いまさらP3考察 @ Wiki

フィレモン

最終更新:

Bot(ページ名リンク)

- view
だれでも歓迎! 編集
ふぃれもん
CV:堀内賢雄(PSP版「Persona」)、山野井仁(ペルソナ2罰)

公式

女神異聞録ペルソナ、およびペルソナ2罪・罰の登場人物。
P3には登場しないが、ペルソナシリーズを語る上では欠かすことの出来ないキャラクター。

自らを「意識と無意識の狭間に住まう者」と称し、イゴールベルベットルームの住人たちを従える立場にある存在。
常に蝶を模した仮面を身に付け、現世に出てくる時は金色の蝶になって現れる。

ペルソナ様」と呼ばれる「未来が見える」と囁かれるオカルトじみた儀式を行った者は、その後眠りに落ちた際、フィレモンのいる「意識と無意識の狭間」へと赴く。
そこで彼は来訪者に対し「自分の名前を名乗ることが出来るか」と問いかけ、それに応じた者に「ペルソナを召喚する力」を授ける。
ここで数点ほど補足すると、まず「ペルソナ様」は彼に会う方法の一つではあるが、唯一という訳ではない。(抑々ペルソナの世界観では、儀式の類は人々がそうだと信じるからこそ、その通りの効果を持つものである)
他にも方法がある事は示唆されており、極稀だが彼の方からアプローチを掛けてくる場合もある。
もう一つは、彼との謁見がペルソナを得る唯一の方法でもない事。例えば異聞録の黒幕であったペルソナ使い神取鷹久やその部下の武多は、フィレモンとは邂逅していないとシナリオ担当の里見直が発言している。
最後に、ある意味これが一番重要だが、ペルソナを授けるに当たってフィレモンが重視するのは精神力の強さのみであり、善悪や人品には頓着しないという点である。
とはいえ、フィレモンに名を告げられたとしても、それはあくまでも「切っ掛け」でしかなく、その全てがペルソナ使いとして大成するわけではない。
逆に、フィレモンに名を告げられなかった者が、必ずしもそれだけの事で人としての高みに至れないと決定づけられる訳でもない。
繰り返すが、フィレモンはあくまでも人生に無数にある「切っ掛け」の一つなのだ。

その正体は、人間の精神の元型である普遍的無意識のうち、前向きな精神―「ポジティヴマインド」が人格化したもの。
己の人生に立ち塞がる困難へと立ち向かう人間を導き、見守る存在であり、自立した自己の確立を促す存在。
とは言え、彼はあくまで「ポジティヴな精神」が具現化した存在であって、「善」を司る存在ではない。「常に物事の良い面を見る」彼の善悪におけるスタンスを敢えて言えば、「善も悪も全ての試みを肯定し応援する」存在である。
罪においては自らの対となる存在であるニャルラトホテプが紡ぐ狂った因果の存在を知りながら、それを主人公周防達哉らには伏せて事態の成り行きを見守っていた、ある意味でのニャルラトホテプの共犯者でもあった。それは即ち、人類が精神的により高みに至れるか測る試みのために、彼らをモルモット扱いしていたに等しい。
それは、世界のリセットの際、達哉たちに最も重要な(5人全員が記憶を取り戻せばリセットは帳消しとなる)事を語らなかった事からも窺える。
(同様の点は異聞録でも存在し、彼は困難を乗り越えるための導き手の様な振る舞いをしながら、園村麻希や雪の女王について全てを知りつつ、その一切を黙っていた)

「罰」においてはペルソナが覚醒した当初、フィレモンの間で天野舞耶達と邂逅した時には弱り、薄らいだ姿で対面する。

また、ペルソナ2罰のエキストラダンジョンでは最終ボスとして戦う事となる。
その特筆すべき所は、ボス(最終ボスのニャルラトホテプも例外ではない。ただし使用できるペルソナの編成の特性上2周目以降限定)含めてどんな敵も一撃で倒す合体魔法・ハルマゲドンを使うと「ズルはダメ」と言わんばかりに「ハルマゲドン・R」で反撃してこちらを確実に全滅させる所である。
(PSP版アディショナルシナリオ「無影無綜」でも追加されたボスキャラが「ハルマゲドン・R」を使用してくるのだが)
ある意味エリザベスの原点は彼にあるのかもしれない。


非公式

原典

分析心理学の父、カール・グスタフ・ユングが、自らの夢に出てきた老賢者をそう呼んでいたことに由来する。
ユングは夢の中で何度も老賢者と出会って様々な知識を教わったとされ、元型論においても理性的かつ建設的な智慧を表す「老賢者」の元型として位置づけられている。
空想の産物ではなく、もう一人の自分であり、自立した精神的実在であるらしい。

ポジティブマインド

フィレモンが司る、心理学においてポジティブとされる要素は数多くあるが、特に代表的なものを記す。これらは必ずしも倫理道徳における「善」とは限らず、むしろ「悪」にも存在し得る要素も多い。
※記入者の主観が入ってる部分も多々あるので、興味が出た場合はより詳しく調べてみることをオススメします。

■老賢者(フィレモン)
ユング心理学における「元型」の1つで、社会的権威を超えた次元に位置する「人としての完成型」。
特に男性としての成長の到達点とされ、成長と活力を象徴し、助言を与えて人を導く理性的かつ建設的な智慧の原理を示す。
ただ優しいだけの存在ではなく、父性原理に基づいた公平で厳格な側面も併せ持つ、魂の導き手。
P3においてはユニバースの効果とそれを体現した主人公が、まさにこの元型の定義にそのまま当てはまる。

■ヒューリスティクス
人が何らかの意思決定をする際に、暗黙のうちに用いる簡便な解法や法則。
必ず正しい答えを導けるわけではないが、行動までの時間を短縮し、かつある程度のレベルでは正解に近い解を得ることができる。
各々の経験が無意識下でのベースになっているため、経験則と同一視されることも多い。漠然とした例では「直観」がそれであり、ある程度意識的な例としては「前例主義」もその一種。
人が事前に万全の情報を得ることも自分の決定を逐一検証し尽くすことも突き詰めれば不可能であり、その観点からは、ヒューリスティクスとは人を行動に踏み切らせる概念でもある。
他方、すべての意思決定が突き詰めればヒューリスティクスであるならば、人はいつか必ず(実際にはより頻繁に)過ちを犯すことになる。その真実と向き合ったうえで、少しでも「正しいもの」に近づこうとする心構えであり努力が、後述の「批判的思考」と言える。

■批判的思考(クリティカル・シンキング)
問題解決や自己向上を目的として、証拠に基づき偏りを極力排するよう努力する論理的思考。
問題を定義し根拠を検討し、バイアスを分析し、詭弁の誤謬を避け、他の解釈を考慮し、時に不確実さも容認し、暗黙の前提を明らかにして、より良い結論を模索すること。
名称から誤解されがちだが、他者への「否定」や「非難」とは明確に区別される。
批判的思考を行う場合はむしろ、まず他者の意見を肯定し、自分の意見を批判の対象とする「メタ認知」からの出発が重要であるともされる。(好意の原則
したがって、安易な単純化(白か黒か)及び早まった一般化(みんなそう考えている)、感情論、自論への固執等々による過度な他者攻撃を避けるための思考法でもある。

■メソテース(中庸)
古代ギリシアの科学者アリストテレスが提唱した倫理観の一つ。
ここで言う「中庸」は、儒教的な中立性とは若干趣を異にし、「勇気」や「節制」などの美徳とされる要素は、両極端な過不足の中間にあってこそ初めて成立するという考え方である。
例えば、「勇気」は足りなければ「臆病」になり、更には「卑劣」にさえ至る。一方で、過剰にあり過ぎると「蛮勇」になり、更には「無謀」にさえ至る。「勇気」は、その両極端の中間の状態として発現して初めて「勇気」たり得る、というものである。
そして、具体的にどの程度が適切な中庸かは、ありとあらゆるケースの次第によって常に異なる。アリストテレスは、その両極端の間を常にたゆたう中庸を感得する知恵を、フロネシス(思慮)と呼んだ。

■アレテー
古代ギリシアにおいて森羅万象の持つ優秀性を意味した語。
元来は性能の優秀さを指したが、哲学者ソクラテスはこの語を用い「人としての高みとは」という命題を投げかけた。
それ故に日本語では多くの場合"徳"と訳される。
人としてのアレテーには無数の解釈があり、最も簡潔な例では「よく生きること」とだけ説明されているものもある。
ソクラテスはアレテーとの向き合い方として、自分がアレテーについて未だ何も知らない事を認め、その答えを探し続けることが大事であると説いた。これが有名な「無知の知」である。

小ネタ

ペルソナ2罪のラスト及び、ペルソナ2罰のラストバトル直前には彼に「礼を言う」か「ぶん殴る」かの選択があるが、そこに追い込まれた状況への八つ当たり気味に彼をぶん殴ったプレイヤーは数知れないだろう。


フィレモン・ネタ/考察

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
ウィキ募集バナー