2011/11/07ゼミ個人発表
発表者:梶原美沙
世界遺産『富士山』としての価値づけ
発表者:梶原美沙
世界遺産『富士山』としての価値づけ
0.はじめに
前回の発表では富士山の世界遺産登録を目指す意義を確認した。その中で世界遺産の10の登録基準を示したが、この基準については「普遍的な価値」の議論に留まった。そこで今回はこの登録基準についてもう少し掘り下げてみようと思う。一つ一つの基準を富士山と照らし合わせながら、この基準において富士山をどのように価値づけることができるか、上垣外憲一(1982)の『富士山―聖と美の山』を参考に検討してみたい。
前回の発表では富士山の世界遺産登録を目指す意義を確認した。その中で世界遺産の10の登録基準を示したが、この基準については「普遍的な価値」の議論に留まった。そこで今回はこの登録基準についてもう少し掘り下げてみようと思う。一つ一つの基準を富士山と照らし合わせながら、この基準において富士山をどのように価値づけることができるか、上垣外憲一(1982)の『富士山―聖と美の山』を参考に検討してみたい。
1.人間の創造的才能を表す傑作である
夏目漱石の小説『三四郎』(1908)
「あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない。」という自嘲的な台詞。
→日本人がこしらえたものが優れて美しいのなら、日本人がそれを誇ってもよいだろうが、富士山は「天然自然」そのものであって、日本人が作ったものではない。(上垣外、1982)
富士山はあくまでも「天然自然」であり、人間の創造物ではない。
夏目漱石の小説『三四郎』(1908)
「あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない。」という自嘲的な台詞。
→日本人がこしらえたものが優れて美しいのなら、日本人がそれを誇ってもよいだろうが、富士山は「天然自然」そのものであって、日本人が作ったものではない。(上垣外、1982)
富士山はあくまでも「天然自然」であり、人間の創造物ではない。
‘人間の創造的才能を表す傑作’であるとは言えない。しかしながら、古くから和歌や俳句、絵画、文学など富士山にまつわる芸術作品が数多く残されてきたという事実から‘人間の創造的才能を引き出すカギ’として日本文化の発展に寄与してきたと言うことはできるのではないか。
2.建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流またはある文化圏内での価値観の交流を示すものである
- 明治に入り、道路や鉄道などが発達し、東京から富士山までの交通の便がよくなると、旅行団体としての富士講は急速に衰退していった。
→富士山は宗教抜きの避暑地・観光地として東京の人々に注目されるようになった。
- 蒸気船の発達によって海上路が安全快適になり、観光旅行に西洋の人々が気軽に訪れる時代が到来した。
→富士山周辺の高原や湖のほとりは、美しい眺めを楽しみながら休暇を過ごすことができるリゾート地として開発された。
開発の進んだ富士山周辺地域は、大正~昭和初期の都市と農山村、あるいは西洋と日本の価値観の交流を示すものではあるかもしれないが、建築、科学技術、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を‘与えた’とは言えない。むしろ近代科学技術によって影響を‘与えられた’という表現が適切だろう。
開発の進んだ富士山周辺地域は、大正~昭和初期の都市と農山村、あるいは西洋と日本の価値観の交流を示すものではあるかもしれないが、建築、科学技術、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を‘与えた’とは言えない。むしろ近代科学技術によって影響を‘与えられた’という表現が適切だろう。
3.あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。または、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本である
1で述べたように、富士山そのものは「天然自然」であって人間の創造物ではない。
伝統的住居形態、陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本にはなり得ない。
1で述べたように、富士山そのものは「天然自然」であって人間の創造物ではない。
伝統的住居形態、陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本にはなり得ない。
古くから信仰の対象となっていたことと相俟って、その登山の歴史は決して浅くない。
- 末代上人を祖とする中世の富士修験
噴火がひと段落した十二世紀頃、日本の仏教は密教を基本としており、山岳宗教である修験道は、天台・真言の密教と密接な関わりを持ちつつ発展した。
学問としての仏教……中国から招来された一切経。
(※一切経:釈迦の教説と関わる経・律・論の三蔵、その注釈書を含む経典の総称。)
実践としての仏教……数百回富士登山をした末代上人。
富士山中において断食して入定した(=即身成仏を遂げた)という伝説。
中国から伝来した学問としての仏教と日本独自の実践としての仏教の発展を特徴づける。
学問としての仏教……中国から招来された一切経。
(※一切経:釈迦の教説と関わる経・律・論の三蔵、その注釈書を含む経典の総称。)
実践としての仏教……数百回富士登山をした末代上人。
富士山中において断食して入定した(=即身成仏を遂げた)という伝説。
中国から伝来した学問としての仏教と日本独自の実践としての仏教の発展を特徴づける。
- 庶民の間で流行った近世の富士山信仰
十八世紀頃、開祖長谷川角行から数えて六代目にあたる食行身禄食行身禄が富士山七合目の烏帽子岩で断食して入定した後、その弟子たちが熱心な布教活動を行なった結果、富士講は江戸中で大流行した。
(※富士講:グループをつくって何年かかけて旅費を積み立て、集団で富士山に登山するという信仰集団。信仰登山を集団で行なう宗教的な自治組織。)
富士講による信仰登山の盛り上がりは江戸庶民の文化を特徴づける。
(※富士講:グループをつくって何年かかけて旅費を積み立て、集団で富士山に登山するという信仰集団。信仰登山を集団で行なう宗教的な自治組織。)
富士講による信仰登山の盛り上がりは江戸庶民の文化を特徴づける。
このように信仰登山の深い歴史をもつ富士山は、ある文化(または複数の文化)を特徴づけるような人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本になり得るのではないか。
また、この基準においては‘特に不可逆的な変化によりその存在が危ぶまれている’ことが重視される。自然物である富士山はこの点も十分に考慮されるべきである。
4.現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統またはある文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも稀有な存在)である
明治初年の廃仏毀釈によって、富士山にあった仏教系の要素、その文化財は壊滅的な打撃を受けたのである。(上垣外、1982)
明治初年の廃仏毀釈によって、富士山にあった仏教系の要素、その文化財は壊滅的な打撃を受けたのである。(上垣外、1982)
- 明治政府……富士山の本体を「浅間大菩薩」と呼ぶのを禁止した。
(浅間=富士の神と仏教の菩薩の合わさった、典型的な神仏習合の名称。)
- 富士宮浅間神社の大宮司……強引な廃仏運動を富士全山で繰り広げる。
→戦国時代や江戸初期に建てられた神道系の社殿はそのまま残っているが、江戸後期の富士講が最も栄えた頃の神仏習合的な境内の様子は見られなくなってしまった。
今日の神道系の神社の姿だけを見たのでは、往年の富士山信仰の半ばを見たことにしかならないのである。(上垣外、1982)
今日の神道系の神社の姿だけを見たのでは、往年の富士山信仰の半ばを見たことにしかならないのである。(上垣外、1982)
ほとんどの仏像が廃仏毀釈の際に徹底的に破壊されてしまったため、文化的伝統を伝承するための物証としては不十分であると言わざるを得ないが、現在も残されている部分については富士山信仰という伝統文化を示す無二の物証と言えるのではないか。
5.歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である
上述したように富士山そのものは自然物であって、建造物や科学技術の集合体ではない。けれども人々は富士山という「天然自然」の上に神社や寺院を建造し、時には破壊してきた。
歴史上重要な段階を物語るかどうかはわからないが、少なくとも長きに渡る人間と自然の関わりがよく現れた景観の代表ではあると思う。
上述したように富士山そのものは自然物であって、建造物や科学技術の集合体ではない。けれども人々は富士山という「天然自然」の上に神社や寺院を建造し、時には破壊してきた。
歴史上重要な段階を物語るかどうかはわからないが、少なくとも長きに渡る人間と自然の関わりがよく現れた景観の代表ではあると思う。
6.顕著な普遍的価値を有するできごと(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある
富士山はさまざまな信仰、芸術作品、文学作品と直接または実質的関連がある。
富士山はさまざまな信仰、芸術作品、文学作品と直接または実質的関連がある。
- 信仰……中世的な修験道の富士登山、近世的な富士講による富士登山
- 芸術的作品……聖徳太子絵伝、和歌、俳句、浮世絵、水墨画、写真など
- 文学的作品……小説、詩集など
この基準は他の基準と合わせて用いられることが望ましいとされるが、実際にはこの基準のみで世界遺産に登録されているものもある。だがそれは原爆ドームやアウシュビッツ収容所のような負の遺産、すなわち後世に悲惨な過ちを繰り返さないための教訓である。
→富士山はこの基準だけを満たしていても登録は難しい。
7~10の基準はもともと自然遺産の登録基準として設けられたものである。富士山は以前自然遺産登録が目指されていたが、登山客のオーバーユースや不法投棄、建設残土を理由にユネスコ関係者から厳しい判定をくだされた。けれども富士山が自然遺産に登録されなかった原因は、ごみやし尿の問題のためではなく、もっと根本的なところにあった。つまり以下に挙げる基準をひとつも満たす要素がないと判断されたのである。
7.類まれな自然美・美的要素を有する優れた自然現象あるいは地域を含む
8.生命進化の記録や、地形形成における重要な進行しつつある地質学的過程、あるいは重要な地形学的、自然地理学的特徴を含む、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な見本である
9.陸上、淡水域、沿岸および海洋の生態系や動植物群集の進化や発展において、進行しつつある重要な生態学的、生物学的過程を代表する顕著な見本である
10.学術上あるいは保全上の観点から見て、顕著な普遍的価値を有する絶滅のおそれのある種の生息地など、生物多様性の野生状態における保全にとって最も重要な自然の生息地を含む
→8の地形、9の生態系、10の生物多様性に関しては、実際に珍しい地形があったり、とろわけ貴重な動植物が生息していたりするわけではないので、異議を唱えようがない。
だが7の自然美についてはもう少し考えてみる余地があるのではないか。
→富士山はこの基準だけを満たしていても登録は難しい。
7~10の基準はもともと自然遺産の登録基準として設けられたものである。富士山は以前自然遺産登録が目指されていたが、登山客のオーバーユースや不法投棄、建設残土を理由にユネスコ関係者から厳しい判定をくだされた。けれども富士山が自然遺産に登録されなかった原因は、ごみやし尿の問題のためではなく、もっと根本的なところにあった。つまり以下に挙げる基準をひとつも満たす要素がないと判断されたのである。
7.類まれな自然美・美的要素を有する優れた自然現象あるいは地域を含む
8.生命進化の記録や、地形形成における重要な進行しつつある地質学的過程、あるいは重要な地形学的、自然地理学的特徴を含む、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な見本である
9.陸上、淡水域、沿岸および海洋の生態系や動植物群集の進化や発展において、進行しつつある重要な生態学的、生物学的過程を代表する顕著な見本である
10.学術上あるいは保全上の観点から見て、顕著な普遍的価値を有する絶滅のおそれのある種の生息地など、生物多様性の野生状態における保全にとって最も重要な自然の生息地を含む
→8の地形、9の生態系、10の生物多様性に関しては、実際に珍しい地形があったり、とろわけ貴重な動植物が生息していたりするわけではないので、異議を唱えようがない。
だが7の自然美についてはもう少し考えてみる余地があるのではないか。
「その姿は円錐形で左右の形が等しく、堂々としていて、草や木は全く生えていないが、世界中で一番美しい山というのは当然である。」(ドイツ人医師ケンペル)
「晴れた夏の夕方には、八〇マイルほど離れた江戸からも見えることがある。そういうときには、雲の上にその頭を高くもちあげており、夕日がその背後に沈むので、その深紅色の大きなかたちが金色のついたての上にすっかり浮き出しになって見える。また早朝には、朝日の光が頂上の雪に反射して、その円錐形が輝いて見える。」(イギリス公使オールコック)
「ゆったりと静まりかえったこの場景を背後から包み込むように、なにに譬えようもない富士ヤマのすっきりとした稜線が左右の均斉を保って空高くそびえたち、薄墨いろにかげる青い山肌の上方には清浄な白雪がまるで大きなダイヤモンドのように夕陽にきらめいている」(アメリカ公使ハリスの通訳ヒュースケン)
→枚挙にいとまがない世界に名だたる美しい山としての記述
「晴れた夏の夕方には、八〇マイルほど離れた江戸からも見えることがある。そういうときには、雲の上にその頭を高くもちあげており、夕日がその背後に沈むので、その深紅色の大きなかたちが金色のついたての上にすっかり浮き出しになって見える。また早朝には、朝日の光が頂上の雪に反射して、その円錐形が輝いて見える。」(イギリス公使オールコック)
「ゆったりと静まりかえったこの場景を背後から包み込むように、なにに譬えようもない富士ヤマのすっきりとした稜線が左右の均斉を保って空高くそびえたち、薄墨いろにかげる青い山肌の上方には清浄な白雪がまるで大きなダイヤモンドのように夕陽にきらめいている」(アメリカ公使ハリスの通訳ヒュースケン)
→枚挙にいとまがない世界に名だたる美しい山としての記述
感想・論点
文化遺産、自然遺産の枠を取り払ったと言っても、結局基準の内容はそのままだから、富士山のような複合遺産が登録基準を満たすのは、分類がはっきりしている遺産に比べてやや不利だと感じた。複合遺産に配慮した登録基準が必要なのではないか。
参考文献
『富士山―聖と美の山』上垣外憲一 中公新書 (1982)
『富士講の歴史』岩科小一郎 名著出版 (1983)
文化遺産、自然遺産の枠を取り払ったと言っても、結局基準の内容はそのままだから、富士山のような複合遺産が登録基準を満たすのは、分類がはっきりしている遺産に比べてやや不利だと感じた。複合遺産に配慮した登録基準が必要なのではないか。
参考文献
『富士山―聖と美の山』上垣外憲一 中公新書 (1982)
『富士講の歴史』岩科小一郎 名著出版 (1983)