第208話 ウィスコンシン艦上の調印式
1484年(1944年)12月19日 午前7時 マオンド共和国ヘランシルヴェ
マオンド共和国外務大臣フェバラシュ・ケジャンスタは、クリンジェより西に15ゼルド(45キロ)離れた港町ヘランシルヴェの宿屋から、
港の沖合を眺めていた。
「……あれが、異界からやって来た国の軍艦か……」
今年62歳になるケジャンスタは、年相応に伸ばした長い顎鬚をさすりながら、半ば呆然とした口調で呟いた。
ヘランシルヴェは、首都クリンジェに最も近い港町だけあって人口が多く、今は40万の住民がヘランシルヴェで暮らしている。
港の規模も、マオンド国内では第3位の規模を誇る程で、アメリカ海軍の制海権を握られる前には、ヘランシルヴェにも巡洋艦を始めとする艦隊や、
多数の小型艦艇も港内に停泊していた。
ヘランシルヴェは、今年9月にアメリカ機動部隊の空襲を受け、港内に居た少なからぬ数の艦船や港湾施設に大損害を被ったが、
奇跡的に港の機能は生きており、戦争中も細々と、民間船が他の領地から運んで来た品物を荷揚げしていた。
共和国の経済成長の礎にもなったこの港町に、異国の海軍……アメリカ大西洋艦隊の主力部隊である、第7艦隊がやって来たのは、停戦から
7日ほど経った12月9日の事である。
ヘランシルヴェの住民達は、自国を敗戦にへと追いやった艦隊を畏怖の目で見つめた。
「凄い数の船だな……大型艦の数はともかく、輸送船の数も凄い。これじゃ、わがマオンドは勝てる訳がないな。」
ケジャンスタは自嘲気味に呟く。
ヘランシルヴェでは、10日からアメリカ軍の上陸部隊が(後方から第28軍の一部が占領軍として輸送船で送られてきた)港湾地区から上陸している。
町の住民達は、沖合に陣取った艦隊に驚き、そして、その艦隊が吐き出してきた異形の軍隊を見て再び驚く羽目になった。
アメリカ軍上陸部隊は、マオンド正規軍にはないジープやハーフトラック、戦車等を瞬く間に揚陸し、ヘランシルヴェ市内に展開していった。
マオンド共和国上層部が停戦を発表した当初から、突然の停戦に納得がいかなかった町の住民達も、洋上の大艦隊や、輸送船から荷揚げされたアメリカ軍
部隊の兵器の数々を見、何故マオンドが敗戦を喫したのかが理解できた。
「アメリカ陸軍の兵器も凄いが……やはり、あそこに居る船……アイオワ級という大型艦も凄い物だ。あそこからここまで、かなり離れているに
もかかわらず、言い知れぬ威圧感を感じる……」
ケジャンスタは、洋上に停泊する一隻のアイオワ級戦艦を畏敬の念で見つめた。
彼は、今年の5月にグラーズレット沖で行われた観艦式に、インリク王と共に参加し、自国の艦隊も素晴らしいと感じる事が出来た。
特に、新鋭戦艦であるリグランバグル級戦艦が4隻揃って航行している姿は、見ているだけでアメリカ艦隊何するものぞ、という思いが湧き起こったほどだ。
あの観艦式で見た新鋭戦艦4隻は、全てがモンメロ沖海戦で撃沈されている。
モンメロ沖海戦では、米戦艦部隊はマオンド側の攻撃に激しく応戦し、中でも、敵が保有しているアイオワ級戦艦は、リグランバグル級戦艦の攻撃を
物ともせず、逆に圧倒したと言う話を、彼は海軍のトレスバグト元帥から聞いていた。
その憎き敵であったアイオワ級戦艦は、今、彼の目の前に居る。
「あの艦……ウィスコンシンが、今日行われる調印式の会場か。確かに、ナルファトス教団過激派の襲撃を防ぐには、もって来いの場所であるな。」
唐突に、部屋のドアが外側からノックされた。
「失礼いたします。」
くぐもったような声が聞こえてから、ドアが開かれた。
「大臣、おはようございます。」
「おはよう。もう既に準備は出来ているぞ。」
ケジャンスタは、付き添いの書記官にそう言い放った。
「そろそろかね?」
「はい。」
書記官が頷くのを見たケジャンスタは、窓を閉めて、ベッドの上に置いてあった帽子を手に取った。
「では、行くとするかね。」
ケジャンスタは、両肩に圧し掛かった重圧を和らげるように、陽気な口調で独語した。
20分後、ケジャンスタは、同行するトレスバグト元帥らと共に、桟橋で迎えの船が来るのを待っていた。
「迎えがやって来ましたね。」
ケジャンスタの左隣にいるトレスバグトは、桟橋に向かって来る1隻の小舟を指差す。
迎えと思しき小型艇は、リズミカルな発動機の音を立てながら、彼らが待っている桟橋の側にゆるやかな動作で接舷した。
小型艇の指揮官と思しき人物が甲板に上がり、直立不動の態勢で敬礼を送る。
ケジャンスタも背筋を伸ばし、トレスバグトとガンサルら軍人達も、一斉に右手を握り、拳を右のこめかみに当てて、
立派なマオンド式の敬礼を返す。
「お待たせしました。私は案内役を仰せつかりました、ウェイド・ミラー大尉であります。」
「私は全権委任団の責任者を務めます、フェバラシュ・ケジャンスタと申します。道中の案内、頼みます。」
「承知いたしました。それでは、どうぞこちらへ。」
ケジャンスタら一行は、ミラー大尉らの手を借りながら内火艇の甲板に乗り移った。
全員が乗った事を確認したミラー大尉は、内火艇の艇長に出発を命じた。
内火艇は、ゆっくりと後進し、桟橋を離れると、向きを変えて調印式の会場へ向かった。
船の速力は、マオンド側全権団の安全を意識してか、あまり早くは出さなかった。
それでも、冬の寒風は全権団の体に鋭く突き刺さった。
「あれが……調印式の会場か……」
ケジャンスタは、左隣のトレスバグトが小声で呟くのを聞いた。
「うむ。あそこが、我がマオンドの終着点……そして、出発点となる場所だ。」
「終着点……そして、出発点ですか。言い得て妙ですな。」
トレスバグトは苦笑しながら、ケジャンスタに言った。
調印式会場となる戦艦ウィスコンシンは、さほど離れていない沖合に停泊しているため、桟橋から離れて約10分足らずで、その巨体を
間近で見渡せる位置まで近付く事が出来た。
「それにしても、でかい船だなぁ……トレスバグト提督。海軍の専門家として、あのアイオワ級戦艦はどう見えるかね?」
「は……ただ外見を見ただけなので詳しい事は言えませんが。ただ、とにかく凄い戦艦である事はわかります。大きさも、我が国が誇った
最新鋭戦艦リグランバグル級よりもありますし、何よりも……」
トレスバグトは、ウィスコンシンの前部部分を注視する。
「あの主砲は、明らかに、リグランバグル級戦艦が積んでいた物よりも大きい。私は、リグランバグル級に乗って、中を見ましたが、
当時はリグランバグル級の異様に圧倒されました。ですが……あの戦艦は、外見を見ただけでも、あの時感じた衝撃を凌駕しています。
そして、こう思いましたよ。」
トレスバグトは、顔を俯かせた。
「あんな戦艦と戦わせたら、負けて当然だ、とね。」
「それは……幾ら何でも、大袈裟過ぎではないのかね?」
話を聞いていたガンサルが咎める。
「そこの所は重々承知しておるよ。だが……あれは、大袈裟過ぎる表現を用いても充分だ。いや、実際に、あの艦と砲火を交えた戦艦部隊の
乗員にとっては、それでも不十分かもしれないな……何しろ、あの巨大な艦載砲の威力を、撃沈された艦と共に散った将兵達は直に体験したの
だからね。」
「その巨大戦艦の艦上で調印式か……アメリカ側も、敗者には相当厳しい仕打ちをする者だな。」
ガンサルは、複雑な表情を浮かべながらトレスバグトに言う。
「アメリカ人達がそう考えたかどうかまでは、私には分からんが。」
ケジャンスタが口を開く。
「あちらはあちらの考えがあって、この艦を会場に選んだのだろう。我々は、アメリカ人達の指示に従うと約束したのだ。今は、
その結果にあれこれ言っても仕方がないだろう。いずれにせよ、私は言われたままに、務めを果たすだけだ。」
ケジャンスタは頷きながら、そう言い放つ。
5分後。彼らを乗せた内火艇は、戦艦ウィスコンシンの左舷艦首甲板側に接舷した。
「到着いたしました。どうぞ、こちらへ。」
ミラー大尉が、海面すれすれにまで下げられた階段の方に手を差し伸べる。
頷いたケジャンスタは、揺れる内火艇から階段に降り、ゆっくりと階段を上がって行く。
程なくして、彼は、ウィスコンシンの艦首甲板に上がった。
甲板の出入り口で出迎える水兵に一礼しつつ、ケジャンスタは甲板に足を踏み入れる。
「これは……」
ケジャンスタは、目の前に鎮座する巨大な17インチ砲塔に目を奪われた。
前部に2基配置された48口径3連装17インチ砲は、全ての砲身に仰角を掛けている。
「ふむ……間近で見ると、この戦艦の大砲がいかに凄いか分かるな……」
階段を上がって来たトレスバグトが、感嘆したような口調で言う。
「このような戦艦を、4隻も作り上げたアメリカの国力……俺達は、とんでもない国に喧嘩を売ってしまった物だ……」
「その喧嘩を終わらせる為に、我々はやって来たのだよ。」
ケジャンスタがトレスバグトに言う。
「さあ。ここからは堂々と、胸を張って行こう。」
「そうですな。」
ケジャンスタの言葉を聞いたトレスバグトは納得し、強張っていた頬を少しばかり緩ませた。
彼らは、ウィスコンシンの乗員に登舷礼で迎えられ、艦上に集まった多数のアメリカ軍将兵やマスコミ関係者の視線を浴びつつ、
甲板上に置かれた長い机に向かって歩いて行った。
レーフェイル派遣軍総司令官を務めるダグラス・マッカーサー元帥(12月7日に昇進)は、レーフェイル大陸各国の代表団と共に、
文書が置かれたマホガニー製のテーブルに近付くマオンド共和国代表団を見つめ続けていた。
「真ん中の文官らしき人物が、マオンド側の外務大臣のようですね。」
マッカーサーの隣に立っていた、コーデル・ハル国務長官が呟く。
「そのようです。」
マッカーサーの代わりに、大西洋艦隊司令長官のジョン・ニュートン大将が答える。
「その他にも、陸海軍の軍人らしき人物が7名ほどおりますな。」
ニュートンは、代表団の顔を1人1人見回しながら言う。
やがて、10人程のマオンド側代表団は、マホガニー製の机から、5メートル程離れた位置で止まった。
代表団の責任者と思しき、濃い紫色の服を着た文官が、ウィスコンシンの艦橋を、呆気にとられたかのような表情で見入っている。
ウィスコンシンの艦橋や、艦外の張り出し通路や主砲塔といった、艦の各所には、マオンド側代表団が乗艦する20分前まで、世紀の瞬間を
見届けようと考えた乗員達が鈴なりに並んで待っていたが、マッカーサーはニュートンに、
「乗員達の気持も分からないではないが、相手が機嫌を損ねないとも限らない。申し訳無いが、あの乗員達には、マオンド側代表団が退艦する
までの間、艦内に戻って貰うか、それが出来なければ正装で式に参加するか、いずれにせよ、どうにかできないだろうか。」
と申し述べた。
ニュートンはウィスコンシン艦長にマッカーサーの言葉を伝えた。
それからすぐ後に、気楽な格好で艦橋周辺に陣取っていた将兵達は、やれやれと言った表情を浮かべながら艦内に戻り、それから10分後には、
乗員が総出で正装に着替え、登舷礼でマオンド側代表団を出迎えた。
マッカーサーは、艦上が参加者達の喧騒で満たされているにもかかわらず、用意されたマイクの前に歩み寄る。
彼がマイクの前に立ったのを認めた参加者達は、一様に会話を止め、程なくして、ウィスコンシンの艦上は静寂で満たされた。
肌寒い冬風が、音を発して流れていくのを耳にしながら、マッカーサーはマイクに向かって喋りはじめた。
「お集まりいただいた連合国並びに、マオンド共和国代表団各位へ。これより、降伏文書調印式を始めます。」
マッカーサーの張りのある声音が、ウィスコンシン艦上に響き渡る。
彼は、短い一言を発した後、自らマホガニー製のテーブルの前にまで歩み寄った。
机の側に立っていた陸軍将校が、マオンド側代表団の責任者であるケジャンスタ外務大臣に視線を送り、机の向かい側に来るよう、
手を伸ばして案内する。
ケジャンスタは無言で椅子の側にまで歩み寄り、ゆっくりと腰掛けてから、胸元のポケットに入れていた羽ペンと、インクの
入った小さな壜を取り出す。
「こちらに、サインをお願いします。」
陸軍将校が、丁寧な仕草でケジャンスタが署名する場所を教える。頷いた彼は、無言で署名欄に自分の名前を書いた。
書き終えたケジャンスタは、将校に軽く一礼してから席を立ち、トレスバグト元帥の側に戻る。
ケジャンスタが戻った後はトレスバグト元帥が、その次に、陸軍最高司令官であるガンサル元帥が署名した。
ガンサル元帥の署名を最後に、マオンド側代表団の役目は半ば終わった。
陸軍将校がガンサルに一礼した後、顔をマッカーサーに向けた。
無言で頷いたマッカーサーは、まず、ハル国務長官顔を振り向ける。
連合国側の署名は、ハル国務長官を筆頭に、レーフェイル派遣軍兼アメリカ陸軍の代表としてマッカーサー、その次に海軍を
代表して、ニュートンが行った。
その後、レーフェイル大陸各国からやって来た代表たちが、文書にサインをしていく。
ヘルベスタン民主共和国軍司令官ゴルス・トンバル大将、ルークアンド共和国軍司令官フィド・エイゲル大将、レンベルリカ連邦共和国軍
総司令官レオトル・トルファー大将が、そして、エンテック民国や、新しく建国されたトハルケリ連邦と、クナリカ民公国(12月10日に
独立を宣言した)の代表も、厳粛な空気の中、持参したペンで用意された欄に署名を行った。
各国の代表団がサインを終え、列に戻ったのを確認したマッカーサーは、畳んでいたスピーチ原稿を再び広げ、マイクに向かって喋り始めた。
「たった今、交戦国全ての代表がサインを終えました。ここで、調印式は終わりになりますが、私の方から少しばかり、お話があります。」
マッカーサーは、一度だけ深呼吸をしてから、スピーチ原稿に書かれた内容を読み始めた。
「このレーフェイル大陸は、700年前の昔から今まで、戦乱続きであったと言われていました。特に、この100年間は戦争も激しさを増し、
多くの人が命を失い、財産を奪われ続けました。この戦火は、マオンド共和国先代王の政策によって、一度は収まりましたが、現王ブイーレ公
の命により、これまでに無かった程の激しい戦がレーフェイル大陸全土で繰り広げられ、マオンドによって大陸が統一された後も、各地で起きる
独立闘争や、それに伴う苛烈な弾圧、ナルファトス教と言われる宗教団体の過激な信仰の影響により、多くの血が流れ続けました。そんな中、
我々アメリカ合衆国はこの異世界に召喚され、自由と平和を脅かすマオンドと、シホールアンルを討つために立ち上がりました。」
マッカーサーは、マオンド側代表団にちらりと視線を向ける。
10人のマオンド側代表団は、誰1人表情を変える事無く、マッカーサーのスピーチを聞いていた。
彼は、尚も言葉を続ける。
「マオンド共和国と開戦して以来、我が合衆国は、マオンド共和国と幾度も戦火を交えました。やがて、我が国は、このレーフェイル大陸解放の
足掛かりを得、遂にはレーフェイル大陸本土に上陸する事が出来、マオンド共和国の制圧下にあった、ヘルベスタン、ルークアンド、エンテック、
レンベルリカを解放するに至り、最終的には、今日のような日を迎える事が出来ました。この10年間の中で、連合国各国とマオンド共和国は、
双方に深い傷を残しました。ある日、突如侵攻して来た軍隊に町を制圧され、罪の無い子供が拉致されたり、平和に暮らしていた筈の民族が、
宗教団体の気紛れで殲滅されると言う事が、ほんの少し前までは頻繁に繰り返されていました。しかし、そのような日々は、もう、終わりを
告げました。我がアメリカ合衆国は、突如現れた新参の身でありながらも、各国と協力して、この大陸に覆っていた闇を、ほぼ取り除く事が
出来ました。しかし、その闇は、完全に取り払われた訳ではありません。この大陸に恐怖をもたらした張本人達は、今も尚健在です。しかし、
我々連合国は、この者達に対して、自らの犯した罪を償わせるため、必ず、相応の責任を取らせます。それが成し遂げられた時、レーフェイル大陸は、
真の平和を取り戻す事でしょう。」
マッカーサーは一旦言葉を止め、乾いた唇を舐めてから続きを言う。
「ベルリイク大陸を構成する北大陸では、今も尚、戦闘が続いています。ですが、その戦闘も、そう遠くない未来に終わりを告げるでしょう。
我が合衆国も含む連合国と交戦するシホールアンル帝国にとって、この大陸で戦火が終わりを告げた事は、大きな衝撃を与える事だと思われます。
シホールアンル帝国に翻意を現させるためにも、我々は、このレーフェイル大陸で、平和の尊さを伝えなければなりません。その為に、我々は
訪れた平和を噛み締め、国を再び良くする努力をしていくべきであると、私は思います。」
マッカーサーはそう言い終えると、スピーチ原稿を折り畳んだ。
「この大陸に訪れた平和が、末永く続かん事を、私は心の底から願います。今までに起きてきた、計り知れぬ悲劇を……そして、過ちを
繰り返さぬように、各国が努力を重ねる事を、強く願います。最後になりますが………この戦争で散った、連合国、マオンド共和国、
双方の戦没者の冥福を祈りつつ、私の言葉を終えたいと思います。」
マッカーサーはマイクから離れると、一礼してからすぐ後ろの列に下がっていった。
ヘランシルヴェ沖に展開した第72任務部隊所属の艦載機隊と、B-29爆撃機の祝賀飛行が行われた後、調印式は終わりを告げ、マオンド側代表団は、
黙して語らぬまま、ウィスコンシンから退艦した。
その後、ウィスコンシンの艦内では終戦祝賀会が開かれ、マッカーサーを始めとする連合国代表は、ようやく訪れた平和を噛み締めながら、パーティーを楽しんだ。
ニュートンは、外の風に当たるため、ウィスコンシンの左舷側甲板に上がった。
そのまま、彼は、ゆったりとした足取りで舷策によりかかり、リラックスした様子で腕時計を見る。
時間は午後1時を過ぎている。彼はそのまま、ヘランシルヴェ港内を見回す。
ヘランシルヴェ港は、10日より入港したアメリカ海軍の艦船でほぼ埋め尽くされている。
無数の艦船の中には、トハスタのゾンビ迎撃戦に参加した戦艦ミシシッピーとテキサス、ニューヨーク。
そして、修理の成ったニューメキシコとアイダホも居る。
ニュートンは、深いため息を吐きながら、ぼんやりとした表情で前方を見続ける。
彼の脳裏に、大西洋艦隊司令長官に抜擢されてから経験した、様々な記憶が蘇る。
「どうしたニュートン。中のパーティーはもうお開きかね?」
不意に、後ろから声が掛かった。
ニュートンは、声が聞こえた方向に顔を向ける。
「やあフィッチ。」
ニュートンは、顔に微笑を浮かべながら答える。
「中のパーティーはまだ続いているよ。私はちょいとばかり、外の空気に当たりたくなってね。」
「そうか。」
フィッチは頷いてから、ニュートンと同様に、舷策に寄りかかった。
「調印式も無事に終わり、ようやく、この大陸での戦争も終わりとなったな。」
フィッチがニュートンに言う。
「ああ。なんとかね。」
「開戦から早3年か。まさか、一介の任務部隊指揮官だったこの俺が、ハルゼーやスプルーアンスのように、大艦隊を率いて戦うとは、
開戦時は予想だにしていなかったな。」
「俺も同じ思いだよ。」
ニュートンが苦笑する。
「こんな平凡な奴が、気が付けば大西洋艦隊司令長官だ。キング作戦部長から直接告げられた時は、思わず、天地がひっくり返ったと
ばかりに驚いてしまったなぁ。就任当初は不安で仕方が無かったよ。」
「だが、なんとかこなす事が出来たな。」
「ああ。努力の甲斐はあったよ。」
ニュートンは満足そうに頷く。
「なあフィッチ。今回の大西洋戦線で、俺は、あの部隊が居てくれたお陰で、この大西洋の海空戦を勝ち抜けてきたと思う。」
「ん?どの部隊だ?」
「ジョンブル戦隊さ。」
ニュートンは邪気の無い笑顔を浮かべながら、フィッチに答える。
「サマービル提督のイギリス艦隊は、不運な事に、合衆国共々この世界に召喚されてしまった。彼らにとって、あの転移は地獄に付き落とされた
も同然の出来事だっただろう。だが……もし、彼らの部隊が居なかったら……そして、ジョンブル戦隊が、この大西洋戦線で獅子奮迅の働きぶりを
見せていなかったら……もしかしたら、俺達は、この時期に、こうして暢気に喋る事は出来なかったかもしれない。」
サマービル提督が指揮していた戦艦2隻、空母2隻を主力とするイギリス艦隊は、アメリカ海軍に編入となった後、この大西洋の戦いで重要な
役割を果たしてきた。
開戦からまだ間もない42年6月に、レーフェイル大陸への奇襲攻撃を計画出来たのは、イギリス艦隊が加わったからこそ出来た物であり、
もし、その艦隊が居なければ、大西洋艦隊は早期に行動を起こす事は出来なかったであろう。
そして、昨年暮れから今年にかけて編成された大西洋艦隊の主力、第7艦隊の戦力増にも、サマービル提督の艦隊は十二分に貢献し、スィンク諸島沖海戦、
モンメロ沖海戦、マオンド本土攻防戦といった数々の大作戦に参加し、最後にはソドルゲルグの秘密魔法研究所を粉砕すると言う大殊勲をあげ、この戦争の
幕引きを早める役割も果たした。
大局的に見て、戦艦2隻、空母2隻を主力とするイギリス艦隊は、余り規模の大きい艦隊とは言えなかったが、もし、サマービル提督の艦隊が居なければ、
大西洋戦線の様相は大きく変わっていた事は、誰が考えても、容易に想像が付く。
「ふむ……確かに、ニュートンの言う通りだ。7艦隊は、エセックス級空母やアイオワ級戦艦も有していたが、戦力が太平洋戦線に集中する現状では、
サマービル提督のプリンス・オブ・ウェールズやレナウン、イラストリアスやハーミズの存在は、非常に侮り難い物があった。サマービル提督は黙して
語らなかったが……彼らが居なければ、モンメロ沖やソドルゲルグで、苦労する事になっただろうな。」
「そうだな………ロイヤルネイビーの精神は、転移後も健在だったと言う訳だな。」
フィッチは頷きながら、イラストリアス艦上で指揮を取っているサマービルの横顔を思い出す。
ソドルゲルグ砲撃戦で損傷した旗艦プリンス・オブ・ウェールズは、僚艦レナウンと共にアメリカ本国に回航されている。
第72任務部隊の新たな旗艦にはイラストリアスが定められ、サマービルはそこで指揮を執り続けている。
「サマービル提督は、今もイラストリアスに居るよ。」
「そうか……昔から前線が好きだったようだからな。サマービル提督は。」
「ニュートン。そう言えば、今回の降伏文書調印式だが、何やら、式の開催前に色々と騒動があったようだな。私はその事に関しては何も知らないのだが、
君は何か聞いていないか?」
「そこの所は、マッカーサー閣下から聞いている。なんでも、レーフェイル大陸各国は、今日行われた調印式には誰も参加したくないと言っていたようだ。」
「なんと……それは本当か!?」
ニュートンが明かした意外な事実の前に、フィッチは驚きの声を上げてしまった。
「本当だ。各国上層部の意見によると、この戦争で真の勝利を得たのはアメリカであり、我々は、自力でマオンド軍の攻勢を撥ね退ける事も
出来なかった。故に、マオンドは敗れたとはいえ、そのマオンドに敗れた敗残国が、そのような厳粛な式に出席する資格は無い、と。」
「敗残国だと?確かにアメリカ合衆国はかなりの規模の援助を行ったが、一応はヘルベスタンもルークアンドも、それにレンベルリカも兵を挙げて
マオンド撃退に貢献したじゃないか。これは、立派な勝利と言っていい。」
「俺もそう思ったんだが、かの国の首脳部はそう考えていないらしい。一応、国土は回復したが、マオンドに負け、国を蹂躙されたのは事実であり、
“勝者の儀式”に参加する資格は無い。恐らくは、そう考えていたんだろう。」
「そうなのか……では、マッカーサー閣下はどうやって、各国に出席を決意させたんだ?」
「マッカーサー閣下曰く、彼らには第3者的な立場で出席すれば良いと話したそうだ。」
「第3者だと?」
「ああ。」
ニュートンは軽く頷く。
「あの降伏文書は、3枚の紙で構成されている。1枚目は、戦勝国側と敗戦国側が書く。2枚目は戦勝国が欄に署名する。本来ならば、
用意する文書はこの2枚だけだった。だが、マッカーサー閣下は各国に代表の参加を決意させた後、予定にはなかった3枚目を用意させた。」
「予定には無かった3枚目か……その3枚目は、一体どのような内容だったんだ?」
「3枚目は、アメリカ合衆国がマオンド共和国にヴィルフレイング宣言を承諾させ、停戦を行なわせる事に同意する署名だ。レーフェイル大陸各国は、
自らは敗者で無いが、真の勝者でもなく、“勝者の儀式”であるこの式に参加するのを躊躇っていた。恐らく、各国の上層部には、再び強大になった
マオンドが、勝者でもないのにぬけぬけと、勝ち誇ったように降伏文書にサインする事を恨むのではないか?と考える物が多かったのだろう。式典参加を
最初、拒否したのも、その現れだったかもしれない。だが、そこで、マッカーサー閣下は妙案を出した。『では、我が国と、マオンドと結んだ講和に
賛成するという形で、式典に出られてはどうか?』と。要するに、勝者と敗者の関係で出るのではなく、この戦争が、このような内容で終結する事を認め、
式典の様子を見守る形で出ると言う事だ。そして、その為に用意されたのが、3枚目の同意書だ。」
「なるほど……負けても居ないが、勝っても居ないと考える彼らから見れば、マッカーサー閣下の案は魅力的だな。」
「その通り。マッカーサー閣下の案に応じた各国は、こうして、今日の式典に参加し、勝者の儀式である調印式は、勝者である我が合衆国と、敗者である
マオンド共和国が、参加国であるレーフェイル大陸各国の代表団に“見守られる形”で開始され、そして、無事に幕を閉じた、と言う訳だ。」
「ほほう……マッカーサー閣下も、大した演出家だなぁ。」
「本当に、大した人だよ。」
「とにもかくも、大西洋の戦いは、これで終わった。あとは……太平洋だな。」
フィッチが、ニュートンに向かってそう言う。
「その太平洋戦線だが、今月に計画されたレスタン進行作戦が延期になったお陰で、今も膠着状態にあるらしい。」
「確か、北大陸では天候が優れない日が多いと聞いていたが、それが影響しているのか?」
「そうらしいな。」
ニュートンが頷く。
「作戦計画では、空挺部隊の大規模投入も交えながら、レスタン各地のシホールアンル軍を叩く予定だった。そのために、冬季装備も充分に備えられて
いたのだが、作戦の要となる空挺部隊が、天候不順で出撃出来なくなったのと、先月中旬から下旬に行われた、シホールアンル軍の攻勢の影響によって
生じた陸軍部隊の損害の補充がまだ追いついていないため、12月中の作戦実行は不可能となったらしい。」
「ふむ……話には聞いていたが、やはり延期になったか。それで、作戦はいつ頃に開始される予定だ?」
「私も詳しくはわからん。そもそも、統合参謀本部でも、作戦の開始時期について色々揉めているらしい。マーシャル将軍は、レーフェイル大陸から
1個軍を引き抜き、それが北大陸戦線に展開できる3月に作戦を実行すべきと言っているらしく、逆に、レーヒ提督は、天候が回復すると思われる1月に、
作戦を実行しては?と話し合っているようだが……今の所は、1月に作戦を実行する、という流れが、統合参謀本部のみならず、北大陸派遣軍や南大陸
連合各国の軍上層部でも出来つつあるようだ。」
「1月に作戦開始か……ニュートン、レスタン進行作戦では、エルネイル上陸作戦以来の大掛かりな物になると聞いていたが。」
「ああ、相当な規模だぞ。」
ニュートンが頷きなが答える。
「何しろ、空挺部隊も再度、フル投入だからな。それだけに留まらず、海兵隊も第1から第6まで、計6個師団を投入すると言われている。」
「陸軍も、パットン将軍の第3軍を始めとした部隊が準備を進めているようだが……1945年は、年明け早々、騒がしくなるな。」
「言えてる。」
フィッチの言葉を聞いたニュートンは、苦笑しながら頷く。
「その騒がしくなる太平洋戦線から、俺の司令部にキング作戦部長を通して要請が入った。」
「要請だと?」
フィッチは怪訝な表情を浮かべながら、ニュートンに問い質す。
「まさか、大西洋艦隊の戦力を回してくれ、とでも言って来たのか?」
「ご名答。」
ニュートンはやれやれと言わんばかりに答える。
「使える空母と戦艦を2隻ずつ、アトランタ級防空巡洋艦を始めとする12隻の補助艦艇を回して欲しいと言って来た。」
「むむ……何か、以前にも似たような事があったな。」
「あの時と同じさ。」
ニュートンはそう言った後、大袈裟に肩を竦めた。
「ハルゼーのみならず、スプルーアンスまでもが、俺の艦隊から戦力を寄越せと言って来たか。全く、太平洋艦隊には
ごうつくばりな連中しかおらんのか……」
「まぁ、でも、この戦域に、もはや大兵力を張り付ける必要は無くなったからな。」
「……ふむ、確かにそうだ。マオンドは、我が国と停戦したからな。」
「という事で、悪いが、君の艦隊から使える艦を引き抜かなければならない。どの艦がいいかは君が選んでくれ。」
「いいだろう。それで、いつまでにリストを渡せば良い?」
「遅くてもクリスマスまでには出してくれ。」
「では、そのように善処いたします、長官。」
フィッチは、おどけた口調でニュートンにそう答え、敬礼を送った。
「頼むよ、ミスターフィッチ。」
ニュートンも気さくな笑みを浮かべながら、フィッチに返した。
「さて、そろそろ、中に戻るとするよ。」
「大西洋艦隊司令長官も大変だな。」
「ああ、全くだよ。俺は大して何もしていないのに、連合国の将軍達は、ひっきりなしにマオンド海軍を葬った英雄と褒め立てて来る。
本当にマオンド海軍と戦ったのは、君たちなのに、何だか悪い気がするよ。」
「いやいや、君はこの戦域で、俺達が働きやすいように、あらゆる手を尽くしてくれた。モンメロ沖海戦では、虎の子の空母を1隻増援で
寄越して貰ったのみならず、歴戦艦のエンタープライズまでもぎ取ってくれたからな。あれには本当、感謝している。君の立派な働きぶりは、
英雄と呼ばれるに相応しい物だ。気を落とさずに胸を張って行けば良いさ。」
「ハハ、そう言ってくれると嬉しいよ。では、また後で。」
ニュートンはそう言うと、フィッチを軽く握手を交わしてから、艦内に戻って行った。
フィッチはその後ろ姿を見送った後、そのままウィスコンシンの後部甲板に向かって歩き始めた。
「……さっきは、戦域という言葉が口から出たが、今思えば、ここはもう、戦場では無いのだな。」
彼は顔を上げ、心地よく広がった冬の青空を見据える。
ほんの少し前まで、アメリカ、マオンド両軍の航空部隊によって激戦が繰り広げられた空は、平和が戻ってきた事を祝っているかのように、
晴れ晴れとした青空を広げている。
上空には、もはや大編隊を組んで敵地に向かう艦載機も無く、空一杯に咲いた対空砲火の黒煙も見る事は無い。
「ひとまずは、戦争と言う物は、この大陸に関しては終わりを告げた……後は、この国が良い国になるように、我が国は各国と共同して、
知恵を振り絞って、育てなくちゃいかんだろうな。」
フィッチはそう独語してから、顔を前方に向けた。
港には、海鳥達が鳴き声を挙げながら、あちこちを飛び回っている。
青空の下を、自由に飛び回る海鳥の姿は、平和の到来を如実に感じさせたのであった。
1484年12月19日 ヴィルフレイング宣言を受諾したマオンド共和国は、戦艦ウィスコンシン艦上でレーフェイル各国代表に見守られる中、
降伏文書にサインした。
ブイーレ王の決断から10年余りが経ち、アメリカの参戦によって、マオンド本国が分裂すると言う事態に至ったレーフェイル大陸戦争
(アメリカ名大西洋戦争)は、ここに終結したのである。
太平洋方面での戦火が途絶えぬまま、レーフェイル大陸は、一足先に平和を取り戻し、住民達は、復興に勤しむ中、再び訪れた平和を謳歌し始めていた。
後に、マオンド共和国では、先のレーフェイル大陸戦争で行われた数々の戦争犯罪が公にされ、国民の多くは、残虐行為をひた隠しにした
共和国上層部に怒りを覚えた。
2年後に開かれるクリンジェ軍事裁判では、陸海軍の要人や、ナルファトス教教会の要人や貴族関係者が多数起訴され、多くが裁かれる事になるが、
それはまだ、遠い未来の話である。
1484年(1944年)12月19日 午前7時 マオンド共和国ヘランシルヴェ
マオンド共和国外務大臣フェバラシュ・ケジャンスタは、クリンジェより西に15ゼルド(45キロ)離れた港町ヘランシルヴェの宿屋から、
港の沖合を眺めていた。
「……あれが、異界からやって来た国の軍艦か……」
今年62歳になるケジャンスタは、年相応に伸ばした長い顎鬚をさすりながら、半ば呆然とした口調で呟いた。
ヘランシルヴェは、首都クリンジェに最も近い港町だけあって人口が多く、今は40万の住民がヘランシルヴェで暮らしている。
港の規模も、マオンド国内では第3位の規模を誇る程で、アメリカ海軍の制海権を握られる前には、ヘランシルヴェにも巡洋艦を始めとする艦隊や、
多数の小型艦艇も港内に停泊していた。
ヘランシルヴェは、今年9月にアメリカ機動部隊の空襲を受け、港内に居た少なからぬ数の艦船や港湾施設に大損害を被ったが、
奇跡的に港の機能は生きており、戦争中も細々と、民間船が他の領地から運んで来た品物を荷揚げしていた。
共和国の経済成長の礎にもなったこの港町に、異国の海軍……アメリカ大西洋艦隊の主力部隊である、第7艦隊がやって来たのは、停戦から
7日ほど経った12月9日の事である。
ヘランシルヴェの住民達は、自国を敗戦にへと追いやった艦隊を畏怖の目で見つめた。
「凄い数の船だな……大型艦の数はともかく、輸送船の数も凄い。これじゃ、わがマオンドは勝てる訳がないな。」
ケジャンスタは自嘲気味に呟く。
ヘランシルヴェでは、10日からアメリカ軍の上陸部隊が(後方から第28軍の一部が占領軍として輸送船で送られてきた)港湾地区から上陸している。
町の住民達は、沖合に陣取った艦隊に驚き、そして、その艦隊が吐き出してきた異形の軍隊を見て再び驚く羽目になった。
アメリカ軍上陸部隊は、マオンド正規軍にはないジープやハーフトラック、戦車等を瞬く間に揚陸し、ヘランシルヴェ市内に展開していった。
マオンド共和国上層部が停戦を発表した当初から、突然の停戦に納得がいかなかった町の住民達も、洋上の大艦隊や、輸送船から荷揚げされたアメリカ軍
部隊の兵器の数々を見、何故マオンドが敗戦を喫したのかが理解できた。
「アメリカ陸軍の兵器も凄いが……やはり、あそこに居る船……アイオワ級という大型艦も凄い物だ。あそこからここまで、かなり離れているに
もかかわらず、言い知れぬ威圧感を感じる……」
ケジャンスタは、洋上に停泊する一隻のアイオワ級戦艦を畏敬の念で見つめた。
彼は、今年の5月にグラーズレット沖で行われた観艦式に、インリク王と共に参加し、自国の艦隊も素晴らしいと感じる事が出来た。
特に、新鋭戦艦であるリグランバグル級戦艦が4隻揃って航行している姿は、見ているだけでアメリカ艦隊何するものぞ、という思いが湧き起こったほどだ。
あの観艦式で見た新鋭戦艦4隻は、全てがモンメロ沖海戦で撃沈されている。
モンメロ沖海戦では、米戦艦部隊はマオンド側の攻撃に激しく応戦し、中でも、敵が保有しているアイオワ級戦艦は、リグランバグル級戦艦の攻撃を
物ともせず、逆に圧倒したと言う話を、彼は海軍のトレスバグト元帥から聞いていた。
その憎き敵であったアイオワ級戦艦は、今、彼の目の前に居る。
「あの艦……ウィスコンシンが、今日行われる調印式の会場か。確かに、ナルファトス教団過激派の襲撃を防ぐには、もって来いの場所であるな。」
唐突に、部屋のドアが外側からノックされた。
「失礼いたします。」
くぐもったような声が聞こえてから、ドアが開かれた。
「大臣、おはようございます。」
「おはよう。もう既に準備は出来ているぞ。」
ケジャンスタは、付き添いの書記官にそう言い放った。
「そろそろかね?」
「はい。」
書記官が頷くのを見たケジャンスタは、窓を閉めて、ベッドの上に置いてあった帽子を手に取った。
「では、行くとするかね。」
ケジャンスタは、両肩に圧し掛かった重圧を和らげるように、陽気な口調で独語した。
20分後、ケジャンスタは、同行するトレスバグト元帥らと共に、桟橋で迎えの船が来るのを待っていた。
「迎えがやって来ましたね。」
ケジャンスタの左隣にいるトレスバグトは、桟橋に向かって来る1隻の小舟を指差す。
迎えと思しき小型艇は、リズミカルな発動機の音を立てながら、彼らが待っている桟橋の側にゆるやかな動作で接舷した。
小型艇の指揮官と思しき人物が甲板に上がり、直立不動の態勢で敬礼を送る。
ケジャンスタも背筋を伸ばし、トレスバグトとガンサルら軍人達も、一斉に右手を握り、拳を右のこめかみに当てて、
立派なマオンド式の敬礼を返す。
「お待たせしました。私は案内役を仰せつかりました、ウェイド・ミラー大尉であります。」
「私は全権委任団の責任者を務めます、フェバラシュ・ケジャンスタと申します。道中の案内、頼みます。」
「承知いたしました。それでは、どうぞこちらへ。」
ケジャンスタら一行は、ミラー大尉らの手を借りながら内火艇の甲板に乗り移った。
全員が乗った事を確認したミラー大尉は、内火艇の艇長に出発を命じた。
内火艇は、ゆっくりと後進し、桟橋を離れると、向きを変えて調印式の会場へ向かった。
船の速力は、マオンド側全権団の安全を意識してか、あまり早くは出さなかった。
それでも、冬の寒風は全権団の体に鋭く突き刺さった。
「あれが……調印式の会場か……」
ケジャンスタは、左隣のトレスバグトが小声で呟くのを聞いた。
「うむ。あそこが、我がマオンドの終着点……そして、出発点となる場所だ。」
「終着点……そして、出発点ですか。言い得て妙ですな。」
トレスバグトは苦笑しながら、ケジャンスタに言った。
調印式会場となる戦艦ウィスコンシンは、さほど離れていない沖合に停泊しているため、桟橋から離れて約10分足らずで、その巨体を
間近で見渡せる位置まで近付く事が出来た。
「それにしても、でかい船だなぁ……トレスバグト提督。海軍の専門家として、あのアイオワ級戦艦はどう見えるかね?」
「は……ただ外見を見ただけなので詳しい事は言えませんが。ただ、とにかく凄い戦艦である事はわかります。大きさも、我が国が誇った
最新鋭戦艦リグランバグル級よりもありますし、何よりも……」
トレスバグトは、ウィスコンシンの前部部分を注視する。
「あの主砲は、明らかに、リグランバグル級戦艦が積んでいた物よりも大きい。私は、リグランバグル級に乗って、中を見ましたが、
当時はリグランバグル級の異様に圧倒されました。ですが……あの戦艦は、外見を見ただけでも、あの時感じた衝撃を凌駕しています。
そして、こう思いましたよ。」
トレスバグトは、顔を俯かせた。
「あんな戦艦と戦わせたら、負けて当然だ、とね。」
「それは……幾ら何でも、大袈裟過ぎではないのかね?」
話を聞いていたガンサルが咎める。
「そこの所は重々承知しておるよ。だが……あれは、大袈裟過ぎる表現を用いても充分だ。いや、実際に、あの艦と砲火を交えた戦艦部隊の
乗員にとっては、それでも不十分かもしれないな……何しろ、あの巨大な艦載砲の威力を、撃沈された艦と共に散った将兵達は直に体験したの
だからね。」
「その巨大戦艦の艦上で調印式か……アメリカ側も、敗者には相当厳しい仕打ちをする者だな。」
ガンサルは、複雑な表情を浮かべながらトレスバグトに言う。
「アメリカ人達がそう考えたかどうかまでは、私には分からんが。」
ケジャンスタが口を開く。
「あちらはあちらの考えがあって、この艦を会場に選んだのだろう。我々は、アメリカ人達の指示に従うと約束したのだ。今は、
その結果にあれこれ言っても仕方がないだろう。いずれにせよ、私は言われたままに、務めを果たすだけだ。」
ケジャンスタは頷きながら、そう言い放つ。
5分後。彼らを乗せた内火艇は、戦艦ウィスコンシンの左舷艦首甲板側に接舷した。
「到着いたしました。どうぞ、こちらへ。」
ミラー大尉が、海面すれすれにまで下げられた階段の方に手を差し伸べる。
頷いたケジャンスタは、揺れる内火艇から階段に降り、ゆっくりと階段を上がって行く。
程なくして、彼は、ウィスコンシンの艦首甲板に上がった。
甲板の出入り口で出迎える水兵に一礼しつつ、ケジャンスタは甲板に足を踏み入れる。
「これは……」
ケジャンスタは、目の前に鎮座する巨大な17インチ砲塔に目を奪われた。
前部に2基配置された48口径3連装17インチ砲は、全ての砲身に仰角を掛けている。
「ふむ……間近で見ると、この戦艦の大砲がいかに凄いか分かるな……」
階段を上がって来たトレスバグトが、感嘆したような口調で言う。
「このような戦艦を、4隻も作り上げたアメリカの国力……俺達は、とんでもない国に喧嘩を売ってしまった物だ……」
「その喧嘩を終わらせる為に、我々はやって来たのだよ。」
ケジャンスタがトレスバグトに言う。
「さあ。ここからは堂々と、胸を張って行こう。」
「そうですな。」
ケジャンスタの言葉を聞いたトレスバグトは納得し、強張っていた頬を少しばかり緩ませた。
彼らは、ウィスコンシンの乗員に登舷礼で迎えられ、艦上に集まった多数のアメリカ軍将兵やマスコミ関係者の視線を浴びつつ、
甲板上に置かれた長い机に向かって歩いて行った。
レーフェイル派遣軍総司令官を務めるダグラス・マッカーサー元帥(12月7日に昇進)は、レーフェイル大陸各国の代表団と共に、
文書が置かれたマホガニー製のテーブルに近付くマオンド共和国代表団を見つめ続けていた。
「真ん中の文官らしき人物が、マオンド側の外務大臣のようですね。」
マッカーサーの隣に立っていた、コーデル・ハル国務長官が呟く。
「そのようです。」
マッカーサーの代わりに、大西洋艦隊司令長官のジョン・ニュートン大将が答える。
「その他にも、陸海軍の軍人らしき人物が7名ほどおりますな。」
ニュートンは、代表団の顔を1人1人見回しながら言う。
やがて、10人程のマオンド側代表団は、マホガニー製の机から、5メートル程離れた位置で止まった。
代表団の責任者と思しき、濃い紫色の服を着た文官が、ウィスコンシンの艦橋を、呆気にとられたかのような表情で見入っている。
ウィスコンシンの艦橋や、艦外の張り出し通路や主砲塔といった、艦の各所には、マオンド側代表団が乗艦する20分前まで、世紀の瞬間を
見届けようと考えた乗員達が鈴なりに並んで待っていたが、マッカーサーはニュートンに、
「乗員達の気持も分からないではないが、相手が機嫌を損ねないとも限らない。申し訳無いが、あの乗員達には、マオンド側代表団が退艦する
までの間、艦内に戻って貰うか、それが出来なければ正装で式に参加するか、いずれにせよ、どうにかできないだろうか。」
と申し述べた。
ニュートンはウィスコンシン艦長にマッカーサーの言葉を伝えた。
それからすぐ後に、気楽な格好で艦橋周辺に陣取っていた将兵達は、やれやれと言った表情を浮かべながら艦内に戻り、それから10分後には、
乗員が総出で正装に着替え、登舷礼でマオンド側代表団を出迎えた。
マッカーサーは、艦上が参加者達の喧騒で満たされているにもかかわらず、用意されたマイクの前に歩み寄る。
彼がマイクの前に立ったのを認めた参加者達は、一様に会話を止め、程なくして、ウィスコンシンの艦上は静寂で満たされた。
肌寒い冬風が、音を発して流れていくのを耳にしながら、マッカーサーはマイクに向かって喋りはじめた。
「お集まりいただいた連合国並びに、マオンド共和国代表団各位へ。これより、降伏文書調印式を始めます。」
マッカーサーの張りのある声音が、ウィスコンシン艦上に響き渡る。
彼は、短い一言を発した後、自らマホガニー製のテーブルの前にまで歩み寄った。
机の側に立っていた陸軍将校が、マオンド側代表団の責任者であるケジャンスタ外務大臣に視線を送り、机の向かい側に来るよう、
手を伸ばして案内する。
ケジャンスタは無言で椅子の側にまで歩み寄り、ゆっくりと腰掛けてから、胸元のポケットに入れていた羽ペンと、インクの
入った小さな壜を取り出す。
「こちらに、サインをお願いします。」
陸軍将校が、丁寧な仕草でケジャンスタが署名する場所を教える。頷いた彼は、無言で署名欄に自分の名前を書いた。
書き終えたケジャンスタは、将校に軽く一礼してから席を立ち、トレスバグト元帥の側に戻る。
ケジャンスタが戻った後はトレスバグト元帥が、その次に、陸軍最高司令官であるガンサル元帥が署名した。
ガンサル元帥の署名を最後に、マオンド側代表団の役目は半ば終わった。
陸軍将校がガンサルに一礼した後、顔をマッカーサーに向けた。
無言で頷いたマッカーサーは、まず、ハル国務長官顔を振り向ける。
連合国側の署名は、ハル国務長官を筆頭に、レーフェイル派遣軍兼アメリカ陸軍の代表としてマッカーサー、その次に海軍を
代表して、ニュートンが行った。
その後、レーフェイル大陸各国からやって来た代表たちが、文書にサインをしていく。
ヘルベスタン民主共和国軍司令官ゴルス・トンバル大将、ルークアンド共和国軍司令官フィド・エイゲル大将、レンベルリカ連邦共和国軍
総司令官レオトル・トルファー大将が、そして、エンテック民国や、新しく建国されたトハルケリ連邦と、クナリカ民公国(12月10日に
独立を宣言した)の代表も、厳粛な空気の中、持参したペンで用意された欄に署名を行った。
各国の代表団がサインを終え、列に戻ったのを確認したマッカーサーは、畳んでいたスピーチ原稿を再び広げ、マイクに向かって喋り始めた。
「たった今、交戦国全ての代表がサインを終えました。ここで、調印式は終わりになりますが、私の方から少しばかり、お話があります。」
マッカーサーは、一度だけ深呼吸をしてから、スピーチ原稿に書かれた内容を読み始めた。
「このレーフェイル大陸は、700年前の昔から今まで、戦乱続きであったと言われていました。特に、この100年間は戦争も激しさを増し、
多くの人が命を失い、財産を奪われ続けました。この戦火は、マオンド共和国先代王の政策によって、一度は収まりましたが、現王ブイーレ公
の命により、これまでに無かった程の激しい戦がレーフェイル大陸全土で繰り広げられ、マオンドによって大陸が統一された後も、各地で起きる
独立闘争や、それに伴う苛烈な弾圧、ナルファトス教と言われる宗教団体の過激な信仰の影響により、多くの血が流れ続けました。そんな中、
我々アメリカ合衆国はこの異世界に召喚され、自由と平和を脅かすマオンドと、シホールアンルを討つために立ち上がりました。」
マッカーサーは、マオンド側代表団にちらりと視線を向ける。
10人のマオンド側代表団は、誰1人表情を変える事無く、マッカーサーのスピーチを聞いていた。
彼は、尚も言葉を続ける。
「マオンド共和国と開戦して以来、我が合衆国は、マオンド共和国と幾度も戦火を交えました。やがて、我が国は、このレーフェイル大陸解放の
足掛かりを得、遂にはレーフェイル大陸本土に上陸する事が出来、マオンド共和国の制圧下にあった、ヘルベスタン、ルークアンド、エンテック、
レンベルリカを解放するに至り、最終的には、今日のような日を迎える事が出来ました。この10年間の中で、連合国各国とマオンド共和国は、
双方に深い傷を残しました。ある日、突如侵攻して来た軍隊に町を制圧され、罪の無い子供が拉致されたり、平和に暮らしていた筈の民族が、
宗教団体の気紛れで殲滅されると言う事が、ほんの少し前までは頻繁に繰り返されていました。しかし、そのような日々は、もう、終わりを
告げました。我がアメリカ合衆国は、突如現れた新参の身でありながらも、各国と協力して、この大陸に覆っていた闇を、ほぼ取り除く事が
出来ました。しかし、その闇は、完全に取り払われた訳ではありません。この大陸に恐怖をもたらした張本人達は、今も尚健在です。しかし、
我々連合国は、この者達に対して、自らの犯した罪を償わせるため、必ず、相応の責任を取らせます。それが成し遂げられた時、レーフェイル大陸は、
真の平和を取り戻す事でしょう。」
マッカーサーは一旦言葉を止め、乾いた唇を舐めてから続きを言う。
「ベルリイク大陸を構成する北大陸では、今も尚、戦闘が続いています。ですが、その戦闘も、そう遠くない未来に終わりを告げるでしょう。
我が合衆国も含む連合国と交戦するシホールアンル帝国にとって、この大陸で戦火が終わりを告げた事は、大きな衝撃を与える事だと思われます。
シホールアンル帝国に翻意を現させるためにも、我々は、このレーフェイル大陸で、平和の尊さを伝えなければなりません。その為に、我々は
訪れた平和を噛み締め、国を再び良くする努力をしていくべきであると、私は思います。」
マッカーサーはそう言い終えると、スピーチ原稿を折り畳んだ。
「この大陸に訪れた平和が、末永く続かん事を、私は心の底から願います。今までに起きてきた、計り知れぬ悲劇を……そして、過ちを
繰り返さぬように、各国が努力を重ねる事を、強く願います。最後になりますが………この戦争で散った、連合国、マオンド共和国、
双方の戦没者の冥福を祈りつつ、私の言葉を終えたいと思います。」
マッカーサーはマイクから離れると、一礼してからすぐ後ろの列に下がっていった。
ヘランシルヴェ沖に展開した第72任務部隊所属の艦載機隊と、B-29爆撃機の祝賀飛行が行われた後、調印式は終わりを告げ、マオンド側代表団は、
黙して語らぬまま、ウィスコンシンから退艦した。
その後、ウィスコンシンの艦内では終戦祝賀会が開かれ、マッカーサーを始めとする連合国代表は、ようやく訪れた平和を噛み締めながら、パーティーを楽しんだ。
ニュートンは、外の風に当たるため、ウィスコンシンの左舷側甲板に上がった。
そのまま、彼は、ゆったりとした足取りで舷策によりかかり、リラックスした様子で腕時計を見る。
時間は午後1時を過ぎている。彼はそのまま、ヘランシルヴェ港内を見回す。
ヘランシルヴェ港は、10日より入港したアメリカ海軍の艦船でほぼ埋め尽くされている。
無数の艦船の中には、トハスタのゾンビ迎撃戦に参加した戦艦ミシシッピーとテキサス、ニューヨーク。
そして、修理の成ったニューメキシコとアイダホも居る。
ニュートンは、深いため息を吐きながら、ぼんやりとした表情で前方を見続ける。
彼の脳裏に、大西洋艦隊司令長官に抜擢されてから経験した、様々な記憶が蘇る。
「どうしたニュートン。中のパーティーはもうお開きかね?」
不意に、後ろから声が掛かった。
ニュートンは、声が聞こえた方向に顔を向ける。
「やあフィッチ。」
ニュートンは、顔に微笑を浮かべながら答える。
「中のパーティーはまだ続いているよ。私はちょいとばかり、外の空気に当たりたくなってね。」
「そうか。」
フィッチは頷いてから、ニュートンと同様に、舷策に寄りかかった。
「調印式も無事に終わり、ようやく、この大陸での戦争も終わりとなったな。」
フィッチがニュートンに言う。
「ああ。なんとかね。」
「開戦から早3年か。まさか、一介の任務部隊指揮官だったこの俺が、ハルゼーやスプルーアンスのように、大艦隊を率いて戦うとは、
開戦時は予想だにしていなかったな。」
「俺も同じ思いだよ。」
ニュートンが苦笑する。
「こんな平凡な奴が、気が付けば大西洋艦隊司令長官だ。キング作戦部長から直接告げられた時は、思わず、天地がひっくり返ったと
ばかりに驚いてしまったなぁ。就任当初は不安で仕方が無かったよ。」
「だが、なんとかこなす事が出来たな。」
「ああ。努力の甲斐はあったよ。」
ニュートンは満足そうに頷く。
「なあフィッチ。今回の大西洋戦線で、俺は、あの部隊が居てくれたお陰で、この大西洋の海空戦を勝ち抜けてきたと思う。」
「ん?どの部隊だ?」
「ジョンブル戦隊さ。」
ニュートンは邪気の無い笑顔を浮かべながら、フィッチに答える。
「サマービル提督のイギリス艦隊は、不運な事に、合衆国共々この世界に召喚されてしまった。彼らにとって、あの転移は地獄に付き落とされた
も同然の出来事だっただろう。だが……もし、彼らの部隊が居なかったら……そして、ジョンブル戦隊が、この大西洋戦線で獅子奮迅の働きぶりを
見せていなかったら……もしかしたら、俺達は、この時期に、こうして暢気に喋る事は出来なかったかもしれない。」
サマービル提督が指揮していた戦艦2隻、空母2隻を主力とするイギリス艦隊は、アメリカ海軍に編入となった後、この大西洋の戦いで重要な
役割を果たしてきた。
開戦からまだ間もない42年6月に、レーフェイル大陸への奇襲攻撃を計画出来たのは、イギリス艦隊が加わったからこそ出来た物であり、
もし、その艦隊が居なければ、大西洋艦隊は早期に行動を起こす事は出来なかったであろう。
そして、昨年暮れから今年にかけて編成された大西洋艦隊の主力、第7艦隊の戦力増にも、サマービル提督の艦隊は十二分に貢献し、スィンク諸島沖海戦、
モンメロ沖海戦、マオンド本土攻防戦といった数々の大作戦に参加し、最後にはソドルゲルグの秘密魔法研究所を粉砕すると言う大殊勲をあげ、この戦争の
幕引きを早める役割も果たした。
大局的に見て、戦艦2隻、空母2隻を主力とするイギリス艦隊は、余り規模の大きい艦隊とは言えなかったが、もし、サマービル提督の艦隊が居なければ、
大西洋戦線の様相は大きく変わっていた事は、誰が考えても、容易に想像が付く。
「ふむ……確かに、ニュートンの言う通りだ。7艦隊は、エセックス級空母やアイオワ級戦艦も有していたが、戦力が太平洋戦線に集中する現状では、
サマービル提督のプリンス・オブ・ウェールズやレナウン、イラストリアスやハーミズの存在は、非常に侮り難い物があった。サマービル提督は黙して
語らなかったが……彼らが居なければ、モンメロ沖やソドルゲルグで、苦労する事になっただろうな。」
「そうだな………ロイヤルネイビーの精神は、転移後も健在だったと言う訳だな。」
フィッチは頷きながら、イラストリアス艦上で指揮を取っているサマービルの横顔を思い出す。
ソドルゲルグ砲撃戦で損傷した旗艦プリンス・オブ・ウェールズは、僚艦レナウンと共にアメリカ本国に回航されている。
第72任務部隊の新たな旗艦にはイラストリアスが定められ、サマービルはそこで指揮を執り続けている。
「サマービル提督は、今もイラストリアスに居るよ。」
「そうか……昔から前線が好きだったようだからな。サマービル提督は。」
「ニュートン。そう言えば、今回の降伏文書調印式だが、何やら、式の開催前に色々と騒動があったようだな。私はその事に関しては何も知らないのだが、
君は何か聞いていないか?」
「そこの所は、マッカーサー閣下から聞いている。なんでも、レーフェイル大陸各国は、今日行われた調印式には誰も参加したくないと言っていたようだ。」
「なんと……それは本当か!?」
ニュートンが明かした意外な事実の前に、フィッチは驚きの声を上げてしまった。
「本当だ。各国上層部の意見によると、この戦争で真の勝利を得たのはアメリカであり、我々は、自力でマオンド軍の攻勢を撥ね退ける事も
出来なかった。故に、マオンドは敗れたとはいえ、そのマオンドに敗れた敗残国が、そのような厳粛な式に出席する資格は無い、と。」
「敗残国だと?確かにアメリカ合衆国はかなりの規模の援助を行ったが、一応はヘルベスタンもルークアンドも、それにレンベルリカも兵を挙げて
マオンド撃退に貢献したじゃないか。これは、立派な勝利と言っていい。」
「俺もそう思ったんだが、かの国の首脳部はそう考えていないらしい。一応、国土は回復したが、マオンドに負け、国を蹂躙されたのは事実であり、
“勝者の儀式”に参加する資格は無い。恐らくは、そう考えていたんだろう。」
「そうなのか……では、マッカーサー閣下はどうやって、各国に出席を決意させたんだ?」
「マッカーサー閣下曰く、彼らには第3者的な立場で出席すれば良いと話したそうだ。」
「第3者だと?」
「ああ。」
ニュートンは軽く頷く。
「あの降伏文書は、3枚の紙で構成されている。1枚目は、戦勝国側と敗戦国側が書く。2枚目は戦勝国が欄に署名する。本来ならば、
用意する文書はこの2枚だけだった。だが、マッカーサー閣下は各国に代表の参加を決意させた後、予定にはなかった3枚目を用意させた。」
「予定には無かった3枚目か……その3枚目は、一体どのような内容だったんだ?」
「3枚目は、アメリカ合衆国がマオンド共和国にヴィルフレイング宣言を承諾させ、停戦を行なわせる事に同意する署名だ。レーフェイル大陸各国は、
自らは敗者で無いが、真の勝者でもなく、“勝者の儀式”であるこの式に参加するのを躊躇っていた。恐らく、各国の上層部には、再び強大になった
マオンドが、勝者でもないのにぬけぬけと、勝ち誇ったように降伏文書にサインする事を恨むのではないか?と考える物が多かったのだろう。式典参加を
最初、拒否したのも、その現れだったかもしれない。だが、そこで、マッカーサー閣下は妙案を出した。『では、我が国と、マオンドと結んだ講和に
賛成するという形で、式典に出られてはどうか?』と。要するに、勝者と敗者の関係で出るのではなく、この戦争が、このような内容で終結する事を認め、
式典の様子を見守る形で出ると言う事だ。そして、その為に用意されたのが、3枚目の同意書だ。」
「なるほど……負けても居ないが、勝っても居ないと考える彼らから見れば、マッカーサー閣下の案は魅力的だな。」
「その通り。マッカーサー閣下の案に応じた各国は、こうして、今日の式典に参加し、勝者の儀式である調印式は、勝者である我が合衆国と、敗者である
マオンド共和国が、参加国であるレーフェイル大陸各国の代表団に“見守られる形”で開始され、そして、無事に幕を閉じた、と言う訳だ。」
「ほほう……マッカーサー閣下も、大した演出家だなぁ。」
「本当に、大した人だよ。」
「とにもかくも、大西洋の戦いは、これで終わった。あとは……太平洋だな。」
フィッチが、ニュートンに向かってそう言う。
「その太平洋戦線だが、今月に計画されたレスタン進行作戦が延期になったお陰で、今も膠着状態にあるらしい。」
「確か、北大陸では天候が優れない日が多いと聞いていたが、それが影響しているのか?」
「そうらしいな。」
ニュートンが頷く。
「作戦計画では、空挺部隊の大規模投入も交えながら、レスタン各地のシホールアンル軍を叩く予定だった。そのために、冬季装備も充分に備えられて
いたのだが、作戦の要となる空挺部隊が、天候不順で出撃出来なくなったのと、先月中旬から下旬に行われた、シホールアンル軍の攻勢の影響によって
生じた陸軍部隊の損害の補充がまだ追いついていないため、12月中の作戦実行は不可能となったらしい。」
「ふむ……話には聞いていたが、やはり延期になったか。それで、作戦はいつ頃に開始される予定だ?」
「私も詳しくはわからん。そもそも、統合参謀本部でも、作戦の開始時期について色々揉めているらしい。マーシャル将軍は、レーフェイル大陸から
1個軍を引き抜き、それが北大陸戦線に展開できる3月に作戦を実行すべきと言っているらしく、逆に、レーヒ提督は、天候が回復すると思われる1月に、
作戦を実行しては?と話し合っているようだが……今の所は、1月に作戦を実行する、という流れが、統合参謀本部のみならず、北大陸派遣軍や南大陸
連合各国の軍上層部でも出来つつあるようだ。」
「1月に作戦開始か……ニュートン、レスタン進行作戦では、エルネイル上陸作戦以来の大掛かりな物になると聞いていたが。」
「ああ、相当な規模だぞ。」
ニュートンが頷きなが答える。
「何しろ、空挺部隊も再度、フル投入だからな。それだけに留まらず、海兵隊も第1から第6まで、計6個師団を投入すると言われている。」
「陸軍も、パットン将軍の第3軍を始めとした部隊が準備を進めているようだが……1945年は、年明け早々、騒がしくなるな。」
「言えてる。」
フィッチの言葉を聞いたニュートンは、苦笑しながら頷く。
「その騒がしくなる太平洋戦線から、俺の司令部にキング作戦部長を通して要請が入った。」
「要請だと?」
フィッチは怪訝な表情を浮かべながら、ニュートンに問い質す。
「まさか、大西洋艦隊の戦力を回してくれ、とでも言って来たのか?」
「ご名答。」
ニュートンはやれやれと言わんばかりに答える。
「使える空母と戦艦を2隻ずつ、アトランタ級防空巡洋艦を始めとする12隻の補助艦艇を回して欲しいと言って来た。」
「むむ……何か、以前にも似たような事があったな。」
「あの時と同じさ。」
ニュートンはそう言った後、大袈裟に肩を竦めた。
「ハルゼーのみならず、スプルーアンスまでもが、俺の艦隊から戦力を寄越せと言って来たか。全く、太平洋艦隊には
ごうつくばりな連中しかおらんのか……」
「まぁ、でも、この戦域に、もはや大兵力を張り付ける必要は無くなったからな。」
「……ふむ、確かにそうだ。マオンドは、我が国と停戦したからな。」
「という事で、悪いが、君の艦隊から使える艦を引き抜かなければならない。どの艦がいいかは君が選んでくれ。」
「いいだろう。それで、いつまでにリストを渡せば良い?」
「遅くてもクリスマスまでには出してくれ。」
「では、そのように善処いたします、長官。」
フィッチは、おどけた口調でニュートンにそう答え、敬礼を送った。
「頼むよ、ミスターフィッチ。」
ニュートンも気さくな笑みを浮かべながら、フィッチに返した。
「さて、そろそろ、中に戻るとするよ。」
「大西洋艦隊司令長官も大変だな。」
「ああ、全くだよ。俺は大して何もしていないのに、連合国の将軍達は、ひっきりなしにマオンド海軍を葬った英雄と褒め立てて来る。
本当にマオンド海軍と戦ったのは、君たちなのに、何だか悪い気がするよ。」
「いやいや、君はこの戦域で、俺達が働きやすいように、あらゆる手を尽くしてくれた。モンメロ沖海戦では、虎の子の空母を1隻増援で
寄越して貰ったのみならず、歴戦艦のエンタープライズまでもぎ取ってくれたからな。あれには本当、感謝している。君の立派な働きぶりは、
英雄と呼ばれるに相応しい物だ。気を落とさずに胸を張って行けば良いさ。」
「ハハ、そう言ってくれると嬉しいよ。では、また後で。」
ニュートンはそう言うと、フィッチを軽く握手を交わしてから、艦内に戻って行った。
フィッチはその後ろ姿を見送った後、そのままウィスコンシンの後部甲板に向かって歩き始めた。
「……さっきは、戦域という言葉が口から出たが、今思えば、ここはもう、戦場では無いのだな。」
彼は顔を上げ、心地よく広がった冬の青空を見据える。
ほんの少し前まで、アメリカ、マオンド両軍の航空部隊によって激戦が繰り広げられた空は、平和が戻ってきた事を祝っているかのように、
晴れ晴れとした青空を広げている。
上空には、もはや大編隊を組んで敵地に向かう艦載機も無く、空一杯に咲いた対空砲火の黒煙も見る事は無い。
「ひとまずは、戦争と言う物は、この大陸に関しては終わりを告げた……後は、この国が良い国になるように、我が国は各国と共同して、
知恵を振り絞って、育てなくちゃいかんだろうな。」
フィッチはそう独語してから、顔を前方に向けた。
港には、海鳥達が鳴き声を挙げながら、あちこちを飛び回っている。
青空の下を、自由に飛び回る海鳥の姿は、平和の到来を如実に感じさせたのであった。
1484年12月19日 ヴィルフレイング宣言を受諾したマオンド共和国は、戦艦ウィスコンシン艦上でレーフェイル各国代表に見守られる中、
降伏文書にサインした。
ブイーレ王の決断から10年余りが経ち、アメリカの参戦によって、マオンド本国が分裂すると言う事態に至ったレーフェイル大陸戦争
(アメリカ名大西洋戦争)は、ここに終結したのである。
太平洋方面での戦火が途絶えぬまま、レーフェイル大陸は、一足先に平和を取り戻し、住民達は、復興に勤しむ中、再び訪れた平和を謳歌し始めていた。
後に、マオンド共和国では、先のレーフェイル大陸戦争で行われた数々の戦争犯罪が公にされ、国民の多くは、残虐行為をひた隠しにした
共和国上層部に怒りを覚えた。
2年後に開かれるクリンジェ軍事裁判では、陸海軍の要人や、ナルファトス教教会の要人や貴族関係者が多数起訴され、多くが裁かれる事になるが、
それはまだ、遠い未来の話である。