第226話 雪の季節のまやかし
1485年(1945年)1月30日 午後6時 レスタン領ハタリフィク
レスタン領軍集団司令官ルィキム・エルグマド大将は、仏頂面を浮かべたまま、机に広げられた地図を睨みつけていた。
「……それで、敵の先鋒はどこまで来ておるのだね?」
「はっ。1時間前の報告では、この辺りに……」
軍集団作戦参謀を務めるヒートス・ファイロク大佐は、指示棒でとある一点を指した。
そこは、レスタン領の首都であるファルヴエイノから、西に23ゼルド(69キロ)離れた場所にある、クリメエイヴァと呼ばれる
寒村の辺りである。
「防戦中の第5親衛石甲師団の報告では、クリメエイヴァの敵部隊は、パーシング戦車を含む機械化部隊であるとの事です。また、
クリメエイヴァの南方3ゼルド付近にあるフェグバルスには、カレアント軍と思しき前進部隊が進出している事も確認されております。」
「敵部隊の進出はここだけではありません、こことここ……それから、ここでも、アメリカ軍、またはカレアント軍が前進を続けています。」
軍集団魔道参謀を務めるウィビンゲル・フーシュタル中佐も、先程の地域から南に離れた、別の地域を指差しながら、エルグマドに向けて発言する。
彼らはまだ知らなかったが、その地域には、第5水陸両用軍団指揮下の第6海兵師団と、カレアント軍第2機械化騎兵師団が進出していた。
「28日の戦闘からたった2日間、敵は20ゼルド以上も前進するとはのう……作戦参謀、敵は確か、機械化部隊の快進撃を、何か別の
言葉で言っていた気がするが、何だったかな?」
「は……敵はこの急進撃を、電撃戦と呼んでいるようです。」
「電撃戦か……ふむ、まさに、雷のような進撃だな。」
エルグマドは、自嘲気味にそう呟いた。
28日より続くアメリカ、カレアント連合軍の西部戦線での攻勢は、早くも勢いに乗りつつあった。
28日夜半の発生した第2親衛石甲軍とアメリカ、カレアント連合軍の決戦は、第2親衛石甲軍の敗退に終わり、29日早朝には、早くも敵軍部隊が
前進を再開し、撤退する第2親衛石甲軍と第47、42軍の残余部隊との競争状態になった。
29日夜半には、遂に第42軍が壊滅し、戦力図から消えた他、30日早朝には、第47軍司令部より、
「指揮下にある戦力は2個師団程度なり」
という悲痛めいた報告が送られて来た。
その時点で、西部戦線のシホールアンル軍は、第42軍の4個師団、2個旅団ほぼ全てと第47軍の半数以上を失った他、第2親衛石甲軍も、
指揮下の部隊は軒並み、戦力が3割減という事態に陥っていた。
28日夜半の決戦に勝利した連合軍部隊は、機械化部隊の快速を生かして遮二無二進み続けたが、無論、シホールアンル軍も黙って見ている
訳では無かった。
30日正午には、首都ファルヴエイノから抽出した部隊が、後衛部隊として連合軍部隊と交戦を開始し、敵の進撃速度を幾らか鈍らせる事が出来た。
抽出部隊は、ファルヴエイノ防衛部隊の主力であった第54軍団と、元々、ファルヴエイノに駐留していた陸軍2個連隊を主力に、間に合わせで
用意された兵員輸送用キリラルブスや補充品を当てがい、機動歩兵旅団を臨時編成し、敵軍に対抗した。
南部戦区は、第54軍団の奮戦のお陰で、敵軍部隊の半分は前進が捗らなくなったが、第54軍団の支援を全く受けられなかった北部戦区は、
依然として敵の前進に押されどおしとなり、敵側が無理をして送り出してきた航空支援の影響もあって、遂に第2親衛石甲軍の中でも、
壊滅判定を受ける部隊が出てしまった。
第2親衛軍団の指揮下にあった第17石甲機動旅団は、30日正午頃、旅団の大半の部隊がアメリカ、カレアント軍機械化部隊に包囲され、
力戦敢闘するも、航空支援までも繰り出して来る敵の猛攻の前には成す術もなく、午後5時頃には遂に壊滅し、第17旅団は指揮下に遭った
戦力が、2個連隊から僅か2個大隊に激減し、旅団としての機能を完全に喪失。
つい今しがた、第17旅団の残余は第4親衛石甲師団に編入となった。
第2親衛石甲軍は、こうして、構成部隊の1つである1個旅団を、編成図から失ってしまったのである。
連合軍部隊の最先頭は、夕方5時までには、実に10ゼルド以上(30キロ)もの道のりを走破しており、最先頭部隊は、ファルヴエイノ
まで23ゼルドの距離まで迫っていた。
エルグマド達は知らなかったが、この最先頭部隊は、第3海兵師団所属の第3海兵戦車連隊と、第3海兵連隊で構成されていた。
敵の先頭部隊は、午後5時現在、クリメエイヴァまで進出した所で動きを止めている。
これに対し、第2親衛石甲軍は、第2親衛軍団の2個石甲師団並びに1個旅団を、ファルヴエイノから20ゼルドの位置に何とか布陣させて
いるが、28日夜半の戦闘で消耗を重ねた第2親衛軍団が、期待通り役目を果たせるかどうかは、運次第である、と、司令部の幕僚ですら
考え始めていた。
「唯一の救いとしては……今夜から天候が更に悪化する事のみですな。」
兵站参謀のラッヘル・リンブ少佐が腕組しながら、平静な口調で言う。
「気象班の予報では、今日の夜半からは本格的な吹雪が来ると予想されており、その兆候は既に現れ始めております。」
リンブ少佐はそう言いながら、窓の外を見てみた。
外の様子は、既に日が落ち始める時間帯であるため、薄暗くなっていたが、空から降りしきる雪の量は多く、雪の粒も早朝と比べて、幾らか大きい。
「敵部隊は、この1日で10ゼルドも前進し、ファルヴエイノへ大きく近付けましたが、その分補給線は長くなっています。通常の場合
なら、敵にとっての10ゼルドは大した長さでは無いでしょうが、今日の様な降雪下……特に、吹雪といった悪天候の前には、たかが
10ゼルドでも、補給を行う際には相当の苦労をします。我々もそうですが、敵機械化部隊も、悪天候下での急進撃は困難な筈です。」
「兵站参謀の言う通りですな。」
主任参謀長のヴィルヒレ・レイフスコ中将が頷きながら喋る。
「閣下、この悪天候は、あと3日程は続くと予想されています。我々はその間、前線部隊への増援が出来るように準備を整えた方が良いかと
思われます。東部戦線では、バイスエ駐留軍が行動を起こしてくれたお陰で、戦線全体で敵の進撃は鈍りつつあります。これを好機として、
我々は前線部隊へ補充を送り届け、再度、戦線の立て直しを計る事が出来るでしょう。」
「確かにな。」
エルグマドも満足そうに頷くが、同時に、複雑そうな表情を浮かべた。
「しかし、お天気任せの帝国軍とはのう……わしのような楽観主義者でなければ、今頃、職をほっぽり出している状況だな。」
エルグマドの何気ない一言を聞いた幕僚達は、一斉に苦笑いを浮かべた。
「それにしても、第54軍団の動員に関しては、閣下も思い切った措置を取られましたな。まさか、市外警備の2個連隊までも動員するとは、
最初は信じられませんでした。」
「使える物はどんどん注ぎ込まねばならんかったからの。」
ファイロクの言葉を聞いたエルグマドは、ため息を吐きながらそう答える。
「閣下。小官としましては、今回の第54軍団の動員には、いささか無茶があったのではと思うのですが……」
「むむ?それはどういう事かな、兵站参謀。」
エルグマドは、すかさずリンブ少佐に聞く。
「首都にはもう、敵の空挺部隊は来んよ。首都には、国内相の施設軍と治安警備部隊が5000名ほど居る。ファルヴエイノと、その周辺地域の
住民はまだ10万人以上も居るが、この悪天候下では、首都は安全だ。首都の守備兵力に関しては、もはや大丈夫であると思うが。」
「いえ……兵力の件ではありません。」
リンブは首を振りながら、エルグマドに答えた。
「閣下は国内相軍と治安警備部隊……占領地官憲部隊の馬車までも徴発していましたが、国内相ではその事に関して、軍の横暴であると非難の声が
上がっているようです。確かに国内相の連中は、大した仕事もしない穀潰ししか居ないのも事実ですが、それでも、今回の馬車隊強制徴発は無理が
あったのではないでしょうか。」
「うーむ……言われてみれば、確かにそうかもしれんな。」
エルグマドは、内心、自分が下した判断に後悔の念を抱きかけていた。
第54軍団の動員の際、エルグマドは元から居た歩兵2個連隊も動員したが、その際、彼は軍集団司令官の強権を発動し、国内相軍部隊が保有して
いた多数の馬車隊の徴発も行った。
馬車隊の徴発は兵員輸送用のみならず、補給用馬車にまで及び、現地の国内相の役人はこれに激怒し、軍集団側の横暴を即座に本国へ報告していた。
エルグマドとしては、国内相軍部隊はファルヴエイノに最低、2か月分の食糧を貯め込んでおり、食料に関しては、補給は必要ない状態にある事を
知っていた。
敵の上陸作戦が行われる前、エルグマドは国内相の現地統括官に対して、せめて、2週間だけという条件付きで、馬車隊の借用を何度も要請したが、
統括官は指揮系統が違う事をタテに、頑として譲らなかった。
レスタン領駐在の国内相部隊……特に国内相軍は、陸軍のやり方に反抗する場合が多く、第54軍団の動員の際に行われた、馬車隊の借用に関しても、
前回と同様、統括官や馬車隊の頭達は首を縦に振らなかった。
だが、国内相軍や、役人達の判断は、今回ばかりは間違っていた。
エルグマドは、非常時であるにもかかわらず、命令系統を盾に馬車隊の借用要請に応じない国内相側に激怒し、遂に強制徴発に踏み切った。
この強制徴発に、国内相側も反抗の態度を示したが、陸軍部隊はそれ以上の反抗を行う際は、利敵行為の咎で厳罰に処すると命じたため、国内相側も
渋々応じたのであった。
ファルヴエイノには、米軍が住宅地を滅多に爆撃しない事を良い事に、陸軍の補給隊が多数の空き家に大量の補給物資を隠匿していた。
ファルヴエイノは、元々30万人以上の住民が住んでいたのだが、過去の戦争で住民が離れていき、1485年1月現在では、市内に5万名が居るのみで、
町中には溢れんばかりの空き家が存在する事になった。
空き家に隠されていた物資の中には、完成すれども、前線部隊には行き渡らなかった携行型魔道銃も多く含まれていた。
ファルヴエイノ駐屯の2個連隊は、この魔道銃を受け取って前線に加わる事が出来た。
この補給品の輸送には、挑発した馬車隊が目覚ましい活躍を見せ、前線に行きわたった各種物資は、第54軍団の奮戦と相俟って、南部戦区での
連合国軍の迎撃に大きく役立っていた。
結果として、エルグマドの判断は当たっていたのだが……彼の強引なやり方は、遂に本国の国内相関係者を激怒させてしまったようだ。
「もしかしたら、わしを解任しろと言っているかも知れんな。いや、確実に言っておるだろう。」
「閣下、後方の方達が言う事は、別に気に留める事もないかと思います。」
ファイロク大佐がエルグマドに言う。
「やり方が云々は別にして、あの時の判断は、今日の戦闘で正しかった事が証明されています。北部戦区では10ゼルド以上も前進されてしまい
ましたが、南部戦区では、その半数以下の4ゼルド(12キロ)しか前進出来ていません。通常なら、これだけでも恐るべきものですが、第54軍団と、
彼らが届けてくれた物資が無ければ、補充を受けて戦闘力を残せた第47軍が、敵を迎撃する事は不可能でした。最悪の場合、南部戦区もまた、
北部戦区と同様、10ゼルド以上も前進される、という事態に至ったでしょう。いや、それ以上前進され、撤退中であった第1親衛軍団が後背を
衝かれる、という事もあり得ました。レスタン領の戦闘が終結した後、今回の成果を証言すれば、本国の連中も分かってくれるでしょう。」
「閣下、今は、前線の部隊をどう動かし、敵の攻勢をどう抑えるか?それに集中するべきです。」
魔道参謀のフーシュタル中佐もそう言って来る。
「ふむ……作戦参謀と魔道参謀の言う通りじゃな。」
2人の幕僚の進言を受け取ったエルグマドは深く頷き、これ以上、余計な事は考えぬ事を心に決めた。
「国内相の連中の事は、今は置いといて……西部戦線は、少なくとも3日間ほどは小康状態になるな。西部戦線の状況はこれで掴めた。
さて、東部戦線の状況を聞こうか。」
「東部戦線では、先にもお話しした通り、バイスエ駐留軍が行動を開始した事により、敵部隊の最右翼が前進を止め、バイスエ駐留軍との交戦を
行っています。これによって、足並みが崩れる事を恐れた連合軍部隊は、全戦線で進撃速度を衰えさせており、明日の朝頃からは、猛吹雪のため、
東部戦線でも敵は進撃を停止させるでしょう。」
レイフスコ中将が淡々とした口調で説明する。
「ようやく、バイスエ駐留軍が参加してくれた事で、東部戦線も落ち着きを取り戻しつつあるようだが……しかし、本国の連中もまた、
気に入らない事をしてくれた物じゃ。」
「参加したバイスエ駐留軍は、僅か1個軍のみでしたからな。本当は、それ以上の部隊に動いて貰いたかったのですが。」
作戦参謀の言葉に、エルグマドはそうだと言いながら、2度頷いた。
「1個軍では、敵の動きを止める事は出来ても、押し返す事は出来んだろう。現に、バイスエから来た第71軍は、カレアント軍1個軍の進撃を
食い止めただけだ。これでは、遠からぬ内に第71軍は押し返され、敵は再び、東部戦線への圧力を強めて来る。全く……本国の石頭共は一体、
なにを考えておるのやら……」
「本国総司令部の考えでは、別の連合軍部隊がバイスエに侵攻して来た際の備えとして、3個軍の内、2個軍はバイスエに留めておこうとしていようです。」
「その連合軍部隊はいつバイスエにやって来ると言うのだ?」
エルグマドは、半ば苛立ったような口ぶりで言う。
「敵の主力は、このレスタン領に集中しておる。まずは、このレスタンに兵力を集中し、敵の進撃を食い止める事を考える方が先だろうに……」
「閣下のお考えは確かにわかります。ですが、我が軍は今月の中旬頃から始まった航空戦の連続で、動員出来るワイバーンや飛空挺が明らかに
減っています。それに加えて、本国からの航空戦力の増援は、当分見込めません。この状況では、幾ら地上部隊を増やしたと言えど、航空戦力の
薄くなった我が軍は満足に航空支援を行うどころか、基地上空の防空戦闘を行う事すら危うくなっています。天候が回復すれば、短期間でまた
戦力を回復した連合国軍側の航空部隊に押されるのは、火を見るよりも明らかです。閣下、本国司令部は、敵の空襲によって、レスタンへ動員
したバイスエ駐留軍も消耗しきる事を恐れ、わざと1個軍しか派遣しなかったのではありませんか。」
「確実にそうであろうな。」
魔道参謀の言葉に対して、エルグマドは即答する。
「本国司令部の考えは気に入らないが……それでも、わしらの意見を握り潰さなかっただけでもマシかもしれん。バイスエの第71軍は現に、
敵の横合いに噛み付き、敵軍の一部を拘束し、結果的に、それは東部戦線全体の安定に繋がっておるからな。」
「第71軍の指揮下にある2個軍団のうち、1個軍団は石甲化軍団ですからな。上手く行けば、敵は第71軍を重大な脅威とみなして、更に兵力を
振り分けて来るかもしれませんぞ。」
レイフスコ中将がそう言うや、エルグマドも小さく頷く。
「後は、段階的に北に下がりつつ、これ以上、敵の進撃が勢い付く事を避けねばならんの。戦線を維持しつつ、後退して行けば、進撃中の敵も
損害続出で、次々と交代して行くだろう。」
「新型キリラルブスがもっと早く配備されていれば、敵に与える損害も大きかったのですが……」
「まぁ、無い物ねだりしても始まらんよ。」
作戦参謀の言葉を聞いたエルグマドは、そう答えた。
「何度も言うが、わしらは今、与えられている装備で最善を尽くさねばならん。ここで、レスタン領の野戦軍が潰滅状態に陥れば、敵は一気に
バイスエを制圧し、本国が蹂躙されるだろう。先の戦が楽になるか、辛くなるかは、このレスタン戦線次第と言えるな。」
エルグマドの言葉を聞きながら、リンブは壁に掛けられている時計に、ちらりと視線を送る。
時刻は午後6時20分を指そうとしていた。
「少し疲れたな。しばしの間、小休止にしよう。」
エルグマドが幕僚達にそう告げるのを聞いたリンブは、近くに居たフーシュタルに断りを入れてから作戦室を退出し、便所で用を足した。
ふと、彼は外の様子が気になり、便所から5歩離れた場所にある休憩所の窓から外を眺めてみた。
「大分吹雪いて来たな。」
リンブは小声で呟きながら、外の風景を見続ける。
「少佐殿、どうかされましたか?」
彼は、休憩室で喫煙していた大尉の階級章を付けた主計課将校に話しかけられた。
「いや、少しばかり天気が気になってね。」
「少佐殿も気になりますか。実は、私もです。」
大尉は無表情で答えながら、リンブの側に歩み寄った。
「実を言いますと、書類作成用に使っていた紙が切れかけているのです。予定なら、予備の用紙が2日後に届く筈だったんですが、この吹雪じゃあ、
2日後どころの話では済みそうにないですな。」
「ああ。気象班の予測によると、この吹雪は、最低でも3日は続くらしい。」
「3日ですか……参りましたな。この様子じゃ、ゴミ箱にぶち込んだ紙を引っ張り出して、紙の裏部分を再利用するしかないですなぁ。」
主計課将校は困った顔つきを張り付かせたまま、浮かぬ足取りで休憩室から出て行った。
「……この猛吹雪で困るのは敵じゃなく、味方も……か。天候が回復するまでは、こっちも我慢しなければならない。司令官達は敵の空挺部隊の
脅威が過ぎ去り、敵の前進も止まった事で一安心しているが……」
リンブは不安げな口調で呟く。
昨年の末まで、補給部隊の指揮官として前線の補給路を走り回った彼としては、自軍の補給能力がどれぐらいの能力を有しているか熟知している。
彼は、それを知った上で、軍集団司令部の楽観ぶりに不安を感じずにはいられなかった。
「こっちも身動きが取れにくい……いや、この猛吹雪の中では、全く取れない、と言った方が正しいか……補給部隊も含めた、全部隊が……」
リンブはそう呟きながら、前線に展開している戦闘部隊の事が心配になってきた。
「……吹雪の勢いが弱まった所を見計らって、補給を出す他は無いな。今の所は、ファルヴエイノから運び出した余剰品で前線部隊は凌げるだろうが、
それもせいぜい2日分程度だ。それ以降は補給不足で立ち枯れになる。今から、その後の事も考え無いといけないな。」
リンブは、半ば憂鬱な気持ちになりながら、窓辺から離れて行った。
窓の外には少数ながらも、現地人が出歩いていた。
その中の1人……子供が、吹雪の中を不安げな表情で歩いていたが、すぐ後ろに歩いていた母親と思しき女性が、ニッコリ笑って上空を指差し、
何かを口ずさみながら、上空にかざした手を左右に振り、子供の不安を払拭していた。
1485年(1945年) 2月1日 午前6時 レスタン領レーミア沖西方150マイル地点
その日、ジャスオ領北西部にある航空基地より発進したF-13偵察機は、今月の中旬より始まった、定例のレスタン領沖上空の観測を行うため、
時速210マイル、高度9000メートルを維持しながらレスタン領西方沖を飛行していた。
「航法士。今はどの辺りだ?」
機長のフランキー・シェパード大尉は、航法士に話しかけた。
「現在、当機はレーミア湾より方位320度、北西150マイル地点を飛行中です。」
「レーミア湾より北西150マイル地点か……下界は相変わらず、雲で真っ白に覆われているようだが。」
シェパード大尉は、時折聞こえて来る部下達の報告を思い出しながら、単調な飛行に意識を集中させる。
「目標地点まで、あと50マイルですか。」
「ああ。目標到達後、それから2時間、同じ空域を旋回しなければならん。いつものように、行って、ゆっくりダンスして、戻って来るだけさ。」
話し掛けて来たコ・パイのウィック・グリストル中尉に、シェパード大尉は陽気に答えた。
「しかし、B-24でレスタン領爆撃に行って撃墜され、シグなんとかというレジスタンス達に助けられて復帰したまでは良かったが……
まさか、このF-13の機長を任されるとはなぁ。ちょっと不満だ。」
「でも、B-24から、偵察機型とはいえ、B-29の機長になったんですからいいじゃないですか。」
グリストル中尉は微笑みながら、シェパード機長に言う。
「自分も以前はB-24に乗って、敵とタマの取り合いをやっとりましたが、今ではこいつに乗れて良かったと思いますよ。」
「まっ、B-29……もとい、F-13だったかな。こいつも確かにいい機体だ。高度9000を飛行する場合、B-24なら厚い防寒服と
酸素マスクが必要になるが、F-13は与圧装置のお陰で、機内で寒さに縮こまる事は無い。まぁ、多少の防寒服は必要だが、それでも大分
楽になった。でもなグリストル、正直に言って、俺にはこいつは合わんね。」
「合わない……ですか。」
シェパードは軽く頷いた。
「俺には、B-29よりも、B-24のような機体が合っているな。リベレーターは他の爆撃機と違って、低空での運動性も多少良くてな、
2年近く前のルベンゲーブではこの特徴を生かして、敵の魔法石製造工場を火達磨にしてやった物だよ。」
「確か、機長もその時参加していたんですよね?」
「ああ。あの時、俺はコ・パイで、お前の席に座っていた。帰還中に、シホット共の戦闘機に襲われて機長が戦死した時は駄目だと思ったが、
俺が操縦して何とか帰還できたよ。思えば、あの時の機長は、本当にいい人だったよ……」
シェパードは、しんみりとした口調で言う。
「しかし、司令部の連中は、ここで天候観測に当たっているだけでいいと言っていたが、2週間以上もこうしているのはどうしてかな。」
「雲の写真を撮影して帰るだけですからねぇ。もしかして、気象班の天候予測をやり易くするために、うちらが駆り出されているんじゃないですか?」
「それもそうかもしれんが……何故か、俺達に詳細を教えてくれないんだよなぁ。教えてくれた事はただ1つ。何か大きな動きがあったら、
司令部に包みは解かれたと報告しろ、だ。」
「教えてくれたと言うより、まるっきり命令ですな。」
「だな。」
シェパードは呆れ笑いを浮かべながら、グリストルに返した。
「そういえば機長、昨日、酒場で久方ぶりに合った友人に再開したんですが、そこで妙な話を聞きましたよ。」
「妙な話?何だそりゃ。」
シェパードは前を見据えながら、グリストルに聞く。
「何でも、B-24を送り出したコンソリーデッド社がへんてこな爆撃機を開発中だそうです。」
「へんてこな爆撃機か。一体どんな代物なんだ?」
「さぁ……自分もさっぱりです。友人もあまり知らないようでしたが、その新型機は2種類あって、1つはとにかくでかい爆撃機で、遠くまで
飛べる機体。もう1つは、B-29のような機体に大砲と大口径の機関砲を乗せて地上支援に集中出来る機体。これだけしか教えられませんでしたよ。」
「何だいそりゃ?」
シェパードは素っ頓狂な声を挙げた。
「とにかくでかく、遠くまで飛べる機体に、大砲と機関砲を乗せた機体だと。グリストル、君の友人はその時、酷く酔っ払って居なかったか?」
「ええ、もう、べろんべろんでしたよ。おまけにそいつ、酒に酔っている時は法螺ばかり吹くお調子者野郎でして、あの時の話も、こいつ特有の
法螺話が出て来たかと思いましたよ。」
「完全にホラ話だろうな。」
シェパードは苦笑しながら答えた。
「ただ、いつもと違って確信したよう口ぶりで話していたので、その辺りにちょいと、違和感を覚えましたが。」
「いくら我が合衆国でも、そんな機体なぞ、すぐに作れないよ。現状ではB-29でも間に合ってる……か、どうかは判断し難いが、ひとまず、
シホット共は四苦八苦してるんだ。今のままでもすぐに戦争を終わらせられるよ。それに、そんな機体が出来たとしても、終戦までには間に合わないさ。」
「ハハ、そうでしょうね。」
グリストルは微笑みながら、シェパードに答えた。
それからしばらく経ち、F-13は目標上空に辿り着いた。
「機長、目標地点に到達です。」
「OK。これよりスローダンスに入る。お前達、一応でも構わんから、下の方を見とけ。」
シェパードの冗談めいた口調に、乗員達は小声で笑った。
シェパードは、車のハンドルにも似た操縦桿を、ゆっくり左に回して行く。
F-13の操縦桿は、事の他重いが、訓練で慣れたシェパードは、その重さに苦労する事無く、愛機を旋回させていく。
全長30.1メートル、全幅43メートルもの大きさを持つ白銀の怪鳥は、4つのR-3350空冷18気筒、2200馬力エンジンを快調に
回しながら、冬の厚い雲に覆われた洋上を、ゆっくりと旋回して行く。
4つの大馬力エンジンの後ろからは、真っ白なコントレイルが綺麗に引かれており、下界から見れば、鮮やかな白い円が青空に描かれていた。
旋回に入ったF-13は、時折、高空を吹き荒ぶ気流にひやりとさせられつつも、単調に回りつづけていく。
時間は10分……20分……30分と、刻々と過ぎていく。
F-13の機内には、時折、機体の爆弾倉に取り付けられたフェアチャイルド製の各種偵察カメラの作動音が響く。
単調な旋回飛行は続き、時間は40分、50分、60分と過ぎていくが、下界の雲の様子は何ら変わる事が無く、下界に冷たい雪を降らしながら
移動しているだけである。
旋回を開始してから、1時間30分が経過した後も、下界の様子は、何の変化も見られなかった。
「あと30分か。早く帰って、ビールが飲みたいねぇ。グリストル、今日の昼飯は何かわかるか?」
「ええ……確かヴィクトリーカレーだったと思います。」
「ヴィクトリーカレーだと?こいつはおったまげたぜ。」
シェパードは嬉しげな口調で言う。
「今までカレーは、海軍や海兵隊でしか食えない料理だと思っていたが、まさか、陸軍にもカレー料理が出てきたとはな。しかも、縁起のいい
ヴィクトリーという名のついたカレーとは。グリストル、今日はついてるぞ。」
「ですね。ところで、自分はまだカレーを食べた事無いんですが、機長もそうですか?」
「いや、レスタンから潜水艦で脱出する時に、海軍さんが一杯カレーを出してくれて食べた事がある。最初は、どこの間抜けがライスにクソを
ぶちまけた様な料理を作りやがったんだ、と思ったんだが……いやはや、先入観だけで判断するのは良くないと思わされたよ。その時のカレーが
かなり美味でね、今でもあの味は忘れられんよ。」
「へー、かなり美味いんですか。」
「ああ、美味いぞ。あれを食べてみて、不味いと言う奴はそうそう居ないだろう。それにしても、ヴィクトリーカレーとは見た事が無いな。
何かの具が追加されたカレーかな。」
「自分はそのカレーがなんであるか聞いていますよ。何でも、カレーの上に肉の揚げ物が乗った物だとか。海兵隊の連中が上陸作戦前に
食わされたらしいです。食べた連中は口々に美味い美味いと言ってたようです。自分の海兵隊の知り合いから聞いた話ですが。」
「ほほう。連中はその美味さに驚いて完食しただろうな。」
「いえ、全員が完食した訳では無い様です。戦闘を経験済みのベテランは、カレーを半分ほど残したようですね。」
「カレーを残しただって?なんでまた……」
「戦闘を経験しているからですよ。」
グリストルは自分の腹をさすった。
「その友人の話によりますと、腹を満たした状態で戦闘を行うと、腹に被弾した際に、急性腹膜炎に陥ってショック死する場合がある様です。
自分が話を聞いた海兵隊員はエルネイルの戦いに参加していましたが、完食した連中は殆どが新兵。一方、ちょっと残した連中は全てが、
戦場の地獄を経験した兵ばかりで、上陸作戦が行われた後、その差はかなり現れたようですよ。」
「なるほど……じゃあ、つい先日に行われたレーミア湾の上陸作戦でも、同じような事が起きたのかも知れんな。カレーを残すのはもったいないが……
命を落としたら、もったいないどころでは済まんからね。」
「機長!」
唐突に、耳元のレシーバーからレーダー手の声が響いて来た。
「おう、どうした?」
「レーダーに異変がありました。機長、機首を方位320度方向に向けてくれませんか?」
「320度方向だな?了解!」
シェパードはレーダー手の進言通りに動いた。
「機首を320度方向に向けるぞ!」
「了解です!」
彼はグリストルにそう言いつつ、愛機の旋回速度を更に緩めていき、機首が方位320度方向、北西の方角に向いた所で、旋回を止めた。
「機長、下界の様子はどうなっています?」
「ちょっと待ってくれ。」
シェパードは、機内電話で見張りを呼び出した。
「そっちはどうなっている?下界の方は異常なしか?」
「いえ、異常は見られません!」
「わかった……レーダー手、どうやら、異常は見られない様だぞ。」
「異常なし、ですか……おかしいな。」
レーダー手の納得がいかなさそうな言葉を聞いたシェパードは、しばし考えた後、操縦席から離れる事にした。
「すまんが、少しだけ席を離れる。任せたぞ。」
「わかりました。」
シェパードは操縦席から離れ、レーダー手のいる後部キャビンに移動した。
「ニコライ、何か異常があったのか?」
彼は、レーダースコープと睨めっこをしている、ロシア系アメリカ人のニコライ・ブジョンルフ曹長に話し掛けた。
「機長、これを見て下さい。」
ブジョンルフ曹長は、小さなレーダースコープの一点を指差した。
B-29に機上レーダーが搭載され始めたのは、44年の6月からである。
B-29用の機上レーダーとして最初に採用されたAN/APQ13レーダーはベルテーホン研究所と、マサチューセッツ工科大学が共同で
開発した物で、アメリカ軍爆撃航空団は、昨年の7月からシホールアンル本土並びに、マオンド本土への夜間爆撃が可能となった。
シェパードのF-13にも機上レーダーが搭載されたが、それは、いつものAN/APQ13ではなく、最新型のAN/APQ7であった。
AN/APQ7は、全方位が探索可能なAN/APQ13に対して、機首側の60度の方向しか探知範囲が設定されていなかったが、その代わり、
レーダースコープには、AN/APQ13の表示機よりも、明瞭な画像を映し出す事が出来た。
また、洋上観測にも使用できるため、以前の機上レーダーよりも部分的な性能は上がっていた。
AN/APQ7はまだ開発中であり、シェパード機に搭載されたレーダーはその試作型であるが、基地にやって来た技術者が言うには、AN/APQ7
の開発はほぼ大詰めを迎えており、後はこの試作機の結果如何で、早期生産が可能かどうか決まるとの事だ。
その新兵器を、早速使いこなしているベテランレーダー手が見つけた異変を、シェパードはこの目で見る事が出来た。
「先程、見張りは雲の様子に異常は無いと伝えていましたが、前方20マイル付近の雲の映像が、他の部分の物と比べて、明らかに色合いが違います。
このレーダーは、雲の様子を明確にとらえるようには作られていないので分かり辛いですが、それでも、この部分と、この部分の色合いの違いは分かります。」
「なんか、薄く感じるな。ニコライ、君は、これが何だと思うかね?」
「はい。恐らく、この部分の雲は、厚みが違うのではないでしょうか?」
「厚みが違うか……」
「エコーが小さいと言う事は、この部分の雲量は余り多くないと言う事になります。」
「……もうしばらく、機を進めてみよう。」
彼はそう言ってから、グリストルにこのまま進めと指示を送った。
それから5分後、レーダー上の雲の様子は、一目で分かるまでに変化していた。
「やはり、この部分からの雲量が明らかに少なくなっています。それに、スコープの端からは、雲と呼べるような物は無くなっています。」
「……となると、ここから先は……」
シェパードが言おうとしていた言葉を、先に爆撃手席に座っている部下が声高に発した。
「機長!前方に雲の切れ目が見えます!」
「何?ちょっと待ってくれ。俺もそっちに行く。」
彼は、爆撃手からの報告を受け取るや、早足で機首の爆撃手席に移動した。
「どうした?」
「機長、あそこを見て下さい。凄いですよ。」
シェパードは爆撃手から双眼鏡を渡され、風防ガラス越しに遠くの洋上を見つめた。
レスタン領を全体的に覆っている雲は、大体が5000メートル前後の高さに位置している。
シェパード機は高度9000メートルから、この雲を見下ろしている形になっている。
双眼鏡越しに見えたそれは、まさに壮大の一言に尽きた。
「なんてこった……雲が綺麗に割れてやがる。ここから20マイル程先には、雪を降らしている雲が割れて、海側に向かっているから、あそこからは
晴れ間が広がっている事になるな。」
「機長……確か、気象班の予報では、最低でも3日、長くても4日は雪が吹雪と言っていましたね。」
「そうだったな……だが、この距離と、常時10マイル程度の速力で動いているこの雲なら……」
シェパードは、脳裏にある部隊を思い出した。
マーケット・ガーデン作戦が始まって以来、一度も活躍の機会を与えられていなかったその部隊は、地上部隊の戦果が届くたびに、切歯扼腕していたと
聞いている。
彼らにしてみれば、まさに、千載一遇のチャンスが訪れようとしているのだ。
「レスタン領は1日程で、見事な冬晴れになる。通信手!至急司令部に例の言葉を報告しろ!」
「わかりました!」
午前8時40分 F-13は、1通の電文を司令部に送った。
その通信文が、北大陸派遣軍総司令官であるドワイト・アイゼンハワー大将の下に届いたのは、それから4分後の事であった。
1485年(1945年)1月30日 午後6時 レスタン領ハタリフィク
レスタン領軍集団司令官ルィキム・エルグマド大将は、仏頂面を浮かべたまま、机に広げられた地図を睨みつけていた。
「……それで、敵の先鋒はどこまで来ておるのだね?」
「はっ。1時間前の報告では、この辺りに……」
軍集団作戦参謀を務めるヒートス・ファイロク大佐は、指示棒でとある一点を指した。
そこは、レスタン領の首都であるファルヴエイノから、西に23ゼルド(69キロ)離れた場所にある、クリメエイヴァと呼ばれる
寒村の辺りである。
「防戦中の第5親衛石甲師団の報告では、クリメエイヴァの敵部隊は、パーシング戦車を含む機械化部隊であるとの事です。また、
クリメエイヴァの南方3ゼルド付近にあるフェグバルスには、カレアント軍と思しき前進部隊が進出している事も確認されております。」
「敵部隊の進出はここだけではありません、こことここ……それから、ここでも、アメリカ軍、またはカレアント軍が前進を続けています。」
軍集団魔道参謀を務めるウィビンゲル・フーシュタル中佐も、先程の地域から南に離れた、別の地域を指差しながら、エルグマドに向けて発言する。
彼らはまだ知らなかったが、その地域には、第5水陸両用軍団指揮下の第6海兵師団と、カレアント軍第2機械化騎兵師団が進出していた。
「28日の戦闘からたった2日間、敵は20ゼルド以上も前進するとはのう……作戦参謀、敵は確か、機械化部隊の快進撃を、何か別の
言葉で言っていた気がするが、何だったかな?」
「は……敵はこの急進撃を、電撃戦と呼んでいるようです。」
「電撃戦か……ふむ、まさに、雷のような進撃だな。」
エルグマドは、自嘲気味にそう呟いた。
28日より続くアメリカ、カレアント連合軍の西部戦線での攻勢は、早くも勢いに乗りつつあった。
28日夜半の発生した第2親衛石甲軍とアメリカ、カレアント連合軍の決戦は、第2親衛石甲軍の敗退に終わり、29日早朝には、早くも敵軍部隊が
前進を再開し、撤退する第2親衛石甲軍と第47、42軍の残余部隊との競争状態になった。
29日夜半には、遂に第42軍が壊滅し、戦力図から消えた他、30日早朝には、第47軍司令部より、
「指揮下にある戦力は2個師団程度なり」
という悲痛めいた報告が送られて来た。
その時点で、西部戦線のシホールアンル軍は、第42軍の4個師団、2個旅団ほぼ全てと第47軍の半数以上を失った他、第2親衛石甲軍も、
指揮下の部隊は軒並み、戦力が3割減という事態に陥っていた。
28日夜半の決戦に勝利した連合軍部隊は、機械化部隊の快速を生かして遮二無二進み続けたが、無論、シホールアンル軍も黙って見ている
訳では無かった。
30日正午には、首都ファルヴエイノから抽出した部隊が、後衛部隊として連合軍部隊と交戦を開始し、敵の進撃速度を幾らか鈍らせる事が出来た。
抽出部隊は、ファルヴエイノ防衛部隊の主力であった第54軍団と、元々、ファルヴエイノに駐留していた陸軍2個連隊を主力に、間に合わせで
用意された兵員輸送用キリラルブスや補充品を当てがい、機動歩兵旅団を臨時編成し、敵軍に対抗した。
南部戦区は、第54軍団の奮戦のお陰で、敵軍部隊の半分は前進が捗らなくなったが、第54軍団の支援を全く受けられなかった北部戦区は、
依然として敵の前進に押されどおしとなり、敵側が無理をして送り出してきた航空支援の影響もあって、遂に第2親衛石甲軍の中でも、
壊滅判定を受ける部隊が出てしまった。
第2親衛軍団の指揮下にあった第17石甲機動旅団は、30日正午頃、旅団の大半の部隊がアメリカ、カレアント軍機械化部隊に包囲され、
力戦敢闘するも、航空支援までも繰り出して来る敵の猛攻の前には成す術もなく、午後5時頃には遂に壊滅し、第17旅団は指揮下に遭った
戦力が、2個連隊から僅か2個大隊に激減し、旅団としての機能を完全に喪失。
つい今しがた、第17旅団の残余は第4親衛石甲師団に編入となった。
第2親衛石甲軍は、こうして、構成部隊の1つである1個旅団を、編成図から失ってしまったのである。
連合軍部隊の最先頭は、夕方5時までには、実に10ゼルド以上(30キロ)もの道のりを走破しており、最先頭部隊は、ファルヴエイノ
まで23ゼルドの距離まで迫っていた。
エルグマド達は知らなかったが、この最先頭部隊は、第3海兵師団所属の第3海兵戦車連隊と、第3海兵連隊で構成されていた。
敵の先頭部隊は、午後5時現在、クリメエイヴァまで進出した所で動きを止めている。
これに対し、第2親衛石甲軍は、第2親衛軍団の2個石甲師団並びに1個旅団を、ファルヴエイノから20ゼルドの位置に何とか布陣させて
いるが、28日夜半の戦闘で消耗を重ねた第2親衛軍団が、期待通り役目を果たせるかどうかは、運次第である、と、司令部の幕僚ですら
考え始めていた。
「唯一の救いとしては……今夜から天候が更に悪化する事のみですな。」
兵站参謀のラッヘル・リンブ少佐が腕組しながら、平静な口調で言う。
「気象班の予報では、今日の夜半からは本格的な吹雪が来ると予想されており、その兆候は既に現れ始めております。」
リンブ少佐はそう言いながら、窓の外を見てみた。
外の様子は、既に日が落ち始める時間帯であるため、薄暗くなっていたが、空から降りしきる雪の量は多く、雪の粒も早朝と比べて、幾らか大きい。
「敵部隊は、この1日で10ゼルドも前進し、ファルヴエイノへ大きく近付けましたが、その分補給線は長くなっています。通常の場合
なら、敵にとっての10ゼルドは大した長さでは無いでしょうが、今日の様な降雪下……特に、吹雪といった悪天候の前には、たかが
10ゼルドでも、補給を行う際には相当の苦労をします。我々もそうですが、敵機械化部隊も、悪天候下での急進撃は困難な筈です。」
「兵站参謀の言う通りですな。」
主任参謀長のヴィルヒレ・レイフスコ中将が頷きながら喋る。
「閣下、この悪天候は、あと3日程は続くと予想されています。我々はその間、前線部隊への増援が出来るように準備を整えた方が良いかと
思われます。東部戦線では、バイスエ駐留軍が行動を起こしてくれたお陰で、戦線全体で敵の進撃は鈍りつつあります。これを好機として、
我々は前線部隊へ補充を送り届け、再度、戦線の立て直しを計る事が出来るでしょう。」
「確かにな。」
エルグマドも満足そうに頷くが、同時に、複雑そうな表情を浮かべた。
「しかし、お天気任せの帝国軍とはのう……わしのような楽観主義者でなければ、今頃、職をほっぽり出している状況だな。」
エルグマドの何気ない一言を聞いた幕僚達は、一斉に苦笑いを浮かべた。
「それにしても、第54軍団の動員に関しては、閣下も思い切った措置を取られましたな。まさか、市外警備の2個連隊までも動員するとは、
最初は信じられませんでした。」
「使える物はどんどん注ぎ込まねばならんかったからの。」
ファイロクの言葉を聞いたエルグマドは、ため息を吐きながらそう答える。
「閣下。小官としましては、今回の第54軍団の動員には、いささか無茶があったのではと思うのですが……」
「むむ?それはどういう事かな、兵站参謀。」
エルグマドは、すかさずリンブ少佐に聞く。
「首都にはもう、敵の空挺部隊は来んよ。首都には、国内相の施設軍と治安警備部隊が5000名ほど居る。ファルヴエイノと、その周辺地域の
住民はまだ10万人以上も居るが、この悪天候下では、首都は安全だ。首都の守備兵力に関しては、もはや大丈夫であると思うが。」
「いえ……兵力の件ではありません。」
リンブは首を振りながら、エルグマドに答えた。
「閣下は国内相軍と治安警備部隊……占領地官憲部隊の馬車までも徴発していましたが、国内相ではその事に関して、軍の横暴であると非難の声が
上がっているようです。確かに国内相の連中は、大した仕事もしない穀潰ししか居ないのも事実ですが、それでも、今回の馬車隊強制徴発は無理が
あったのではないでしょうか。」
「うーむ……言われてみれば、確かにそうかもしれんな。」
エルグマドは、内心、自分が下した判断に後悔の念を抱きかけていた。
第54軍団の動員の際、エルグマドは元から居た歩兵2個連隊も動員したが、その際、彼は軍集団司令官の強権を発動し、国内相軍部隊が保有して
いた多数の馬車隊の徴発も行った。
馬車隊の徴発は兵員輸送用のみならず、補給用馬車にまで及び、現地の国内相の役人はこれに激怒し、軍集団側の横暴を即座に本国へ報告していた。
エルグマドとしては、国内相軍部隊はファルヴエイノに最低、2か月分の食糧を貯め込んでおり、食料に関しては、補給は必要ない状態にある事を
知っていた。
敵の上陸作戦が行われる前、エルグマドは国内相の現地統括官に対して、せめて、2週間だけという条件付きで、馬車隊の借用を何度も要請したが、
統括官は指揮系統が違う事をタテに、頑として譲らなかった。
レスタン領駐在の国内相部隊……特に国内相軍は、陸軍のやり方に反抗する場合が多く、第54軍団の動員の際に行われた、馬車隊の借用に関しても、
前回と同様、統括官や馬車隊の頭達は首を縦に振らなかった。
だが、国内相軍や、役人達の判断は、今回ばかりは間違っていた。
エルグマドは、非常時であるにもかかわらず、命令系統を盾に馬車隊の借用要請に応じない国内相側に激怒し、遂に強制徴発に踏み切った。
この強制徴発に、国内相側も反抗の態度を示したが、陸軍部隊はそれ以上の反抗を行う際は、利敵行為の咎で厳罰に処すると命じたため、国内相側も
渋々応じたのであった。
ファルヴエイノには、米軍が住宅地を滅多に爆撃しない事を良い事に、陸軍の補給隊が多数の空き家に大量の補給物資を隠匿していた。
ファルヴエイノは、元々30万人以上の住民が住んでいたのだが、過去の戦争で住民が離れていき、1485年1月現在では、市内に5万名が居るのみで、
町中には溢れんばかりの空き家が存在する事になった。
空き家に隠されていた物資の中には、完成すれども、前線部隊には行き渡らなかった携行型魔道銃も多く含まれていた。
ファルヴエイノ駐屯の2個連隊は、この魔道銃を受け取って前線に加わる事が出来た。
この補給品の輸送には、挑発した馬車隊が目覚ましい活躍を見せ、前線に行きわたった各種物資は、第54軍団の奮戦と相俟って、南部戦区での
連合国軍の迎撃に大きく役立っていた。
結果として、エルグマドの判断は当たっていたのだが……彼の強引なやり方は、遂に本国の国内相関係者を激怒させてしまったようだ。
「もしかしたら、わしを解任しろと言っているかも知れんな。いや、確実に言っておるだろう。」
「閣下、後方の方達が言う事は、別に気に留める事もないかと思います。」
ファイロク大佐がエルグマドに言う。
「やり方が云々は別にして、あの時の判断は、今日の戦闘で正しかった事が証明されています。北部戦区では10ゼルド以上も前進されてしまい
ましたが、南部戦区では、その半数以下の4ゼルド(12キロ)しか前進出来ていません。通常なら、これだけでも恐るべきものですが、第54軍団と、
彼らが届けてくれた物資が無ければ、補充を受けて戦闘力を残せた第47軍が、敵を迎撃する事は不可能でした。最悪の場合、南部戦区もまた、
北部戦区と同様、10ゼルド以上も前進される、という事態に至ったでしょう。いや、それ以上前進され、撤退中であった第1親衛軍団が後背を
衝かれる、という事もあり得ました。レスタン領の戦闘が終結した後、今回の成果を証言すれば、本国の連中も分かってくれるでしょう。」
「閣下、今は、前線の部隊をどう動かし、敵の攻勢をどう抑えるか?それに集中するべきです。」
魔道参謀のフーシュタル中佐もそう言って来る。
「ふむ……作戦参謀と魔道参謀の言う通りじゃな。」
2人の幕僚の進言を受け取ったエルグマドは深く頷き、これ以上、余計な事は考えぬ事を心に決めた。
「国内相の連中の事は、今は置いといて……西部戦線は、少なくとも3日間ほどは小康状態になるな。西部戦線の状況はこれで掴めた。
さて、東部戦線の状況を聞こうか。」
「東部戦線では、先にもお話しした通り、バイスエ駐留軍が行動を開始した事により、敵部隊の最右翼が前進を止め、バイスエ駐留軍との交戦を
行っています。これによって、足並みが崩れる事を恐れた連合軍部隊は、全戦線で進撃速度を衰えさせており、明日の朝頃からは、猛吹雪のため、
東部戦線でも敵は進撃を停止させるでしょう。」
レイフスコ中将が淡々とした口調で説明する。
「ようやく、バイスエ駐留軍が参加してくれた事で、東部戦線も落ち着きを取り戻しつつあるようだが……しかし、本国の連中もまた、
気に入らない事をしてくれた物じゃ。」
「参加したバイスエ駐留軍は、僅か1個軍のみでしたからな。本当は、それ以上の部隊に動いて貰いたかったのですが。」
作戦参謀の言葉に、エルグマドはそうだと言いながら、2度頷いた。
「1個軍では、敵の動きを止める事は出来ても、押し返す事は出来んだろう。現に、バイスエから来た第71軍は、カレアント軍1個軍の進撃を
食い止めただけだ。これでは、遠からぬ内に第71軍は押し返され、敵は再び、東部戦線への圧力を強めて来る。全く……本国の石頭共は一体、
なにを考えておるのやら……」
「本国総司令部の考えでは、別の連合軍部隊がバイスエに侵攻して来た際の備えとして、3個軍の内、2個軍はバイスエに留めておこうとしていようです。」
「その連合軍部隊はいつバイスエにやって来ると言うのだ?」
エルグマドは、半ば苛立ったような口ぶりで言う。
「敵の主力は、このレスタン領に集中しておる。まずは、このレスタンに兵力を集中し、敵の進撃を食い止める事を考える方が先だろうに……」
「閣下のお考えは確かにわかります。ですが、我が軍は今月の中旬頃から始まった航空戦の連続で、動員出来るワイバーンや飛空挺が明らかに
減っています。それに加えて、本国からの航空戦力の増援は、当分見込めません。この状況では、幾ら地上部隊を増やしたと言えど、航空戦力の
薄くなった我が軍は満足に航空支援を行うどころか、基地上空の防空戦闘を行う事すら危うくなっています。天候が回復すれば、短期間でまた
戦力を回復した連合国軍側の航空部隊に押されるのは、火を見るよりも明らかです。閣下、本国司令部は、敵の空襲によって、レスタンへ動員
したバイスエ駐留軍も消耗しきる事を恐れ、わざと1個軍しか派遣しなかったのではありませんか。」
「確実にそうであろうな。」
魔道参謀の言葉に対して、エルグマドは即答する。
「本国司令部の考えは気に入らないが……それでも、わしらの意見を握り潰さなかっただけでもマシかもしれん。バイスエの第71軍は現に、
敵の横合いに噛み付き、敵軍の一部を拘束し、結果的に、それは東部戦線全体の安定に繋がっておるからな。」
「第71軍の指揮下にある2個軍団のうち、1個軍団は石甲化軍団ですからな。上手く行けば、敵は第71軍を重大な脅威とみなして、更に兵力を
振り分けて来るかもしれませんぞ。」
レイフスコ中将がそう言うや、エルグマドも小さく頷く。
「後は、段階的に北に下がりつつ、これ以上、敵の進撃が勢い付く事を避けねばならんの。戦線を維持しつつ、後退して行けば、進撃中の敵も
損害続出で、次々と交代して行くだろう。」
「新型キリラルブスがもっと早く配備されていれば、敵に与える損害も大きかったのですが……」
「まぁ、無い物ねだりしても始まらんよ。」
作戦参謀の言葉を聞いたエルグマドは、そう答えた。
「何度も言うが、わしらは今、与えられている装備で最善を尽くさねばならん。ここで、レスタン領の野戦軍が潰滅状態に陥れば、敵は一気に
バイスエを制圧し、本国が蹂躙されるだろう。先の戦が楽になるか、辛くなるかは、このレスタン戦線次第と言えるな。」
エルグマドの言葉を聞きながら、リンブは壁に掛けられている時計に、ちらりと視線を送る。
時刻は午後6時20分を指そうとしていた。
「少し疲れたな。しばしの間、小休止にしよう。」
エルグマドが幕僚達にそう告げるのを聞いたリンブは、近くに居たフーシュタルに断りを入れてから作戦室を退出し、便所で用を足した。
ふと、彼は外の様子が気になり、便所から5歩離れた場所にある休憩所の窓から外を眺めてみた。
「大分吹雪いて来たな。」
リンブは小声で呟きながら、外の風景を見続ける。
「少佐殿、どうかされましたか?」
彼は、休憩室で喫煙していた大尉の階級章を付けた主計課将校に話しかけられた。
「いや、少しばかり天気が気になってね。」
「少佐殿も気になりますか。実は、私もです。」
大尉は無表情で答えながら、リンブの側に歩み寄った。
「実を言いますと、書類作成用に使っていた紙が切れかけているのです。予定なら、予備の用紙が2日後に届く筈だったんですが、この吹雪じゃあ、
2日後どころの話では済みそうにないですな。」
「ああ。気象班の予測によると、この吹雪は、最低でも3日は続くらしい。」
「3日ですか……参りましたな。この様子じゃ、ゴミ箱にぶち込んだ紙を引っ張り出して、紙の裏部分を再利用するしかないですなぁ。」
主計課将校は困った顔つきを張り付かせたまま、浮かぬ足取りで休憩室から出て行った。
「……この猛吹雪で困るのは敵じゃなく、味方も……か。天候が回復するまでは、こっちも我慢しなければならない。司令官達は敵の空挺部隊の
脅威が過ぎ去り、敵の前進も止まった事で一安心しているが……」
リンブは不安げな口調で呟く。
昨年の末まで、補給部隊の指揮官として前線の補給路を走り回った彼としては、自軍の補給能力がどれぐらいの能力を有しているか熟知している。
彼は、それを知った上で、軍集団司令部の楽観ぶりに不安を感じずにはいられなかった。
「こっちも身動きが取れにくい……いや、この猛吹雪の中では、全く取れない、と言った方が正しいか……補給部隊も含めた、全部隊が……」
リンブはそう呟きながら、前線に展開している戦闘部隊の事が心配になってきた。
「……吹雪の勢いが弱まった所を見計らって、補給を出す他は無いな。今の所は、ファルヴエイノから運び出した余剰品で前線部隊は凌げるだろうが、
それもせいぜい2日分程度だ。それ以降は補給不足で立ち枯れになる。今から、その後の事も考え無いといけないな。」
リンブは、半ば憂鬱な気持ちになりながら、窓辺から離れて行った。
窓の外には少数ながらも、現地人が出歩いていた。
その中の1人……子供が、吹雪の中を不安げな表情で歩いていたが、すぐ後ろに歩いていた母親と思しき女性が、ニッコリ笑って上空を指差し、
何かを口ずさみながら、上空にかざした手を左右に振り、子供の不安を払拭していた。
1485年(1945年) 2月1日 午前6時 レスタン領レーミア沖西方150マイル地点
その日、ジャスオ領北西部にある航空基地より発進したF-13偵察機は、今月の中旬より始まった、定例のレスタン領沖上空の観測を行うため、
時速210マイル、高度9000メートルを維持しながらレスタン領西方沖を飛行していた。
「航法士。今はどの辺りだ?」
機長のフランキー・シェパード大尉は、航法士に話しかけた。
「現在、当機はレーミア湾より方位320度、北西150マイル地点を飛行中です。」
「レーミア湾より北西150マイル地点か……下界は相変わらず、雲で真っ白に覆われているようだが。」
シェパード大尉は、時折聞こえて来る部下達の報告を思い出しながら、単調な飛行に意識を集中させる。
「目標地点まで、あと50マイルですか。」
「ああ。目標到達後、それから2時間、同じ空域を旋回しなければならん。いつものように、行って、ゆっくりダンスして、戻って来るだけさ。」
話し掛けて来たコ・パイのウィック・グリストル中尉に、シェパード大尉は陽気に答えた。
「しかし、B-24でレスタン領爆撃に行って撃墜され、シグなんとかというレジスタンス達に助けられて復帰したまでは良かったが……
まさか、このF-13の機長を任されるとはなぁ。ちょっと不満だ。」
「でも、B-24から、偵察機型とはいえ、B-29の機長になったんですからいいじゃないですか。」
グリストル中尉は微笑みながら、シェパード機長に言う。
「自分も以前はB-24に乗って、敵とタマの取り合いをやっとりましたが、今ではこいつに乗れて良かったと思いますよ。」
「まっ、B-29……もとい、F-13だったかな。こいつも確かにいい機体だ。高度9000を飛行する場合、B-24なら厚い防寒服と
酸素マスクが必要になるが、F-13は与圧装置のお陰で、機内で寒さに縮こまる事は無い。まぁ、多少の防寒服は必要だが、それでも大分
楽になった。でもなグリストル、正直に言って、俺にはこいつは合わんね。」
「合わない……ですか。」
シェパードは軽く頷いた。
「俺には、B-29よりも、B-24のような機体が合っているな。リベレーターは他の爆撃機と違って、低空での運動性も多少良くてな、
2年近く前のルベンゲーブではこの特徴を生かして、敵の魔法石製造工場を火達磨にしてやった物だよ。」
「確か、機長もその時参加していたんですよね?」
「ああ。あの時、俺はコ・パイで、お前の席に座っていた。帰還中に、シホット共の戦闘機に襲われて機長が戦死した時は駄目だと思ったが、
俺が操縦して何とか帰還できたよ。思えば、あの時の機長は、本当にいい人だったよ……」
シェパードは、しんみりとした口調で言う。
「しかし、司令部の連中は、ここで天候観測に当たっているだけでいいと言っていたが、2週間以上もこうしているのはどうしてかな。」
「雲の写真を撮影して帰るだけですからねぇ。もしかして、気象班の天候予測をやり易くするために、うちらが駆り出されているんじゃないですか?」
「それもそうかもしれんが……何故か、俺達に詳細を教えてくれないんだよなぁ。教えてくれた事はただ1つ。何か大きな動きがあったら、
司令部に包みは解かれたと報告しろ、だ。」
「教えてくれたと言うより、まるっきり命令ですな。」
「だな。」
シェパードは呆れ笑いを浮かべながら、グリストルに返した。
「そういえば機長、昨日、酒場で久方ぶりに合った友人に再開したんですが、そこで妙な話を聞きましたよ。」
「妙な話?何だそりゃ。」
シェパードは前を見据えながら、グリストルに聞く。
「何でも、B-24を送り出したコンソリーデッド社がへんてこな爆撃機を開発中だそうです。」
「へんてこな爆撃機か。一体どんな代物なんだ?」
「さぁ……自分もさっぱりです。友人もあまり知らないようでしたが、その新型機は2種類あって、1つはとにかくでかい爆撃機で、遠くまで
飛べる機体。もう1つは、B-29のような機体に大砲と大口径の機関砲を乗せて地上支援に集中出来る機体。これだけしか教えられませんでしたよ。」
「何だいそりゃ?」
シェパードは素っ頓狂な声を挙げた。
「とにかくでかく、遠くまで飛べる機体に、大砲と機関砲を乗せた機体だと。グリストル、君の友人はその時、酷く酔っ払って居なかったか?」
「ええ、もう、べろんべろんでしたよ。おまけにそいつ、酒に酔っている時は法螺ばかり吹くお調子者野郎でして、あの時の話も、こいつ特有の
法螺話が出て来たかと思いましたよ。」
「完全にホラ話だろうな。」
シェパードは苦笑しながら答えた。
「ただ、いつもと違って確信したよう口ぶりで話していたので、その辺りにちょいと、違和感を覚えましたが。」
「いくら我が合衆国でも、そんな機体なぞ、すぐに作れないよ。現状ではB-29でも間に合ってる……か、どうかは判断し難いが、ひとまず、
シホット共は四苦八苦してるんだ。今のままでもすぐに戦争を終わらせられるよ。それに、そんな機体が出来たとしても、終戦までには間に合わないさ。」
「ハハ、そうでしょうね。」
グリストルは微笑みながら、シェパードに答えた。
それからしばらく経ち、F-13は目標上空に辿り着いた。
「機長、目標地点に到達です。」
「OK。これよりスローダンスに入る。お前達、一応でも構わんから、下の方を見とけ。」
シェパードの冗談めいた口調に、乗員達は小声で笑った。
シェパードは、車のハンドルにも似た操縦桿を、ゆっくり左に回して行く。
F-13の操縦桿は、事の他重いが、訓練で慣れたシェパードは、その重さに苦労する事無く、愛機を旋回させていく。
全長30.1メートル、全幅43メートルもの大きさを持つ白銀の怪鳥は、4つのR-3350空冷18気筒、2200馬力エンジンを快調に
回しながら、冬の厚い雲に覆われた洋上を、ゆっくりと旋回して行く。
4つの大馬力エンジンの後ろからは、真っ白なコントレイルが綺麗に引かれており、下界から見れば、鮮やかな白い円が青空に描かれていた。
旋回に入ったF-13は、時折、高空を吹き荒ぶ気流にひやりとさせられつつも、単調に回りつづけていく。
時間は10分……20分……30分と、刻々と過ぎていく。
F-13の機内には、時折、機体の爆弾倉に取り付けられたフェアチャイルド製の各種偵察カメラの作動音が響く。
単調な旋回飛行は続き、時間は40分、50分、60分と過ぎていくが、下界の雲の様子は何ら変わる事が無く、下界に冷たい雪を降らしながら
移動しているだけである。
旋回を開始してから、1時間30分が経過した後も、下界の様子は、何の変化も見られなかった。
「あと30分か。早く帰って、ビールが飲みたいねぇ。グリストル、今日の昼飯は何かわかるか?」
「ええ……確かヴィクトリーカレーだったと思います。」
「ヴィクトリーカレーだと?こいつはおったまげたぜ。」
シェパードは嬉しげな口調で言う。
「今までカレーは、海軍や海兵隊でしか食えない料理だと思っていたが、まさか、陸軍にもカレー料理が出てきたとはな。しかも、縁起のいい
ヴィクトリーという名のついたカレーとは。グリストル、今日はついてるぞ。」
「ですね。ところで、自分はまだカレーを食べた事無いんですが、機長もそうですか?」
「いや、レスタンから潜水艦で脱出する時に、海軍さんが一杯カレーを出してくれて食べた事がある。最初は、どこの間抜けがライスにクソを
ぶちまけた様な料理を作りやがったんだ、と思ったんだが……いやはや、先入観だけで判断するのは良くないと思わされたよ。その時のカレーが
かなり美味でね、今でもあの味は忘れられんよ。」
「へー、かなり美味いんですか。」
「ああ、美味いぞ。あれを食べてみて、不味いと言う奴はそうそう居ないだろう。それにしても、ヴィクトリーカレーとは見た事が無いな。
何かの具が追加されたカレーかな。」
「自分はそのカレーがなんであるか聞いていますよ。何でも、カレーの上に肉の揚げ物が乗った物だとか。海兵隊の連中が上陸作戦前に
食わされたらしいです。食べた連中は口々に美味い美味いと言ってたようです。自分の海兵隊の知り合いから聞いた話ですが。」
「ほほう。連中はその美味さに驚いて完食しただろうな。」
「いえ、全員が完食した訳では無い様です。戦闘を経験済みのベテランは、カレーを半分ほど残したようですね。」
「カレーを残しただって?なんでまた……」
「戦闘を経験しているからですよ。」
グリストルは自分の腹をさすった。
「その友人の話によりますと、腹を満たした状態で戦闘を行うと、腹に被弾した際に、急性腹膜炎に陥ってショック死する場合がある様です。
自分が話を聞いた海兵隊員はエルネイルの戦いに参加していましたが、完食した連中は殆どが新兵。一方、ちょっと残した連中は全てが、
戦場の地獄を経験した兵ばかりで、上陸作戦が行われた後、その差はかなり現れたようですよ。」
「なるほど……じゃあ、つい先日に行われたレーミア湾の上陸作戦でも、同じような事が起きたのかも知れんな。カレーを残すのはもったいないが……
命を落としたら、もったいないどころでは済まんからね。」
「機長!」
唐突に、耳元のレシーバーからレーダー手の声が響いて来た。
「おう、どうした?」
「レーダーに異変がありました。機長、機首を方位320度方向に向けてくれませんか?」
「320度方向だな?了解!」
シェパードはレーダー手の進言通りに動いた。
「機首を320度方向に向けるぞ!」
「了解です!」
彼はグリストルにそう言いつつ、愛機の旋回速度を更に緩めていき、機首が方位320度方向、北西の方角に向いた所で、旋回を止めた。
「機長、下界の様子はどうなっています?」
「ちょっと待ってくれ。」
シェパードは、機内電話で見張りを呼び出した。
「そっちはどうなっている?下界の方は異常なしか?」
「いえ、異常は見られません!」
「わかった……レーダー手、どうやら、異常は見られない様だぞ。」
「異常なし、ですか……おかしいな。」
レーダー手の納得がいかなさそうな言葉を聞いたシェパードは、しばし考えた後、操縦席から離れる事にした。
「すまんが、少しだけ席を離れる。任せたぞ。」
「わかりました。」
シェパードは操縦席から離れ、レーダー手のいる後部キャビンに移動した。
「ニコライ、何か異常があったのか?」
彼は、レーダースコープと睨めっこをしている、ロシア系アメリカ人のニコライ・ブジョンルフ曹長に話し掛けた。
「機長、これを見て下さい。」
ブジョンルフ曹長は、小さなレーダースコープの一点を指差した。
B-29に機上レーダーが搭載され始めたのは、44年の6月からである。
B-29用の機上レーダーとして最初に採用されたAN/APQ13レーダーはベルテーホン研究所と、マサチューセッツ工科大学が共同で
開発した物で、アメリカ軍爆撃航空団は、昨年の7月からシホールアンル本土並びに、マオンド本土への夜間爆撃が可能となった。
シェパードのF-13にも機上レーダーが搭載されたが、それは、いつものAN/APQ13ではなく、最新型のAN/APQ7であった。
AN/APQ7は、全方位が探索可能なAN/APQ13に対して、機首側の60度の方向しか探知範囲が設定されていなかったが、その代わり、
レーダースコープには、AN/APQ13の表示機よりも、明瞭な画像を映し出す事が出来た。
また、洋上観測にも使用できるため、以前の機上レーダーよりも部分的な性能は上がっていた。
AN/APQ7はまだ開発中であり、シェパード機に搭載されたレーダーはその試作型であるが、基地にやって来た技術者が言うには、AN/APQ7
の開発はほぼ大詰めを迎えており、後はこの試作機の結果如何で、早期生産が可能かどうか決まるとの事だ。
その新兵器を、早速使いこなしているベテランレーダー手が見つけた異変を、シェパードはこの目で見る事が出来た。
「先程、見張りは雲の様子に異常は無いと伝えていましたが、前方20マイル付近の雲の映像が、他の部分の物と比べて、明らかに色合いが違います。
このレーダーは、雲の様子を明確にとらえるようには作られていないので分かり辛いですが、それでも、この部分と、この部分の色合いの違いは分かります。」
「なんか、薄く感じるな。ニコライ、君は、これが何だと思うかね?」
「はい。恐らく、この部分の雲は、厚みが違うのではないでしょうか?」
「厚みが違うか……」
「エコーが小さいと言う事は、この部分の雲量は余り多くないと言う事になります。」
「……もうしばらく、機を進めてみよう。」
彼はそう言ってから、グリストルにこのまま進めと指示を送った。
それから5分後、レーダー上の雲の様子は、一目で分かるまでに変化していた。
「やはり、この部分からの雲量が明らかに少なくなっています。それに、スコープの端からは、雲と呼べるような物は無くなっています。」
「……となると、ここから先は……」
シェパードが言おうとしていた言葉を、先に爆撃手席に座っている部下が声高に発した。
「機長!前方に雲の切れ目が見えます!」
「何?ちょっと待ってくれ。俺もそっちに行く。」
彼は、爆撃手からの報告を受け取るや、早足で機首の爆撃手席に移動した。
「どうした?」
「機長、あそこを見て下さい。凄いですよ。」
シェパードは爆撃手から双眼鏡を渡され、風防ガラス越しに遠くの洋上を見つめた。
レスタン領を全体的に覆っている雲は、大体が5000メートル前後の高さに位置している。
シェパード機は高度9000メートルから、この雲を見下ろしている形になっている。
双眼鏡越しに見えたそれは、まさに壮大の一言に尽きた。
「なんてこった……雲が綺麗に割れてやがる。ここから20マイル程先には、雪を降らしている雲が割れて、海側に向かっているから、あそこからは
晴れ間が広がっている事になるな。」
「機長……確か、気象班の予報では、最低でも3日、長くても4日は雪が吹雪と言っていましたね。」
「そうだったな……だが、この距離と、常時10マイル程度の速力で動いているこの雲なら……」
シェパードは、脳裏にある部隊を思い出した。
マーケット・ガーデン作戦が始まって以来、一度も活躍の機会を与えられていなかったその部隊は、地上部隊の戦果が届くたびに、切歯扼腕していたと
聞いている。
彼らにしてみれば、まさに、千載一遇のチャンスが訪れようとしているのだ。
「レスタン領は1日程で、見事な冬晴れになる。通信手!至急司令部に例の言葉を報告しろ!」
「わかりました!」
午前8時40分 F-13は、1通の電文を司令部に送った。
その通信文が、北大陸派遣軍総司令官であるドワイト・アイゼンハワー大将の下に届いたのは、それから4分後の事であった。