「私たちの自己責任について」-水俣病を場として-
1.問題意識
水俣病の患者が公式確認されたのが1956年。55年が経った今でも、水俣病は終わっていない。患者の方が今も苦しんでいるのは言うまでもない。それに加え、2010年5月から水俣病特措法にもとづき救済受付が開始され、2011年11月10日までの申請数は4万8182人(うち、1万6000件ほどは手帳更新のみ)にもなる。いまだ、患者と認定されていない方も数多く苦しんでいるのである。また、この特措法に関しては出生年齢や地域による制限が設けられていることへの批判もあり(高倉2011)、「隠れた症状」の存在も指摘されている(原田 2010)。実際にはこれ以上の方が被害を受けていると考えて間違いない。継続中の裁判もある。水銀を含むヘドロは、今も埋立地の中に埋まったままである。
一方、終わらせたい人も存在する。水俣病特措法では、救済に関する事項と同時に、加害企業であるチッソの分社化も決まり、補償に関する事業以外が新会社であるJNCに移った。JNCは、液晶事業において現在トップシェアを誇っている。彼らにとって、加害企業、というレッテルをいつまでも貼られるのは容認できることではないだろう。また、政府は12月には特措法の申請に一区切りをつけたい方針である。
そして、「終わっていない」と言う人と終わらせたい人、そのどちらにも属さない人が存在する。無関係な人や無関心な人、とでも言うことができるかもしれない。被害も受けていない、自分の町にチッソがあるわけでもない、政府の人間でもないし、チッソの職員でもない、自分たちは無関係だと私たちは思いがちである。しかし、政府の人間は間違いなく私たちの中から生まれている。チッソの職員も同様である。チッソが当時、大量に作っていたのはビニールの可塑剤であり、それは私たちの「豊かな」生活を支え、経済発展に大きな貢献をしてきた。長年、公害問題にかかわり続けてきた宇井純は、公害に関する第2の原則として「第三者とは加害者の立場」を挙げている(宇井 2006)。これは主に、中立の立場を自称する大学教授や科学者へ対しての批判であるが、それ以外の人にも当てはまるのではないかと思う。無関係なようでいて、実は加害者に加担している。まさに、この無関心の暴力こそが水俣病を支えていたのではないだろうか。
そして、この無関心の暴力は今もこの国に存在している。それは、フクシマの事例を見ても明らかだと思う。
中立な立場に立って、私たちはチッソや政府を悪とみなしてきたが、果たしてそれだけでいいのだろうか。私たちに責任はないのだろうか。それが本論文を書こうと思った動機である。
1.問題意識
水俣病の患者が公式確認されたのが1956年。55年が経った今でも、水俣病は終わっていない。患者の方が今も苦しんでいるのは言うまでもない。それに加え、2010年5月から水俣病特措法にもとづき救済受付が開始され、2011年11月10日までの申請数は4万8182人(うち、1万6000件ほどは手帳更新のみ)にもなる。いまだ、患者と認定されていない方も数多く苦しんでいるのである。また、この特措法に関しては出生年齢や地域による制限が設けられていることへの批判もあり(高倉2011)、「隠れた症状」の存在も指摘されている(原田 2010)。実際にはこれ以上の方が被害を受けていると考えて間違いない。継続中の裁判もある。水銀を含むヘドロは、今も埋立地の中に埋まったままである。
一方、終わらせたい人も存在する。水俣病特措法では、救済に関する事項と同時に、加害企業であるチッソの分社化も決まり、補償に関する事業以外が新会社であるJNCに移った。JNCは、液晶事業において現在トップシェアを誇っている。彼らにとって、加害企業、というレッテルをいつまでも貼られるのは容認できることではないだろう。また、政府は12月には特措法の申請に一区切りをつけたい方針である。
そして、「終わっていない」と言う人と終わらせたい人、そのどちらにも属さない人が存在する。無関係な人や無関心な人、とでも言うことができるかもしれない。被害も受けていない、自分の町にチッソがあるわけでもない、政府の人間でもないし、チッソの職員でもない、自分たちは無関係だと私たちは思いがちである。しかし、政府の人間は間違いなく私たちの中から生まれている。チッソの職員も同様である。チッソが当時、大量に作っていたのはビニールの可塑剤であり、それは私たちの「豊かな」生活を支え、経済発展に大きな貢献をしてきた。長年、公害問題にかかわり続けてきた宇井純は、公害に関する第2の原則として「第三者とは加害者の立場」を挙げている(宇井 2006)。これは主に、中立の立場を自称する大学教授や科学者へ対しての批判であるが、それ以外の人にも当てはまるのではないかと思う。無関係なようでいて、実は加害者に加担している。まさに、この無関心の暴力こそが水俣病を支えていたのではないだろうか。
そして、この無関心の暴力は今もこの国に存在している。それは、フクシマの事例を見ても明らかだと思う。
中立な立場に立って、私たちはチッソや政府を悪とみなしてきたが、果たしてそれだけでいいのだろうか。私たちに責任はないのだろうか。それが本論文を書こうと思った動機である。
2.論文の構成
本論では、主にリスク社会論やそれに関連する論を参考にしながら責任概念というものを考えていきたいと思う。リスク論を取り上げるのは、ベックを始めとする各論者の時代診断、特にほぼすべての論に通底している「個人化テーゼ」というものが、現代社会を考える上で非常に重要な論点を与えてくれるからである。
論文の進め方としてはまず、水俣病についての簡単な整理を行い、現代にも通じる問題が存在していること、リスク社会論の文脈で水俣を捉えることの妥当性を示していきたいと思う。特にそこで取り上げるべき論点としては予防原則の限界、中央―地方の構造(地方による「自律的な」従属)、リスクの不確実性、がある。また、その過程で現代に生きる私たちが水俣から何を学べてこられなかったのか、ということに関するひとつの方向性を示せればと思う。
次に、責任概念やリスク概念についても整理をしていきたいと思う。責任やリスクという言葉は様々な場面で使われており、その曖昧さゆえに議論が錯乱される場合もあるので、本論においてどのようにこれらの言葉を扱うのか、簡単に定義する。そしてそれと同時に、現代の「責任」概念が持つ排除の側面、虚構性についても論じる。これを論じることにより、あとで示す「私たちの自己責任」と2004年のイラク日本人人質事件などで論じられる自己責任論の相違も示せるはずである。
その上で、「個人化」を唱えるバウマンと「システム論」を掲げるルーマンの論を主に取り上げながら、互いに補完しあうことを示し、現代における責任のあり方というものを考えていきたいと思う。バウマンは、ヨナスの責任論を参考にしながら、道徳的責任のあり方について論じており、三上によれば「道徳に関するバウマンの主張をひとことで要約すれば、<道徳そのものは社会的なものではない>というメッセージに集約することができる」(三上 2003)。対し、ルーマンは「もし責任倫理にこだわるなら、人は自分の行為の結果を知ることができると考えなければならないが、それは多分に非現実的でありユートピア的である」(ルーマン 2000、三上による訳)と述べる。2人の相違は責任概念の相違に基づくものであると考えられ、先に述べた概念の整理によってこれらが相反するものではないことを示せると思う。
そして最後に、バウマン的な意味での責任のあり方に焦点を当て、水俣病に関する「私たちの自己責任」について考えていきたいと思う。
本論では、主にリスク社会論やそれに関連する論を参考にしながら責任概念というものを考えていきたいと思う。リスク論を取り上げるのは、ベックを始めとする各論者の時代診断、特にほぼすべての論に通底している「個人化テーゼ」というものが、現代社会を考える上で非常に重要な論点を与えてくれるからである。
論文の進め方としてはまず、水俣病についての簡単な整理を行い、現代にも通じる問題が存在していること、リスク社会論の文脈で水俣を捉えることの妥当性を示していきたいと思う。特にそこで取り上げるべき論点としては予防原則の限界、中央―地方の構造(地方による「自律的な」従属)、リスクの不確実性、がある。また、その過程で現代に生きる私たちが水俣から何を学べてこられなかったのか、ということに関するひとつの方向性を示せればと思う。
次に、責任概念やリスク概念についても整理をしていきたいと思う。責任やリスクという言葉は様々な場面で使われており、その曖昧さゆえに議論が錯乱される場合もあるので、本論においてどのようにこれらの言葉を扱うのか、簡単に定義する。そしてそれと同時に、現代の「責任」概念が持つ排除の側面、虚構性についても論じる。これを論じることにより、あとで示す「私たちの自己責任」と2004年のイラク日本人人質事件などで論じられる自己責任論の相違も示せるはずである。
その上で、「個人化」を唱えるバウマンと「システム論」を掲げるルーマンの論を主に取り上げながら、互いに補完しあうことを示し、現代における責任のあり方というものを考えていきたいと思う。バウマンは、ヨナスの責任論を参考にしながら、道徳的責任のあり方について論じており、三上によれば「道徳に関するバウマンの主張をひとことで要約すれば、<道徳そのものは社会的なものではない>というメッセージに集約することができる」(三上 2003)。対し、ルーマンは「もし責任倫理にこだわるなら、人は自分の行為の結果を知ることができると考えなければならないが、それは多分に非現実的でありユートピア的である」(ルーマン 2000、三上による訳)と述べる。2人の相違は責任概念の相違に基づくものであると考えられ、先に述べた概念の整理によってこれらが相反するものではないことを示せると思う。
そして最後に、バウマン的な意味での責任のあり方に焦点を当て、水俣病に関する「私たちの自己責任」について考えていきたいと思う。
3.章節構成
はじめに
1章 水俣病について
1節 水俣病と関連する研究について
2節 水俣病をいま問う意味
2章 リスク、責任概念について
1節 リスク
2節 責任
3章 リスク社会論
1節 リスク社会論としての水俣
2節 私事化論
3節 システム論
4節 リスク社会論からみえる水俣、責任
4章 自己責任について
1節 「私たちの自己責任」とは
2節 「私たちの自己責任」のあり方
おわりに
はじめに
1章 水俣病について
1節 水俣病と関連する研究について
2節 水俣病をいま問う意味
2章 リスク、責任概念について
1節 リスク
2節 責任
3章 リスク社会論
1節 リスク社会論としての水俣
2節 私事化論
3節 システム論
4節 リスク社会論からみえる水俣、責任
4章 自己責任について
1節 「私たちの自己責任」とは
2節 「私たちの自己責任」のあり方
おわりに
参考文献
高倉史朗「特措法の現状批判」東京・水俣病を告発する会『季刊 水俣支援 No.58』2011
原田正純「水俣の未来へ~水俣学研究5年のあゆみ~」熊本学園大学水俣学研究センター『水俣学研究 第2号』2010
宇井純『新装版 合本 公害原論』亜紀書房、2006
NHK取材班『戦後50年 そのとき日本は 第3巻』日本放送出版協会、1995
三上剛史『道徳回帰とモダニティ』恒星社厚生閣、2003
Luhmann, N :An interview with Niklas Luhmann. in: Rasch, W.,Niklas Luhmann’s Modernity. Stanford Univ.Press,2000
                                
高倉史朗「特措法の現状批判」東京・水俣病を告発する会『季刊 水俣支援 No.58』2011
原田正純「水俣の未来へ~水俣学研究5年のあゆみ~」熊本学園大学水俣学研究センター『水俣学研究 第2号』2010
宇井純『新装版 合本 公害原論』亜紀書房、2006
NHK取材班『戦後50年 そのとき日本は 第3巻』日本放送出版協会、1995
三上剛史『道徳回帰とモダニティ』恒星社厚生閣、2003
Luhmann, N :An interview with Niklas Luhmann. in: Rasch, W.,Niklas Luhmann’s Modernity. Stanford Univ.Press,2000
