一般三位一体論
イデアは「仕組み」として記号過程を総括する「指示対象」であり、「物的存在」はその具現を目指す「圧」(コナトス) すなわち「記号媒体」の因果展開であってつまりは「解釈項」に他ならない (従って、因果関係は「仕組み」ごとに異なる)。「圧」は物的世界で相互に影響しあい、物的世界を統べる合理性によって相互研磨し、その結果をもって「仕組み」をより理性化・最適化する。その物的存在自体はかようにして「死ぬ」が、その「生きた意味」はその属する「仕組み」のさらなる理性化・最適化として報われる。「仕組み」が次に放つ「圧」は従って転生というよりは兄弟姉妹のような関係ではあるが、「仕組み」のさらなる理性化を志向する点では死者の「生きた意味」を引き継ぐのであり、その意味においては転生と見なしてかまわない。
聖書の神という「仕組み」はキリストという物的存在において物的世界への具現化 (諸預言) を完全成就し、ゆえにこの物的世界はキリスト浄土と成った (これを「特殊三位一体論」とする)。彼は神の「言葉」であり、ゆえにその「圧」は聖霊の「言葉」としてキリストを信じる個々人において発現する。キリストを信じる者は、この「圧」を受け入れることで自らの属する「仕組み」すなわち自らが由来するその諸先祖を、聖書の神という「仕組み」へと統合し、もって供養する。仏教の諸浄土は、この物的世界とはまた別の世界であり、従ってこの物的世界の仏とされる釈迦は、キリストの転生体である、と見なされねばならない (ちょうど、北イスラエル王国滅亡から南ユダ王国滅亡の果てのバビロン捕囚を経て帰還の頃が、釈迦の生涯におおよそ相当する)。