■有機農業の歴史
かつて、有機農業は、法制化はおろか、商業的にも一般にはほとんど相手にされない、周縁的な存在だった。
その歴史は、大づかみに、次の四期に分けることができる。
第一期は、有機農業がもっとも周縁的な存在であった1970年代から80年代初頭までである。この時期、有機農業をめぐっては、これを賞賛する人びとと攻撃する人びとのあいだで激しい論戦が繰り返された。また、一般の商店などで有機農産物が流通することはほとんどなく、もっぱら有機農業運動を通じた「産消提携」によってやり取りされていた。
続く第二期は、有機農産物の認知度が徐々に上がり、市場での流通が少しずつ増えていく1980年代初頭から1992年までである。この時期には、一方で政府も有機農業を農業政策のなかで取り扱うべく議論をはじめている。環境問題への関心の高まりと相まって、注目を集めていく時期である。
第三期は、有機農産物の表示に関する制度が作られ、市場での取り扱いが格段に増えていく、1992年以降である。この頃になると、多くの人びとが「有機農産物」という言葉を知るようになり、大手スーパーなどでは特設コーナーが設けられるなど、いわば有機農産物の地位が確立した時期といえる。
以上三つの時期にあえて付け加えるならば、2000年以降の、有機農業の定着と再検証の第四期ということになる。第一期のような、有機農産物に対する攻撃とは異なった形で、有機農産物のメリットをめぐる再検討がなされるようになる。これは、地産地消やフードマイレージといった、食品供給のローカライゼーションという新しい視点が生まれたこととも連動しており、冒頭で紹介した『タイム』の記事が書かれる背景にもなっている。
「農業」と「都市で、土地利用とほとんど関係のない生活を送っている私」は、やはり距離がある。〈食べる身体〉は、「食べ物と私」という関係にはすぐに行き着くけれど、「農業と私」という関係には行き着きにくい。「食材と私」にまでたどり着かないのが、現代のつまづき。(「食材と私」の例) 身体は「坦々麺」を食べるわけではない、諸々の食材を食べているのだ。だから不意にアレルギー反応が出たりする。
かつて、有機農業は、法制化はおろか、商業的にも一般にはほとんど相手にされない、周縁的な存在だった。
その歴史は、大づかみに、次の四期に分けることができる。
第一期は、有機農業がもっとも周縁的な存在であった1970年代から80年代初頭までである。この時期、有機農業をめぐっては、これを賞賛する人びとと攻撃する人びとのあいだで激しい論戦が繰り返された。また、一般の商店などで有機農産物が流通することはほとんどなく、もっぱら有機農業運動を通じた「産消提携」によってやり取りされていた。
続く第二期は、有機農産物の認知度が徐々に上がり、市場での流通が少しずつ増えていく1980年代初頭から1992年までである。この時期には、一方で政府も有機農業を農業政策のなかで取り扱うべく議論をはじめている。環境問題への関心の高まりと相まって、注目を集めていく時期である。
第三期は、有機農産物の表示に関する制度が作られ、市場での取り扱いが格段に増えていく、1992年以降である。この頃になると、多くの人びとが「有機農産物」という言葉を知るようになり、大手スーパーなどでは特設コーナーが設けられるなど、いわば有機農産物の地位が確立した時期といえる。
以上三つの時期にあえて付け加えるならば、2000年以降の、有機農業の定着と再検証の第四期ということになる。第一期のような、有機農産物に対する攻撃とは異なった形で、有機農産物のメリットをめぐる再検討がなされるようになる。これは、地産地消やフードマイレージといった、食品供給のローカライゼーションという新しい視点が生まれたこととも連動しており、冒頭で紹介した『タイム』の記事が書かれる背景にもなっている。
「農業」と「都市で、土地利用とほとんど関係のない生活を送っている私」は、やはり距離がある。〈食べる身体〉は、「食べ物と私」という関係にはすぐに行き着くけれど、「農業と私」という関係には行き着きにくい。「食材と私」にまでたどり着かないのが、現代のつまづき。(「食材と私」の例) 身体は「坦々麺」を食べるわけではない、諸々の食材を食べているのだ。だから不意にアレルギー反応が出たりする。