自衛隊がファンタジー世界に召喚されますた@創作発表板・分家

239 第182話 ルーズベルトの決断

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第182話 ルーズベルトの決断

1484年(1944年)10月7日 午前8時 コネチカット州グロトン

この日、キンメルが起床してから、一番初めに目にした物は、リビングのソファーに座りながら、新聞を睨みつけるように
見ている娘、フェイレの後ろ姿であった。

「あら、おはよう。」

不意に、キンメルは後ろから妻のドロシーに声を掛けられた。
それにフェイレは気が付き、後ろ振り返った。

「おはよう、お父さん。」
「ああ。おはようフェイレ、ドロシー。」

キンメルはいつものように、にこやかな笑みを見せる。

「あなた。コーヒーでも淹れましょうか?」
「そうだな。では、一杯お願いしようかな。」

キンメルは陽気な口調で妻に頼んでから、フェイレに向かい合う形でソファーに腰掛けた。

「……朝から新聞か。なかなかに勉強熱心だな。」
「ええ。」

フェイレは顔に笑みを表しながら答える。一瞬、キンメルには、それが無理矢理作ったように感じられた。

「英語をどれほど覚えられているか、テストのつもりで読んでいるからね。」
「努力するのも結構だが、たまには新聞以外の物から読んで見るのも良いぞ。フェイレは、朝起きるといつも新聞ばかり読んでいるからね。」

キンメルは、やや心配そうな口調を交えながら語る。
フェイレの一日は、朝起きるとまず、新聞を読む事から始まる。
彼女はキンメル家に来て以来、英語の勉強は1日たりとも欠かさずやって来たが、3か月前からは、自分の英語力を試す手段として、
新聞等の読み物を積極的に読み始めた。
努力の甲斐あって、今のフェイレは、新聞は勿論の事、本も難なく読めるようになっている。
最近になって、フェイレは、新聞を読んだ後に何かを考え込むようになった。
彼女がそういう反応を示すようになったのは、レビリンイクル沖海戦の報道が行われてからだ。
9月25日、フェイレはレビリンイクル沖海戦敗北の報を目にし、自分の悪夢が現実になった事に強いショックを受けた。
キンメルもフェイレの身を案じて、その日1日はどこにも外出せずに、フェイレの様子を見続けた。
幸いにも、フェイレは僅か1日でショックから立ち直った。
だが、フェイレの回復とは裏腹に、アメリカ国内では徐々に、反戦運動が広がって行った。
10月1日には、シホールアンル、マオンドから講和の申し入れあり、という言葉が、新聞の一面に大きく書かれてあり、
その下には講和文の内容が書き並べられていた。
フェイレは、キンメルにもこの記事を読ませた後、2時間程話し合った。
彼女は一貫して、シホールアンルはこの講和に失敗すると言い続けた。
キンメルも、フェイレの言葉に当然とばかりに頷いた。
講和文の内容は、2人から見れば明らかに高飛車な内容であり、アメリカはもとより、他の連合国や、被占領国からの反発は
猛烈な物になる事は、容易に想像できた。
その翌日の新聞では、世論調査の結果が掲載され、フェイレとキンメルは、少なからぬ数のアメリカ国民が講和を望んでいる事に驚いた。
だが、フェイレは、講和派よりも、戦争推進派が多い事に安堵していた。
それから2日後の10月4日。様相は一変した。
なんと、シホールアンル側は、改訂案をアメリカに送り付け、その内容が新聞、ラジオを通じて全国に報道されたのである。
翌日に掲載された世論調査の結果では、講和派が戦争継続派を上回り、国民の約6割が、シホールアンル、マオンドとの講和を
結ぶべきである、という反応を見せていた。
この意外な出来事に、フェイレは仰天した。
それからという物の、フェイレは常に何かを考えている。
あの衝撃的な報道がなされてから、フェイレはずっと、思い詰めたような表情を浮かべている事を、キンメルは知っていた。

「……父さん。」

フェイレは、抑揚の無い声音でキンメルに聞く。

「何だ?」
「父さんは、アメリカがシホールアンルやマオンドと、仲良くやって行けると思う?」
「シホールアンルとマオンドか………」

キンメルは思わず唸る。

「正直言って、私には分からない。だが、あの2つの国が、あの講和文の内容通りにしていけば、昔よりはマシになるだろうし、
いずれは国交も開けるだろう。戦争で勝つのもいい。だが、場合によっては、あえて矛を収め、互いに話し合うのもまた、
良いかもしれない。」
「……父さんって、意外と優しいんだね。」

フェイレは、以外そうな表情を浮かべつつも、どこか満足したような声音で言う。

「意外と優しい?それはどういう事だい?」
「だって……父さんは、あの太平洋艦隊を率いていた司令官だったじゃない。軍人である父さんなら、どんな事があっても、
戦争は続けるべきだ。て、言うと思ったの。だから、私は優しいな、と感じたの。」
「軍人か。まっ、確かにそうだが…」

キンメルは苦笑した。

「それも昔の話だ。今は、退役して老後を送る、ただの一般人だよ。」

自嘲気味にそう返しながら、心中では昔の事に思いを馳せる。
太平洋艦隊司令長官という大任を任された後、アメリカはこの異世界に飛ばされて来た。
国内は転移に伴う混乱に揺れながらも、シホールアンル、マオンドとの開戦を決意し、キンメルは太平洋艦隊を指揮して、
シホールアンル海軍と戦って来た。
もし、彼が太平洋艦隊司令長官に就任していた時に、今回のような話が持ち込まれていれば、彼は躊躇なく反対だと叫んでいただろう。
しかし、今の彼の心情は、昔とは幾らか異なっていた。

連日、新聞に掲載される様々な記事。
その中には、戦況の推移を知らせる報道もあると同時に、戦死者がどれぐらい出たかを知らせる記事もある。
司令部で働いて来た時には、キンメルはさほど感じなかったが、民間に下った今では、こんなにも戦死者が……と思う時が多々ある。
元軍人である彼も、民間人の感覚が徐々に身に付き始めていた。
(昔は昔。今は今…か)
彼は、心中でそう呟く。

「一般人ねぇ……父さんもすっかり丸くなったなぁ。前は、時々ピリピリしていた時があったのに。今ではそれも消えてる。」
「退役して、心にいくらか余裕が出て来たんだろう。現役の時は、色々大変だったからな。」
「だから、優しくなったんだね。」

フェイレの言葉に、キンメルは苦笑しながら頷く。

「そうだな。ハルゼーが今の俺を見たら、お前からは塩気が感じないぞと言われるかもしれん。」
「はは。確かにね。」

フェイレもそれにつられて笑った。

「話に花が咲いているわね。」

ドロシーが柔和な笑みを見せながら、トレイにコーヒーを乗せて持って来る。

「さあ、どうぞ。」

彼女は、キンメルとフェイレの前に、淹れたてのコーヒーを置いた。

「ありがとう。」

キンメルはドロシーに返してから、熱いコーヒーを一口啜った。

「ドロシー、君も一緒に飲まないか?」
「そうしたい所だけど、私は予定が入っていて、今から準備をしないといけないの。」
「おお、そうか。それはすまなかったな。」

キンメルは、すまなさそうに謝る。

「では、これで失礼するわね。」

彼女はトレイを持ちながら、リビングから去って行く。
2分ほど間を置いた後、フェイレが再び口を開いた。

「さっきの話の続きだけど……父さんは、講和に賛成なのかな?」
「……俺も、色々考えたよ。」

キンメルは、眉をひそめながら答える。

「フェイレも知っていると思うが。アメリカの主役は、国民だ。確かに、大統領は国のトップだ。だが、シホールアンルや
マオンド等の国と違って、一方的に命令を伝える事が出来ない。民主主義国家であるアメリカは、国民の声を聞きながら、
国を動かさなければならない。」

キンメルは、新聞に視線を落とす。

「アメリカ国民の6割は、講和に賛成している。こうなった以上、大統領はそれに沿った形で、決断を下さなければならない。
ここで勝手な事をしでかせば、大統領はたちまち、ホワイトハウスからたたき出されてしまうだろう。」

彼はそこまで言ってから、顔を上げ、目をフェイレの双眸にピタリと合わす。

「だが、私は講和には反対だ。」
「反対……どうして?」
「どうして?それは言うまでもない。」

彼は不敵な笑いを浮かべた。

「自分の家族が、悪い奴らに傷付けられ、それをほったらかしにしろと言っているのだぞ?私は、そのような事は決して許さない。
例え、講和が成ったとしても、シホールアンルと連合国が共同で行う軍事裁判に、フェイレが語った悪行の数々を立件してもらえ
るよう、私は国に訴えかける。」
「………」

フェイレは戸惑ってしまった。

「なにも戸惑う必要は無かろう。」

だが、キンメルはフェイレの戸惑いを払拭した。

「家族のために、出来る限りの事はやる。それは人として、当然の事だろう?」
「……父さん。」

フェイレは、体が熱くなるような感覚に囚われた。
家族のために、出来る限りの事をやる。
この言葉は、どこにでもあるありふれた物であるが、そんな聞き慣れた言葉も、フェイレにはとても新鮮味のある物に思えた。

「ありがとう。父さん。」

フェイレはそう言ってから、いきなり頭を下げた。

「お、おい。どうしたんだいきなり。」

今度は、キンメルが戸惑ってしまった。
彼としては、当然の言葉を言ったつもりなのだが、フェイレはどういう訳か、顔を仄かに赤らめながら、感謝の言葉を返して来た。

「ま、まぁいい。」

キンメルは軽く咳払いをしてから、気を落ちつけるためにコーヒーを啜った。

「とにもかくも、このまま行けば、この戦争は終わる。これは、どんなに叫んでも、避けようがない事実だ。結果が出ているのだからね。」
「結果……か。父さんの話を聞いて、一応は理解したけど。でも……」
「納得は出来ない。そうだろう?」

キンメルの問いに、フェイレはこくりと頷く。

「なに、例え戦争が終わっても、君が話したシホールアンルの悪行の数々を世に晒す事は出来る。今は、政府の役人の指示で、
情報を伝える事は出来ないが、いずれにしろ、フェイレの出番はある。」

キンメルは、彼女の肩をポンと叩いた。

「それまで、あいつらをとことん、責め立てる準備を進めよう。お前達の責任はまだ果たされていないと、法廷で叫ぶためにもな。」
「……」

キンメルは、唐突にフェイレの顔が固まる瞬間を目の当たりにした。

「ん?どうした?」

キンメルは何気ない口調で答える。だが、フェイレは答えない。
真剣な表情を浮かべたまま、無言でテーブルを見つめ続ける。
やがて、彼女はキンメルに目を剥く。その鬼気迫る視線に、彼は只ならぬものを感じた。

「……父さん。」
「な、何だ?」
「あたし、もしかしたら良い事を思い付いたかもしれない。」
「良い事だと?」

フェイレは頷く。

「父さん。アメリカという国は国民が主役の国だと言ったね?」
「ああ、そうだが。」
「今、国民の意志は講和に傾いている。でも、その意志が揺らぐほどの大事件が報道されたら……それも、あの講和が
根幹から見直されるほどの事実が伝えられたら、どうなると思う?」
「フェイレ……まさか。」

キンメルは、彼女が何を思っているかを理解出来た。

「父さん。大統領に、あたしを使って下さいと伝えてもらえないかな?」
「……正気か?」

キンメルは、彼女の気を疑った。

「あたしは正気よ。」
「正気だとしても……フェイレ、今の言葉は、自分を生贄に使ってくれと言っている様な物だぞ?分かっているのか!?」

キンメルは声を荒げて言う。

「大統領がOKを出したとしても、フェイレ、君はマスコミからあらゆる事を聞かれるのかもしれないのだぞ?アメリカの
マスコミは、良い意味でも、悪い意味でもしつこい奴が多い。数ある新聞社の中には、偏向的な報道ばかりを繰り返す所もある。
例え、フェイレが教えた情報をきっかけに戦争継続が成ったとしても、マスコミはしつこく付きまとうだろう。戦局が悪ければ、
お前に責任があると書き立て、反戦団体から執拗な嫌がらせを受けるかもしれない。いや、確実に受ける。それを承知で……」
「父さん」

フェイレは穏やかな声で、キンメルの言葉を遮った。

「それを知っている上で、あたしは大統領に伝えようと決めたんだよ。」
「フェイレ……本当に良いのか?」
「構わない。」

彼女は即答する。フェイレは真剣な表情を浮かべている。

「シホールアンルは連合国の求めに応じるとは言ってるけど、あたしはそれを信用できない。北大陸の国々は、様々な手を使って、
自国領を拡大、又は維持して来た。大国になればなるほど、やり方は汚く、かつ、恐ろしい効果を発揮して行った。」
「様々な手を使って……例えば、どのような手を?」
「……北大陸第2位だったヒーレリが、シホールアンルにあっさりと降伏したという事は、父さんも知ってるよね?」
「ああ、知ってるよ。」

キンメルは頷く。

「ヒーレリは、前の戦争の後から、徐々にであるけど、シホールアンルの手によって内面から蝕まれていったの。そして、
時が経つにつれて、ヒーレリ国内に巣くう病は成長し、あの戦争が始まった時には、ヒーレリはもう、手遅れの状態に
なっていた。後に、親愛政策と呼ばれたヒーレリの対シホールアンル政策が、結果的に、大陸1位の国に伍する力を
持った強大な大国を無力化させてしまったのよ。」
「親愛政策……フェイレ、そんな情報をどこから?」
「訓練生時代に、教官が教えてくれたの。内容は、今言ったように大雑把な物だったけど。」

フェイレはそう言ってから、急に表情を暗くした。

「父さん。もし、講和が成立したら、シホールアンルはまた、似たような事をしでかすかもしれない。」
「似たような事?まさか、このアメリカにか?」

キンメルの問いに、フェイレは頷く。

「幾らなんでも、それは出来ないだろう。ヒーレリを無力化した親愛政策とやらだが、ヒーレリは他の国と似たり
寄ったりの専制国家だったからじゃないか?そんな古い手に、我が合衆国の国民は引っ掛かる………」

そこまで言ってから、キンメルは絶句した。
彼の脳裏に、ここ最近、国内で起きている事が走馬灯のように駆け巡った。
10月4日に、講和の改訂文が公表されて以来、アメリカ国内では反戦を叫ぶ声が増えつつある。

新聞の記事では、シホールアンル側は前回の案に不適切な内容があった事を反省し、緊急に協議した末に、改訂案を出したと、
講和文の送信の後にそう言うメッセージが送られて来たと報じられていた。
これは、傍目から見れば、前回の高飛車な内容がまずかったと思い、方策を180度転換して、改めて、連合国との
対話を望んでいるとシホールアンル側が思っている、と感じてもおかしくない。
だが、フェイレは、

『北大陸の国々は様々な手を使って、自国領を拡大、又は維持して来た。大国になればなるほど、やり方は汚く、
かつ、恐ろしい効果を発揮して行った。』

と、キンメルに話していた。
もし、シホールアンルが、長い目で連合国の弱体化を狙っているのならば、まずは徹底的に連合国。
特に、アメリカの事を調べ上げるだろう。
そして、ヒーレリのような、親愛政策という愚かな判断を下させるように、あらゆる工作を行う事は、考えられぬ事ではない。
(いや、かの国の異常な執念からして、間違いなく計画を立て、それを実行に移そうとする)
キンメルは、心中でそう確信した。

「フェイレ。私もよく考えてみたが……確かに、講和を結ぶのは危ない。合衆国にはスパイ防止法があり、敵側のスパイに対して
備えはある。だが、敵も学んで成長していくと言う事は、この戦争で嫌というほど思い知らされている。奴らは法律の抜け穴を
見つけ、そこにつけ込んで来るだろう。」
「そうよ。だから、私を使って欲しいの。」

フェイレは、自分の胸に手を当てる。

「あたしは、今でも、あの施設で一緒に学び、そして、命を散らして行った仲間の顔を覚えている。自分で、手を下した相手の事も。」
「………」
「講和を結んだ後、どのようにして軍事裁判が進められるかは、今は分からないわ。でも、シホールアンルを始めとする各国の大陸達は、
戦争の戦後処理では“真理”を見せて来なかった。あたしの浅知恵だから、どこまで正確かは知らないけど。でも、あの訓練施設や、
魔法研究所で行われた人体実験。それで犠牲になった仲間達の事が、シホールアンル国内に明確に伝わる事は、最低でも40年は
無いと思う、あるとしても、単なる噂程度……かもね。」
「……フェイレも、俺と同じで優しいんだな。」

「へ?」

キンメルが放った言葉に、フェイレは一瞬、理解できなかった。

「要するに、フェイレは自分のみならず、あの悪魔のような訓練で散って行った、家族や仲間達の事も考えて、私を使ってくれと
言ったのだろう?」
「…ええ。そうよ。」

彼女は躊躇い無く答える。

「なるほど。だから、あれほど真剣になるのだな。」

キンメルはそう言ってから、満足気な笑みを浮かべた。

「フェイレと共に歩んだ仲間達は、今頃、君に感謝しているだろう。自分達が死しても尚、自分達の事を心に留めて置いた、
掛け替えの無い友が居る事に。」
「うん。だからこそ……」

後には引けない。そう言おうとした時、急に呼び鈴が鳴った。

「ん?だれかしら?」

自分の部屋で出掛ける準備をしていたドロシーが玄関に向かった。
ドアが開かれる音がした後、そこから微かだが、聞き覚えのある声が伝わった。

「すいません。ハズバンド・キンメルさんのお宅でしょうか?」
「はい、そうですが……あなたは?」

ドロシーと来客のやり取りを聞いていた2人は、何事かと聞き耳を立てる。
やがて、ドロシーがリビングにやって来て、キンメルに言った。

「あなた、インガソルさんが来てるわよ。」
「インガソル?」

キンメルは首をひねりながらも、ソファーから腰を上げて、玄関に向かった。
玄関には、2人の人物が経っていた。
1人は、既に見知った顔である。

「これは、ミスターインガソル!久しぶりだな。」
「こちらこそ。」

キンメルは破顔しながら、元大西洋艦隊司令長官であるロイヤル・インガソルと握手した。

「…そちらのご婦人は?」
「ああ。紹介が遅れてしまったね。」

インガソルは、側に立っていた、茶色のコートを着た女性に視線を向けてから、ゆっくりと頷いた。
帽子を被った女性は、緊張した顔つきで自己紹介をする。

「もしや、君は。」
「お久しぶりです。キンメルさん。」

女性はそう言ってから、帽子を取った。
目の前にいる女性は、昨年の12月に、大西洋艦隊所属の潜水艦に救助された、ハーピィのメリマであった。

「メリマ君。どうして、ここへ。」
「彼女の希望でね。」

インガソルが苦笑しながら言う。

「昨日の夜、いきなり私に電話が来たんだ。フェイレさんと、あの講和について話し合いたいと。」

「講和について……もしや、メリマ君も?」
「うむ。」

インガソルが頷く。

「彼女も、あの講和には裏があるかも知れないと思っているようだ。」

キンメルは、メリマの顔をまじまじと見つめた。
メリマは、今年の4月からノーフォークの郊外で、ミスリアルからやって来た協力者と共に、ひっそりと暮らし始めていたが、
その際、面倒を見てくれたのがインガソルであった。
インガソルは、今年の1月に心労で大西洋艦隊司令長官を辞し、軍籍から離れたが、数か月のカウンセリングを受けて何とか回復している。
その間、彼は幾度かメリマと面会し、彼女が体験した過去の出来事を聞く事が出来た。
3月末に、メリマが外で暮らしたいと漏らすと、インガソルは二つ返事で受け入れ、ノーフォークの郊外に設けられていた、
南大陸留学生用の宿舎に移住させるよう、面識のあったミスリアル留学生に頼み込んだ。
インガソルの頼みは、留学生達に受け入れられ、メリマは彼らに暖かく出迎えられた。
機密保持のため、留学生達にメリマがレーフェイル大陸から来たと口外させないため、緘口令が敷かれた。
インガソルはその後も、時々メリマと会っては、彼女の精神状態が徐々に回復していく事を確認していた。
そんな彼に、昨日、メリマから電話が舞い込んで来たのである。

「父さん、どうしたの…って、メリマ?」
「どうも。お久しぶりですね、フェイレさん。」

奥から出て来たフェイレに、メリマはにこやかな笑みを浮かべた。

「フェイレ。メリマも、あの講和に思う所があるようだ。」
「メリマが言うには、まず、フェイレが講和に対して、どう思っているかを確かめたいと言っている。」

インガソルが言う。

「彼女は、君の意見を聞きたいがために、ノーフォークからやって来たんだよ。」

「メリマ……」

フェイレもまた、キンメルと同様に、メリマの顔を見据える。

「ひとまず、中に上がってはどうかな?コーヒーを飲みながら、ゆっくりと話し合おう。」
「そうだな。では、お邪魔しようか。」

インガソルは、陽気な口ぶりで言いながら、メリマに顔を向ける。

「そうですね。」

メリマも同意したようで、軽く微笑んで来た。


10月7日 午後4時 ワシントンDC

秋の風が外で吹いている。
ガラス越しにビュウビュウと聞こえるその音は、ルーズベルト自身の無策さを嘲笑する声にも聞こえた。

「全く、良い案が浮かんで来ない。」

ルーズベルトは、思わず頭を抱えた。
彼は朝から、この状況を打開する手段を考えていた。
一応、考えは浮かんでいる。だが、それは決して、良い案と呼べる代物ではなかった。

「ヒーレリで起きた事を、国民に喧伝しようと考えたまでは良い。だが、それでは、インパクトが弱すぎる。」

彼は呻くように言う。
ルーズベルトは、1450年のシホールアンル・ヒーレリ紛争以降の、ヒーレリ公国で行われた親愛政策がもたらした
悲劇の数々を、明日のラジオ放送で国民に伝えようと考えた。

アメリカ国民は、ある程度の情報は、新聞やラジオといったマスコミを使って知る事が出来たが、南大陸や、北大陸で
起こった別の出来事…住民の大量虐殺や、占領地で行われている敵の稚拙な軍政等は、あまり報じられてはいない。
アメリカ国民の中で、軍人。または、南大陸や、レーフェイル大陸からやって来た人々と接した者は、こういった、
“現地の悲劇”を知る事が出来たが、国民の大半はこの真実を知らない。
ルーズベルトは、戦後になってから、これらの情報を段階的に伝えようと考えていた。
情報の中には、聞くに堪えぬような話が多分に混じっており、魔法世界に対する忌避感を国民が感じる事を恐れた政府は、
今はこの情報を報せず、戦後に公表を行おうと決めていた。
その中で、ヒーレリの話は、基準的に見れば比較的話し易い内容ではあるのだが、それでも、北大陸の陰惨な政治事情を
表しているため、政府はこの事も当分、公開を差し控えた方が良いのでは、という結論に達していた。
ルーズベルトは、その情報の1つでもあるヒーレリで起きた国家解体劇を国民に公表する事で、シホールアンル、マオンド
との講和がどれほど危険な物かを国民に伝えようとしていた。
しかし、彼は、それでは足りないと思っていた。
確かに、国民はヒーレリの悲劇を知る事で、多少なりとも影響を受けるだろう。

だが、それだけである。

講和後のシホールアンル、マオンドの出方は、全く分からない。
相手が、ヒーレリでやったような事を、アメリカに対してもやらないと言う事は限らいないが、もしかしたら、本当に平和を願い、
連合国と友好関係を築こうと考えている可能性もある。
ルーズベルトがやろうとしている事は、傍目から見れば、罪を償い、改心した犯罪者に対して、昔の罪の事を蒸し返して言いがかり
を付ける悪党と言われてもおかしくない物だ。
今の状況でヒーレリの事を伝えれば、厭戦気分に染まった国民にそう思われかねない。
最悪の場合は、大統領は戦争狂と罵られた挙句に辞任という事もあり得るだろう。

「足りな過ぎる。明らかに足りな過ぎる。」

ルーズベルトは呟く。
ヒーレリの話だけでは、国民にインパクトを与えきれぬばかりか、自分にしっぺ返しが来るかも知れない。

「日本の諺に、人をのろわば、穴二つという言葉があるが、今がまさに、その状況だな。」

彼は自嘲気味に呟くが、頭の中では、先と同様に、いい案を思い浮かべようとしている。
しかし、彼の今の思考能力では、一向に良い考えが浮かばなかった。

午後4時20分。ルーズベルトが思案にふけっている時、執務机に置いてあった電話が唐突に鳴った。
最初、ルーズベルトは電話が鳴った事に気が付かなかったが、呼び鈴が7回目の響きを発した所で、ようやく気付いた。
彼は、慌てて受話器を取った。

「……私だ。」
「大統領閣下。海軍省のフォレスタル長官よりお電話です。」
「フォレスタル……」

一瞬、ルーズベルトは怪訝な表情を浮かべたが、すぐに言葉を返す。

「わかった。繋いでくれ。」

彼は、交換手にそう伝えた。
1秒ほど間が空いてから、電話が繋がった。

「大統領閣下。」
「やあフォレスタル。君からいきなり電話が入って来るとは思わなかったよ。どうしたんだね?」
「は。実は…キング提督から閣下にお伝えしたい事があるようで、私が代わりに伝える事になったのですが。」
「お伝えしたい事……それはどういう事かな?」

ルーズベルトは答えながら、首を捻った。
レビリンイクル沖海戦の件なら、海軍には責任は無いと判断している。
ルーズベルトは、その事をしっかり、海軍省に伝えているのだが、
(あの件で、何か思う事でもあるのかな?)
と、内心で思った。

「閣下は、我が海軍が救出した、2人の女性の事をご存知ですね。」
「うむ。知っているよ。」

ルーズベルトは答えた。彼は、海軍が救出した2人の女……フェイレとメリマの事を覚えている。
彼は、2人がホワイトハウスに来た時に話し合った事があるが、彼女達が話した内容は、どれも衝撃的であった。
(彼女達に何かあったのか)
彼は心中で呟きつつ、フォレスタルに問うた。

「その彼女達に、何かあったのかね?」
「キング提督の話では、彼女は、大統領閣下に協力したいと申しているようです。」

協力?何のだ?
ルーズベルトは首を傾げたが、すぐに理解出来た。
(まさか、彼女達の情報を教えても良い、と言うの事なのか。いや、しかし……)
ルーズベルトは再び思案する。
彼は、今の今まで、フェイレとメリマが現状を覆す程の情報を持ち、その証人である事を忘れていた。
(それほど、ルーズベルトには余裕が無かった)
彼女達が体験して来た事を、先のヒーレリの話と一緒に国民へ伝えたとしたら。

しかし、彼はそこで、別の事に考えが及ぶ。
シホールアンルとマオンドの犠牲者であるフェイレとメリマ。
2人は協力したいと願い出て来たようだが、彼女達が世に知られれば、今後、彼女達は今まで通りの暮らしを送れなくなる恐れがある。
戦争後も、マスコミの取材を受け続け、場合によっては、古傷を抉られるような事もあり得る。
しかし、その半面、国家の一大事である今。
2人の協力者のお陰で、アメリカを始めとする連合国が、相手側の申し入れを撥ね退け、思い通りの終幕を迎える事が出来る。

2人の女性の人生と、アメリカを始めとする連合国諸国の国益。
それらを天秤で量った場合、どちらが重いかは明らかだ。

だが、
(これは、少し考える必要があるな)
彼はそう思うと、フォレスタルに再び質問する。

「フォレスタル。その話は、嘘ではないのだな?」
「はい。キング提督、キンメル、インガソルの両提督から、あの2人の女性が協力したいと言っていたと、私に伝えています。
あのキング提督が言っているのですから、これは嘘ではありません。」
「わかった。すまないが、少し時間を置いてから、折り返し、こちらから連絡してもいいかね?」
「はい。」
「では、失礼するよ。」

ルーズベルトは受話器を置いてから、思案を再開する。

アメリカを揺るがし続けている講和論。
それを覆す事が可能かもしれない、フェイレとメリマが体験した、様々な実験の数々と、その実態。
彼女達の話は、ルーズベルトが待ち望んでいた物であった。
しかし、その事を報道すれば、彼女達は日々、マスコミの質問攻めに会うかもしれない。
だが、将来の事を考えれば、アメリカは2大覇権国家を打ち倒す原動力を担った国として、世界中から認められる事になる。
講和を結んでも、得る国益は少なからぬ物があるだろうが、シホールアンルやマオンドの連合と冷戦状態に陥る事はほぼ確実である。
それらの脅威を取り除いた状態で戦争が終われば、それによって得られる国益は、講和を結んだ時に得られるそれよりも、遥かに大きいだろう。

「2人の女性の人生と国益……か。」

ルーズベルトは小声で呟く。この時、2人が言った言葉を思い出した。

『私達は、自分自身のためだけでは無く、訓練中や人体実験で命を落とした、同じ境遇の仲間達の無念を晴らす為にも、
シホールアンルやマオンドに、責任を取らせたい。』

2人は、自分の事よりも、仲間達が浮かばれる事を望んでいた。
話の内容には、常に死んで行った仲間を思う言葉が出て来ていた。

「2人は、儚く散って行った仲間の無念を晴らしたいと言っていた。私はあの時、彼女達に仲間想いだなと言って、深く感心した。
そして、あの時、私は2人に、アメリカは必ず、両国に責任を取らせると約束した。」

ルーズベルトはそう言うと、自然に自信が沸いて来るのを感じた。

「大国と言う物は、時として、相手の約束や好意を踏みにじる時が多々ある。それは、私のアメリカとて同様だった。だが、それは
国益を考えてこその事だった。」

彼は、心中でフェイレとメリマの顔を思い起こす。
国や人種が違うとはいえ、似た境遇を送って来た2人。
彼女達の情報が、アメリカ国民にどのような影響を与えるかは予想が付かないが、ルーズベルトは、朝、出来る限りの事はすると決意した。

「彼女達の好意は、アメリカの将来…そして、この世界の将来を考えると、決して踏みにじってはいけない物だ。
そして、男は、一度伝えた約束は必ず守らなければならん。でなければ、筋を通したとは言えない。」

ルーズベルトは、小声ながらも、張りのある声音で言う。
自分が今から下す決断は、歴史の転換点になるかもしれない。
この先の歴史がどうなっていくかは、余生が少ない彼には知る由もない。
良くなるかもしれないが、却って、状況が悪くなる可能性も、無いとは言い切れない。
だが、それでも、彼は決断を下さずにはいられなかった。

「私は、最後まで諦めぬ。そのためにも、2人の好意は、喜んで受ける事にしよう。」

ルーズベルトはそう決意すると、受話器を握った。
彼は、たった今、自分の決意が歴史を動かしたという事実を感じる事も無く、いつものように口を開いた。

「交換手。海軍省に繋いでくれ。」
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