植田

BBLほぼ全ての歴史を知り、その大部分を忘れる鳥頭。
育成面ではリアリティある成績や能力に拘り、タイトルとはほぼ無縁の生活を送っている。
……が、成績に拘るあまり選手をいかにして引退させるか、いかに選手寿命を縮めるかを熱心に考えるようになってしまったので、ぼちぼち気楽に遊んでいきたいところです(謎の表明)。
ホームページはこちら(ただし更新停止中、再開予定なし) http://ueda.yumenogotoshi.com/


暫定家系打線

湯沢翼 .260 21 54 25盗 右右 https://bbl.webliru.com/information.php?info=p&id=1670
柳田祐次郎 .285 2 44 25盗 右左 https://bbl.webliru.com/information.php?info=p&id=507
本気で作る枠 3割打てて俊足堅守
高精神大砲(パワーB) 2割中盤で30本くらい
今井浩己 .298 15 60 2盗 右右 https://bbl.webliru.com/information.php?info=p&id=2756
未定 レフトになるのかなあ
未定 多分キャッチャーかな
8番投手好き 12球団でやれ(やるな)
俊足好守の貧打マン 打てないけど足速い系

先1 植田よしや 10勝9敗 4.14 125K 141.1回 右右 アンダースロー https://bbl.webliru.com/information.php?info=p&id=1350
先2 植田しんじ 4勝14敗 4.56 131K 148回 左左 オーバースロー https://bbl.webliru.com/information.php?info=p&id=913
中1 植田シンジ 34登 1勝2敗2H 3.51 56K 59回 右右 サイドスロー https://bbl.webliru.com/information.php?info=p&id=1125
中2 植瑞斌 一軍未登板 右右 オーバースロー https://bbl.webliru.com/information.php?info=p&id=2179
抑え 植田さゆり 94登 7勝1敗21H34S 0.92 129K 117.1回 右右 スリークォーター https://bbl.webliru.com/information.php?info=p&id=4



植田家の鳥たち

植田さゆり、柳田祐次郎、湯沢翼、植瑞斌

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CL 植田さゆり キャリアハイ成績 94登 7勝1敗21H34S 0.92 129K 117.1回 新人王、ベストナイン、MVP(1年度)、セーブ王(3年度)
球速:137 球質:F 変化:D 制球:B スタミナ:F 精神:E
右投右打 スリークォーター
叫び続けるクローザー
選手の主な設定
福岡県福岡市東区出身、私立福岡文科大学付属香椎高校卒業。甲子園出場経験はなし。2年秋は福岡4強、3年夏は16強。制球力に長けた投手であり、最後の夏は32イニング投げて与四球4という安定感を誇った。170cm67kgの小柄な体型、ストレートも140キロを記録したことがない非力な投手だが、投球のほとんどを低めのコーナーに集めて早いカウントから勝負を仕掛けていく。SSKのグラブを子供のころから愛用。ヒットを打たれたときは平らなウェブをじっと見つめて気持ちを落ち着かせるのがマイルール。座右の銘は「確乎不動」
選手としての特徴
当時としては球界随一の制球力で4球種を投げ分ける技巧派クローザー。カーブ方向2球種、シンカー方向2球種という変化球の組み合わせが特徴的。それ以外に長所と呼べる点はなく、ストレートは遅いうえに質が良くない。スタミナも低くすぐへばる、精神的にも脆い。数多くの欠点を制球力と変化球で誤魔化し通しながらも400セーブを達成したBBL草創期を代表する(?)抑え投手。今は公園のうるさいオウムとして有名である。
現役時代
BBLβ版スカイオーシャンズ1期生。1年目からリリーフとしてフル回転し、初年度開幕から11試合連続登板を果たす。シーズン途中から抑えに配置転換すると、34セーブを挙げる活躍。初期値は低かったものの大車輪の活躍を見せ、栄えある1年度新人王・B9・MVPに輝いた。その後もマリーンズの抑えとして君臨、3年目にはセーブ王を獲得するなど順風満帆であったが、4年目終了後のオフにトレードでライガーズへ移籍。ここでも抑えを6年間務めると、10年目終了後に再びトレードでまさかのスカイオーシャンズ復帰を果たす。その後チームのBBLシリーズ制覇に貢献し、15年目に引退。早熟投手らしく30代前半でプロ野球人生にピリオドを打つこととなった。なお、8年目から15年目までほとんどデートしかしていなかったため、まじめに練習していればもうちょっと能力は伸ばせたはず。しかも結婚できずに戦力外通告を受けた。悲しい。
公園に現れるオウム
植田さゆりといえばBBLプレイヤーの中では「草創期スカイオーシャンズの抑え」あるいは「婚活失敗野郎」として知られていた。しかし2018年7月14日に公園イベントが実装されてからは、「うるさいオウム」「ギエーッ!!」「焼き鳥の材料」などと呼ばれるようになった。これはさゆりさんの公園イベントの内容が他のイベントに比べてアレであることから言われているのだが……。ここではイベント内容については書かないので、気になった人はぜひ公園に行って会ってみよう。会おうと思っても会えないが、会おうと思わなくても会える。
2B 柳田(小柳)祐次郎 キャリアハイ成績 .285 2 44 25盗塁 獲得タイトルなし
ミート:D パワー:E 走力:D 守備:D 小技:E 精神:F
粘り◎、対左○
右投左打 打法オープン
杜の都のカットマン
選手の主な設定
静岡県静岡市(駿河区下島南1丁目)出身、大里東小、南中、久能高校を経て国生大学卒業。高校2年生の春、21世紀枠で選抜甲子園に出場した経験がある。大学までは感性を生かしたバッティング(何も考えずに打ってるだけとも言える)でアマ球界きっての安打製造機として注目を集めたが、プロの壁にぶつかりプレイスタイルを変えた。右足を開き、バットを寝かせ、重心を低くした独特のフォームで打つ。プロ入り時の登録名および本名は「小柳祐次郎」で、4年目からは登録名を「小柳祐氏郎」に変更。その後結婚・改姓し、8年目からは登録名および本名を「柳田祐次郎」としている。
選手としての特徴
先述の通り大学時代までは高いバットコントロールで高打率を叩き出す巧打者であり、守備走塁はお世辞にもプロの水準にあるとは言えなかった。しかしプロ入り後に挫折を味わったことで鼻っ柱とバットをへし折られ、プレイスタイルを変えて生き残る道を選ぶに至った。3年目に頭角を現すと、5年目には三塁のレギュラーをほぼ確保。その後はセカンド、サードのレギュラーとして20年代コンドルスの縁の下を支えた。内野全ポジションをそつなくこなす守備、まずまずの足に高い盗塁技術、そして仙台名物とも呼ばれたカット打法でしぶとくプロの世界を生き抜いた。現実のプロ野球にこんな能力・成績の選手いるかな?と考えたものの誰もかれもしっくりこず、とりあえずBBL界の高木浩之(仮)ということにしている。
現役時代
大卒でプロ入りし、コンドルス生え抜きとして15年在籍。若手時代はちょうどチームの黄金期にあたり、幾度もの優勝を一軍で経験した。ひたすらくさい球をカットして円滑な試合の進行に支障をきたす9番打者として、たぶん他球団からうっとうしがられてたはず。8年目にはBBLシリーズ7戦中4戦で2安打以上を放つ活躍を見せるなど、メンタルの弱さのわりに大舞台では強かった。しかし30代に入ったころからチームは低迷。セカンドやショートを守り、内野層の薄さをどうにかこうにかカバーしようと努力した(カバーできたかどうかは不明)。12年目には背番号を7(永久欠番一歩手前の名誉ある番号)に変更するも、既に峠を越えておりこれといった活躍はできず。15年目のシーズン開幕直後に夢だったメジャーへの挑戦を宣言し、閉幕後の退団を決断した。退団後は単身アメリカに渡るもメジャー球団との契約には至らず。米独立で2年プレーしたのち引退し、帰国。引退後はアメリカ生活で培った英語力を活かし、コンドルス球団通訳として動物や無機物選手の会話をサポートした。
RF 湯沢翼 キャリアハイ成績 .260 21 54 25盗塁 獲得タイトルなし
ミート:D パワー:B 走力:C 守備:D 小技:F 精神:E
選球眼◎、引きずり
右投右打 打法ノーマル
78年度BBLシリーズのヒーロー
選手の主な設定
栃木県日光市出身、秋田県相善高校卒業。3年夏に甲子園に出場するも1回戦敗退。1番センターとして開幕戦に出場、先頭打者ホームランを放つ離れ業をやってのけた。元々身体能力は高く、俊足強打の外野手だったが、高校時代は下半身の故障に悩まされ全力疾走ができずにいた。後に回復し20盗塁を記録できるまでになるが、これは彼の不断の努力と回復力のなせる業である。
選手としての特徴
足も使えるパワーヒッター。言うなれば「右の梶谷」であり、実際に梶谷の2017年の成績(.243 21 60 21盗塁)と湯沢の72年度の成績(.242 22 62 20盗塁)はほぼ一緒。打率が低く、メンタルも弱いのがネック。1番に置くには出塁率が足りず、2番にしては小技ができなすぎ、3番に置くには打率が低く、4番にしては迫力に欠け、5番に置いても打点を稼げない。かといって下位打線に置くと勿体ないので、6番あたりでブンブン振らせたり好きに走らせておくのが一番合っている男。
現役時代
60年代のファイターズ黄金期を見て若手時代を過ごし、25歳となった65年度からレフトに定着。打率2割前後、本塁打一桁、盗塁もさほどできないというお荷物期間を5~6年ほど過ごした後、71年度に20本塁打を放ってようやく開花。以降は打力と走力を兼ね備えた外野手として、ファイターズのライトを守った。主な打順は若手時代が9番、開花後は5番。開幕後を非常に得意とし、40試合目で10本塁打に到達しておきながら最終的には20本程度に落ち着くということを何度もやっていた。
78年度BBLシリーズ
38歳となっていた湯沢は身体能力の衰えを感じ、この年限りでの引退を表明していた。しかしチームにとっては貴重な外野手であり、引退する選手でありながらフル出場を果たす異例(・・・でもない)事態となっていた。それはこの年進出したポストシーズンおよびBBLシリーズでも同様であった。しかしこの年、湯沢は秋口に異様な力を発揮する。消えかけの蝋燭が激しく燃えるかのような勢いで打ちまくり、見事チームのPS勝ち抜きに貢献すると、BBLシリーズでも打ちまくった。8戦で32打数15安打2打点、打率は.469という数字。短期決戦とはいえ、シーズンで打率.210の選手が残す成績ではない。そして第8戦までもつれこんだBBLシリーズの最終戦には、11回に優勝を決めるサヨナラタイムリーを放った。この場面は長いBBLの歴史でも屈指の名シーンだとして語り継がれている(札幌地区調べ)。優勝決定サヨナラタイムリーで文字通りさよならを告げるという、史上稀に見る粋な引退劇であった。
その他設定、裏話
本来は銀髪・橙色眼鏡だったが、球団の色に合わせて髪を染めることにしたためこのような風貌になった。FA宣言をしていった先々のチームカラーに文字通り染まっていこうとしたのだが、チーム事情もあって20年間ファイターズ一筋を貫いた。種族は翼人。与沢翼と名前が似ているが図らずも被ってしまっただけで全く関係はない。登場曲はツバサ(アンダーグラフ)と鳥の詩(Lia)
敗処 植瑞斌 キャリアハイ成績  一軍登板なし 獲得タイトルなし
球速:147 球質:E 変化:F 制球:F スタミナ:D 精神:F
右投右打 オーバースロー
期待外れのマイナーリーガー
選手の主な設定
名前の読みはジー・ルイビン。台湾出身、高校卒業後単身渡米し、メジャーリーグに挑戦。しかし3Aまで上がるのが精いっぱいで、長く2Aに在籍していた選手。24歳の秋に一念発起、つてを頼ってブルーバイソンズの秋季キャンプに練習生として参加。その後正式に選手契約が結ばれ、背番号51のユニフォームを着ることになった。重すぎやしませんか。プロ入り後は鳥仲間として鈴鹿暁規選手と交友関係を深め、オフはともに台湾で自主トレをする仲に。
選手としての特徴
真上から投げ下ろす最速147km/hの直球が唯一にして最大の武器。一応カーブとフォークも投げられるが、生命線はストレート。手元で変化するわけでも、ましてやホップするわけでもない、何の変哲もないストレート。以上です。
現役時代
将来性あるリリーフ投手としてブルーバイソンズに入団したが、一軍の壁に阻まれ長く二軍暮らしを経験することになる。1年目は抑えとして44セーブを挙げ、2年目はセットアッパーとして規定到達、36HP。3年目は先発転向し1点台の好成績を残すなど大車輪の活躍。舞洲軍の帝王として、一軍昇格判定用リトマス紙の役割を担った。4年目はピッチングの幅を広げるべくサークルチェンジを習得したが、これで指先の感覚が狂い調子を落とす。そのまま戦力外通告が下され、祖国台湾へと帰っていった。
なんでこんなプレイングをしたのか
当時私は20年にわたる生え抜き野手プレイを完遂したため、短命選手制作欲が非常に高まっておりました。そのため7代目の選手は1週間程度で引退させると決めて、どのようなプレイをするか色々と考えました。その結果生まれたのが、「将来性を見込んで日本球界にやってきたが、結果を残せず首を切られる元マイナーリーガー」の設定でした。結果的に一軍未登板のまま転生したのですが、1試合くらいは上に顔出しできたらよかったかな? と思いながらの引退となりました。もし活躍していた場合は、メジャー再挑戦の名目で引退させるつもりでした。どちらに転んでも4年転生です。また、このようなプレイを選択した理由はもう一つありました。「植田家の家系を一度断絶させる」というものです。私は7代目でルイビンくんを育てると決める前から、8代目でバカンスをすることに決めていました。バカンスの名のもと、リアルやシビアをいったん頭の中から放り投げて、選手名も画像も鳥縛りをやめて自由になろうじゃないかと思ったのです。今まで続けてきた鳥路線とは違いますよ、の意味を込めて、いったん家系を断絶させることにしました。短命プレイはもともとやりたいことの一つでしたので、「バカンス前の今ならちょうどいいかな?」と思い、こんな感じの7代目になりました。ちなみにバカンス選手(奥平さん)は結婚しているので、9代目以降の通常路線の植田家にはバカンスの血が流れています。これ、もしかして家系断絶させた意味ないな?
3B 今井浩己 キャリアハイ成績 .298 15 60 2盗塁 新人王(101年度)、三塁ゴールデングラブ(108年度、112年度)
ミート:D パワー:D 走力:F 守備:C 小技:E 精神:D
逆境○
右投右打 打法スクエア
1990の男
選手の主な設定
岐阜県下呂市出身。県立の飛騨商業高校に進学すると、高校2年生の春に甲子園ベスト4まで勝ち上がり旋風を起こす。さらに4番主将で迎えた翌年は準優勝に輝き、「春の飛騨商」の象徴的存在となった(この設定を作った後の夏の甲子園でまさかあんなことが起こるとは・・・)。ただし夏の出場はない。高校卒業後は挙母大学に進学、広角に長打を放てるバッティングと範囲は狭いながらもグラブ捌き鮮やかな三塁守備で愛知の大学野球界をリードする存在に。この間に飛騨商フィーバー・今井フィーバーはすっかり冷めてしまったが、着実に力を身に着け福岡ダイヤモンドホーンズから指名を勝ち取った。趣味はプリンづくり。とってもおいしい。
選手としての特徴
2割前半の打率とちょっとのパンチ力を生かしたあまり頼りにならない打撃が武器の内野手……だったのだが、8年目となる108年度に突如覚醒。.298 15 60の成績を残し、守備でもゴールデングラブを受賞した。ランナーが溜まるとお祭り男の血が騒ぎ、満塁ともなれば驚異の集中力でボールを確実に捉える。通算打率、対左右、得点圏と2割4分台だが、満塁時通算打率は.275を誇った。数字は大したことないが一応頑張っている。112年度はサードで年間無失策を記録するなど、守備も評価が高い。というかむしろ守備の人。現役晩年はチーム事情に伴って守備位置が変わり、二遊間を守る機会が増えた。最終年となる39歳シーズンでは137試合ショートでスタメン出場していた。
現役最終年、117年度
この年今井は39歳。3連続で若干の衰えを引いたとはいえ打撃能力の低下はなかなか厳しく、かつての打棒はすっかり影を潜めていた。しかし通算安打数がシーズン開始時点で1886本となっており、残り114本打てば晴れて2000本の大台というところまで来ていた。昨年、一昨年程度のペースで打てば確実に到達する数字。しかしこの年の今井は開幕から打撃不振に喘ぐ。一時は打率を2割後半に乗せたものの、シーズンの大部分は2割2分程度での低空飛行が続いた。前半戦を終えたあたりで安打ペースを見ると、2000本に届くか届かないかのちょうどギリギリ。来年も試合に出られる保証はない以上、何としても達成しておきたい数字だったが、その思いが今井のスイングを狂わせる。
シーズン後半、徐々に安打ペースは落ちていき、残り25試合としたところで打率は2割1分。安打数は1975本。いよいよ1試合に1本、率にして2割5分以上打たねば厳しくなってきた。しかし今井の調子は一向に上がらない。打率はどんどん落ちていき、シーズン中の2000本到達が絶望的に。さらに戦力外ラインの2割切りも見えてきてしまった。ここまで打っておいて戦力外では洒落にならない、今井は必死に食らいつき、140試合目を終えて打率.201とギリギリのところで持ちこたえていた。
しかし現実は残酷である。最後の3試合、今井の残した数字は10打数無安打5三振。最終成績は525打数104安打となり、打率は.198。2000本安打目前だとか生え抜きだとかそういうことは関係なく戦力外通告が下され、今井は通算1990本安打で球界を去ることとなった。ちなみにあと1本でもヒットを打っていれば525打数105安打でちょうど2割、戦力外を回避していたことになる。なんてことだ……。



植田家じゃない選手

奥平さん

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先発 奥平さん キャリアハイ成績  12勝10敗 3.03 153K 196回 10完投 リーグ最高殊勲(92年度)、ゴールデングラブ(95年度)
球速:145 球質:C 変化:F 制球:B スタミナ:B 精神:D
気迫○
左投左打 スリークォーター
波乱万丈のイニングイーター
奥平さんについて
植瑞斌の項でも書いたように、この選手はバカンスの名のもとリアルやシビアから解放して育成した選手なので、植田家には含まないものとしている。ただ99年度に叩き出した成績が私好みのものだったので、大いに悩んだ。悩んだけど、やはり家系に入れるのはやめた。
奥平さんはもともと版権キャラの名前とアイコンを持つ、BBLには大勢いる女の子選手の一人だった。しかし鳥アイコンに慣れすぎてしまって落ち着かず、とりあえずその日おかあさんといっしょで流れていた曲「ぴぴハピー」に似た画像をいらすとやから引っ張ってきて暫定的にアイコンとした。それがそのまま馴染んでしまって、そのまま現役生活を全うすることになった。
奥平さんを育ててみて
もともとは5球種イニングイーターというえらく育成難易度の高いものを作るつもりでいたが、家系図をわざと断絶させるという暴挙に出たため、奥平さんの初期能力は非常に低いものとなった。球種もカーブ1つのみだったため、早々に5球種型をあきらめざるをえなくなり、第2候補として考えていたスタミナ制球特化型にすることを決めた。積極鍛錬を読んでひたすらシャトルランとフォーム矯正、そして打たれないよう球質をDまで確保しようと指立て伏せを繰り返していたが、能力が目標値に近づいてもまあ打たれる打たれる。当時私は「制球と球質があれば球速変化捨てても抑えられるでしょ」とα版時代の育成理論に従って練習を積んでいたのだが、時はすでにβ版。球速はとっくのとうに必須能力の一つと化し、さらに重い球がほぼマストといった状況だったため、スタミナと制球と球質しか伸ばしていなかった奥平さんは見事にバッピと化してしまった。それでも当時在籍していたドルフィンズの援護を大量に貰い、被打率3割オーバーしつつもなんとかローテとしては及第点の成績に収まっていた。しかし94年、Cリーグ最下位だったライガーズに移籍したことで一気にメッキが剥げた。投げては打たれ、投げては打たれ。そして負けがかさんであれよあれよの連敗ロード、積み上げた黒星なんと20。73年ぶりの20敗到達という不名誉な記録を作り上げてしまい、さすがにこれではまずいと球速を上げ始めた。すると見る見るうちに成績は良化、127km/hから141km/hまで加速した翌95年度は、防御率3.59で13勝9敗の好成績を残すことができた。ここからさらに145km/hまで伸ばし、精神を鍛え、スタミナも85に到達。集大成として迎えた99年度は12勝10敗、防御率3.03、10完投という成績を残し、オフには名誉の水死を遂げた。私はかねてより「2桁勝利2桁敗戦で勝ち越し、防御率3点台中盤、10完投で200イニング」という成績を残したいと思っていたのだが、この99年度でほとんどこれらを叶えてしまった。イニングは200にあと4つ足りないし、防御率も少し良すぎる。もっと奪三振が欲しいという思いもあるし、13勝11敗が理想形だとも思う。ただそれでも99年度に出したこの成績は私の理想にかなり近いものであり、この数字を拝むことができた、BBLの公式記録として残すことができたというだけでも、この奥平さんを育ててよかったな、バカンスしてよかったなと思ったのであった。



葉芹野分家・桑折家

桑折あんな

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中継ぎ 桑折あんな キャリアハイ成績  66登 7勝1敗18H1S 1.15 91K 86回 獲得タイトルなし
球速:150 球質:C 変化:C 制球:C スタミナ:F 精神:F
左投左打 アンダースロー
魔球操る中国パセリ
設定が生まれたきっかけ
桑折家は、葉芹野家(葉芹野さん製作の一族。名選手いっぱい)の分家という設定である。中国パセリの異名を持つコリアンダーをモチーフとしている。……そんな桑折家という存在が生まれたそもそもの発端は、植田家9代目の今井くんの育成中に「どうやって自然な形で早期引退させようか?」と考えてしまったことだった。当時私はリアリティとシビアに拘った育成をしており、今井くんに関しても「早熟とか普通早を引いて1000安打いかないくらいで辞めたいなあ」と考えていた。しかし引いた成長型は37歳衰えの正弦波。意に反して今井くんは試合に出続け通産安打を伸ばし続け、1000安打の大台を軽々飛び越えてしまった。「このままじゃ1500どころか2000本まで行ってしまう……!どうしよう!」と考え思いつめた私は、実在野球選手の通産安打数をひたすら計算して「家系標準安打数」なる数字を算出するなど精神的に不安定な状態に陥っていた。しかし落ち着いて考えてみたらこんな遊び方はちっとも健全じゃない。むしろゲームに遊ばれている。これではいけないと改心した私は今井くんの天寿を全うさせることを決め、来世10代目にして初の経験値計算ガチガチ理論派育成をやってみようと決意するのであった(ちなみに天寿を全うさせると決めた後、今井くんがどんな数字を残したのかは今井浩己の項で書いた通り)。そうなると悩ましいのが10代目の選手の名前と設定。今までにやったことのないことをしようと思いつつも何をしたらいいか分からず、twitter上で相談したところ「葉芹野家に分家としてきませんか」とお誘いを頂いたので、めでたく桑折家が創設されたのであった。名前の由来はコリアンダー。桑折アンダーでコリアンダー。桑折あんなでコリアンダー。
育成方針について
先に述べたように、この選手ではガチ育成を行っている。リアリティなんてその辺の側溝にポイっと捨てた状態で始めている。きっちり理論立てて育成してあわよくば変化APでCCBCFとか目指そうと思ってた(気がする)。思ってたんだけども、その野望は初期1球種を引いたことで脆くも崩れ去る。β版ではなぜか変化APを選ぶと初期1球種になってしまう……。3球種欲しかったんだけどなあ。それでもめげずにガチ育成をしていたものの、のちに成長型が持続持続であることが判明。経験点の計算をする意味がなくなってしまい、私は思う存分新球練習に走ったのであった……。・葉芹野成哉選手との同僚チャレンジ
118年度にレッドフィッシュに入団したあんな投手に遅れること1年、葉芹野本家の成哉投手がエンペラーズに入団した。ここから2人はなんとかチームメイトになれるよう、トレードやFAを繰り返すことになる。まず先に動いたのはあんな投手。121年度開幕前にトレードを成立させ、チーターズへ移籍した。そして123年度には成哉投手がバイソンズへトレード。別リーグになってしまい、対戦機会が減少する。その後数年移籍のチャンスをうかがっていた両者だが、127年度にトレードが成立する。これによってあんな投手はバイソンズへ、成哉投手はチーターズへ移籍した。……そう、まさかの当人同士のトレードである。移籍した瞬間画面上部の色が変わり、相手と同じ球団だと喜んだ後、通知を確認して腰を抜かす……。まさにそんなトレードが成立。この展開にはびびったぞ。その後あんな投手はバイソンズでリリーフに定着、成哉投手はさらにトレードを行ってスカイクロウズに移籍。そして129年度、ついに両者ともFA権を獲得し、同時に宣言を行った。プロ入りして10年余り、これでようやくチームメイトになれる!……そう思ったのもつかの間、残念ながらお互いのオファーに共通する球団はなく、FA移籍を断念。再取得に向けて気持ちを切り替えることとなったのであった。しかし、この後成哉投手に転機が訪れる。