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  • 121008「日本型環境倫理における 風土論の可能性」

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121008「日本型環境倫理における 風土論の可能性」

最終更新:2012年10月23日 18:10

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「日本型環境倫理における 風土論の可能性」 The possibility of Fudo Theory in Japanese environmental ethics

■本論の章構成
はじめに
第1章 戦後日本の環境運動    ―住民運動と市民運動
第2章 20世紀の北米の環境運動    ―環境倫理学と環境プラグマティズム
第3章 再帰性と恒常性の両立の必要性    ―形式的合理性がもたらす問題
第4章 風土の構造、風土論の射程    ―〈試し〉を支える文化的構造
おわりに

■本論の流れ
  • 日本の環境運動の担い手に求められる能力と内容について、戦後の環境運動史を概観しつつ確認する。
  • 環境運動の担い手に求められる再帰的能力を育成するために必要な恒常性が、社会における形式的合理性の過剰(「マクドナルド化」)により失われつつある。
  • 再帰的能力を育成するための〈試し〉は、安定した望ましいもののイメージを前提として必要とする。〈試し〉を支える構造のあり方を、風土論のなかに見出し、効果の射程を検討する。

■本論の背景[はじめに]1
90年代に輸入学問として広まった環境倫理学を日本の実情に即して更新するという試みはすでに多くなされている →日本の自然観を、欧米の自然観(あるいは、機械論的自然観)のオルタナティヴとして対置させるという手法が主流。
ここには「環境倫理の更新→集団的実践の方法・理念の更新」という前提がある。
しかし、環境倫理は環境運動の盛り上がりに伴って、集団的実践の方法・理念の背景となる世界観、思想的系譜を分析するものとして要請された。 ( 「集団的実践の方法・理念の更新→環境倫理の更新」 )
日本において環境倫理が環境運動に貢献しようとすれば、戦後日本の環境運動史からのフィードバックが必要となる。

■本論の背景[はじめに]2
環境ボランティア、環境NPO/NGOは、北米において環境運動の主たる担い手であった。 日本においても、それらは環境運動の担い手として、60年代から現在まで、多くの論者から期待が寄せられている。(cf.鳥越編2004)
しかし、環境ボランティア、環境NPO/NGOの構成員であるところの〈市民〉の存在を自明の前提とすることは、現状では難しいものとなっている。 →現在の「個人化社会」では、諸個人の苦悩の共通性を一つの集合としてまとめることは困難であり、政治的な力が醸成されにくい。 (cf.バウマン2002)
普遍的・超越的な理念(権利や法)に代わる、運動の諸手法の背景となる世界観は何が可能か。

■本論の背景[はじめに]3
本論では環境運動において〈市民〉に期待される能力および維持のための構造を、ギデンズの「再帰性」の議論を手がかりに考察する。
再帰性:自分自身を意識的に対象化し、メタレベルから反省的視点に立って自己を再織築していく能力
現状①:再帰的な能力は人々の間で差があり、その差は後天的な教育の成果も含まれるため、再生産される。
現状②:人々が重要な決定には参与できない「限定的な再帰化」では、形式的合理性が実質的合理性を失調させる状況が生じる。( cf.「マクドナルド化」 )
再帰性を中核とする社会で重要なのは、どのような質の再帰性を確立できるか、また、再帰性をどのように確保し形成できるかということである。 日本型環境倫理においては、守るべき生活環境の内実がこの問題と関わる。

■戦後日本の環境運動[第1章]1
戦後日本の環境運動史の概観
50、60年代の典型事例:「産業公害」 四大公害問題に代表される初期の住民運動は、公害による生産基盤の破壊に対して、農漁民層が事後的に抗議行動を行うものだった。60年代半ばから、コンビナート建設などに対して、建設前の学習会・反対運動が行われるようになり、住民運動と市民運動の境界が曖昧なものとなる。
70年代の典型事例:「高速交通公害」 高速交通公害で批判の対象となったのは、公共性の名のもとに、加害責任を認めず抜本的な公害防止対策をとろうとしない事業者のあり方であった。あるべき公共性のあり方をめぐる「集団訴訟」が行われるようになる。
80年代の典型事例:「生活公害・反原発運動」 チェルノブイリ事故後の1987年、都市部の主婦層を中心に反原発ニューウェーブが高揚した。自己表出性とネットワーク性を重視する、日本における「新しい社会運動」。同時に、そのような特性ゆえに一過性の高揚にとどまらざるをえなかった。
90年代の成功した環境運動:「新潟県巻町の原発建設をめぐる住民運動」 1996年に日本初の住民投票を実現し、原発建設の中止を決定した運動。この運動がなぜ成功しえたのかを、外部の諸事件の影響をひとまずのぞいたうえで、青森県六ヶ所村の核燃料サイクル施設建設反対運動との対比のなかで、リスクの連鎖的転移の回避、文化的フレーミングに注目して分析する。
2000年代の典型事例:「地球温暖化問題」 環境運動が政策志向性を高めてきたことを国内外のグリーン電力の展開例を通して分析する。

■戦後日本の環境運動[第1章]2
日本で環境運動から環境倫理を導こうとすると、地域問題と関連せざるを得ない。
「利害当事者としての地域〈住民〉を中心とする生活防衛的な住民運動がまずあって、その後、良心的構成員としての〈市民〉が普遍的な価値の防衛をめざして参入する、という形をとりやすい」(長谷川2003)。
この意味での、〈住民〉/〈市民〉の区別は、欧米には見られない。 (cf.船橋1988) →「地域自治体の単位で、生活空間としての環境を守る」諸手法の背景をなすコンセプトとしての日本的環境倫理。

■戦後日本の環境運動[第1章]3
「地域自治体の単位で、生活空間としての環境を守る」ときに課題となるのがNIMBY現象である。とりわけ、高速公害問題、原発建設問題などにおいて顕著。
“Not In My Back Yard”(施設の重要性は認めるが、自分の裏庭には来ないでほしい)
NPO/NGOなどの“理念で動く団体”が弱いと、ある地域の外にその問題が広がらない→多数派形成が難しい→環境保護が政策課題から抜け落ちる。(cf.シュラーズ2007)
地域の生活環境に重点をおく日本型環境倫理においても、運動の担い手に〈市民性〉は必要とされている。

■戦後日本の環境運動[第1章]4
日本では西欧と比較したとき、環境ボランティアや環境NGO/NPOの動員が困難ということは以前からよく言及されている(cf.諏訪1998他)。しかし、環境運動において〈市民〉に求められているのは自発性なのか。
宮本憲一は、市民運動に環境政策において、その政策の価値前提(環境的公正)そのものの問い直しのプロセスを求める(1989)。また、日本の大型公共事業における、「上からの公共性」と「当為としての公共性」の分裂の解消を成果として求めている(1982)。
生活環境を壊乱する大規模建設への反対運動(ex.新潟県巻町の原発建設反対)だけでなく、一括した行政施策にはなじまないような個々の地域における生活の質的向上に関する活動(ex.滋賀県琵琶湖畔の町並み保存)
環境ボランティアや環境NGO/NPOは、さまざまな目的を持つが、共通するのは、成果を評価するための絶対の基準(例えば企業における売上高のような基準)があるわけではないという点である。 それゆえ、環境ボランティアや環境NGO/NPOの担い手に、再帰的な能力は、強く求められているといえる。
その事例として、新潟県巻町の原発建設反対運動を扱い、「文化的フレーミング」、「リスクの連鎖的転移の回避」がともに運動体の再帰性にもとづくものであることを整理する。

環境倫理学が生まれた北米では、この再帰的能力についてはどのような扱われ方をされているのだろうか。

■20世紀の北米の環境運動[第2章]1
北米の環境倫理学および環境プラグマティズムがどのような背景から生まれたかを整理する。(cf.唯研論文)
1. 環境倫理学に対する諸批判
1-1.環境プラグマティズムの批判する環境倫理学の排他性
1-2.キャリコットの[[内在的価値]]の位置づけと、ノートンらの批判
1-3.生態系生態学の機械論的自然観へのキャリコットの批判
2.環境プラグマティストの「価値多元主義」
2-1.環境プラグマティストの「価値多元主義」と、キャリコットらの批判
2-2.転成的価値と、生物学者たちの“実感”
2-3.収束仮説と、保全生態学の関連性
2-4.保全生物学を合意の基礎におくことの限界

■20世紀の北米の環境運動[第2章]2
北米においては、住民運動は非主流である(cf.ダヴィ1998)。環境NPO・NGOを主体とした市民運動がまずあり、その構成員の多くをボランティアが占める。ボランティアの動員を促すのは運動の理念、価値観であり、キャリコットの道徳一元論に基づく環境倫理学は、環境保護団体を、ロビー活動を行うマイノリティ政治集団として位置づけることとなった。
市民が政策に対して強い影響力を持つアクターとなりえた背景には、環境運動が黒人市民権運動の成功に範をとっていること(cf.ナッシュ1999)、機械論的な生態系生態学の興隆に対して、西海岸のカウンターカルチャーと合流した環境運動から環境倫理学がスタートしたこと(cf.太田唯研論文)などがあげられる。
ここでは市民の存在は自明視されているが、再帰性は求められていない。それゆえ、運動がエコファシズム、エコ・テロリズムなどの過激な行動へと向かうことを止められないことも早くから指摘されている。(cf.レーガン1980)

■20世紀の北米の環境運動[第2章]3
ノートンの批判者であるキャリコットは、環境運動の主体を単一の任務を持つマイノリティ政治集団として位置づける。環境運動は道徳一元論の立場をとる(自身の単一の動機を道徳的に絶対とし、非妥協的な性格をもつ)べきとするため、再帰性を求める言説からは距離を置いている。
一般的に言えば、運動における再帰性は多数派形成において効力を発揮するが、マイノリティ政治集団は多数者の支援を当てにせず、多数派形成に熱心ではない。妥協が必要になるかもしれないからである。
小さいがまとまりがあるマイノリティ政治集団は、ロビー活動を行い、当選を左右する票を提供することで、最終的な投票結果に影響を与える(cf. シュラーズ2007)。

■20世紀の北米の環境運動[第2章]4
キャリコットの環境倫理学における価値論の議論から一定の距離をもち、異なる環境NPO/NGO間の多数派形成を促そうとする環境プラグマティズムにおいても、環境運動の担い手としての市民の存在が前提とされている。
生物多様性に関する環境教育で注目されるノートンの「転成的価値」もまた、体験を通じて受容価値の基準の変更を行うことができる再帰的主体=〈試す主体〉であることが前提とされている。
「転成的価値」は再帰的能力の発揮において恒常的なもの(つまり生物多様性をもつ空間)の必要性を考察している点は示唆深い。

■再帰性と恒常性の両立の必要性[第3章]1
ギデンズ(2005他)の「再帰性」を手がかりに、環境運動の担い手として必要とされる市民の能力と、その能力を維持・再生産するための構造について考察する。
ギデンズは、再帰性の成立のためには、行為の対象が主体にとってコントロール可能なように脱制度化(制度ではなくなり、個人や市場のコントロールに委ねられていくこと)している必要があるとし、これを「脱埋め込み」という概念で示す。
ギデンズは「脱埋め込み」を進めている「脱埋め込みメカニズム」には2つのタイプがあるとする。
「象徴的通標」:貨幣があれば言語が通じなくとも取引可能
「専門化システム」:検証可能で誰でもアクセスできる技術

■再帰性と恒常性の両立の必要性[第3章]2
「脱埋め込み」を進め、「再帰性」だけで社会を設計しようとすると、困難が生じる。人は生まれながらにして再帰的主体であるわけではないからだ。一定の教育や文化のもとで主体は形成されていくので、「再帰的主体の形成過程」を抜きに、再帰性は成立しない。
しかし、再帰性を評価する議論や論理は、人間が再帰性をもつこと、すなわち人間が合理性や論理性、高度な知的レベルをもつことを前提に形成されており、再帰性を形成する過程を、それらの議論内部では語れない。
ギデンズは再帰的主体の形成に必要な要素を、「存在論的安心」として精神分析から援用している。
また、再帰性が限定されたものになると、形式的・部分的にのみ合理性を追求するあまり、実質的・全体的な非合理を招く現象もみられる。 (cf.「マクドナルド化」リッツァ1999) →限定された再帰性は、 「再帰的主体の形成過程」を支える恒常性を破壊しうる。⇒地域レベルの生活環境で重要

■再帰性と恒常性の両立の必要性[第3章]3
再帰性は、メタレベルの信頼や落着きや余裕を与える場なしには維持できない。人間が新しいことに挑戦するためには、他者や世界への信頼が不可欠である。 (樫村2007) →「文化」や「伝統」への期待(cf.キャリコット2009。日本の環境思想においては、生活環境主義など)
しかし、再帰性を中核とする社会においては、「文化」や「伝統」に期待、重視するときも、なぜ伝統に期待・重視するのかその理由を問われるようになった。もはや「文化」や「伝統」は特権的な領域ではない。
しかし、それゆえ逆に、伝統を従来のように無前提に擁護し、その純正性を自身の正統性の根拠とする「原理主義」の存在は非常に重要になってきたとギデンズは述べる。
ギデンズは原理主義を巡る問題を、伝統の擁護そのものではなく、伝統擁護の様式に見出す。原理主義はそれを支えるために、他者と私が同じだという幻想と、その幻想を強力に支える制約、教義を配給する。その結果、幻想を共有しない実際の他者の受容には開かれづらいシステムが生成され、外部に対して不信と敵意を抱く集団が現れる。
原理主義は宗教の領域だけでなく、ポスト伝統社会である今日の社会生活のいずれの領域でも、台頭する可能性があるとギデンズは指摘する。

■再帰性と恒常性の両立の必要性[第3章]4
地域において、限定された再帰性が、 「再帰的主体の形成過程」を支える恒常性を破壊することを防ぎ、なおかつ再帰性を排除するような文化・伝統の無前提な擁護(原理主義)も回避することが、環境倫理において求められる。
そのための方策として、「地域自治体の単位で、生活空間としての環境を守る」諸手法のコンセプトとしての日本的環境倫理においては、「風土」概念に着目する。

■風土の構造、風土論の射程[第4章]1
[…風土論とその背景 サーベイ中…]
安室知「風土研究と環境の民俗学」(鳥越編『試みとしての環境民俗学』
市川達人「環境・所有・風土」 (尾関編『環境哲学の探求)
オギュスタン・ベルク『風土の日本』『風土学序説』
ジュリア・トーマス『近代の再構築』
森末治彦「環境思想としての風土論の展望」
吉野政敏「日本の風土の認識」(『日本科学史大系』11巻)
…
[なぜ和辻、亀山の風土への視角が採用されるのか?]

■風土の構造、風土論の射程[第4章]2
亀山(1989)は、近代合理主義の原型をあたえたデカルトの合理論を「試し」の過程として扱っている。つまり、日常的生の経験を通して自己を「試す」こと。その「試し」における出来事を通じて自己(の価値観、行動原理、判断力、知恵)を吟味すること。その吟味を通じて自己を知り、形成することを含めた合理論である。
この「試し」のニュアンスは、十六世紀、フランス宗教戦争とペスト大流行の最中に記されたモンテーニュの主著『エセー』によっている。キリスト教、ないしはその教会の、権威の失墜であるとともに、人びとを支えてきた、絶対、普遍、秩序という、一元的な生活原理ないし意識が、激動する時代の流れに、対応しきれなくなったことを意味する。亀山は、このような時代と現代を、危機の時代として、近似的とみなしている。
この生の経験による「試し」の行為と思索とは、風土論に至るまで、方法態度として一貫して採用されている。
この「試し」を、実践的合理を目指す再帰性と関連付ける。

■風土の構造、風土論の射程[第4章]3
亀山は『環境倫理と風土』(2005)において、風土概念を「“人間と自然の共生”が、たんなる情緒的スローガンに陥ることなく、日本社会に共有可能な現実的環境倫理の理念たりうること」を提案するために用いる。
重要なのは、生活的自然を、五感と身体で受けとめることの大切さ以上に、風土の経験を地元の住民(地民)自身が自らの地域に対する認識を反省的に深める運動に取り組むことであり、「風土理解の共有化」から「風土性の共有化」へと参与的認識を進めていく、というプロセスである。このプロセスは、動員構造に難のある日本の環境運動における有効なアプローチとして注目されているスノーの「文化的フレーミング」の議論と親和性が高い(cf.長谷川2003)。
文化的フレーミングとは、ある社会運動を正当化し、参加を動機づけるような、参加者に共有された状況――つまり世界のイメージや、運動の自己イメージを形成・共有するための意識的・戦略的なプロセスを指す。文化的フレーミングの基礎となるものについてスノーの言及はないが、この基礎をなすのが風土性であり、風土記述の焦点を分析することは、ある世界像を地域内で共有するために重視すべき側面を教えるだろう。

■風土の構造、風土論の射程[第4章]4
 また、市民主義への批判をふまえたうえで、環境運動の担い手として求められる〈市民性〉の内容を、和辻の風土論に基づいて考察する(再帰性は、〈市民〉に求められる能力についての考察であり、内容ではないことに注意)。
和辻は『風土』を著すにあたり、ハイデッガー『存在と時間』の道具連関の議論を参照にしているが、そこではハイデッガーが「存在」の問題系としていた議論を「所有」の問題系とする意図的な読み替えが行われている。1920年代に和辻が他著作で行っていたのは、私企業あるいは国家によって、国土が占有されることへの批判である(その意味で、和辻を国体主義者と見なすのは誤りである)。
一つの物の上にいくつもの所有権が重畳して成立し得た場合、集団の構成員にどのような倫理性が求められるかについて、和辻の議論の射程とその陥りがちな問題点とともに整理する。

■まとめ
  • 90年代に日本に輸入された環境倫理学は、主に50年代以降の北米の環境運動からのフィードバックから生まれたものである。
  • 日本における環境運動や環境行政のとるさまざまな手法や理念の、それらの背景をなす世界観は北米のものと同じではない。「日本型環境倫理」と名付けられるものがある。
  • 戦後日本の環境運動史を概観し、フィードバックを行う必要がある。 →「地域自治体の単位で、生活空間としての環境を守る」指針としての環境倫理。
  • 日本においても北米においても、環境運動の担い手には、「再帰性」(ギデンズ)が求められる。 しかし、再帰的主体を育成するために必要な「恒常性」は失われつつある。また、再帰性を排除するような恒常性のあり方(原理主義)も避ける必要がある。
  • メタレベルの信頼や落ちつきや余裕を与える場や文化的・社会的認識を提供していくその方向として、日本においては「風土」概念が可能性をもつ。
  • 具体的には、「自然・人間の身体的関わり」のうちの「技術的関わり」の〈再埋め込み化〉、および複層的な所有概念の形成が、その方向となる。


▼質疑応答
  • なぜ太田D論は北米の環境倫理学および環境プラグマティズムを扱うのか。第2章はなくてもよいのではないか。再帰性の欠落(エコテロリズム)および再帰性の楽観視(ノートン)の事例以外で、を出す必要性はあるか。
→そもそも環境倫理学は北米で現れた学問領域であるため、環境倫理学を分析するときには、そのルーツを遡らなければ、何を前提として立てられている理論であるかを判別することができない。そこで見えてくるのが、環境NPO/NGOへの期待。

  • 太田D論はグローバルレベルの環境問題に対応できるような話になっているか。
→あくまでも「地域レベルのローカルな生活環境でおこる環境問題」に限定している。日本型環境倫理の特質が、「地域レベルのローカルな生活環境でおこる環境問題」に対応する諸手法のコンセプトの提示にあるため。

  • 太田D論が提起するコンセプトは“風土原理主義”になってしまうのではないか。結局、「昔あったものを取り戻せ」という結論なのか。
→地域の「文化」や「伝統」には期待している。しかし伝統を従来のように無前提に擁護しようとする結論ではない。伝統の擁護そのものではなく、伝統を擁護するそのやり方が問題。(再帰性と恒常性の両立の必要性 [第3章]3)
なぜ伝統に期待・重視するのか、その理由を照射していく一つの視角が、風土の構造。

  • 「環境ボランティア、環境NPO/NGOには、成果を評価するための絶対の基準があるわけではない」とはどういうことか。
→例えば、新潟県巻町の事例においては最初「原発建設への反対」が運動の成果であったが、途中から「住民投票の実施」へと運動の成果が変わった。いずれにせよ、巻町の生活環境をよりよいものにするという理念にもとづいていることには変わりない。

  • 「限定された再帰性」とは何か。
→再帰性が起こる領域が限定されること。効率性、予測可能性、計算可能性、制御に限定されることをリッツァは「マクドナルド化」と呼ぶ。

  • 「恒常性」とは何か。
→樫村(2007)の用語。再帰性を支える、信頼、象徴性、想像性、留保などが、恒常性と関わる。























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