第196話 トハスタの災厄
1484年(1944年)11月18日 午前6時40分 リィクスタ
リィクスタ第3療養所の所長であるコルモ・フィギムは、就寝中の所を突然、部下に叩き起こされた。
「先生!起きて下さい!急患です!」
療養所の副所長が、血相を変えながら、ベッドに寝ているフィギム所長を揺さぶる。
「う……なんだ、まだ開業時間では無いぞ。」
フィギムは目を開けるなり、側に置いてある時計を指差しながら副所長に言う。
リィクスタ療養所は、午前9時から診療を開始している。
現在の時刻は午前6時40分。通常ならば、8時に起きて開業の準備をするから、まだ起きるには早い。
彼は寝惚けながら、安眠を妨げた副所長を恨めしげに睨む。
「急患が運ばれてきているんですよ!それも大勢です!」
「……何?それは本当かね?」
副所長の言葉を聞いたフィギムは、はっとなって聞き返す。
「はい。何でも避難中の住民が、いきなり賊に襲われたようです。今、外には24、5人の急患が運ばれていて、うち半数は重傷です。」
「賊に襲われただと?なんて事だ。」
フィギムは額を押さえながら呻く。
「仮眠中の職員を残らず叩き起こせ。わしもすぐに準備する。急げ!」
彼は、ベッドから跳ね起き、矢継ぎ早に指示を下した。
指示を受け取った副所長は、足早に所長室から去って行った。
(避難中の住民達が賊に襲われるとは……なんという事だ。)
フィギムは支度をしながら、心中で呟く。
リィクスタでは、迫りつつある戦火から逃れるため、2日前から住民の段階的な避難が始まっている。
避難活動は今日から活発化すると言われており、今日の午前6時からは、住民100名が町から避難する手筈になっていた。
その100名の住民達は、出発早々、どこからか現れた賊に襲われてしまったのだ。
「賊の馬鹿者共め。大人しく引っ込んでおればいい物の!」
フィギムは、いらぬ手間を増やした賊を呪いながらも、大慌てで支度を終え、自室から飛び出した。
「あ、所長、おはようございます!」
同じように叩き起こされてきた助士達が、彼に挨拶をする。
「おはよう諸君。外には負傷者が居るようだ。かなり早いが、ひとまず開業だ。おい、急いで正面玄関を開けろ!手術室の準備もだ。急げ!」
フィギムは次々と指示を下しながら、自らは診療所の玄関前に立ち、開業を待った。
玄関の戸が開けられるや、待ってましたと言わんばかりに、担架に乗せられた重傷者達が運び込まれてきた。
「先生!うちの親父が、背後から剣で斬られて虫の息なんだ!」
「斧みたいな物で肩を抉られてる!出血が酷い、早く手当てしてくれ!」
急患と共に入って来た、患者の家族や知人が、待機していたフィギムを始めとする医師や助士に懇願してくる。
フィギムと医師、助士達は、彼らを宥めながら、担ぎ込まれた急患を療養所の奥へ連れて行く。
「君はこの人を見てくれ。おい!包帯をあるだけ持って来てくれ。君はその人の手当てに当たってくれ。傷が深いから、
止血はなるべく早くしてくれ。」
フィギムは、医師達に担当する患者を教えつつ、患者達の傷の具合を見て回る。
(どれもこれも、酷い傷だ。賊の連中は、若い女子供まで、容赦なく攻撃している。)
彼は、背中に重傷を負いながら、痛みに呻く子供を見ながらそう思う。
重傷者の半数は、まだ若い女性や子供であり、手足のいずれかを失った者も何人かいた。
それから5分ほど経って、早くも1人の患者の容体が急変した。
「所長!患者が急に苦しみ出しました!」
中年の男性を手当てしていた助士から、叫びにも似た声が上がる。
フィギムは素早く、その助士の所に駆け付けた。
「出血性のショックを起こしている。おい、手足を押さえろ。強い痙攣を起こしたら、患者は台の上から落ちてしまうぞ。」
フィギムは助士に命じた後、自らは鎮痛作用のある治癒魔法を患者に施していく。
患者は痙攣を起こし始め、手足をばたつかせるが、助士2人が手足を押さえているため、何とか体を固定する事が出来た。
「大丈夫です!今治癒魔法をあなたに施しています。まもなく痛みは和らぎますから、少しは楽になりますよ!」
フィギムは、暴れる患者に励ましの言葉を送る。だが……彼の努力は無に帰した。
突然、患者が体を硬直させた、かと思うと、その次の瞬間には硬直が解け、動きが止まった。
患者の首がだらりと右横を向き、開かれた目は瞳孔が開いていた。
腹の傷口に治癒魔法を施していたフィギムは、すぐに手を止めて、患者の容体を確認する。
「……駄目だ。亡くなられた。」
彼は、助士2人を交互に見やりながら、悔しげな口調で呟いた。
「出血性のショック症状だ。賊の連中から受けた傷は、思ったよりも酷かったようだな。」
フィギムは顔を俯かせながらそう言った後、気を取り直して、次の指示を助士に伝える。
「遺体を移動しておいてくれ。私は別の患者の様子を見る。ご家族には、後で私が話そう。」
フィギムはそう言ってから、すぐさま別の患者に異変が無いか、調べに行く。
(おのれ、薄汚い賊の連中め。何の罪も無い人達を殺めるとは。後で事情聴取に訪れるだろう軍の連中に、賊の掃討を頼みこまなければな)
彼は心中で呟きながら、助士や医師の手当てを受ける患者達を見て回った。
異変が起き始めたのは、その直後からである。
「先生!」
別の助士が、手を上げてフィギムを呼び止める。
「急に、患者の容体が!」
フィギムは助士の言葉を聞きながら、すぐさま駆け付ける。肩を負傷した患者が、どういう訳か、胸を押さえて苦しみ始めた。
「どうした?心臓の発作か!?」
「どうやら、そのようですが。」
助士が戸惑いながら答える。その声に被さる様に、後ろから悲鳴が上がった。
「ぐぁ、苦しい!胸がぁ!!」
彼の後ろで手当てを受けていた別の患者が、突然苦しみ出した。
「どうした!?」
「先生!患者が急に苦しみ始めました!」
フィギムは、すぐに後ろに顔を向けようようと考えたが、今は目の前で、別の患者が苦しんでいるため、すぐに目を離す事は出来なかった。
彼が思考を巡らせる暇も無く、異変は次々と湧き起こる。
あちこちから、助士や医師の声が上がり、手当てを受けていた重傷者が急に苦しみ出す。
容体を急変させる患者は、重傷者のみならず、軽傷者からも出始めた。
10分と経たずに、療養所内では、急な体調の変化の末に死んだ者や、苦しみながらのたうち回る患者で溢れ返った。
療養所内で、負傷者が苦しげにのた打ち回り、ある者は血を吐いて死につつある。
療養所に運ばれた負傷者25名のうち、12名の重傷者は既に死んでいる。
いずれも、謎の体調不良が原因である。
そして……残りの13名が、命に関わる様な傷を受けていないにも関わらず、パニック状態になりながら必死に押さえようとする助士や医師、
家族や知人に見つめられながら、同じように苦しみ、息絶えようとしていた。
「……一体……これは、何だ?」
フィギムは、茫然とした表情で呟く。
この第3療養所を任されてから7年。魔法学校で医学を修得し、医師の道を歩んでから20年。
彼が歩んできた27年の中で、このような事は全くなかった。
(酷いと思う状況は、これまで何度もあった……だが、これは……これは……)
フィギムは、目の前の惨状を見つめながらも、頭の中で今の状況を理解しようと試みる。
だが、彼の頭の中は、まるで、何かの妨害魔法でも掛けられたかのように真っ白なままであった。
「私は、何か、悪い夢を見ているのか?」
彼は、呻くような声音で、言葉を紡ぐ。
フィギムが思考停止に陥った後も、患者達は次々と死に絶えていく。
軽傷者達全員が、謎の体調不良で死ぬまで、さほど時間はかからなかった。
療養所内に木霊していた患者達の叫び声は、いつしか消え失せ、建物内では、突然、不可解な死を遂げた家族や、友人を目にして
泣き叫ぶ付添人の声が延々と響いていた。
「先生!親父は……親父は、何故死んだんですか!?」
いつの間にか近寄った、患者の息子と思しき若い男が、涙を滲ませながら聞いて来る。
「親父は肩を切られただけです!なのに、どうしてあんなに苦しみながら死んだんですか!?教えてください!!」
若い男は、声を潤ませながら、何度もフィギムに聞く。
フィギムは、その声で我に返り、何とか結論を見出そうと、必死に考えた。
「私も、詳しくは分からぬのだが……賊共は、武器に遅効性の毒を塗っていたかもしれない。」
「毒……畜生、姑息な賊共め!!」
若い男は、悲しみに歪んでいた顔を朱に染め上げた。
「俺達が一体何をしたって言うんだ!!」
「……君、お父さんが亡くなられて辛いのは分かるが、今は少し落ち着きなさい。」
「落ちつく?先生!僕は父を殺されたんですよ!?落ち着ける筈がない!落ち着けるとしたら、この手に賊の首をぶら下げた後です!」
「君は、復讐を考えているのかね?」
「そうです!やられたらやり返せです!!」
若い男はそう言い放つ。彼は、怒りで完全に舞い上がっていた。
「…では聞くが、君はたった1人で、武装した賊の集団に勝てると思うのかね?刃物に毒を塗り、確実に相手を殺そうとする、凶悪な奴らと。」
「………」
フィギムの言葉に、若い男は押し黙る。
「もう少し考えなさい。君は、あそこに居るお母さんと弟さんとここに来たね?父を失った今、君が賊の集団相手に、無謀な戦いを挑んで
返り討ちに会った時、残された家族はどうなるのかね?」
「……う」
「仇を討ちたいというその気持ち、大いに結構だ。だが、君はやるべきではない。君は、残された家族の事を考えて、今後を過ごすんだ。」
「……」
「なに、所詮は弱い者いじめしか出来ぬ下賤な賊共だ。ああいう奴らは、後で軍が掃除してくれるだろう。君が苦労して、仇討ちをする必要は無いよ。」
「……先生、すいませんでした……!」
若い男は、自らの浅はかな思いに後悔し、フィギムに非礼を詫びたその瞬間、彼は信じられぬ物を見た。
いや、見てしまった。
フィギムの後ろで、息絶えていた筈の3人の患者が、寝台から起き上がったのだ。
「いや、なにも謝る必要は無いよ……どうした?」
「せ、先生、あれ……」
若い男は、顔を青く染めながら、フィギムの後ろを指差した。
フィギムは振り返り……そして、言葉を失った。
寝台に寝かされていた患者は、いずれも重傷者であり、5分前に死亡を確認している。
だが、死んだ筈の患者は寝台から起き上がり、ゆらゆらと揺れながら、フィギムに向かって、ゆっくりと歩み寄りつつある。
「生き返った……?そんな、先程、亡くなった事を確認した筈なのに。」
彼は、震えた声でそう呟くが、ふと、別の思いが浮かんだ。
(毒はさほど強い物ではなく、彼らは一時的に、仮死状態に陥れられただけかもしれない)
彼は、自らの経験を思い出しながら、心中で確信する。
フィギムは、数年前に賊の襲撃で負傷した患者を手当てした事があるが、その患者は今回と同じように、いきなり苦しんだ挙句、
息を引き取った。
しかし、その10分後には息を吹き返し、その患者は後に回復を遂げている。
当時は、人を一時的に仮死状態に陥れる事が出来る毒を使った事件が頻発しており、フィギムも何件か、この事件の被害者を
手当てした事がある。
「5年前のあれと同じか……もしかして、避難民達を襲った賊は、5年前の事件を起こした賊と、同じ奴らか?」
フィギムはそう言った後、患者の顔を見つめる。
そこで、彼は更なる異変に気が付いた。
「……顔が妙に青いな。それに、目付きも不自然だ。」
「所長、その方達は?」
ふと、後ろから声が響く。助士の1人が、生き返った患者を見るなり、フィギムに尋ねたのだ。
「いきなり寝台から起き上がったんだ。だが……何か変だ。」
「変ですか……確かに。傷が酷いのによく起きていられる物だ。」
助士は何を思ったのか、フィギムの前に出、起き上がった患者達に近付いた。
この時、不意に彼は強い胸騒ぎを感じた。
「おい、ちょっと待て。」
フィギムは、患者に近付いた助士に注意を呼び掛けたが、助士は既に、患者の体に触れようとしていた。
「駄目ですよ!あなた方は酷い怪我を負っているのですから、横になっていないと。」
助士が言葉を言い終えるや否や、先頭に立っていた患者がいきなり、助士の首に噛み付いた。
まるで、獣が獲物を狩るかのように、患者は助士の左首筋に噛み付き、皮膚の表面を食い千切った。
その直後には、後ろの患者が助士に噛み付き、助士はあっという間に押し倒された。
「!?」
予想だにしていなかった患者の行動に、フィギムは思わず固まってしまった。
3人の患者は、仰向けに倒れた助士に食らい付き、胴体、腕、足と、様々な部位に噛み付いては肉を食い千切っていく。
助士は最初の攻撃で致命傷を受けたため、既に息を引き取っていた。
「せ、先生!なんだよこれは!?」
「……」
突然の出来事に、気が動転した若い男は、フィギムに聞くが、彼は答えない。
ふと、反対側の方向から悲鳴が上がった。
その方向を見ると、突然起き上がった患者が、医師の背後から襲いかかり、左肩に噛み付いていた。
側で佇んでいた2人の助士が慌てて話そうとするが、患者の力が強いのか、なかなか離せない。
その助士にも、別の患者が襲い掛かった。
あちこちで、似たような事が起き始める。起き上がった患者は、すぐ側に居た人間に誰彼かまわず噛み付いていく。
被害は助士や医師のみならず、付き添っていた避難民にも及んで行く。
ある避難民は、腕に噛み付いて来た患者を無理やりほどくが、その際腕の肉が噛み千切られ、負傷した避難民は激痛に顔を歪め、絶叫した。
急な騒ぎを聞き付けた住民が何事かとばかりに家を飛び出し、療養所の前に集まり始めた。
「ケトス!一体この騒ぎは何なの!?」
フィギムの側で狼狽していた若い男がハッとなり、後ろを振り向く。
「母さん!それにリド、どうしてここに?」
「あんたを探しに来たんだよ!先生、この騒ぎは一体何なんですか!?」
「……」
ケトスと呼ばれた若い男の母から、質問が飛ぶが、フィギムは答えられない。
フィギムは、助士を殺した3人の患者を見つめる。
体中に助士の返り血を浴びた3人の患者は、一斉にフィギムらに振り返る。
6つの仄暗い瞳が、フィギムと、ケトスと呼ばれた若い男と、その家族に向けられている。
3人の患者はむくっと起き上がり、彼らに向かって近付いて来た。
「せ、先生……こいつら」
ケトスが怯えながら、フィギムに声を掛ける。その時、彼の中で何かが弾けた。
フィギムは、側に置かれていた木製の棒を握ると、患者の体に打ち付けた。
「先生!一体何を」
「この人達……いや、こいつらは患者では無い!」
フィギムはそう断言した。
「こいつらは、何かに操られた敵だ!」
「敵って、まさか、アメリカ軍!?」
「いや、そこまでは分からんが、とにかく、このままでは、私達はこいつらに殺されるという事だけは、ほぼ確実だ!」
フィギムはそう言いながら、2度、3度と棒を患者……もとい、正体不明の敵に打ち付けた。
肩や腰、腹に棒が辺り、正体不明の敵は打撃が加えられるたびに体を震わせる。
だが、いくら打撃を与えても、敵の動きに変化は見られなかった。
「畜生、どういう事だ!?普通ならば、骨はとっくに折れて動けなくなっている筈なのに!?」
「所長!」
後ろから声が掛かる。顔を向けると、部下の医師と助士6名が居た。
助士のうち、1人は
「療養所内は大混乱です!起き上がった患者は、次々に我々と、見舞客に襲い掛かっています!2、3人の患者は外に出ました!」
「副所長はどうした!?」
「残念ながら、さきほど、患者に首を噛まれて……」
「何たることだ……」
フィギムは、思わず頭を抱えてしまった。
「所長、とにかく、中へ行きましょう!」
「他の見舞客はどうする!?」
「もはや、この状況ではどうしようもありません。それ以前に、動ける客は全員、外に逃げ出しています!」
「所長、後ろ!!」
誰かが、フィギムに注意を喚起する。
咄嗟に彼は振り向く。1人の敵が、大口を開けて彼に襲いかかろうとしていた。
彼は無我夢中で棒を振り、敵の横顔を思い切り叩いた。
叩かれた衝撃で敵は大きくのけ反り、後ろから迫っていた2人の敵を巻き込みながら、床に倒れた。
「所長!こっちです!」
部下の医師が、奥へつながる通路を指差す。部下の医師達は通路に駆け込み、フィギムらも後に続いた。
部下達と、フィギムらは、通路の角を曲がった後、分厚い木製の扉を閉めてから、2階に上がった。
「ふぅ、ここまで来れば大丈夫だろう。」
フィギムは安堵した後、2階の窓から正面玄関を見る。
正面玄関前では、出てきた患者に襲われたのだろう、5、6人の野次馬が肩や手、足を押さえながら、必死に療養所から離れようとしている。
そこから別の所に視線を移すと、3人ほどの野次馬が、暴れる患者を取り押さえているのが見えた。
しかし、患者は野次馬を振りほどくと、1人の腕に噛み付いた。
療養所の玄関前は、暴れ回る患者のせいで大騒ぎとなっていたが、この時、フィギムは玄関先から出てきた新たな人影に気が付いた。
「……あれは…うちの助士じゃないか。」
彼は、ふらふらとしながら外に出ていく助士に声を掛けようと、その助士の名前を呼び止めようとした。
その時、野次馬の1人が助士に食ってかかる。野次馬は指をさしながら何かを喚いている。
だが、その次の瞬間、フィギムは信じがたい光景を目の当たりにした。
唐突に、助士が野次馬に飛び掛かり、野次馬を押し倒した。
その直後には、フィギム達に襲ってきた患者……もとい、謎の敵と同じように、野次馬の体に噛み付いていた。
「………」
その一部始終を目の当たりにしていたフィギムらは、思わず絶句した。
(……なぜ、うちの助士が!?)
フィギムは、心中でそう叫ぶ。
次々と起こる不可解な出来事を目の当たりにして来たためか、彼の思考能力は通常時に比べて、極端に低下していた。
「う……グ……グ…」
唐突に、後ろで誰かが苦しむ声が響く。フィギムはすぐに振り返った。
先ほど、フィギム達は負傷していた1人の助士を連れて、この2階に避難して来た。
負傷者はこの助士だけであったが、助士は胸を押さえながら、顔を真っ青に染めている。
「しょ……所長……すいま……せん。」
助士は、苦しみながらも言葉を発すると、いきなり上層階に繋がる階段目掛けて走りだし、階段を駆け上がっていった。
「お、おい!待て!」
フィギムは慌てて助士の後を追い、足音を頼りにひたすら階段を上っていく。
最上階である4階に達し、フィギムは開きかけのドアを押し飛ばし、屋上に飛び出た。
彼は、屋上の手摺目掛けて走っていく助士の背中に向けて、大声で叫ぶ。
「馬鹿者!とまれ!早まった事はするな!!」
彼は助士を引き止めるべく、再び走りだす。だが、彼の努力は無為に返した。
落下防止用の手摺を飛び越えた助士は、そのまま地面に落下していった。
どしゃっという心地の悪い音が聞こえたのは、それから間もなくであった。
リィクスタの守備に付いているマオンド陸軍第47歩兵師団第7連隊の本部では、10分ほど前から急増し始めた謎の事件の
対応に追われていた。
「何?第3療養所の付近で不可解な暴動が発生しただと!?」
第7連隊の指揮官であるイミド・リシシク大佐は、巡回中の憲兵から入った報告を伝えられるや、不機嫌そうに歪めていた表情を、
更に歪めた。
「東門では訳のわからん傷害事件が起き、第1、第2療養所では、運び込まれた患者がいきなり暴れ出した。その上、第3療養所でも、
同様の事件が起きたと言うのか。」
「魔法通信を見る限り、そうとしか考えられません。現在、それぞれの事件現場に、都市警備隊が20人ずつ人を送って、事態の収拾に
当たっているようです。」
連隊本部付の副官が、リシシク大佐に言う。
「まったく、どうしてこんな時に、このような凶悪事件が起きるのだ。北からはアメリカ軍の快速部隊が南下し、南からは敵機動部隊に
護衛された輸送船団が迫っているというのに……」
リシシク大佐は苛立った口調で副官に返した。
「連隊長。この際、事態の収拾を早めるため、我が連隊からも人を送ってはどうでしょうか?」
「連隊から?君、現場には既に、都市警備隊が向かっているじゃないか。彼らだけで十分じゃないかね?」
「いえ、万が一の場合に備えてです。」
副官はすかさず言い返す。
「この一連の騒ぎが、アメリカ軍の息の掛かったレジスタンスによって引き起こされた可能性もあります。過去に、ベルリィク大陸戦線の
シホールアンル軍が、ジャスオ攻防戦時に市民の暴動が原因で防衛戦闘が破綻した事もあります。ここは、念のために部隊を派遣すべきでは
ありませんか?」
「しかし、この騒ぎは都市警備隊だけで十分だと思うが。」
リシシク大佐は、副官の言葉に乗り気ではない。
その時、別の魔道士が室内に入って来た。
「連隊長!ジクスの第34師団司令部より緊急信であります!」
リシシク大佐は魔道士から、通信文の内容が記された紙を受け取り、一読する。
「……どうやら、ジクスでも同じような事が起きているようだ。」
「ジクスですと?」
「ああ。ジクスの34師団も、賊に襲われた避難民が急に凶暴化して、住民を手当たり次第に襲っているようだ。」
「なんて事だ……ジクスは早くても、今日中にはアメリカ軍が来襲してくると予想されている筈。防戦準備に追われている矢先に、
こんな事件が起きるとは。」
副官は眉をひそめながらリシシク大佐に言う。
「連隊長、たった今、リルマシクとシィムスナからも緊急の魔法通信が入りました!」
別の魔道将校が、あわてふためきながら室内に入って来た。
「リルマシク、シィムスナ郊外で、避難民を狙った賊の襲撃があり、その後、収容された負傷者達が療養所の職員や住民を襲い、
被害は徐々に拡大しているようです!」
「何たる事だ。主席参謀、もしかすると、これは君の言った通りの事態になりつつあるようだ。」
リシシク大佐は、顔をやや青ざめさせながら、副官である主席参謀に言った。
「連隊長、では?」
「ここは、君の提案通りに動くとしよう。暴動発生地域へ、直ちに武装した部隊を送りたまえ。暴動発生個所には、それぞれ
1個中隊ずつ差し向けよう。」
リシシク大佐は、張りのある声音で命じる。
「第1、第2、第3大隊長に命令を伝えよ。暴動発生地域に1個中隊を差し向け、直ちに事態収束に努めよ。」
午前7時20分 リィクスタ市街地門前
ガーイル・ヘヴリウルは、リィクスタ市街地内部に入るなり、目の前に展開されている光景に満足していた。
「ハッハッハッハッ!見ろ!なんとも素晴らしい光景か!」
彼は、ついて来た小隊のネクロマンサーに向けて笑みをこぼした。
「今、我々の前を歩いている200人以上の住民は、既に、不死の薬の影響を受けているようだ。」
「先行した駒が、町の内部にまで浸透して働いてくれたようですな。」
「ああ。目の前にいるだけでざっと200前後。リィクスタ東地区全体では、この倍以上の駒が、更なる駒を増やすために行動を
開始している頃だろう。」
「不死の軍団誕生の第一歩、という訳ですな。」
部下の言葉に、ヘヴリウルは満足そうに頷いた。
「おお、ヘヴリウル殿もおられましたか!」
不意に、後ろで声が響いた。振り向くと、そこには、別の小隊のネクロマンサー達が居た。
「これは、リョバス殿。久しいな。」
「元気そうでなによりです。しかし、今回の作戦はなかなか楽しみ甲斐のある物ですなぁ。」
リョバスは、愉快そうな口調でヘヴリウルに言う。
「うむ。これほど楽で、しかも、心躍る作戦なぞ、今まで経験した事がなかった。」
ヘヴリウルも言いながら、卑しげに口を歪める。
「この作戦が成功すれば、アメリカ人共も、我らの力を思い知る事になるだろう。」
彼はそこまで言ってから、ふと、リョバスが率いていた人数が少ない事に気が付いた。
「リョバス殿。君の小隊は3人しか人がおらんのかね?」
「いえ。人数は揃っております。」
リョバスは、右後ろの建物を、右手の親指で差した。
「残りは、あそこの娼館でしばしの快楽を楽しんでおります。」
「しばしの快楽か……しかし、今は作戦中だぞ。良いのかね?」
「なに、心配はいりません。娼館の生き残りはたったの3人だけでした。柔な女が3人だけでは、ここから逃れる術はありません。
それに、部下の鬱憤も溜まっておりましたからな。気晴らしには良いと考え、少しばかり自由時間を与えたのです。」
「ふむ。この状況ならば、少し楽をしても問題はあるまいな。」
ヘヴリウルは、周囲を見回した。
リィクスタ市街地の東門入口付近は、もはや普通の人間は居なくなっており、周囲には不死の薬の影響を受け、不死者と化した者しかいない。
東門周辺の制圧は完全に成功しており、周囲は、不死者が放つ気色悪い呻き声しか聞こえなかった。
ここまで来れば、東門周辺でやる事は無い。後は、不死者達を市街地の奥へ進めて、更なる駒を増やすだけであった。
「さて、そろそろ、町の守りに付いていた軍部隊が出張って来る頃だ。奴らに邪魔をされぬためにも、我々は与えられた任務をこなさねばな。」
「ヘヴリウル殿。他の小隊は既に、所定の位置に付いており、準備は整っております。」
「うむ。流石は最高の執行部隊だ。仕事が早くて助かる。」
ヘヴリウルはそこまで言ってから、大声で笑い飛ばした。
「では、我らも派手に暴れるとしようか。軟弱者の集団に、召喚獣を使った戦という物を教えてやろう。」
彼の言葉が放たれると同時に、配置に付いた他の小隊から、軍部隊が東地区に現れたという通信が飛び込んで来た。
11月18日 午前8時 第7艦隊旗艦 重巡洋艦オレゴンシティ
第7艦隊司令長官であるオーブリー・フィッチ大将が、オレゴンシティの作戦室に入った時には、時計の針は午前8時を回っていた。
「おはよう諸君。」
フィッチが幕僚達に挨拶すると、幕僚達も快活のある声音で返して来た。
「早速だが、本題に入ろうか。」
フィッチは、情報参謀であるウォルトン・ハンター中佐に視線を向けた。
「情報参謀。先程、君が伝えて来た情報の事だが……トハスタで騒ぎが起きているというのは確かなのかね?」
「ハッ。午前7時50分に、戦艦ウィスコンシンから第一報が入り、その2分後には戦艦ミズーリからも同様な報告が届けられています。
詳細は未だにはっきりしませんが、とにかく、トハスタ方面で何かが起きている事は確かです。」
ハンター中佐は淡々とした口調でフィッチに言う。
第7艦隊旗艦であるオレゴンシティに、ウィスコンシンから緊急信が届いたのは、今から10分ほど前の事である。
ウィスコンシンからは、トハスタ方面の地方都市で大規模な騒乱が起きたとの報告が届けられ、情報はすぐさま、7艦隊司令部に伝わった。
フィッチは、司令官公室で支度をしていた時に、ハンター中佐からこの情報を伝えられた。
その直後に、ミズーリからもほぼ同様の通信が届いたと伝えられている。
フィッチは、すぐさま幕僚全員を招集するように命じ、こうして緊急の会議が開かれる事となった。
「騒乱が起きた地方都市は、リィクスタ、リルマシク、シィムスナ、ジクスの4都市です。人口はいずれの都市も1万から2万人前後となっています。」
「長官、もしかしたら、現地に配備されていた軍の一部が反乱を起こしたのではないでしょうか?」
作戦参謀のコナン・ウェリントン中佐がフィッチに言う。
「トハスタ南部のコルザミには、午前7時より、接近したTF73の戦艦部隊が、沿岸に艦砲射撃を加えています。これに影響を受けた軍部隊の一部が、
進退窮まったと判断して各地で蜂起したのでは?」
「確かに、その可能性はあるかもしれない。」
参謀長のバイター少将は、机に広げられたトハスタ方面の地図を指でなぞる。
「騒乱が起きたと言われている地方都市が4つもあるという事も、作戦参謀の考えを裏付けていると言っても良いだろう。しかし、私としては、
作戦参謀の考えは外れているのではないか?と思う。」
バイター少将は、作戦参謀の考えに異を唱えた。
「ウィスコンシン、ミズーリから入って来た情報によれば、トハスタの敵軍は、どういう訳か、首都の司令部と連絡が取れないという文も含まれていたという。」
バイター参謀長は理解しがたいとばかりに、怪訝な表情を浮かべる。
「軍部隊の一部が各地で蜂起した、というのならば、これは大事件だ。すぐに首都の軍司令部なり、近隣の方面軍司令部なりに連絡を取る筈だ。
なのに、どうしてトハスタのマオンド軍は、中枢部との連絡が取れぬと言っているのだ?」
「蜂起した部隊の一部が、魔法通信を妨害しているのではないでしょうか。」
「妨害だとしても、妙に大規模に行われているとは思わんか?」
バイター少将は、ウィスコンシン、ミズーリから届けられた通信文を記した、数枚の紙を指差しながら作戦参謀に聞き返す。
「ウィスコンシン、ミズーリの通信班から得た情報では、“トハスタ全体で”中枢部との連絡が取れないと言っている。軍が蜂起したとしても、
トハスタ方面の敵兵力から見て、多く見積もっても規模は1個師団程度が限界だ。たかだか1個師団、またはそれ以下の部隊が、この広大な
トハスタ地方を丸ごと、妨害魔法の範囲内に収められるとは思えないのだが。」
「確かに、参謀長の言う通りだな。」
フィッチが頷きながら、バイター参謀長に言う。
「作戦参謀の考えもわからぬではないが、今、マオンド側は総力を挙げて、南下して来る陸軍に対応しようとしている。そこに、コルザミの
偽装上陸部隊が襲い掛かっている。猫の手でも借りたいこの多忙な時に、反乱を起こす不届き者が出る事は考え難いと、私は思う。」
「長官。むしろ、この時期だからこそ、反乱を起こしたという可能性もあります。」
作戦参謀は、尚も自らの意見を述べようとした。
その時、作戦室のドアが開かれ、通信将校が室内に入室して来た。
通信将校は、数枚の紙をハンター中佐に渡した後、そそくさと退出して行った。
「……ん?何だこれは?」
ハンター中佐は、最初の通信文を黙読するなり、怪訝な表情を浮かべた。
「どうした?」
「長官。ウィスコンシンより続報が入りました。正直申しまして、これは信じがたい内容です。」
「見せてくれ。」
フィッチは、ハンター中佐から紙を受け取り、通信文の内容を読んで行く。
「リィクスタ市街地の状況は、凶暴化した暴徒と、謎のキメラによって急速に悪化しつつあり。暴徒鎮圧に当たっていた部隊は、キメラの攻撃と、
“蘇った死者”の襲撃によって甚大な損害を被る。部隊は目下、蘇った死者と、キメラと交戦中なるも、形成極めて不利……」
フィッチは、内容を黙読した後、我が目を疑った。
「情報参謀、蘇った死者とは一体、どういう事かね?」
「そ、そこの所は、私としても分かりかねます。」
ハンター中佐は、歯切れの悪い口調でフィッチに答えた。
フィッチは、残った紙の内容にも目を通していく。フィッチに渡された紙は計5枚。
5枚中、4枚は、リィクスタ、リルマシク、シィムスナ、ジクスの状況を記した物であり、残る1枚は、トハスタ市にあると思われる司令部から、
中枢部に向けて送られたとみられる報告文であった。
5枚の紙に書かれていた内容を全て読み終えたフィッチは、表情を曇らせながら、幕僚達に向けて口を開いた。
「どうやら、トハスタでは、我々が予想だにしていなかった事が起きているようだ。私としては、今から口にする言葉を、実に馬鹿馬鹿しいと
思っている。だが、これを言わねば、恐らく、トハスタ地方で起きている一連の怪事件は説明が付かないだろう。」
「?」
幕僚達は、フィッチが何を言おうとしているのかが理解できなかった。
「長官は、この状況をどのように考えられておられるのですか?」
「これは、私の推測だが……マオンド軍は、死者を蘇らせる薬を使ったのかもしれん。」
「死者を蘇らせる薬、ですと!?」
ハンター参謀長が仰天したように言う。
「長官、いくら何でも、それはあり得ぬのでは無いでしょうか?」
「私としてもそう信じたい……だがな、参謀長。」
フィッチは、ウィスコンシンから届けられた紙を持ち、それを左手で、幾度か叩いた。
「この報告書には、蘇った死者、という言葉が何度も出てきている。通信文は、前線部隊や地方の町役場と言った場所から発せられた物ではなく……」
フィッチは、人差指で地図上のトハスタ市をトントンと叩いた。
「トハスタ市の中枢にある、このトハスタ領の最高責任者が居る場所から発せられている。トハスタの責任者は、首都に向けて、事実を伝えようと
しているのだよ。」
その瞬間、作戦室は重苦しい雰囲気に包まれた。
それまで、幕僚達は、顔に自信を滲ませていたが、今では、その自信は綺麗さっぱり消え失せていた。
死者が蘇り、人を襲う。そのような事は全くあり得ない話である。
だが、現実に、敵地であるトハスタでは、幾つもの町が、蘇る死者や、それに付いて来たキメラ等の魔獣によって、徐々に壊滅して行く様子が
淡々と報告されている。
あり得ぬ筈の事が、現実に起こっているのだ。
「特に、リィクスタの町から発せられた魔法通信では、蘇る死者が出来上がる様子までもが、克明に記されている。」
「そうなりますと……長官。このままでは、進撃中の陸軍部隊にも犠牲者が出るのでは…?」
フィッチは、ウェリントン中佐にそう言われるや、しばしの間、体が凍り付いた。
「……なんという事だ……不死の軍団とはそういう事だったのか……!」
彼は、今初めて、マオンド側の真の意図が理解できた。
「参謀長。どうやら、我々はマオンド側に一杯食わされたらしい。」
フィッチは、航空参謀のウェイド・マクラスキー中佐に顔を向ける。
「航空参謀。今からトハスタに向けて偵察機を飛ばしたいのだが、現時点で使えるハイライダーは何機ある?」
「はっ。現時点では、長距離哨戒飛行に出ている機を除けば、TG72.1で3機、TG.72.2で3機、TG72.3で4機です。」
フィッチはしばし黙考したあと、マクラスキー中佐に指示を伝えた。
「TG72.1から2機ほど偵察機を飛ばしてくれ。」
「わかりました。」
「それから参謀長、コルザミ沿岸の艦砲射撃を行っているTF73に緊急信だ。」
フィッチは続けて、別の命令をバイター参謀長に伝える。
「TF73は、輸送船団を沖合に避退させつつ、直ちにコルザミ沿岸部への攻撃を中止し、トハスタ沿岸部に急行せよ。以上だ。」
「長官、大西洋艦隊司令部と、レーフェイル派遣軍司令部にもこの事を伝えますか?」
「無論だ。」
フィッチは即答する。
「トハスタでは今、地獄絵図が展開されつつある。被害を抑えるためにも、報告は送るべきだろう。それから、予定している洋上補給を終えた後、
機動部隊もトハスタ沿岸に近付けよう。近い内に、機動部隊の艦載機でトハスタ市周辺を叩く事になるだろうからな。」
「わかりました。直ちに各任務群へ通達します。」
バイター参謀長は頷くと、ハンター中佐に指示を下し、7艦隊の全部隊に命令を送らせた。
「TF72は、洋上補給でトハスタ沿岸への展開が遅れるでしょうから、TF73が先にトハスタ沖に到着するでしょうな。」
「TF73がトハスタ沿岸部に到達するのは、いつ頃かね?」
「今から艦砲射撃を中止し、18ノットの速力で北上するとして……」
バイター参謀長は、地図上でコルザミ-トハスタ間の距離を計算したあと、TF73が現場海域に到着出来る時間を割り出した。
ちなみに、コルザミ-トハスタ間の距離は、約110マイルである。
「約6時間後…遅くても夕方までには、目標付近に到達するでしょう。」
「ふむ。一方、我々は今、コルザミ沖北東200マイル付近に居る。補給部隊と出会うまでには、あと50マイル西進しなければならん。
それに、艦艇への補給作業も、予定終了時刻が午後4時となっている。どう急いでも、トハスタ沖へ展開するのは遅くなるな。」
「そこの所は致し方ないでしょう。それに、騒ぎは起きているとしても、そこは敵地です。味方が襲われているでもないのですから、さほど
慌てる事も無いでしょう。」
「……襲われているのは、軍人のみではなく、民間人も多いようだが?」
フィッチは、鋭い目付きでバイター参謀長を見つめる。
睨まれたバイター参謀長は、知らず知らずのうちに、自分が失言をしてしまった事を恥じた。
「とにかく、機動部隊本隊が出向くまでは、TF73に頑張って貰うしかないだろう。後は、トハスタ市周辺で起きている騒ぎに、
陸軍が気付いて対策を取ってくれる事を願うだけだな。」
フィッチは、そう言ってから一旦、会議を終わらせた。
ふと、彼の脳裏に、とある艦の姿が浮かび上がった。
(……もし、TF73の3戦艦だけで対応できない場合は、TG72.2のウィスコンシンやミズーリを使う事も考えておこうか。艦砲による
砲撃なら、昼夜問わず行える。TF73の旧式戦艦3隻に加え、17インチ砲装備の最新鋭戦艦が2隻加われば、沿岸部で起きている荒事にも
十分対処できる筈だ。いや、この2戦艦のみならず、TG73.3のアラスカ級巡戦も使うべきだな)
フィッチはそう思うと、万が一の保険として、ウィスコンシン、ミズーリと、2隻のアラスカ級巡戦を使う事を、早速、幕僚達に打ち明けたのであった。
SS投下終了です。
455 :陸士長:2010/06/19(土) 20:27:36 ID:3rgpiIEM0
しまった、名前変えるの忘れてました……orz
11月18日 午前12時 トハスタ市上空
数機のワイバーンが、無数に伸びている黒煙を横切る市街地の上を通過していく。
彼らはトハスタ市の郊外にあるワイバーン基地から、市街地で起きた大規模暴動を鎮圧する航空支援として派遣されてきた。
だが、彼らが見たのは大規模な暴動などではなかった……。
「目標地点はどこだ、暴徒と、キメラの目標地点は!」
「解りません隊長殿、数が、目標が多すぎます!」
悲鳴のような新米の通信を聴き、隊長は相棒のワイバーンを空中静止させる。
数度のアメリカ軍航空隊との闘いで彼を助けてきた相棒の空中静止は、今日もピタリと決まった。
「トハスタの司令部は?」
「申し訳ありません、通信が多すぎて傍受出来ません。どうやら、地上は大混乱の様子です」
「だろうな……」
眼下のトハスタ市街地は、まさに地獄だった。
沢山の悲鳴と、それを上回る怖気が走る声音。
メインストリートは横転した馬車が幾つも転がり、市民が持ち出そうとした雑貨や財産が無数に散らばっている。
その上を悲鳴と共に逃げていく市民達と、それを上回る化け物の、群れ、群れ、群れ。
彼らは哀れに逃げ回る市民達を追い詰め、まるで蝗が作物を喰らうがの如く食い尽くしていく。
哀れな犠牲者達は断末魔と共に息絶え、そして暫くしてから起き上がる。
悲鳴は虚ろな怨嗟の声を変わり、化け物がまた人間よりも増えた。
阿鼻叫喚の光景を見て新米が騎上でげぇげぇと吐いているが、それを咎める気にはなれない。
彼自身も顔色が蒼白となっていて、胃の中がせり上がろうとするのを必死に堪えているからだ。
火災を誰も止める余裕もつもりも無いのか、市街のあちこちで黒煙が上がりはじめている。
異変が起きたのが朝方の為だったからだろう。
朝食の準備中に異変が起き、火を消す余裕もなくこの状態になったのだろうから。
「い、生き残りは。何処か、連絡はつかんのか?」
「駄目であります。我々の巣も、30分前の基地付きの軍属が暴動を起こしたとの連絡と、帰還はするなとの連絡後は通信途絶してます」
「くそ、一体、一体何が起きているんだ!」
その時、彼らの真下の路地をキメラ数体とそれを制御している一行が居たが、それに気付くものは居なかった。
もし隊長がこの惨事の真相を知り、尚かつ彼らに気付いていたら、隊長達は迷うことなく搭載している爆弾を見舞っただろう。
「なんてこった……なんてこった、朝方は、普通だったんだぞ? 一昨日市内に非番で遊びに行った時だって……何が起きたって言うんだ。畜生!!」
歴戦のベテランであり、共に何十回も出撃を繰り返してきた二番騎が喚く。
安全な空中に居る彼らですら、パニックを起こしはじめている。
眼下では僅かな市の警備隊が雑多なバリケードを盾に、死者の群れを迎え撃っていた。
駐屯基地か市街の対空陣地から取り出して来たのだろうか、魔導銃を水平射撃して化け物達を吹き飛ばしていた。
456 :陸士長:2010/06/19(土) 20:29:42 ID:3rgpiIEM0
「いいぞ、そのまま……ああっ!?」
新米が歓声を挙げかけ、たちまち口を噤んだ。建物の屋根から飛んできたキメラが、銃座の周りに居た兵士達を切り刻んで行ったからだ。
主な火点を喪った警備隊のバリケードはたちまち死者達の接近を許してしまう。
「くそ、止めろ、止めろぉぉぉぉぉぉぉ!!」
魔導銃に取り付こうとした兵士が、舞い戻ったキメラに首を刎ねられる。
バリケードを乗り越えた死者から逃げようとした兵士が、他所から溢れかえった死者に捕まり押し倒される。
仲間を助ける為にバリケードに留まった古参兵が、死者の雪崩れに呑み込まれていく。
助けを求めるかのように自分達に対して手を差し伸べた若い兵士が、何人もの死者によって集って噛み千切られていく。
ついさっきまで果敢に戦っていた兵士達が、化け物共の餌へと変じていく。
怒りと悲しみ、常軌を逸した光景を見て感情が爆発したのか、隊長が叫んだ。
「投下、投下だぁ!!」
静止状態から舞い上がった数機のワイバーンは、訓練通りの編隊を組んで市街地へと高度を下げて突入していく。
目標は化け物の餌場と化したバリケード……僅かな生き残りも、もはや死者達の仲間入りを余儀なくされていた。
ワイバーン達は、乗り手の指示通りに爆弾を投下。
乗り手の憤りを現すかのように、ブレスを吐き散らしていく。
バリケード周辺に集っていた死者達が吹き飛ぶ。巻き添えを食ったキメラも吹き飛ぶ。
銃座付近に残っていた魔導弾が誘爆し、周辺を巻き起こして光の渦を作った。
爆撃を終え、再び彼らは上空へと舞い戻った。
しかし、任務を果たしたという高揚は微塵も無い。
痛々しい程までの沈黙と、新米の啜り泣く声だけが響いた。
市街地からは悲鳴が途絶え、死者達の呻き声だけが聞こえる。
あれ程混雑していた魔法通信も、既に絶えてしまっていた。
「………………もう、この街は」
そう虚ろな声で呟いた隊長の遙か頭上。
一機のハイランダーが機体を煌めかせながら通過していった…………。
尚、彼らはトハスタ市周辺に配置されていたマオンド軍で、唯一米軍に自主的な投降をしたワイバーン部隊となる。
加えて言えば、彼ら以外のマオンド軍は殆どがこの悪夢の被害者となり、彼らは数少ない生き残りだったとも言える。
彼らワイバーン部隊の生き残りは戦後復員した後、これらの惨状を引き起こした組織や教団関係者への告発・弾劾を行う政治団体へ参加したという。
1484年(1944年)11月18日 午前6時40分 リィクスタ
リィクスタ第3療養所の所長であるコルモ・フィギムは、就寝中の所を突然、部下に叩き起こされた。
「先生!起きて下さい!急患です!」
療養所の副所長が、血相を変えながら、ベッドに寝ているフィギム所長を揺さぶる。
「う……なんだ、まだ開業時間では無いぞ。」
フィギムは目を開けるなり、側に置いてある時計を指差しながら副所長に言う。
リィクスタ療養所は、午前9時から診療を開始している。
現在の時刻は午前6時40分。通常ならば、8時に起きて開業の準備をするから、まだ起きるには早い。
彼は寝惚けながら、安眠を妨げた副所長を恨めしげに睨む。
「急患が運ばれてきているんですよ!それも大勢です!」
「……何?それは本当かね?」
副所長の言葉を聞いたフィギムは、はっとなって聞き返す。
「はい。何でも避難中の住民が、いきなり賊に襲われたようです。今、外には24、5人の急患が運ばれていて、うち半数は重傷です。」
「賊に襲われただと?なんて事だ。」
フィギムは額を押さえながら呻く。
「仮眠中の職員を残らず叩き起こせ。わしもすぐに準備する。急げ!」
彼は、ベッドから跳ね起き、矢継ぎ早に指示を下した。
指示を受け取った副所長は、足早に所長室から去って行った。
(避難中の住民達が賊に襲われるとは……なんという事だ。)
フィギムは支度をしながら、心中で呟く。
リィクスタでは、迫りつつある戦火から逃れるため、2日前から住民の段階的な避難が始まっている。
避難活動は今日から活発化すると言われており、今日の午前6時からは、住民100名が町から避難する手筈になっていた。
その100名の住民達は、出発早々、どこからか現れた賊に襲われてしまったのだ。
「賊の馬鹿者共め。大人しく引っ込んでおればいい物の!」
フィギムは、いらぬ手間を増やした賊を呪いながらも、大慌てで支度を終え、自室から飛び出した。
「あ、所長、おはようございます!」
同じように叩き起こされてきた助士達が、彼に挨拶をする。
「おはよう諸君。外には負傷者が居るようだ。かなり早いが、ひとまず開業だ。おい、急いで正面玄関を開けろ!手術室の準備もだ。急げ!」
フィギムは次々と指示を下しながら、自らは診療所の玄関前に立ち、開業を待った。
玄関の戸が開けられるや、待ってましたと言わんばかりに、担架に乗せられた重傷者達が運び込まれてきた。
「先生!うちの親父が、背後から剣で斬られて虫の息なんだ!」
「斧みたいな物で肩を抉られてる!出血が酷い、早く手当てしてくれ!」
急患と共に入って来た、患者の家族や知人が、待機していたフィギムを始めとする医師や助士に懇願してくる。
フィギムと医師、助士達は、彼らを宥めながら、担ぎ込まれた急患を療養所の奥へ連れて行く。
「君はこの人を見てくれ。おい!包帯をあるだけ持って来てくれ。君はその人の手当てに当たってくれ。傷が深いから、
止血はなるべく早くしてくれ。」
フィギムは、医師達に担当する患者を教えつつ、患者達の傷の具合を見て回る。
(どれもこれも、酷い傷だ。賊の連中は、若い女子供まで、容赦なく攻撃している。)
彼は、背中に重傷を負いながら、痛みに呻く子供を見ながらそう思う。
重傷者の半数は、まだ若い女性や子供であり、手足のいずれかを失った者も何人かいた。
それから5分ほど経って、早くも1人の患者の容体が急変した。
「所長!患者が急に苦しみ出しました!」
中年の男性を手当てしていた助士から、叫びにも似た声が上がる。
フィギムは素早く、その助士の所に駆け付けた。
「出血性のショックを起こしている。おい、手足を押さえろ。強い痙攣を起こしたら、患者は台の上から落ちてしまうぞ。」
フィギムは助士に命じた後、自らは鎮痛作用のある治癒魔法を患者に施していく。
患者は痙攣を起こし始め、手足をばたつかせるが、助士2人が手足を押さえているため、何とか体を固定する事が出来た。
「大丈夫です!今治癒魔法をあなたに施しています。まもなく痛みは和らぎますから、少しは楽になりますよ!」
フィギムは、暴れる患者に励ましの言葉を送る。だが……彼の努力は無に帰した。
突然、患者が体を硬直させた、かと思うと、その次の瞬間には硬直が解け、動きが止まった。
患者の首がだらりと右横を向き、開かれた目は瞳孔が開いていた。
腹の傷口に治癒魔法を施していたフィギムは、すぐに手を止めて、患者の容体を確認する。
「……駄目だ。亡くなられた。」
彼は、助士2人を交互に見やりながら、悔しげな口調で呟いた。
「出血性のショック症状だ。賊の連中から受けた傷は、思ったよりも酷かったようだな。」
フィギムは顔を俯かせながらそう言った後、気を取り直して、次の指示を助士に伝える。
「遺体を移動しておいてくれ。私は別の患者の様子を見る。ご家族には、後で私が話そう。」
フィギムはそう言ってから、すぐさま別の患者に異変が無いか、調べに行く。
(おのれ、薄汚い賊の連中め。何の罪も無い人達を殺めるとは。後で事情聴取に訪れるだろう軍の連中に、賊の掃討を頼みこまなければな)
彼は心中で呟きながら、助士や医師の手当てを受ける患者達を見て回った。
異変が起き始めたのは、その直後からである。
「先生!」
別の助士が、手を上げてフィギムを呼び止める。
「急に、患者の容体が!」
フィギムは助士の言葉を聞きながら、すぐさま駆け付ける。肩を負傷した患者が、どういう訳か、胸を押さえて苦しみ始めた。
「どうした?心臓の発作か!?」
「どうやら、そのようですが。」
助士が戸惑いながら答える。その声に被さる様に、後ろから悲鳴が上がった。
「ぐぁ、苦しい!胸がぁ!!」
彼の後ろで手当てを受けていた別の患者が、突然苦しみ出した。
「どうした!?」
「先生!患者が急に苦しみ始めました!」
フィギムは、すぐに後ろに顔を向けようようと考えたが、今は目の前で、別の患者が苦しんでいるため、すぐに目を離す事は出来なかった。
彼が思考を巡らせる暇も無く、異変は次々と湧き起こる。
あちこちから、助士や医師の声が上がり、手当てを受けていた重傷者が急に苦しみ出す。
容体を急変させる患者は、重傷者のみならず、軽傷者からも出始めた。
10分と経たずに、療養所内では、急な体調の変化の末に死んだ者や、苦しみながらのたうち回る患者で溢れ返った。
療養所内で、負傷者が苦しげにのた打ち回り、ある者は血を吐いて死につつある。
療養所に運ばれた負傷者25名のうち、12名の重傷者は既に死んでいる。
いずれも、謎の体調不良が原因である。
そして……残りの13名が、命に関わる様な傷を受けていないにも関わらず、パニック状態になりながら必死に押さえようとする助士や医師、
家族や知人に見つめられながら、同じように苦しみ、息絶えようとしていた。
「……一体……これは、何だ?」
フィギムは、茫然とした表情で呟く。
この第3療養所を任されてから7年。魔法学校で医学を修得し、医師の道を歩んでから20年。
彼が歩んできた27年の中で、このような事は全くなかった。
(酷いと思う状況は、これまで何度もあった……だが、これは……これは……)
フィギムは、目の前の惨状を見つめながらも、頭の中で今の状況を理解しようと試みる。
だが、彼の頭の中は、まるで、何かの妨害魔法でも掛けられたかのように真っ白なままであった。
「私は、何か、悪い夢を見ているのか?」
彼は、呻くような声音で、言葉を紡ぐ。
フィギムが思考停止に陥った後も、患者達は次々と死に絶えていく。
軽傷者達全員が、謎の体調不良で死ぬまで、さほど時間はかからなかった。
療養所内に木霊していた患者達の叫び声は、いつしか消え失せ、建物内では、突然、不可解な死を遂げた家族や、友人を目にして
泣き叫ぶ付添人の声が延々と響いていた。
「先生!親父は……親父は、何故死んだんですか!?」
いつの間にか近寄った、患者の息子と思しき若い男が、涙を滲ませながら聞いて来る。
「親父は肩を切られただけです!なのに、どうしてあんなに苦しみながら死んだんですか!?教えてください!!」
若い男は、声を潤ませながら、何度もフィギムに聞く。
フィギムは、その声で我に返り、何とか結論を見出そうと、必死に考えた。
「私も、詳しくは分からぬのだが……賊共は、武器に遅効性の毒を塗っていたかもしれない。」
「毒……畜生、姑息な賊共め!!」
若い男は、悲しみに歪んでいた顔を朱に染め上げた。
「俺達が一体何をしたって言うんだ!!」
「……君、お父さんが亡くなられて辛いのは分かるが、今は少し落ち着きなさい。」
「落ちつく?先生!僕は父を殺されたんですよ!?落ち着ける筈がない!落ち着けるとしたら、この手に賊の首をぶら下げた後です!」
「君は、復讐を考えているのかね?」
「そうです!やられたらやり返せです!!」
若い男はそう言い放つ。彼は、怒りで完全に舞い上がっていた。
「…では聞くが、君はたった1人で、武装した賊の集団に勝てると思うのかね?刃物に毒を塗り、確実に相手を殺そうとする、凶悪な奴らと。」
「………」
フィギムの言葉に、若い男は押し黙る。
「もう少し考えなさい。君は、あそこに居るお母さんと弟さんとここに来たね?父を失った今、君が賊の集団相手に、無謀な戦いを挑んで
返り討ちに会った時、残された家族はどうなるのかね?」
「……う」
「仇を討ちたいというその気持ち、大いに結構だ。だが、君はやるべきではない。君は、残された家族の事を考えて、今後を過ごすんだ。」
「……」
「なに、所詮は弱い者いじめしか出来ぬ下賤な賊共だ。ああいう奴らは、後で軍が掃除してくれるだろう。君が苦労して、仇討ちをする必要は無いよ。」
「……先生、すいませんでした……!」
若い男は、自らの浅はかな思いに後悔し、フィギムに非礼を詫びたその瞬間、彼は信じられぬ物を見た。
いや、見てしまった。
フィギムの後ろで、息絶えていた筈の3人の患者が、寝台から起き上がったのだ。
「いや、なにも謝る必要は無いよ……どうした?」
「せ、先生、あれ……」
若い男は、顔を青く染めながら、フィギムの後ろを指差した。
フィギムは振り返り……そして、言葉を失った。
寝台に寝かされていた患者は、いずれも重傷者であり、5分前に死亡を確認している。
だが、死んだ筈の患者は寝台から起き上がり、ゆらゆらと揺れながら、フィギムに向かって、ゆっくりと歩み寄りつつある。
「生き返った……?そんな、先程、亡くなった事を確認した筈なのに。」
彼は、震えた声でそう呟くが、ふと、別の思いが浮かんだ。
(毒はさほど強い物ではなく、彼らは一時的に、仮死状態に陥れられただけかもしれない)
彼は、自らの経験を思い出しながら、心中で確信する。
フィギムは、数年前に賊の襲撃で負傷した患者を手当てした事があるが、その患者は今回と同じように、いきなり苦しんだ挙句、
息を引き取った。
しかし、その10分後には息を吹き返し、その患者は後に回復を遂げている。
当時は、人を一時的に仮死状態に陥れる事が出来る毒を使った事件が頻発しており、フィギムも何件か、この事件の被害者を
手当てした事がある。
「5年前のあれと同じか……もしかして、避難民達を襲った賊は、5年前の事件を起こした賊と、同じ奴らか?」
フィギムはそう言った後、患者の顔を見つめる。
そこで、彼は更なる異変に気が付いた。
「……顔が妙に青いな。それに、目付きも不自然だ。」
「所長、その方達は?」
ふと、後ろから声が響く。助士の1人が、生き返った患者を見るなり、フィギムに尋ねたのだ。
「いきなり寝台から起き上がったんだ。だが……何か変だ。」
「変ですか……確かに。傷が酷いのによく起きていられる物だ。」
助士は何を思ったのか、フィギムの前に出、起き上がった患者達に近付いた。
この時、不意に彼は強い胸騒ぎを感じた。
「おい、ちょっと待て。」
フィギムは、患者に近付いた助士に注意を呼び掛けたが、助士は既に、患者の体に触れようとしていた。
「駄目ですよ!あなた方は酷い怪我を負っているのですから、横になっていないと。」
助士が言葉を言い終えるや否や、先頭に立っていた患者がいきなり、助士の首に噛み付いた。
まるで、獣が獲物を狩るかのように、患者は助士の左首筋に噛み付き、皮膚の表面を食い千切った。
その直後には、後ろの患者が助士に噛み付き、助士はあっという間に押し倒された。
「!?」
予想だにしていなかった患者の行動に、フィギムは思わず固まってしまった。
3人の患者は、仰向けに倒れた助士に食らい付き、胴体、腕、足と、様々な部位に噛み付いては肉を食い千切っていく。
助士は最初の攻撃で致命傷を受けたため、既に息を引き取っていた。
「せ、先生!なんだよこれは!?」
「……」
突然の出来事に、気が動転した若い男は、フィギムに聞くが、彼は答えない。
ふと、反対側の方向から悲鳴が上がった。
その方向を見ると、突然起き上がった患者が、医師の背後から襲いかかり、左肩に噛み付いていた。
側で佇んでいた2人の助士が慌てて話そうとするが、患者の力が強いのか、なかなか離せない。
その助士にも、別の患者が襲い掛かった。
あちこちで、似たような事が起き始める。起き上がった患者は、すぐ側に居た人間に誰彼かまわず噛み付いていく。
被害は助士や医師のみならず、付き添っていた避難民にも及んで行く。
ある避難民は、腕に噛み付いて来た患者を無理やりほどくが、その際腕の肉が噛み千切られ、負傷した避難民は激痛に顔を歪め、絶叫した。
急な騒ぎを聞き付けた住民が何事かとばかりに家を飛び出し、療養所の前に集まり始めた。
「ケトス!一体この騒ぎは何なの!?」
フィギムの側で狼狽していた若い男がハッとなり、後ろを振り向く。
「母さん!それにリド、どうしてここに?」
「あんたを探しに来たんだよ!先生、この騒ぎは一体何なんですか!?」
「……」
ケトスと呼ばれた若い男の母から、質問が飛ぶが、フィギムは答えられない。
フィギムは、助士を殺した3人の患者を見つめる。
体中に助士の返り血を浴びた3人の患者は、一斉にフィギムらに振り返る。
6つの仄暗い瞳が、フィギムと、ケトスと呼ばれた若い男と、その家族に向けられている。
3人の患者はむくっと起き上がり、彼らに向かって近付いて来た。
「せ、先生……こいつら」
ケトスが怯えながら、フィギムに声を掛ける。その時、彼の中で何かが弾けた。
フィギムは、側に置かれていた木製の棒を握ると、患者の体に打ち付けた。
「先生!一体何を」
「この人達……いや、こいつらは患者では無い!」
フィギムはそう断言した。
「こいつらは、何かに操られた敵だ!」
「敵って、まさか、アメリカ軍!?」
「いや、そこまでは分からんが、とにかく、このままでは、私達はこいつらに殺されるという事だけは、ほぼ確実だ!」
フィギムはそう言いながら、2度、3度と棒を患者……もとい、正体不明の敵に打ち付けた。
肩や腰、腹に棒が辺り、正体不明の敵は打撃が加えられるたびに体を震わせる。
だが、いくら打撃を与えても、敵の動きに変化は見られなかった。
「畜生、どういう事だ!?普通ならば、骨はとっくに折れて動けなくなっている筈なのに!?」
「所長!」
後ろから声が掛かる。顔を向けると、部下の医師と助士6名が居た。
助士のうち、1人は
「療養所内は大混乱です!起き上がった患者は、次々に我々と、見舞客に襲い掛かっています!2、3人の患者は外に出ました!」
「副所長はどうした!?」
「残念ながら、さきほど、患者に首を噛まれて……」
「何たることだ……」
フィギムは、思わず頭を抱えてしまった。
「所長、とにかく、中へ行きましょう!」
「他の見舞客はどうする!?」
「もはや、この状況ではどうしようもありません。それ以前に、動ける客は全員、外に逃げ出しています!」
「所長、後ろ!!」
誰かが、フィギムに注意を喚起する。
咄嗟に彼は振り向く。1人の敵が、大口を開けて彼に襲いかかろうとしていた。
彼は無我夢中で棒を振り、敵の横顔を思い切り叩いた。
叩かれた衝撃で敵は大きくのけ反り、後ろから迫っていた2人の敵を巻き込みながら、床に倒れた。
「所長!こっちです!」
部下の医師が、奥へつながる通路を指差す。部下の医師達は通路に駆け込み、フィギムらも後に続いた。
部下達と、フィギムらは、通路の角を曲がった後、分厚い木製の扉を閉めてから、2階に上がった。
「ふぅ、ここまで来れば大丈夫だろう。」
フィギムは安堵した後、2階の窓から正面玄関を見る。
正面玄関前では、出てきた患者に襲われたのだろう、5、6人の野次馬が肩や手、足を押さえながら、必死に療養所から離れようとしている。
そこから別の所に視線を移すと、3人ほどの野次馬が、暴れる患者を取り押さえているのが見えた。
しかし、患者は野次馬を振りほどくと、1人の腕に噛み付いた。
療養所の玄関前は、暴れ回る患者のせいで大騒ぎとなっていたが、この時、フィギムは玄関先から出てきた新たな人影に気が付いた。
「……あれは…うちの助士じゃないか。」
彼は、ふらふらとしながら外に出ていく助士に声を掛けようと、その助士の名前を呼び止めようとした。
その時、野次馬の1人が助士に食ってかかる。野次馬は指をさしながら何かを喚いている。
だが、その次の瞬間、フィギムは信じがたい光景を目の当たりにした。
唐突に、助士が野次馬に飛び掛かり、野次馬を押し倒した。
その直後には、フィギム達に襲ってきた患者……もとい、謎の敵と同じように、野次馬の体に噛み付いていた。
「………」
その一部始終を目の当たりにしていたフィギムらは、思わず絶句した。
(……なぜ、うちの助士が!?)
フィギムは、心中でそう叫ぶ。
次々と起こる不可解な出来事を目の当たりにして来たためか、彼の思考能力は通常時に比べて、極端に低下していた。
「う……グ……グ…」
唐突に、後ろで誰かが苦しむ声が響く。フィギムはすぐに振り返った。
先ほど、フィギム達は負傷していた1人の助士を連れて、この2階に避難して来た。
負傷者はこの助士だけであったが、助士は胸を押さえながら、顔を真っ青に染めている。
「しょ……所長……すいま……せん。」
助士は、苦しみながらも言葉を発すると、いきなり上層階に繋がる階段目掛けて走りだし、階段を駆け上がっていった。
「お、おい!待て!」
フィギムは慌てて助士の後を追い、足音を頼りにひたすら階段を上っていく。
最上階である4階に達し、フィギムは開きかけのドアを押し飛ばし、屋上に飛び出た。
彼は、屋上の手摺目掛けて走っていく助士の背中に向けて、大声で叫ぶ。
「馬鹿者!とまれ!早まった事はするな!!」
彼は助士を引き止めるべく、再び走りだす。だが、彼の努力は無為に返した。
落下防止用の手摺を飛び越えた助士は、そのまま地面に落下していった。
どしゃっという心地の悪い音が聞こえたのは、それから間もなくであった。
リィクスタの守備に付いているマオンド陸軍第47歩兵師団第7連隊の本部では、10分ほど前から急増し始めた謎の事件の
対応に追われていた。
「何?第3療養所の付近で不可解な暴動が発生しただと!?」
第7連隊の指揮官であるイミド・リシシク大佐は、巡回中の憲兵から入った報告を伝えられるや、不機嫌そうに歪めていた表情を、
更に歪めた。
「東門では訳のわからん傷害事件が起き、第1、第2療養所では、運び込まれた患者がいきなり暴れ出した。その上、第3療養所でも、
同様の事件が起きたと言うのか。」
「魔法通信を見る限り、そうとしか考えられません。現在、それぞれの事件現場に、都市警備隊が20人ずつ人を送って、事態の収拾に
当たっているようです。」
連隊本部付の副官が、リシシク大佐に言う。
「まったく、どうしてこんな時に、このような凶悪事件が起きるのだ。北からはアメリカ軍の快速部隊が南下し、南からは敵機動部隊に
護衛された輸送船団が迫っているというのに……」
リシシク大佐は苛立った口調で副官に返した。
「連隊長。この際、事態の収拾を早めるため、我が連隊からも人を送ってはどうでしょうか?」
「連隊から?君、現場には既に、都市警備隊が向かっているじゃないか。彼らだけで十分じゃないかね?」
「いえ、万が一の場合に備えてです。」
副官はすかさず言い返す。
「この一連の騒ぎが、アメリカ軍の息の掛かったレジスタンスによって引き起こされた可能性もあります。過去に、ベルリィク大陸戦線の
シホールアンル軍が、ジャスオ攻防戦時に市民の暴動が原因で防衛戦闘が破綻した事もあります。ここは、念のために部隊を派遣すべきでは
ありませんか?」
「しかし、この騒ぎは都市警備隊だけで十分だと思うが。」
リシシク大佐は、副官の言葉に乗り気ではない。
その時、別の魔道士が室内に入って来た。
「連隊長!ジクスの第34師団司令部より緊急信であります!」
リシシク大佐は魔道士から、通信文の内容が記された紙を受け取り、一読する。
「……どうやら、ジクスでも同じような事が起きているようだ。」
「ジクスですと?」
「ああ。ジクスの34師団も、賊に襲われた避難民が急に凶暴化して、住民を手当たり次第に襲っているようだ。」
「なんて事だ……ジクスは早くても、今日中にはアメリカ軍が来襲してくると予想されている筈。防戦準備に追われている矢先に、
こんな事件が起きるとは。」
副官は眉をひそめながらリシシク大佐に言う。
「連隊長、たった今、リルマシクとシィムスナからも緊急の魔法通信が入りました!」
別の魔道将校が、あわてふためきながら室内に入って来た。
「リルマシク、シィムスナ郊外で、避難民を狙った賊の襲撃があり、その後、収容された負傷者達が療養所の職員や住民を襲い、
被害は徐々に拡大しているようです!」
「何たる事だ。主席参謀、もしかすると、これは君の言った通りの事態になりつつあるようだ。」
リシシク大佐は、顔をやや青ざめさせながら、副官である主席参謀に言った。
「連隊長、では?」
「ここは、君の提案通りに動くとしよう。暴動発生地域へ、直ちに武装した部隊を送りたまえ。暴動発生個所には、それぞれ
1個中隊ずつ差し向けよう。」
リシシク大佐は、張りのある声音で命じる。
「第1、第2、第3大隊長に命令を伝えよ。暴動発生地域に1個中隊を差し向け、直ちに事態収束に努めよ。」
午前7時20分 リィクスタ市街地門前
ガーイル・ヘヴリウルは、リィクスタ市街地内部に入るなり、目の前に展開されている光景に満足していた。
「ハッハッハッハッ!見ろ!なんとも素晴らしい光景か!」
彼は、ついて来た小隊のネクロマンサーに向けて笑みをこぼした。
「今、我々の前を歩いている200人以上の住民は、既に、不死の薬の影響を受けているようだ。」
「先行した駒が、町の内部にまで浸透して働いてくれたようですな。」
「ああ。目の前にいるだけでざっと200前後。リィクスタ東地区全体では、この倍以上の駒が、更なる駒を増やすために行動を
開始している頃だろう。」
「不死の軍団誕生の第一歩、という訳ですな。」
部下の言葉に、ヘヴリウルは満足そうに頷いた。
「おお、ヘヴリウル殿もおられましたか!」
不意に、後ろで声が響いた。振り向くと、そこには、別の小隊のネクロマンサー達が居た。
「これは、リョバス殿。久しいな。」
「元気そうでなによりです。しかし、今回の作戦はなかなか楽しみ甲斐のある物ですなぁ。」
リョバスは、愉快そうな口調でヘヴリウルに言う。
「うむ。これほど楽で、しかも、心躍る作戦なぞ、今まで経験した事がなかった。」
ヘヴリウルも言いながら、卑しげに口を歪める。
「この作戦が成功すれば、アメリカ人共も、我らの力を思い知る事になるだろう。」
彼はそこまで言ってから、ふと、リョバスが率いていた人数が少ない事に気が付いた。
「リョバス殿。君の小隊は3人しか人がおらんのかね?」
「いえ。人数は揃っております。」
リョバスは、右後ろの建物を、右手の親指で差した。
「残りは、あそこの娼館でしばしの快楽を楽しんでおります。」
「しばしの快楽か……しかし、今は作戦中だぞ。良いのかね?」
「なに、心配はいりません。娼館の生き残りはたったの3人だけでした。柔な女が3人だけでは、ここから逃れる術はありません。
それに、部下の鬱憤も溜まっておりましたからな。気晴らしには良いと考え、少しばかり自由時間を与えたのです。」
「ふむ。この状況ならば、少し楽をしても問題はあるまいな。」
ヘヴリウルは、周囲を見回した。
リィクスタ市街地の東門入口付近は、もはや普通の人間は居なくなっており、周囲には不死の薬の影響を受け、不死者と化した者しかいない。
東門周辺の制圧は完全に成功しており、周囲は、不死者が放つ気色悪い呻き声しか聞こえなかった。
ここまで来れば、東門周辺でやる事は無い。後は、不死者達を市街地の奥へ進めて、更なる駒を増やすだけであった。
「さて、そろそろ、町の守りに付いていた軍部隊が出張って来る頃だ。奴らに邪魔をされぬためにも、我々は与えられた任務をこなさねばな。」
「ヘヴリウル殿。他の小隊は既に、所定の位置に付いており、準備は整っております。」
「うむ。流石は最高の執行部隊だ。仕事が早くて助かる。」
ヘヴリウルはそこまで言ってから、大声で笑い飛ばした。
「では、我らも派手に暴れるとしようか。軟弱者の集団に、召喚獣を使った戦という物を教えてやろう。」
彼の言葉が放たれると同時に、配置に付いた他の小隊から、軍部隊が東地区に現れたという通信が飛び込んで来た。
11月18日 午前8時 第7艦隊旗艦 重巡洋艦オレゴンシティ
第7艦隊司令長官であるオーブリー・フィッチ大将が、オレゴンシティの作戦室に入った時には、時計の針は午前8時を回っていた。
「おはよう諸君。」
フィッチが幕僚達に挨拶すると、幕僚達も快活のある声音で返して来た。
「早速だが、本題に入ろうか。」
フィッチは、情報参謀であるウォルトン・ハンター中佐に視線を向けた。
「情報参謀。先程、君が伝えて来た情報の事だが……トハスタで騒ぎが起きているというのは確かなのかね?」
「ハッ。午前7時50分に、戦艦ウィスコンシンから第一報が入り、その2分後には戦艦ミズーリからも同様な報告が届けられています。
詳細は未だにはっきりしませんが、とにかく、トハスタ方面で何かが起きている事は確かです。」
ハンター中佐は淡々とした口調でフィッチに言う。
第7艦隊旗艦であるオレゴンシティに、ウィスコンシンから緊急信が届いたのは、今から10分ほど前の事である。
ウィスコンシンからは、トハスタ方面の地方都市で大規模な騒乱が起きたとの報告が届けられ、情報はすぐさま、7艦隊司令部に伝わった。
フィッチは、司令官公室で支度をしていた時に、ハンター中佐からこの情報を伝えられた。
その直後に、ミズーリからもほぼ同様の通信が届いたと伝えられている。
フィッチは、すぐさま幕僚全員を招集するように命じ、こうして緊急の会議が開かれる事となった。
「騒乱が起きた地方都市は、リィクスタ、リルマシク、シィムスナ、ジクスの4都市です。人口はいずれの都市も1万から2万人前後となっています。」
「長官、もしかしたら、現地に配備されていた軍の一部が反乱を起こしたのではないでしょうか?」
作戦参謀のコナン・ウェリントン中佐がフィッチに言う。
「トハスタ南部のコルザミには、午前7時より、接近したTF73の戦艦部隊が、沿岸に艦砲射撃を加えています。これに影響を受けた軍部隊の一部が、
進退窮まったと判断して各地で蜂起したのでは?」
「確かに、その可能性はあるかもしれない。」
参謀長のバイター少将は、机に広げられたトハスタ方面の地図を指でなぞる。
「騒乱が起きたと言われている地方都市が4つもあるという事も、作戦参謀の考えを裏付けていると言っても良いだろう。しかし、私としては、
作戦参謀の考えは外れているのではないか?と思う。」
バイター少将は、作戦参謀の考えに異を唱えた。
「ウィスコンシン、ミズーリから入って来た情報によれば、トハスタの敵軍は、どういう訳か、首都の司令部と連絡が取れないという文も含まれていたという。」
バイター参謀長は理解しがたいとばかりに、怪訝な表情を浮かべる。
「軍部隊の一部が各地で蜂起した、というのならば、これは大事件だ。すぐに首都の軍司令部なり、近隣の方面軍司令部なりに連絡を取る筈だ。
なのに、どうしてトハスタのマオンド軍は、中枢部との連絡が取れぬと言っているのだ?」
「蜂起した部隊の一部が、魔法通信を妨害しているのではないでしょうか。」
「妨害だとしても、妙に大規模に行われているとは思わんか?」
バイター少将は、ウィスコンシン、ミズーリから届けられた通信文を記した、数枚の紙を指差しながら作戦参謀に聞き返す。
「ウィスコンシン、ミズーリの通信班から得た情報では、“トハスタ全体で”中枢部との連絡が取れないと言っている。軍が蜂起したとしても、
トハスタ方面の敵兵力から見て、多く見積もっても規模は1個師団程度が限界だ。たかだか1個師団、またはそれ以下の部隊が、この広大な
トハスタ地方を丸ごと、妨害魔法の範囲内に収められるとは思えないのだが。」
「確かに、参謀長の言う通りだな。」
フィッチが頷きながら、バイター参謀長に言う。
「作戦参謀の考えもわからぬではないが、今、マオンド側は総力を挙げて、南下して来る陸軍に対応しようとしている。そこに、コルザミの
偽装上陸部隊が襲い掛かっている。猫の手でも借りたいこの多忙な時に、反乱を起こす不届き者が出る事は考え難いと、私は思う。」
「長官。むしろ、この時期だからこそ、反乱を起こしたという可能性もあります。」
作戦参謀は、尚も自らの意見を述べようとした。
その時、作戦室のドアが開かれ、通信将校が室内に入室して来た。
通信将校は、数枚の紙をハンター中佐に渡した後、そそくさと退出して行った。
「……ん?何だこれは?」
ハンター中佐は、最初の通信文を黙読するなり、怪訝な表情を浮かべた。
「どうした?」
「長官。ウィスコンシンより続報が入りました。正直申しまして、これは信じがたい内容です。」
「見せてくれ。」
フィッチは、ハンター中佐から紙を受け取り、通信文の内容を読んで行く。
「リィクスタ市街地の状況は、凶暴化した暴徒と、謎のキメラによって急速に悪化しつつあり。暴徒鎮圧に当たっていた部隊は、キメラの攻撃と、
“蘇った死者”の襲撃によって甚大な損害を被る。部隊は目下、蘇った死者と、キメラと交戦中なるも、形成極めて不利……」
フィッチは、内容を黙読した後、我が目を疑った。
「情報参謀、蘇った死者とは一体、どういう事かね?」
「そ、そこの所は、私としても分かりかねます。」
ハンター中佐は、歯切れの悪い口調でフィッチに答えた。
フィッチは、残った紙の内容にも目を通していく。フィッチに渡された紙は計5枚。
5枚中、4枚は、リィクスタ、リルマシク、シィムスナ、ジクスの状況を記した物であり、残る1枚は、トハスタ市にあると思われる司令部から、
中枢部に向けて送られたとみられる報告文であった。
5枚の紙に書かれていた内容を全て読み終えたフィッチは、表情を曇らせながら、幕僚達に向けて口を開いた。
「どうやら、トハスタでは、我々が予想だにしていなかった事が起きているようだ。私としては、今から口にする言葉を、実に馬鹿馬鹿しいと
思っている。だが、これを言わねば、恐らく、トハスタ地方で起きている一連の怪事件は説明が付かないだろう。」
「?」
幕僚達は、フィッチが何を言おうとしているのかが理解できなかった。
「長官は、この状況をどのように考えられておられるのですか?」
「これは、私の推測だが……マオンド軍は、死者を蘇らせる薬を使ったのかもしれん。」
「死者を蘇らせる薬、ですと!?」
ハンター参謀長が仰天したように言う。
「長官、いくら何でも、それはあり得ぬのでは無いでしょうか?」
「私としてもそう信じたい……だがな、参謀長。」
フィッチは、ウィスコンシンから届けられた紙を持ち、それを左手で、幾度か叩いた。
「この報告書には、蘇った死者、という言葉が何度も出てきている。通信文は、前線部隊や地方の町役場と言った場所から発せられた物ではなく……」
フィッチは、人差指で地図上のトハスタ市をトントンと叩いた。
「トハスタ市の中枢にある、このトハスタ領の最高責任者が居る場所から発せられている。トハスタの責任者は、首都に向けて、事実を伝えようと
しているのだよ。」
その瞬間、作戦室は重苦しい雰囲気に包まれた。
それまで、幕僚達は、顔に自信を滲ませていたが、今では、その自信は綺麗さっぱり消え失せていた。
死者が蘇り、人を襲う。そのような事は全くあり得ない話である。
だが、現実に、敵地であるトハスタでは、幾つもの町が、蘇る死者や、それに付いて来たキメラ等の魔獣によって、徐々に壊滅して行く様子が
淡々と報告されている。
あり得ぬ筈の事が、現実に起こっているのだ。
「特に、リィクスタの町から発せられた魔法通信では、蘇る死者が出来上がる様子までもが、克明に記されている。」
「そうなりますと……長官。このままでは、進撃中の陸軍部隊にも犠牲者が出るのでは…?」
フィッチは、ウェリントン中佐にそう言われるや、しばしの間、体が凍り付いた。
「……なんという事だ……不死の軍団とはそういう事だったのか……!」
彼は、今初めて、マオンド側の真の意図が理解できた。
「参謀長。どうやら、我々はマオンド側に一杯食わされたらしい。」
フィッチは、航空参謀のウェイド・マクラスキー中佐に顔を向ける。
「航空参謀。今からトハスタに向けて偵察機を飛ばしたいのだが、現時点で使えるハイライダーは何機ある?」
「はっ。現時点では、長距離哨戒飛行に出ている機を除けば、TG72.1で3機、TG.72.2で3機、TG72.3で4機です。」
フィッチはしばし黙考したあと、マクラスキー中佐に指示を伝えた。
「TG72.1から2機ほど偵察機を飛ばしてくれ。」
「わかりました。」
「それから参謀長、コルザミ沿岸の艦砲射撃を行っているTF73に緊急信だ。」
フィッチは続けて、別の命令をバイター参謀長に伝える。
「TF73は、輸送船団を沖合に避退させつつ、直ちにコルザミ沿岸部への攻撃を中止し、トハスタ沿岸部に急行せよ。以上だ。」
「長官、大西洋艦隊司令部と、レーフェイル派遣軍司令部にもこの事を伝えますか?」
「無論だ。」
フィッチは即答する。
「トハスタでは今、地獄絵図が展開されつつある。被害を抑えるためにも、報告は送るべきだろう。それから、予定している洋上補給を終えた後、
機動部隊もトハスタ沿岸に近付けよう。近い内に、機動部隊の艦載機でトハスタ市周辺を叩く事になるだろうからな。」
「わかりました。直ちに各任務群へ通達します。」
バイター参謀長は頷くと、ハンター中佐に指示を下し、7艦隊の全部隊に命令を送らせた。
「TF72は、洋上補給でトハスタ沿岸への展開が遅れるでしょうから、TF73が先にトハスタ沖に到着するでしょうな。」
「TF73がトハスタ沿岸部に到達するのは、いつ頃かね?」
「今から艦砲射撃を中止し、18ノットの速力で北上するとして……」
バイター参謀長は、地図上でコルザミ-トハスタ間の距離を計算したあと、TF73が現場海域に到着出来る時間を割り出した。
ちなみに、コルザミ-トハスタ間の距離は、約110マイルである。
「約6時間後…遅くても夕方までには、目標付近に到達するでしょう。」
「ふむ。一方、我々は今、コルザミ沖北東200マイル付近に居る。補給部隊と出会うまでには、あと50マイル西進しなければならん。
それに、艦艇への補給作業も、予定終了時刻が午後4時となっている。どう急いでも、トハスタ沖へ展開するのは遅くなるな。」
「そこの所は致し方ないでしょう。それに、騒ぎは起きているとしても、そこは敵地です。味方が襲われているでもないのですから、さほど
慌てる事も無いでしょう。」
「……襲われているのは、軍人のみではなく、民間人も多いようだが?」
フィッチは、鋭い目付きでバイター参謀長を見つめる。
睨まれたバイター参謀長は、知らず知らずのうちに、自分が失言をしてしまった事を恥じた。
「とにかく、機動部隊本隊が出向くまでは、TF73に頑張って貰うしかないだろう。後は、トハスタ市周辺で起きている騒ぎに、
陸軍が気付いて対策を取ってくれる事を願うだけだな。」
フィッチは、そう言ってから一旦、会議を終わらせた。
ふと、彼の脳裏に、とある艦の姿が浮かび上がった。
(……もし、TF73の3戦艦だけで対応できない場合は、TG72.2のウィスコンシンやミズーリを使う事も考えておこうか。艦砲による
砲撃なら、昼夜問わず行える。TF73の旧式戦艦3隻に加え、17インチ砲装備の最新鋭戦艦が2隻加われば、沿岸部で起きている荒事にも
十分対処できる筈だ。いや、この2戦艦のみならず、TG73.3のアラスカ級巡戦も使うべきだな)
フィッチはそう思うと、万が一の保険として、ウィスコンシン、ミズーリと、2隻のアラスカ級巡戦を使う事を、早速、幕僚達に打ち明けたのであった。
SS投下終了です。
455 :陸士長:2010/06/19(土) 20:27:36 ID:3rgpiIEM0
しまった、名前変えるの忘れてました……orz
11月18日 午前12時 トハスタ市上空
数機のワイバーンが、無数に伸びている黒煙を横切る市街地の上を通過していく。
彼らはトハスタ市の郊外にあるワイバーン基地から、市街地で起きた大規模暴動を鎮圧する航空支援として派遣されてきた。
だが、彼らが見たのは大規模な暴動などではなかった……。
「目標地点はどこだ、暴徒と、キメラの目標地点は!」
「解りません隊長殿、数が、目標が多すぎます!」
悲鳴のような新米の通信を聴き、隊長は相棒のワイバーンを空中静止させる。
数度のアメリカ軍航空隊との闘いで彼を助けてきた相棒の空中静止は、今日もピタリと決まった。
「トハスタの司令部は?」
「申し訳ありません、通信が多すぎて傍受出来ません。どうやら、地上は大混乱の様子です」
「だろうな……」
眼下のトハスタ市街地は、まさに地獄だった。
沢山の悲鳴と、それを上回る怖気が走る声音。
メインストリートは横転した馬車が幾つも転がり、市民が持ち出そうとした雑貨や財産が無数に散らばっている。
その上を悲鳴と共に逃げていく市民達と、それを上回る化け物の、群れ、群れ、群れ。
彼らは哀れに逃げ回る市民達を追い詰め、まるで蝗が作物を喰らうがの如く食い尽くしていく。
哀れな犠牲者達は断末魔と共に息絶え、そして暫くしてから起き上がる。
悲鳴は虚ろな怨嗟の声を変わり、化け物がまた人間よりも増えた。
阿鼻叫喚の光景を見て新米が騎上でげぇげぇと吐いているが、それを咎める気にはなれない。
彼自身も顔色が蒼白となっていて、胃の中がせり上がろうとするのを必死に堪えているからだ。
火災を誰も止める余裕もつもりも無いのか、市街のあちこちで黒煙が上がりはじめている。
異変が起きたのが朝方の為だったからだろう。
朝食の準備中に異変が起き、火を消す余裕もなくこの状態になったのだろうから。
「い、生き残りは。何処か、連絡はつかんのか?」
「駄目であります。我々の巣も、30分前の基地付きの軍属が暴動を起こしたとの連絡と、帰還はするなとの連絡後は通信途絶してます」
「くそ、一体、一体何が起きているんだ!」
その時、彼らの真下の路地をキメラ数体とそれを制御している一行が居たが、それに気付くものは居なかった。
もし隊長がこの惨事の真相を知り、尚かつ彼らに気付いていたら、隊長達は迷うことなく搭載している爆弾を見舞っただろう。
「なんてこった……なんてこった、朝方は、普通だったんだぞ? 一昨日市内に非番で遊びに行った時だって……何が起きたって言うんだ。畜生!!」
歴戦のベテランであり、共に何十回も出撃を繰り返してきた二番騎が喚く。
安全な空中に居る彼らですら、パニックを起こしはじめている。
眼下では僅かな市の警備隊が雑多なバリケードを盾に、死者の群れを迎え撃っていた。
駐屯基地か市街の対空陣地から取り出して来たのだろうか、魔導銃を水平射撃して化け物達を吹き飛ばしていた。
456 :陸士長:2010/06/19(土) 20:29:42 ID:3rgpiIEM0
「いいぞ、そのまま……ああっ!?」
新米が歓声を挙げかけ、たちまち口を噤んだ。建物の屋根から飛んできたキメラが、銃座の周りに居た兵士達を切り刻んで行ったからだ。
主な火点を喪った警備隊のバリケードはたちまち死者達の接近を許してしまう。
「くそ、止めろ、止めろぉぉぉぉぉぉぉ!!」
魔導銃に取り付こうとした兵士が、舞い戻ったキメラに首を刎ねられる。
バリケードを乗り越えた死者から逃げようとした兵士が、他所から溢れかえった死者に捕まり押し倒される。
仲間を助ける為にバリケードに留まった古参兵が、死者の雪崩れに呑み込まれていく。
助けを求めるかのように自分達に対して手を差し伸べた若い兵士が、何人もの死者によって集って噛み千切られていく。
ついさっきまで果敢に戦っていた兵士達が、化け物共の餌へと変じていく。
怒りと悲しみ、常軌を逸した光景を見て感情が爆発したのか、隊長が叫んだ。
「投下、投下だぁ!!」
静止状態から舞い上がった数機のワイバーンは、訓練通りの編隊を組んで市街地へと高度を下げて突入していく。
目標は化け物の餌場と化したバリケード……僅かな生き残りも、もはや死者達の仲間入りを余儀なくされていた。
ワイバーン達は、乗り手の指示通りに爆弾を投下。
乗り手の憤りを現すかのように、ブレスを吐き散らしていく。
バリケード周辺に集っていた死者達が吹き飛ぶ。巻き添えを食ったキメラも吹き飛ぶ。
銃座付近に残っていた魔導弾が誘爆し、周辺を巻き起こして光の渦を作った。
爆撃を終え、再び彼らは上空へと舞い戻った。
しかし、任務を果たしたという高揚は微塵も無い。
痛々しい程までの沈黙と、新米の啜り泣く声だけが響いた。
市街地からは悲鳴が途絶え、死者達の呻き声だけが聞こえる。
あれ程混雑していた魔法通信も、既に絶えてしまっていた。
「………………もう、この街は」
そう虚ろな声で呟いた隊長の遙か頭上。
一機のハイランダーが機体を煌めかせながら通過していった…………。
尚、彼らはトハスタ市周辺に配置されていたマオンド軍で、唯一米軍に自主的な投降をしたワイバーン部隊となる。
加えて言えば、彼ら以外のマオンド軍は殆どがこの悪夢の被害者となり、彼らは数少ない生き残りだったとも言える。
彼らワイバーン部隊の生き残りは戦後復員した後、これらの惨状を引き起こした組織や教団関係者への告発・弾劾を行う政治団体へ参加したという。