●
未だ寒さの残る午後の道を、一組の男女が歩いていた。
男はベージュのコートにジーンズという私服姿の20代の青年。
女の方は肩口までの長さの髪を荒っぽくまとめている10代の少女で、近くの高校の制服の上にコートを羽織り、首に巻いたマフラーに幼児用と思しき人形を挟んでいる。
その人形が少女の首元で喋った。
「お姉ちゃん、学校、今日でおわりなの?」
人形、リカちゃんの言葉に少女、伏見舞はおう、と首を上下に振った。
「これで三年間続いた苦行ともおさらばだぜ」
少々元気が過ぎる口調で嬉しそうに言う舞に、隣を歩いていた青年が微笑んだ。
「まあ、無事に済んでなによりだ。舞、おめでとう」
舞は青年の顔を見上げて笑みを深くした。
「Tさんも、今日もわざわざ迎えあんがとな。それに長~く勉強見てくれた事も」
「最終的に頑張ったのは舞だ」
そう言ってTさんはどこか浮世離れした雰囲気を和らげ、労うように舞の頭を軽く数度叩く。
「……ん」
為されるがままにされた舞は俯き加減に頬をわずかに赤らめ、リカちゃんの「お姉ちゃんどうしたの?」の声で取り繕うように咳払いをした。
「し、しっかしアレだな。先生達も俺が大学無事に合格した事を伝えた時に一同揃ってほっとした顔をしてたのがまたとても遺憾だな!」
「まあ、驚いたんだろう。あの舞が無事に進学できたのだからな」
そう言ってTさんはおかしそうに破顔した。
男はベージュのコートにジーンズという私服姿の20代の青年。
女の方は肩口までの長さの髪を荒っぽくまとめている10代の少女で、近くの高校の制服の上にコートを羽織り、首に巻いたマフラーに幼児用と思しき人形を挟んでいる。
その人形が少女の首元で喋った。
「お姉ちゃん、学校、今日でおわりなの?」
人形、リカちゃんの言葉に少女、伏見舞はおう、と首を上下に振った。
「これで三年間続いた苦行ともおさらばだぜ」
少々元気が過ぎる口調で嬉しそうに言う舞に、隣を歩いていた青年が微笑んだ。
「まあ、無事に済んでなによりだ。舞、おめでとう」
舞は青年の顔を見上げて笑みを深くした。
「Tさんも、今日もわざわざ迎えあんがとな。それに長~く勉強見てくれた事も」
「最終的に頑張ったのは舞だ」
そう言ってTさんはどこか浮世離れした雰囲気を和らげ、労うように舞の頭を軽く数度叩く。
「……ん」
為されるがままにされた舞は俯き加減に頬をわずかに赤らめ、リカちゃんの「お姉ちゃんどうしたの?」の声で取り繕うように咳払いをした。
「し、しっかしアレだな。先生達も俺が大学無事に合格した事を伝えた時に一同揃ってほっとした顔をしてたのがまたとても遺憾だな!」
「まあ、驚いたんだろう。あの舞が無事に進学できたのだからな」
そう言ってTさんはおかしそうに破顔した。
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笑いだしたTさんに向けて二、三発蹴りを繰りだすと、Tさんは「すまないすまない」と謝ってきた。まったく、失礼しちゃうぜ。
……まあ、自分でも大学受験については結構な大金星をとったなぁとは思うけど、それもこれもやっぱりTさんのおかげだ。そう思っているとリカちゃんがTさんに問いかけた。
「お兄ちゃんのおむかえも、今日でおわりなの?」
「そうだな、学校が終わって舞はこれから少し長い春休みだ。一緒に居られる時間も増えるだろう」
「そうなのっ!?」
リカちゃんが喜んでいる。かく言う俺も嬉しい。学校も無いし、勉強の事なんざ考えなくてもいい春休みがこうして訪れたんだしな。それに、まあTさんと一緒に居られるというのも純粋に嬉しいところではある。
「そういやTさんも今まで迎えとかありがとな」
そう、夏以降Tさんはよく俺を学校まで迎えに来るようになった。夏に香織達と会って何か言われたりしたのかね? 卒業式の日にまた会おうって約束したし、今度訊いてみようかな。
「好きでやっていたんだ、気にするな」
「つまり俺にメロメロなんだな?」
「そうだな」
しれっと答えやがるから話を振った俺のほうがグッと言葉に詰まる。くそう、勝てねえなぁ……。
「お姉ちゃんもお兄ちゃんも仲良しさんなの」
首元のリカちゃんの声が無邪気で癒されるぜ。
「あー、ところでTさんや、晩飯はどうするかね?」
癒された気分のまま若干御年を召した方風に声をかける……。
…………?
Tさんから返事が無い。おかしいと思って振り向こうとして、
「――っ?!」
いきなりマフラーを引っ張られた。首が絞まって頭が後ろに倒される。そのまま数歩後退してマフラーが緩むのを期待するがきつさは変わらない。
喉にマフラーが食いこんでリカちゃん共々苦しい悲鳴を上げるしかない。
マフラーを引っ張った犯人であるTさんに抗議の視線を向けると、野郎俺のマフラー引っ張った状態で空を見上げてやがった。
その目は鋭く何かを見ているように見えるけどんなこたぁ今の俺のこの苦しさとは関係ねえ!
「こら、てぃ、Tさん、一体なんなん――」
抗議の声は突然空から降ってきた轟音によって遮られた。
何か大きな物が地面に落っこちてきたのだ。
「……へ?」
耳の奥にキーン、と残る音の余韻に目を白黒させる。
「落ちてきたの……」
「これは……」
呆然とする俺の目の前にはアスファルトを景気よく砕いて地面にめり込んでる、
「鉄の……塊?」
……まあ、自分でも大学受験については結構な大金星をとったなぁとは思うけど、それもこれもやっぱりTさんのおかげだ。そう思っているとリカちゃんがTさんに問いかけた。
「お兄ちゃんのおむかえも、今日でおわりなの?」
「そうだな、学校が終わって舞はこれから少し長い春休みだ。一緒に居られる時間も増えるだろう」
「そうなのっ!?」
リカちゃんが喜んでいる。かく言う俺も嬉しい。学校も無いし、勉強の事なんざ考えなくてもいい春休みがこうして訪れたんだしな。それに、まあTさんと一緒に居られるというのも純粋に嬉しいところではある。
「そういやTさんも今まで迎えとかありがとな」
そう、夏以降Tさんはよく俺を学校まで迎えに来るようになった。夏に香織達と会って何か言われたりしたのかね? 卒業式の日にまた会おうって約束したし、今度訊いてみようかな。
「好きでやっていたんだ、気にするな」
「つまり俺にメロメロなんだな?」
「そうだな」
しれっと答えやがるから話を振った俺のほうがグッと言葉に詰まる。くそう、勝てねえなぁ……。
「お姉ちゃんもお兄ちゃんも仲良しさんなの」
首元のリカちゃんの声が無邪気で癒されるぜ。
「あー、ところでTさんや、晩飯はどうするかね?」
癒された気分のまま若干御年を召した方風に声をかける……。
…………?
Tさんから返事が無い。おかしいと思って振り向こうとして、
「――っ?!」
いきなりマフラーを引っ張られた。首が絞まって頭が後ろに倒される。そのまま数歩後退してマフラーが緩むのを期待するがきつさは変わらない。
喉にマフラーが食いこんでリカちゃん共々苦しい悲鳴を上げるしかない。
マフラーを引っ張った犯人であるTさんに抗議の視線を向けると、野郎俺のマフラー引っ張った状態で空を見上げてやがった。
その目は鋭く何かを見ているように見えるけどんなこたぁ今の俺のこの苦しさとは関係ねえ!
「こら、てぃ、Tさん、一体なんなん――」
抗議の声は突然空から降ってきた轟音によって遮られた。
何か大きな物が地面に落っこちてきたのだ。
「……へ?」
耳の奥にキーン、と残る音の余韻に目を白黒させる。
「落ちてきたの……」
「これは……」
呆然とする俺の目の前にはアスファルトを景気よく砕いて地面にめり込んでる、
「鉄の……塊?」
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道路にめり込んでいる鉄の塊はサイコロをそのまま巨大化したような形で、何故か所々どこかにぶつけまくったみたいなへこみや歪みが出来ていた。マフラーを離された俺は楽になった呼吸で一つ深呼吸をして肺を満足させ、そのまま歩いていたら落ちてきた鉄の塊にあやうく潰されていただろう事をじっくり理解していき、とりあえずTさんに礼を言った。
「さんきゅ、Tさん」
「ああ、しかしこれは……」
Tさんが鉄の塊を訝しげに見つめる。おれもリカちゃんもTさんに倣って鉄の塊を見つめ、そして空を見上げた。
周りは背の低い住宅ばかりでとてもこんな鉄の塊を吊り上げることが出来るような機材があるようには思えない。
「お兄ちゃん、この箱さん、どこからふってきたの?」
リカちゃんが訊ねる。
Tさんはさっき俺のマフラーを引っ張りながら空を見上げてたし、何か見ているだろう。そう思って俺もTさんに期待の目を向ける。
Tさんはおもむろに人差し指で空を指さした。
「……飛んできた。放物線を描いて」
「へぇ~……は?」
んな非常識な。
「じゃあ何か? このでっけえ鉄の塊が空中浮遊でもしながらこんなところで力尽きて落っこちたってか?」
「どちらかと言うと何かに弾き飛ばされてここに落下したという感じだな。これはそのためにできたへこみだろう」
そう言って箱のへこみを指さすTさん。
「まじかよ……」
これだけの鉄の塊ともなるとものすごい重さの筈だろうけど……。
「あ、お兄ちゃん、お姉ちゃん、中にだれかいるみたいなの!」
リカちゃんが鉄の塊の歪みの辺りを示した。歪んで出来た鉄と鉄の隙間から、小さく人が呻くような声が耳鳴り越しに聞こえてくる。
「あ、これ人が入れるのか」
気付かなかった。よく見ればサイコロのような鉄の箱の隙間から覗ける中には確かに空洞があるっぽい。
――って、人がいるのか?!
「Tさん、急いで助けなきゃ!」
「そうだな」
そう答えるTさんの手にはもう光の玉が出て来ている。それを振りかぶって箱にぶつけようとして――箱の方が勝手に開きだした。
「なんだ?」
「中に居る者が働きかけたのだろう。都市伝説、それもこれは既知のものだな」
「そうなの?」
そんなやり取りをしている間に箱はサイコロの展開図っぽく開かれて、中から二人の人影が出てきた。
「う、ぃッ……大丈夫? モニカ」
「うん……フィラちゃん」
――あ。
「あれ? フィラちゃん?」
「フィラちゃんなの!」
「あ、れ? あなた達、Tさんとリカちゃんに舞ちゃん?」
中に入っていた二人の内一人は、以前夢子ちゃんと一緒に≪首塚≫に行った時に世話になった≪フィラデルフィア計画≫の契約者の姉ちゃんだった。
結われた髪はこっちに落っこちてきた時の衝撃でか、少しほつれている。身体を簡単に検めているフィラちゃんを前にまさかのインパクトばっちしの再会に驚いていると、箱の中に居たもう一人、碧い眼をした、多分天然ものの、ハニーブロンドとでもいうんだろうか、綺麗な金の長い髪をした嬢ちゃんが姉ちゃんの服の袖を引いた。
「フィラちゃん、この人たち、だれ?」
「知り合いよ、モニカ」
姉ちゃんはそう言ってモニカっていうらしい嬢ちゃんの頭を撫でた。嬢ちゃんの方はあまりそれに頓着した風もなく北の方向を指さして、
「私、あっちに行きたい」
「ごめんね、ちょっと難しそうなの」
そう言ってこっちを向き、
「助けてくれない? 追われてるのよ」
焦った声でいきなり言われた。
「え?」
俺が面食らっているとTさんがフィラちゃんに言う。
「≪フィラデルフィア計画≫で逃げられないのか?」
「いえ……逃げようとしたら転移を開始する前に殴り飛ばされたわ」
フィラちゃんがぎこちなく箱の形に戻って行く鉄の展開図を見ながら言う。Tさんは微かに眉を寄せた。
確認するように訊ねる。
「殴り飛ばされた?」
「ええ、鉄の塊を握りこぶしでドカン。まったく、驚いたわ」
「あたまがクラクラする……」
落っこちてくる途中でどっかぶつけたのか、フラフラしているモニカを支えたフィラちゃんは、組み上がった箱を見てため息を吐いた。
「これじゃあ≪フィラデルフィア計画≫を発動しても私達が実験中の死者の二の舞になるわね。携帯は……」
携帯を取り出したフィラちゃんは額に手を当てた。
「しまった……。箱に歪みが出来た時点ですぐ能力を解除したつもりなんだけど……」
「≪フィラデルフィア計画≫の発光体の余波か」
「ええ……壊れてるわ」
諦めたようにフィラちゃんは携帯を放りだした。
「追われていると言ったな。相手は何者だ?」
「所属は分からないけど、女よ。
私より長い……この子、モニカくらいの長さの髪をして白い犬みたいな獣を連れた――」
自分の背の半ばまでの髪をしたモニカを示しながらフィラちゃんが話したところで、女の声が聞こえてきた。
「怪我は無いか? すまないな。跳ばれてしまうとまずいんだ。つい強引な方法で止める事になってしまったが――」
そこで女の声は止まった。小さく舌打ちの音がして、
「しまったな。ケウの能力を使う前に人と会ってしまっていたか……」
「来た……!」
「さっきの女の人の声だ……」
フィラちゃんとモニカがさっと声のした方を振り向いた。
箱越しに殴られたのが相当堪えたらしい。モニカはフィラちゃんの服をしっかり握って声の主から隠れるようにして、さっき示した行きたい方向をいやに頑なに指さしている。
その表情はどこか白い顔と相まって人形のように見えた。
そんな感想を抱きながら、俺はリカちゃんと一緒に女の声に対して首を傾げていた。
「この声……というより雰囲気か? どっかで感じた事あるような……」
「うーん……あ! お兄ちゃんに似てるの!」
おお、そうだ。Tさんの言葉の雰囲気に似てるんだ。そう思ってなんとなくTさんの方に目を向けると、Tさんは声のする方を見て固まっていた。
「どうしたんだTさん?」
「いや……」
俺の呼びかけにも生返事で応える。珍しく相当驚いてるみたいだ。
その間に声の主は姿を現していた。
歩いて来た声の主は結構な背の高さを持った姉ちゃんだ。
長い黒髪は濡れたように艶やかで、ぶっちゃけ同じ女として少し羨ましい。こっちに歩いてくる姿は美しいっていうより凛々しいっていう言葉が良く似合いそうな雰囲気をしてる。
姉ちゃんは追ってきていた筈のフィラちゃんやモニカをよそに、Tさんをマジマジと見つめていた。
どうも、向こうも驚いてるらしい。
なんだなんだ? と思って見ていると、視線に気付いたのか姉ちゃんはこっちを見て、何か納得したように口を弓にした。
Tさんへと話しかける。
「これは奇縁だ。――久しぶりだな××。今はTさん……だったか?」
「そうだ。……久しいな」
「え?」
姉ちゃんの、軽い挨拶のような口調で発せられた言葉に俺達はTさんを振りかえる。Tさんは応じるように一つ頷くと答えた。
「彼女は高坂千勢。俺を拾った保護者であり、育てあげた師匠だ」
「さんきゅ、Tさん」
「ああ、しかしこれは……」
Tさんが鉄の塊を訝しげに見つめる。おれもリカちゃんもTさんに倣って鉄の塊を見つめ、そして空を見上げた。
周りは背の低い住宅ばかりでとてもこんな鉄の塊を吊り上げることが出来るような機材があるようには思えない。
「お兄ちゃん、この箱さん、どこからふってきたの?」
リカちゃんが訊ねる。
Tさんはさっき俺のマフラーを引っ張りながら空を見上げてたし、何か見ているだろう。そう思って俺もTさんに期待の目を向ける。
Tさんはおもむろに人差し指で空を指さした。
「……飛んできた。放物線を描いて」
「へぇ~……は?」
んな非常識な。
「じゃあ何か? このでっけえ鉄の塊が空中浮遊でもしながらこんなところで力尽きて落っこちたってか?」
「どちらかと言うと何かに弾き飛ばされてここに落下したという感じだな。これはそのためにできたへこみだろう」
そう言って箱のへこみを指さすTさん。
「まじかよ……」
これだけの鉄の塊ともなるとものすごい重さの筈だろうけど……。
「あ、お兄ちゃん、お姉ちゃん、中にだれかいるみたいなの!」
リカちゃんが鉄の塊の歪みの辺りを示した。歪んで出来た鉄と鉄の隙間から、小さく人が呻くような声が耳鳴り越しに聞こえてくる。
「あ、これ人が入れるのか」
気付かなかった。よく見ればサイコロのような鉄の箱の隙間から覗ける中には確かに空洞があるっぽい。
――って、人がいるのか?!
「Tさん、急いで助けなきゃ!」
「そうだな」
そう答えるTさんの手にはもう光の玉が出て来ている。それを振りかぶって箱にぶつけようとして――箱の方が勝手に開きだした。
「なんだ?」
「中に居る者が働きかけたのだろう。都市伝説、それもこれは既知のものだな」
「そうなの?」
そんなやり取りをしている間に箱はサイコロの展開図っぽく開かれて、中から二人の人影が出てきた。
「う、ぃッ……大丈夫? モニカ」
「うん……フィラちゃん」
――あ。
「あれ? フィラちゃん?」
「フィラちゃんなの!」
「あ、れ? あなた達、Tさんとリカちゃんに舞ちゃん?」
中に入っていた二人の内一人は、以前夢子ちゃんと一緒に≪首塚≫に行った時に世話になった≪フィラデルフィア計画≫の契約者の姉ちゃんだった。
結われた髪はこっちに落っこちてきた時の衝撃でか、少しほつれている。身体を簡単に検めているフィラちゃんを前にまさかのインパクトばっちしの再会に驚いていると、箱の中に居たもう一人、碧い眼をした、多分天然ものの、ハニーブロンドとでもいうんだろうか、綺麗な金の長い髪をした嬢ちゃんが姉ちゃんの服の袖を引いた。
「フィラちゃん、この人たち、だれ?」
「知り合いよ、モニカ」
姉ちゃんはそう言ってモニカっていうらしい嬢ちゃんの頭を撫でた。嬢ちゃんの方はあまりそれに頓着した風もなく北の方向を指さして、
「私、あっちに行きたい」
「ごめんね、ちょっと難しそうなの」
そう言ってこっちを向き、
「助けてくれない? 追われてるのよ」
焦った声でいきなり言われた。
「え?」
俺が面食らっているとTさんがフィラちゃんに言う。
「≪フィラデルフィア計画≫で逃げられないのか?」
「いえ……逃げようとしたら転移を開始する前に殴り飛ばされたわ」
フィラちゃんがぎこちなく箱の形に戻って行く鉄の展開図を見ながら言う。Tさんは微かに眉を寄せた。
確認するように訊ねる。
「殴り飛ばされた?」
「ええ、鉄の塊を握りこぶしでドカン。まったく、驚いたわ」
「あたまがクラクラする……」
落っこちてくる途中でどっかぶつけたのか、フラフラしているモニカを支えたフィラちゃんは、組み上がった箱を見てため息を吐いた。
「これじゃあ≪フィラデルフィア計画≫を発動しても私達が実験中の死者の二の舞になるわね。携帯は……」
携帯を取り出したフィラちゃんは額に手を当てた。
「しまった……。箱に歪みが出来た時点ですぐ能力を解除したつもりなんだけど……」
「≪フィラデルフィア計画≫の発光体の余波か」
「ええ……壊れてるわ」
諦めたようにフィラちゃんは携帯を放りだした。
「追われていると言ったな。相手は何者だ?」
「所属は分からないけど、女よ。
私より長い……この子、モニカくらいの長さの髪をして白い犬みたいな獣を連れた――」
自分の背の半ばまでの髪をしたモニカを示しながらフィラちゃんが話したところで、女の声が聞こえてきた。
「怪我は無いか? すまないな。跳ばれてしまうとまずいんだ。つい強引な方法で止める事になってしまったが――」
そこで女の声は止まった。小さく舌打ちの音がして、
「しまったな。ケウの能力を使う前に人と会ってしまっていたか……」
「来た……!」
「さっきの女の人の声だ……」
フィラちゃんとモニカがさっと声のした方を振り向いた。
箱越しに殴られたのが相当堪えたらしい。モニカはフィラちゃんの服をしっかり握って声の主から隠れるようにして、さっき示した行きたい方向をいやに頑なに指さしている。
その表情はどこか白い顔と相まって人形のように見えた。
そんな感想を抱きながら、俺はリカちゃんと一緒に女の声に対して首を傾げていた。
「この声……というより雰囲気か? どっかで感じた事あるような……」
「うーん……あ! お兄ちゃんに似てるの!」
おお、そうだ。Tさんの言葉の雰囲気に似てるんだ。そう思ってなんとなくTさんの方に目を向けると、Tさんは声のする方を見て固まっていた。
「どうしたんだTさん?」
「いや……」
俺の呼びかけにも生返事で応える。珍しく相当驚いてるみたいだ。
その間に声の主は姿を現していた。
歩いて来た声の主は結構な背の高さを持った姉ちゃんだ。
長い黒髪は濡れたように艶やかで、ぶっちゃけ同じ女として少し羨ましい。こっちに歩いてくる姿は美しいっていうより凛々しいっていう言葉が良く似合いそうな雰囲気をしてる。
姉ちゃんは追ってきていた筈のフィラちゃんやモニカをよそに、Tさんをマジマジと見つめていた。
どうも、向こうも驚いてるらしい。
なんだなんだ? と思って見ていると、視線に気付いたのか姉ちゃんはこっちを見て、何か納得したように口を弓にした。
Tさんへと話しかける。
「これは奇縁だ。――久しぶりだな××。今はTさん……だったか?」
「そうだ。……久しいな」
「え?」
姉ちゃんの、軽い挨拶のような口調で発せられた言葉に俺達はTさんを振りかえる。Tさんは応じるように一つ頷くと答えた。
「彼女は高坂千勢。俺を拾った保護者であり、育てあげた師匠だ」