※投稿者は作者とは別人です
279 :外パラサイト:2010/04/22(木) 21:59:18 ID:6LiHdjEo0
アメリカ軍によって開放されたレーフェイル大陸には、戦中・戦後を通じて数多くの興味深いエピソードが
あるが、中でもよく知られているものの一つに「ワラオダの奇跡」と呼ばれるものがある。
ワラオダは古くから水上交通の要衝として発達してきた都市であり、その歴史的、文化的価値はヨーロッパ
におけるヴェニスに近いといえる。
幸いマオンド占領時代にワラオダを統治していたスクルプ・ベナントレキ大将は、例外的に住民感情に配慮
した緩めの統治を行ったため、ワラオダ市民もマオンド軍に対し過度の憎しみを抱くことはなく、歴史的建
造物を破壊するような大規模な市街戦は起こらなかった。
膨大なマオンド軍捕虜を抱えるアメリカ軍は、解放なったレーフェイル大陸諸国軍に捕虜の管理を段階的に
委譲する計画を進めており、比較的良好な都市機能を維持していたワラオダ郊外に最初の捕虜収容所を開設
することになったのだが、収容所の運営はルークアンド軍が行うという話が、マオンド兵捕虜の間でルーク
アンド軍に身柄を引き渡されたらなぶり殺しにされて森に埋められるという根拠の無いデマとなって拡が
り、パニックを起こした捕虜が一斉蜂起へと突っ走ったのだ。
蜂起したマオンド軍捕虜はたまたま近くにあったアレンダッタ修道院を占拠し、多数の聖職者(多くはうら
若い尼僧であった)を人質に篭城を始めた。
ワラオダで起きたマオンド軍捕虜の一斉蜂起に対して、ルークアンド共和国政府は第一機甲教導団を出動さ
せた。
第一機甲教導団は米式装備を採用した陸軍の再建に先立ち、機械化部隊の運用を習得するために設立された
部隊だが、装備しているのはいまやアメリカでは訓練部隊からも引退しているM1軽戦車であった。
M1軽戦車は航空機から転用した星型空冷エンジンと、渦巻きバネを縦に並べた垂直懸架式サスペンション
を備えた車輌で、M4シャーマンまで続くアメリカ戦車の基本形を確立した存在といえる。
武装は旋回砲塔に50口径と30口径のブローニング機関銃を各一挺、車体右側のボールマウント式銃架に
30口径の前方機銃を備えている。
8.5トンの車体に260馬力のガソリンエンジンを搭載し、路上最高速度72kmを出すM1は、1936年にM1戦闘車(コンバットカー)の名称で騎兵隊に採用された。
なぜかというと、戦車隊と統合されるまで騎兵隊は戦車(タンク)と名の付く兵器を持つことが出来なかっ
たため、どこを突っついても戦車そのもののM1に戦闘車という名称を与え、戦車じゃござんせんと言い抜
けたのである。
合理主義が軍服着て武装したようなアメリカ軍にも、ナワバリ意識から来る冗談のような逸話はあるのだっ
た。
余談だが、ヘミングウエイの原作をゲーリー・クーパー主演で映画化した「誰が為に鐘は鳴る」(1943
年:パラマウント)では、フランコ軍の戦車に扮したM1軽戦車の雄姿をカラーで見ることができる。
第一機甲教導団の団長であるドルスフレ・ブンティー大佐は、戦前は国防軍第11師団の師団長で、降伏後
は地下に潜り祖国解放の日まで反マオンド運動を続けてきた根っからの闘士である。
良くも悪くも古いタイプの軍人であるブンティー大佐は、当然のごとく蜂起した捕虜を徹底的に殲滅するつ
もりだった。
ここで待ったをかけたのがワラオダの町衆を束ねるポルテ商会の未亡人、クレトスネラ・ポルテ。
戦争で商会長である亭主と従軍した跡取り息子を失ったのちのポルテ商会を一手に仕切る女盛りの37歳
にして、一声掛ければ千人を超す荒くれ者の船乗りが馳せ参じるという鉄火肌の女親分である。
修道院の門前に駆けつけたポルテ夫人は、いまにも戦車で突撃をかけようとするブンティー大佐の頭を鉄の
芯棒を通した愛用の日傘で打ち据えた。
むうんと唸って戦車から転げ落ちたブンティーに向って、威勢のよい啖呵をきるポルテ。
「まったくあんたら戦争屋ときたら、揃いも揃って人情ってもんをお袋さんの腹ん中に忘れてきたのかい!
マオンドの連中だって木の股から生まれたわけじゃないんだ、故郷にゃ親兄弟に女房子供がいるってことを
考えたらどうなのさ!」
「ま、待ちたまえ。話せばわかる、トラスト ミー!」
280 :外パラサイト:2010/04/22(木) 22:00:06 ID:6LiHdjEo0
レジスタンス時代は資金援助や隠れ家の提供など、ポルテ商会に一度ならず世話になっていたブンティーは、
向こう気の強い美貌の未亡人には、頭があがらないのであった。
そして篭城を続けるマオンド軍捕虜とネゴシエイトするため、軟禁とは名ばかりの気楽なニート生活を送っ
ていたもとワラオダ占領軍司令ベナトレキが引っ張り出された。
早速修道院に向ったベナトレキだが殺気立った捕虜たちに門前払いをくってしまう。
「蜂起した連中を仕切ってるのは、エルフや獣人相手にやりたい放題やってきた第六軍の将校だから、自分
たちも仕返しされると思いこんでるんだよ」
ブンティー大佐、ポルテ夫人、そしてワラオダ市長カプトリ・ルヨンダクが顔を揃えた市庁舎の一室で、ベ
ナトレキの報告を受けた三人は頭を抱えた。
「やはり強行策しかないのでは?」
「なんとか相手の懐に飛び込んで直談判に持ち込めないもんかねえ」
「海神祭も目前だというのに…」
「それだ!」
市長の何気ない一言に、クレトスネラはビッと人差し指を立てた。
オッショイ!オッショイ!オッショイ!オッショイ!
夜明けとともに修道院に立て篭もるマオンド軍捕虜の耳に届いたのは、段々と近づいてくる異様な掛け声と
地響きだった。
やがて驚き怪しむ捕虜たちの前に姿を現したのは、蛸と河童と翼竜を掛け合わせたような、醜悪でありながらどこか愛嬌のある魔神像を載せた山車を引く褌一丁の男たちと、山車の周りで舞い踊る肌も露わな踊り子
たちの一団であった。
山車の上で無意味に大きく胸を張り、両手を腰の横に当て、すっくと立つのは魅惑の37歳。
「そうら、海神様のご報謝だよ!」
ポルテ夫人の掛け声とともに、修道院の中庭に光り輝く小石大のつぶてが雨あられと投げ込まれる。
石畳の上でチャリンと音を立てたそのつぶてを拾い上げた捕虜の一人が叫んだ。
「金貨だ!」
捕虜たちの目が足元に向けられている間に、道化や踊り子の衣装を纏った軽業師の一団が塀を乗り越え、修
道院の大門を開けてしまう。
捕虜たちは何が起きているのか理解できないうちに、雪崩れ込んできた群衆の巻き起こす乱痴気騒ぎに巻き
込まれてしまう。
「踊れ踊れ!戦争なんか吹っ飛ばせ!」
「飲めや唄え!敵も味方も関係ないぜ!」
「ラヴアンドピースッ!」
「ジョンとポールはデキてたんだよ!」
「な、なんだって―――――つ!」
もうなにがなにやら。
「待て、これは孔明…じゃない敵のわn
統制を取り戻そうとする指揮官格の捕虜に過激な衣装の女たちが群がり、塩漬けの豚足や果実酒の大瓶を捻
じ込んで口を塞ぐ。
いつしかマオンド軍捕虜はみな武器を捨て、中庭を埋め尽くした群集と肩を組んで踊っていた。
マオンド軍捕虜の大部分も内心では、命が助かるものならさっさと投降したいと思っていたのである。
こうしてアレンダッタ修道院篭城事件は爆竹が炸裂し酒瓶が飛び交う中で平和的に解決を見た。
死者、負傷者ともに皆無。
まさに奇跡であった。
なお篭城中に吊橋効果でマオンド軍捕虜と恋におちた尼僧が、終戦とともに復員する捕虜についてマオンド
に嫁いでいってしまったという後日談が、後年「ワラオダの花嫁」という小説となってベストセラーになる
のだがこれはまた別の話である。
279 :外パラサイト:2010/04/22(木) 21:59:18 ID:6LiHdjEo0
アメリカ軍によって開放されたレーフェイル大陸には、戦中・戦後を通じて数多くの興味深いエピソードが
あるが、中でもよく知られているものの一つに「ワラオダの奇跡」と呼ばれるものがある。
ワラオダは古くから水上交通の要衝として発達してきた都市であり、その歴史的、文化的価値はヨーロッパ
におけるヴェニスに近いといえる。
幸いマオンド占領時代にワラオダを統治していたスクルプ・ベナントレキ大将は、例外的に住民感情に配慮
した緩めの統治を行ったため、ワラオダ市民もマオンド軍に対し過度の憎しみを抱くことはなく、歴史的建
造物を破壊するような大規模な市街戦は起こらなかった。
膨大なマオンド軍捕虜を抱えるアメリカ軍は、解放なったレーフェイル大陸諸国軍に捕虜の管理を段階的に
委譲する計画を進めており、比較的良好な都市機能を維持していたワラオダ郊外に最初の捕虜収容所を開設
することになったのだが、収容所の運営はルークアンド軍が行うという話が、マオンド兵捕虜の間でルーク
アンド軍に身柄を引き渡されたらなぶり殺しにされて森に埋められるという根拠の無いデマとなって拡が
り、パニックを起こした捕虜が一斉蜂起へと突っ走ったのだ。
蜂起したマオンド軍捕虜はたまたま近くにあったアレンダッタ修道院を占拠し、多数の聖職者(多くはうら
若い尼僧であった)を人質に篭城を始めた。
ワラオダで起きたマオンド軍捕虜の一斉蜂起に対して、ルークアンド共和国政府は第一機甲教導団を出動さ
せた。
第一機甲教導団は米式装備を採用した陸軍の再建に先立ち、機械化部隊の運用を習得するために設立された
部隊だが、装備しているのはいまやアメリカでは訓練部隊からも引退しているM1軽戦車であった。
M1軽戦車は航空機から転用した星型空冷エンジンと、渦巻きバネを縦に並べた垂直懸架式サスペンション
を備えた車輌で、M4シャーマンまで続くアメリカ戦車の基本形を確立した存在といえる。
武装は旋回砲塔に50口径と30口径のブローニング機関銃を各一挺、車体右側のボールマウント式銃架に
30口径の前方機銃を備えている。
8.5トンの車体に260馬力のガソリンエンジンを搭載し、路上最高速度72kmを出すM1は、1936年にM1戦闘車(コンバットカー)の名称で騎兵隊に採用された。
なぜかというと、戦車隊と統合されるまで騎兵隊は戦車(タンク)と名の付く兵器を持つことが出来なかっ
たため、どこを突っついても戦車そのもののM1に戦闘車という名称を与え、戦車じゃござんせんと言い抜
けたのである。
合理主義が軍服着て武装したようなアメリカ軍にも、ナワバリ意識から来る冗談のような逸話はあるのだっ
た。
余談だが、ヘミングウエイの原作をゲーリー・クーパー主演で映画化した「誰が為に鐘は鳴る」(1943
年:パラマウント)では、フランコ軍の戦車に扮したM1軽戦車の雄姿をカラーで見ることができる。
第一機甲教導団の団長であるドルスフレ・ブンティー大佐は、戦前は国防軍第11師団の師団長で、降伏後
は地下に潜り祖国解放の日まで反マオンド運動を続けてきた根っからの闘士である。
良くも悪くも古いタイプの軍人であるブンティー大佐は、当然のごとく蜂起した捕虜を徹底的に殲滅するつ
もりだった。
ここで待ったをかけたのがワラオダの町衆を束ねるポルテ商会の未亡人、クレトスネラ・ポルテ。
戦争で商会長である亭主と従軍した跡取り息子を失ったのちのポルテ商会を一手に仕切る女盛りの37歳
にして、一声掛ければ千人を超す荒くれ者の船乗りが馳せ参じるという鉄火肌の女親分である。
修道院の門前に駆けつけたポルテ夫人は、いまにも戦車で突撃をかけようとするブンティー大佐の頭を鉄の
芯棒を通した愛用の日傘で打ち据えた。
むうんと唸って戦車から転げ落ちたブンティーに向って、威勢のよい啖呵をきるポルテ。
「まったくあんたら戦争屋ときたら、揃いも揃って人情ってもんをお袋さんの腹ん中に忘れてきたのかい!
マオンドの連中だって木の股から生まれたわけじゃないんだ、故郷にゃ親兄弟に女房子供がいるってことを
考えたらどうなのさ!」
「ま、待ちたまえ。話せばわかる、トラスト ミー!」
280 :外パラサイト:2010/04/22(木) 22:00:06 ID:6LiHdjEo0
レジスタンス時代は資金援助や隠れ家の提供など、ポルテ商会に一度ならず世話になっていたブンティーは、
向こう気の強い美貌の未亡人には、頭があがらないのであった。
そして篭城を続けるマオンド軍捕虜とネゴシエイトするため、軟禁とは名ばかりの気楽なニート生活を送っ
ていたもとワラオダ占領軍司令ベナトレキが引っ張り出された。
早速修道院に向ったベナトレキだが殺気立った捕虜たちに門前払いをくってしまう。
「蜂起した連中を仕切ってるのは、エルフや獣人相手にやりたい放題やってきた第六軍の将校だから、自分
たちも仕返しされると思いこんでるんだよ」
ブンティー大佐、ポルテ夫人、そしてワラオダ市長カプトリ・ルヨンダクが顔を揃えた市庁舎の一室で、ベ
ナトレキの報告を受けた三人は頭を抱えた。
「やはり強行策しかないのでは?」
「なんとか相手の懐に飛び込んで直談判に持ち込めないもんかねえ」
「海神祭も目前だというのに…」
「それだ!」
市長の何気ない一言に、クレトスネラはビッと人差し指を立てた。
オッショイ!オッショイ!オッショイ!オッショイ!
夜明けとともに修道院に立て篭もるマオンド軍捕虜の耳に届いたのは、段々と近づいてくる異様な掛け声と
地響きだった。
やがて驚き怪しむ捕虜たちの前に姿を現したのは、蛸と河童と翼竜を掛け合わせたような、醜悪でありながらどこか愛嬌のある魔神像を載せた山車を引く褌一丁の男たちと、山車の周りで舞い踊る肌も露わな踊り子
たちの一団であった。
山車の上で無意味に大きく胸を張り、両手を腰の横に当て、すっくと立つのは魅惑の37歳。
「そうら、海神様のご報謝だよ!」
ポルテ夫人の掛け声とともに、修道院の中庭に光り輝く小石大のつぶてが雨あられと投げ込まれる。
石畳の上でチャリンと音を立てたそのつぶてを拾い上げた捕虜の一人が叫んだ。
「金貨だ!」
捕虜たちの目が足元に向けられている間に、道化や踊り子の衣装を纏った軽業師の一団が塀を乗り越え、修
道院の大門を開けてしまう。
捕虜たちは何が起きているのか理解できないうちに、雪崩れ込んできた群衆の巻き起こす乱痴気騒ぎに巻き
込まれてしまう。
「踊れ踊れ!戦争なんか吹っ飛ばせ!」
「飲めや唄え!敵も味方も関係ないぜ!」
「ラヴアンドピースッ!」
「ジョンとポールはデキてたんだよ!」
「な、なんだって―――――つ!」
もうなにがなにやら。
「待て、これは孔明…じゃない敵のわn
統制を取り戻そうとする指揮官格の捕虜に過激な衣装の女たちが群がり、塩漬けの豚足や果実酒の大瓶を捻
じ込んで口を塞ぐ。
いつしかマオンド軍捕虜はみな武器を捨て、中庭を埋め尽くした群集と肩を組んで踊っていた。
マオンド軍捕虜の大部分も内心では、命が助かるものならさっさと投降したいと思っていたのである。
こうしてアレンダッタ修道院篭城事件は爆竹が炸裂し酒瓶が飛び交う中で平和的に解決を見た。
死者、負傷者ともに皆無。
まさに奇跡であった。
なお篭城中に吊橋効果でマオンド軍捕虜と恋におちた尼僧が、終戦とともに復員する捕虜についてマオンド
に嫁いでいってしまったという後日談が、後年「ワラオダの花嫁」という小説となってベストセラーになる
のだがこれはまた別の話である。