1972年にローマクラブが発表した「成長の限界」論が、環境問題を考えるためのフレームに与えた影響は大きい。つまり、以下のような理路によって、「成長の限界」論は従来の経済成長論が人類や文明にどのような環境危機をもたらすのか、という予測的警告の起点となったのである。
- 近代産業社会の成立以降、その進展により、われわれの生活は経済的な豊かさを実現してきた。
- しかし、この豊かさの基盤となったのは、人間による自然環境の破壊・収奪による、経済的合理性の追求であった。
- 幾何級数的な人口増加現象や経済成長による社会発展のための「経済的合理性」がそのまま推進されていくことになれば、地球の天然資源は枯渇し、また、環境も悪化し、人類の成長は限界に到達する。
「成長の限界」論の背景・内容・批判的論点・その後の対応策等の考察は、松野弘『環境思想とは何か』第2章に詳しい。
ここでは、松野の議論を参考にしつつ、1960年代から70年代にかけて、環境問題を近代産業社会の「世紀末的局面」と捉える傾向の醸成と、そこから「ドゥームセイヤー」、「サバイバリスト」としての環境保護運動家が現れたことを指摘する。
ここでは、松野の議論を参考にしつつ、1960年代から70年代にかけて、環境問題を近代産業社会の「世紀末的局面」と捉える傾向の醸成と、そこから「ドゥームセイヤー」、「サバイバリスト」としての環境保護運動家が現れたことを指摘する。
■「成長の限界」論の受容を準備したと思われる議論。
- 1962年、米国の生物学者、レイチェル・カーソン(1907-1964)は「沈黙の春』を通じて、殺虫剤をはじめとする農薬(化学薬品)の大量散布が人間と環境に及ぼす脅威を警告した。
- 1968年、スタンフォード大学のポール・エーリック(1932- )は『人口爆弾』を通じて、人類の絶えざる人口増加、とりわけ、第三世界における人口過剰現象が人類の破滅をもたらすことを予言し、18世紀末のマルサス(1766-1834)の人類破滅予言に再び火をつけた。
- 1971年、ワシントン大学(ミズーリ州)の生物学教授のB・コモナーは、『なにが環境の危機を招いたか ̶ エコロジーによる分析と解答』を刊行。環境危機の背景要因を人間と自然との均衡的な関係が科学技術(資本主義社会の過剰な産業生産と技術の高度化)によって破壊されたことにあるとし、そうした科学技術を生み出している社会的・政治的・経済的制度のあり方を根本的に変えていかなければ地球環境は破局に向かうことになると予言した。