【兵主部羅神(ひょうすべらしん)】

河童の神を九州では兵主部羅神と称している。「兵主部羅」は「ひょうすべら」あるいは「へいすべら」と読まれるようである。九州に見られるヒョウスベ、ヒョウスボなどの名称はこれに由来しているとも考えられている。

【兵主という語句】

兵主とは、武具の神を意味する言葉*1であり、各地に祀られる神のなかにも八千矛命(大国主命の異名)や素盞嗚尊*2あるいは兵主明神に兵主の称号が用いられている。三十番神の一柱として選定されている兵主明神は武家からは「つわものぬし」の意味があるとして、武運を護る弓矢神として信仰されていた。射楯兵主神社(釜蓋神社)では、頭の上に釜の蓋をのせ、手を使わず落とさず鳥居から賽銭箱まで辿り着く事が出来れば開運・武運長久に繋がるという信仰*3が存在していた。

モノヌシの当て字

兵主明神に用いられている「兵主」は古くは「ものぬし」を意味した当て字であり、大物主命(八千矛命である大国主命の別の顔)を示していたとされる。元来は大和国の穴師山の神を祀ったもので、途中で大物主命に変換され、その際に用いられたのが「兵主」であったと考えられる。この穴師山の神を信仰していたのは大和国の穴師部(あなしべ)の一族で、彼らは「兵主部」(ひょうすべ)とも名乗り、各地に兵主明神として八千矛の神(大国主や大物主)を祀っている*4

水と蛇との関係

これらの「兵主」の信仰たちと「兵主部羅」の関係性は明らかではない。河童の多くが金属(鉄)を忌み嫌っている事を考えれば、金属を豊富に用いる武具や製鉄と近い関係にあるとは余り考えられない。しかし、字句の成立をたどれば「兵主」は「ものぬし」の当て字にすぎないので、武具や弓矢の神とは関係は浅い。水・武器と蛇の信仰(山の神々は大物主命も含めて蛇体でもある)について考えると八俣袁呂智には結びつく。また、素盞嗚尊は牛頭天王とも習合しており、水や蛇の意味での「兵主」の意味が兵主部羅神にはあるのではないかと考えられる。

穴師山の神は、『大和志料』や『新撰姓氏録』の記述などから推測すると天富貴(あめのふき)であると考えられる。この名は記紀神話には登場しないが、素戔嗚尊の子にあたる神で、八俣袁呂智から得られた剣(天叢雲剣)を天照大御神に献上する使者となった存在に天之葺根(あめのふきね)がおり、同一の存在ではないかとも考えられている*5。これらの点を結んでゆくと、河童に兵主部羅(兵主)という語が結びついている起源がたどれるのではないだろうか。

和泉国の加守郷の兵主神社や、近江国の野洲川のほとりにある兵主神社は、雨乞いの儀式が行われる場であり、川や水と縁が深い。加守郷の兵主神社の裏にある淵は久米田池(主として大蛇が棲む)に繋がっていると言い伝えられている*6

最終更新:2022年12月15日 23:02

*1 『史記封禅書』に「八神」として「天主・地主・兵主・陽主・陰主・月主・日主・四時主」があると挙げられている。

*2 『古事記大講 22巻』、古事記大講刊行会、1932年

*3 旅ムック編集部『九州 聖地巡礼ガイド 神仏ゆかりの地をめぐる』、メイツ出版、2019年

*4 名倉聞一『名倉聞一遺稿集 郷音記』、1939年

*5 土橋寛『古代歌謡と儀礼の研究』、岩波書店、1965年

*6 若尾五雄「和泉国兵主神社」、『近畿民俗』19号、1956年