第200話 導出の活路
1484年(1944年)11月19日 午前1時 トハスタ市
イロノグ・スレンラド侯爵を始めとするトハスタ領の首脳陣や、方面軍の司令官達は、艦砲射撃が終了した後も、トリスク山に留まり続けていた。
「殿下。ジクス方面の部隊より報告です。」
トハスタ方面軍司令官であるラグ・リンツバ大将は、部下の魔道参謀より受け取った報告を、スレンラドに伝える。
「ルークアンド領より発進した、アメリカ軍の爆撃隊が、ジクス市街地への爆撃を開始したとの事です。」
「……そうか。」
スレンラドは、無表情のまま頷いた。
「アメリカ軍は、スーパーフォートレスを使ってジクスの不死者達を殲滅すると申していました。恐らく、ジクス市街地に立て籠もっている
不死者共は、まもなく全滅する事でしょう。」
「うむ。これで良いのだ。これで。」
スレンラドは、小声でリンツバ将軍に答える。
そのやりとりを、側で聞いていたマクラスキーは、スレンラドが無理矢理感情を抑えている事に、薄々感付いていた。
(ゾンビ退治のためとはいえ……長い間発展して来た町を消せと命令したんだ。嫌々ながらに。あの人は、心の中ではとても悔しい
思いを感じている違いない)
マクラスキーは、ちらりとスレンラドの横顔を見つめながらそう思った。
マクラスキーが、特使としてこのトハスタ市にやって来た直後に行われた打ち合わせで、スレンラドはジクスの町を爆撃して欲しいと言って来た。
その時のスレンラドは、まるで苦痛を感じているような表情を浮かべていた。
マクラスキーは、
「陸軍部隊が現地に到着した今なら、機甲戦力によってゾンビ軍団を蹴散らし、壊滅させる事も可能です。確かに、ジクスの町には被害が
出ているかもしれませんが、ここはひとまず、籠城する敵をあぶり出して、殲滅する方が良いのでは?」
と言った。だが、スレンラドは自分の意思を歪める事はなった。
「いや。そうなれば、あなた方の軍にも被害が出る可能性がある。ここは手間が掛かるかもしれないが、是非、あなた方が使用している、
スーパーフォートレスという大型爆撃機で、ジクスの町を焼き払って貰いたい。都合のいい事に、敵はジクスの市街地に籠城している。
そこを爆撃すれば、問題は一気に解決するだろう。」
と、スレンラドは強い口調でマクラスキーに告げた。
スレンラドの気迫に押されたマクラスキーは、やむなく、ジクス市への爆撃が可能かどうかを、第7艦隊司令部に伝える事となった。
7艦隊司令部からの返事は思いの外早く、陸軍航空隊はこのゾンビ撃滅作戦に積極的に協力すると伝えられた。
艦砲射撃が終了する前の、午後10時30分頃には、ジクス爆撃を任されたB-29が、護衛のP-61と共に、トハスタの飛行場から
発進したと伝えられ、スレンラド達は、艦砲射撃を眺めながら、ジクスの爆撃を待ち続けていた。
それから2時間後、ついに、ジクスの爆撃は開始された。
「マクラスキー中佐。今頃、ジクスの街は、あなた方の軍が送った爆撃機によって潰滅への道を辿りつつある。このジクスへの爆撃が
成功すれば、このトハスタ地方にいた不死者達……いや、ゾンビ、といった方がいいかな。そのゾンビ達は一掃される事になるな。」
「はい。第10航空軍からは、出撃機の大半を、焼夷弾搭載機が占めていると伝えられています。市街地に立て籠もっている敵と
ゾンビ集団は、恐らく、全滅するでしょう。」
「全滅……か。」
スレンラドは、物悲しそうな口調で呟く。
「これで……彷徨える死者へと変えられた民達も、ようやく、本来あるべき姿に戻る訳だな。リンツバ将軍。私は、この口で、
ジクスもろとも、ゾンビ化した民を焼き払えと命じた。民達は……この私を許してくれるだろうか……先の艦砲射撃で消え去った民達も、
この私を許してくれるだろうか?」
スレンラドは、重苦しい表情を浮かべながら、リンツバに言う。
彼の心中は、いくら不可抗力とはいえ、5万名以上もの領民を無為に死なせたという、罪悪感に苛まれていた。
民は国の宝と信じ、民が仕事をやりやすいように領地を整備してきたスレンラドにとって、ゾンビ化したと言えど、民を死滅させ、
町を壊滅させる命令を下した時は、まるで、身を引き裂かれるような痛みを感じた。
(民に慕われた私が、民を殺し、その町を破壊させる……これでは、為政者として失格では無いのだろうか)
彼は、心中でそう思っていた。
「この地で散って行った民達が、私達を許してくれるかどうかは分かりません。ですが、確かな事が1つだけあります。」
リンツバが、張りのある声音で答えた。
「我々はこの事件によって、歴史を変えたのです。あの、強大な国であった、マオンドの未来を左右するほどの転回点を、図らずして作ったのです。」
「歴史を、変えた、か。」
「はい。」
リンツバは深く頷く。
「幾万名もの民が失われた事は、非常に悲しい事であります。ですが、我々は、それ以上の参事が起きるのを、未然に阻止しました。
その結果、我々は、大きな味方を得ました。」
リンツバは、マクラスキーに視線を移した。
「もし、マクラスキー中佐を含むアメリカ軍が我らの申し出を聞き入れなかったら、今頃は我らも不死者となり、平原を圧しながら、
更に別の仲間を増やそうとしていたでしょう。ですが、我々の決断と、アメリカ軍の英断によって、トハスタ一体がゾンビで
覆い尽くされる事は避けられました。それと同時に、私達は、この歴史的な転回点を作る事が出来たのです。」
「歴史的な転回点……それはつまり、アメリカ軍の首都攻略が、劇的に早まった事だな。」
「はい。当初、このトハスタで1ヵ月ほど、アメリカ軍を食い止める予定でしたが、その予定は綺麗さっぱり無くなり、トハスタ領内の
通行の自由を手に入れたアメリカ軍は、予定よりも早い段階で、首都のあるクリヌネルゼ地方の攻略に着手できます。今後は、
クリヌネルゼでの戦いが重要になりますが、アメリカ軍は強大です。クリヌネルゼに温存されている、2個石甲師団を始めとする
第2親衛軍も打ち破る事は可能でしょう。」
「第2親衛軍が壊滅すれば、米軍を足止めする手立ては無くなる。後は、首都に進軍するだけだな。」
スレンラドは、唸りながらリンツバに言う。
「結果として、アメリカ軍は首都への道を、比較的短期間で開く事に成功したのです。」
「ああ。それも、“敵国マオンド”の急所を付ける所にな。」
スレンラドは納得したように頷いた。
「確かに、5万名もの命が失われた事は悲しい。しかし、結果として、5万名の命と引き換えに、我々は南部一体にいる民を救い、
そして、今後の脅威を排除できる、強力な味方を得る事が出来た。君が言いたいのは、そう言う事だろう?」
「……はっ。誠に、不謹慎ではありますが。」
「うむ。確かに不謹慎だ。」
スレンラドは、きっぱりと言い放った。
「だが、この犠牲は無駄ではなかった。なぜなら、我々はこうしてアメリカ軍に救われ、この戦争を早期に終わらせられるかもしれない、
転回点を作ったのだから。」
彼はそう言いつつも、脳裏には、米軍機の猛爆にあう、ジクス市街地の様子を思い描いている。
今頃、ジクス市街地では、B-29が投弾した爆弾に吹き飛ばされ、焼夷弾に追い立てられるゾンビやネクロマンサーが大量に居る事であろう。
「スレンラド候。爆撃隊より通信です。我、ジクス市街地への爆撃を続行中。効果甚大。火災は、尚も延焼中なり。」
「そうか……ジクスが、燃えているのか。」
スレンラドは、ため息を吐きながらマクラスキーに返してから、天を仰いだ。
(マクラスキー中佐の話では、200機以上のスーパーフォートレスが爆弾や焼夷弾を満載にして、爆撃を行っているという。
ジクスの潰滅も、もはや時間の問題、といった所か……)
スレンラドは知らなかったが、ジクス爆撃を行っている部隊は、第10航空軍第901爆撃航空団並びに、第229爆撃航空団に所属している
5個航空群のB-29である。
当初は第901爆撃航空団所属の120機のB-29で爆撃を行う予定であったが、10AF(航空軍)司令部は、取りこぼしが無いよう、
確実に市街地のゾンビ集団を撃滅すべきと判断し、急遽229爆撃航空団所属の83機のB-29も加わる事となった。
合計203機のB-29は、途中で48機のP-61を護衛に付けつつ、ジクス爆撃に向かったのである。
「ひとまず、ジクスの問題も、これで片が付くだろう。」
「殿下、まだ問題は残っていますぞ。」
リンツバ将軍は、海岸に指を差した。
「10万余の避難民はどうします?今は確かに、ゾンビ集団の脅威を排除出来ましたが、全てのゾンビが死んだとは限りません。
このままトハスタ市街地に留まらせるにしても、敵が新たな攻撃を仕掛けてきた場合は、再び避難させなければなりません。」
「ふむ……リィクスタ、リルマシク、シィムスナの住民達も、このまま返す訳にはいかない。今は、スメルヌ方面から、アメリカ軍部隊が
南下中と言われているが、彼らが来る前に、市街地前面の危険地帯を渡らすわけにはいかんな……」
スレンラドは、唸り声を発した。
彼は悩んでいた。
確かに、トハスタ市に迫っていたゾンビ集団は追い返す事が出来た。
が、生き残りのゾンビがいないとは決して限らない。(彼らはまだ、ゾンビ集団が文字通り全滅した事を知らない)
もし、手早く警報を解除したとしても、更なるゾンビ集団の襲撃があるかもしれず、リィクスタ、リルマシク、シィムスナの住民が帰途、
どこからともなく現れたゾンビに、襲われる事も考えられる。
スレンラドは、艦砲射撃で叩いた平原地帯や、3つの地方都市周辺を危険地帯と定め、住民達に市街地から出ないように呼びかけている。
だが、先のゾンビ襲撃で緊張しきっている住民達が、長い間ストレスに耐えられる筈が無く、遅かれ早かれ、避難の解除は必要になる。
「スメルヌ方面から来るアメリカ軍部隊に、もっと早く来れないかと伝えられないかね?」
「はっ……しかし、私は海軍の軍人です。一応、上層部に意見を伝えて、陸軍に伝える事は可能ですが……返事はあまり、早くは
来ないと思われます。」
「それに殿下。スメルヌからトハスタまでは、湿地帯が続いています。今は、我々の軍がアメリカ軍に、湿地帯の中でも通行できる場所を
示しながら進撃を手助けしていますが、何分、移動速度は速くなく、早くても明日の夕方にならないと、アメリカ軍はトハスタの掃討に
移れないようです。」
「うむむ……これは参ったな。」
スレンラドは顔をしかめる。
「元々、トハスタ市街地の住民達は、まだ被害に遭っていないからいいとして、3都市から逃れて来た物達は、心身ともに消耗しているだろう。
せめて、彼らの負担だけでも軽くしてやりたい物だが……かといって元の街に戻しても、彼らの心の傷を抉るばかりか、最悪の場合は、
どこからともなく現れた族や、ゾンビの餌食になる事もあり得る。ここから不用意に出す訳にいかん。いかんのだが……」
彼は、悩むあまり、思わず押し黙ってしまった。
スレンラドとしては、今日1日、悲惨な体験をして来たリィクスタ、リルマシク、シィムスナの避難民達が気掛かりだった。
あの地獄絵図を逃れて来た3都市の避難民の中で、心の傷を負った者は少なくなく、それ以外の者達も、心身ともに激しく消耗している。
「せめて、ここから遠く離れた場所に避難させる事が出来れば……」
スレンラドのその一言を聞いたマクラスキーは、ふと、ある物を思い出した。
「殿下。もしかしたら、我々は、殿下が今、望んでいる事がすぐに出来るかも知れません。」
「何?それはどういう事だね?」
リンツバ将軍が怪訝な表情を浮かべながら、マクラスキーに言う。
「輸送船団を使うのです。」
「輸送船団……コルザミ沖に近付いて来たあの船団か。しかし、あの船団には、コルザミに上陸する筈であった部隊が乗っているのではないかね?」
「そうだ。船に乗っている約数万の将兵を降ろさなければ、その船団はここに来れない筈。来れたとしても、それはまだ先の話ではないかね?」
スレンラドも複雑な顔つきを浮かべながら、マクラスキーに問う。
だが、マクラスキーは頭を横に振った。
「実を言いますと……あの船団は、空船ばかりを集めた偽装上陸部隊なのです。」
「なっ……!?」
「それは誠か!?」
リンツバとスレンラドは、共に驚きの言葉を上げた。
「あの船団は、マオンド軍の戦力分散を狙って編成された物で、実際には兵員や物資を乗せていません。その空船船団を、我が機動部隊や
戦艦部隊が護衛して、あなた方に上陸部隊が迫っていると見せ掛けたのです。」
「……そうだったのか。これはしてやられたな。」
リンツバが、苦笑しながらマクラスキーに言う。
「私は、あの大船団が現れた時、スレンラド殿下に一大事だと、声高に言ってしまった。」
「ああ。確か、君は血相を変えていたな。私も、その報告を聞いた時は驚いた物だ。」
スレンラドも、幾分、恥ずかしげになりながらも、リンツバに返す。
「私達でさえ、あのような慌てようを見せたのだ。もしかしたら、中央でも相当な混乱が生じていただろう。」
「とはいえ、我々は図らずして、住民を避難させる方法を見つけましたな。殿下、この際、マクラスキー中佐に、その空船船団を住民の
避難に使えぬかどうか、問い合わせてみてはどうでしょうか?」
「そう……だな。」
スレンラドは、ゆっくりと頷いた。
「マクラスキー中佐。君がその通信機とやらで物事を伝える際には、誰が君の応対をしているのかね?」
「私が報告する時には、通信参謀か、時折長官が出る事もあります。」
「長官とは……君が所属している艦隊の指揮艦かね?」
スレンラドの問いに、マクラスキーは頷く。
「はい。第7艦隊の司令長官を務めておられます。」
「すまないが、その司令長官閣下と話をしたいのだが。よろしいかな?」
11月19日 午前8時30分 トハスタ市
トハスタ湾にその大船団が現れたのは、午前7時30分を過ぎてからの事であった。
海岸部一帯に避難していた住民達は、その前にも、トハスタ湾口に布陣する米戦艦部隊を目の当たりにして度肝を抜かされていたが、
彼らは、その驚きが醒める暇も無く、更なる驚きをもって、この大船団の出現を凝視する事になった。
沖合に現れた輸送船団は、次第にトハスタ湾に近付き、午前8時には大型船10隻と、小型船20隻が湾口に入り、大型船は浜辺から
1キロ沖合で停止し、小型船はあろうことか、直接浜辺に船首をのし上げて停止した。
その後、住民達は、輸送船のアメリカ兵に先導されながら、船の中に入って行った。
リィクスタから脱出してきたコルモ・フィギムら一行も、その中の1人である。
「さあ、並んでください!ゆっくり中に入って下さい!」
艦首の側に立っている米兵が、並ぶ避難民達に向けて、身振り手振りで案内している。
フィギムらは、砂浜に直接乗りあげられた、やや小さめの輸送船に乗ろうとしていた。
「所長。この船は、変わった形をしていますね。」
フィギムは、後ろにいた部下の医師に話しかけられた。
「ああ。形はあまり綺麗とは言えないが、それは別にして、船首部分が、あのように、大きく開けるという事は、なかなか良い試みだと
思うな。あれなら、いちいち船の側から物を吊るす事無く、開かれた船首から素早く物を降ろす事が出来る。ああいった高性能な船を、
何十隻と用意しているのだから、アメリカという国はかなり、物が豊かな所なのだろう。全く、凄い船だ。」
フィギムは、初めて目にするLSTに対して、そう感想を漏らした。
やがて、フィギムらはLSTに乗船する事が出来た。
「さあ、どうぞ乗って下さい。場所はまだ空いていますよ。」
フィギムは、武装した米兵の声を聞きながら、LSTのやや勾配のあるランプを上がり、艦内に乗り込む。
「意外だな……中がこんなに広いとは。」
フィギムは、狭いと思っていた船内が、以外にも広い事に驚いた。
「恐らく、ここに物資を満載して、目的地に運ぶのでしょうね。でも、中が広いのはいいのですが、天井が無いのは、どうかと思いますね。」
部下の医師は、苦笑しながら上を指差す。
船内の広さに対して、天井部分と思しき場所には、何の仕切りも無く、上に顔を向ければ、そこには青い空しか無かった。
「今は晴れているからまだいい物の、途中で雨が降ったら、私達は全員ずぶ濡れになるな。」
フィギムは、やれやれといった感じでそう呟くが、それでも、内心では、早急な避難措置を取ってくれた領主、スレンラド侯爵に感謝していた。
「とはいえ、いつあの化け物が再び襲って来るかもしれないこの時期に、避難用の船だけでも手配してくれた事は感謝しなければならないな。」
「確かに。」
部下の医師が顔を頷かせる。
「化け物になって、自分の身内や友人達を襲うぐらいなら、少しぐらい濡れながらも、安全な場所に避難できる方が遥かにましです。
今はこれだけでも、幸運だった、と思わなければ。」
「これ以上贅沢を言えば、罰が当たる事は確実だな。」
フィギムは苦笑しながら、部下にそう言ったのであった。
同日午前9時 トハスタ湾沿岸部
避難民を乗せた輸送船が収容を終え、続々と出港し、新たな輸送船が湾口に入港して行く中、領主スレンラドは、リンツバ将軍と
マクラスキー中佐と共に、廃墟と化したトハスタ港で避難活動の推移を見守っていた。
「避難は、順調に進んでいるようですな。」
リンツバ将軍は、安堵した口調でスレンラドに言う。
「ああ。しかし、アメリカは凄い船を持っている。特に、海岸に直接乗りあげた、あの船は、上陸作戦の時はかなり使いやすそうだな。」
スレンラドは、海岸に乗り上げている船を見つめつつ、マクラスキーに顔を向ける。
「あの船は、LST、戦車揚陸艦と呼ばれる船です。」
「戦車揚陸艦?」
「はい。」
リンツバ将軍が頓狂な声を上げ、マクラスキーが顔を頷かせる。
「元々、戦車等の重機材は、上陸作戦の際は適切な艦艇が無いために、いの一番に上陸させたくても、出来ない兵器でした。それを解決するために
開発されたのが、あのLSTです。」
「あの戦車揚陸艦とやらには、何台の戦車を乗せられるのかね?」
「状況によって異なりますが、通常の場合は16両から20両。その他に、ジープやトラック等の車両も同じ数か、やや劣る程の量を乗せられます。
陸軍や海兵隊の兵力換算に例えれば、戦車中隊1個の他に、自動車化歩兵1個中隊を乗せられる事が出来ます。我々は、このLSTと、LSTの
縮小版であるLSM(中型揚陸艦)を多数揃える事によって、戦車を中心とした機甲師団を迅速に海上輸送し、上陸作戦に投入する事を可能としています。」
「ほほう……これは恐れ入った。」
マクラスキーの説明を受けたリンツバ将軍は、その言葉の意味に思わず圧倒された。
「殿下。ただでさえ凶悪ともいえる戦車部隊を、好きな場所にいくらでも運べる能力を持った相手と戦う羽目になった我々、いや、中央は、
無謀な選択肢を選んでしまったようですな。」
「ああ。私も驚いているよ。これじゃ、戦にならん訳だ。」
スレンラドは、両肩を竦めながらリンツバに言う。
西の洋上から、航空機の爆音が響いて来た。
マクラスキーはその音に反応し、近付いて来る幾つもの機影に目を向けた。
「おっ。あれは、機動部隊から飛来した艦載機だな。」
マクラスキーは、見慣れた機影を見つめながら、何気無い口調で呟く。
やがて、艦載機群はトハスタ湾上空を、高度500メートル程度を維持しつつ、爆音を轟かせながら通過して行く。
数は40機程で、半数は翼の折れ曲がった機体で、そのまた半数はずんぐりとした機体である。
「コルセアとF6Fですね。」
マクラスキーは事も無げに呟いた。
早朝、艦隊司令部からは上空援護の航空隊を差し向けると伝えられている。
恐らくは、このコルセアとヘルキャットの群れが、援護チームの第1陣なのであろう。
4機ずつの小編隊を組みながら、やや低い高度を通過していく戦闘機隊を見て興奮したのか、沿岸部に居る住民達から盛大な拍手や、
歓喜が上がるのが聞こえた。
「つい最近まで、あの機体は、爆弾を抱いてこのトハスタを攻撃して来た。その時は、なんとも恐ろしい相手かと思っていたが……」
スレンラドは、苦笑しながらマクラスキーに言う。
「こうして、別の視点から見てみると、あの機体もなかなか、頼もしげのある姿に見えるな。」
「ありがとうございます。そのお言葉は、艦隊のパイロット達にお伝えします。」
マクラスキーは微笑みながら言うと、深く頭を下げた。
上空援護チームの第1陣は、トハスタ湾を通過した後、程なくして直掩任務に付き、小隊毎に別れてトハスタ市の上空周辺を旋回し始めた。
しばらくの間、彼らは避難活動に見入っていた。
それから20分程が立った時、スレンラドは小さく溜息を吐いてから、自らの考えをマクラスキーに明かした。
「マクラスキー中佐。私は、決めたよ。」
「決めた……?何をでしょうか?」
マクラスキーが聞き返すと、スレンラドはしばし間を置いてから答えた。
「トハスタは、マオンド共和国から独立し、本来あるべき筈であった姿に戻る。」
同日 午後1時 マオンド共和国首都クリンジェ
マオンド共和国国王ブイーレ・インリクは、待ちわびていた報告が、予定よりも遅れている事に苛立ちを募らせていた。
「うむむ……ナルファトス教側からの報告はまだ来ないのか?」
インリクは、玉座の前に立っている魔道士に問う。
「はっ。未だに、教団本部から連絡は入りません。もしや、事実確認に手間取っているのではないでしょうか。」
「事実確認だと?そんな物は簡単であろうが。人で溢れ返っている町に、不死者化した化け物を殴り込ませるだけだぞ。そんな物は、
予定よりも早く終わりそうなものだが。」
インリクは時計に目をやる。
時刻は午後1時過ぎ。約束の時間である午後0時を1時間もオーバーしている。
「どうしたものか……」
インリクは、低い声で呟く。
彼はふと、こちら側から問い掛けてみようかと思ったが……
(いや、待て。今回の作戦は、10万人もの人を不死者化するという異例の大仕事だ。ネクロマンサーが操る対象が多すぎて、何らかのトラブルが
起きているのかもしれん。それに、何かあったら、教会側はすぐに報告して来る。今の所、話が無いという事は、事態は順調に進みつつある、
という事なのだろう。)
インリクはそう思い、教会側に問い合わせる事をやめた。
「まぁ良い。トハスタは、少なくともあと1日は魔法通信を領外に送る事は出来ない。昨日は、領内の馬鹿共がワイバーンを送り込んで来たが、
今日にいたってはそれすらも無い。となると、トハスタ領の中枢部は、既に壊滅していると考えて良いな。」
「ですが、幾つか気掛かりになる情報も上がっています。先程もお伝えしましたが、海軍のベグゲギュスが、コルザミを攻略しようとしていた
アメリカ艦隊と輸送船団が、急遽北上していったとの情報も入っています。また、本日午前10時頃には、トハスタ沖西方に有力な敵機動部隊が
展開しているとの情報も、海軍から伝えられています。」
「それは君、アメリカの蛮人共が不死者に恐れをなして、慌てて戦力を集中し始めたという事だよ。報告は入ってきておらんが、恐らく、
不死者化した者の一部が、敵の先行偵察隊を襲ったのかもしれん。でなけれ、こんなに大慌てで、コルザミから戦力を引き抜く理由が無い。」
インリクは、自信たっぷりにそう言い放った。
「予定に遅れている事は非常に気に食わんが、今は戦争をしとるのだ。今回もまた、予定通りに行くとは限らんのかもしれん。だが……
不死者の軍団は、完成に向かいつつあるだろう。今はただ、報告を待つしかあるまい。」
彼はそう言った後、ふと、何かを思い出した。
「そうだ。こうして待っていても仕方が無い。わしは少し、出かける事にしよう。」
インリクはそう言うなり、いきなり玉座から立ち上がった。
「陛下、どちらへ行かれるのですか?」
「うむ。今度の決戦で主力となる、第2親衛軍を閲兵して来る。たまには、戦いに望まんとする兵士と語り合うのも良かろう。」
彼はそう言ってから、高々と笑い声を上げたのであった。
大地が、あの世に行き損ねた死者達の呻き声に覆われている。
都市と言う都市に、不死者が現れ、無垢な住民達、そして、それを守らんとする勇敢な兵士達が、邪悪な者どもが放った刺客によって、
命を落とし、自身もまた、不死者と化して、更なる不死者を増やしていく。
そして、膨れ上がった不死者の群れは、トハスタ最後の要衝に向けて、ひたすら前進を続けていく。
夜闇の中に響き渡る、動く死者達の呻き声。
悪夢。
あの日、自らの命を絶ったフィリネは、ぼんやりとした感覚の中、大地を行く不死者の群れを見て、そう思う。
感覚は殆ど感じられないが、どういう訳か、彼女は空に浮いていた。
そして、彼女は、闇の中を蠢く死者の群れを、上空から見下ろしていた。
『私は、確かに死んだ筈なのに、どうして、この光景を見る事が出来る?』
フィリネは不思議に思った。
だが、彼女の疑問はすぐに解決する。
『そうか……死んだから、こうして、地上を眺める事が出来るんだ。この世に、最後の別れを言うために。でも……』
フィリネは、酷く悲しげに思った。
『私の魂が消え去る最後の瞬間に、今から起ころうとしている、残酷な虐殺劇を目の当たりにするなんて……』
フィリネは、死してなお、地獄を見せられるという残酷な現実に、絶望してしまった。
だが、彼女が絶望にふける時間は、ごく短かった。
唐突に、不死者の群れに青白い光が灯ったかと思うと、海の方角から幾つ物光が見えた。
その直後、不死者達は謎の爆発によって、次々と吹き飛ばされ始めた。
『これは、まさか!』
フィリネは何かに期待するかのように、光が見えた方角に視線を凝らす。
不思議な事に、目を凝らすと、遠くの物が良く見えた。
そこには、見慣れぬ角ばった大型の軍艦が何隻もおり、海岸の近くにも何隻か小型艦が布陣し、大砲を撃ちまくっていた。
『あれが、例のアメリカ軍……?』
フィリネは、その意外な光景を不思議に思いつつも、しばしの間、不死者の群れとアメリカ艦隊のせめぎ合いに見入った。
しかし、状況はそれでも、トハスタ市民達や、アメリカ艦隊にとって不利な物になっていく。
不死者達は、その大なる量を持って押しまくり、次第に距離を縮め始める。
まるで、小癪な阻止砲火なぞは通用しないとばかりに……
『この無数の不死者達の前には、いかなアメリカ軍とはいえ、限界なのだろうか?』
彼女がそう思った時、それは唐突に表れた。
不死者達の群れに、これまでにも比べて、凄まじい爆発が湧き起こり、大量の不死者が吹き飛ばされる。
それを皮切りに、謎の大爆発は、他の艦から放たれた砲弾の爆発と共に、動ける不死者を大量に、そして、確実に削いで行く。
その光景は、まるで、神の怒りに触れた群衆が、その強大な力によって手も無く捻り潰されていくようだ。
『一体……これは……?』
フィリネは、突然の大爆発を起こした正体を探すべく、沖合を注視した。
沖合には、これまでにも見た事の無い、鋭角的な艦橋を持つ巨大な船が2隻、そして、従者のように従って来た中型艦と思しき船が2隻居た。
その前方の2隻が、一斉に主砲を放つ。その砲撃は、見るからに圧倒的であった。
またもや大爆発が起こり、多数の不死者達が消し飛び、千切り飛ばされていく。
『あれが……噂に聞いたアイオワ……いや、アイオワという名の破壊神、と言った方がいいかもしれない。』
彼女は、2隻のアイオワ級戦艦が振り撒いている、計り知れない災厄を見続ける内に、そう思うようになっていた。
アイオワ級を始めとするアメリカ艦隊の砲撃は、許しがたき罪を犯した大罪人達を完全に抹殺すべく、延々と続けられる。
フィリネはただ、本物の神の怒りと化した猛砲撃を、ひたすら見つめ続けるしかなかった。
11月20日 午前3時 リィクスタ市郊外
ドクンという鼓動が伝わり、その直後、激痛が体に走った。
「……!?」
痛みの余り、草むらに横たわっていたフィリネは、瞬時に目を見開いた。
息をするたびに、激痛は続く。
「ぐ……い…つ……!」
痛みの余り、フィリネは掠れた声を漏らす。口の中が鉄の匂いで満たされている。
ひとまず、体を起こそうとするが、激痛が発せられ、起き上がれない。
それでも、渾身の力を振り絞って、なんとか上体を起こした。
「はぁ……はぁ……」
この時、彼女は、激痛がどこから発せられているのかに気付き、下を見下ろす。
開かれた胸元の真ん中に、剣の柄が付いていた。
いや、付いているのではなく、突き立っていた。
「そ……そん……な……」
一瞬、頭が混乱した。
剣の柄が、胸元に突き立っているとなれば、まず、“彼女は死んでいる”筈なのである。
彼女は覚えていた。
刃先が胸骨を、心臓を、そして背中の皮膚を突き破った、あの恐ろしい感触を。
そして、これで、不死者にならずに済むと言う安堵感も……
だが、現実には、フィリネは生きている。その証拠に痛みは胸元のみならず、胸の内や、背中からも伝わっている。
「あたしの……体には、まだ剣が…刺さっている!?」
フィリネは、恐ろしい現実に戦慄する。
直後、彼女の両手は、自然に剣の柄を掴んでいた。両手で柄を引っ張り、突き刺さった剣が引かれる。
「ぐふっ!?」
これまで以上の激痛が走り、彼女は咳き込んだが、どういう訳か、両手は止まる事無く、徐々にではあるが、剣を引いて行く。
体の中に、じりじりと焼け付くような感触が全身に伝わる。
胸骨が剣に磨られ、その痛みに縮こまりたくなるような感覚に囚われるが、それでも剣は抜かれつつある。
刃先が傷口から抜かれた瞬間、体に電撃が伝わるかのような激痛が襲った。
「あ、はぁう!?」
その瞬間、フィリネは両目を閉じ、激痛に耐えかねて声を漏らした。その際、体が上向きにのけ反り、引き抜いた剣を側に落とした。
彼女の声は、傍目から見れば情事の際にあげる嬌声のような物であったが、そんな事は彼女にとってどうでも良かった。
急に、意識が遠のいたフィリネは、そのまま仰向けに倒れた。
傷口の所から、妙に熱を感じる。
(なんだか……体が温かい……)
彼女は、ぼんやりとした意識の中、体全体に伝わっている熱を感じ取っていた。
この妙な温かさは、どこか懐かしさを感じさせた。
フィリネは、体に伝わる温かさに、そのまま身を委ねようとした。
だが、不意に、草木を掻き分ける音が聞こえて来た。
「……!?」
彼女は、まさかと思い、体を起こそうとする。
だが、剣を引き抜く際に体力を使い果たしたのか、今度ばかりはピクリとも動かなかった。
それでも、フィリネは必死に体を動かそうとする。だが、努力の甲斐なく、不審者は、唐突に、彼女の目の前に現れた。
第45歩兵師団第3連隊の斥候を率いていたフィリック・プリースト中尉は、目の前に人が倒れているのを見て、思わずぎょっとなった。
「小隊長。どうしたんすか?さっきの変な声を上げた奴がそこに居るんです?」
後ろを歩いていた、黒人兵の1等兵が、立ち止まったプリースト中尉に話しかける。
だが、プリースト中尉は部下に応じる暇も無く、素早く銃を向けながら、倒れていた死体らしき物の側に駆け寄った。
「ちょ、小隊長!これは死体ですか!?」
「いや……まだ生きとるぞ!おい、メディックを呼んで来い!!」
「わ、わかりやした!」
黒人兵は慌てて答えると、後ろを振り向いて、大声で衛生兵を呼んだ。
「良く見たら女か……ん?これは……」
プリースト中尉は、倒れている女の側に落ちているナイフを見つけた。
彼はそれを取ると、血に塗れたナイフをまじまじと見つめる。
「おい、大丈夫か?どこかの気狂い野郎にやられたのか?」
プリースト中尉は、負傷した女性に尋ねた。
女は意識が混濁しているのか、プリースト中尉を見つめただけで反応が無い。
「小隊長!ドクを呼んで来ました!」
「おう、ちょっと診てくれ。」
「了解です!」
赤十字の腕章を付けた衛生兵は、プリースト中尉に答えてから、女性がどこに傷を受けたのかを見る。
「これは酷い……胸の真ん中に深い刺し傷がありますね。ん?背中にも血の跡が、小隊長、ちょっと患者さんの体を転がしましょう。」
「わかった。」
「ゆっくり……、ゆっくり。OKです。」
プリースト中尉と衛生兵は、共同で彼女の体を横に転がす。
「まじかよおい……小隊長、患者さんは背中にも傷があります。何か、鋭い刃物でやられたようですね。」
「ああ、その鋭い刃物だが、どうやら、これが凶器らしいな。彼女の側に落ちていた。」
プリースト中尉は、刃先が真っ赤に染まった短剣を衛生兵に見せた。
「こいつでやられたのか……胸と背中の傷口の位置からして、この剣が体を貫いたようですね。というか、この傷口の位置は、完全に心臓の位置じゃないか!?」
衛生兵は、顔をプリースト中尉に向けた。
「小隊長。患者さんは本当に生きてるんですよね?」
「ああ、虫の息だが。」
「……普通なら即死しているはずなのに。いや、それはともかく、一旦、体をこのままの状態で固定しましょう。傷口にサルファ剤をかけます。」
衛生兵はそう言いながら、手慣れた手付きで薬を取り出し、1つをプリースト中尉に渡した。
衛生兵は手早くサルファ剤を掛ける事が出来たが、プリースト中尉はやや手間取った。
「よし。これでいいかな。なかなか大きいお胸のせいで手間が掛かったが。」
彼は何気ない口調で呟きながら、空になった紙袋を衛生兵に渡す。
一通り応急手当てを終えると、プリースト中尉は一旦、偵察を終える事を決めた。
「ひとまず、この負傷者を連れて、リィクスタの中隊本部に戻るぞ。」
「了解です。」
衛生兵は頷いてから、他の兵の手を借りて、女を担架に乗せた。
「しかし、こんな忙しい時に、どこの馬鹿がこんな通り魔事件を起こしたんですかね。」
「そんな事俺が知るか。」
衛生兵と黒人兵が他愛の無いやり取りをしている時、ふと、プリースト中尉は、負傷者が何かを言っている事に気が付いた。
「おい、ちょっと待て。被害者が何か言っている。」
プリースト中尉は、2人の足を止めてから、女の側に歩み寄った。
「あなた……達は、アメリカ軍?」
「ああ。そうだ。」
幾分、土気色に染まった女の顔が、幾らかほぐれるのが分かった。
「あの惨劇を引き起こした……外道達が……どこから来たか、あたしは……知っているわ。」
「……何?」
プリースト中尉は、一瞬、彼女が何を言っているのかが分からなかった。
「あんた、一体何を言っているんだ?」
「とにかく……聞いて……」
女は、プリーストの質問に答えずに言葉を続ける。
「あの……神をも恐れぬ罰当たりがどこから来たか……あたしは…わかる……の。」
女はそこまで言ってから、引きつり気味に微笑んだ。
「あの薬が……どこで……作られているかも……ね。」
1484年(1944年)11月19日 午前1時 トハスタ市
イロノグ・スレンラド侯爵を始めとするトハスタ領の首脳陣や、方面軍の司令官達は、艦砲射撃が終了した後も、トリスク山に留まり続けていた。
「殿下。ジクス方面の部隊より報告です。」
トハスタ方面軍司令官であるラグ・リンツバ大将は、部下の魔道参謀より受け取った報告を、スレンラドに伝える。
「ルークアンド領より発進した、アメリカ軍の爆撃隊が、ジクス市街地への爆撃を開始したとの事です。」
「……そうか。」
スレンラドは、無表情のまま頷いた。
「アメリカ軍は、スーパーフォートレスを使ってジクスの不死者達を殲滅すると申していました。恐らく、ジクス市街地に立て籠もっている
不死者共は、まもなく全滅する事でしょう。」
「うむ。これで良いのだ。これで。」
スレンラドは、小声でリンツバ将軍に答える。
そのやりとりを、側で聞いていたマクラスキーは、スレンラドが無理矢理感情を抑えている事に、薄々感付いていた。
(ゾンビ退治のためとはいえ……長い間発展して来た町を消せと命令したんだ。嫌々ながらに。あの人は、心の中ではとても悔しい
思いを感じている違いない)
マクラスキーは、ちらりとスレンラドの横顔を見つめながらそう思った。
マクラスキーが、特使としてこのトハスタ市にやって来た直後に行われた打ち合わせで、スレンラドはジクスの町を爆撃して欲しいと言って来た。
その時のスレンラドは、まるで苦痛を感じているような表情を浮かべていた。
マクラスキーは、
「陸軍部隊が現地に到着した今なら、機甲戦力によってゾンビ軍団を蹴散らし、壊滅させる事も可能です。確かに、ジクスの町には被害が
出ているかもしれませんが、ここはひとまず、籠城する敵をあぶり出して、殲滅する方が良いのでは?」
と言った。だが、スレンラドは自分の意思を歪める事はなった。
「いや。そうなれば、あなた方の軍にも被害が出る可能性がある。ここは手間が掛かるかもしれないが、是非、あなた方が使用している、
スーパーフォートレスという大型爆撃機で、ジクスの町を焼き払って貰いたい。都合のいい事に、敵はジクスの市街地に籠城している。
そこを爆撃すれば、問題は一気に解決するだろう。」
と、スレンラドは強い口調でマクラスキーに告げた。
スレンラドの気迫に押されたマクラスキーは、やむなく、ジクス市への爆撃が可能かどうかを、第7艦隊司令部に伝える事となった。
7艦隊司令部からの返事は思いの外早く、陸軍航空隊はこのゾンビ撃滅作戦に積極的に協力すると伝えられた。
艦砲射撃が終了する前の、午後10時30分頃には、ジクス爆撃を任されたB-29が、護衛のP-61と共に、トハスタの飛行場から
発進したと伝えられ、スレンラド達は、艦砲射撃を眺めながら、ジクスの爆撃を待ち続けていた。
それから2時間後、ついに、ジクスの爆撃は開始された。
「マクラスキー中佐。今頃、ジクスの街は、あなた方の軍が送った爆撃機によって潰滅への道を辿りつつある。このジクスへの爆撃が
成功すれば、このトハスタ地方にいた不死者達……いや、ゾンビ、といった方がいいかな。そのゾンビ達は一掃される事になるな。」
「はい。第10航空軍からは、出撃機の大半を、焼夷弾搭載機が占めていると伝えられています。市街地に立て籠もっている敵と
ゾンビ集団は、恐らく、全滅するでしょう。」
「全滅……か。」
スレンラドは、物悲しそうな口調で呟く。
「これで……彷徨える死者へと変えられた民達も、ようやく、本来あるべき姿に戻る訳だな。リンツバ将軍。私は、この口で、
ジクスもろとも、ゾンビ化した民を焼き払えと命じた。民達は……この私を許してくれるだろうか……先の艦砲射撃で消え去った民達も、
この私を許してくれるだろうか?」
スレンラドは、重苦しい表情を浮かべながら、リンツバに言う。
彼の心中は、いくら不可抗力とはいえ、5万名以上もの領民を無為に死なせたという、罪悪感に苛まれていた。
民は国の宝と信じ、民が仕事をやりやすいように領地を整備してきたスレンラドにとって、ゾンビ化したと言えど、民を死滅させ、
町を壊滅させる命令を下した時は、まるで、身を引き裂かれるような痛みを感じた。
(民に慕われた私が、民を殺し、その町を破壊させる……これでは、為政者として失格では無いのだろうか)
彼は、心中でそう思っていた。
「この地で散って行った民達が、私達を許してくれるかどうかは分かりません。ですが、確かな事が1つだけあります。」
リンツバが、張りのある声音で答えた。
「我々はこの事件によって、歴史を変えたのです。あの、強大な国であった、マオンドの未来を左右するほどの転回点を、図らずして作ったのです。」
「歴史を、変えた、か。」
「はい。」
リンツバは深く頷く。
「幾万名もの民が失われた事は、非常に悲しい事であります。ですが、我々は、それ以上の参事が起きるのを、未然に阻止しました。
その結果、我々は、大きな味方を得ました。」
リンツバは、マクラスキーに視線を移した。
「もし、マクラスキー中佐を含むアメリカ軍が我らの申し出を聞き入れなかったら、今頃は我らも不死者となり、平原を圧しながら、
更に別の仲間を増やそうとしていたでしょう。ですが、我々の決断と、アメリカ軍の英断によって、トハスタ一体がゾンビで
覆い尽くされる事は避けられました。それと同時に、私達は、この歴史的な転回点を作る事が出来たのです。」
「歴史的な転回点……それはつまり、アメリカ軍の首都攻略が、劇的に早まった事だな。」
「はい。当初、このトハスタで1ヵ月ほど、アメリカ軍を食い止める予定でしたが、その予定は綺麗さっぱり無くなり、トハスタ領内の
通行の自由を手に入れたアメリカ軍は、予定よりも早い段階で、首都のあるクリヌネルゼ地方の攻略に着手できます。今後は、
クリヌネルゼでの戦いが重要になりますが、アメリカ軍は強大です。クリヌネルゼに温存されている、2個石甲師団を始めとする
第2親衛軍も打ち破る事は可能でしょう。」
「第2親衛軍が壊滅すれば、米軍を足止めする手立ては無くなる。後は、首都に進軍するだけだな。」
スレンラドは、唸りながらリンツバに言う。
「結果として、アメリカ軍は首都への道を、比較的短期間で開く事に成功したのです。」
「ああ。それも、“敵国マオンド”の急所を付ける所にな。」
スレンラドは納得したように頷いた。
「確かに、5万名もの命が失われた事は悲しい。しかし、結果として、5万名の命と引き換えに、我々は南部一体にいる民を救い、
そして、今後の脅威を排除できる、強力な味方を得る事が出来た。君が言いたいのは、そう言う事だろう?」
「……はっ。誠に、不謹慎ではありますが。」
「うむ。確かに不謹慎だ。」
スレンラドは、きっぱりと言い放った。
「だが、この犠牲は無駄ではなかった。なぜなら、我々はこうしてアメリカ軍に救われ、この戦争を早期に終わらせられるかもしれない、
転回点を作ったのだから。」
彼はそう言いつつも、脳裏には、米軍機の猛爆にあう、ジクス市街地の様子を思い描いている。
今頃、ジクス市街地では、B-29が投弾した爆弾に吹き飛ばされ、焼夷弾に追い立てられるゾンビやネクロマンサーが大量に居る事であろう。
「スレンラド候。爆撃隊より通信です。我、ジクス市街地への爆撃を続行中。効果甚大。火災は、尚も延焼中なり。」
「そうか……ジクスが、燃えているのか。」
スレンラドは、ため息を吐きながらマクラスキーに返してから、天を仰いだ。
(マクラスキー中佐の話では、200機以上のスーパーフォートレスが爆弾や焼夷弾を満載にして、爆撃を行っているという。
ジクスの潰滅も、もはや時間の問題、といった所か……)
スレンラドは知らなかったが、ジクス爆撃を行っている部隊は、第10航空軍第901爆撃航空団並びに、第229爆撃航空団に所属している
5個航空群のB-29である。
当初は第901爆撃航空団所属の120機のB-29で爆撃を行う予定であったが、10AF(航空軍)司令部は、取りこぼしが無いよう、
確実に市街地のゾンビ集団を撃滅すべきと判断し、急遽229爆撃航空団所属の83機のB-29も加わる事となった。
合計203機のB-29は、途中で48機のP-61を護衛に付けつつ、ジクス爆撃に向かったのである。
「ひとまず、ジクスの問題も、これで片が付くだろう。」
「殿下、まだ問題は残っていますぞ。」
リンツバ将軍は、海岸に指を差した。
「10万余の避難民はどうします?今は確かに、ゾンビ集団の脅威を排除出来ましたが、全てのゾンビが死んだとは限りません。
このままトハスタ市街地に留まらせるにしても、敵が新たな攻撃を仕掛けてきた場合は、再び避難させなければなりません。」
「ふむ……リィクスタ、リルマシク、シィムスナの住民達も、このまま返す訳にはいかない。今は、スメルヌ方面から、アメリカ軍部隊が
南下中と言われているが、彼らが来る前に、市街地前面の危険地帯を渡らすわけにはいかんな……」
スレンラドは、唸り声を発した。
彼は悩んでいた。
確かに、トハスタ市に迫っていたゾンビ集団は追い返す事が出来た。
が、生き残りのゾンビがいないとは決して限らない。(彼らはまだ、ゾンビ集団が文字通り全滅した事を知らない)
もし、手早く警報を解除したとしても、更なるゾンビ集団の襲撃があるかもしれず、リィクスタ、リルマシク、シィムスナの住民が帰途、
どこからともなく現れたゾンビに、襲われる事も考えられる。
スレンラドは、艦砲射撃で叩いた平原地帯や、3つの地方都市周辺を危険地帯と定め、住民達に市街地から出ないように呼びかけている。
だが、先のゾンビ襲撃で緊張しきっている住民達が、長い間ストレスに耐えられる筈が無く、遅かれ早かれ、避難の解除は必要になる。
「スメルヌ方面から来るアメリカ軍部隊に、もっと早く来れないかと伝えられないかね?」
「はっ……しかし、私は海軍の軍人です。一応、上層部に意見を伝えて、陸軍に伝える事は可能ですが……返事はあまり、早くは
来ないと思われます。」
「それに殿下。スメルヌからトハスタまでは、湿地帯が続いています。今は、我々の軍がアメリカ軍に、湿地帯の中でも通行できる場所を
示しながら進撃を手助けしていますが、何分、移動速度は速くなく、早くても明日の夕方にならないと、アメリカ軍はトハスタの掃討に
移れないようです。」
「うむむ……これは参ったな。」
スレンラドは顔をしかめる。
「元々、トハスタ市街地の住民達は、まだ被害に遭っていないからいいとして、3都市から逃れて来た物達は、心身ともに消耗しているだろう。
せめて、彼らの負担だけでも軽くしてやりたい物だが……かといって元の街に戻しても、彼らの心の傷を抉るばかりか、最悪の場合は、
どこからともなく現れた族や、ゾンビの餌食になる事もあり得る。ここから不用意に出す訳にいかん。いかんのだが……」
彼は、悩むあまり、思わず押し黙ってしまった。
スレンラドとしては、今日1日、悲惨な体験をして来たリィクスタ、リルマシク、シィムスナの避難民達が気掛かりだった。
あの地獄絵図を逃れて来た3都市の避難民の中で、心の傷を負った者は少なくなく、それ以外の者達も、心身ともに激しく消耗している。
「せめて、ここから遠く離れた場所に避難させる事が出来れば……」
スレンラドのその一言を聞いたマクラスキーは、ふと、ある物を思い出した。
「殿下。もしかしたら、我々は、殿下が今、望んでいる事がすぐに出来るかも知れません。」
「何?それはどういう事だね?」
リンツバ将軍が怪訝な表情を浮かべながら、マクラスキーに言う。
「輸送船団を使うのです。」
「輸送船団……コルザミ沖に近付いて来たあの船団か。しかし、あの船団には、コルザミに上陸する筈であった部隊が乗っているのではないかね?」
「そうだ。船に乗っている約数万の将兵を降ろさなければ、その船団はここに来れない筈。来れたとしても、それはまだ先の話ではないかね?」
スレンラドも複雑な顔つきを浮かべながら、マクラスキーに問う。
だが、マクラスキーは頭を横に振った。
「実を言いますと……あの船団は、空船ばかりを集めた偽装上陸部隊なのです。」
「なっ……!?」
「それは誠か!?」
リンツバとスレンラドは、共に驚きの言葉を上げた。
「あの船団は、マオンド軍の戦力分散を狙って編成された物で、実際には兵員や物資を乗せていません。その空船船団を、我が機動部隊や
戦艦部隊が護衛して、あなた方に上陸部隊が迫っていると見せ掛けたのです。」
「……そうだったのか。これはしてやられたな。」
リンツバが、苦笑しながらマクラスキーに言う。
「私は、あの大船団が現れた時、スレンラド殿下に一大事だと、声高に言ってしまった。」
「ああ。確か、君は血相を変えていたな。私も、その報告を聞いた時は驚いた物だ。」
スレンラドも、幾分、恥ずかしげになりながらも、リンツバに返す。
「私達でさえ、あのような慌てようを見せたのだ。もしかしたら、中央でも相当な混乱が生じていただろう。」
「とはいえ、我々は図らずして、住民を避難させる方法を見つけましたな。殿下、この際、マクラスキー中佐に、その空船船団を住民の
避難に使えぬかどうか、問い合わせてみてはどうでしょうか?」
「そう……だな。」
スレンラドは、ゆっくりと頷いた。
「マクラスキー中佐。君がその通信機とやらで物事を伝える際には、誰が君の応対をしているのかね?」
「私が報告する時には、通信参謀か、時折長官が出る事もあります。」
「長官とは……君が所属している艦隊の指揮艦かね?」
スレンラドの問いに、マクラスキーは頷く。
「はい。第7艦隊の司令長官を務めておられます。」
「すまないが、その司令長官閣下と話をしたいのだが。よろしいかな?」
11月19日 午前8時30分 トハスタ市
トハスタ湾にその大船団が現れたのは、午前7時30分を過ぎてからの事であった。
海岸部一帯に避難していた住民達は、その前にも、トハスタ湾口に布陣する米戦艦部隊を目の当たりにして度肝を抜かされていたが、
彼らは、その驚きが醒める暇も無く、更なる驚きをもって、この大船団の出現を凝視する事になった。
沖合に現れた輸送船団は、次第にトハスタ湾に近付き、午前8時には大型船10隻と、小型船20隻が湾口に入り、大型船は浜辺から
1キロ沖合で停止し、小型船はあろうことか、直接浜辺に船首をのし上げて停止した。
その後、住民達は、輸送船のアメリカ兵に先導されながら、船の中に入って行った。
リィクスタから脱出してきたコルモ・フィギムら一行も、その中の1人である。
「さあ、並んでください!ゆっくり中に入って下さい!」
艦首の側に立っている米兵が、並ぶ避難民達に向けて、身振り手振りで案内している。
フィギムらは、砂浜に直接乗りあげられた、やや小さめの輸送船に乗ろうとしていた。
「所長。この船は、変わった形をしていますね。」
フィギムは、後ろにいた部下の医師に話しかけられた。
「ああ。形はあまり綺麗とは言えないが、それは別にして、船首部分が、あのように、大きく開けるという事は、なかなか良い試みだと
思うな。あれなら、いちいち船の側から物を吊るす事無く、開かれた船首から素早く物を降ろす事が出来る。ああいった高性能な船を、
何十隻と用意しているのだから、アメリカという国はかなり、物が豊かな所なのだろう。全く、凄い船だ。」
フィギムは、初めて目にするLSTに対して、そう感想を漏らした。
やがて、フィギムらはLSTに乗船する事が出来た。
「さあ、どうぞ乗って下さい。場所はまだ空いていますよ。」
フィギムは、武装した米兵の声を聞きながら、LSTのやや勾配のあるランプを上がり、艦内に乗り込む。
「意外だな……中がこんなに広いとは。」
フィギムは、狭いと思っていた船内が、以外にも広い事に驚いた。
「恐らく、ここに物資を満載して、目的地に運ぶのでしょうね。でも、中が広いのはいいのですが、天井が無いのは、どうかと思いますね。」
部下の医師は、苦笑しながら上を指差す。
船内の広さに対して、天井部分と思しき場所には、何の仕切りも無く、上に顔を向ければ、そこには青い空しか無かった。
「今は晴れているからまだいい物の、途中で雨が降ったら、私達は全員ずぶ濡れになるな。」
フィギムは、やれやれといった感じでそう呟くが、それでも、内心では、早急な避難措置を取ってくれた領主、スレンラド侯爵に感謝していた。
「とはいえ、いつあの化け物が再び襲って来るかもしれないこの時期に、避難用の船だけでも手配してくれた事は感謝しなければならないな。」
「確かに。」
部下の医師が顔を頷かせる。
「化け物になって、自分の身内や友人達を襲うぐらいなら、少しぐらい濡れながらも、安全な場所に避難できる方が遥かにましです。
今はこれだけでも、幸運だった、と思わなければ。」
「これ以上贅沢を言えば、罰が当たる事は確実だな。」
フィギムは苦笑しながら、部下にそう言ったのであった。
同日午前9時 トハスタ湾沿岸部
避難民を乗せた輸送船が収容を終え、続々と出港し、新たな輸送船が湾口に入港して行く中、領主スレンラドは、リンツバ将軍と
マクラスキー中佐と共に、廃墟と化したトハスタ港で避難活動の推移を見守っていた。
「避難は、順調に進んでいるようですな。」
リンツバ将軍は、安堵した口調でスレンラドに言う。
「ああ。しかし、アメリカは凄い船を持っている。特に、海岸に直接乗りあげた、あの船は、上陸作戦の時はかなり使いやすそうだな。」
スレンラドは、海岸に乗り上げている船を見つめつつ、マクラスキーに顔を向ける。
「あの船は、LST、戦車揚陸艦と呼ばれる船です。」
「戦車揚陸艦?」
「はい。」
リンツバ将軍が頓狂な声を上げ、マクラスキーが顔を頷かせる。
「元々、戦車等の重機材は、上陸作戦の際は適切な艦艇が無いために、いの一番に上陸させたくても、出来ない兵器でした。それを解決するために
開発されたのが、あのLSTです。」
「あの戦車揚陸艦とやらには、何台の戦車を乗せられるのかね?」
「状況によって異なりますが、通常の場合は16両から20両。その他に、ジープやトラック等の車両も同じ数か、やや劣る程の量を乗せられます。
陸軍や海兵隊の兵力換算に例えれば、戦車中隊1個の他に、自動車化歩兵1個中隊を乗せられる事が出来ます。我々は、このLSTと、LSTの
縮小版であるLSM(中型揚陸艦)を多数揃える事によって、戦車を中心とした機甲師団を迅速に海上輸送し、上陸作戦に投入する事を可能としています。」
「ほほう……これは恐れ入った。」
マクラスキーの説明を受けたリンツバ将軍は、その言葉の意味に思わず圧倒された。
「殿下。ただでさえ凶悪ともいえる戦車部隊を、好きな場所にいくらでも運べる能力を持った相手と戦う羽目になった我々、いや、中央は、
無謀な選択肢を選んでしまったようですな。」
「ああ。私も驚いているよ。これじゃ、戦にならん訳だ。」
スレンラドは、両肩を竦めながらリンツバに言う。
西の洋上から、航空機の爆音が響いて来た。
マクラスキーはその音に反応し、近付いて来る幾つもの機影に目を向けた。
「おっ。あれは、機動部隊から飛来した艦載機だな。」
マクラスキーは、見慣れた機影を見つめながら、何気無い口調で呟く。
やがて、艦載機群はトハスタ湾上空を、高度500メートル程度を維持しつつ、爆音を轟かせながら通過して行く。
数は40機程で、半数は翼の折れ曲がった機体で、そのまた半数はずんぐりとした機体である。
「コルセアとF6Fですね。」
マクラスキーは事も無げに呟いた。
早朝、艦隊司令部からは上空援護の航空隊を差し向けると伝えられている。
恐らくは、このコルセアとヘルキャットの群れが、援護チームの第1陣なのであろう。
4機ずつの小編隊を組みながら、やや低い高度を通過していく戦闘機隊を見て興奮したのか、沿岸部に居る住民達から盛大な拍手や、
歓喜が上がるのが聞こえた。
「つい最近まで、あの機体は、爆弾を抱いてこのトハスタを攻撃して来た。その時は、なんとも恐ろしい相手かと思っていたが……」
スレンラドは、苦笑しながらマクラスキーに言う。
「こうして、別の視点から見てみると、あの機体もなかなか、頼もしげのある姿に見えるな。」
「ありがとうございます。そのお言葉は、艦隊のパイロット達にお伝えします。」
マクラスキーは微笑みながら言うと、深く頭を下げた。
上空援護チームの第1陣は、トハスタ湾を通過した後、程なくして直掩任務に付き、小隊毎に別れてトハスタ市の上空周辺を旋回し始めた。
しばらくの間、彼らは避難活動に見入っていた。
それから20分程が立った時、スレンラドは小さく溜息を吐いてから、自らの考えをマクラスキーに明かした。
「マクラスキー中佐。私は、決めたよ。」
「決めた……?何をでしょうか?」
マクラスキーが聞き返すと、スレンラドはしばし間を置いてから答えた。
「トハスタは、マオンド共和国から独立し、本来あるべき筈であった姿に戻る。」
同日 午後1時 マオンド共和国首都クリンジェ
マオンド共和国国王ブイーレ・インリクは、待ちわびていた報告が、予定よりも遅れている事に苛立ちを募らせていた。
「うむむ……ナルファトス教側からの報告はまだ来ないのか?」
インリクは、玉座の前に立っている魔道士に問う。
「はっ。未だに、教団本部から連絡は入りません。もしや、事実確認に手間取っているのではないでしょうか。」
「事実確認だと?そんな物は簡単であろうが。人で溢れ返っている町に、不死者化した化け物を殴り込ませるだけだぞ。そんな物は、
予定よりも早く終わりそうなものだが。」
インリクは時計に目をやる。
時刻は午後1時過ぎ。約束の時間である午後0時を1時間もオーバーしている。
「どうしたものか……」
インリクは、低い声で呟く。
彼はふと、こちら側から問い掛けてみようかと思ったが……
(いや、待て。今回の作戦は、10万人もの人を不死者化するという異例の大仕事だ。ネクロマンサーが操る対象が多すぎて、何らかのトラブルが
起きているのかもしれん。それに、何かあったら、教会側はすぐに報告して来る。今の所、話が無いという事は、事態は順調に進みつつある、
という事なのだろう。)
インリクはそう思い、教会側に問い合わせる事をやめた。
「まぁ良い。トハスタは、少なくともあと1日は魔法通信を領外に送る事は出来ない。昨日は、領内の馬鹿共がワイバーンを送り込んで来たが、
今日にいたってはそれすらも無い。となると、トハスタ領の中枢部は、既に壊滅していると考えて良いな。」
「ですが、幾つか気掛かりになる情報も上がっています。先程もお伝えしましたが、海軍のベグゲギュスが、コルザミを攻略しようとしていた
アメリカ艦隊と輸送船団が、急遽北上していったとの情報も入っています。また、本日午前10時頃には、トハスタ沖西方に有力な敵機動部隊が
展開しているとの情報も、海軍から伝えられています。」
「それは君、アメリカの蛮人共が不死者に恐れをなして、慌てて戦力を集中し始めたという事だよ。報告は入ってきておらんが、恐らく、
不死者化した者の一部が、敵の先行偵察隊を襲ったのかもしれん。でなけれ、こんなに大慌てで、コルザミから戦力を引き抜く理由が無い。」
インリクは、自信たっぷりにそう言い放った。
「予定に遅れている事は非常に気に食わんが、今は戦争をしとるのだ。今回もまた、予定通りに行くとは限らんのかもしれん。だが……
不死者の軍団は、完成に向かいつつあるだろう。今はただ、報告を待つしかあるまい。」
彼はそう言った後、ふと、何かを思い出した。
「そうだ。こうして待っていても仕方が無い。わしは少し、出かける事にしよう。」
インリクはそう言うなり、いきなり玉座から立ち上がった。
「陛下、どちらへ行かれるのですか?」
「うむ。今度の決戦で主力となる、第2親衛軍を閲兵して来る。たまには、戦いに望まんとする兵士と語り合うのも良かろう。」
彼はそう言ってから、高々と笑い声を上げたのであった。
大地が、あの世に行き損ねた死者達の呻き声に覆われている。
都市と言う都市に、不死者が現れ、無垢な住民達、そして、それを守らんとする勇敢な兵士達が、邪悪な者どもが放った刺客によって、
命を落とし、自身もまた、不死者と化して、更なる不死者を増やしていく。
そして、膨れ上がった不死者の群れは、トハスタ最後の要衝に向けて、ひたすら前進を続けていく。
夜闇の中に響き渡る、動く死者達の呻き声。
悪夢。
あの日、自らの命を絶ったフィリネは、ぼんやりとした感覚の中、大地を行く不死者の群れを見て、そう思う。
感覚は殆ど感じられないが、どういう訳か、彼女は空に浮いていた。
そして、彼女は、闇の中を蠢く死者の群れを、上空から見下ろしていた。
『私は、確かに死んだ筈なのに、どうして、この光景を見る事が出来る?』
フィリネは不思議に思った。
だが、彼女の疑問はすぐに解決する。
『そうか……死んだから、こうして、地上を眺める事が出来るんだ。この世に、最後の別れを言うために。でも……』
フィリネは、酷く悲しげに思った。
『私の魂が消え去る最後の瞬間に、今から起ころうとしている、残酷な虐殺劇を目の当たりにするなんて……』
フィリネは、死してなお、地獄を見せられるという残酷な現実に、絶望してしまった。
だが、彼女が絶望にふける時間は、ごく短かった。
唐突に、不死者の群れに青白い光が灯ったかと思うと、海の方角から幾つ物光が見えた。
その直後、不死者達は謎の爆発によって、次々と吹き飛ばされ始めた。
『これは、まさか!』
フィリネは何かに期待するかのように、光が見えた方角に視線を凝らす。
不思議な事に、目を凝らすと、遠くの物が良く見えた。
そこには、見慣れぬ角ばった大型の軍艦が何隻もおり、海岸の近くにも何隻か小型艦が布陣し、大砲を撃ちまくっていた。
『あれが、例のアメリカ軍……?』
フィリネは、その意外な光景を不思議に思いつつも、しばしの間、不死者の群れとアメリカ艦隊のせめぎ合いに見入った。
しかし、状況はそれでも、トハスタ市民達や、アメリカ艦隊にとって不利な物になっていく。
不死者達は、その大なる量を持って押しまくり、次第に距離を縮め始める。
まるで、小癪な阻止砲火なぞは通用しないとばかりに……
『この無数の不死者達の前には、いかなアメリカ軍とはいえ、限界なのだろうか?』
彼女がそう思った時、それは唐突に表れた。
不死者達の群れに、これまでにも比べて、凄まじい爆発が湧き起こり、大量の不死者が吹き飛ばされる。
それを皮切りに、謎の大爆発は、他の艦から放たれた砲弾の爆発と共に、動ける不死者を大量に、そして、確実に削いで行く。
その光景は、まるで、神の怒りに触れた群衆が、その強大な力によって手も無く捻り潰されていくようだ。
『一体……これは……?』
フィリネは、突然の大爆発を起こした正体を探すべく、沖合を注視した。
沖合には、これまでにも見た事の無い、鋭角的な艦橋を持つ巨大な船が2隻、そして、従者のように従って来た中型艦と思しき船が2隻居た。
その前方の2隻が、一斉に主砲を放つ。その砲撃は、見るからに圧倒的であった。
またもや大爆発が起こり、多数の不死者達が消し飛び、千切り飛ばされていく。
『あれが……噂に聞いたアイオワ……いや、アイオワという名の破壊神、と言った方がいいかもしれない。』
彼女は、2隻のアイオワ級戦艦が振り撒いている、計り知れない災厄を見続ける内に、そう思うようになっていた。
アイオワ級を始めとするアメリカ艦隊の砲撃は、許しがたき罪を犯した大罪人達を完全に抹殺すべく、延々と続けられる。
フィリネはただ、本物の神の怒りと化した猛砲撃を、ひたすら見つめ続けるしかなかった。
11月20日 午前3時 リィクスタ市郊外
ドクンという鼓動が伝わり、その直後、激痛が体に走った。
「……!?」
痛みの余り、草むらに横たわっていたフィリネは、瞬時に目を見開いた。
息をするたびに、激痛は続く。
「ぐ……い…つ……!」
痛みの余り、フィリネは掠れた声を漏らす。口の中が鉄の匂いで満たされている。
ひとまず、体を起こそうとするが、激痛が発せられ、起き上がれない。
それでも、渾身の力を振り絞って、なんとか上体を起こした。
「はぁ……はぁ……」
この時、彼女は、激痛がどこから発せられているのかに気付き、下を見下ろす。
開かれた胸元の真ん中に、剣の柄が付いていた。
いや、付いているのではなく、突き立っていた。
「そ……そん……な……」
一瞬、頭が混乱した。
剣の柄が、胸元に突き立っているとなれば、まず、“彼女は死んでいる”筈なのである。
彼女は覚えていた。
刃先が胸骨を、心臓を、そして背中の皮膚を突き破った、あの恐ろしい感触を。
そして、これで、不死者にならずに済むと言う安堵感も……
だが、現実には、フィリネは生きている。その証拠に痛みは胸元のみならず、胸の内や、背中からも伝わっている。
「あたしの……体には、まだ剣が…刺さっている!?」
フィリネは、恐ろしい現実に戦慄する。
直後、彼女の両手は、自然に剣の柄を掴んでいた。両手で柄を引っ張り、突き刺さった剣が引かれる。
「ぐふっ!?」
これまで以上の激痛が走り、彼女は咳き込んだが、どういう訳か、両手は止まる事無く、徐々にではあるが、剣を引いて行く。
体の中に、じりじりと焼け付くような感触が全身に伝わる。
胸骨が剣に磨られ、その痛みに縮こまりたくなるような感覚に囚われるが、それでも剣は抜かれつつある。
刃先が傷口から抜かれた瞬間、体に電撃が伝わるかのような激痛が襲った。
「あ、はぁう!?」
その瞬間、フィリネは両目を閉じ、激痛に耐えかねて声を漏らした。その際、体が上向きにのけ反り、引き抜いた剣を側に落とした。
彼女の声は、傍目から見れば情事の際にあげる嬌声のような物であったが、そんな事は彼女にとってどうでも良かった。
急に、意識が遠のいたフィリネは、そのまま仰向けに倒れた。
傷口の所から、妙に熱を感じる。
(なんだか……体が温かい……)
彼女は、ぼんやりとした意識の中、体全体に伝わっている熱を感じ取っていた。
この妙な温かさは、どこか懐かしさを感じさせた。
フィリネは、体に伝わる温かさに、そのまま身を委ねようとした。
だが、不意に、草木を掻き分ける音が聞こえて来た。
「……!?」
彼女は、まさかと思い、体を起こそうとする。
だが、剣を引き抜く際に体力を使い果たしたのか、今度ばかりはピクリとも動かなかった。
それでも、フィリネは必死に体を動かそうとする。だが、努力の甲斐なく、不審者は、唐突に、彼女の目の前に現れた。
第45歩兵師団第3連隊の斥候を率いていたフィリック・プリースト中尉は、目の前に人が倒れているのを見て、思わずぎょっとなった。
「小隊長。どうしたんすか?さっきの変な声を上げた奴がそこに居るんです?」
後ろを歩いていた、黒人兵の1等兵が、立ち止まったプリースト中尉に話しかける。
だが、プリースト中尉は部下に応じる暇も無く、素早く銃を向けながら、倒れていた死体らしき物の側に駆け寄った。
「ちょ、小隊長!これは死体ですか!?」
「いや……まだ生きとるぞ!おい、メディックを呼んで来い!!」
「わ、わかりやした!」
黒人兵は慌てて答えると、後ろを振り向いて、大声で衛生兵を呼んだ。
「良く見たら女か……ん?これは……」
プリースト中尉は、倒れている女の側に落ちているナイフを見つけた。
彼はそれを取ると、血に塗れたナイフをまじまじと見つめる。
「おい、大丈夫か?どこかの気狂い野郎にやられたのか?」
プリースト中尉は、負傷した女性に尋ねた。
女は意識が混濁しているのか、プリースト中尉を見つめただけで反応が無い。
「小隊長!ドクを呼んで来ました!」
「おう、ちょっと診てくれ。」
「了解です!」
赤十字の腕章を付けた衛生兵は、プリースト中尉に答えてから、女性がどこに傷を受けたのかを見る。
「これは酷い……胸の真ん中に深い刺し傷がありますね。ん?背中にも血の跡が、小隊長、ちょっと患者さんの体を転がしましょう。」
「わかった。」
「ゆっくり……、ゆっくり。OKです。」
プリースト中尉と衛生兵は、共同で彼女の体を横に転がす。
「まじかよおい……小隊長、患者さんは背中にも傷があります。何か、鋭い刃物でやられたようですね。」
「ああ、その鋭い刃物だが、どうやら、これが凶器らしいな。彼女の側に落ちていた。」
プリースト中尉は、刃先が真っ赤に染まった短剣を衛生兵に見せた。
「こいつでやられたのか……胸と背中の傷口の位置からして、この剣が体を貫いたようですね。というか、この傷口の位置は、完全に心臓の位置じゃないか!?」
衛生兵は、顔をプリースト中尉に向けた。
「小隊長。患者さんは本当に生きてるんですよね?」
「ああ、虫の息だが。」
「……普通なら即死しているはずなのに。いや、それはともかく、一旦、体をこのままの状態で固定しましょう。傷口にサルファ剤をかけます。」
衛生兵はそう言いながら、手慣れた手付きで薬を取り出し、1つをプリースト中尉に渡した。
衛生兵は手早くサルファ剤を掛ける事が出来たが、プリースト中尉はやや手間取った。
「よし。これでいいかな。なかなか大きいお胸のせいで手間が掛かったが。」
彼は何気ない口調で呟きながら、空になった紙袋を衛生兵に渡す。
一通り応急手当てを終えると、プリースト中尉は一旦、偵察を終える事を決めた。
「ひとまず、この負傷者を連れて、リィクスタの中隊本部に戻るぞ。」
「了解です。」
衛生兵は頷いてから、他の兵の手を借りて、女を担架に乗せた。
「しかし、こんな忙しい時に、どこの馬鹿がこんな通り魔事件を起こしたんですかね。」
「そんな事俺が知るか。」
衛生兵と黒人兵が他愛の無いやり取りをしている時、ふと、プリースト中尉は、負傷者が何かを言っている事に気が付いた。
「おい、ちょっと待て。被害者が何か言っている。」
プリースト中尉は、2人の足を止めてから、女の側に歩み寄った。
「あなた……達は、アメリカ軍?」
「ああ。そうだ。」
幾分、土気色に染まった女の顔が、幾らかほぐれるのが分かった。
「あの惨劇を引き起こした……外道達が……どこから来たか、あたしは……知っているわ。」
「……何?」
プリースト中尉は、一瞬、彼女が何を言っているのかが分からなかった。
「あんた、一体何を言っているんだ?」
「とにかく……聞いて……」
女は、プリーストの質問に答えずに言葉を続ける。
「あの……神をも恐れぬ罰当たりがどこから来たか……あたしは…わかる……の。」
女はそこまで言ってから、引きつり気味に微笑んだ。
「あの薬が……どこで……作られているかも……ね。」