概要
10万人の宮崎勤とは、かつてコミックマーケットの会場で、テレビ番組のレポーターが来場者を前に「ここに10万人の宮崎勤がいます!」と発言しその模様が報道されたと云われる出来事である。数多くの目撃証言が寄せられているが、当時の記録に乏しく明確な証拠が発見されていないため都市伝説の域を出ていない。
宮崎勤とは事の発端は、1988年から1989年にかけて発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人で死刑囚であり、コミックマーケット35にサークルとして参加していた履歴があった事から、1989年8月の逮捕直後に開催されたコミックマーケット36には、報道メディアが取材に殺到した。
このことを契機として当時オタク族と呼ばれていたサブカル愛好家たちへの偏見の助長と批判が加速していった。
この風潮の中で、『ここに10万人の宮崎勤がいます』と報道されたという。
宮崎勤とは事の発端は、1988年から1989年にかけて発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人で死刑囚であり、コミックマーケット35にサークルとして参加していた履歴があった事から、1989年8月の逮捕直後に開催されたコミックマーケット36には、報道メディアが取材に殺到した。
このことを契機として当時オタク族と呼ばれていたサブカル愛好家たちへの偏見の助長と批判が加速していった。
この風潮の中で、『ここに10万人の宮崎勤がいます』と報道されたという。
コミケットを、一部のマニアによる秘密の会合のようなつもりで取材にきたマスコミは、秘密というにはあまりにも巨大なその数に驚いて帰っていった。ここに十万人の宮崎がいると書いたマスコミもあった。
出典:「世界最大のマンガの祭典!」『別冊宝島104 おたくの本』
コミックマーケットの会場には、多くのマスコミが押し寄せ、無遠慮に参加者にマイクを向け、この場を知ろうとする意思もなく、単純な図式による裁断を行おうとしていたのだ。「ここには、10万人の宮崎勤がいる」というコメントを加えたTV局もあった。
出典:「宮崎事件とおたくバッシング」『マンガ同人誌エトセトラ ’82-’98
これらはコミケ準備会代表だった人物、米沢氏によるものであるが、最初は紙媒体に書いてあったといったが、15年後に映像媒体であったという証言をしたことがわかる。
「べたっと油っぽい長めの髪に眼鏡をかけていて、開襟シャツに肩掛けカバン。すぐに文句をつけ、自分に権利ばかり主張する。宮崎のクローンみたいな連中ですよ」(サークル関係者)
出典:週刊文春 1989年8月31日号 「ロリコン5万人 戦慄の実態 あなたの娘は大丈夫か?」
現在のオタク族の中から第2の宮崎が出て来る可能性もじゅうぶんにあるということになる。
出典:週刊ポスト 1989年9月1日号「総力特集「宮崎勤」は我らに潜む」
美少年に走る「女宮崎」はキミのクラスにも1人いる!
出典:Themis 1989年9月6日号 見出し
このようにかなり大規模な中傷キャンペーンが行われていたことがわかるが、紙、映像いずれの媒体でも確認できなかった。しかし、放送局、大手出版社へ『10万人の宮崎勤』発言があったかというアンケートをした時、全て無回答もしくは回答拒否であったことは注目に値する。
この発言をしたと多く中傷された東海林のり子氏はこの発言をしたことを否定しているので注意が必要である。
証言はレポーターの性別、年齢に至るまでまちまちであるので典型的なマンデラエフェクトでないかと考える人もいる。
しかし、当時の風潮、そして各テレビ局、記者がコミックマーケットを頻繁に取材していたことは事実であることから完全に存在を否定することは難しい。
しかし、当時の風潮、そして各テレビ局、記者がコミックマーケットを頻繁に取材していたことは事実であることから完全に存在を否定することは難しい。
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