植田

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植田 - (2018/07/22 (日) 03:42:46) の編集履歴(バックアップ)


植田家の鳥たち

CF 湯沢翼 キャリアハイ成績 .260 21 54 25盗塁 獲得タイトルなし
ミート:D パワー:B 走力:C 守備:D 小技:F 精神:E
選球眼◎、引きずり
右投右打 打法ノーマル
78年度BBLシリーズのヒーロー
選手の主な設定
栃木県日光市出身、秋田県相善高校卒業。3年夏に甲子園に出場するも1回戦敗退。1番センターとして開幕戦に出場、先頭打者ホームランを放つ離れ業をやってのけた。元々身体能力は高く、俊足強打の外野手だったが、高校時代は下半身の故障に悩まされ全力疾走ができずにいた。後に回復し20盗塁を記録できるまでになるが、これは彼の不断の努力と回復力のなせる業である。
選手としての特徴
足も使えるパワーヒッター。言うなれば「右の梶谷」であり、実際に梶谷の2017年の成績(.243 21 60 21盗塁)と湯沢の72年度の成績(.242 22 62 20盗塁)はほぼ一緒。打率が低く、メンタルも弱いのがネック。1番に置くには出塁率が足りず、2番にしては小技ができなすぎ、3番に置くには打率が低く、4番にしては迫力に欠け、5番に置いても打点を稼げない。かといって下位打線に置くと勿体ないので、6番あたりでブンブン振らせたり好きに走らせておくのが一番合っている男。
現役時代
60年代のファイターズ黄金期を見て若手時代を過ごし、25歳となった65年度からレフトに定着。打率2割前後、本塁打一桁、盗塁もさほどできないというお荷物期間を5~6年ほど過ごした後、71年度に20本塁打を放ってようやく開花。以降は打力と総力を兼ね備えた外野手として、ファイターズのライトを守った。主な打順は若手時代が9番、開花後は5番。開幕後を非常に得意とし、40試合目で10本塁打に到達しておきながら最終的には20本程度に落ち着くということを何度もやっていた。
78年度BBLシリーズ
38歳となっていた湯沢は身体能力の衰えを感じ、この年限りでの引退を表明していた。しかしチームにとっては貴重な外野手であり、引退する選手でありながらフル出場を果たす異例(・・・でもない)事態となっていた。それはこの年進出したポストシーズンおよびBBLシリーズでも同様であった。しかしこの年、湯沢は秋口に異様な力を発揮する。消えかけの蝋燭が激しく燃えるかのような勢いで打ちまくり、見事チームのPS勝ち抜きに貢献すると、BBLシリーズでも打ちまくった。8戦で32打数15安打2打点、打率は.469という数字。短期決戦とはいえ、シーズンで打率.210の選手が残す成績ではない。そして第8戦までもつれこんだBBLシリーズの最終戦には、11回に優勝を決めるサヨナラタイムリーを放った。このシーンは長いBBLの歴史でも屈指の名シーンだとして語り継がれている(札幌地区調べ)。優勝決定サヨナラタイムリーで文字通りさよならを告げるという、史上稀に見る粋な引退劇であった。
その他設定、裏話
本来は銀髪・橙色眼鏡だったが、球団の色に合わせて髪を染めることにしたためこのような風貌になった。FA宣言をしていった先々のチームカラーに文字通り染まっていこうとしたのだが、チーム事情もあって20年間ファイターズ一筋を貫いた。種族は翼人。登場曲はツバサ(アンダーグラフ)と鳥の詩(Lia)