いまさらP3考察 @ Wiki

ニャルラトホテプ

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にゃるらとほてぷ
CV:山野井仁

公式

女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罪・罰の3作で、プレイヤーを導く存在フィレモンと並び重要な役割・設定を担う存在。P3には登場しない。

異聞録において、エルミン学園中庭の石碑などで、「比麗文上人(ひれもんしょうにん)」なる高僧と争う「鳴羅門火手怖(なるらとほてふ)」なる邪鬼の名を見つける事ができるほか、主人公との決戦中に暴走し、宿主の神取鷹久を乗っ取る「危険なペルソナ」として描かれる。
なお、この決戦後に手に入る『無貌の仮面』でペルソナとして制作できるが、城戸玲司しか召喚できない。

ペルソナ2では人間のネガティブマインドが凝り固まった集合的無意識の元型であり、フィレモンの対極に位置する存在としてスケールアップして描かれる。
人々の信じる「噂」を次々に「現実」化させて「革命を煽動」し、大衆自らの手で「日常・現実の破壊」していくさまを冷笑していた。

行動原理

P3的に表現すれば、「シャドウの大元締め」として、不満や絶望を抱える人間が撒き散らす絶望に大衆を感化させ、世界を破滅に導く。


特徴は一貫した自我・人格を持たないこと。
個々の化身に固有の人格はあれど、それが"虚無"だからなのではなく、全ての思想、思考、欲求、感情の坩堝である"混沌"ゆえに外見、能力はおろか思想や価値観、感性までもが変容するためである。

そんな「ニャルラトホテプ」の坩堝から生じ続ける「這い寄る混沌」に一貫した行動原理があるとすれば、目の前にあるものを何であろうと否定し尽くすという一点に尽きる。そして後進のニュクスやイザナミ、ヤルダバオトと異なる特徴は、その執拗かつ底無しの悪意。
ニュクスが「惜しい」と未練を、ヤルダバオトが「戯言ではなかったか」と感嘆を、イザナミに至っては「見事」と称賛までもを見せたのに対し、あらゆるものを嘲笑し否定する、後ろ向きかつ傲慢な愉悦である「負」の側面を知り尽くしたニャルラトホテプにとっては、正義や正論の「正しさ」、愛や友情の「絆」も、怒りや憎しみ等と等しく負の愉悦の正当化ツールであり、むしろ価値を貶めるものでしかない。

P2での出会いはもちろん、真実に気づき、影を乗り越え、絆を深めることそのものが破滅の遠因。情を移したようなそぶりを逆手に取った罠で主人公達を破滅に追いやった点からも窺い知れるだろう。そしてその先も罪と罰へ至る彼らを嘲笑するための罠なのである。





化身

ニャルラトホテプは、原典になぞらえたとおり様々な人間や人外の姿を持ち、これら無数の化身の言動を以って世界を破滅へと誘導していく。
その姿は千差万別だが、「皮肉に満ちた嘲笑を浮かべている」という部分にひとつの共通項がある。
一口に化身と言ってもその在り様は千差万別で、“奴”が別の姿を取って演じる端末に過ぎないもの、化身である事は自覚しながら“奴”とは別の意志と目的の下に行動するもの、そもそも化身という自覚がないものまで様々。

  • P2罪
■噂パパ(偽橿原)
黒須淳が本編開始の10年前についた嘘と当時の子供達の噂から、淳の「理想の父親像」として現れた化身。顔の造作は橿原明成と瓜二つだが、金色の瞳をしている。優雅で洗練された物腰と鷹揚な余裕を持つ壮年の紳士。既に他界していた本物の父と息子を捨てた母の代わりに、10年の間父親として淳を養育しながら、理想と偽りの記憶を吹き込み、ジョーカーへの変貌を促した。

■ラスト・バタリオン
物語中盤に突如として珠閒瑠市に現れたアドルフ・ヒトラー(PSP版では「フューラー」)率いるナチスの残党。シバルバーと水晶髑髏を狙い、偽橿原が率いる仮面党と衝突する。
総統や幹部の「聖槍騎士団」のみならず、末端の一兵卒まで全ての構成員が化身であり、総統以外の全てががらんどうの人形である。
仮面党とラスト・バタリオンの闘争とは、つまるところ化身同士による茶番であり、「噂から生み出された存在が現実に生きている者達を殺す」という不条理の極みでもあった。

■伯爵
P2罪・P2罰の両方で蓮華台に存在するアンティークショップ「時間城」の店主。噂によって武器やカードの売買を扱うようになる。
これ見よがしな宣言こそしないものの、化身であることを隠していない化身。
主人公らが流す噂によって武器や複製カードを商い出す以外は何もせず、化身でありながらひたすら事態の傍観者に徹している。
PSP版追加要素では、矛盾を孕む混沌の一部として自らをも嘲笑するというスタンスを表明し、主人公の利になる商いの理由も「同じ化身に過ぎないくせに本体気取りの"奴"に灸をすえるため」と嘯く。
「伯爵」(Count=「計数」と同じスペル)という名称や時計の目(を模した片眼鏡)の紳士という外見等から、モチーフは機械の化身「チクタクマン」と思われる。

■名無しの少女
サトミタダシによって書き下ろされたPSP版『罪』の追加エピソード「暗影」に登場する、P1から3年後の聖エルミン学園に流れた噂によって具現化した化身。
かつて園村麻希が妄想した箱庭を揶揄するかのように、自分が絶対的なアイドル扱いの異界を作り出し、そこにエルミンの教師や生徒を引き込んで自らへの礼賛を強要していた。
化身の自覚がある化身。自らの役割についても「ルールに従って、生徒たちの噂通りにしているだけ」と完全に自覚的。
最後は達哉らに敗れるも自らを「先ぶれ」と称し、『罪』の結末をにおわせる不吉な予言負け惜しみを遺して消え去った。
達哉らを『過去のエルミン学園』に送り込んだ伯爵に対して「化身の一つに過ぎないくせに余計な事をする」と毒づく一方、伯爵同様に「"奴"もまた化身の一つに過ぎない」と示唆するような台詞をも吐く彼女もまた、矛盾する混沌の一面である。

  • P2罰
■御前
新世塾の本尊として須藤竜蔵たちから盲信される、戦国武将・澄丸清忠のミイラ。噂パパや伯爵とは違い、あくまでも「澄丸清忠の怨霊」の人格として振舞う化身である。
新世塾の一部幹部らに啓示を与えて暗躍させることで登場人物達の心を揺さぶり、「罪」の破滅劇を再現させようとする。

■ゴッド・神取
『神条久鷹』として復活した神取鷹久のペルソナ。『女神異聞録ペルソナ』からの続投である。
観音像をあしらったデザインから、「黒い仏」がモチーフだと言われることもあるが、初出はこちらの方が早い。
(『黒い仏』の刊行は2001年1月、『女神異聞録ペルソナ』の発売は1996年9月)

■這い寄る混沌
自らを「ニャルラトホテプ」の真の姿と嘯く、P2最終ボス。無数の触手と虚ろな人面を持つ巨人の姿をしている。
モナドマンダラの最奥に辿り着いた達哉らを尚も苛みながら苛烈な攻撃を仕掛けてくる。

他に、ジョーカーとなった淳のペルソナ、2罪の中盤で新興宗教を啓く謎の神父、モナドマンダラでゲームを仕掛けてくる『金色の眼の達哉』、罪罰両方の最終局面で姿を見せる『月に吠えるもの』等、挙げれば切りが無く、まさに「それも私だ」な様相を呈している。

対抗手段

ニャルラトホテプは全ての人間が抱え持つ昏い心そのものである為、人が人である限り、彼は絶対に滅ぼせない。
そんな彼に対抗する術は、唯一つ。

全てを受け入れた上で、諦めないこと』。

そこにはワイルドの様な特別な資質も、ペルソナ能力すらも必要ない。一見すると拍子抜けするほどにシンプルだが、それは決して容易な事ではない。
全てを受け入れるのならば、人が人である限り影は決してなくならないという真実をも受け入れなければならないからだ。
理想、夢、希望、可能性、そして絆。それらの光を手に入れ、成長する事で影を受け入れ克服できたと自認する者は、決してニャルラトホテプには勝てない。それは打ち克ったのではなく、影との戦いに終わりはないという真実から目を背けただけだからである。

世を正し人を導くという理想と情熱を利用されて傀儡となった仮面党や新世塾のみならず、己の影と向き合い乗り越える意志、確固とした夢、かけがえない仲間との絆を備えたはずの達哉たちですら、夢や絆の矛盾を嘲笑う悪意の前に一度は膝を屈した。
その決定的瞬間に至るまでも、達哉らの足掻く姿など徒労だと揶揄するように街の混乱は加速して行き、そして「どうにもできない事もある」という「見たくもない真実」から目を逸らす彼らの幼く狭い絆など、世界の巨大なうねりの前では無意味な証明として、破局は訪れる事になる。
影は、達哉たちの『コミュ』を不信や不和で崩壊させるのではなく、その『コミュ』をも内包する「大衆」を扇動し、達哉たちの絆や人生を支える社会基盤そのものを奪い去ることで、『コミュ』の世界に対する無力さを突きつけた。
これはP3以降で中核的テーマになる「絆の力」に対して既に示されていた、強烈なアンチテーゼとも言える。

なお、舞耶を守り切れなかった事も世界の破滅を防げなかった事も、ニャルラトホテプ本人が言うとおり影からの試練の一環であり、影に対する敗北ではない。
絆で結ばれた仲間、自らの帰るべき日常、進んでいく未来すらも失ったという現実を受け入れられず、再会の約束を言い訳にしてリセットを選んでしまった事こそが影に対する敗北である。
(更に、重要な事項を伏せながらこのリセットを唆したのはニャルラトホテプではなく、フィレモンである事は明記しておかねばなるまい)

自らに立ち向かう者の神経を殊更に逆撫でする言動、そして穢れ≒影を取り除かれた通称「レッポジ人間」の量産計画に対する支援など、ニャルラトホテプは自らの司る負の領域を『不要な悪』と断じさせるように、喜悦を交えながら精力的に扇動する。
これらの「影」を消す試みへの支援とは一見すると「影」の存在を認めて乗り越える「影の受容」のようだが、その実は「影」の意義を否定させる「影の拒絶」の扇動に他ならない。

「夢物語に逃げず世界の無常さと向き合ったうえで、なお世界を愛せるか」という問いは、かのニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』等の著作で唱えた、『大いなる正午』から『永劫回帰』と『運命愛』を経て辿り着く『超人』の思想にも通じる命題である。
つまり彼に対抗するには、彼が悪意を含んで言う「真実」を否定せず「誘惑」に乗らず「それでも、自分達は自分達だ」と言える強さを持つことであるのだが、口先で終わらない芯からの強さを手に入れる難しさはもちろん、それとてもあくまでも抵抗を続ける手段であって勝つ手段ではないことは慎重に心に留めるべきであろう。

それら諸々を象徴的に示したのが「罰」での最終決戦におけるニャルラトホテプとのやり取りである。
まず、「罪」において「プレイヤー≒周防達哉」というポジションであったため、その視点では見る事すらできなかった達哉が犯した「罪」を目の当たりにさせられる。
達哉も言い逃れすらできず、達哉・舞耶の物語の一部始終を「後見人」のように見ていた画面の向こうのプレイヤーさえ絶句するであろうその罪を晒した挙句、達哉をなおも追い詰めてくる。
しかしそれを知っても達哉と共に戦う決心をした「罰」の仲間たちの呼びかけが達哉に戦う意思を与える。
そんな彼らを嘲笑し、「生に意味などないと知るがいい! 答えなど、何処にもないと泣くがいい!」と宣告するニャルラトホテプと、この一瞬だけ「超人」の仮面を被った達哉が切り返す「俺は、もう二度と背中を見せない…犯した罪にも…自分にもだ!!」という決意の言葉のやり取りは、紛れもなく物語のクライマックスと言える。
そして、本来は独り高みに行き過ぎた「超人」の特別さをこそ「大衆」の悪意で圧殺するニャルラトホテプの勝利はそれでも揺らがなかったはずが、達哉らの行動と呼びかけで力の源である(達哉ら自身を含む)大衆がほんの少しずつ心を動かされていたことで、有り得ないはずの敗北を喫する。
フィレモンの示唆から「全ての可能性は、影という混沌からこそ生まれる」という真実に気づいた彼は、それでも変節することはなく、人の可能性を否定する己こそが人の可能性を磨きあげるものであったという運命の矛盾、そして無限の可能性に振り回される人類の盲目さをなおも嘲笑いながら、ついに普遍的無意識の深淵に沈んだ。


非公式

原典

元ネタは20世紀アメリカの作家、H・P・ラヴクラフトの創作物である「クトゥルー神話」に登場する邪神の1柱。
「這い寄る混沌」「無貌の神」「闇に棲むもの」「夜に吼えるもの」等様々な異名を持ち、盲目にして白痴なる旧支配者の王・アザトースに仕え、戯れに人類の前に姿を見せては世界に混乱をもたらすべく暗躍する。
同時に、仕えるべき旧支配者を冷笑し、嘲り笑う存在でもある。

彼が恐れるのは唯一、炎を統べる猛悪なる邪神クトゥグアだけだという。


ネガティブマインド

P2中でニャルラトホテプが司る、心理学においてネガティブとされる要素は数多くあるが、特に代表的なものを記す。これらは必ずしも私欲による「悪」とは限らず、むしろ行き過ぎた「正義」や「善」のすぐ裏側に潜んでいる要素も多い。
※記入者の主観が入ってる部分も多々あるので、興味が出た場合はより詳しく調べてみることをオススメします。

■影(シャドウ)
ユング心理学における「元型」の1つで、有り得たかもしれない「もう一人の自分」。
表層自我の外側に広がる自己の「無限の可能性」の混沌領域とも言い換えられる。
通常「影」と言う場合には、その中でも特に表層自我に近く(つまり意識しやすく)、積極的に抑圧し拒絶したい部分を指し、どのような感情や認知が「影」に位置づけられるかは個々人ごとに形作られた表層自我の価値観や自己認識によって異なる。
根本的に今の自分を是とする表層自我が「影」に抱く嫌悪は本能と言って良く、そうして表層自我から「悪」として拒絶された「影」は逆に膨れ上がって表層自我を呑み込んでしまうこともある。
表層自我に対して凶暴な側面を有してもいる「影」だが、自己が過度な善や悪に傾かないよう補完する元型でもあり、ユング心理学では、この「影」と対決して受け入れ、自我に統合する事が自己発達の道であると説く。

■リスキーシフト
認知バイアスの一種。個人でならば理性的かつ節度ある選択や行動のできる人々が、集団となった際には極端で過激な思想言動に容易く流されてしまう現象。
過度に消極的な事なかれ主義になる「コーシャスシフト」と合わせて「集団極性化」と呼ばれ、いわゆる「群集心理」のもっとも象徴的な事象である。
ちなみにこの相反する両極は必ずしも反発し合う訳ではなく、同時に発生するという一見矛盾した現象も往々にして起こる。
その場合、事なかれ主義により右へ倣えの思考停止に陥りつつ、先導者の過激な主張を熱狂的に支持し実施するという一枚岩となった暴徒の群ができあがる。
この両極性を歴史上でも有数の巧みさで利用して民衆を思うように操縦し、そして自ら煽った大衆の狂気に呑み込まれた稀代の扇動者こそが、誰あろうアドルフ・ヒトラーフューラーである。
進行には段階があり、一気に熱狂が沸騰することは滅多にない。とは言え、いったん兆候を示し始めた集団を理性に訴えて止めることは極めて難しく、鎮静するケースは「シラけ」「飽き」或いは「萎縮」といった感情的要因によるものが殆どである。
P2罪は、影によって煽られたこの大衆的熱狂が主人公たちすらも呑み込んで自らを滅ぼすまでの物語とも言える。
ある意味では後述のシャーデンフロイデ・ルサンチマン同様に発売年である1999年当時、急速に拡大していったインターネット社会を皮肉った内容とも言えるのだが。
(精神的に未成熟な人間にとって、インターネットは「過ぎた玩具」以外の何物でもなかったという点で)

■シャーデンフロイデ
■ルサンチマン
シャーデンフロイデは他人の不幸や失敗、悲哀を悦ぶ感情。ルサンチマンは自分より恵まれていると認識した他者に対する憎悪や妬み。
つまり他人の不幸で愉悦し、他人の幸せで気分を害する心である。
これは、例えば「その相手が自分から見て自業自得なクズな場合」もシャーデンフロイデであり、「自分が邪悪と認知する相手に制裁を下したい」場合もルサンチマンに含まれる。
むしろ、これらの愉悦や攻撃衝動は、自分が正しく相手が悪い、と認知するほど誘発されやすいとされる。(正当化もしくは合理化
荒唐無稽でしかないはずのマイヤの託宣を決して少なくない数の珠閒瑠市民が盲目的に信奉した根底には、ラストバタリオンの出現時に日本社会から一度見捨てられた憤りによるルサンチマンと、そうして自分たちを見捨てた連中が無様に滅ぶ姿を見下ろしたいというシャーデンフロイデがある。
(小説版ではそのあたりの下りは簡素ながらも描かれている)

■父の名
フランスの心理学者ジャック・ラカンが提唱した概念。
人は「どうにもならない現実」(例えば『死』もその一つ)の存在を認識し受け入れることで、初めて幼児性の全能感(ファルロス)から抜け出て、次なる成長の段階へ至るというもの。
あくまで自己発達の概念として見るならばネガティブな要素とは言い難いが、ペルソナシリーズにおいて頻出する「自分を信じる」「無限の可能性」といったジュブナイルな自己肯定に対して「限界を認め、受け入れる」という、大なり小なり苦痛と挫折感を伴う概念であることから、ここに記す。
また、ユング心理学における「老賢者」の元型も「庇護者」「精神のゆりかご」を意味する「太母」の元型とは逆に「厳しい現実」「越えるべき壁」を表す側面もあり、P2罪の最終決戦における化身「グレートファーザー」は、バトル勝利後の展開も含め、これらの要素を含み示唆していると思われる。

■認知の歪み
アメリカの精神医学者アーロン・ベックが提唱し、その弟子デビッド・バーンズが完成させた、自我における認知をネガティブな方向へと誘導する思考パターンの類型。
心の負の側面そのものと言うよりは、負の側面を創り出すメカニズムとでも言うべきもの。
「スプリッティング」「should構文(べきである思考)」「マイナス化思考」等の10項目からなるが、これは1つ1つが完全に独立したものではなく、相互に影響し合っている。
簡単に言うと、己の中に正負の二極二分化思考を生み出し、それが客観的かつ絶対的なものと理論武装し、万事を負の側に分類してしまう一連の思考の流れである。
この思考パターンが重度になると、抑うつやヒステリーといった両極端な精神症状を引き起こす。
潔癖過ぎる完全主義を振りかざして、全てを貶し罵倒し嘲笑うニャルラトホテプの在り方こそは、この「認知の歪み」そのものである。


出演履歴

  • 真・女神転生シリーズ
メガテンシリーズにおける初出は、真・女神転生Ⅱから。
同作にて、金子一馬氏によってデザインされたニャルラトホテプは全身漆黒で表情も全く無く、翼と金の王冠を備えた立体的な人影のような姿をしている。
この姿は、クトゥルー神話に登場する悪鬼『夜のゴーント』がモチーフとされ、PSP版「PERSONA2罰」で追加された新規シナリオでは『無貌の神』としてこの姿を現し、舞耶達と戦っている。

  • 「ペルソナ~罪と罰」
※松枝蔵人による、「ペルソナ2」の世界観を下敷きにした漫画作品
ネンフィア・ジャポンの支社長・日下耶雲の部下の一人「羅喉」として登場する。
行使するペルソナは「ディアブル・ド・ラプラス(ラプラスの悪魔)」。
なお、羅喉もラプラスの悪魔も、一連の原典群で(あまり有名ではないが)ニャルラトホテプの化身の一つとされる呼称である。
言動の端々から這い寄る混沌の化身であることを匂わせるも、基本的に化身らしからぬ小物の道化に徹していたが、物語の終盤に自らの死を以って事態を後戻りできないところまで追い込んだ。
最終回におけるフィレモンとのやり取りでニャルラトホテプの眷属である事が明確になるが、その際には化身らしい傲岸な目を見せている。

  • 「真・女神転生TRPG 魔都東京200X」
※アトラス公認のテーブルトークRPG
リプレイシリーズ「退魔生徒会シリーズ」に出てくるキャラ『溝呂木麟』が、シリーズ終盤にニャルラトホテプになる(このゲームでは、プレイヤーキャラが悪魔になったり悪魔に変身したり出来る。ペルソナ使いも再現可)。
但しここでのニャルラトホテプは異聞録・2の設定とは違い、原典通りの「クトゥルー神話の邪神の一柱」で、多数いるニャルラトホテプの分身の一つに人間・溝呂木麟がなったという設定(他にも公式NPCで「ナイ神父」という分身の一人が存在する)。
合体システムをフルに使った結果「魔法全般吸収、物理無効(ただし破魔に弱い)」・「敵全体に呪殺・物理・火炎攻撃、敵単体に万能攻撃(ノーコストで)」・「都合6回までオーバーキルダメージを無効化」・「自力で悪魔召喚・合体可能」等、やたらハイスペックな能力を得た。
「退魔生徒会シリーズ」はメガテン系全般(特にペルソナシリーズと真・女神転生Ⅲ)のネタが多いのだが、クトゥルー神話に関しては作者の趣味からか原典準拠になっている。

小ネタ

ニャルラトホテプがラスボスというネタバレができなかった時期の「ペルソナ2罪」「ペルソナ2罰」のアンソロジーでは、「伯爵=ニャルラトホテプの化身の一つ」という設定と、「罪」では噂で「値段が安いが質が悪い」武器店になるとネタ武器(例:「青春刀(普通品質は「青竜刀」)」「パスタショット(普通品質は「バスターショット」)」を扱うというギャップの為かは定かではないが、へっぽこな武器防具やどう見ても買い取りたくない物(例えばパオフゥ&克哉着用済みの「金編みタイツ」や、今の今まで着て戦っていた鎧5着等)を売りつけられる「伯爵いびり」というネタが存在した。
美川べるの・小竹田貴弘両名のある意味「リレーネタ」ではあるが。

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