概要
本名 | |
---|---|
異名 | 【三大剣士の一人】 |
最強 | 【 |
性別 | 男/男 |
性格 | 冷静で重厚な性格。 また、剣術に対しては謙虚な姿勢を持っている。 |
人称 | 私/貴殿、etc... |
誕生日 | ?月?日(?座) |
年齢 | 536歳 |
体格 | 182cm/78kg |
容姿 | ![]() (PixAIで作成) |
好き | 茶会 |
得意 | 剣術 |
嫌い | ? |
苦手 | ? |
出身 | 【大和】 |
住所 | 不明 |
所属 | -- |
属性 | 【武】【剣】 |
種族 | 【 |
プロフィール
大和の中で史上最強の剣豪の一人。現在は、世界各国を巡り、武者修行・遊説の旅に出ている。飛鳥雅子や飛鳥昭輝、細田藤隆など、剣術の腕利きとされる人物の師でもある。
鹿島氏の神宮に伝わる鹿島七流のうち、鹿島中古流を伝承してきている卜部吉川家の生まれ。幼い頃から父の吉川明方からの手ほどきを受け、剣術の腕において頭角を徐々に現していった。
10歳のときに、剣術の名家の一つであった塚地家に養子入りし、姓が『塚地』となった。取り立てられた理由としては、卓越した剣術の才と重厚沈着な性格が、塚地城を治める塚地安元の目に留まったからだという。塚地家も『香取神道流』を伝承している家でもあったことから、そこでもその流派を修得し、10歳半ばにして2つの流派を身につけた。
10歳のときに、剣術の名家の一つであった塚地家に養子入りし、姓が『塚地』となった。取り立てられた理由としては、卓越した剣術の才と重厚沈着な性格が、塚地城を治める塚地安元の目に留まったからだという。塚地家も『香取神道流』を伝承している家でもあったことから、そこでもその流派を修得し、10歳半ばにして2つの流派を身につけた。
17歳からは、小領主の若殿としての将来はすでに約束されてはいたが、自分の腕前と運を試すため、各地で武者修行を始めたという。その時に、あらゆる流派の祖である念流を修得することになる。柳生烈堂と上泉信綱と若い頃は同門であった。そのため、自分が創始した剣術の流派である『鹿島神当流』には柳生らと同様『神』の字が入っている。
そこから、遊説で諸国を巡るうちに、都に辿り着いた彼は、そこで飛鳥昭輝や飛鳥雅子、細田藤隆など、将軍家やその家臣に剣術を指南している。その中でも高弟であった飛鳥雅子と細田藤隆には奥義である『一之太刀』を伝授している。
今までの真剣勝負や木刀での勝負において一度も傷を受けることがなかった。実戦でも、わずかなかすり傷こそ受けたが、それ以外では目立った怪我をしていない。"理外"相当の魔物すらも相手をしたことがあり、その戦いでも無傷で勝利している。三矢一派への反乱戦では雅子に加勢し、たった一人で1000人以上も斬り倒す戦績を見せている。
重厚沈着かつ謙虚な性格で、剣術に対しては謙虚かつひたむきに向き合う姿勢を持っている。同門であった柳生烈堂に対しては、仲間意識と共に、【剣術最強】を保有しているという憧れと、不治の病の心配とそれを治そうとしない彼女への怒りという、これらが混じった複雑な心情を抱いていた。
詳細
+ | 対人面 |
+ | 戦闘面 |
台詞
- 「私は塚地卜伝。ただの剣客だよ」
- 「戦わずして勝つこと、これが『無手勝流』だ」
- 「柳生烈堂……それはもう、強い剣士だ。短い間だったが、同門であれたことに誇りを持ってるよ」
余談
- 実在の剣士『塚原卜伝』をモチーフにしました。
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