第五章日本論の展望
1 進歩史観の克服
●「日本人論」「日本文化論」の陥穿
アジア大陸の北南を結ぶ列島の歴史を背景に、日本列島にはたやすく同一視することのできない個性的な社会集団、地域社会が形成されてきた(アイヌ、ウイルタ、ニブヒなどの少数民族、20万人を超す帰化人)。それを追究可能なアイデンティティーを持つ「日本人」としてとらえ、その文化、歴史を追究し、その特質を論じようとする試みは、本質的に成り立ちえない。
・多様な社会集団や地域社会を無視。
・「孤立した島国」「瑞穂国」「単一民族」などの根拠のない「虚像」に依拠。
・「神話」「物語」によってアイデンティティーを提造。
→「日本」が国名であることを意識せず、頭から地名として扱い、弥生人、縄文人はもとより旧石器時代人にまで「日本」を遡らせて「日本人」「日本文化」を論ずることへの批判。
アジア大陸の北南を結ぶ列島の歴史を背景に、日本列島にはたやすく同一視することのできない個性的な社会集団、地域社会が形成されてきた(アイヌ、ウイルタ、ニブヒなどの少数民族、20万人を超す帰化人)。それを追究可能なアイデンティティーを持つ「日本人」としてとらえ、その文化、歴史を追究し、その特質を論じようとする試みは、本質的に成り立ちえない。
・多様な社会集団や地域社会を無視。
・「孤立した島国」「瑞穂国」「単一民族」などの根拠のない「虚像」に依拠。
・「神話」「物語」によってアイデンティティーを提造。
→「日本」が国名であることを意識せず、頭から地名として扱い、弥生人、縄文人はもとより旧石器時代人にまで「日本」を遡らせて「日本人」「日本文化」を論ずることへの批判。
●「戦後歴史学」の「自己批判」
- 西川長夫「戦後歴史学と国民国家論」(2000年)
「近代歴史学は国民国家の産物であり」、その「制度」、その「一部」であるがゆえに、いまや崩壊しつつある国民国家と運命を共にし、歴史学自体、崩壊しつつあると述べる。
- 川北稔「歴史学はどこへ行くのか 二十一世紀にむかって」(2000年)
「戦後歴史学」(近代歴史学)が含んでいた「歴史認識の方法」、「歴史の見方」の「特徴ないし欠陥」として「一国史観・進歩史観(発展段階論)・ヨーロッパ中心史観・生産重視・農村主義」がある。
→「皇国史観」に対する批判はあったが、天皇と不可分の関係にあり、その王朝名ともいえる「日本」という国名それ自体については、敗戦後の学問も政治もまったく問題にしなかった。「日本」という国号は、いつ、だれによって、いかなる意味で定められたのか?
→さらに1950年代を中心に「アメリカ帝国主義」の支配に対し「民族の独立」を主張する運動と関連し、「原日本人」以来の「日本人」の自立的・内的な発展と、「孤立した島国」「単一の国家・斉一な民族」「稲作中心の社会」という「日本史像」の枠組が根深く定着し、現在にいたっている。
→「皇国史観」に対する批判はあったが、天皇と不可分の関係にあり、その王朝名ともいえる「日本」という国名それ自体については、敗戦後の学問も政治もまったく問題にしなかった。「日本」という国号は、いつ、だれによって、いかなる意味で定められたのか?
→さらに1950年代を中心に「アメリカ帝国主義」の支配に対し「民族の独立」を主張する運動と関連し、「原日本人」以来の「日本人」の自立的・内的な発展と、「孤立した島国」「単一の国家・斉一な民族」「稲作中心の社会」という「日本史像」の枠組が根深く定着し、現在にいたっている。
- 二宮宏之「戦後歴史学と社会史」(2000年)
「戦後歴史学は」「すべてを国民国家・国民経済・国民文化、つまりはナショナルの枠組みに収斂させてしまう近代歴史学の歴史意識から脱することができなかったばかりか、むしろそれを格段に強める結果を生んだ」とし「戦後歴史学は、“ネーション”の物語としての近代歴史学の精髄であった」と述べる。
これまでの「中の文化」に対し「北の文化」「南の文化」の個性と伝統を独自にあきらかにすべきことを強調した藤本強『もう二つの日本文化』(1988年)、「いくつもの日本へ」を特集した赤坂憲雄『東北学1』(1999年)、森浩一「関東学」の提唱(2000年)などの提言も活発に行われはじめている。
●「進歩史観」「発展段階論」の克服
漂泊から定着、自給自足経済から余剰生産物の販売を通じて商品貨幣経済へという、これまでの経済史の常識的な図式を、三内丸山遺跡は否定する。また、中世前期の「荘園制」、「兵農分離」「商農分離」の行われた後の江戸時代の「農村」も自給自足ではなかった。
また、「生産力」が一面で「破壊力」であること。生産力の発展は、そのままでは輝かしい未来への「進歩」ではなく、「滅亡」に向って進む過程の諸段階ともなりうる。
漂泊から定着、自給自足経済から余剰生産物の販売を通じて商品貨幣経済へという、これまでの経済史の常識的な図式を、三内丸山遺跡は否定する。また、中世前期の「荘園制」、「兵農分離」「商農分離」の行われた後の江戸時代の「農村」も自給自足ではなかった。
また、「生産力」が一面で「破壊力」であること。生産力の発展は、そのままでは輝かしい未来への「進歩」ではなく、「滅亡」に向って進む過程の諸段階ともなりうる。
2 時代区分をめぐって
●時代区分の再検討
1960年代以降、原始、古代、中世、近世、近代、現代という区分がほぼ定着し、現在にいたっている。しかしそれはあくまでも「日本国」の制度についてであり、もとより、琉球王国、アイヌの社会に関してはまったく通用しない。さらに江戸時代までの「日本国」の東部と西部、東国と西国とでは制度的にも社会的にも、別個の区分をする必要がある。それだけではなく、「東国」の中でも、とくに東北、関東、北陸……。「西国」の中でも、とくに南九州、そして九州、四国、紀伊半島……。これらの地域はそれぞれに強い個性を持っており、各地域の歴史に即した独自な時期区分が可能。
どちらが先進でどちらが後進かなどを規定することはできない。むしろ旧石器、新石器、金属器などの道具、田畠の農業のみに目を向けてきた従来の見方をはなれ、それぞれの社会の多彩な生業や生活、人間関係の独自な構成に目を向け、時代区分をすることが課題である。
また、封建社会論に即してみると、近世・江戸時代の社会についても「兵農・商農分離」に基づく「自立した小農民」によって構成される「自給自足の農村」を基盤とした「純粋封建制」とする通説は、明治以後の支配層によって提造された「虚像」であり、その社会の実態は流動的、都市的で、「高度な経済社会」といってもけっして言いすぎではない。(所領給与を媒介とした主従関係や身分制が生きていることは事実)
1960年代以降、原始、古代、中世、近世、近代、現代という区分がほぼ定着し、現在にいたっている。しかしそれはあくまでも「日本国」の制度についてであり、もとより、琉球王国、アイヌの社会に関してはまったく通用しない。さらに江戸時代までの「日本国」の東部と西部、東国と西国とでは制度的にも社会的にも、別個の区分をする必要がある。それだけではなく、「東国」の中でも、とくに東北、関東、北陸……。「西国」の中でも、とくに南九州、そして九州、四国、紀伊半島……。これらの地域はそれぞれに強い個性を持っており、各地域の歴史に即した独自な時期区分が可能。
どちらが先進でどちらが後進かなどを規定することはできない。むしろ旧石器、新石器、金属器などの道具、田畠の農業のみに目を向けてきた従来の見方をはなれ、それぞれの社会の多彩な生業や生活、人間関係の独自な構成に目を向け、時代区分をすることが課題である。
また、封建社会論に即してみると、近世・江戸時代の社会についても「兵農・商農分離」に基づく「自立した小農民」によって構成される「自給自足の農村」を基盤とした「純粋封建制」とする通説は、明治以後の支配層によって提造された「虚像」であり、その社会の実態は流動的、都市的で、「高度な経済社会」といってもけっして言いすぎではない。(所領給与を媒介とした主従関係や身分制が生きていることは事実)
●列島社会の時期区分
列島の自然と社会との関係、列島外の地域との交流に即してとらえる必要がある。
列島の自然と社会との関係、列島外の地域との交流に即してとらえる必要がある。
- 第1期:旧石器時代、縄文時代、さらに朝鮮半島・中国大陸からの稲作をふくむ複合的な文化を担う弥生人の流入と、縄文人との並存、対立、交流の時代。そして6-8世紀の列島最初の本格的国家「日本国」の確立。
→文書主義を採用した「日本国」の国制の及ぶ諸地域への、中国大陸の漢字の波及の影響。文字の伝播と文語の形成は、列島各地域で意志の疎通を可能にしはじめた。
- 第2期:13世紀後半から15世紀にかけて、列島社会は全体として大きな転換期に入る。列島の内外を結ぶ交通の発達、安定を背景にした人やモノ、さらに銭貨の流通が始まる。北方では北東アジアと列島との交易の担い手としてのアイヌが、南方では東南アジア、中国大陸、朝鮮半島と列島との交易活動を基盤とする琉球王国が姿を現わす。
政治的には14-16世紀、「日本国」は四分五裂の状況にあり、列島外の諸地域、朝鮮半島・中国大陸・北東アジア・東南アジアなどとの海を通じての結びつきも緊密であった。しかし16世紀末から「日本国」が再統一され、国民国家が形成されていくと、「日本人意識」は文字によって広まり、書籍の普及の著しくなった江戸中期以降、それはさらに自覚的になっていった。
- 第3期:20世紀後半の高度成長期以降、現在まで。列島の社会に即してみると、14,5世紀にその基礎が形成され、敗戦後、なおしばらくは保たれていた村落と都市のあり方、それを支えてきた生活形態そのものが全体とて根底から変りつつある。また、コンピュータによる情報伝達の大変化が深く関連している。
●「日本論」の展望
今後の「日本論」に最も必要なのは、複雑な列島の自然との関わりで形成される諸地域社会のさまざまな生業と個性的な生活の歴史を、正確にとらえることにある。それを通して、相互に自他の個性を真に尊重しつつ生きる道が開けるだろう。また諸地域の社会の形成過程、その構成のあり方の追求から、具体的な交流の実態や社会構成の共通性・差異の比較を通じたさまざまな関わりをあきらかにする必要がある。
                                
今後の「日本論」に最も必要なのは、複雑な列島の自然との関わりで形成される諸地域社会のさまざまな生業と個性的な生活の歴史を、正確にとらえることにある。それを通して、相互に自他の個性を真に尊重しつつ生きる道が開けるだろう。また諸地域の社会の形成過程、その構成のあり方の追求から、具体的な交流の実態や社会構成の共通性・差異の比較を通じたさまざまな関わりをあきらかにする必要がある。
