シュペングラーは、第一次大戦後のヨーロッパの衰退をスケールの大きな視点から展望し、大きな衝撃を与えたドイツの歴史家。イギリスにはシュペングラーの文明史観を継承したトインビーがいる。主著は大著『歴史の研究』。また、アメリカのハンチントン『文明の衝突』も、シュペングラーからの影響が強い。
シェーラーがフォイエルバッハを参照しながら唱えた「人間学」は、『西洋の没落』とほぼ同期する。「人間学」を形づくるロゴスは、たんに近代自然科学や近代哲学を支えるロゴスではなく、むしろ近代を超えでようとするロゴスでなければならなかった。
シェーラーがフォイエルバッハを参照しながら唱えた「人間学」は、『西洋の没落』とほぼ同期する。「人間学」を形づくるロゴスは、たんに近代自然科学や近代哲学を支えるロゴスではなく、むしろ近代を超えでようとするロゴスでなければならなかった。
シュペングラーは社会有機体説の立場をとる。社会有機体説とは、社会の構造と変動を生物有機体との類比によってとらえようとする社会観で、社会を原子論零的・機械論的にとらえようとする立場の対極に立つ。文明が内的法則によって生まれ、成長し、死滅するがゆえにこれを生き物とシュペングラーはみなす。社会有機体説は、本来存在次元が異なる生物有機体と人間社会とを単純なアナロジーで結びつけたために、適者生存を社会に直接適用する社会ダーウィニズムを生み、国家主義や全体主義を正当化する反動的な役割を果たす場合があった。そしてシュペングラーの世界観もまた、ナチス・ドイツによって利用されていくことになる。
私講師時代のハイデガーにも、カール・バルトと並んで大きな影響を与えた。
■和辻哲郎によるシュペングラーへの言及
和辻哲郎『第六巻』「近代哲学の先駆者」p.393
かく民族の発展段階がその最高の段階において終末に達するとすれば、世界史の舞台においてはあとからあとから新しい民族の三段階の開展がくり返されるのであって、無限の発展はあり得ない。ローマ帝国の崩壊、外蛮の侵入のあとには、直ちに神左の時代が現われ、次いで中世の英雄時代となり、近代の人間の時代がそれに続いた。これがヴイコの有名な歴史の循環逆動の説である。この説は人間の歴史における進歩を承認する立場からは当然反対されるのであるが、しかしその進歩に対して懐疑的である立場からは案外に歓迎されるのである。ヴィコの生きていたイタリアは、文芸復興期のイタリアから見れば、明らかに退歩したイタリアであった。それと同じように、世界大戦争をまき起こすような時代に生きたシュペングラーが、その『西欧の没落』においてヴィコに似た考えを展開している。
和辻哲郎『第六巻』「近代哲学の先駆者」p.393
かく民族の発展段階がその最高の段階において終末に達するとすれば、世界史の舞台においてはあとからあとから新しい民族の三段階の開展がくり返されるのであって、無限の発展はあり得ない。ローマ帝国の崩壊、外蛮の侵入のあとには、直ちに神左の時代が現われ、次いで中世の英雄時代となり、近代の人間の時代がそれに続いた。これがヴイコの有名な歴史の循環逆動の説である。この説は人間の歴史における進歩を承認する立場からは当然反対されるのであるが、しかしその進歩に対して懐疑的である立場からは案外に歓迎されるのである。ヴィコの生きていたイタリアは、文芸復興期のイタリアから見れば、明らかに退歩したイタリアであった。それと同じように、世界大戦争をまき起こすような時代に生きたシュペングラーが、その『西欧の没落』においてヴィコに似た考えを展開している。
和辻哲郎『第七巻』「原始キリスト教の文化史的意義」p.354
この研究は、キリスト教の誕生する時代的背承の描写(一-三)とキリスト神話説の検討(四)と共観福音響の分析(五-一○)という三つの部分から成っている。
第一の部分は時代的背最を解明したものとして、『ホメーロス批判』の第一段階に照応するものである。ここでは、キリスト教を誕生させたのは、ヘレニズムの世界であるが、その文化は大都市の商工業に基礎をもつ技術的実用主義的なものであって、クルトゥールというよりかむしろスィヴライゼイションと呼ばるべきものであり、繁栄を誇ると同時に宗教的な救いの求められた時代であり、そうしてこの間においてユダヤ人もギリシャ化には強く反抗しながらも、むしろ大勢としてヘレニズムに同化し、したがって待望せられるメシアも異教的なる密儀宗教説の救い主に近いものになってしまったことが説かれている。ヘレニズム時代の性格づけは、それが現代と酷似しているという観点から、シニペングラーにしたがってなされているが、彼の規定の底にはニチェの「アレキサンドリヤ時代」という規定がある。ニイチェは『悲劇の誕生』(第十七節、第十八節、第二十節)において、ギリシャ悲劇の栄えた時代はやがて科学・技術を垂んずる、機械じかけのアレキサンドリヤ文化の時代に移ったが、十五世紀におけるアレキサンドリヤ―ローマ的古代の復活につながる我衣現代人もまたアレキサンドリヤ的人間であるといった。シュペングラーの場合と同じように著者の場合にも、このようなニイチェ的史観が根底にあるであろう。
この研究は、キリスト教の誕生する時代的背承の描写(一-三)とキリスト神話説の検討(四)と共観福音響の分析(五-一○)という三つの部分から成っている。
第一の部分は時代的背最を解明したものとして、『ホメーロス批判』の第一段階に照応するものである。ここでは、キリスト教を誕生させたのは、ヘレニズムの世界であるが、その文化は大都市の商工業に基礎をもつ技術的実用主義的なものであって、クルトゥールというよりかむしろスィヴライゼイションと呼ばるべきものであり、繁栄を誇ると同時に宗教的な救いの求められた時代であり、そうしてこの間においてユダヤ人もギリシャ化には強く反抗しながらも、むしろ大勢としてヘレニズムに同化し、したがって待望せられるメシアも異教的なる密儀宗教説の救い主に近いものになってしまったことが説かれている。ヘレニズム時代の性格づけは、それが現代と酷似しているという観点から、シニペングラーにしたがってなされているが、彼の規定の底にはニチェの「アレキサンドリヤ時代」という規定がある。ニイチェは『悲劇の誕生』(第十七節、第十八節、第二十節)において、ギリシャ悲劇の栄えた時代はやがて科学・技術を垂んずる、機械じかけのアレキサンドリヤ文化の時代に移ったが、十五世紀におけるアレキサンドリヤ―ローマ的古代の復活につながる我衣現代人もまたアレキサンドリヤ的人間であるといった。シュペングラーの場合と同じように著者の場合にも、このようなニイチェ的史観が根底にあるであろう。