第180話 緊急会議
1484年(1944年)9月28日 午前9時 ホウロナ諸島ファスコド島
第3艦隊司令長官であるウィリアム・ハルゼー大将は、午前8時40分には、旗艦である戦艦ニュージャージーを降り、
内火艇で桟橋に向かった。
8時50分には桟橋に付き、そこから車で連合軍司令部へ向かった。
午前9時ちょうどには、連合軍司令部の玄関前へ到着し、ハルゼーは重い足取りで地面を踏んだ。
彼は建物の中へ入る前に、空を見上げた。
「曇ってやがるな……」
いかつい顔を少し歪めながらそう言うと、彼はカーニー参謀長と共に中へ入って行った。
2人は会議室の前に立つと、互いに顔を見合わせた。
「カーニー。奴さんの顔を見ても、すぐに飛びかかろうとするんじゃねえぞ。」
「承知しております。長官。」
カーニーは苦笑交じりに答える。
「それよりも、私は長官があの人を見るなり、いきなり罵声を浴びせないかと心配なのですが。」
「ハハ。心配には及ばんよ。」
ハルゼーはニヤリと笑った。
「今日は話し合いに来たんだ。喧嘩する為に来たんじゃない。奴さんが何と言おうと、普通に反応するだけさ。
レイに教えられた通り、普通にな。」
「普通に、理知的に攻めていく、という事ですな?」
「あたり前よ。相手がゴミ屑同然の畜生でも、一応は同盟国の将官だ。紳士に対応して、紳士に批判してやらなくちゃならん。」
ハルゼーはそう言ってから、右手で自分の胸を叩いた。
「なんてったって、俺達はアメリカ人だからな。」
ハルゼーはそこまで言ってから微笑んだ。
彼はドアノブを回して、室内に入った。
中に入ると、バルランド軍指揮官であるインゲルテント将軍を除く各国の将官達が既に集まっていた。
彼らはハルゼーの顔を見るなり、やや驚いた表情を浮かべていた。
「おはようございます。」
ハルゼーとカーニーは抑揚のある声音で挨拶してから、アイゼンハワーの隣の席に座った。
「閣下。インゲルテント閣下がまだお見えになられてないようですが。」
ハルゼーは席に座ってから、アイゼンハワーに話しかけた。
アイゼンハワーは頷いてから答える。
「インゲルテント閣下は、もう少しでここに着きます。会議の開始は9時30分。今は9時18分を回ったばかりですから、
まだ時間はありますよ。」
「ふむ…わかりました。」
ハルゼーは浅く頷く。
「それまでは、気楽に待つとしましょうか。」
彼は、朗らかな口調でアイゼンハワーに言った。
そのまま2分ほど経ってから、ハルゼーは小声で隣のカーニーに尋ねる。
「カーニー。俺は皆から注目されているようだ。」
「そうですね。他の国の将官達は、ちらちらと視線を送って来ていますよ。」
カーニーは、回りを見回しながらハルゼーに答えた。
今、会議室にはバルランドを除く、連合国の将官とその副官達が集まっており、誰もがアメリカ側の将官……特にハルゼーを注目している。
ハルゼーとカーニーは、彼らがしきりに視線を送って来る原因を嫌というほど理解している。
その原因を作るきっかけとなった、インゲルテントの提案。
インゲルテントが、自信満々にアメリカ側に情報を知らせて来てから早3週間余りが経った。
アメリカ海軍の勝利を確信していたインゲルテントにとって、先のレビリンイクル沖海戦での大敗は大きな痛手となったであろう。
ヘイルストーン作戦の基を作ったインゲルテントは、ハルゼー達がこうして待っている間も、この司令部を目指して進んでいるだろう。
ハルゼーとインゲルテントが相対した時、会議室は修羅場と化すか、それとも…。
各国の将軍達は、顔には表わさないが、態度から見てそれを気にしている様子だ。
「まっ、奴さん達は俺とインゲルテント閣下がどうやり取りするか、気になって仕方がないのさ。」
ハルゼーはため息まじりにそう言った。
「待ち時間ももうすぐで終わる。それまでは、野暮な事は考えないようにしよう。」
バルランド王国軍北大陸派遣軍総司令官である、ウォージ・インゲルテント大将は、用意された特別車に乗って、
連合軍総司令部に向かっていた。
「…………」
インゲルテントは、苦渋に顔を歪めていた。
車に乗る前から…いや、それよりももっと前から、彼はずっと悩んでいた。
(どうしてだ…何故、私は肝心な時に、こんな目にあってしまうのだろうか)
彼は、心中でそう思った。
幾度となく繰り返した自問。
あの、凶報が舞い込んできた時から、彼はずっと、心の中で考え続けていた。
彼が知らされたあの情報は、確かに信頼できる筋から伝えられた情報だ。
インゲルテントは、幾度となく、シホールアンル国内に居るスパイから情報を知らされ、それを連合軍に知らせる事で
戦闘に貢献して来た。
7月に行われたエルネイル上陸作戦でも、インゲルテントは少ないながらも、信頼のあるその筋からの情報を、アメリカを
始めとする連合国軍に伝え、当日の上陸作戦成功に貢献する事が出来た。
今回のシェルフィクル攻撃作戦も、いつも通り成功する筈だった。
だが、作戦は失敗に終わった。
作戦に成功していれば、この戦争の終結は早まり、バルランドも含む連合軍は、シホールアンルに対して有利な形で
停戦出来た筈であった。
しかし、作戦は失敗した。それも…同盟軍が誇る最強の艦隊が壊滅するという、最悪の状態で。
(艦隊が攻撃に成功していれば、私も意気揚々と本国に戻れた物を…何故……どうして?)
インゲルテントは更に考え込む。
インゲルテント家の当主として、そして、軍人として、人生の大半を捧げて来た彼だが、そんな彼は、これまでに幾度も
失敗を重ねて来ている。
その都度、彼はショックを受けて来たが、それもあらゆる手を使う事で乗り越えて来た。
ある時は、一見暴論にも思えるような事でも堂々とぶち上げて、責め立てて来た相手を逆に黙らせ、しまいには逆に
無能ぶりを罵って失脚に追いやった。
また、ある時は、相手側を“不慮の事故”にあわせたりして、査問会では自らの正当性を主張して問題を解決した事もある。
そうしていく中で、インゲルテントは、策謀渦巻く王国の中枢の中で、最も貴族らしい貴族と言われるようになり、
今日までバルランド有数の名門貴族の当主として、そして、バルランド軍屈指の英雄として任務に励んで来た。
その彼が、またもや試練に直面している。
(毎度毎度、何故私はこのような目に会うのだ?確かに完璧だったはずなのに…)
彼の内なる呟きは更に続く。
運転手からは見る事が出来なかったが、彼の表情は、怨念めいた物を感じさせるかのように、暗く歪んでいた。
(まったく…いつの時期にも、私の功績を汚す輩が出て来て来る物だな!)
インゲルテントは、内心でそう吐き捨てた。
その時、運転手が声を掛けて来た。
「閣下・・・・・閣下?」
インゲルテントはすかさず目を剥いた。彼は一瞬怒鳴り声を上げかけたが、車の窓の外が見えた事で、ようやく我に返った。
「…着いたか。」
インゲルテントは、落ち着いた声音で運転手に言うと、助手席に乗っていた副官と共に車から降りた。
ドアが閉められると、アメリカ製のフォードV8車は軽快なエンジン音を上げながら、待機場所に向かって行った。
「アメリカから贈られて来た特別車……あいつに乗り続けられるか否かは、私次第だな。」
インゲルテントは、副官に聞き取れぬような小声でそう呟いてから、軽く微笑んだ。
その笑みは、彼の心情を表しているかのように、微かに歪んでいた。
時計が午前8時26分を回った時、会議室のドアが音立てて開かれた。
カーニーと話し合っていたハルゼーは、開かれたドアに目を向けた。
「どうも。お待たせして申し訳ありません。」
インゲルテント大将は、室内に入ると同時に、事務的な口調で会議の参加者たちにそう言いながら、軽く頭を下げた。
彼はやや伏し目がちになりながらも、空いている席に座った。
(至って普通だな)
ハルゼーは、内心やや不満になりながら、インゲルテントの様子が特に変わり無い事を確認した。
彼は、ラウスからインゲルテントがどのような人物かを聞かされていた。
インゲルテントは、自分が失敗を犯しても、それが自分が原因であるという事を余り認めず、むしろ、実行した指揮官や
担当者に責任をなすりつける事が多いと言われていた。
それに、査問会の時は、いかにも自分が被害者であると言わんばかりの様子で入室し、盛んに自らの弁護を繰り返すという。
ハルゼーから見れば、インゲルテントは文字通り馬鹿軍人である。
ただ、性格は酷い物の、軍人としての能力は決して低い物では無いようだ。
ハルゼーとしては、中途半端に悪人であり、同時に、中途半端に軍人らしい男であるインゲルテントを、あからさまに
馬鹿にする事は出来なかった。
(奴は、中途半端に良い判断をする場合があるからな。なかなか全否定する事が出来ん。だが……)
ハルゼーは、インゲルテントと目が合った。
その時、ハルゼーは軽く微笑んでから、わざとらしく会釈した。
(TF37を壊滅させたあんたを、俺は決して許さんからな)
彼はインゲルテントに対して、心中でそう言い放った。
一方、当の本人は、無表情で軽く頭を下げた。
「全員揃ったようですね。」
ハルゼーから右斜めの位置に座っていたアイゼンハワーが口を開いた。
「それでは、これより会議を開きたいと思います。」
アイゼンハワーはそう言って、会議を開いた。
彼の声音は、いつもと比べてやや重い。
「つい先日、我が合衆国海軍所属の機動部隊が、シホールアンル本国の拠点を攻撃中に敵の航空攻撃を受け、大損害を
被りました。この結果、ハルゼー提督の第3艦隊は、稼働戦力が大幅に減少し、我が合衆国太平洋艦隊は、最低でも
3ヵ月程は、大規模な敵地攻撃は行えないと判断されました。この詳細は、会議に参加してくださった、第3艦隊
司令長官であるハルゼー大将から説明があります。」
アイゼンハワーはハルゼーに目配せした。
頷いたハルゼーは、咳払いをしてから不機嫌そうに歪んでいた口を開く。
「えー、今しがた、アイゼンハワー閣下が申した通り、第3艦隊所属の第37任務部隊は、シホールアンルの重要拠点
であるシェルフィクル地方を攻撃中に、突如として敵の大反撃を受けてしまいました。帰還した任務部隊の次席指揮官
から詳しく話を聞いた所、シホールアンル軍はTF37の接近を事前に掴んでいた、という事です。」
ハルゼーの最後の一言に、話を聞いていたインゲルテントが微かに体を震わせる。
「次席指揮官は、この他にも、シホールアンル軍はTF37が保有していた航空兵力を凌駕する程の戦力を、時間差で
叩き付けて来た、とも言っておりました。それに加え、シホールアンル軍は、サウスラ島沖に派遣していた筈の正規竜母までをも
投入して、TF37に打撃を加えてきました。TF37は、早朝から夕方にかけて、実に6波もの航空攻撃を受けています。
皆様方もご存知かと思われますが、TF37は実に、正規空母3隻、軽空母2隻、戦艦1隻、巡洋艦2隻、駆逐艦10隻を
喪失し、空母2隻と巡洋艦6隻、駆逐艦4隻が撃破されています。そして、損害はこれだけに留まりません。」
ハルゼーは、ちらりとインゲルテントを見つめる。
各国の将軍達がハルゼーを注視している中、インゲルテントだけは申し訳なさそうに目を伏せている。
(馬鹿野郎が。今更後悔したって、沈んで行った艦や、逝ってしまった部下達は、もう戻らんのだぞ)
ハルゼーは、不意に憤りを感じたが、それを抑えて言葉を続ける。
「帰還中、TF37は幾度もレンフェラルの攻撃を受けています。この攻撃で、更に駆逐艦2隻が撃沈され、空母レキシントンと
ラングレーの2隻が損害を負っています。この結果、TF37の稼働戦力は、空母だけでも12隻から3隻に減っています。
それ以外にも、整備を必要とする母艦もTF37から1隻。TF38からも2隻おりますから、我が第3艦隊が使える高速空母は、
TF38のエセックス、ランドルフ、ボノムリシャール、インディペンデンス、サンジャシント、TF37のフランクリン、ボクサー、
プリンストンの計8隻のみです。」
「第38任務部隊のもう一方の空母部隊に整備が必要、と申されていますが、空母部隊の整備は定期的に行われているのでは無かったのですか?」
ミスリアル王国軍北大陸派遣軍司令官であるマルスキ・ラルブレイト大将が、意外だと言わんばかりの表情で聞いて来る。
「事前の予定では、各任務部隊には定期的に休養を取るよう指示を下してはありました。しかし、エルネイル上陸作戦以降、我が第3艦隊は
地上部隊の支援任務に従事し続けていたため、整備を行うとしても、短い期間で行うには満足と言える程の整備は不可能でした。」
「ホウロナ諸島や、我が国のエスピリットゥ・サントに浮きドックや多数の工作艦がおりますが、それだけでも不足だったのですか?」
「はい。正直言って、大型艦の整備を行うには足りません。無論、1隻や2隻程度なら大丈夫です。ですが、エルネイル作戦以降は、
第38、37任務部隊の他に、多数の護衛空母や小型艦艇、そして各種支援艦艇もおり、整備は橋頭保の確保や、補給に最も重要な物である、
これらの支援艦艇を優先して行われました。その結果、我が第3艦隊の主力部隊は、思うように整備を行う事が出来ず、出来たとしても、
一部の任務群がやっと……という状況が続いていました。TG38.1は、軽い整備を受けただけで、他の任務群のように満足の行く整備を
行う事は出来ませんでした。」
「そもそも、空母や戦艦といった大型艦の整備は、一昔前までは我が国の本土で行っていた物です。」
アイゼンハワーが横から入って来た。
「私は陸軍の軍人なので、海軍の事は詳しく分かりませんが、本来はそうやって、艦の戦力を万全な物にして来たのです。
今は技術の進歩のお陰で、現場に近い拠点でも、本格的な整備を行う事が可能となりました。ですが、一時にこなせる量は、
本土と比べると低く、ファスコド島やエスピリットゥ・サント、ヴィルフレイングといった拠点で整備を行っても、設備が
本土より整っていないため、艦が前線に復帰できる時間は必然的に長くなります。この事からして、稼働空母が一時的に、
予定よりも減少する事は致し方ない事なのです。」
「進出を急ぎ過ぎたツケが回って来た、という事になりますな。」
アイゼンハワーとハルゼーの言葉を聞いたラルブレイトは、すまなさそうに頭を下げた。
「そうだったのですか…いらぬ事を聞いて申し訳ない。」
「いえ、別に謝る事はありますまい。」
アイゼンハワーは首を横に振りながら、ラルブレイトに返した。
「今は戦争中です。戦争とは、必ず、どこかで不具合が出る物です。我々は、どうしてそんな事が起こるのかよく考えて、
次にそれが起こらないように備えるだけです。」
彼は微笑みながらそう言った。
「話が少しずれてしまいましたが、それはともかく。我々第3艦隊は、整備が必要な母艦を除けば、正規空母5隻、軽空母3隻
しかおりません。当面は、この8隻の空母を主軸に、航空支援等の航空作戦を行って行きますが、敵地…例えば、敵の拠点に
対する攻撃は当分行えないか、行えたとしても、以前のように執拗な反復攻撃を加えるという事はせず、一度限りの奇襲攻撃しか
行えないでしょう。」
「近いうちに、増援の航空母艦が来る、という事はあり得ないのでしょうか?」
カレアント軍司令官のフェルディス・イードランク中将が質問して来た。
「12月までに、新鋭空母のシャングリラが太平洋艦隊に配備されますが、それまでには1隻の増援もありません。」
ハルゼーはきっぱりと言い放った。
「護衛空母は、何隻かが来るかもしれませんが、最新鋭の正規空母は12月までには来れません。いや、大西洋戦線が落ち着けば、
何隻かは回されて来るかもしれませんが、正直申しまして、それがいつになるかは、マオンド次第ですな。」
「そうですか。では、しばらくの間は少ない手勢のままで我慢するしかない、と言う事ですね。」
「気に入らぬ状況ではありますが、そうなります。」
ハルゼーはため息交じりの声音で、イードランク将軍に答えた。
「しかし、先の作戦では、サウスラ島沖海戦の戦果も含めて、かなりの数の竜母を沈めるか、あるいは損傷させたようですな。」
グレンキア軍司令官であるスルーク・フラトスク中将が聞いて来た。
「撃沈した竜母の中には、外見を幻影魔法で似せただけの偽竜母も含まれていたようですが、それでも本物の竜母を3、4隻は
沈めたと、私は聞いています。先の海戦で、確かにハルゼー提督の艦隊は少なからぬ痛手を被った。しかし、深手を負ったのは
あちらも同じであり、シホールアンル側も、今後しばらくはまともに動けない、と、私は思うのですが。」
「おっしゃる通りです。」
ハルゼーは小さく頷いた。
「敵の捕虜を尋問して調べた所、サウスラ島沖海戦で撃沈した竜母の大半は、ニセ物である事が証明されましたが、一部には
小型ではある物の、本物の竜母が含まれている事。そして、TF37が最後の反撃で、少なくとも正規竜母1隻に撃沈確実の
損害を負わせ、他に2隻に大破同然の損害を与えています。フラトスク閣下の言われる通り、敵は稼働竜母の約半数を撃沈、
あるいは撃破されています。最も、これは推測ではありますが、話半分だとしても、戦力の予備が不足し始めている敵に取って、
大打撃をとなったのはほぼ間違いありません。我々第3艦隊司令部でも、シホールアンル海軍はしばらくの間、大規模な作戦行動は
起こさぬであろう、という結論に達しています。ただ、」
ハルゼーは語調を変えた。
「我々にとって、状況は徐々に不利な物になりつつあります。」
ハルゼーはアイゼンハワーに顔を向けた。
「3日前、我が合衆国本土のラジオ放送や、新聞を始めとするマスコミが、先のヘイルストーン作戦の結果を全国民に知らせました。
その翌日、本国内のいくつかの州で、大規模な反戦デモが行われました。」
「反戦デモ?」
それまで黙っていたインゲルテントが、怪訝な表情を浮かべながらアイゼンハワーに尋ねる。
「貴国の国民は、戦時中にも関わらず、戦争反対を訴える抗議活動を行っているのですか?」
「はい。」
アイゼンハワーは即答する。
「抗議デモは、8の州で行われました。その中には、首都であるワシントンDCも含まれています。」
「ワシントンDC!?」
インゲルテントが思わず声を上げた。
「…国の長である大統領に抗議したというのですか?」
「そうなります。インゲルテント閣下も幾度か聞いているとは思いますが、我が祖国アメリカは民主主義国家であり、
主権は国民にあるのです。国のトップである大統領は、国民の代表として政治を行いますが、位置的に見れば、アメリカ
という国は、国民の支えがあって、初めて国としてやって行ける。国家の柱である国民の声は、この世界とは違って全く
無視できぬものなのです。無論、あからさまに馬鹿げた内容の抗議は大統領どころか、同じ国民にすら無視されます。
しかし、内容が正しく、しかも、筋の通っている物ならば、それは必然的に賛同者を増やし、しまいには、今回のような
事になるのです。」
「そういえば、艦隊には従軍記者と呼ばれる者達が多数付いて行ったと、艦隊に派遣されている兵士から聞いたのですが。
まさか、その者達が、今回の海戦の結果をしらせたのですか?」
「報道は海軍が先に行いました。ですが、その頃には記者達も情報を本国に送っているため、後に各新聞社やラジオ局からも、
海戦の結果は一斉に報道されました。」
ハルゼーが代わりに答えた。それに対して、インゲルテントは大きく目を見開く。
「…検閲はしなかったのですか?」
「勿論行いました。記者達の情報は、一時海軍の広報に提出されたあと、また記者に戻されています。その際に、内容の訂正を
求める等の対処は行いました。ですが、それはほんの一部にしか過ぎなかった、と、私は聞いています。」
「そんな!?何故、わざわざ不利になるような情報をお伝えするのですか!?」
インゲルテントは声をわななかせる。まるで、信じがたいと言わんばかりだ。
「我々だって、情報を過度に流すのはよろしくないと考えております。ですが、それでは国民が付いて行かぬのです。」
「嘘をついて信頼を勝ち取っても、それが暴露されれば、完全に信頼を無くすから、ですな?」
レースベルン軍司令官のホムト・ロッセルト中将がすかさず尋ねて来た。
「はい。この情報を公開する前は、海軍省や政府中枢でかなり揉めたと言われています。インゲルテント閣下が言われるように、
情報を規制するのもどうか?という意見も何度か出たようです。しかし、結果はこうなりました……」
アメリカ国内で、最初に海戦の報道が行われたのは、9月25日の事である。
「9月19日。合衆国海軍は、シホールアンル帝国本土の重要拠点であるシェルフィクル地方の工業地帯、並びに軍事施設を、
第3艦隊所属の第37任務部隊が全力でもって攻撃するも、敵の反撃によって大損害を受けて敗退した。この海戦で、
太平洋艦隊は空母5隻、戦艦1隻、巡洋艦2隻、駆逐艦10隻、航空機500機を喪失、空母3隻と巡洋艦6隻、駆逐艦4隻が
損傷し、第37任務部隊司令官であるジョセフ・パウノール提督は旗艦タイコンデロガ艦上にて、不幸にも戦死された。
第37任務部隊は、敵部隊の一部に対して反撃を行い、竜母1隻並びに、駆逐艦5隻を撃沈し、竜母3隻に損害を与えるも、
シェルフィクル地方への攻撃続行は、相次ぐ航空攻撃で稼働戦力が激減したため、続行は不可能と判断し、止む無く現地から
撤退した。尚、海軍は、この海戦の呼称をレビリンイクル沖海戦と呼称する。」
という最初の報道が海軍側から行われ、その後にニューヨークタイムスやワシントンポスト等の大小の新聞社によって
トップ記事で載せられた。
報道は新聞のみならず、ラジオでもトップニュースとして報じられ、とある放送局は、
「9月19日は、まさに史上最悪の海軍記念日である。」
と、アナウンサーが涙ながらに語り、この海戦の結果は国民にショックを与えた。
この敗戦の報から翌日。まず、カリフォルニア州で反戦のデモが行われた。
それから各所で反戦のデモが起き、27日にはホワイトハウス前で、600人の民衆が撃沈される艦艇を模したプラカードを掲げて、
戦争の早期終結や、講和を声高に求めていた。
また、ワシントン州では、ある新聞が撤退する艦隊に対して、
「海軍は被撃墜機のパイロットを全て見殺しにして逃げ帰った。」
という見出しを掲げて、紙面で海軍を激しく非難した。
また、他の州の新聞にも、異なるとはいえ似たような内容の記事が紹介され、これが国民の反戦思想を、ますます煽る結果となった。
後に、これらの新聞社は、海軍側から事実を知らされ、激しく後悔する事になるが、その時には後の祭りであった。
このデモの内容も、マスコミはネタとして取り入れているであろうから、今頃、新聞社の印刷所では、レビリンイクル沖海戦関係の
記事で埋められている新聞を印刷しているであろう。
アメリカ国内で、たった2、3日の間で反戦運動が激化した事には理由がある。
それまで、連合軍は勝ち続けていた。
報道機関は、北大陸戦線やレーフェイル戦線の勝利を報道し続け、アメリカ国民は軍が勝ち続けているから、戦争の早期終結は近いと
考えていた。
いや、既に勝っていると思っている者も居た。
アメリカ国内にある大手の新聞社のいくつかは、レーフェイル戦線や北大陸戦線を地図付きで何度も紹介しており、戦況が分かるように
なっていた。
国民は、誰もが順調に勝っていると思っていたが、一方で、未だに増え続ける戦死者は、遺族達は勿論の事、戦争に勝っていると確信する
者達にも影を落としていた。
その矢先に、海軍が大損害を被って敗北したというニュースが飛び込んで来たのである。
この報道が、アメリカ国民の中で燻っていた厭戦気分を再び呼び起こし、それが全米各所での戦争の早期終結、講和を求めるデモに
発展したのである。
「…アメリカで、厭戦気分が芽生え始めたという報告は、留学生から送られて来る報告を聞いて知っていましたが……」
ラルブレイトは、険しい表情を浮かべながら言う。
彼の住むミスリアル王国でさえ、国民が国の長であるヒューリック女王に、野外で堂々と抗議するという事は考えられない事だ。
ミスリアルのみならず、バルランドやカレアント、レースベルンやグレンキアでも、アメリカのように、一介の市民が政府の
行っている事を非難するのは、全くと言っていいほどない。
あるとすれば、その国が滅ぶ時か、革命で王が交代する時ぐらいである。
会議室に居る連合国の将官達は、アメリカの中身を一応は知っていた。
今回のように、国の長である大統領が国民に政策を非難される事はあり得ると思っていた。
しかし、現実にそれが行われたとなると、彼らは改めて、アメリカと言う国に対してショックを受けたのである。
「講和を結べと言うほど、彼らの思いが強いとは。」
「…なんたる事だ…」
ラルブレイトが首を振りながら言った後、どこからか、小さな声が聞こえて来た。
ハルゼーは、その声がした方向に顔を向けた。
声を出したのはインゲルテントであった。彼は、会議が開始された時と同じように、顔を俯かせている。
心なしか、インゲルテントの体が小刻みに震えているようにも見える。
「我が国の状況は、予断を許さぬ物になりつつありますが、ひとまず、我々としては今後、このような事が起きぬように、
あらゆる努力をしなければなりません。その手始めとして……インゲルテント閣下。」
アイゼンハワーは、いつも通り穏やかな口調でインゲルテントに声を掛けた。
「あなたの口から直接、先の作戦がどうして失敗したか?その原因と思われる事を話してもらいたい。」
「……」
インゲルテントは顔を上げ、アイゼンハワーを見つめる。
彼の眼は、焦点が合っていなかった。
「……我が軍の分析としては、まず、現地側のスパイが、敵に寝返ったという説が有力です。そうでもなければ、
シホールアンル軍は今回のように、大規模な戦力を展開する筈は無かったでしょう。」
「敵に寝返った?」
ハルゼーがすかさず聞いて来た。
「閣下、どうして、敵に寝返るような輩をスパイに仕立て上げたのですか?」
「は…そこの所は、私に言われましても分かりかねますが、恐らく、スパイの愛国心が足りなかったからでしょう。」
「愛国心が足りなかった?」
ハルゼーの声音が変わった。
「貴官は、簡単に自国を裏切るような国賊をわざわざ敵国に送り込んだのですか!?」
「いや、そうではありません。」
インゲルテントは首を振りながら否定する。
「情報を提供してくれたスパイは、シホールアンル本国に8年おります。奴がすぐに裏切った…という事はあり得ません。
何故ならば、あの作戦が開始される直前までは、我々に対して有利な情報を送り続けていたからです。あの作戦が開始される
原因となった、シェルフィクル地方の情報を送るまでは、間違いなく我々の味方だった。しかし、そのスパイは、何らかの
原因で突然寝返り、我々に嘘の情報を教えて来た。スパイは、最後の最後に、愛国心を捨ててしまったのでしょうな。」
「そのスパイを育て、本国に送ったのはあなたではありませんか。失礼な言い方になるかもしれませんが、この際、はっきり
とお尋ねします。作戦失敗の責任は、貴方にもあるのではありませんか?」
「責任ですと?」
インゲルテントは意外そうな口調で言うと、いきなり高笑いを上げた。
「提督。責任は、最後の最後で相手に屈した無能なスパイにあります。あなたは、スパイを指揮していた私に責任がある、
とおっしゃいましたが、それはちと、お門違いという事になりはしませんか?」
「そんな……あなたは、自分が何を言われているのか分かっているのですか?」
ハルゼーは呻くような声で聞き返す。
「TF37は、あなたの情報を基に作り上げた作戦を遂行し、待ち伏せていた敵に袋叩きにされたのですぞ。機動部隊敗退の
責任は、当然、私にもあると思っています。私は、貴方の作戦を見て、最終的に出撃せよと判断したのです。私よりも上の
人達…太平洋艦隊司令長官や本国に居る海軍作戦部長もまた、私と同様に責任を感じています。なのに…あなたは、自分は
責任は無い、と申されるのですか?」
「…いや、ハルゼー提督。私は何も、自分は責任を全く感じていないとは言っていません。無論、提案した私自身、責任を
痛感しております。ただ、」
インゲルテントの顔が不快そうな色を表す。
「私自身、あのとんでもない情報を掴まされたのですよ。いわば、突然の大事故に会った被害者のような物です。責任の
度合いから見れば、我々を裏切り、不利な情報を突き付けたスパイの方が私よりも遥かに大きい。提督…あなたは私に責任を
取って、この司令部から出て行けとでも申されるのですか?」
「いや…そうは言っておりません。」
ハルゼーは答えるが、その声音は、こみ上げる憤りでやや乱暴になっている。
「ただ、私は、そのスパイを派遣した指揮官である、貴方も少なからず責任を問われるのでは?という意味を含んだ上で
言ったのです。何も、ここから出て行けとは言っていません。アメリカ軍に、バルランド軍に対する人事権はありませんからな。」
「ほほう、そうですか。」
インゲルテントは首を2度、縦に振りながら言う。
「確かにその通りかもしれません。ですが、責任問題に関しては、私にも話が及ぶかもしれませんが、いずれにせよ、
私はこの連合軍司令部から出て行く気はありません。」
彼はそう言い放った。
ハルゼーは、インゲルテントは開き直っているのだと確信した。
(何が連合軍司令部から出て行かない…だと?この無能大将めが!!)
心中でハルゼーは罵った。
その時、ドアが慌ただしく開かれた。
「アイゼンハワー司令官。少し、お話したい事が…」
連合軍司令部に勤務しているアメリカ軍の通信士官が、顔を青く染めながら室内に入って来た。
そのすぐ後に、いつの間にか来ていた連合国各国の士官たちが、同じように顔を青く染めるか、あるいは動揺しながら
司令官達に耳打ちし、ついでに、持っていた紙を渡した。
役目を果たした士官達は、そそくさと会議室から立ち去って行く。
「失礼しました!」
最後に退出したグレンキア軍の中佐がそう言ってから、ドアが閉められる。
「一体、何事だ?」
ハルゼーは唖然としながら、小声でカーニーに言う。
「さあ。何かあったんですかね。」
カーニーも首をかしげる。ハルゼーは、ひとまず会議室を見回してみた。
各国の司令官達は、皆が呆然とした表情を浮かべながら、手渡された紙を見つめ続けている。
いつの間にか、会議室内は、まるで通夜さながらの雰囲気に包まれていた。
「とんでもない事が起こったようだな。」
ハルゼーは、小声で呟いた。
2分ほど間を置いてから、アイゼンハワーが口を開いた。
「皆さんも知っている事でしょうが、たった今、重大な情報が飛び込んできました。」
アイゼンハワーは一旦、大きく息を吐いてから言葉を続ける。
「本日、シホールアンル帝国は、マオンド共和国と共に我が連合国に対して、講和を申し込んできました。」
「講和!?」
ハルゼーは思わず仰天してしまった。
「アイゼンハワー閣下、それは本当ですか?」
「はい。この紙に書いてあります。どうぞ。」
彼は、ハルゼーに一枚の紙を差し出した。ハルゼーはそれを手にとって、一読してみる。
「…こいつは……全く、シホット共は上手い事を考えやがる。」
この会議室に居る彼らにとって、その内容は衝撃的な物だった。
「あのシホールアンルが、ここで手打ちにしようと提案して来るとは。いつもは自国有利の体勢に持っていくまで戦うあの国が…」
ラルブレイトが、頭を抱えながらそう言う。
「我々は、夢を見ているのでしょうか?それも、限り無く、後味の悪い夢を?」
イードランク将軍は、呆然とした表情でアイゼンハワーに聞いた。
「私としても、これは夢であると思いたいのですが、残念ながら事実です。」
アイゼンハワーは淡々とした口調で答える。
「断言は出来ませんが…文面を見る限りでは、こちらとの交渉を行う準備は出来ているようです。」
「それにしても…、シホールアンルのみならず、マオンドまでもが共同で、講和を申し込んで来るとは思いませんでした。」
ハルゼーが言う。
「私はてっきり、シホールアンルは単独講和を目指すのかと思っていたのですが。」
「マオンドは、シホールアンルより技術力、国力が劣ると言っても、立派な同盟国です。マオンドは、この戦争で重要な
役割を果たしています。」
「重要な役割…つまり、戦力の誘引ですね?」
ラルブレイトがすかさず聞いて来る。
「その通りです。マオンド共和国のいるレーフェイル大陸に、我が合衆国軍は、陸海軍合わせて100万近い戦力、そして、
少なからぬ主力艦を派遣しています。もし、マオンドが居なければ、この戦力はシホールアンルに注ぐ事が出来ました。
シホールアンル側は、戦力誘引という大役を果たしたマオンドに、せめての土産として、共同で講和を行わないか?と
持ち掛けたのでしょう。」
「……アイゼンハワー閣下。」
唐突に、インゲルテントが尋ねて来た。
「この情報は、公開されるのですか?」
「いえ、すぐには公開しません。まずは、本国にこの内容を伝えて、指示を仰ぎます。本国ではこの講和を結ぶか
どうかの話し合いが行われるでしょう。その間に、国民にもこの内容を報道で伝えます。」
「………」
インゲルテントは押し黙ってしまった。
「今の状況で相手が講和して来たと報じれば、相次ぐ戦勝に浮かれている国民は講和を結んでも良いと思うかもしれませんぞ。」
イードランクが、険しい顔つきを浮かべながら言って来る。
「我々カレアントでは、大多数の国民がシホールアンルを充分に懲らしめたと思っているようです。」
「それは、我がグレンキアでも同じですよ。」
フラトスクも浮かない顔つきになりながら、呻くような声音で言う。
「我が国では、今度の北大陸派遣を実現するため、止む無く増税を行いました。増税は国民の状況を考えた上で行ったのですが、
それでも一部の良識者は強く反発しています。それに加え、国民の中には、シホールアンルは南大陸から追い払ったのだから、
戦争はもう終わりつつあると思う者が少なくありません。」
「グレンキアでも…」
アイゼンハワーは困惑したような声音で言ってから、口を閉ざした。
「ですが、アメリカが戦闘を続けるのなら、これらの声も消えるかと思います。」
フラトスクが、改まった口調で付け加えた。
「我がグレンキアも、アメリカの支援に助けられています。我々の国民は、恩人をたった1人で苦労させるほど愚かではありません。」
「つまり…アメリカの反応次第で、この戦争の行く末が決まるという事か…」
ハルゼーは、小声で独語する。
「既に、この内容は本国に打電しているのですかな?」
隣に座っていたカーニーがアイゼンハワーに聞いた。
「ええ。この情報を伝えて来た士官に、至急、本国に送れと通達しております。とは言え…」
アイゼンハワーは、後ろの窓に振り返ってから、深くため息を吐いた。
「会議が終了した後は、司令部前で待機している記者達から質問攻めに会うでしょう。彼らだって、司令部内に慌ただしく
入って行った連合軍の士官達を目にしています。それだけでも、スクープを追っている彼らにとって、大事件が起きたと
感じさせるには充分でしょう。」
彼はそう言ってから、インゲルテントに視線を向ける。
「インゲルテント閣下、ご覧のように、シホールアンルは講和を申し込んで来ました。」
「……」
「誠に言い難い事ではありますが、最悪の場合、我が国はシホールアンル、マオンド側と交渉の席に付く可能性があります。」
「…何故…だ。」
急に、インゲルテントが口を開いた。
「何故…なんだ。」
「…閣下?」
「私は…常に最良の方法を選んで着た筈…なのに…何故」
彼は、体を震わせながら言葉を吐き続けた。
「何故、私が使う手駒は、役立たずばかりなのだ!?」
「…………」
インゲルテントが吐いた思わぬ言葉に、会議室の一同は耳を疑った。
誰もが、彼が口にした言葉に唖然としている中、1人だけ、素早く反応した者が居た。
「おい。」
その人物が、先とは打って変わった口調でインゲルテントに向かって言う。
「貴様だ。今、何と言った?」
「…へ?」
インゲルテントは、声がした方向に目を向ける。右斜め前に居るハルゼーが、顔を赤く染め上げていた。
「何と言った…と。」
ハルゼーはそこまで言うと、いきなり拳をテーブルに叩き付け、その衝撃でコップが倒れた。
「聞いているのだ!!」
ハルゼーの怒号が会議室に木霊した。
「貴様!自分が何を言ったのかわからんようだな!貴様はな、自分の使う手駒は役立たずと言ったのだぞ!?」
彼は、相手が同盟国の将官だという事も忘れ、指さしながら言葉を続ける。
「役立たずだと?貴様、それは、レビリンイクル沖で敗北したTF37に対しても言ったのだろう?」
「い…いや、そんな訳では」
「言い訳をするな!!貴様は確かに、敗勢にあったとはいえ、勇敢に戦ったTF37を、役立たずと罵倒した!!!」
ハルゼーの怒声がインゲルテントに次々と突き刺さって行く。
彼は明らかに怒り狂っていた。
「あの海戦でどれぐらいの艦が撃沈されたと思うのだ!?主力艦だけでもバンカーヒル、タイコンデロガ、サラトガ、
ベローウッド、モントレイ、インディアナの6隻だ!そして、巡洋艦や駆逐艦も少なからず沈められている!レビリンイクル沖で
散って行った将兵は、司令官を始め、3000人以上も居るのだぞ!それでも、TF37は戦い抜き、ボロボロになりながらも
帰って来た。」
ハルゼーは、しばしの間、視線を下に向けながら語り、言葉を区切るや、再びインゲルテントを睨みつける。
「その勇士達を、あんたは、役立たずと言うのか!?」
「う…」
インゲルテントは言葉を発しようとするのだが、なかなか出て来ない。しかし、ハルゼーと同様、インゲルテントもまた、頭に血が上っていた。
「そ…そう言われても、仕方がなかろう。武人は、たとて全滅しても、その任を全うするのが務め」
「ふざけた事を抜かすな!」
インゲルテントの言葉を、ハルゼーの怒号が遮った。
「貴様のような階級だけの訓練生ごときが言うな!合衆国の精鋭部隊は、貴様のような畜生に突撃させられて、全滅するためにあるのでは
ない!!」
ハルゼーは怒鳴りながら、テーブル越しにインゲルテントに飛びかかろうとした。
それを慌てて、アイゼンハワーとカーニーが取り押さえた。
「は、離してくれ!」
「提督!落ち着いて下さい!今は会議中ですぞ!」
「そうです長官!相手を罵るだけではいけません!」
アイゼンハワーとカーニーの言葉に、ハルゼーは更に吠える。
「あんたらは何を言っているんだ!?あの階級だけのろくでなし訓練生に、俺達の精鋭機動部隊を壊滅させられた挙句、
役立たず呼ばわりされたのだぞ!?例え、大統領が許しても、俺は合衆国海軍の誇りに掛けて、決して許す事は無い!!」
そう叫びながら、テーブルに乗り掛ってインゲルテントに掴みかかろうとする。
「インゲルテント閣下!申し訳ないが、今日はお引き取り願いたい!」
アイゼンハワーは、有無を言わせぬ口ぶりで言って来た。
それにインゲルテントは面喰いながらも、尚も反論する。
「ま、待ってくれ!私に責任は」
「お引き取り下さい!今、すぐに!!」
アイゼンハワーにしては珍しく、厳しい口調で言葉が放たれた。
それにショックを受けたインゲルテントは、イスから転げ落ち、あたふたとしながら副官と共に会議室から飛び出して行った。
それから5分後。会議室の喧騒は収まっていた。
ハルゼーは、気持ちを抑えるために葉巻を吸っていた。
(畜生、なんて奴だ)
彼は、鋭い視線で空いた席を見つめる。
(あの野郎。TF37の事を役立たずと罵りやがった。頭でっかちの訓練生ごときが、精鋭部隊を役立たずとのたまうとは…腐ってやがる)
ハルゼーは心中でそう吐き捨てた。
あの日、旗艦ニュージャージーの作戦室に、TF37敗退の報が届けられた時、誰もが強い衝撃を受けた。
その中でも、特にショックを受けていたのはハルゼーであった。
彼は、空母5隻、戦艦1隻を始めとする多数の艦艇が一気に失われた事に衝撃を受け、そして、その中に、彼がかつて、
艦長を務めていた馴染み深い艦…空母サラトガが含まれていた事に、二重の衝撃を受けていた。
一昔前、彼は空母サラトガの艦長に任命される前に、50歳という年齢にもかかわらず、自分から見れば子供のような訓練生達に
混じりながら、自ら航空機の操縦桿を握り、パイロットの資格を取った。
その後、空母サラトガの艦長に就任し、同艦で様々な事を学んだ。
サラトガから降りた後も、ハルゼーは常に「レディ・サラは大きくて、良い船だったよ」と、周囲に言い続けていた。
戦争が続いて行くに連れて、サラトガは優秀な精鋭空母として周囲から評価されていくと、ハルゼーも自然と誇らしげな気持ちになった。
しかし、その思い入れの深かった艦も、レビリンイクル沖海戦で不帰の客となってしまった。
ハルゼーは、帰還したサラトガの乗員から、その最後の様子を聞き取った時、思わず涙を流した。
サラトガは、最後まで良い船だった。
生き残りの乗員から話を聞いた後、彼はそう思った。
しかし、インゲルテントのあの発言は、その栄光の空母の戦歴を侮辱したも同然であった。
それだけに、ハルゼーはインゲルテントを許せなかった。
(信頼できる同盟国に、あんなろくでなしが混じってやがるとはなぁ。)
ハルゼーは、落胆していた。
もし、この場にコルト拳銃があれば、彼は間違いなく、インゲルテントに向けていただろう。
アイゼンハワーが側で何かを言っているが、未だに、頭の中が煮え切っているハルゼーは、その声が遠くから聞こえているように思えた。
10分後、緊急会議は終わりを告げ、各国の将軍達は大慌てで会議室から出て行った。
レビリンイクル沖海戦で生じた厭戦気分。そして、それに乗じるかのように発せられたシホールアンル、マオンドからの提案。
連合国が最も危惧していた形での講和が現実な物になろうとしている。
講和を結ぶか。あるいは黙殺し、戦争を続けるか。
いずれにせよ、その鍵を握っているのは、アメリカであった。
ここにして、アメリカの真意が問われようとしていた。
シホールアンル帝国並びに、マオンド共和国政府より提案された講和条約の内容
1、シホールアンル帝国並びにマオンド共和国政府は、連合国各国に対して講和を申し入れる準備がある。
2、両政府は、現在の状況のままで停戦しても構わないと判断する。
3、両政府は、現政府が存続したままの状態で、講和を行う事を求める。
4、両政府は、過去の戦争において、損害をもたらしてしまった被占領国に人員を配置し、国家を独立させるまで再生する事を約束する。
5、シホールアンル、マオンド両国がある程度の軍縮を行うため、連合国はまず、北大陸からの段階的な撤退を行う事を提案する。
6、シホールアンル、マオンド両政府は、この度の戦争で戦争犯罪人を裁く必要性があると感じ、自らの手でそれを行う事を約束する。
7、両政府は、連合国に対し、双方で得た捕虜を交換する事を提案する。
8、本案を受け入れる際は、直接魔法通信で回答を送るか、同盟国経由で送る事を望む。
9、講和申し込みを受諾した場合は、ジャスオ領にある連合国側の拠点で交渉を行う。交渉を行う際、その期間中は休戦状態とする。
尚、交渉場所の選定は連合国に一任する。
1484年(1944年)9月28日 午前9時 ホウロナ諸島ファスコド島
第3艦隊司令長官であるウィリアム・ハルゼー大将は、午前8時40分には、旗艦である戦艦ニュージャージーを降り、
内火艇で桟橋に向かった。
8時50分には桟橋に付き、そこから車で連合軍司令部へ向かった。
午前9時ちょうどには、連合軍司令部の玄関前へ到着し、ハルゼーは重い足取りで地面を踏んだ。
彼は建物の中へ入る前に、空を見上げた。
「曇ってやがるな……」
いかつい顔を少し歪めながらそう言うと、彼はカーニー参謀長と共に中へ入って行った。
2人は会議室の前に立つと、互いに顔を見合わせた。
「カーニー。奴さんの顔を見ても、すぐに飛びかかろうとするんじゃねえぞ。」
「承知しております。長官。」
カーニーは苦笑交じりに答える。
「それよりも、私は長官があの人を見るなり、いきなり罵声を浴びせないかと心配なのですが。」
「ハハ。心配には及ばんよ。」
ハルゼーはニヤリと笑った。
「今日は話し合いに来たんだ。喧嘩する為に来たんじゃない。奴さんが何と言おうと、普通に反応するだけさ。
レイに教えられた通り、普通にな。」
「普通に、理知的に攻めていく、という事ですな?」
「あたり前よ。相手がゴミ屑同然の畜生でも、一応は同盟国の将官だ。紳士に対応して、紳士に批判してやらなくちゃならん。」
ハルゼーはそう言ってから、右手で自分の胸を叩いた。
「なんてったって、俺達はアメリカ人だからな。」
ハルゼーはそこまで言ってから微笑んだ。
彼はドアノブを回して、室内に入った。
中に入ると、バルランド軍指揮官であるインゲルテント将軍を除く各国の将官達が既に集まっていた。
彼らはハルゼーの顔を見るなり、やや驚いた表情を浮かべていた。
「おはようございます。」
ハルゼーとカーニーは抑揚のある声音で挨拶してから、アイゼンハワーの隣の席に座った。
「閣下。インゲルテント閣下がまだお見えになられてないようですが。」
ハルゼーは席に座ってから、アイゼンハワーに話しかけた。
アイゼンハワーは頷いてから答える。
「インゲルテント閣下は、もう少しでここに着きます。会議の開始は9時30分。今は9時18分を回ったばかりですから、
まだ時間はありますよ。」
「ふむ…わかりました。」
ハルゼーは浅く頷く。
「それまでは、気楽に待つとしましょうか。」
彼は、朗らかな口調でアイゼンハワーに言った。
そのまま2分ほど経ってから、ハルゼーは小声で隣のカーニーに尋ねる。
「カーニー。俺は皆から注目されているようだ。」
「そうですね。他の国の将官達は、ちらちらと視線を送って来ていますよ。」
カーニーは、回りを見回しながらハルゼーに答えた。
今、会議室にはバルランドを除く、連合国の将官とその副官達が集まっており、誰もがアメリカ側の将官……特にハルゼーを注目している。
ハルゼーとカーニーは、彼らがしきりに視線を送って来る原因を嫌というほど理解している。
その原因を作るきっかけとなった、インゲルテントの提案。
インゲルテントが、自信満々にアメリカ側に情報を知らせて来てから早3週間余りが経った。
アメリカ海軍の勝利を確信していたインゲルテントにとって、先のレビリンイクル沖海戦での大敗は大きな痛手となったであろう。
ヘイルストーン作戦の基を作ったインゲルテントは、ハルゼー達がこうして待っている間も、この司令部を目指して進んでいるだろう。
ハルゼーとインゲルテントが相対した時、会議室は修羅場と化すか、それとも…。
各国の将軍達は、顔には表わさないが、態度から見てそれを気にしている様子だ。
「まっ、奴さん達は俺とインゲルテント閣下がどうやり取りするか、気になって仕方がないのさ。」
ハルゼーはため息まじりにそう言った。
「待ち時間ももうすぐで終わる。それまでは、野暮な事は考えないようにしよう。」
バルランド王国軍北大陸派遣軍総司令官である、ウォージ・インゲルテント大将は、用意された特別車に乗って、
連合軍総司令部に向かっていた。
「…………」
インゲルテントは、苦渋に顔を歪めていた。
車に乗る前から…いや、それよりももっと前から、彼はずっと悩んでいた。
(どうしてだ…何故、私は肝心な時に、こんな目にあってしまうのだろうか)
彼は、心中でそう思った。
幾度となく繰り返した自問。
あの、凶報が舞い込んできた時から、彼はずっと、心の中で考え続けていた。
彼が知らされたあの情報は、確かに信頼できる筋から伝えられた情報だ。
インゲルテントは、幾度となく、シホールアンル国内に居るスパイから情報を知らされ、それを連合軍に知らせる事で
戦闘に貢献して来た。
7月に行われたエルネイル上陸作戦でも、インゲルテントは少ないながらも、信頼のあるその筋からの情報を、アメリカを
始めとする連合国軍に伝え、当日の上陸作戦成功に貢献する事が出来た。
今回のシェルフィクル攻撃作戦も、いつも通り成功する筈だった。
だが、作戦は失敗に終わった。
作戦に成功していれば、この戦争の終結は早まり、バルランドも含む連合軍は、シホールアンルに対して有利な形で
停戦出来た筈であった。
しかし、作戦は失敗した。それも…同盟軍が誇る最強の艦隊が壊滅するという、最悪の状態で。
(艦隊が攻撃に成功していれば、私も意気揚々と本国に戻れた物を…何故……どうして?)
インゲルテントは更に考え込む。
インゲルテント家の当主として、そして、軍人として、人生の大半を捧げて来た彼だが、そんな彼は、これまでに幾度も
失敗を重ねて来ている。
その都度、彼はショックを受けて来たが、それもあらゆる手を使う事で乗り越えて来た。
ある時は、一見暴論にも思えるような事でも堂々とぶち上げて、責め立てて来た相手を逆に黙らせ、しまいには逆に
無能ぶりを罵って失脚に追いやった。
また、ある時は、相手側を“不慮の事故”にあわせたりして、査問会では自らの正当性を主張して問題を解決した事もある。
そうしていく中で、インゲルテントは、策謀渦巻く王国の中枢の中で、最も貴族らしい貴族と言われるようになり、
今日までバルランド有数の名門貴族の当主として、そして、バルランド軍屈指の英雄として任務に励んで来た。
その彼が、またもや試練に直面している。
(毎度毎度、何故私はこのような目に会うのだ?確かに完璧だったはずなのに…)
彼の内なる呟きは更に続く。
運転手からは見る事が出来なかったが、彼の表情は、怨念めいた物を感じさせるかのように、暗く歪んでいた。
(まったく…いつの時期にも、私の功績を汚す輩が出て来て来る物だな!)
インゲルテントは、内心でそう吐き捨てた。
その時、運転手が声を掛けて来た。
「閣下・・・・・閣下?」
インゲルテントはすかさず目を剥いた。彼は一瞬怒鳴り声を上げかけたが、車の窓の外が見えた事で、ようやく我に返った。
「…着いたか。」
インゲルテントは、落ち着いた声音で運転手に言うと、助手席に乗っていた副官と共に車から降りた。
ドアが閉められると、アメリカ製のフォードV8車は軽快なエンジン音を上げながら、待機場所に向かって行った。
「アメリカから贈られて来た特別車……あいつに乗り続けられるか否かは、私次第だな。」
インゲルテントは、副官に聞き取れぬような小声でそう呟いてから、軽く微笑んだ。
その笑みは、彼の心情を表しているかのように、微かに歪んでいた。
時計が午前8時26分を回った時、会議室のドアが音立てて開かれた。
カーニーと話し合っていたハルゼーは、開かれたドアに目を向けた。
「どうも。お待たせして申し訳ありません。」
インゲルテント大将は、室内に入ると同時に、事務的な口調で会議の参加者たちにそう言いながら、軽く頭を下げた。
彼はやや伏し目がちになりながらも、空いている席に座った。
(至って普通だな)
ハルゼーは、内心やや不満になりながら、インゲルテントの様子が特に変わり無い事を確認した。
彼は、ラウスからインゲルテントがどのような人物かを聞かされていた。
インゲルテントは、自分が失敗を犯しても、それが自分が原因であるという事を余り認めず、むしろ、実行した指揮官や
担当者に責任をなすりつける事が多いと言われていた。
それに、査問会の時は、いかにも自分が被害者であると言わんばかりの様子で入室し、盛んに自らの弁護を繰り返すという。
ハルゼーから見れば、インゲルテントは文字通り馬鹿軍人である。
ただ、性格は酷い物の、軍人としての能力は決して低い物では無いようだ。
ハルゼーとしては、中途半端に悪人であり、同時に、中途半端に軍人らしい男であるインゲルテントを、あからさまに
馬鹿にする事は出来なかった。
(奴は、中途半端に良い判断をする場合があるからな。なかなか全否定する事が出来ん。だが……)
ハルゼーは、インゲルテントと目が合った。
その時、ハルゼーは軽く微笑んでから、わざとらしく会釈した。
(TF37を壊滅させたあんたを、俺は決して許さんからな)
彼はインゲルテントに対して、心中でそう言い放った。
一方、当の本人は、無表情で軽く頭を下げた。
「全員揃ったようですね。」
ハルゼーから右斜めの位置に座っていたアイゼンハワーが口を開いた。
「それでは、これより会議を開きたいと思います。」
アイゼンハワーはそう言って、会議を開いた。
彼の声音は、いつもと比べてやや重い。
「つい先日、我が合衆国海軍所属の機動部隊が、シホールアンル本国の拠点を攻撃中に敵の航空攻撃を受け、大損害を
被りました。この結果、ハルゼー提督の第3艦隊は、稼働戦力が大幅に減少し、我が合衆国太平洋艦隊は、最低でも
3ヵ月程は、大規模な敵地攻撃は行えないと判断されました。この詳細は、会議に参加してくださった、第3艦隊
司令長官であるハルゼー大将から説明があります。」
アイゼンハワーはハルゼーに目配せした。
頷いたハルゼーは、咳払いをしてから不機嫌そうに歪んでいた口を開く。
「えー、今しがた、アイゼンハワー閣下が申した通り、第3艦隊所属の第37任務部隊は、シホールアンルの重要拠点
であるシェルフィクル地方を攻撃中に、突如として敵の大反撃を受けてしまいました。帰還した任務部隊の次席指揮官
から詳しく話を聞いた所、シホールアンル軍はTF37の接近を事前に掴んでいた、という事です。」
ハルゼーの最後の一言に、話を聞いていたインゲルテントが微かに体を震わせる。
「次席指揮官は、この他にも、シホールアンル軍はTF37が保有していた航空兵力を凌駕する程の戦力を、時間差で
叩き付けて来た、とも言っておりました。それに加え、シホールアンル軍は、サウスラ島沖に派遣していた筈の正規竜母までをも
投入して、TF37に打撃を加えてきました。TF37は、早朝から夕方にかけて、実に6波もの航空攻撃を受けています。
皆様方もご存知かと思われますが、TF37は実に、正規空母3隻、軽空母2隻、戦艦1隻、巡洋艦2隻、駆逐艦10隻を
喪失し、空母2隻と巡洋艦6隻、駆逐艦4隻が撃破されています。そして、損害はこれだけに留まりません。」
ハルゼーは、ちらりとインゲルテントを見つめる。
各国の将軍達がハルゼーを注視している中、インゲルテントだけは申し訳なさそうに目を伏せている。
(馬鹿野郎が。今更後悔したって、沈んで行った艦や、逝ってしまった部下達は、もう戻らんのだぞ)
ハルゼーは、不意に憤りを感じたが、それを抑えて言葉を続ける。
「帰還中、TF37は幾度もレンフェラルの攻撃を受けています。この攻撃で、更に駆逐艦2隻が撃沈され、空母レキシントンと
ラングレーの2隻が損害を負っています。この結果、TF37の稼働戦力は、空母だけでも12隻から3隻に減っています。
それ以外にも、整備を必要とする母艦もTF37から1隻。TF38からも2隻おりますから、我が第3艦隊が使える高速空母は、
TF38のエセックス、ランドルフ、ボノムリシャール、インディペンデンス、サンジャシント、TF37のフランクリン、ボクサー、
プリンストンの計8隻のみです。」
「第38任務部隊のもう一方の空母部隊に整備が必要、と申されていますが、空母部隊の整備は定期的に行われているのでは無かったのですか?」
ミスリアル王国軍北大陸派遣軍司令官であるマルスキ・ラルブレイト大将が、意外だと言わんばかりの表情で聞いて来る。
「事前の予定では、各任務部隊には定期的に休養を取るよう指示を下してはありました。しかし、エルネイル上陸作戦以降、我が第3艦隊は
地上部隊の支援任務に従事し続けていたため、整備を行うとしても、短い期間で行うには満足と言える程の整備は不可能でした。」
「ホウロナ諸島や、我が国のエスピリットゥ・サントに浮きドックや多数の工作艦がおりますが、それだけでも不足だったのですか?」
「はい。正直言って、大型艦の整備を行うには足りません。無論、1隻や2隻程度なら大丈夫です。ですが、エルネイル作戦以降は、
第38、37任務部隊の他に、多数の護衛空母や小型艦艇、そして各種支援艦艇もおり、整備は橋頭保の確保や、補給に最も重要な物である、
これらの支援艦艇を優先して行われました。その結果、我が第3艦隊の主力部隊は、思うように整備を行う事が出来ず、出来たとしても、
一部の任務群がやっと……という状況が続いていました。TG38.1は、軽い整備を受けただけで、他の任務群のように満足の行く整備を
行う事は出来ませんでした。」
「そもそも、空母や戦艦といった大型艦の整備は、一昔前までは我が国の本土で行っていた物です。」
アイゼンハワーが横から入って来た。
「私は陸軍の軍人なので、海軍の事は詳しく分かりませんが、本来はそうやって、艦の戦力を万全な物にして来たのです。
今は技術の進歩のお陰で、現場に近い拠点でも、本格的な整備を行う事が可能となりました。ですが、一時にこなせる量は、
本土と比べると低く、ファスコド島やエスピリットゥ・サント、ヴィルフレイングといった拠点で整備を行っても、設備が
本土より整っていないため、艦が前線に復帰できる時間は必然的に長くなります。この事からして、稼働空母が一時的に、
予定よりも減少する事は致し方ない事なのです。」
「進出を急ぎ過ぎたツケが回って来た、という事になりますな。」
アイゼンハワーとハルゼーの言葉を聞いたラルブレイトは、すまなさそうに頭を下げた。
「そうだったのですか…いらぬ事を聞いて申し訳ない。」
「いえ、別に謝る事はありますまい。」
アイゼンハワーは首を横に振りながら、ラルブレイトに返した。
「今は戦争中です。戦争とは、必ず、どこかで不具合が出る物です。我々は、どうしてそんな事が起こるのかよく考えて、
次にそれが起こらないように備えるだけです。」
彼は微笑みながらそう言った。
「話が少しずれてしまいましたが、それはともかく。我々第3艦隊は、整備が必要な母艦を除けば、正規空母5隻、軽空母3隻
しかおりません。当面は、この8隻の空母を主軸に、航空支援等の航空作戦を行って行きますが、敵地…例えば、敵の拠点に
対する攻撃は当分行えないか、行えたとしても、以前のように執拗な反復攻撃を加えるという事はせず、一度限りの奇襲攻撃しか
行えないでしょう。」
「近いうちに、増援の航空母艦が来る、という事はあり得ないのでしょうか?」
カレアント軍司令官のフェルディス・イードランク中将が質問して来た。
「12月までに、新鋭空母のシャングリラが太平洋艦隊に配備されますが、それまでには1隻の増援もありません。」
ハルゼーはきっぱりと言い放った。
「護衛空母は、何隻かが来るかもしれませんが、最新鋭の正規空母は12月までには来れません。いや、大西洋戦線が落ち着けば、
何隻かは回されて来るかもしれませんが、正直申しまして、それがいつになるかは、マオンド次第ですな。」
「そうですか。では、しばらくの間は少ない手勢のままで我慢するしかない、と言う事ですね。」
「気に入らぬ状況ではありますが、そうなります。」
ハルゼーはため息交じりの声音で、イードランク将軍に答えた。
「しかし、先の作戦では、サウスラ島沖海戦の戦果も含めて、かなりの数の竜母を沈めるか、あるいは損傷させたようですな。」
グレンキア軍司令官であるスルーク・フラトスク中将が聞いて来た。
「撃沈した竜母の中には、外見を幻影魔法で似せただけの偽竜母も含まれていたようですが、それでも本物の竜母を3、4隻は
沈めたと、私は聞いています。先の海戦で、確かにハルゼー提督の艦隊は少なからぬ痛手を被った。しかし、深手を負ったのは
あちらも同じであり、シホールアンル側も、今後しばらくはまともに動けない、と、私は思うのですが。」
「おっしゃる通りです。」
ハルゼーは小さく頷いた。
「敵の捕虜を尋問して調べた所、サウスラ島沖海戦で撃沈した竜母の大半は、ニセ物である事が証明されましたが、一部には
小型ではある物の、本物の竜母が含まれている事。そして、TF37が最後の反撃で、少なくとも正規竜母1隻に撃沈確実の
損害を負わせ、他に2隻に大破同然の損害を与えています。フラトスク閣下の言われる通り、敵は稼働竜母の約半数を撃沈、
あるいは撃破されています。最も、これは推測ではありますが、話半分だとしても、戦力の予備が不足し始めている敵に取って、
大打撃をとなったのはほぼ間違いありません。我々第3艦隊司令部でも、シホールアンル海軍はしばらくの間、大規模な作戦行動は
起こさぬであろう、という結論に達しています。ただ、」
ハルゼーは語調を変えた。
「我々にとって、状況は徐々に不利な物になりつつあります。」
ハルゼーはアイゼンハワーに顔を向けた。
「3日前、我が合衆国本土のラジオ放送や、新聞を始めとするマスコミが、先のヘイルストーン作戦の結果を全国民に知らせました。
その翌日、本国内のいくつかの州で、大規模な反戦デモが行われました。」
「反戦デモ?」
それまで黙っていたインゲルテントが、怪訝な表情を浮かべながらアイゼンハワーに尋ねる。
「貴国の国民は、戦時中にも関わらず、戦争反対を訴える抗議活動を行っているのですか?」
「はい。」
アイゼンハワーは即答する。
「抗議デモは、8の州で行われました。その中には、首都であるワシントンDCも含まれています。」
「ワシントンDC!?」
インゲルテントが思わず声を上げた。
「…国の長である大統領に抗議したというのですか?」
「そうなります。インゲルテント閣下も幾度か聞いているとは思いますが、我が祖国アメリカは民主主義国家であり、
主権は国民にあるのです。国のトップである大統領は、国民の代表として政治を行いますが、位置的に見れば、アメリカ
という国は、国民の支えがあって、初めて国としてやって行ける。国家の柱である国民の声は、この世界とは違って全く
無視できぬものなのです。無論、あからさまに馬鹿げた内容の抗議は大統領どころか、同じ国民にすら無視されます。
しかし、内容が正しく、しかも、筋の通っている物ならば、それは必然的に賛同者を増やし、しまいには、今回のような
事になるのです。」
「そういえば、艦隊には従軍記者と呼ばれる者達が多数付いて行ったと、艦隊に派遣されている兵士から聞いたのですが。
まさか、その者達が、今回の海戦の結果をしらせたのですか?」
「報道は海軍が先に行いました。ですが、その頃には記者達も情報を本国に送っているため、後に各新聞社やラジオ局からも、
海戦の結果は一斉に報道されました。」
ハルゼーが代わりに答えた。それに対して、インゲルテントは大きく目を見開く。
「…検閲はしなかったのですか?」
「勿論行いました。記者達の情報は、一時海軍の広報に提出されたあと、また記者に戻されています。その際に、内容の訂正を
求める等の対処は行いました。ですが、それはほんの一部にしか過ぎなかった、と、私は聞いています。」
「そんな!?何故、わざわざ不利になるような情報をお伝えするのですか!?」
インゲルテントは声をわななかせる。まるで、信じがたいと言わんばかりだ。
「我々だって、情報を過度に流すのはよろしくないと考えております。ですが、それでは国民が付いて行かぬのです。」
「嘘をついて信頼を勝ち取っても、それが暴露されれば、完全に信頼を無くすから、ですな?」
レースベルン軍司令官のホムト・ロッセルト中将がすかさず尋ねて来た。
「はい。この情報を公開する前は、海軍省や政府中枢でかなり揉めたと言われています。インゲルテント閣下が言われるように、
情報を規制するのもどうか?という意見も何度か出たようです。しかし、結果はこうなりました……」
アメリカ国内で、最初に海戦の報道が行われたのは、9月25日の事である。
「9月19日。合衆国海軍は、シホールアンル帝国本土の重要拠点であるシェルフィクル地方の工業地帯、並びに軍事施設を、
第3艦隊所属の第37任務部隊が全力でもって攻撃するも、敵の反撃によって大損害を受けて敗退した。この海戦で、
太平洋艦隊は空母5隻、戦艦1隻、巡洋艦2隻、駆逐艦10隻、航空機500機を喪失、空母3隻と巡洋艦6隻、駆逐艦4隻が
損傷し、第37任務部隊司令官であるジョセフ・パウノール提督は旗艦タイコンデロガ艦上にて、不幸にも戦死された。
第37任務部隊は、敵部隊の一部に対して反撃を行い、竜母1隻並びに、駆逐艦5隻を撃沈し、竜母3隻に損害を与えるも、
シェルフィクル地方への攻撃続行は、相次ぐ航空攻撃で稼働戦力が激減したため、続行は不可能と判断し、止む無く現地から
撤退した。尚、海軍は、この海戦の呼称をレビリンイクル沖海戦と呼称する。」
という最初の報道が海軍側から行われ、その後にニューヨークタイムスやワシントンポスト等の大小の新聞社によって
トップ記事で載せられた。
報道は新聞のみならず、ラジオでもトップニュースとして報じられ、とある放送局は、
「9月19日は、まさに史上最悪の海軍記念日である。」
と、アナウンサーが涙ながらに語り、この海戦の結果は国民にショックを与えた。
この敗戦の報から翌日。まず、カリフォルニア州で反戦のデモが行われた。
それから各所で反戦のデモが起き、27日にはホワイトハウス前で、600人の民衆が撃沈される艦艇を模したプラカードを掲げて、
戦争の早期終結や、講和を声高に求めていた。
また、ワシントン州では、ある新聞が撤退する艦隊に対して、
「海軍は被撃墜機のパイロットを全て見殺しにして逃げ帰った。」
という見出しを掲げて、紙面で海軍を激しく非難した。
また、他の州の新聞にも、異なるとはいえ似たような内容の記事が紹介され、これが国民の反戦思想を、ますます煽る結果となった。
後に、これらの新聞社は、海軍側から事実を知らされ、激しく後悔する事になるが、その時には後の祭りであった。
このデモの内容も、マスコミはネタとして取り入れているであろうから、今頃、新聞社の印刷所では、レビリンイクル沖海戦関係の
記事で埋められている新聞を印刷しているであろう。
アメリカ国内で、たった2、3日の間で反戦運動が激化した事には理由がある。
それまで、連合軍は勝ち続けていた。
報道機関は、北大陸戦線やレーフェイル戦線の勝利を報道し続け、アメリカ国民は軍が勝ち続けているから、戦争の早期終結は近いと
考えていた。
いや、既に勝っていると思っている者も居た。
アメリカ国内にある大手の新聞社のいくつかは、レーフェイル戦線や北大陸戦線を地図付きで何度も紹介しており、戦況が分かるように
なっていた。
国民は、誰もが順調に勝っていると思っていたが、一方で、未だに増え続ける戦死者は、遺族達は勿論の事、戦争に勝っていると確信する
者達にも影を落としていた。
その矢先に、海軍が大損害を被って敗北したというニュースが飛び込んで来たのである。
この報道が、アメリカ国民の中で燻っていた厭戦気分を再び呼び起こし、それが全米各所での戦争の早期終結、講和を求めるデモに
発展したのである。
「…アメリカで、厭戦気分が芽生え始めたという報告は、留学生から送られて来る報告を聞いて知っていましたが……」
ラルブレイトは、険しい表情を浮かべながら言う。
彼の住むミスリアル王国でさえ、国民が国の長であるヒューリック女王に、野外で堂々と抗議するという事は考えられない事だ。
ミスリアルのみならず、バルランドやカレアント、レースベルンやグレンキアでも、アメリカのように、一介の市民が政府の
行っている事を非難するのは、全くと言っていいほどない。
あるとすれば、その国が滅ぶ時か、革命で王が交代する時ぐらいである。
会議室に居る連合国の将官達は、アメリカの中身を一応は知っていた。
今回のように、国の長である大統領が国民に政策を非難される事はあり得ると思っていた。
しかし、現実にそれが行われたとなると、彼らは改めて、アメリカと言う国に対してショックを受けたのである。
「講和を結べと言うほど、彼らの思いが強いとは。」
「…なんたる事だ…」
ラルブレイトが首を振りながら言った後、どこからか、小さな声が聞こえて来た。
ハルゼーは、その声がした方向に顔を向けた。
声を出したのはインゲルテントであった。彼は、会議が開始された時と同じように、顔を俯かせている。
心なしか、インゲルテントの体が小刻みに震えているようにも見える。
「我が国の状況は、予断を許さぬ物になりつつありますが、ひとまず、我々としては今後、このような事が起きぬように、
あらゆる努力をしなければなりません。その手始めとして……インゲルテント閣下。」
アイゼンハワーは、いつも通り穏やかな口調でインゲルテントに声を掛けた。
「あなたの口から直接、先の作戦がどうして失敗したか?その原因と思われる事を話してもらいたい。」
「……」
インゲルテントは顔を上げ、アイゼンハワーを見つめる。
彼の眼は、焦点が合っていなかった。
「……我が軍の分析としては、まず、現地側のスパイが、敵に寝返ったという説が有力です。そうでもなければ、
シホールアンル軍は今回のように、大規模な戦力を展開する筈は無かったでしょう。」
「敵に寝返った?」
ハルゼーがすかさず聞いて来た。
「閣下、どうして、敵に寝返るような輩をスパイに仕立て上げたのですか?」
「は…そこの所は、私に言われましても分かりかねますが、恐らく、スパイの愛国心が足りなかったからでしょう。」
「愛国心が足りなかった?」
ハルゼーの声音が変わった。
「貴官は、簡単に自国を裏切るような国賊をわざわざ敵国に送り込んだのですか!?」
「いや、そうではありません。」
インゲルテントは首を振りながら否定する。
「情報を提供してくれたスパイは、シホールアンル本国に8年おります。奴がすぐに裏切った…という事はあり得ません。
何故ならば、あの作戦が開始される直前までは、我々に対して有利な情報を送り続けていたからです。あの作戦が開始される
原因となった、シェルフィクル地方の情報を送るまでは、間違いなく我々の味方だった。しかし、そのスパイは、何らかの
原因で突然寝返り、我々に嘘の情報を教えて来た。スパイは、最後の最後に、愛国心を捨ててしまったのでしょうな。」
「そのスパイを育て、本国に送ったのはあなたではありませんか。失礼な言い方になるかもしれませんが、この際、はっきり
とお尋ねします。作戦失敗の責任は、貴方にもあるのではありませんか?」
「責任ですと?」
インゲルテントは意外そうな口調で言うと、いきなり高笑いを上げた。
「提督。責任は、最後の最後で相手に屈した無能なスパイにあります。あなたは、スパイを指揮していた私に責任がある、
とおっしゃいましたが、それはちと、お門違いという事になりはしませんか?」
「そんな……あなたは、自分が何を言われているのか分かっているのですか?」
ハルゼーは呻くような声で聞き返す。
「TF37は、あなたの情報を基に作り上げた作戦を遂行し、待ち伏せていた敵に袋叩きにされたのですぞ。機動部隊敗退の
責任は、当然、私にもあると思っています。私は、貴方の作戦を見て、最終的に出撃せよと判断したのです。私よりも上の
人達…太平洋艦隊司令長官や本国に居る海軍作戦部長もまた、私と同様に責任を感じています。なのに…あなたは、自分は
責任は無い、と申されるのですか?」
「…いや、ハルゼー提督。私は何も、自分は責任を全く感じていないとは言っていません。無論、提案した私自身、責任を
痛感しております。ただ、」
インゲルテントの顔が不快そうな色を表す。
「私自身、あのとんでもない情報を掴まされたのですよ。いわば、突然の大事故に会った被害者のような物です。責任の
度合いから見れば、我々を裏切り、不利な情報を突き付けたスパイの方が私よりも遥かに大きい。提督…あなたは私に責任を
取って、この司令部から出て行けとでも申されるのですか?」
「いや…そうは言っておりません。」
ハルゼーは答えるが、その声音は、こみ上げる憤りでやや乱暴になっている。
「ただ、私は、そのスパイを派遣した指揮官である、貴方も少なからず責任を問われるのでは?という意味を含んだ上で
言ったのです。何も、ここから出て行けとは言っていません。アメリカ軍に、バルランド軍に対する人事権はありませんからな。」
「ほほう、そうですか。」
インゲルテントは首を2度、縦に振りながら言う。
「確かにその通りかもしれません。ですが、責任問題に関しては、私にも話が及ぶかもしれませんが、いずれにせよ、
私はこの連合軍司令部から出て行く気はありません。」
彼はそう言い放った。
ハルゼーは、インゲルテントは開き直っているのだと確信した。
(何が連合軍司令部から出て行かない…だと?この無能大将めが!!)
心中でハルゼーは罵った。
その時、ドアが慌ただしく開かれた。
「アイゼンハワー司令官。少し、お話したい事が…」
連合軍司令部に勤務しているアメリカ軍の通信士官が、顔を青く染めながら室内に入って来た。
そのすぐ後に、いつの間にか来ていた連合国各国の士官たちが、同じように顔を青く染めるか、あるいは動揺しながら
司令官達に耳打ちし、ついでに、持っていた紙を渡した。
役目を果たした士官達は、そそくさと会議室から立ち去って行く。
「失礼しました!」
最後に退出したグレンキア軍の中佐がそう言ってから、ドアが閉められる。
「一体、何事だ?」
ハルゼーは唖然としながら、小声でカーニーに言う。
「さあ。何かあったんですかね。」
カーニーも首をかしげる。ハルゼーは、ひとまず会議室を見回してみた。
各国の司令官達は、皆が呆然とした表情を浮かべながら、手渡された紙を見つめ続けている。
いつの間にか、会議室内は、まるで通夜さながらの雰囲気に包まれていた。
「とんでもない事が起こったようだな。」
ハルゼーは、小声で呟いた。
2分ほど間を置いてから、アイゼンハワーが口を開いた。
「皆さんも知っている事でしょうが、たった今、重大な情報が飛び込んできました。」
アイゼンハワーは一旦、大きく息を吐いてから言葉を続ける。
「本日、シホールアンル帝国は、マオンド共和国と共に我が連合国に対して、講和を申し込んできました。」
「講和!?」
ハルゼーは思わず仰天してしまった。
「アイゼンハワー閣下、それは本当ですか?」
「はい。この紙に書いてあります。どうぞ。」
彼は、ハルゼーに一枚の紙を差し出した。ハルゼーはそれを手にとって、一読してみる。
「…こいつは……全く、シホット共は上手い事を考えやがる。」
この会議室に居る彼らにとって、その内容は衝撃的な物だった。
「あのシホールアンルが、ここで手打ちにしようと提案して来るとは。いつもは自国有利の体勢に持っていくまで戦うあの国が…」
ラルブレイトが、頭を抱えながらそう言う。
「我々は、夢を見ているのでしょうか?それも、限り無く、後味の悪い夢を?」
イードランク将軍は、呆然とした表情でアイゼンハワーに聞いた。
「私としても、これは夢であると思いたいのですが、残念ながら事実です。」
アイゼンハワーは淡々とした口調で答える。
「断言は出来ませんが…文面を見る限りでは、こちらとの交渉を行う準備は出来ているようです。」
「それにしても…、シホールアンルのみならず、マオンドまでもが共同で、講和を申し込んで来るとは思いませんでした。」
ハルゼーが言う。
「私はてっきり、シホールアンルは単独講和を目指すのかと思っていたのですが。」
「マオンドは、シホールアンルより技術力、国力が劣ると言っても、立派な同盟国です。マオンドは、この戦争で重要な
役割を果たしています。」
「重要な役割…つまり、戦力の誘引ですね?」
ラルブレイトがすかさず聞いて来る。
「その通りです。マオンド共和国のいるレーフェイル大陸に、我が合衆国軍は、陸海軍合わせて100万近い戦力、そして、
少なからぬ主力艦を派遣しています。もし、マオンドが居なければ、この戦力はシホールアンルに注ぐ事が出来ました。
シホールアンル側は、戦力誘引という大役を果たしたマオンドに、せめての土産として、共同で講和を行わないか?と
持ち掛けたのでしょう。」
「……アイゼンハワー閣下。」
唐突に、インゲルテントが尋ねて来た。
「この情報は、公開されるのですか?」
「いえ、すぐには公開しません。まずは、本国にこの内容を伝えて、指示を仰ぎます。本国ではこの講和を結ぶか
どうかの話し合いが行われるでしょう。その間に、国民にもこの内容を報道で伝えます。」
「………」
インゲルテントは押し黙ってしまった。
「今の状況で相手が講和して来たと報じれば、相次ぐ戦勝に浮かれている国民は講和を結んでも良いと思うかもしれませんぞ。」
イードランクが、険しい顔つきを浮かべながら言って来る。
「我々カレアントでは、大多数の国民がシホールアンルを充分に懲らしめたと思っているようです。」
「それは、我がグレンキアでも同じですよ。」
フラトスクも浮かない顔つきになりながら、呻くような声音で言う。
「我が国では、今度の北大陸派遣を実現するため、止む無く増税を行いました。増税は国民の状況を考えた上で行ったのですが、
それでも一部の良識者は強く反発しています。それに加え、国民の中には、シホールアンルは南大陸から追い払ったのだから、
戦争はもう終わりつつあると思う者が少なくありません。」
「グレンキアでも…」
アイゼンハワーは困惑したような声音で言ってから、口を閉ざした。
「ですが、アメリカが戦闘を続けるのなら、これらの声も消えるかと思います。」
フラトスクが、改まった口調で付け加えた。
「我がグレンキアも、アメリカの支援に助けられています。我々の国民は、恩人をたった1人で苦労させるほど愚かではありません。」
「つまり…アメリカの反応次第で、この戦争の行く末が決まるという事か…」
ハルゼーは、小声で独語する。
「既に、この内容は本国に打電しているのですかな?」
隣に座っていたカーニーがアイゼンハワーに聞いた。
「ええ。この情報を伝えて来た士官に、至急、本国に送れと通達しております。とは言え…」
アイゼンハワーは、後ろの窓に振り返ってから、深くため息を吐いた。
「会議が終了した後は、司令部前で待機している記者達から質問攻めに会うでしょう。彼らだって、司令部内に慌ただしく
入って行った連合軍の士官達を目にしています。それだけでも、スクープを追っている彼らにとって、大事件が起きたと
感じさせるには充分でしょう。」
彼はそう言ってから、インゲルテントに視線を向ける。
「インゲルテント閣下、ご覧のように、シホールアンルは講和を申し込んで来ました。」
「……」
「誠に言い難い事ではありますが、最悪の場合、我が国はシホールアンル、マオンド側と交渉の席に付く可能性があります。」
「…何故…だ。」
急に、インゲルテントが口を開いた。
「何故…なんだ。」
「…閣下?」
「私は…常に最良の方法を選んで着た筈…なのに…何故」
彼は、体を震わせながら言葉を吐き続けた。
「何故、私が使う手駒は、役立たずばかりなのだ!?」
「…………」
インゲルテントが吐いた思わぬ言葉に、会議室の一同は耳を疑った。
誰もが、彼が口にした言葉に唖然としている中、1人だけ、素早く反応した者が居た。
「おい。」
その人物が、先とは打って変わった口調でインゲルテントに向かって言う。
「貴様だ。今、何と言った?」
「…へ?」
インゲルテントは、声がした方向に目を向ける。右斜め前に居るハルゼーが、顔を赤く染め上げていた。
「何と言った…と。」
ハルゼーはそこまで言うと、いきなり拳をテーブルに叩き付け、その衝撃でコップが倒れた。
「聞いているのだ!!」
ハルゼーの怒号が会議室に木霊した。
「貴様!自分が何を言ったのかわからんようだな!貴様はな、自分の使う手駒は役立たずと言ったのだぞ!?」
彼は、相手が同盟国の将官だという事も忘れ、指さしながら言葉を続ける。
「役立たずだと?貴様、それは、レビリンイクル沖で敗北したTF37に対しても言ったのだろう?」
「い…いや、そんな訳では」
「言い訳をするな!!貴様は確かに、敗勢にあったとはいえ、勇敢に戦ったTF37を、役立たずと罵倒した!!!」
ハルゼーの怒声がインゲルテントに次々と突き刺さって行く。
彼は明らかに怒り狂っていた。
「あの海戦でどれぐらいの艦が撃沈されたと思うのだ!?主力艦だけでもバンカーヒル、タイコンデロガ、サラトガ、
ベローウッド、モントレイ、インディアナの6隻だ!そして、巡洋艦や駆逐艦も少なからず沈められている!レビリンイクル沖で
散って行った将兵は、司令官を始め、3000人以上も居るのだぞ!それでも、TF37は戦い抜き、ボロボロになりながらも
帰って来た。」
ハルゼーは、しばしの間、視線を下に向けながら語り、言葉を区切るや、再びインゲルテントを睨みつける。
「その勇士達を、あんたは、役立たずと言うのか!?」
「う…」
インゲルテントは言葉を発しようとするのだが、なかなか出て来ない。しかし、ハルゼーと同様、インゲルテントもまた、頭に血が上っていた。
「そ…そう言われても、仕方がなかろう。武人は、たとて全滅しても、その任を全うするのが務め」
「ふざけた事を抜かすな!」
インゲルテントの言葉を、ハルゼーの怒号が遮った。
「貴様のような階級だけの訓練生ごときが言うな!合衆国の精鋭部隊は、貴様のような畜生に突撃させられて、全滅するためにあるのでは
ない!!」
ハルゼーは怒鳴りながら、テーブル越しにインゲルテントに飛びかかろうとした。
それを慌てて、アイゼンハワーとカーニーが取り押さえた。
「は、離してくれ!」
「提督!落ち着いて下さい!今は会議中ですぞ!」
「そうです長官!相手を罵るだけではいけません!」
アイゼンハワーとカーニーの言葉に、ハルゼーは更に吠える。
「あんたらは何を言っているんだ!?あの階級だけのろくでなし訓練生に、俺達の精鋭機動部隊を壊滅させられた挙句、
役立たず呼ばわりされたのだぞ!?例え、大統領が許しても、俺は合衆国海軍の誇りに掛けて、決して許す事は無い!!」
そう叫びながら、テーブルに乗り掛ってインゲルテントに掴みかかろうとする。
「インゲルテント閣下!申し訳ないが、今日はお引き取り願いたい!」
アイゼンハワーは、有無を言わせぬ口ぶりで言って来た。
それにインゲルテントは面喰いながらも、尚も反論する。
「ま、待ってくれ!私に責任は」
「お引き取り下さい!今、すぐに!!」
アイゼンハワーにしては珍しく、厳しい口調で言葉が放たれた。
それにショックを受けたインゲルテントは、イスから転げ落ち、あたふたとしながら副官と共に会議室から飛び出して行った。
それから5分後。会議室の喧騒は収まっていた。
ハルゼーは、気持ちを抑えるために葉巻を吸っていた。
(畜生、なんて奴だ)
彼は、鋭い視線で空いた席を見つめる。
(あの野郎。TF37の事を役立たずと罵りやがった。頭でっかちの訓練生ごときが、精鋭部隊を役立たずとのたまうとは…腐ってやがる)
ハルゼーは心中でそう吐き捨てた。
あの日、旗艦ニュージャージーの作戦室に、TF37敗退の報が届けられた時、誰もが強い衝撃を受けた。
その中でも、特にショックを受けていたのはハルゼーであった。
彼は、空母5隻、戦艦1隻を始めとする多数の艦艇が一気に失われた事に衝撃を受け、そして、その中に、彼がかつて、
艦長を務めていた馴染み深い艦…空母サラトガが含まれていた事に、二重の衝撃を受けていた。
一昔前、彼は空母サラトガの艦長に任命される前に、50歳という年齢にもかかわらず、自分から見れば子供のような訓練生達に
混じりながら、自ら航空機の操縦桿を握り、パイロットの資格を取った。
その後、空母サラトガの艦長に就任し、同艦で様々な事を学んだ。
サラトガから降りた後も、ハルゼーは常に「レディ・サラは大きくて、良い船だったよ」と、周囲に言い続けていた。
戦争が続いて行くに連れて、サラトガは優秀な精鋭空母として周囲から評価されていくと、ハルゼーも自然と誇らしげな気持ちになった。
しかし、その思い入れの深かった艦も、レビリンイクル沖海戦で不帰の客となってしまった。
ハルゼーは、帰還したサラトガの乗員から、その最後の様子を聞き取った時、思わず涙を流した。
サラトガは、最後まで良い船だった。
生き残りの乗員から話を聞いた後、彼はそう思った。
しかし、インゲルテントのあの発言は、その栄光の空母の戦歴を侮辱したも同然であった。
それだけに、ハルゼーはインゲルテントを許せなかった。
(信頼できる同盟国に、あんなろくでなしが混じってやがるとはなぁ。)
ハルゼーは、落胆していた。
もし、この場にコルト拳銃があれば、彼は間違いなく、インゲルテントに向けていただろう。
アイゼンハワーが側で何かを言っているが、未だに、頭の中が煮え切っているハルゼーは、その声が遠くから聞こえているように思えた。
10分後、緊急会議は終わりを告げ、各国の将軍達は大慌てで会議室から出て行った。
レビリンイクル沖海戦で生じた厭戦気分。そして、それに乗じるかのように発せられたシホールアンル、マオンドからの提案。
連合国が最も危惧していた形での講和が現実な物になろうとしている。
講和を結ぶか。あるいは黙殺し、戦争を続けるか。
いずれにせよ、その鍵を握っているのは、アメリカであった。
ここにして、アメリカの真意が問われようとしていた。
シホールアンル帝国並びに、マオンド共和国政府より提案された講和条約の内容
1、シホールアンル帝国並びにマオンド共和国政府は、連合国各国に対して講和を申し入れる準備がある。
2、両政府は、現在の状況のままで停戦しても構わないと判断する。
3、両政府は、現政府が存続したままの状態で、講和を行う事を求める。
4、両政府は、過去の戦争において、損害をもたらしてしまった被占領国に人員を配置し、国家を独立させるまで再生する事を約束する。
5、シホールアンル、マオンド両国がある程度の軍縮を行うため、連合国はまず、北大陸からの段階的な撤退を行う事を提案する。
6、シホールアンル、マオンド両政府は、この度の戦争で戦争犯罪人を裁く必要性があると感じ、自らの手でそれを行う事を約束する。
7、両政府は、連合国に対し、双方で得た捕虜を交換する事を提案する。
8、本案を受け入れる際は、直接魔法通信で回答を送るか、同盟国経由で送る事を望む。
9、講和申し込みを受諾した場合は、ジャスオ領にある連合国側の拠点で交渉を行う。交渉を行う際、その期間中は休戦状態とする。
尚、交渉場所の選定は連合国に一任する。