おわりに.
ハイデッガーの道具論を独自に解釈した和辻の風土論は、今日的にどのような意義をもちうるのだろうか。本論は、日本の環境思想の一分野である生活環境主義との関連を指摘したい。すでに述べたとおり、和辻の重層的な所有概念は、入会地における所有意識と親和的である。しかし、入会地を代表とする、特定の誰かのものではない共有物の取り扱い方は、商品を私的に占有する経験をどれほど積み重ねても、身につくものではない。
この共有のありようについて、示唆的であるのが、生活環境主義である。一九八〇年代以降、伝統的な生業・生活文化から、人と自然との親密な関わり方を再び学ぶことの必要性は、主に生活環境主義の立場から主張されてきた。例えば、上下水道が整備されたことにより、本来の水と地域の環境との関わりを身近に感じる機会が少なくなり、水質汚染が加速する(嘉田、一九九一)という指摘に代表されるように、共有物の取り扱い方は、生活的自然との身体的関わりのなかで見出されうるものである。これまで生活環境主義は、主に柳田國男の民俗学研究との関連性からその理論的意義を論じられてきたが、今後、本論をふまえてハイデッガーの道具論および和辻の風土論を介した検討を行いたい。
ハイデッガーの道具論を独自に解釈した和辻の風土論は、今日的にどのような意義をもちうるのだろうか。本論は、日本の環境思想の一分野である生活環境主義との関連を指摘したい。すでに述べたとおり、和辻の重層的な所有概念は、入会地における所有意識と親和的である。しかし、入会地を代表とする、特定の誰かのものではない共有物の取り扱い方は、商品を私的に占有する経験をどれほど積み重ねても、身につくものではない。
この共有のありようについて、示唆的であるのが、生活環境主義である。一九八〇年代以降、伝統的な生業・生活文化から、人と自然との親密な関わり方を再び学ぶことの必要性は、主に生活環境主義の立場から主張されてきた。例えば、上下水道が整備されたことにより、本来の水と地域の環境との関わりを身近に感じる機会が少なくなり、水質汚染が加速する(嘉田、一九九一)という指摘に代表されるように、共有物の取り扱い方は、生活的自然との身体的関わりのなかで見出されうるものである。これまで生活環境主義は、主に柳田國男の民俗学研究との関連性からその理論的意義を論じられてきたが、今後、本論をふまえてハイデッガーの道具論および和辻の風土論を介した検討を行いたい。
■参考文献
- 苅部直(二〇一〇)『光の領国 和辻哲郎』岩波書店
- 嘉田由紀子(一九九一)「シャドウ・ウォーター 見えなくなった水の世界」『都市問題研究』四三巻八号
- 熊野純彦(二〇〇九)『和辻哲郎 文人哲学者の軌跡』岩波書店
- 小松美彦(一九九六)『死は共鳴する 脳死・臓器移植の深みへ』勁草書房
- マルティン・ハイデッガー (一九六〇)『存在と時間 上』岩波書店
- マルティン・ハイデッガー (一九九一)『存在と時間 中』岩波書店
- Martin Heidegger “SEIN UND ZEIT” MAX NIEMEYER; 19. A.版 , 2006
- 牧野英二(二〇一〇)『和辻哲郎の書き込みを見よ―和辻倫理学の今日的意義』法政大学出版局宮川敬之(二〇〇八)『和辻哲郎―人格から間柄へ』講談社
- 和辻哲郎(一九七九)『風土 人間学的考察』岩波書店
- 和辻哲郎(一九六二a)『和辻哲郎全集 四巻』岩波書店
- 和辻哲郎(一九六二b)『和辻哲郎全集 十巻』岩波書店
- 和辻哲郎(一九九二a)『和辻哲郎全集 別巻1』岩波書店
- 和辻哲郎(一九九二b)『和辻哲郎全集 別巻2』岩波書店
- 鷲田清一(一九九二)「〈ある〉と〈もつ〉―「所有」という観念についての試論(一)」『待兼山論叢』第二六号哲学篇