・・」
インリクは顔を上げると、背中についている木屑や意志の破片を払った。
「へ、陛下、ご無事で!?」
一足先に起き上がったスンタウナが、インリクの体に付着している土くれを払ってくれた。
「しかし、酷い空襲だったな。」
インリクが、険しい口調でそう言った直後、急にヒューという音が聞こえた。
「今度はな」
スンタウナが言いかけた時、突然連続した爆発音が聞こえ、大地が幾度も揺れた。
彼らは知らなかったが、この時、アベンジャー隊は高度2000メートルから大聖堂を狙って、各機3発ずつの爆弾を投下していた。
指揮官機スキャンランド少佐は、真下の教会を即座に敵対しているマオンド側の偽装軍事施設として爆撃する事を決め、ドーントレス隊のみならず、
アベンジャー隊にも攻撃を命じていた。
18機のアベンジャーから放たれた74発の500ポンド爆弾は、風の影響で投下コースが逸れ、大半が敷地内の石畳の道や芝生を抉っただけであったが、
3発が大聖堂に、6発が炎上している業務施設に命中した。
屋上に命中した爆弾は、その分厚い石造りの装甲を貫く事は出来なかったが、布陣していた高射砲や魔動銃の半数を破壊し、戦闘要員の大半を戦死させた。
1発の爆弾は薄い側壁を貫通して、2階の導師室で炸裂し、爆風は無人の室内や、左右の部屋になだれ込み、滅茶滅茶に破壊した。
すぐ近くに落下した至近弾は大聖堂の側面に傷を付け、一部の破片はステンドグラスをたたき割って、無人の聖堂内を跳ね回って装飾品や儀式用聖剣や
貴重な皮紙の多数を引き千切るか、粉砕した。
インリクは、自分が生きていること事態奇跡と思っていた。
爆弾は、彼らがうずくまっていた櫓のすぐ側で炸裂した。
彼はすぐに死を覚悟したが、頑丈な櫓が土砂や破片を受け止めてくれたお陰で、傷一つ負わずに済んだ。
「・・・・大導師殿、大丈夫ですか?」
インリクは、側で呆然としているスンタウナに声を掛けた。
スンタウナは、緩慢な動きでインリクに顔を向けた。インリクは、スンタウナの顔を見て、こんなに老けた顔をしていたか?と思った。
「陛下・・・・アメリカ軍は、ここしばらく・・・・最低1ヶ月は何も出来ぬと、先ほどおっしゃっていたではありませんか。なのに、敵は堂々と
主要都市であるグラーズレットにやって来ましたぞ。」
スンタウナは虚ろながらも、憤りの含んだ声音でインリクに言った。
「これは、どういう事でありますか?」
「考えられる点は1つだけだ。敵は、こちらが予想だにせぬ勢いで戦力を復旧させた。」
「戦力の復旧・・・・・そんな、敵は空母戦力の大半を失うか、傷つけられてまともな作戦が出来ないと言っていたはずなのに。
それを短期間で出来るはずが。」
「いや、アメリカという国は、どうやらそれが可能のようだ。戦力を復旧させるには、損傷艦を急ピッチで修理させるか、あるいは予め取って
おいた戦力を回すか、このどちらかしかない。どちらにしても、これは相当な懐を持つ国でないと出来ない相談だ。私が思うに、アメリカは
それをやってのけたのだろう。」
スンタウナは、がくりとうなだれた。
「そんな・・・・非常識すぎる。神をも恐れぬならまだしも、常軌を逸した国力を持つとなると・・・・・もしかして、我々は戦ってはいけない相手と」
「言うな。」
インリクは、スンタウナの言葉を遮った。
「大導師殿。その先の言葉は、どうか胸の奥にしまってくれ。」
午後4時20分 スィンク諸島ユークニア島南沖10マイル地点
「長官、TG72.3より報告です。我、第3次攻撃隊の収容完了。尚、午後2時よりマオンド軍航空部隊の空襲を受けるも、損害軽微なり。
これより帰投す、であります。」
第7艦隊司令長官オーブリー・フィッチ大将は、通信参謀の言葉を聞いて、深く頷いた。
「マレー少将は派手にやったな。一時的とは言え、エンタープライズを指揮出来たのが励みになったかもしれんな。」
グラーズレット空襲部隊であるTG72.3からは、絶えず報告が送られてきた。
午前8時20分には、第1次攻撃隊の戦闘開始の報がオレゴンシティに入ってきた。
時計が午前9時20分を指した時には、主力攻撃隊である第2次攻撃隊から相次いで報告が入った。
「我、脱出中の敵艦船を爆撃、4隻を撃沈破せり。」
「敵軍港の対空砲火熾烈なれども、爆撃効果は甚大なり。」
「ナルアトス市周辺、並びに市街地中心のマオンド軍施設を爆撃、効果甚大。」
作戦室には、このように攻撃隊の途中経過や戦果報告が次々に入ってきた。
その一方で、ヒヤリとした場面もあった。
順調に攻撃隊を送り続けたTG72.3だが、その強運も長くは続かず、午後2時頃にマオンド軍ワイバーン部隊の空襲を受けた。
被害報告の中で、新鋭空母であるハンコックに爆弾命中、火災発生という言葉が飛び出したとき、作戦室内の空気は一瞬にして凍り付いた。
だが、その後の報告で、ハンコックの被害は小破程度で、大事に至らないと判明したときには、フィッチを始めとする幕僚達は、ホッと胸をなで下ろした。
その直後に第3次攻撃隊の戦果報告が入り始め、TG72.3はグラーズレット軍港、並びにナルアトスの軍事施設に相当の打撃を与えた事が分った。
「グラーズレットは、確か前にも空襲を受けていたな。」
フィッチは、通信参謀に話しかけた。」
「ええ。あの時は、空母イラストリアスから発艦した12機のソードフィッシュが上手く立ち回りました。」
「前回は12機。今回は、それを遙かに上回る400機以上の艦載機が、白昼堂々大都市を襲った。もし、マオンド側の住民に何らかの情報操作が
成されていたら、TG72.3の大空襲は計り知れないショックを与えたはずだ。」
フィッチは苦笑しながら言葉を続けた。
「私ならこう思うだろうな。国は、敵が近付けないと言っていた。なのに、敵は堂々とやってきては、好き放題に暴れ回った。近付けないはずの敵が、
どうしてここにいるのか?もしかしたら、我々は本当の事を知らされていないのでは?とね。」
フィッチはそう言い放つと、側に置いていたコーヒーを飲み干した。
「とにもかくも、我々は目覚まし時計のベルを鳴らした。後は、計画通り進むだけだ。」