概要
下川凹天は日本のアニメーター、漫画家で、2年弱で日本初のアニメーション動画を複数作るが、眼病を患いアニメーターに転身した。6作品確認されているが、『芋川椋三玄関番の巻』以外映像、スチル共に現存しない。
作品群
- 凸坊新畫帖 芋助猪狩の巻/凸坊新畫帖 名案の失敗
当時は劇場によって題名を改変する事があったため同じ作品であると推定されている。凸坊新畫帖(でこぼうしんがちょう)は海外から輸入されたアニメーション的技法全般を指した言葉で、特定のシリーズやキャラクターを意味するものではない。映画雑誌に断片的な情報しか残っておらず、1917年4月には上映されていたことがわかっている。
- 芋川椋三玄関番の巻
芋川椋三(いもかわむくぞう)というのは当時下川が漫画家として書いていたキャラクターの一人であり、それを主人公にしたのは彼が描きやすかった為だと言われている。動画の技法として黒板にチョークで一つずつ書き、手を動かす時は手の部分だけを移動させて描き、移動前の部分を消していくという方法を使ったという説と背景を印刷した白紙を使い、人物と重複するところを白絵具で塗りつぶすという方法を使ったという説があるが、現在フィルム・写真などの記録が一切残っていない為、詳しい技法及び内容は不明である。ただし伝聞資料などによると、主人公・芋川椋三を中心とする、武骨ながらもユーモラスなものだったといわれている。下川はこの映画を最初に制作したといっているが、上映は前述の作品よりは遅かったようだ。2011年に唯一断片が発見されている
- 『茶目坊新畫帖 蚤夫婦仕返しの巻』
天活東京撮影所、1917年4月28日に上映,茶目、凸坊は北澤楽天が当時『時事新報』日曜版に連載していたマンガ『茶目と凸坊』に便乗してつけられたもの
- 『芋川椋三宙返りの巻』
天活、1917年5月に上映
- 茶目坊主魚釣の巻
天活、1917年9月9日に上映