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Begotten

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kyoku

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Begotten(『ビガトゥン』)は『K』の一場面に流用(盗用)されている映画。白黒の不鮮明な映像で、『リング』に出てくる呪いのビデオのような様相を呈している。

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概要

1989年のアメリカ映画で、『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』(2000年)『サスペクト・ゼロ』(2004年)などで知られるE・エリアス・マーヒッジが脚本・制作・編集・監督を行った。会話の場面はなく、初期の無声映画に近い手法で作られている。

様々な創造神話を基にした謎めいたストーリーは、神と称された人物が自ら命を絶つ場面から始まる。そこから「母なる大地」とその「息子」が生まれて旅立つが、やがて命を落とし、すると荒涼とした場所から再び生まれ出る。美術史学者のスコット・マクドナルドによれば、この作品の寓話的な特性と意図的な曖昧さが様々な解釈を生むのだという。

『ビガトゥン』は初め、劇場の実験的な作品として踊りや生演奏を用いて演出しようと考えられていたが、構想の時点で費用がとても高くつくとわかったため、映像としての制作に切り替えた。また、フランスの演劇家などとして知られるアントナン・アルトー(1896~1948年)や、フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900年)の影響を大きく受けている。これらの人物の思想や理論について十分に言及した作品はまだ生まれていないとマーヒッジは考えた。一方で、視覚的演出はジョルジュ・フランジュ(1912~1987年、フランス)の『ブラッド・オブ・ザ・ビースト』(Le Sang des bêtes)、黒澤明の『七人の侍』、スタン・ブラッケージ(1933~2003年)の『自分自身の眼で見る行為』(The Act of Seeing with One's Own Eyes, 死体解剖の様子を余すことなく収めた無声映画)、そしてドイツ表現主義映画『カリガリ博士』(1920年)の影響を受けている。撮影はニューヨーク州とニュージャージー州で行われ、撮影期間は3年半ほどだったと考えられているが、マーヒッジのインタビューによれば5年と半月かかったとのこと。

映画が完成した後も、マーヒッジは配給と販売を担ってくれる会社を探すのに2年を費やした。モントリオール世界映画祭で初の上映を遂げた後、サンフランシスコ国際映画祭でも上映され、その際に映画評論家のトム・ラディやピーター・スカーレットがこの映画を見た。同業者のスーザン・ソンタグが彼らを通じてこの映画を知ると熱狂的なファンとなり、自宅で個人的な上映を行ったことで、この映画が公開を迎えるきっかけとなった。ほとんどの主流の批評家からは言及されていないが、代わりにカルト映画としての地位を獲得し、他の様々な実験映画の監督や視覚芸術家、演奏家に影響を与えた。家庭で視聴できるような媒体で普及しなかったため、ファンは自分たちでコピーを作って広め、映画学者のアーネスト・マタイスはこれを「コピーカルト」と呼んだ。流血表現により、シンガポールでは上映が禁止されている。2006年に続編として短編映画 Din of Celestial Birds が公開されており、これは進化論を主題としている。

あらすじ

ちいさな掘っ立て小屋の中、ローブを着た人物(クレジットでは"God Killing Himself"(自殺する神)という名前)がカミソリを使って自分の腹を捌く。腹の中の臓物をいくらか取り出して、ローブを着た神は息絶える。傷だらけの死体からは「母なる大地」(Mother Earth)が生まれ、彼女は死体から出た精子で妊娠する。時が経過し、妊婦となった「母なる大地」は神の収まった棺のそばに立っている。彼女はそこから荒涼とした風景の中へ歩き出し、その後「大地の息子」(Son of Earth)を生むが、生まれた男性は奇形であり痙攣している。程なくして、母親はその子をほったらかしにして捨ててしまう。

その後どれほどの時間が経過したのか、息子はこれまた荒涼とした風景の中を彷徨っている。すると顔を隠した遊牧民の集団と出会い、彼らは息子の体から伸びているへその緒で彼を縛り付ける。捕まった息子は臓物を吐き出し、遊牧民たちは恵みを授かったかのように嬉々としてそれを受け取る。そして、彼らは息子を火の中へ放り込んで殺す。「母なる大地」は息子を蘇らせると、慰めるかのようにした後、再び荒涼とした場所を共に彷徨い始める。遊牧民たちがすぐさま現れて息子を襲い始めるが、方や母親は恍惚としているかのような状態になっている。遊牧民は母親を張り倒して犯し、息子がなす術もないままそばで眺める傍ら、やがて母親は殺される。

遊牧民たちが去っていくと、ローブを着た人々が現れ、切り刻まれ腹を捌かれ無残な姿となった母親を運んでいく。人々は戻ってくると息子を殺して母親同様に捌き、二人とも崖の中へ埋める。時が流れ、死体の埋められた場所には草が茂り花が咲く。自殺する(した)神の不鮮明な写真が映る。最後の場面では、母なる大地と息子が森の中を彷徨っている回想が映される。

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